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2011年10月の記事は以下のとおりです。

銀英伝舞台版のキャストによるリレー動画第4回配信

銀英伝舞台版「オーベルシュタイン編」のリレー動画4回目がアップされています。

銀英伝舞台版公式サイト
http://www.gineiden.jp/
オーベルシュタイン編のキャスト&スタッフ
http://www.gineiden.jp/cast.html
出演キャストリレー動画第4回 船戸慎士/松村泰一郎
http://www.gineiden.jp/oberstein/comment04.html

リレー動画のキャストコメントによれば、今回の2名はそれぞれ、

船戸慎士  = ビットラン少将
松村泰一郎 = シュテファン・ノイマンの少年期

を演じるとのこと。
4回目のリレー動画は主要キャストのひとりであろう伊藤哲哉が担当すると予測していたのですが、見事に外れてしまいましたね(-_-;;)。
公式サイトに掲載されているキャスト一覧の並びを考えると、この2人は脇役っぽい役柄ではありそうなのですが……。

リレー動画の情報によれば、シュテファン・ノイマンには松村泰一郎が演じる少年期よりもさらに下の子供時代もあるのだそうで、舞台では銀英伝本編までに至るオーベルシュタインの生涯そのものが披露されることになりそうですね。
ただ、第一章「銀河帝国編」におけるラインハルトとキルヒアイスが「幼少期も含めて」1人で通したことを考えると、何故シュテファン・ノイマンはそこまで細かく分割しているのかという疑問も出てきます。
予算と配役が多く配分できるようになったという「大人の事情」だったりするのでしょうか?

一方のビットラン少将というのは「オーベルシュタインの上司」に当たる人物とのこと。
銀英伝作中における「オーベルシュタインの上司」といえば、イゼルローン駐留艦隊司令官のゼークトとラインハルトがいて、どちらもオーベルシュタインとは根本的に相性が悪かったわけなのですが、さてビットラン少将とやらはどんな役回りになるのやら。

次でリレー動画は最後となりますが、今度こそ伊藤哲哉が担当になるのでしょうか?

映画「一命」感想

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映画「一命」観に行ってきました。
滝口康彦の小説「異聞浪人記」を原作とし、江戸時代初期に蔓延したと言われる「狂言切腹」を題材に「武士の生き様」に対し疑問を投げかける作品。
2010年11月に暴行事件を起こしニュースになった市川海老蔵が主演ということで話題になった映画です。
時代劇なのに3D版公開などという、観客的には実に無意味&ボッタクリもはなはだしい仕様で撮影が行われていたようですが、幸い行きつけの映画館では2D版も公開されていたため、3D版の回避には成功。
何でもかんでも3D版にすれば良いってものではないだろうと、私としては思えてならないのですけどねぇ(-_-;;)。

1630年(寛永7年)の冬。
徳川幕府に仕える名門・井伊家に、ひとりの浪人が門戸を叩きました。
市川海老蔵扮するその浪人・津雲半四郎(つくもはんしろう)は、主君を失い、その日暮らしの生活にも疲れたので、せめて武士らしく最期を遂げたい、そのために庭先を貸してくれと井伊家に申し出てきます。
その申し出に対し、「またか」とウンザリした顔で騒ぎ立てる井伊家に仕える武士達。
当時の日本では、中央集権体制の確立を企図した江戸幕府による大名取り潰しが相次ぎ、仕える主君と職を失い生活に困窮し浪人化する武士が頻出していました。
そして、そんな浪人のひとりが「最期を遂げたい」とある大名家に申し出、その心意気に感心した大名家が家臣として取り立てたという噂話が広まったことから、大名家に切腹を申し出ることで職を得たり、悪くても金銭を恵んでもらったりすることを目的とする「狂言切腹」というものが各地の大名家で問題化していました。
この事例を知る大名家の武士達が、素性も分からぬ浪人の切腹申し出に良い顔をするわけもありません。
彼らは口々に「門前払いをしろ」と言い立てますが、井伊家の家臣である斎藤勧解由(さいとうかげゆ)がそれを抑え、自ら会って話をすると津雲半四郎を招き入れます。
そして、切腹を申し出る津雲半四郎に対し、同年秋に起こった「狂言切腹」の話を始めるのでした。

斎藤勧解由が話し始めたのは、千々岩求女(ちぢいわもとめ)という若い浪人が起こした「狂言切腹」のエピソードです。
千々岩求女は当時頻発していた「狂言切腹」と同じく、金銭目当てで井伊家に「狂言切腹」を申し出たのですが、以前から「狂言切腹」を問題視していた斎藤勧解由ら井伊家の家臣達は、これに対し断固たる措置を取ることを決定します。
それは「狂言切腹」を申し出てきた千々岩求女に、本当に切腹をさせてしまうというもの。
金銭目当て、上手く言えば仕官の道も開けるかもしれないという意図で「狂言切腹」を申し出た千々岩求女は当然のごとく狼狽しまくり、「せめて1日の猶予を」「病に臥せっている妻子を医者に見せたいから3両下さい」などと本音を吐露しますが、斎藤勧解由は「武士に二言はない」の一言で撥ね付けます。
さらに、千々岩求女は「武士の魂」とされる刀ではなく木製の竹光しか所持していなかったのですが、井伊家家臣の面々はその竹光で切腹をするように仕向けます。
当然、竹光で腹を掻っ捌くことなどできるわけもなく、千々岩求女は何度も自分の腹に竹光を突き続けることになります。
その姿は壮絶の一言に尽きるのですが、周囲の武士達も残酷そのもので、介錯人を任されたはずの沢潟彦九郎(おもだかひこくろう)は「もっと腸を刀でかき回せ」「まだ足りない」などと冷淡に言い張り、なかなか介錯をやろうとしません。
その惨状を見かねた斎藤勧解由は、ついに自ら刀を取って千々岩求女に自らトドメを刺し、千々岩求女を楽にしてやったのでした。

