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2011年12月の記事は以下のとおりです。

映画「源氏物語 千年の謎」感想

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映画「源氏物語 千年の謎」観に行ってきました。
日本最古の長篇小説である「源氏物語」の誕生と、その作者・紫式部の謎に迫る歴史スペクタクル作品。
原作である「源氏物語」からして「光源氏が複数の女性と情を交わす」というイメージがあるためか、作中にはいわゆる「濡れ場」のシーンがかなり盛り込まれていますが、直裁的な性行為等の描写はないため、今作はR指定等の年齢制限なしに観賞できます。

物語冒頭はいきなりショッキングな描写から始まります。
何と、時の権力者である藤原道長が、夜中に逃げる紫式部を追跡し捕まえた挙句、その場で無理矢理手篭めにしてしまうのです。
その際の「私は何をしても許される身なのだ」的な道長の言い草がいかにも横暴な権力者のそれで、たったこれだけで良くも悪くも強烈なインパクトが残りましたね。

紫式部を手篭めにした藤原道長は、彼女を宮廷に招き入れると共にひとつの物語を書くよう命じます。
藤原道長の意図としては、時の最高権力者である一条天皇に紫式部の小説を紹介・提示することで一条天皇の歓心を買い、それによって彼に嫁いだ自分の娘である彰子(しょうし)に目を向けさせ、彼女に男児を産ませることで藤原一族の権力基盤を強化することが狙いでした。
当時は貴重品だったであろう紙も用意され、かくして紫式部は源氏物語を書き始めることとなるのです。
ここからしばらくは源氏物語の主人公である光源氏が生まれる前から元服する辺りまでの物語が展開されます。
低い身分の出自ながら帝の寵愛を一身に受け、光源氏を妊娠・出産するも、第一妃である弘黴殿女御(こきでんのにょうご)をはじめとする周囲の女性からの嫉視反感を受けて早逝してしまう桐壺更衣(きりつぼのこうい)。
その後、新たに帝が迎え入れた、桐壺更衣そっくりの女性・藤壺(ふじつぼ)。
生みの母親そっくりで義理の母親でもある藤壺に禁断の恋をしてしまい、その想いに苛やまされながらも、周囲の女性と関係を結んでいく光源氏。
そして、光源氏と関わっていくことになる女性達。
これらの登場人物で出揃った辺りまでの話を読んだ藤原道長は「我が意を得たり」とほくそ笑み、実際、紫式部から源氏物語の内容を拝聴していた一条天皇から「続きが気になる」という好意的な反応を得ることに成功します。
そして藤原道長の期待通りに彰子は妊娠し、見事男児(史実では敦成(あつひら)親王、後の後一条天皇)を出産するのでした。
これで紫式部の役目は終わったはずなのですが、紫式部は何故かその後も「源氏物語」を書き続けます。
そして、それを止めようとせず、むしろ純粋に続きを楽しみにしているかのような態度を示す藤原道長。
しかし、藤原道長の友人である陰陽師・安倍晴明は、そんな紫式部の様子に不穏な気配を感じ取るのでした……。

映画「源氏物語 千年の謎」の公式サイトによると、「源氏物語」は藤原道長の命令もさることながら、「天才女流作家・紫式部の叶わぬ愛が、その物語を綴らせた」と記載されています。

