映画「マイ・バック・ページ」感想
映画「マイ・バック・ページ」観に行ってきました。
学生紛争の末期となる1969年から1972年の日本を舞台に、雑誌記者と自称革命家との出会いから破滅までを描く、妻夫木聡と松山ケンイチ主演の作品です。
この映画は、1971年8月21日の夜に実際に起こった「朝霞自衛官殺害事件」を元に作られています。
「朝霞自衛官殺害事件」とは、東京と埼玉にまたがる陸上自衛隊朝霞駐屯地で、当時歩哨任務についていた一場哲雄陸士長が「赤衛軍」と名乗る新左翼グループに殺害された事件のことを指します。
犯行現場には「赤衛軍」の名称が入った赤ヘルメットやビラが散乱しており、また殺害された一場哲雄陸士長が左腕に付けていた「警衛」の腕章が無くなっていました。
「赤衛軍」はこの事件まで全く問題を起こしたことがなく、組織犯罪を担当する公安にとってもノーマークかつ正体不明な存在でした。
ところが、1971年10月5日発売の週刊誌・朝日ジャーナルに「謎の超過激派赤衛軍幹部と単独会見」という記事が掲載され、そこに一般に公開していなかった「警衛」の腕章についての記述があったことから、警察はこの取材源について徹底的な捜査を進めます。
結果、日本大学と駒澤大学の学生3人が捜査線上に浮上、同年11月16日と25日に相次いで逮捕されます。
またこの事件では、当時朝日ジャーナルの記者だった川本三郎が、犯人から「警衛」の腕章を受け取り燃やしていたことや、週刊プレイボーイの記者が犯人達に逃走資金を渡していたことなども判明し、両名は「犯人蔵匿及び証拠隠滅の罪」で逮捕されています。
この時逮捕され、懲役10ヶ月・執行猶予2年の有罪判決を受けた川本三郎が「朝霞自衛官殺害事件」についての自己の体験を綴った回想録が、この映画の原作となる「マイ・バック・ページ」です。
今作の主人公で妻夫木聡扮する沢田雅巳のモデルが、原作者である川本三郎自身ということになるわけですね。
一方、「赤衛軍」ならぬ「赤邦軍」のリーダー格となるのが、松山ケンイチ演じる梅山(本名は片桐優)。
梅山は、思想活動サークルで学生紛争の目的について問われた際、問いかけた相手に「お前は敵だろ!」と逆ギレした挙句、自分の意見に従えないものは出て行けなどとのたまう、ディベートの論者としてはどこかの山○弘を想起させる、何ともお粗末な人物です。
さらには虚言癖まであり、犯行が発覚して逮捕された後における警察の事情聴取では、すくなくとも自衛官殺害を指示していたわけではない京大全共闘議長の前園勇を首謀者に仕立て上げるウソの供述を始める始末。
アジトでは、仲間達が隣の部屋で待機している中、防音性の欠片もない一室で女性隊員を垂らし込んでズッコンバッコンよろしくやっているシーンまでありましたし、その癖その女性にカネの調達を要求したりするなど、人間としてもあまり好感が抱けるような人物ではなかったですね。
物語の最後では、半ば功名欲から事件を起こすに至ったことを告白していましたし。
ただ一方では、主人公である沢田雅巳を上手く利用したり、自分達を利用しようとした反戦自衛官・清原(本名は荒川昭二)を逆に追い込んだりするなど、したたかで微妙にカリスマ性のある人物でもあったりします。
カリスマ性のあるエゴイスト、というのが人物像になるでしょうか。
映画「マイ・バック・ページ」では、「朝霞自衛官殺害事件」以外にも実際に起こった事件が取り上げられています。
物語序盤では、東大安田講堂事件の最中、日比谷の全国全共闘連合結成大会に出席・演説しようとしていた東大全共闘議長・唐谷義朗が、彼の取材をしていた主人公の面前で逮捕される事件が発生していますが、この唐谷義朗のモデルは、当時やはり東大全共闘議長を務めていた山本義隆という人物です。
事件の経緯も、逮捕された大会の会場が日比谷というのも全く同じですし。
また、作中で主人公が憧れの職場として配属を希望していた東都ジャーナルは、1971年に雑誌の回収騒動が起こっているのですが、これも同じく1971年3月19日号の朝日ジャーナルで発生した雑誌回収事件がモデルだったりします。
この回収事件は、雑誌の表紙が女性のヌードだったことと、同雑誌に掲載されていたマンガ「櫻画報」の最終回となるこの号で、朝日新聞の社章が日の出のように水平線から昇る絵に「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」という文が添えられ、さらに「朝日は赤くなければ朝日ではないのだ」などとキャプションがつけられたことが朝日新聞本社で問題となり、同誌の回収が決定されたというもの。
事件後、朝日ジャーナルでは編集長が更迭された他、61名の人事異動がなされ、雑誌自体も2週間にわたって休刊となります。
作中では「アサヒ」の部分が別の表現に置き換えられていましたが、やはり同じように問題となり、現実の回収事件と同じように大規模な人事異動が行われ、そこへ元から配属を希望していた主人公も配属される、という形になります。
しかしまあ、当時から朝日新聞で既に行われていた中国・北朝鮮礼賛報道、後年に次々とやらかしていくことになる教科書・南京・サンゴ捏造虚報事件、さらには近年における「ジャーナリスト宣言」や自民党に対するバッシング、さらには対民主党向けの「報道しない自由」の行使などに見られる愚劣な偏向報道の数々を鑑みるに、この当時の朝日ジャーナルは全くもって正しいことを述べていたように思えてならないのですけどね(苦笑)。
作中の朝日ならぬ東都新聞本社の社会部記者が主人公に対して放った台詞も凄まじいまでに傲慢なシロモノでしたし、「ああ、朝日はやはり当時からずっと朝日だったのだなぁ」と思わず頷いてしまいましたね(爆)。
朝日新聞のスタンスは今現在も昔とほとんど変わっていないばかりか、むしろ悪化すらしている始末ですし。
作中の描写として気になったのは、主人公が梅山へ協力したことについて警察から事情聴取を受けた際、「取材源について明かすわけにはいかない」を繰り返すばかりで、証拠隠滅を図った事実や逃走資金を供与した問題については全く何も言及していない点ですね。
特に後者の場合、「取材源の秘匿」云々は全く何の関係もないのですし、それが「犯罪」であることを自覚できなかったわけもないでしょうに。
まあ、自分の「犯罪」を率先して認めるわけにもいかないから「我が身可愛さ」に自白を拒んでいた、という面もあったのでしょうが、「取材源」云々以外の問題についてどのように考えていたのか、モノローグでも良いから語っている場面が欲しかったところです。
最初から最後まで陰々滅々な雰囲気に満ち満ちていましたし、明るい要素がどこにも見当たらない映画と言えます。
1970年代テイストは上手く再現できていたようで、年配の人には「懐かしい」と思わせるものがあったようなのですが、それ以降に生まれた人間としては「単なる歴史の1ページ」以外の感想など抱きようがありませんでしたし。
「当時の歴史を振り返る&検証する」という目的であればそれなりに楽しめるのかもしれませんが、エンターテイメントしての盛り上がりを期待すると痛い目を見ることになる作品でしょうね。