斎藤勧解由から一連の話を聞かされた津雲半四郎は、しかしその場では千々岩求女のことを「哀れだ」と淡々と評しただけで、「止めるなら今のうちだぞ」と諭されたにもかかわらず、あくまでも自分は切腹をすると主張し続けます。
その頑固な心意気に根負けした斎藤勧解由は、ついに津雲半四郎が望む切腹を行わせるための準備を整えるのでした。
そしていざ切腹の仕儀となった時、津雲半四郎は、剣客として名高いとされる沢潟彦九郎を自分の介錯人にして欲しいと願い出ます。
ところがその日、沢潟彦九郎は井伊家に出仕しておらず、斎藤勧解由はやむなく沢潟彦九郎に出仕の使いを出し、津雲半四郎にその事実を告げます。
それに対し、津雲半四郎はさらに2人の武士の名前を指名するのですが、何とその2名の武士達も出仕しておらず、さらには沢潟彦九郎もまた、先日から行方をくらましていることが判明するではありませんか。
しかも、まるでそのことを予め知っていたかのような態度を取る津雲半四郎。
さすがに不審に思い始め、「貴様、何をしに来た」と問い質す斎藤勧解由と抜刀の構えを見せる周囲の武士達。
そして、それに応える津雲半四郎の口から、驚くべき事実が語られ始めるのでした。

映画「一命」は、切腹をメインテーマに扱っていることもあり、最初から最後までとにかく暗い話が続きます。
実は津雲半四郎と千々岩求女は義理の親子関係にあるのですが、彼らが「狂言切腹」に至った経緯も理由も不幸そのものです。
裕福な武士の生まれだったのに大名改易で浪人化し、妻子が病に倒れ、医者にかかるためのカネもないという状況は、当時の社会情勢や経済水準から見ればごくありふれた現実ではあったのでしょうけど。
また、作中の演出や舞台も、全体的に「貧乏な江戸時代」を前面に出しているイメージがありました。
元々貧乏な暮らしをしていた主人公親子の家が貧しいのは当然にしても、一応は名門・井伊家の家臣であるはずの斎藤勧解由の部屋でさえ、障子や壁が相当なまでに黒ずんでいるなど、薄汚れかつ質素な佇まいをしていますし。
実際の江戸時代もあんなものだったのかもしれませんが、時代劇などに出てくる家屋でももう少し綺麗な佇まいをしているのを見慣れていただけに、「えらい貧しい暮らしぶりだなぁ」というのが感想でしたね。

ただ、結果的に義理の息子を惨たらしく殺されてしまった形になる津雲半四郎が、斎藤勧解由に対して「慈悲をかけようとは思わなかったのか」と訴えかけるシーンは「さすがにそれは違うだろう」とは思いましたが。
井伊家の面々にしてみれば、千々岩求女の事情なんて津雲半四郎が話すまで全く知らなかったわけですし、仮に知っていたとしても「狂言切腹」でいちいち慈悲を示して金子を恵んでいたりしていたら、ここぞとばかりに他の浪人達が模倣し始める懸念もあるのですから。
井伊家の面々が自分達と何の関わりもない千々岩求女を助けなければならない理由など、世界中探したってあるわけもないのですし。
まあだからと言って「狂言切腹」を字面通りに受け止めて意図的に切腹までさせてしまう、というのは、現代どころか当時の価値観からしてさえやり過ぎの範疇ではあるのでしょうけど。
作中の記述を見る限り、他の大名家でも井伊家のごとき処断はできなかったみたいですからねぇ。

しかし、この作品の真骨頂は実は物語のラストにあります。
物語終盤、自分の正体を現し、ここぞとばかりに井伊家屋敷の中で大立ち回りを披露した津雲半四郎に対し、斎藤勧解由は「武士に二言はない」云々に代表される説法を説きまくっています。
ところがよくよく考えてみると、津雲半四郎を井伊家屋敷に招き入れてしまった時点で、既に彼らは「自らの手で賊を侵入させた」も同然の不祥事をやらかしてしまっていることになります。
さらに津雲半四郎は、大立ち回りの最中に、井伊家の象徴とされる赤備えの鎧一式を破壊してしまうのですが、こんなことまでされてしまったら当然、斎藤勧解由をはじめとする井伊家家臣一同は、その全員が責任を問われた挙句に切腹どころか斬首・遠島などの重罪すら課せられてもおかしくはなかったはずです。
現に作中では「武士の象徴」である髷を取られただけで、沢潟彦九郎と他2名の武士達が切腹に追い込まれたりしているのですし。
ところが、一連の「狂言切腹」騒動が治まり、井伊家の殿様が屋敷に帰還した際には、津雲半四郎が破壊したはずの赤備えの鎧一式は何事もなかったかのように元の場所に鎮座していた上、目新しくなっている鎧を見て「(赤備えの鎧を)手入れしてくれたのだな」と質問してきた殿様に対し、斎藤勧解由は事の真相を全く告げることなくおべっかを並べて平伏している始末です。
斎藤勧解由が津雲半四郎に対して説きまくっていた「武士の生き様」とは一体何だったのか、と思わずにはいられなかったですね。
何しろ、一般的に思われているであろう「武士の生き様」を主張していたはずの当の斎藤勧解由自身が、その「武士の生き様」という概念を全て御破算にしてしまう「生き様」を、しかも自分の主君相手に堂々と披露しているわけなのですから(爆)。
「武士に二言はない」というのは、一言も発することなく事実を好き勝手に改竄・隠蔽してしまえば責任回避は充分に可能、という意味だったのか。
「面目は施さなくてはならない」というのは、下の人間に全ての責任を押し付けて口封じも兼ねて殺してしまい、そ知らぬ顔を決め込んでいれば良いということだったのか。
確かにそれも「武士の生き様」には違いなく、また実際にそうやって生きてきた武士も決して少なくはなかったでしょうが、ある意味身も蓋もない事実の肯定ですね(苦笑)。
このラストの大どんでん返しを、作者ないし映画の製作者達が、まさに私が感じたようなことを意図して作ったというのであれば、それはある意味最高傑作として讃えられるべき所業ではあるのですが……。

内容が地味かつ暗いこともあり、映画「一命」は、お世辞にもハリウッド映画のように大衆受けする内容のストーリーとは到底言えたものではないですね。
時代劇が好きという人か、出演している俳優さんが好きという人ならオススメでしょうけど、人によって好みが分かれそうな作品ではあります。