http://www.genji-nazo.jp/aboutthemovie/index.html

しかし、いくら作中の描写や演出・ストーリー展開などを総括してみても、紫式部が藤原道長に恋愛感情を抱いているような様子が全く垣間見られないんですよね。
そもそも、物語冒頭の手篭めシーンからして、紫式部が藤原道長に対して抱いているのは愛情ではなく憎悪の類だろう、と推察する材料として充分過ぎるシロモノでしたし。
また、物語前半における紫式部の藤原道長に対する態度も、嫌々な態度が前面に出ている極めてそっけないもので、ここからどうやって愛情が導き出せるのか理解に苦しむものがあります。
加えて、物語中盤になると、紫式部の様子に不穏な気配を感じ取り、かつ「源氏物語」の世界に入り込んで作中の生霊と戦いを演じた安倍晴明が、藤原道長に対して「このまま紫式部が『源氏物語』を執筆すると道長様に不幸が訪れる」と進言しており「それを回避したくば、式部の筆を止めるのです」とまで忠告しているのです。
それに対する藤原道長の返答もこれまた振るっていて、彼は「源氏物語を書くよう紫式部に命じたのは私だから、私にはそれを最後まで見届ける義務がある。だからそれ(式部の筆を止めるよう命じること)はできない」と述べているんですよね。
これって「自分は紫式部から憎悪されて、何らかの報復を受けてもおかしくない立場にある」と藤原道長が自覚しているとも取れる発言ですよね。
そして何より、今作における「源氏物語」の光源氏は、冒頭の手篭めシーンで藤原道長が口走った「私は何をしても許される身なのだ」という台詞をしゃべっていることからも分かる通り、藤原道長をモデルに作られた存在であるとされており、彼は作中で愛する女性達に先立たれたり出家されたりする不幸に何度も遭遇することになるのです。
光源氏の愛人のひとりで後に生霊となり、他の女性を呪い殺したり、安倍晴明とオカルト合戦を繰り広げたりする六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)などは、現実世界の紫式部と半ばシンクロしていたりします。
これらのことから総合すると、紫式部は藤原道長を憎悪しており、藤原道長を自分が描く物語の主人公に見立てた上で彼に次々と不幸な事件を叩きつけまくることで、最終的には現実世界の藤原道長を「呪殺」することを目的に「源氏物語」を執筆していたのではないか、と映画観賞が終わるまで私はずっと考えていたくらいだったんですよね。
日本には昔から「言葉には霊的な力が宿る」という言霊信仰がありますし、作中の紫式部も「物語で人を魅了する天才」的な評価を受けていましたから、一種の「言霊使い」として紫式部は自らの復讐を画策していた、というわけです。
これだと安倍晴明が藤原道長に対して述べていた「『源氏物語』が完成すると道長様に不幸が訪れる」とも合致するわけで、私も自分の解釈にそれなりの根拠と自信を持ってはいたのですけどねぇ(-_-;;)。
物語終盤に紫式部が「源氏物語」を宮中で完結させることなく田舎に帰ったのも、自分がシンクロしていた「源氏物語」作中における六条御息所が自らの業の深さに宮廷を離れたのと同じ理由だったのではないか、と考えていましたし。
手篭めにされて自由を奪われたことへの恨みと復讐から、藤原道長を殺すことを目的に作られた「源氏物語」、というのは確かに公にもできない壮大な真相ないしは斬新な解釈だよなぁ、などとひとり納得してもいたのですが……。

こういう映画制作側の意図から大きく外れた解釈が生まれてしまう最大の理由は、やはり何と言っても冒頭の手篭めシーンのインパクトと、その後の藤原道長と紫式部の関係があまりにもビジネスライク過ぎるところにあるんですよね。
あの2人の関係のどこに、僅かでも恋愛要素を匂わせるものがあったというのでしょうか?
双方共に、相手の文才や権勢などを褒めることはあっても、相手への想いを語る描写なんてどこにもありませんでしたし。
紫式部は「源氏物語」に藤原道長への愛情を込めた、というのが映画制作側の主張なのでしょうが、そもそも「源氏物語」の作者である紫式部の謎に満ちた心情部分を、既に周知であるはずの「源氏物語」だけで説明するのは無理があり過ぎます。
しかも、今作作中の藤原道長は、愛人どころか紫式部以外の女性と関係している描写すらも全く描かれていませんし、そんな状態では、光源氏と関わる女性達を呪殺していた六条御息所と紫式部が「恋愛絡みで」シンクロしなければならない理由も全く見出しようがありません。
せめて藤原道長も光源氏と同じように大量の女性を侍らせていた、みたいな描写でもあったならば、それと「源氏物語」をシンクロさせることで「紫式部の無言の主張」を展開させることも可能だったかもしれないのですが……。
紫式部の恋愛感情が作品の主要なテーマだったというのであれば、その意図は完全に失敗していると言わざるをえないのではないかと。

