映画「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」感想
映画「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」観に行ってきました。
アメリカのマーベル・コミックのアメコミ「X-MEN」シリーズのスピンオフ作品。
歴史上の事件であるキューバ危機を舞台に「X-MEN」に登場するプロフェッサーXとマグニートーの若き日の活躍を描いた物語となります。
ただ私の場合、過去の「X-MEN」シリーズの映画版は、同じくスピンオフ作品で2009年公開の「ウルヴァリン:X-MEN ZERO」しか観たことがなく、本編3部作は全く観ていなかったりします(^^;;)。
全ての始まりは1944年まで遡ります。
ユダヤ人で後のマグニートーとなるエリック・レーンシャーは、ナチス・ドイツのホロコーストに巻き込まれ、母親から引き離されてしまいます。
その際、周囲の兵士達の制止を引き摺って強大な力を行使したエリックを、当時ナチス党に所属しシュミットと名乗っていたセバスチャン・ショウが目をつけます。
セバスチャン・ショウはエリックの目の前で母親を殺すことでその力を引き出させることに成功し、その代償としてエリックから多大なまでの憎しみを買います。
エリックはその後、ナチス狩りに精を出しつつ、セバスチャン・ショウの行方を追うことになります。
一方、後のプロフェッサーXとなるチャールズ・エグゼビアは、同じ1944年に食糧を盗むため自分の家に侵入してきたミスティークと出会います。
チャールズは自身の異能である読心能力でミスティークの正体を見破ると共に彼女を受け入れ、以後ミスティークはチャールズの義妹として成長していくことになります。
ミスティークは最初チャールズのことが好きだったようで、チャールズと恋人関係になるモイラ・マクタガートに嫉妬心を露にしていたりします。
ちなみにミスティークは多情な女性なのか、作中ではチャールズ→ハンク→エリックと、とっかえひっかえ的に男に惹かれていた感がありましたね(苦笑)。
プロフェッサーXとなるチャールズと、マグニートーことエリックの2人が出会ったのは1962年。
そのきっかけは、エリックが目の仇にしているセバスチャン・ショウの陰謀にありました。
彼は当時の米ソ冷戦を煽って第三次世界大戦を勃発させ、両者が共倒れした世界で自分が全人類の支配者になることを目的に、当時の米ソの政軍関係者を裏から操っていたのでした。
セバスチャン・ショウはまず、ラスベガスでアメリカの軍関係者と接触し、彼を通じて対ソ核ミサイルをトルコに配備させ、ソ連を刺激することに成功します。
しかしその際、CIAエージェントであるモイラ・マクタガートが偶然一部始終を目撃。
テレポートや身体をダイヤモンドに変異させるミュータント能力に驚いたモイラ・マクタガートは、エリックに協力を求めることになります。
一方、首尾良く計画の第一段階が上手く行ったセバスチャン・ショウは、滞在していたクルーザーで仇として狙っていたエリックからの襲撃を受けます。
エリックはクルーザーをズタズタに破壊したものの、肝心のセバスチャン・ショウには仲間のミュータント共々クルーザーに格納されていた潜水艦で逃げられてしまいます。
この時、生命の危険も顧みず海に潜っていく潜水艦を追わんとするエリックと、テレパス能力を駆使してセバスチャン・ショウの居場所を突き止め近くでマークしていたチャールズが、ここで初めて邂逅するのです。
最初は隔意ありげに接していたエリックもやがてチャールズと打ち解け合い、2人は無二の親友関係になっていきます。
そして、セバスチャン・ショウとそのミュータント仲間の力に対抗するため、2人は世界各地に散らばっているミュータント達を集め始めます。
その際、前作である「ウルヴァリン:X-MEN ZERO」の主人公であるローガンに2人が声をかけ、「おととい来い」と返されてあっさりと去っていくサービスシーンが挿入されています。
この辺りはシリーズ物ならではのお約束と言ったところでしょうか。
一方、セバスチャン・ショウの画策はさらに進み、ソ連の高官を操ってついにキューバに核ミサイルに配備させる決断を下させることに成功。
これが歴史上の事件でもあるキューバ危機に繋がり、そしてこのキューバ危機を舞台にチャールズ・エリックとセバスチャン・ショウがそれぞれ率いるミュータント同士の戦いが繰り広げられることになるわけです。
映画「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」は、CGを駆使したSFXな描写もさることながら、キャラクター毎の人間ドラマなエピソードにも力が入っていますね。
プロフェッサーXが何故いつも車椅子に乗っているのか?
マグニートーが何故いつもヘルメットを被っているのか?
その他、「X-MEN」シリーズに纏わる様々な謎や設定が今作で分かるようになっています。
また、ミュータントであるが故にそれぞれの登場人物達が抱え込んでいる葛藤や決断なども上手く描写されており、ある意味SFXな描写以上に見所のひとつですね。
ただ、物語終盤で自分達の主人をエリックに殺されたセバスチャン・ショウの旧部下達が、いともあっさりとエリックに乗り換えたのには少々疑問を覚えずにはいられませんでした。
比較的新参で飛行能力を持つエンジェルはともかく、テレポート能力を駆使する赤悪魔風のアザゼルと、竜巻を繰り出すリップタイドは「いかにも忠臣」的なスタンスだったというのに。
母親を殺されたエリックのごとく主人の仇を討とうとは考えなかったのでしょうか、彼らは。
もっとも、彼らがセバスチャン・ショウにどれくらい忠誠を誓っていたのかについては議論の余地もあるでしょうし、彼らにしてみれば「自分達の目的が達成できるのであれば上司は誰でも良い」的な心境だったのかもしれませんが。
セバスチャン・ショウもエリックも、「母親殺し」というただ1点において対立していただけで、ミュータントと人間に対する認識と目的はどちらも同じでしたからねぇ。
あと同じく終盤、あそこまで対立が決定的になったのですから、どうしてエリックは自分にとって将来的な脅威となるであろうチャールズを、下半身不随状態になったのに乗じてチャッチャと殺しておかなかったのかと、物語の整合性を損ないかねない疑問も覚えてしまったものでした。
あの状態だったら赤子の手を捻るよりも簡単だったはずなのですけどね、後のプロフェッサーXことチャールズの殺害は。
もちろん、本当にそんなことをしてしまったら、その後の「X-MEN」シリーズのストーリーは全部消えて無くなってしまうのですから、シリーズ作品的には当然のごとく不可能な話だったでしょう。
しかし作品論的に見れば、マグニートーことエリックにとって、プロフェッサーXことチャールズとの今後の対立はあの時点で充分に予測できるものだったはずですし、作中でも無辜の米ソ兵士達を無差別虐殺する決断を躊躇なく下していたはずのエリックが、変なところで甘いなぁとは思わずにいられませんでしたね。
ここで虫の息だったチャールズを殺しておかなかったばかりに、エリックは後々余計な苦労をする羽目になったと思うのですが。
映画「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」の製作会社である20世紀フォックス社は、今作を「新三部作の1作目」として位置づけているのだそうで、シリーズ構想自体が中止に追い込まれなければ続編があと2つは製作されることになります。
ストーリー的にも演出的にもまずまずの出来な今作を見る限り、続編も充分に期待できそうではありますね。