映画「キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー(3D版)」感想

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映画「キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー(3D版)」観に行ってきました。
軍の秘密実験で超人的な能力を身につけた「キャプテン・アメリカ」が、レッド・スカル率いるヒドラ党と戦うストーリー。
中途半端な知名度だったのが災いしたのか、行きつけの映画館では3D版しか公開されておらず、泣く泣く3D版を見る羽目になりました(T_T)。
人気のある映画だったら3D・2D同時公開になるので、2D版が観賞できる余地もあったのですが……。
カネが余計にかかるだけで全く良いことがないのですし、いいかげん3D版公開というのは止めて欲しいところではあるのですけどね。

映画「キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー」では、「アイアンマン」シリーズの主人公トニー・スタークの父親であるハワード・スタークが重要人物として登場します。
「キャプテン・アメリカ」と「アイアンマン」は、同じアメリカのマーベル・コミックに登場するヒーローであり、かつその中で最も人気があるビッグ3の一翼を担っていることから、同じ世界観を共有していたりするんですよね。
そして、残るビッグ3の「マイティ・ソー」もまた「キャプテン・アメリカ」「アイアンマン」と同じ世界観を共有しており、この3作のヒーロー達は、2012年8月に日本で公開予定の映画「ジ・アベンジャーズ」で全員が一同に会することになります。
映画「アイアンマン」シリーズおよび「マイティ・ソー」でもそうでしたが、今作でもラストにアベンジャーズ計画を推進する謎の組織「S.H.I.E.L.D.」の長官で眼帯のスキンヘッド男ニック・フューリーが顔を出し、さらにエンドロール後には映画「ジ・アベンジャーズ」の予告編があります。
予告編では、ソーとアイアンマンもちらりと登場しますし、ソーの弟であるロキも一瞬顔を出していたりします。
なので、今作を映画館で観賞される方は、映画が完全に終わるまで席を立たないことをオススメしておきます。

今作の舞台は、ナチス・ドイツがヨーロッパで快進撃を続けている第二次世界大戦当時のアメリカとなります。
主人公スティーブ・ロジャースは、戦争を嫌い、軍に志願して一刻も早く戦争を終わらせることを願う、アメリカに対する愛国心と正義感溢れる青年。
しかし彼は、その虚弱で小柄な体格が災いして、何度も入隊テストを受けているにもかかわらず不合格が続く日々を送っていました。
そんなある日、親友で入隊テストに一発合格したバッキー・バーンズがスティーブの元を訪れ、彼をニューヨーク万国博覧会跡地のイベント会場へと誘います。
その会場では、先述のハワード・スタークが車を重力制御装置?で浮遊させるパフォーマンスを披露していたりするのですが、そんな中、バッキー・バーンズはヨーロッパの最前線で戦う107部隊への配属が決定したことをスティーブに告げます。
親友の門出を祝福しながらも、一向に入隊ができない自分の境遇にあせるスティーブですが、しかしそんな彼にもチャンスが訪れます。
イベント会場でスティーブのことを観察していた軍医アースキン博士がスティーブに接触し、彼との面接を介して入隊を果たすことに成功するのです。
もちろん、入隊を果たしただけで彼の虚弱体質が直るはずもなく、彼は配属された部隊の訓練でも劣等生ぶりを遺憾なく発揮します(苦笑)。
そんな彼をアースキン博士が選んだのは、彼とハワード・スタークが推進している「スーパーソルジャー計画」の披験者としての資質に着目したためでした。
力に溺れることのない真っ直ぐな正義感と勇気、そして慈悲の精神、そういったものが「スーパーソルジャー計画」では求められていたわけです。
そして、実験のことを告げられたスティーブは、何ら迷うことなく被験者となることを承諾します。
そして第1回目となる実験の末、スティーブは超人的な肉体能力を獲得することに成功するのですが、その直後に計画の責任者であるアースキン博士が殺害されてしまい、「スーパーソルジャー計画」は頓挫してしまいます。
結果としてただひとりの強化人間となったスティーブは、しかし軍上層部から「たったひとりでは何もできない」と見做され、一人前の戦力として認められることはありませんでした。
そして代わりにスティーブは、星条旗をあしらった派手なコスチュームを身に纏い、国内向けのプロパガンダで戦時国債を集めたり、前線の兵士達を鼓舞したりするための軍のマスコットキャラクター「キャプテン・アメリカ」として振舞うよう命じられることになります。
これが、アメリカ最初のヒーローとなる「キャプテン・アメリカ」が誕生した経緯となるわけですね。

「キャプテン・アメリカ」の特徴は、その卓越した運動能力とハワード・スタークが製作したシールド、そして何よりもチームプレイにあります。
切り込み隊長として先頭を走りつつ後続の兵士達を守りながら突き進んだり、囮として単身突撃して敵の目を集中させることで別働隊の作戦行動を支援したりといった行動が作中でも展開されています。
この辺りは、良くも悪くも単独で戦っていた感のあるアイアンマンやソーとは大きく異なる点ですね。
もちろん、キャプテン・アメリカも単独で行動することはありますし、宿敵であるレッド・スカルとの戦いも1対1で行われることにはなるのですが。
今作単独だけで見れば相対的に強大な力を誇っているかのように見えるキャプテン・アメリカではありますが、しかしアイアンマンとソーが合流することになるであろう「ジ・アベンジャーズ」では、彼の強さがどう描写されることになるのか気になるところではありますね。
単純な戦闘能力だけで言えば、遠距離攻撃が可能な火力や飛行能力を持つアイアンマンとソーの方が圧倒的に上でしょうし、作中でしばしば披露された「シールドをフリスビーのように投げる」という使い方も、アイアンマンとソーの攻撃手法に比べると見た目でも攻撃力でも頼りないイメージが否めないのですが。
今作の副題である「ザ・ファースト・アベンジャー」から言っても、キャプテン・アメリカが「ジ・アベンジャーズ」のリーダー的な役割を果たすことになるのは確実ですし、彼がアイアンマン&ソーと並ぶためには、何らかの戦力的なテコ入れがさらに必要になるのではないかなぁ、と。
もっとも、ヒーロー達を束ねるチームリーダーとしては、アイアンマン&ソーよりもキャプテン・アメリカの方がはるかに優れているでしょうけど。
アイアンマンことトニー・スタークもソーも、やたらと「我が強い」「協調性のない」性格をしていますからねぇ(-_-;;)。