あと物語後半で、光源氏の正妻である葵の上を、生霊となった六条御息所が呪殺しようとして安倍晴明に阻止されるシーンが2回発生するのですが、2回目の安倍晴明は、六条御息所の主張を聞くと、今にも殺されようとしている葵の上を顧みることなく現実世界に帰ってしまうんですよね。
何故あそこで安倍晴明は六条御息所の生霊を滅殺してしまわなかったのか、そこは疑問でなりませんでした。
あの生霊に紫式部の想いだか怨念だかがシンクロしていることを安倍晴明は充分に理解していたようでしたし、あそこで生霊を完全に滅殺していれば、物語世界の葵の上を助けられたのみならず、自分の友人でもある現実世界の藤原道長の安全を確保することだってできたでしょうに。
アレが「源氏物語」から出てきたら自分の手には負えないとも安倍晴明は明言していましたし、それならなおさら事前に滅殺すべきだったのでは、と思わずにはいられなかったのですが。
実力的にも、終始生霊を圧倒していた安倍晴明であれば滅殺も不可能ではなかったでしょうに。

「源氏物語」の完結が自分に災いをもたらすと聞いてなお紫式部の筆を止めさせない藤原道長の政治哲学や、光源氏絡みの女性関係および出演者達の熱演など、見所自体は結構多い作品ではあります。
一番肝心要の「映画制作側の意図」が失敗しているのは正直残念なところではあるのですが。
「映画制作側の意図」なんて公開しない方が却って作品を色々な形で解釈できるようになって良かったのではないか、というのが私の偽らざる感想ですね。

映画「リアル・スティール」感想

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映画「リアル・スティール」観に行ってきました。
人間に変わり、ロボットがボクシングの試合を担うようになった近未来を舞台に、1体のロボットとの出会いから変わっていく父と子の絆を描く作品。
なお、今作で今年度における私の映画観賞本数はちょうど60本目となります。

物語の舞台は2020年。
かつてはボクシングのプロボクサーとしてそれなりの実力と名声を誇っていた主人公チャーリー・ケントンは、しかし2020年の世界では各地のイベント興行をドサ回りして小金を稼ぐ日々を送っていました。
ロボット技術の発達と実用化により、2020年におけるボクシングは人間ではなくロボットが担うようになり、プロボクサーだったチャーリーは夢を奪われ天職を失ってしまったのです。
チャーリーは過去の経験を生かして格闘用ロボットを遠隔操作するプロモーターになることで何とか生計を立ててはいるものの、資金不足から性能が劣る中古ロボットしか購入できない上、対戦相手にも運にも恵まれず片っ端からスクラップにされていくありさま。
その日も、とある遊園地のイベント興行で暴れ牛と戦う役を依頼されたのですが、チャーリーが操作していた「アンブッシュ」という名の中古ロボットは、先制攻撃でダメージを与えたものの、油断していたところで痛撃を食らいあえなくスクラップに(T_T)。
「アンブッシュ」が勝つか否かで興行主?と2万ドルの賭けをしていてチャーリーは、しかし金を払うことなくその場からの逃走を図ります。
そんな中、2人の男がチャーリーに近づき、彼の元妻が亡くなり、ひとり息子であるマックスの親権を巡る調停を裁判所で行うから来て欲しいとの要請を行ってきます。
しぶしぶ裁判所へと向かうチャーリーですが、赤子の頃以来会っていない息子の面倒を見る気などチャーリーには全くなく、それどころか、マックスの親権を引き取りたがっている母方の義妹夫妻から、自ら親権を手放すことをネタにカネをふんたくろうなどと画策する始末です。
義妹夫妻が外国旅行へ行って帰ってくるまでの間だけ息子を引き取ることと引き換えに、前金5万ドル・後金5万ドルを受け取る秘密交渉を夫との間で成立させるチャーリー。
しかし、当のマックスはチャーリーの金策を見透かしており、父親に対し深刻な不信感を抱いてしまうのでした。

