映画「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」感想
映画「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」観に行ってきました。
往年のSF映画「猿の惑星」の全く新しいシリーズとして位置付けられる、「猿の惑星」誕生のエピソードを扱った作品。
今作の監督を務めたルパート・ワイアットによれば、「他の映画との関連はなく、オリジナル・ストーリーである」とのことだそうで、2001年公開のリメイク映画「PLANET OF THE APES/猿の惑星」とも無関係っぽいですね。
アレのラストと今作のエピソードは繋がるかなぁ、と考えていたりしていたのですが。
ちなみに「猿の惑星」シリーズで私が観賞したことのある作品は、1968年版「猿の惑星」と1970年公開映画「続・猿の惑星」、および前述の「PLANET OF THE APES/猿の惑星」の3作品になります。
物語は、サンフランシスコの製薬会社ジェネシスの研究所に勤める主人公ウィル・ロッドマンが、アルツハイマー病に効果のある新薬「ALZ112」の開発に成功したところから始まります。
ウィルがその「ALZ112」を1匹のメスのチンパンジーで臨床試験を行ったところ、人間レベルのパズルを解いてしまうなど、飛躍的な知能の発達が見られ、これに自信を得たウィルは、上司であるスティーブン・ジェイコブスを説き伏せ、更なる研究開発費を捻出するための株主総会だか役員会だかで研究についての演説を行います。
ところがその最中、件のチンパンジーが研究所内で突如暴れ出し、警備員に射殺されてしまうのです。
当然、話は全てご破算となってしまい、さらに研究所内のチンパンジーは全て殺処分されてしまうことになってしまいます。
実は暴走したメスのチンパンジーはひそかに赤子を身篭っており、子供が傷つくことを恐れての暴走だったのでした。
会社の規則によれば、当然この赤子も殺さなければならなかったのですが、ウィルの同僚であるロバート・フランクリンは、既に12匹もの猿を殺処分していたこともあり殺害を拒否。
結果、ウィルが密かに赤子の猿を自宅に持ち帰り、ウィルの父親でアルツハイマーを患っているチャールズ・ロッドマンが猿に好意を示したこともあり、「シーザー」と名付けて面倒を見ることにしたのでした。
ちなみに、ウィルが対アルツハイマーの新薬開発に勤しんでいる最大の理由は、この父親の存在にあったりします。
それから3年後。
家の中を所狭しと駆けずり回るほどに成長したシーザーは、新薬の臨床実験が施された母親の遺伝子を受け継いだためか、20通り以上の手話が理解できるなど、猿としては類稀な知性を発揮し始めていました。
そんなシーザーの様子を見て新薬の効果に確信を持ったウィルは、会社から密かに「ALZ112」を持ち帰り、アルツハイマーが悪化して隣人とトラブルを引き起こして家庭不和の要因にもなっていた父親に投薬します。
すると、父親の症状は劇的な改善を遂げたばかりか、知能の向上まで見られるほどの回復を示したのでした。
しかし、「ALZ112」は永続的な効果をもたらすものでなく、5年後、父親のアルツハイマー症は再び悪化の一途を辿り始めます。
そして父親は、隣人の車に無断で乗り込んで動かし始め、前後の車にぶつけまくる行為をやらかし、再び隣人とトラブルを引き起こしてしまいます。
それを助けようと家を飛び出し、隣人に襲い掛かるシーザー。
結果、シーザーは裁判所の命令により、類人猿保護施設に収容されることとなり、育ての親であったウィルと離れ離れになってしまうのでした。
ウィルはシーザーを取り戻すべく奔走しつつ、父親のアルツハイマー病を完全に治癒できるさらに強力な新薬「ALZ113」の開発に着手するのですが……。
映画「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」では、ウィルが開発している新薬が物語的に重要な役割を担っています。
猿の知能を飛躍的に向上させるというだけでなく、人間に対してはペストレベルの伝染性病原菌ウィルスとして機能することにより、人間が衰退する一助をも担ってしまう、という設定だったりします。
物語序盤に登場する新薬「ALZ112」にはそこまでの毒性はないのですが、「ALZ112」の効果を無効にしてしまう人間の抗体を抑えつけることを目的に新たに開発された「ALZ113」は、猿には副作用なしでプラスになるものなのに、人間は数日で死に至らしめる毒にしかならないわけです。
ラストで「ALZ113」のウィルスに感染したと思しき隣人の男が空港で1滴の血を流し、かつ発着予定の航空便に「ニューヨーク行き」の文字が出てきたところは、「猿の惑星」1作目を彷彿させると共に暗い未来を暗示するものではありましたね。
この世界で猿が人間に取って代われるであろう最大の要素は、猿の知能が高まったこともさることながら、「ALZ113」の(人間にとっての)致死性が大きな役割を果たすであろうことはまず間違いないでしょうね。
作中でサンフランシスコの街を我が物顔で走り回り、ゴールデンゲートブリッジを封鎖していた警官隊を潰したとはいえ、それでも人間社会がマトモに機能していれば、近代的な兵器を有する人間相手に猿達が最終的に勝利できるわけもないのですから。
往年の「猿の惑星」シリーズでネタにされていた全面核戦争なんて、当時の米ソ冷戦時代ならともかく、現代ではあまり現実味がないですからねぇ。
それにしても、新薬の開発に邁進するウィルを、まるである種のタブーに触れるかのごとく何度も諌めようとするキャロライン・アランハの描写は、良くも悪くもキリスト教的な価値観を微妙に引き摺っているような感がありましたね。
猿の知能を飛躍的に向上させる新薬の存在が「神の怒りに触れる」と畏れていたのか、猿が高度な知能を持つことそれ自体を脅威と感じたのかは作中からは読み取れないのですが、欧米人がロボットを敵視する感情と何となく共通する要素を感じたものでした。
ただ、ウィルはそれでも「ALZ113」は人体にどんな影響があるか不明だから慎重に実験を繰り返すべしとのスタンスを示していただけ、「ALZ113」の効果に狂喜乱舞した挙句に暴走しまくっていたジェネシス社のスティーブン・ジェイコブスよりはまだマシではあったのですが。
良かれと思って作った自分の新薬が人類社会に最悪の打撃を与えることになるとウィルが知った時、彼は一体どんな絶望的な顔をするのでしょうね。
「大人の事情」で製作中止、という事態にでもならない限り、続編は間違いなく製作されることになるのでしょうが、一体どんな悲惨な未来が人類社会に襲い掛かることになるのでしょうか。
往年の「猿の惑星」もやたらとショッキングなストーリーでしたし、続編がとても気になる作品ではありますね。