作品単独で見ると、良くも悪くも「単純明快かつ勧善懲悪な分かりやすいストーリー」で構成されていると言えますね。
主人公が愛国的かつ真っ直ぐな性格をしていることもあってか、昨今の映画でありがちな「主人公が自分自身や家族問題等で思い悩むシーン」もほとんどありませんし。
ただ、「起きたら70年近くも経過していた」という浦島太郎的な境遇に置かれてしまったラストではさすがにショックも受けているでしょうし、文化的なカルチャーショック等で新たな悩みも出てきそうではあるのですが。

かつて邦画を壊滅に追いやったはずのテレビの衰退

2011年10月3日~9日までのテレビ番組視聴率1位が、18.1%(日本テレビの笑点)と史上最低を記録したとのことです。

http://megalodon.jp/2011-1013-1948-23/www.j-cast.com/2011/10/12109785.html?p=all

視聴率低下の要因としては、ネット利用の増加やケーブルテレビ・衛星放送などとの競合などが挙げられるのだそうで。
ただそれにしても、この驚愕の数値は、ここのところ様々な不祥事をやらかしているテレビの品質劣化と衰退ぶりを象徴していますね。
テレビはほんの20年前と比較してさえ劣化が著しく進行しています。
ゴールデンタイムでは、各局ほぼ横並びで芸能人のバラエティートーク番組ばかりやっていますし、ニュース番組も低レベルなワイドショー化と偏向報道で見るに耐えないシロモノに成り下がっています。
そこへきて最近では、韓流番組垂れ流しの問題なども表面化しているわけです。
他ならぬ私自身、かつては特定の番組を毎週楽しみに観賞していたものだったのですが、ここ10年ほどは「継続して見たい面白い番組」が全くないと言って良い状態が続いているんですよね。
ニュースなどは速報性の観点から言ってもネットの方がはるかに勝りますし、最近だと、劇場公開間近の映画関係の番組くらいしか観ることがないですねぇ、テレビは。

面白い番組を作るにはそれなりのリスクもあればカネもかかる。
この当然の鉄則を無視して安易な視聴率稼ぎだけが目的の番組作りに邁進したことが、昨今のテレビの衰退に拍車をかけていると言えるのではないでしょうか。
かつてテレビの普及によって壊滅的な打撃を受けた挙句、「駄作の代名詞」とまで酷評されていた邦画などは、テレビ局が積極的にテコ入れしていることもあってか、現在ではすくなくとも以前と比べれば数も品質も充実するようになってきているというのに。
邦画の復権には他ならぬテレビ局も少なからず関与しているわけですし、テレビを復興するための解決策が理解できないはずはないと思うのですけどね。

銀英伝舞台版のキャストによるリレー動画第2回&第3回について

銀英伝舞台版「オーベルシュタイン編」のリレー動画が、いつの間にか3回目まで更新されていました。
例のニコニコ生放送のインパクトで、すっかりチェックが外れていましたね(^^;;)。

銀英伝舞台版公式サイト
http://www.gineiden.jp/
オーベルシュタイン編のキャスト&スタッフ
http://www.gineiden.jp/cast.html
出演キャストリレー動画第2回 増沢望
http://www.gineiden.jp/oberstein/comment02.html
出演キャストリレー動画第3回 陰山泰
http://www.gineiden.jp/oberstein/comment03.html

リレー動画のキャストコメントによれば、今回の2名はそれぞれ、

増沢望 = オトマール・フォン・オーベルシュタイン(オーベルシュタインの父親)
陰山泰 = ラーベナルト(原作にも登場しているオーベルシュタインの執事)

を演じるとのこと。
1回目の岸祐二がオーベルシュタインの兄役でしたし、今回の舞台はオーベルシュタイン家の家庭問題をメインテーマに扱うことにでもなるのでしょうか?
原作開始時点ではオーベルシュタインに家族はいないという設定(銀英伝3巻 P57下段)なので、舞台の中か、遅くとも原作が開始されるまでに兄と父親は死ぬことになるのでしょうけど。
オーベルシュタインの父親は「とにかく息子達に厳しく当たる人間」という設定らしく、また社長氏の舞台稽古レポートによれば兄弟対決もあるらしいですね↓

http://twitter.com/adachi_hiro/status/123289343455535104
<舞台「銀河英雄伝説」稽古場なう。貴水さんと岸さんの対決。はたで見ているだけでもハラハラします。>

これらの情報を見る限りでは、どうも家族環境がオーベルシュタインに影響を与えた、という筋書きのストーリーになりそうではあるのですが、さて、どうなるのやら。

第4回のリレー動画は主要キャストの中で未だ登場していない伊藤哲哉が担当するのは確実として、ラストは主人公となる貴水博之かキルヒアイス役で友情出演の崎本大海、ということになるのでしょうか。
オーベルシュタイン家の問題にキルヒアイスがどんな形で関わるというのか、気になるところではありますが。

映画「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」感想

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映画「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」観に行ってきました。
往年のSF映画「猿の惑星」の全く新しいシリーズとして位置付けられる、「猿の惑星」誕生のエピソードを扱った作品。
今作の監督を務めたルパート・ワイアットによれば、「他の映画との関連はなく、オリジナル・ストーリーである」とのことだそうで、2001年公開のリメイク映画「PLANET OF THE APES/猿の惑星」とも無関係っぽいですね。
アレのラストと今作のエピソードは繋がるかなぁ、と考えていたりしていたのですが。
ちなみに「猿の惑星」シリーズで私が観賞したことのある作品は、1968年版「猿の惑星」と1970年公開映画「続・猿の惑星」、および前述の「PLANET OF THE APES/猿の惑星」の3作品になります。