義妹の夫から受け取った5万ドルを資金源に、チャーリーは新たな格闘用ロボット「ノイジー・ボーイ」を購入します。
この「ノイジー・ボーイ」というロボット、ボディに「超悪男子」という日本の漢字が書かれ、音声認識機能の命令言語も最初は日本語で登録されているという、日本人であれば思わずニヤリとしてしまうシロモノだったりします。
最初は「ポンコツをつかまされた」と落胆するチャーリーですが、息子であるマックスが問題を解消、「ノイジー・ボーイ」は何とか動くようになります。
その「ノイジー・ボーイ」と半ば強引についてきたマックスを伴い、チャーリーは闇のギャンブル格闘場へと赴き、一攫千金を狙っていきなりメインの格闘試合へと挑みます。
まずは前座で戦うべきだと息子からも興行主からも忠告されていたにもかかわらず。
かくして、物語最初のロボット同士の対戦となる格闘試合が行われることになるのですが、如何せん「ノイジー・ボーイ」は確かに高性能だったものの、操縦主のチャーリーが「ノイジー・ボーイ」のことをロクに知らないまま試合に臨んだこともあり、チャーリーの操作ミスとパニックで「ノイジー・ボーイ」は「アンブッシュ」に続きスクラップの末路を辿る羽目となってしまうのでした。
あまりにもあっさりと頼みのロボットが敗北してしまったこと、それ以上にロボットがスクラップにされたことに意気消沈してしまうチャーリー。
それでも何とか新しいロボットを調達するため、チャーリーは自分の手で新しいロボットを作るため、まだ使える部品を探し出すべくロボット廃処理場へとクルマを走らせます。
雨が降る夜中のロボット廃処理場へ不法侵入し、廃棄ロボットがいるという奥へと進むチャーリーとマックス。
しかし、興味津々のマックスが廃処理場にある大穴の縁に立った時、雨で地盤が緩んでいたことから地滑りが発生し、マックスは大穴へと滑り落ちてしまいます。
その時、地中から突き出ていたアームにたまたま引っかかったことでマックスは大穴の底に叩きつけられる惨事を免れることができたのですが、このアームの元を辿っていくと、そこにあったのは廃棄されたまるまる1体のロボット。
「そいつは旧式のスパーリング用ロボットだから使えない」と否定的なチャーリーを尻目に、マックスは「生命の恩人」であるそのロボット「アトム」をひとりで掘り出し、ロボット格闘試合に出そうとするのですが……。

映画「リアル・スティール」に登場する父子2人は、まさに「親は子に似る」という格言を体現した、似た者同士な性格と言えますね。
どちらも「より安全確実な選択肢を跳ね除け、一攫千金の賭けに強気で挑む」というスタンスを披露していますし。
最初のロボット格闘対戦では、父親であるチャーリーが息子マックスの制止を振り切って試合に臨んだ挙句、案の定な惨敗を喫していましたが、「アトム」を見つけ出して以降は逆にマックスがチャーリーの慎重論を無視し、興行主に啖呵を切ったり試合継続を宣言したりとひたすら強気一辺倒で相手を攻めまくっています。
物語後半でマックスは「僕のために戦って欲しかった」と父親のチャーリーに告白したりしていますし、意図的に父親の真似をしていたのかもしれないのですけどね。

作中では様々な格闘用ロボットが登場するのですが、前述の「ノイジー・ボーイ」のデザインに象徴されるがごとく、妙に日本のそれを意識している様子が伺えますね。
「アトム」という名前自体も、往年の日本アニメ「鉄腕アトム」からそのまま取ってきたとしか思えない設定ですし。
今作の製作総指揮には「あの」スティーブン・スピルバーグも参加しているのですが、彼は以前にも「母親と子供の愛情」をテーマに描いた映画「A.I.」を製作していますし、そこでも「鉄腕アトム」絡みのネタがありましたから、今作もやっぱり意識はされていたのだろうなぁと。

