映画「カイジ2~人生奪回ゲーム~」感想
映画「カイジ2~人生奪回ゲーム~」観に行ってきました。
福本伸行原作の人気コミックである「カイジ」シリーズを、映画「DEATH NOTE」2部作で主人公を演じた藤原竜也を主演に実写化した前作「カイジ~人生奪回ゲーム~」の続編。
前作は映画館では未観賞だったのですが、2011年11月4日に日本テレビ系列の金曜ロードショーで放映された際に観賞する機会があり、何とか前作のあらすじは把握することができました。
今作は前作を事前に観賞していることが前提となるストーリーなので、前作を未観賞の方は前作を観てから今作を観賞することをオススメしておきます。
前作のラストで利根川幸雄を相手にEカードゲームで勝利を収め5億円を獲得したにも関わらず、カネを山分けするはずだった遠藤凛子に自分の取り分まで全部奪われ無一文になってしまった主人公・伊藤カイジ。
結果、彼はまたも多額の借金を背負う羽目になり、帝愛グループの地下帝国に再び送還され強制労働を強いられる日々を送っていたのでした。
そのカイジが配属された地下帝国の現場では、場を取り仕切っている班長の大槻太郎による「地下チンチロリン」という名のギャンブルゲームが行われていました。
「地下チンチロリン」とは、3つのサイコロの出た目の大小で勝負が決まるゲームで、カイジはこのゲームで大槻太郎と何度も勝負しながらも惨敗を繰り返してしまいます。
しかし、同じ仕事仲間のひとりが「地下チンチロリン」の出た目を常に記録していたことから、カイジは「サイコロの目が4~6しかない」という大槻太郎のイカサマを見破ります。
結果、大槻太郎はこれまでの勝利を全てチャラにさせられ、それまでの「地下チンチロリン」で収奪してきた地下帝国限定通貨「ペリカ」のほとんどを奪われてしまいます。
大量の「ペリカ」を入手した地下帝国の労働者達は、かつて利根川に勝利したカイジに全てを託し、ペリカを換金してカイジひとりに109万円の現金を持たせ、14日間限定で地上に出すことで、全員分の借金を返済するための資金2億円以上を作らせる決断を下すのです。
カイジはこれを快諾し、109万円から2億円を捻出するための手段を模索することになります。
カイジが最初の日に当座の食と寝泊り場を確保するため立ち寄ることになる派遣村?モドキな場所で、彼はかつて自身が敗北させた利根川と再会します。
カイジにしても利根川にしても、本来は互いに殺したいほど憎み合ってもおかしくない関係にあるはずですが、確かに最初は多少のイザコザもあったものの、その後の両者は何となく意気投合するような関係になっていきます。
カイジの事情を知った利根川は、カイジに将棋のイカサマ勝負を申し込み勝利した後、帝愛グループが運営するカジノの招待状を置いて姿を消します。
招待状を持ってカジノに入ったカイジは、カジノの目玉となっている巨大パチンコ「沼」で億単位の一攫千金が狙えると知り、その攻略に挑むこととなるのですが……。
一方、帝愛グループでは、カイジとの勝負に負け失脚した利根川に代わり黒崎義裕が会社の重役となり、その部下?とおぼしき一条聖也が、帝愛グループの運営するカジノの支配人に抜擢されていました。
一条聖也は、前作にも登場したゲーム「鉄骨渡り」を見事渡りきったひとりで、同じく「鉄骨渡り」をクリアした伊藤カイジを帝愛グループの会長が褒めていたことから、彼に敵愾心を抱くようになります。
度が過ぎるほどの「人の良さ」を前面に出しているようなカイジと異なり、一条は「他人を押しのけることで自分の席を確保する」ことを思想信条とする人物。
作中で2人は、ギャンブラーとしての心理戦を競うのみならず、信条においても争っていくことになります。
映画「カイジ2~人生奪回ゲーム~」で主人公を演じている藤原竜也の出演作品としては「バトル・ロワイアル」シリーズが特に有名です。
ただ、私が初めて観賞した藤原竜也出演作品は映画「DEATH NOTE」2部作で、それ以降は前作「カイジ~人生奪回ゲーム~」の金曜ロードショー版までとんと縁がなかったというのが実情だったりします。
同じく映画「DEATH NOTE」で藤原竜也と共演し、かつ前作「カイジ~人生奪回ゲーム~」でも登場していた松山ケンイチが主演している映画の観賞作品は「椿三十郎」「L change the WorLd」「GANTZ」2部作そして「マイ・バック・ページ」と結構縁があったのですが。
映画「DEATH NOTE」以来、藤原竜也の姿を見ることがなかっただけに、その姿を久々に確認した時は何となく嬉しいものがありましたね。
映画の「カイジ」2作におけるカイジ役の藤原竜也は、演じる役の性格が似通っていることもあってか、演じ方がそのまんま映画「DEATH NOTE」の夜神月を想起させるものがありますね。
いかにも舞台のど真ん中でひとり絶叫しているような描写や、苦境に陥った際の見苦しい悪あがきぶりなどはほとんど「まんま」ですし。
この辺り、出演する作品毎に登場人物の性格どころか容姿まで丸ごと変わってしまう松山ケンイチとは対極にあると言えるのではないかと。
前作「カイジ~人生奪回ゲーム~」では、最初「松山ケンイチが出演している」という情報を私は知らなかったのですが、観賞後に知った後でも「あれが松山ケンイチだったの!? 全く見分けがつかなかった」と驚いたくらいでしたし(^^;;)。