物語は、サンフランシスコの製薬会社ジェネシスの研究所に勤める主人公ウィル・ロッドマンが、アルツハイマー病に効果のある新薬「ALZ112」の開発に成功したところから始まります。
ウィルがその「ALZ112」を1匹のメスのチンパンジーで臨床試験を行ったところ、人間レベルのパズルを解いてしまうなど、飛躍的な知能の発達が見られ、これに自信を得たウィルは、上司であるスティーブン・ジェイコブスを説き伏せ、更なる研究開発費を捻出するための株主総会だか役員会だかで研究についての演説を行います。
ところがその最中、件のチンパンジーが研究所内で突如暴れ出し、警備員に射殺されてしまうのです。
当然、話は全てご破算となってしまい、さらに研究所内のチンパンジーは全て殺処分されてしまうことになってしまいます。
実は暴走したメスのチンパンジーはひそかに赤子を身篭っており、子供が傷つくことを恐れての暴走だったのでした。
会社の規則によれば、当然この赤子も殺さなければならなかったのですが、ウィルの同僚であるロバート・フランクリンは、既に12匹もの猿を殺処分していたこともあり殺害を拒否。
結果、ウィルが密かに赤子の猿を自宅に持ち帰り、ウィルの父親でアルツハイマーを患っているチャールズ・ロッドマンが猿に好意を示したこともあり、「シーザー」と名付けて面倒を見ることにしたのでした。
ちなみに、ウィルが対アルツハイマーの新薬開発に勤しんでいる最大の理由は、この父親の存在にあったりします。

それから3年後。
家の中を所狭しと駆けずり回るほどに成長したシーザーは、新薬の臨床実験が施された母親の遺伝子を受け継いだためか、20通り以上の手話が理解できるなど、猿としては類稀な知性を発揮し始めていました。
そんなシーザーの様子を見て新薬の効果に確信を持ったウィルは、会社から密かに「ALZ112」を持ち帰り、アルツハイマーが悪化して隣人とトラブルを引き起こして家庭不和の要因にもなっていた父親に投薬します。
すると、父親の症状は劇的な改善を遂げたばかりか、知能の向上まで見られるほどの回復を示したのでした。
しかし、「ALZ112」は永続的な効果をもたらすものでなく、5年後、父親のアルツハイマー症は再び悪化の一途を辿り始めます。
そして父親は、隣人の車に無断で乗り込んで動かし始め、前後の車にぶつけまくる行為をやらかし、再び隣人とトラブルを引き起こしてしまいます。
それを助けようと家を飛び出し、隣人に襲い掛かるシーザー。
結果、シーザーは裁判所の命令により、類人猿保護施設に収容されることとなり、育ての親であったウィルと離れ離れになってしまうのでした。
ウィルはシーザーを取り戻すべく奔走しつつ、父親のアルツハイマー病を完全に治癒できるさらに強力な新薬「ALZ113」の開発に着手するのですが……。

映画「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」では、ウィルが開発している新薬が物語的に重要な役割を担っています。
猿の知能を飛躍的に向上させるというだけでなく、人間に対してはペストレベルの伝染性病原菌ウィルスとして機能することにより、人間が衰退する一助をも担ってしまう、という設定だったりします。
物語序盤に登場する新薬「ALZ112」にはそこまでの毒性はないのですが、「ALZ112」の効果を無効にしてしまう人間の抗体を抑えつけることを目的に新たに開発された「ALZ113」は、猿には副作用なしでプラスになるものなのに、人間は数日で死に至らしめる毒にしかならないわけです。
ラストで「ALZ113」のウィルスに感染したと思しき隣人の男が空港で1滴の血を流し、かつ発着予定の航空便に「ニューヨーク行き」の文字が出てきたところは、「猿の惑星」1作目を彷彿させると共に暗い未来を暗示するものではありましたね。
この世界で猿が人間に取って代われるであろう最大の要素は、猿の知能が高まったこともさることながら、「ALZ113」の(人間にとっての)致死性が大きな役割を果たすであろうことはまず間違いないでしょうね。
作中でサンフランシスコの街を我が物顔で走り回り、ゴールデンゲートブリッジを封鎖していた警官隊を潰したとはいえ、それでも人間社会がマトモに機能していれば、近代的な兵器を有する人間相手に猿達が最終的に勝利できるわけもないのですから。
往年の「猿の惑星」シリーズでネタにされていた全面核戦争なんて、当時の米ソ冷戦時代ならともかく、現代ではあまり現実味がないですからねぇ。

それにしても、新薬の開発に邁進するウィルを、まるである種のタブーに触れるかのごとく何度も諌めようとするキャロライン・アランハの描写は、良くも悪くもキリスト教的な価値観を微妙に引き摺っているような感がありましたね。
猿の知能を飛躍的に向上させる新薬の存在が「神の怒りに触れる」と畏れていたのか、猿が高度な知能を持つことそれ自体を脅威と感じたのかは作中からは読み取れないのですが、欧米人がロボットを敵視する感情と何となく共通する要素を感じたものでした。
ただ、ウィルはそれでも「ALZ113」は人体にどんな影響があるか不明だから慎重に実験を繰り返すべしとのスタンスを示していただけ、「ALZ113」の効果に狂喜乱舞した挙句に暴走しまくっていたジェネシス社のスティーブン・ジェイコブスよりはまだマシではあったのですが。
良かれと思って作った自分の新薬が人類社会に最悪の打撃を与えることになるとウィルが知った時、彼は一体どんな絶望的な顔をするのでしょうね。

「大人の事情」で製作中止、という事態にでもならない限り、続編は間違いなく製作されることになるのでしょうが、一体どんな悲惨な未来が人類社会に襲い掛かることになるのでしょうか。
往年の「猿の惑星」もやたらとショッキングなストーリーでしたし、続編がとても気になる作品ではありますね。

銀英伝舞台版第二章「自由惑星同盟編」始動&ヤン役に河村隆一

2011年10月4日18時より放映されたニコニコ生放送の河村隆一×田中芳樹対談。
その冒頭で、銀英伝舞台版第二章「自由惑星同盟編」が、2012年4月14日~22日に東京国際フォーラムのホールCで上演されることが正式発表されました。
また、その主役となるであろうヤン・ウェンリー役が、今回の対談に出演している河村隆一に決定したことも併せて公表されています。
銀英伝舞台版の公式サイトでも、同日19時過ぎ頃から情報が解禁された模様です↓

銀英伝舞台版公式サイト
http://www.gineiden.jp/
第二章 自由惑星同盟編 トップページ
http://www.gineiden.jp/doumei/