「アトム」を手に入れて以降、それまでの惨敗がウソであるかのように連戦連勝していくチャーリー&マックスの前に最後に立ちはだかるのは、プロのロボット格闘試合「リアル・スティール」でチャンピオンの座を維持している格闘用ロボット「ゼウス」。
ロボット開発では名を轟かせているらしいタク・マシドが開発し、大富豪のファラ・レンコヴァが所有する「ゼウス」は、ほとんどのロボット格闘対戦で1ラウンドKOを飾ってきた実績を持つ名実共に最強のロボット。
ファラ・レンコヴァは物語中盤でチャーリー&マックスに対し「アトム」を「ゼウス」のスパーリング用ロボットとして20万ドルで買い取りたいと打診しており、それに対して露骨な反発を見せていたマックスが、公衆の面前で「ゼウス」に宣戦布告するというマイクパフォーマンスを演じた経緯もあったりします。
そしてその後紆余曲折を経て始まる「ゼウス」との最終決戦ですが、ただその戦いを見ても、「ゼウス」のどこら辺が「強さ」の源泉となっているのかが今ひとつ分かり難かったですね。
一応、パワーと巨体では「アトム」を圧倒している「ゼウス」ですが、それは「アトム」の対戦相手のほぼ全てに当てはまるものでしかありませんし。
その前に「リアル・スティール」の前座として行われた、2つの頭を持つ格闘用ロボット「ツインシティーズ」との戦いでも、やはりパワーと巨体で圧倒する戦い方でしたから、両者との比較で見てもその戦い方には特に大差があるようには見えないというか……。
作中で強調されていた「ゼウスの強さ」としては、1ラウンド開始早々に「アトム」を一撃でダウンさせたところと、「ツインシティーズ」にはあった構造的な欠陥が「ゼウス」にはない点でしょうか。
ただ、「ゼウス」を開発したタク・マシドは、物語序盤に披露されていたインタビューで「ゼウスの強さは状況に応じてプログラムを自ら書き換え、戦いの中で進化するところにある」みたいなことを述べていたにもかかわらず、作中の戦いではそんな描写は全く垣間見られなかったので「?」と考えてしまったものでして。
むしろ、それを実際にやってラウンドが進む度に強くなっていたのは「アトム」の方ですし。
それまでのロボット格闘とは一線を画する、「ゼウス」がチャンピオンの地位を維持している源泉としての「オリジナルないしは特殊な強さ」というものが何かあっても良かったのではないか、というのが、あの最終決戦に対する私の率直な感想ですね。

派手なアクションを売りにするハリウッド映画としても、親子の絆をテーマにした物語としてもまずまずの出来で、観に行って損はしない作品ではありますね。

Twitterがサイトのデザインを刷新

Twitterがアメリカ時間の12月8日付で、サイトのデザインを刷新したと発表しました。
PC向けWebサイトおよびアメリカAppleのiPhone、アメリカGoogleのAndroid端末向けモバイルアプリでメニューバーを統一し、これから数週間かけて全ユーザーのサイトレイアウトを刷新していくのだとか↓

http://megalodon.jp/2011-1209-1833-54/www.itmedia.co.jp/news/articles/1112/09/news018.html
>  米Twitterは12月8日(現地時間)、PC向けWebサイトおよび米AppleのiPhone、米GoogleのAndroid端末向けモバイルアプリのデザインを刷新したと発表した。Webサイトのデザイン変更が全ユーザーに反映されるには数週間かかるが、モバイル版アプリは既にダウンロードできる。
>
>  Twitterのページトップのメニューバーに並ぶ項目が、従来の「ホーム」「プロフィール」「メッセージ」「おすすめユーザー」「ツイート(アイコン)」「アカウント名」から、「ホーム」「つながり」「見つける」「アカウント」「ツイート」の5つのボタンに変わる。これらのボタンはWeb版、モバイル版で共通だ。5つのボタンで目的別にページを切り替えるようになっている。
>
>  ページのレイアウトも大きく変わり、右側にあった広告やトレンドを表示するコーナーとタブがなくなった。各ページでは、左側に「おすすめユーザー」や「トレンド」などが、右にツイートが表示される。

