映画「コンテイジョン」感想
映画「コンテイジョン」観に行ってきました。
ひとりの感染者を発端に全世界へ拡大していく致死性ウィルスの恐怖と社会的混乱を描いたサスペンス大作。
物語は、最初の感染者がウィルスに感染した「2日目」から始まります。
「1日目」で何が発生していたのかについてはラストで明らかになるのですが、序盤はその部分を省いたままストーリーが進行してきます。
アメリカ人では最初のウィルス感染者となるベス・エムホフは、空港の喫茶店?で発着が遅れている飛行機を待ちながら、かつての恋人ジョン・ニールと電話で会話をしていました。
既にウィルスに感染していた彼女は、咳き込んだりあちこちにベタベタ触ったりして、自分で自覚することのないままに感染源を片っ端から構築していきます。
同じ日には、中国・香港でカジノのウェイターが、イギリスのロンドンでウクライナ人モデルの女性が、日本の東京ではビジネスマンが、それぞれ人が密集する中で苦しげに咳き込んでいる様子が描かれています。
そして2日後、家族が待つ家に出張から帰ってきたベスは、夫であるミッチ・エムホフの目の前で突如痙攣を起こして意識を失い、すぐさま救急車で病院に運ばれたものの、間もなく死亡してしまうのでした。
あまりにも突然の事態に茫然自失状態になるミッチですが、そこへさらに追い討ちをかけるかのごとく、今度はベスの連れ子であるクラークが自宅で容態急変。
急報を受けてすぐに帰宅するミッチでしたが、自宅に着いた時には既にクラークの呼吸は止まった状態でした。
あまりにも不可解なベスの症状について報告を受けた世界保健機構(WHO)は、ベスの遺体解剖と、出張中におけるベスの足跡についての調査を開始。
症状が脳炎に近いということから頭を解剖した医師は、その結果について危機感を覚え「全方面に通報しろ」と助手に命じるのでした。
しかしそれからわずか1週間ほどで、ウィルスは一挙にアメリカ全土どころか全世界へと拡大していき……。
映画「コンテイジョン」に登場するような感染性の高い致死性の病気(ウィルス)の爆発的拡大と脅威、いわゆる「パンデミック」を扱った作品は、ここ10数年で結構多く見かけるようになりました。
この手の作品で私が初めて観た映画は、1995年公開のアメリカ映画「アウトブレイク」。
エボラ出血熱の突然変異種が空気感染するようになり、ワクチンを見つけるべく奮闘する軍医と、感染拡大を防ぎ病原菌に纏わる秘密をも闇に葬ろうとする軍上層部との緊迫した駆け引きが描かれていました。
最近だと、ミツバチが大量に失踪する事件を元ネタに、感染者が何らかの方法で自殺を図ってしまうという2008年公開映画「ハプニング」や、感染者が突然盲目になってしまう病気が蔓延し社会が荒廃してしまった同年公開映画「ブラインドネス」があります。
単純に「ウィルスの拡大による社会の崩壊」を描いたものならば「バイオハザード」シリーズもありますし、この間公開されていた映画「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」のラストでも、致死性ウィルス拡大による人類の暗い未来が暗示されていました。
日本でも2009年公開映画「感染列島」がパンデミックの恐怖を扱っており、また2010年公開映画「大奥」でも、男性人口激減の設定として「赤面疱瘡」という架空の病気のパンデミックが使われていました。
「感染列島」や「大奥」におけるパンデミックの設定は、何故か感染範囲が日本国内に限定されてしまっているのが何とも不可解な話ではありましたが。
新旧の「猿の惑星」の変遷に象徴されるがごとく、ソ連崩壊によって現実味がなくなってしまった全面核戦争などよりも、いつ起こるか分からず、またいつ起こっても不思議ではないパンデミックの方が「社会的な恐怖」として受け入れられるようになってきたわけで、これも時代の流れというものなのでしょうか。
さて、映画「コンテイジョン」に話を戻すと、この映画の構成としては、2009年公開の日本映画「感染列島」に結構近いところがありますね。
パンデミックが拡大を始めるところから物語がスタートし、感染の原因が終盤に判明する構図や、ウィルスそのものの脅威よりも、ウィルスの脅威に対する人間社会の反応にスポットを当てた点などは、まさに「感染列島」を想起させるものがありました。
ただ、ウィルスに対する恐怖の反動として、商店の焼き打ちや略奪などといった暴動が発生したり、ワクチン目当ての誘拐事件などが発生したりする辺りは、さすがアメリカナイズされているといったところではあるのですが(苦笑)。
というよりも、日本以外の国ではそれが普通なのであって、むしろ東日本大震災直後ですら暴動や略奪の類がほとんど発生しなかった日本の方が世界的に見ても異常なのでしょうし、だからこそ全世界が賞賛もしたのでしょうけど。
ブログで「正しい治療薬」なるものを提示し「政府は有効な治療薬を隠している」などといった陰謀論を主張したりする詐欺師が出てきて、かつそのブログの閲覧者が1200万人も出たりする(もちろん「批判的・懐疑的に観ている」という人もその中にはいるでしょうが)という描写は、日本でも普通にありそうな話ではあるのですが。
他にも、TwitterやFacebookなども作中に名前が登場したりしていて、この辺りにも何となく時代の変化を感じさせるものがありましたね。
あと、今作にはマット・デイモンが主役のひとり(ミッチ・エムホフ役)として登場しているのですが、今作における彼はこれといった活躍の描写が全くと言って良いほどありませんでしたね。
「最初の感染者の夫」という役柄でスポットが当てられた一般人以外の何物でもなく、その行動もその他大勢の一般人と何ら変わるところがありません。
物語序盤でこそ、彼は感染の疑いから隔離されるのですが、その後あっさりと解放されてウィルスの研究やワクチン開発などには全く関与することがなかったですし。
あえて彼の特異なところを挙げるとすれば、最初の感染者である妻と彼も少なからず接触や会話をしていて、かつ連れ子はきっちりウィルスに感染して死んでいるにもかかわらず、彼と彼の実娘?だけは最後まで病気が発症しなかった点でしょうか。
この辺りは、周囲がひとり残らず盲目になっていく中、ただひとりだけ盲目になることなく普通に目が見えていた映画「ブラインドネス」の女主人公を想起させるものがありましたが。
作中で発生している社会的な情勢や個人の対応などは、「もしこんなパンデミックが発生したら実際に起こりそう」的な内容で説得力も多々あります。
扱っているテーマがテーマなので全体的に暗い話ではあるのですが、サスペンス物が好きな方にはオススメな作品なのではないかと思います。