第一章の舞台公演以降、外伝の舞台ばかり発表してお茶を濁していた感のある銀英伝舞台版が、ようやく次の章へと進んでくれることが決定したわけで、まずは朗報ですね。
ヤン役に抜擢された河村隆一については、これまでのキャストの大多数の事例と同じく、個人的には今回の対談まで存在すら知らなかった人物だったりします(^^;;)。
なのでまたWikipediaと公式サイトを調べに行くことになったわけなのですが、それらを見る限りではアーティストとしての活動をメインとしている人物のようで、TVドラマや映画・舞台などといった「俳優としての仕事歴」はあまりないみたいですね。
ラインハルト役の松坂桃李や、キルヒアイス役の崎本大海と同じく、舞台俳優としての実績よりも「客寄せパンダ」としての役回りが期待された、といったところなのでしょうか?
さすがに主人公クラスは一般的にも知名度がある人物を起用する必要があるでしょうから、営業・宣伝戦略としては当然の措置なのかもしれませんが……。

あと、件のニコニコ生放送では当然のごとく田中芳樹も出演していたのですが、やたらと緊張している様子ではありましたね。
ネットメディア、それも生放送に出るのはこれが初めてなのでしょうし、そうでなくても「露出度」が低い田中芳樹なのですから当然ではあるのかもしれませんが。
4年前のサイン会の時と同じく、見た目もしゃべり方も「善良そうな一般人」でしたし、あまりの緊張ぶりに「緊張で喉が乾いているだろうから早く水を飲ませろ!」と他のニコ生閲覧者達からも心配されていたりしていました。
ただ出演の終盤頃に、今更のごとく自らの遅筆の言い訳をしていたのは正直「自爆」としか評しようがありませんでしたが(苦笑)。
遅筆の言い訳は2種類あって、ひとつは「私だって遅れさせたくて遅筆なわけじゃないんだ」と「今度出る新刊は出版社の都合で遅れた」というもの。
しかし、悪意があろうがなかろうが「あの」遅筆は十二分に問題なシロモノと言わざるをえないところですし、「今度出る新刊」こと「髑髏城の花嫁」は、執筆開始(2009年5月~6月頃?)から脱稿(2011年5月)まで実に2年近くもかかっているわけなのですが。
もっとも、今年の5月上旬に脱稿しているのに小説の刊行が10月末までズレ込んでいる原因は、確かに出版社側にあるのでしょうけどね。
脱稿から半年近くも経たないと小説が刊行できない、というのは充分に「遅い」と言える部類に入るのでしょうから。

まずはヤン役が決定した銀英伝舞台版第二章では、他のキャストはどうなるのか、ストーリーはどの辺りを扱うことになるのかなど、まだまだ気になる情報が目白押しです。
公式発表の材料も少なく控えめな宣伝に徹した外伝舞台と異なり、こちらは第一章の時と同様、小出しに情報を出していきつつ積極的な宣伝戦略を展開してくるでしょうから、しばらくはまた公式サイトが賑わうことになりそうですね。

映画「はやぶさ/HAYABUSA」感想

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映画「はやぶさ/HAYABUSA」観に行ってきました。
2003年5月9日に打ち上げられ、2010年6月13日にサンプルを地球に投下して消滅した小惑星探査機「はやぶさ」、およびその開発・運用に関わった人々の実話を元に製作されたドラマ作品。
今作は日本のみならず、アメリカでも2012年3月に主要10都市にて劇場公開予定であることが発表されたみたいですね。

物語の始まりは2002年。
当時の文部科学省宇宙科学研究所(ISAS、2003年10月にJAXAに統合)の対外協力室室長だった的場泰弘が、まだ「はやぶさ」という名前が付けられていなかった小惑星探査機「ミューゼスC」についての講演を行っているシーンから始まります。
当時はまだ小惑星探査機についての世間一般の関心がそれほど高くなかったこともあってか、講演の入場者数は主催者側の想定よりも低かったのですが、その中でひとり、的場泰弘の講演内容に感動した女性がいました。
その女性・水沢恵は、講演終了後、わざわざ会場を後にしようとする的場泰弘の眼前に現れ、自分が抱いた感想や疑問を的場泰弘に直接ぶつけまくるというミーハー根性丸出しな行動に打って出、これが的場泰弘の印象に強く残ることになります。
それからしばらく経った同年夏、古本屋のアルバイトとして働いていた水沢恵の下に、的場泰弘から「宇宙科学研究所に来てみないか?」という誘いの電話がかかってきます。
宇宙科学研究所の研究生として迎えられることになった水沢恵は、主に「ミューゼスC」研究開発チームの雑用係的な仕事と、広報スタッフとしての仕事を主に担当することになります。
しかし広報活動の中で、宇宙科学研究所の施設を見学に来た小学校低学年とおぼしき子供から質問をされた際、水沢恵は専門用語を早口で乱発しまくって顰蹙を買うという失態を演じてしまい、自分達の仕事の内容を他者に伝えることの難しさを痛感します。
そこで水沢恵は、子供向けに分かりやすく親切丁寧な説明を行うため、絵本的な構成で解説を行う「ミューゼスC君の冒険日誌」の製作に着手することを決意。
的場泰弘に頼み込んで宇宙科学研究所の資料室に入れてもらい、様々な資料を漁りまくる水沢恵。
ここで、1985年から始まる「ミューゼスC」製作秘話が語られることになります。
一方、的場泰弘は「ミューゼスC」を打ち上げるための予算と候補地を確保するために奔走。
文部科学省、および打ち上げ候補地のひとつである鹿児島県内之浦町の漁業組合との交渉を纏め上げ、「ミューゼスC」の打ち上げが正式に決定されます。
そして2003年5月9日、「ミューゼスC」には「はやぶさ」という名前が冠せられ、多くの人々が見守る中、内之浦宇宙空間観測所よりM-Vロケット5号機によって打ち上げられ、結果的には実に7年以上にも及ぶ長い長い宇宙の旅へと出て行くことになるのです。