ページレイアウトの変更自体は結構なことなのですが、それでページが重くなるなどの副作用は勘弁願いたいところではありますね。
Twitterは過去にもページレイアウトの変更および機能追加を行っているのですが、旧ページよりも表示速度が遅くなったり、画面が閲覧しづらくなったり操作しにくくなったりして却って難儀な目にあった記憶があります。
日進月歩で発展していくネットの世界では、ページもまた定期的に刷新していかないと時代に取り残されることにもなりかねませんが、ユーザーの視点から見れば「それまでの画面の長所は維持して欲しい」という要求も当然あるわけです。
せっかく新しい機能が追加されても今までより使い勝手が悪くなったら、それが原因でユーザーが離れていくことだってありえるのですから。

私のTwitterアカウントのレイアウトはまだ変わってはいませんが、これまでの長所を損なわない形で良い方向へ変わってくれることを祈りたいところです。

12月8日は真珠湾攻撃&大東亜戦争開戦日

12月8日は、ハワイの真珠湾攻撃で大東亜戦争(アメリカ命名:太平洋戦争)が開戦した日。
日本時間(ハワイの現地時間では12月7日)のこの日、日本海軍空母機動部隊はハワイの真珠湾を奇襲攻撃し、アメリカ太平洋艦隊に壊滅的な打撃を与え、大東亜戦争が本格的に始まりました。
この攻撃では日本側の宣戦布告の手続きが遅れたということで、アメリカでは「日本の騙し討ちだ!」として大いに喧伝され、大戦中のみならず戦後に至るまでの対日観にも大きな影響を与えています。

しかしアメリカの歴史を少しでも紐解いてみれば、「よくもまあアメリカが騙し討ちなどと他者を非難できるものだ」というのが正直なところではあるのですけどね。
大東亜戦争以前も以後も、アメリカは普通に「騙し討ち」をやっている国だったりするのですから。
19世紀の西部開拓時代は、現地のインディアン達から土地を奪って強制移住させたり虐殺したりしていった歴史でもありますし、その際には詐欺や騙し討ちの類なども平然と用いられていました。
またベトナム戦争では、トンキン湾事件に捏造の手を加えて開戦の端緒にするなどというそれこそ「騙し討ち」な所業を堂々とやらかしていたりします。
そもそも、大東亜戦争に先んじて勃発していた第二次世界大戦の発端であるドイツのポーランド侵攻からして、宣戦布告が行われない状態での軍事行動だったのですけど。
世界的に見ても、宣戦布告がないまま行われる戦争の方がはるかに多いのですし、宣戦布告をせずに緒戦で行う奇襲攻撃の成功率と大戦果を鑑みれば、そうなるのも当然というものでしょう。
「宣戦布告なき騙し討ち」云々の話は、そうやって外部に敵を作ることで国内を纏め上げようとするアメリカならではのエピソードと言えるでしょうね。

なお、2011年は真珠湾攻撃および大東亜戦争開戦からちょうど70年目の節目に当たります。
映画でも「聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実-」という役所広司主演の作品が、12月23日から公開されます。
歴史的事実から考えてもあまり明るい物語にはなりそうにもないですが、最近の邦画は質も上がっていますし、単に「戦争は悲惨だった」「戦争ハンターイ」だけで終わることのない作品であることを期待したいところですね。

「白き焔BLOG」で行われた「騙り投稿」とその正体について

私の全く知らないところで、私のハンドルネームを騙って他所のブログを荒らす「騙り投稿」が行われるという事件がいつの間にか発生していました↓

白き焔BLOG
http://blog.goo.ne.jp/masoho-zero
よしながふみ論+「大奥」レビュウ
http://blog.goo.ne.jp/masoho-zero/e/b9a23fcf2c8958f2a34717b104cce818魚拓

2005年10月にアップされたというこの記事に「騙り投稿」が行われたのは2011年11月。
しかし、そもそも私はこのブログの存在自体、12月に入り今回の騒ぎが発覚するまで全く認知しておらず、「騙り投稿」が行われた11月時点で私が「白き焔BLOG」に投稿を行うのは不可能なんですよね。
HNこそ「冒険風ライダー」と銘打ってありますが、上記記事で11月に行われた以下の投稿↓