原作にはないものの、原作者である福本伸行本人が考案したという物語中盤登場の映画オリジナルゲーム「姫と奴隷」は、ゲームの内容も映画としての描写も秀逸の一言に尽きますね。
このゲーム、プレイヤーとなる奴隷には3つの檻とそれを開くボタンが用意されているのですが、1つには姫が、残り2つにはライオンが入っています。
そして、1~3までの数値が振られている3つのボタンの1つをプレイヤーは押下し、姫が入っている檻が開けばプレイヤーの勝利、ライオンの檻が開けば食い殺されて死亡、という内容です。
ここで面白いのは、姫は予め正解となるボタンを知ることができ、かつそれをプレイヤーに教えることも可能、というルールがあることです。
一見すると最初からプレイヤー側の勝利が約束されているかのように見えるゲームですが、しかし姫がプレイヤーに教える「正解」が本当であるという保証は実のところ全くなかったりします。
実際、「姫と奴隷」に挑んだ最初の挑戦者は、カジノ側が約束した300万の報酬に動かされて姫側が挑戦者を裏切ってしまい、挑戦者にわざとハズレのボタンを教えてライオンに食い殺させていました。
かといって、姫が本当に正解のボタンを教えていた場合、それを信じなければ自ら率先してハズレのボタンを押すという愚挙をしでかすことにもなりかねません。
非常に単純なのに人間心理的に奥の深いゲームと言って良く、またそれをカイジが乗り切るための伏線の張り方や演出も上手く、地味ながらもここが一番感心させられたところでした。
ただ、物語後半におけるパチンコ台「沼」の最終決戦については、カイジと対決する立場にあった一条聖也の視点で考えると、彼にはもっと安全確実な勝利への道があったように思えてなりませんでしたね。
パチンコ台「沼」は、一条によって絶対に勝つことができない細工が二重三重に施されていたのですが、カイジ一派はそのトリックを見破り、自分達に有利になるよう逆細工を行い、勝負を有利に進めていきます。
これに対し一条は、ただひたすらパチンコ台にイカサマが仕込まれていないかとか、店の信用を失わせるほどに露骨な小細工でパチンコの玉を入れさせないとか、とにかくパチンコ台のみに注視した対応ばかりやっているんですよね。
実は一条には、パチンコ台の操作などよりもはるかに強力な武器が、それも最初から備わっていたはずなのです。
それは彼がカジノの支配人であり、かつカジノ内における最高権力者であるという事実です。
一条がその権限を行使さえすれば、「カイジ一派がパチンコ台で不正を行っていた」という【カジノ側にとって都合の良い事実】をでっち上げ、問答無用に敗北を叩きつけることが容易にできたはずなのです。
それを最初からやっていれば、カイジ側がどんな小細工を弄していたとしても、彼らに無実の罪を着せることができ、ああまでハラハラドキドキしながらパチンコ台の小細工に忙殺される必要もなかったことでしょう。
一応作中でも、一条はカイジ達が不正を働いているのではないかと調査を一度行っているのですが、バカ正直に正規の方法で調査を実施した挙句、不正の証拠を上げることができなかったんですよね。
カイジ達がどんな小細工を弄していようと関係ない、罪をでっち上げて潰してしまえば問題ないのだ、とまでは、さすがに彼も割り切ることができなかったのでしょうか?
また一条は、自分の奴隷同然の身になっていた利根川がカイジについた際も、彼の身分剥奪やカジノ内における一切の権限停止などといった措置を一切行っていませんし、石田裕美がカイジ側についた時も同様でした。
一条はカジノの支配人なわけですし、利根川も石田裕美も名目上は部下扱いなのですから、彼らに「カイジ側につくな」と命令を下したり、違反した場合に制裁を下したりするなどといった行為も、己の権限内で普通に行えることであるはずでしょう。
それを行っていれば、彼らがカイジ側についた瞬間に「カジノの従業員としての権限を全て剥奪する」と宣言した上で、彼らが持っていた金権を全て無効化することが合法的に可能だったのです。
最後に登場した「切り札」の発動などよりも、こちらの方がはるかに「スマート」なやり方ですし、相手が(名目的な)自分の部下ということも手伝って、カジノの信用もそれほど損なわれずに済んだのではないのかと。
まあもちろん、実際にそういう「問答無用な強権発動の乱発」的なことをやってしまうと、「カイジ」シリーズがメインにしているであろう頭脳戦や心理戦の「売り」そのものが全て御破算になってしまうわけですから、作品的にそういうことはできないという事情は当然あるでしょう。
しかし物語終盤における一条は、もはや「カジノの信用を完全に失墜させてでも、目の前におけるカイジとの戦いに勝利する」「そのためには手段を問わない」という状態にあったのですし、勝負に負けてしまえば彼は前作の利根川同様に破滅の運命が待っているのですから、彼の立場的にこれを使わなかったというのはさらに不思議でならなかったのですけどね。
俳優さんの演技・演出も良く出来ていましたし、頭脳戦や心理戦メインのストーリーを楽しみたい方には是非オススメしたい作品ですね。