映画「はやぶさ/HAYABUSA」では、小惑星探査機「はやぶさ」というかなり専門的かつ特殊なあり方について、当然のごとく詳細な説明が作中で行われています。
しかし、物語の範囲が2002年~2010年と実に8年もの長きに渡る上、「はやぶさ」のエピソードのみならず主人公・水沢恵や「はやぶさ」関係者達の人間ドラマまで展開されるため、物語の展開が早く説明もさっさと過ぎ去ってしまうという印象が強かったんですよね。
作中でも専門用語について数多くの注釈が出てきますし、作中の水沢恵が他者への説明に苦労する描写が見られることもあってか、かなり平易に説明しようとする努力は伺えるのですが、理解が追いつく以上に話の展開が早いと言わざるをえないところでして(-_-;;)。
すくなくとも「はやぶさ」について何の予備知識もない人が1回映画を観るだけでは、「はやぶさ」絡みの技術的な知識や問題について理解するのはかなり難しいのではないかと。
何度も繰り返し観るのであれば話は別なのでしょうけど、DVDならばともかく、映画館で同じ映画を何回も観賞するという人はあまりいないでしょうからねぇ。
シリーズ分割するような余裕がないとは言え、上映時間140分の中にあまりにも大量の情報を詰め込み過ぎなのではないか、というのが私の率直な感想だったりします。
この映画を観賞する際には、「はやぶさ」の旅程や技術などについてある程度事前に予習をしておいた方が良いのではないかと思えてならないですね。

また、作中のあちこちで水沢恵が描いていた「ミューゼスC君の冒険日誌」は、実際にJAXA(宇宙航空研究開発機構)の公式サイトで公開されている「はやぶさ君の冒険日誌」がベースになっていたりします↓

はやぶさ君の冒険日誌
http://www.isas.jaxa.jp/j/enterp/missions/hayabusa/fun/adv/index.shtml
PDF版
http://www.isas.jaxa.jp/j/enterp/missions/hayabusa/fun/adv/image/adv_2010tadaima.pdf

エンドロールではその一部が掲載されており、さらにこれまで日本が打ち上げてきた人工衛星や小惑星探査機の数々が併せて紹介されています。
税金の無駄だの非効率だのとマスコミや国会などから散々非難されつつも、日本の宇宙技術開発は他国に誇れる業績を地道に積み上げてきていたのだなぁ、と感じさせてくれるものではありましたね。

物語の展開は「はやぶさ」に関する説明も含めとにかく地味なので、ハリウッド映画のような作品が好みという人にはあまりオススメできる映画ではないですね。
あくまでも「はやぶさ」ファンのための作品、といったところでしょうか。

映画「DOG×POLICE 純白の絆」感想

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映画「DOG×POLICE 純白の絆」観に行ってきました。
警備犬と警察官が互いに成長しつつ、警視庁を震撼させる連続爆破事件に挑む姿を描いた作品。
今作は、映画料金一律1000円で観賞できるファーストデー(映画の日)での観賞となりました(^^)。

物語は、多くの人で賑わう大型ショッピングモールで、ゴミ箱に設置されていた爆弾が爆発するシーンから始まります。
死亡者1名と多くの負傷者を出す騒ぎに発展する中、警察による厳戒態勢が布かれ、現場に近づこうとする野次馬を抑えるために多くの警察官が動員されることになります。
その中の警察官のひとりである主人公・早川勇作は、群がる野次馬の中に不審な人物を発見します。
自分と目が合うや否や突然逃げ出したその人物を、早川勇作は後先考えず自分の持ち場を無断で抜け出して追跡行を開始します。
何とか不審人物を追い詰め、公務執行妨害の現行犯で捕まえることに成功したものの、不審人物との取っ組み合いの最中、たまたま自転車でその場を通りかかった通行人が巻き添えになり怪我をしてしまうというアクシデントが発生してしまいます。
通行人が怪我をしていることを確認し、そのことに責任を感じざるをえなかった早川勇作はすぐさま救急車を呼ぼうとしますが、通行人は「もうすぐ赤子が産まれるから…」という理由でその申し出を拒否します。
早川勇作が通行人を乗せた自転車をこぎ、辿り着いた目的地では、しかし出産は出産でも人間ではなく犬のそれが行われようとしている場面でした。
実は件の通行人は獣医さんだったわけですね。
出産の場では早川勇作も手伝わされる形で、3匹の仔犬が健康体で無事に出産されます。
しかし、そこで獣医が母親犬の様子を確認すると、さらにもう1匹、母親の胎内に引っかかっている仔犬が確認されました。
何とか仔犬は母親の胎内から引きずり出されたものの、他の黒い仔犬と違って皮膚の色が白く、その上呼吸もしていなかった状態であり、獣医と母親犬の飼い主らしき人物は「これは死んだな」と諦めムードに入ってしまいました。
しかし早川勇作は諦めることができず、人工マッサージもどきな行為を繰り返すことでその白い犬の蘇生に成功します。
これが、早川勇作と後のアルビノ犬シロとの最初の出会いでした。

早川勇作が取っ組み合いの末に捕まえた不審人物は、結局件の爆破事件とは何の関係もなく、さらに早川勇作は独断専行について上司から厳重注意を受け始末書を書かされることになります。
それからしばらくして早川勇作は、それまで所属していた部署から、警視庁警備部二課装備第四係、通称「イヌ屋」への配置転換を命じられます。
そこでは、災害救助や犯人の制圧行動を主な任務とする「警備犬」の育成と訓練をメインとする部署でした。
警備部所属の「警備犬」は、刑事部鑑識課の所属で犯人の足跡調査などといった捜査の支援を主な役割とする「警察犬」とは明確に区別されるということが、作中でも説明されています。
しかし、犯人逮捕を志していた早川勇作にとって「イヌ屋」の仕事は熱意を失わせるに十分なもので、ついに彼は「イヌ屋」こと警視庁警備部二課装備第四係の係長である向井寛に土下座まで刑事部に戻すよう懇願までする始末。
しかし向井寛の口からは、早川勇作の独断専行と協調性のなさが刑事部側で問題視され「こいつはいらない」と評されていた事実が無情にも告げられ、早川勇作は前途の暗さに絶望することになるのでした。
そんなある日、向井寛は早川勇作を連れ、早川勇作が育成・訓練するための警備犬、通称「バディ」をあてがうための犬を選出します。
その犬は何と、物語冒頭で早川勇作が生命を助けたアルビノ犬シロだったのです。
嗅覚が鋭い母親の血統を受け継いでいるシロは、アルビノ(劣性遺伝)というハンディを背負い、普通の犬並みの体力や持久力を持ち合わせていないことから「警備犬としては不適格」という評価が下されていたような犬でした。
不平満々な様子を見せながらも、早川勇作はシロを警備犬として育て上げるべく奮闘することになるのですが……。

映画「DOG×POLICE 純白の絆」を一通り観賞していて思ったのは、「この作品、ストーリー構成や設定が映画『岳-ガク-』にそっくり」というものでした。
特殊な仕事についての詳細かつ現実的な説明。
自分なりの理想をもって上司に反発して独断専行ばかりやらかした挙句、情け容赦のない現実を見せ付けられて挫折を味わう主人公。
その主人公に現実を見せ付ける役割を担う凄腕な実力を持つ教育係の存在。
上司の過去の出来事に纏わる上司とメインヒロインとの因縁めいた人間関係。
全て映画「岳-ガク-」にも存在する作品の特徴です。
特に、メインヒロインである水野夏希の父親がかつての上司で、かつその上司の娘を部下として迎え入れることになったという向井寛の過去話などは、聞いた瞬間に「岳-ガク-」で山岳救助隊をまとめていた野田正人のエピソードを連想してしまったほど全く同じパターンでした。
この作品、「岳-ガク-」をかなり意識して製作していたのではないか、とすら考えてしまったほどです。

ただ一方で、「DOG×POLICE 純白の絆」は「岳-ガク-」ほどには主人公の成長がきちんと描かれていないようにも見えましたね。
というのも、今作の主人公・早川勇作は「独断専行や協調性のなさ」から組織でハブられ、また物語中盤でも少なからぬ失敗を繰り返し、周囲からも散々に問題点を指摘され注意も受けているのですが、物語後半になってさえもその行動原理は全然改善されてなどいないんですよね。
爆弾を処理する際も、爆破事件の犯人を追い詰める際も、結局彼はひたすら周囲と連携を図ることなく独断専行を貫き通しています。
一番問題なのは、彼が独断専行的な行動を取る際、上司や他の同僚に対して無線通信で連絡を取るということすらもしていない点です。
作品は違いながらも、同じ警視庁警備部に所属しかつ独断専行も多かったSPシリーズの井上薫でさえ、上司や同僚達と密接に連絡を取り合って相互連携を図るシーンが少なからず盛り込まれていたというのに。
自分の状況はこうだからどうすれば良いかと上に指示を仰ぐ、という常識はもちろんのこと、「ただいま犯人を追跡中、現在○○地点から△△方面に移動中」のような状況報告すら、作中の早川勇作はほとんど行っていません。
緊急事態であり時間的な余裕もない、という事情もありはしたでしょうが、手を使わずに無線通信ができるわけですし、簡単な状況報告の類であれば走っている途中でも容易に行うことはできたはずなのですが。
最低限の状況報告さえ行っていれば、上層部だってバカではないのですから後詰の支援や援軍の派遣程度のことは充分に行えるでしょうし、そういうことはむしろ非常時で失敗が許されない状況「だからこそ」しっかりやっておく必要があるものだったでしょうに。
物語のラストで早川勇作が重傷を負った際でも、現在位置を知らせる連絡を早川勇作がちゃんと行っていれば、シロがあんな無駄に走る手間も必要なく、また水野夏希に危険な作業をさせることもなく、より安全確実に味方からの救助を受けることができたはずです。
そう考えるとラストのアレも、主人公の「独断専行と協調性のなさ」の結果としての自業自得としか言いようがなかったのではないかと。
「岳-ガク-」の成長要素が「現実の直視」と「非情な決断力」だったのに対し、「DOG×POLICE 純白の絆」では「周囲との協調性」が何度も強調されていたことが、成長物語としての評価の違いを生んだのでしょうけどね。

作品のテーマ自体は決して悪いものではなく、またアクションや迫力ある描写もまずまずの出来ではあっただけに、成長物語としての部分をもう少し練りこんで欲しかったところですね。

薬師寺シリーズ9巻の9月26日時点進捗状況

らいとすたっふの社長氏から、久々に田中芳樹の執筆状況が報告されました。

http://twitter.com/adachi_hiro/status/118095397716623360
<昨夜、田中さんと電話していて、「ようやく筆が進み始めたよ」とのこと。(二ヶ月遅いんじゃい!)という心の声を黙殺し、「いやあ、それは良かった」と答える。で、「ずいぶん当初の構想から違った展開になっちゃった」と。「え?どんな風に」と聞いたのだけど、「読んでのお楽しみ~」だって。むぅ。>

二ヶ月?
四ヶ月の間違いではないのでしょうか?
2011年10月31日刊行予定の「髑髏城の花嫁」が脱稿したのが5月上旬とのことでしたし、遅くとも5月の下旬頃には薬師寺シリーズの新刊執筆に着手したものとばかり思っていたのですが……。
まあ、執筆開始から筆が加速するまで2ヶ月かかるので……ということなのかもしれませんが、いずれにせよ、こんな状況では薬師寺シリーズ最新刊の年内刊行は不可能もいいところでしょうね。
来年出るかどうかすらも保証の限りではないというのが、相変わらず救いようのないところではあるのですけどね(T_T)。

それにしても、当の本人が「ストレス解消のために執筆している」とネタでなくマジで主張していたはずの薬師寺シリーズが、何故かくも遅筆な惨状を呈さなくてはならないのでしょうか?
まさか、ストレス発散対象たる自民党が野党に転落して民主党が与党になった挙句、その民主党の不祥事が擁護も不可能なレベルで大量に出てきたから、というわけではあるまいに(爆)。
あんな愚劣で構成がまるで練られていないその場凌ぎな作品を執筆するのにすらも時間がかかるって、どれだけ効率と燃費が悪いのですかね、田中芳樹は。

社長氏による当面の執筆スケジュールによれば、薬師寺シリーズ新刊の次がいよいよ「あの」タイタニア4巻とのことなのですが、それを読者が手に取れるのは果たしていつになることやら。
今の調子では、来年の刊行も絶望的でしょうし、再来年もかなり微妙と言わざるをえないのではないかと。
まあそれ以前に、創竜伝14巻刊行無期限延期の前例に倣い、社長氏が読者にも無断で執筆スケジュールを勝手に変更する可能性も否定できないところではあるのですが(苦笑)。
タイタニア4巻の場合、社長氏の公式ブログのみならず、NHK BS2やYahoo!ニュースにも「田中芳樹が刊行を公言した」という記録があるわけですし、それを覆したら最悪炎上騒動にまで発展しかねないでしょうから、予定変更はさすがに難しいだろうとは思うのですけどね。

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