Unknown (冒険風ライダー)
2011-11-22 17:26:52

Unknown (冒険風ライダー)
2011-11-22 22:25:20

Unknown (冒険風ライダー)
2011-11-23 22:23:44

↑については私のものでは断じてないことを、この場を借りてまずは明言させて頂きます。

タナウツでの「騙り投稿」事件と言えば、12年以上も前に当時の「あめぞう」で、私も含めたタナウツ常連複数名のHNを騙った投稿が行われた事例があります。
「騙り投稿」なんて使い古された上に対策も作られ続けてきた「古い」手法ですし、今どき「騙り投稿」なんてずいぶんと古臭くて珍しい事件だよなぁ、というのが、騒ぎを知った私が最初に抱いた感想でしたね(苦笑)。
投稿内容を見ても、私が過去に場外乱闘掲示板その他で全くの別件から書いた投稿文をコピペ改竄しているだけでしかありませんし。

さて、この「騙り投稿」をした人物の正体は一体誰なのか?
まず一番の手がかりは、問題の「騙り投稿」が、よしながふみ原作「大奥」について過去に私がブログに書いた「コミック版「大奥」検証考察」シリーズのひとつを紹介していること。
ここで「騙り投稿」は以下のURLを紹介しているのですが↓

https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-293.html

しかし、実は上記URLの記事は、「大奥」絡みの記事としては最新のものではないんですよね。
2011年12月7日時点における「大奥」関連の最新記事は以下のURLになります↓

https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-313.html

「大奥」を扱った各記事には、それまでに書いていた過去の関連記事へのリンクも掲載しており、もし私が「大奥」関連の記事を他者の掲示板なりブログなりで紹介するのであれば、過去記事の関連リンクが全て掲載されている最新の記事を紹介するでしょう。
何故関連リンクが全て揃っていない(リンク数が)中途半端な記事を紹介しなければならないのかと。

そして一方、こことは全く関係のない場所で、件の「騙り投稿」と全く同じURLを紹介して私を目の仇にしている人間がひとり存在します。
それがこれ↓

2chのSF・ファンタジー・ホラー板 山本弘 part20
http://megalodon.jp/2011-1207-1754-06/kamome.2ch.net/test/read.cgi/sf/1302740022/761-794
> 761 名前:名無しは無慈悲な夜の女王[] 投稿日:2011/10/26(水) 21:47:15.09
> どうでもいいことだけど、
>
よしながふみの大奥の評論読んで、
> 冒険風ライダーは本当に数字に弱いことを、
> 実感したよ。

>
> 764 名前:名無しは無慈悲な夜の女王[] 投稿日:2011/10/27(木) 02:27:27.06
> >>762>>763へ
>
ttp://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-293.html
> ごめん、反省している。
> 山本弘のアンチサイト運営している冒険風ライダーって奴がかいたんだけど、
> こいつの論理は本当にイライラする。
> まあ、誤爆だったかもしれない。

「最新ではない記事」のURL紹介箇所が全く同じという時点で、まずはこいつが疑わしいと考えるべきでしょう。
さらに投稿を追っていくと、笑うべきことに自分の正体を暴露するような情報を吐露している箇所まであったりします↓

> 768 名前:名無しは無慈悲な夜の女王[] 投稿日:2011/10/28(金) 00:32:21.69
> >>766
> 嵐かどうか知らないけど、
> TPOをわきまえず山本弘の批判したり、
> 間違いを指摘されても認めず反論したり。
> >>765
>
ttp://www.tanautsu.net/kousatsu02_03_aa.html
> 僕もそう思います。
>
この件で、彼に恨みがあって、なかなか忘れられなかったり。

> 770 名前:名無しは無慈悲な夜の女王[] 投稿日:2011/10/28(金) 19:18:14.00
> >>769
> そうですね。
> でも、違うHNを名乗っていましたよ。
> まあ、自分でも子供じみたことだと思います。
> というか、
古典SFファンさんが説得出来なかった時点で
> 諦めるべきだった。

自分が移動要塞論争に、それも私と対立する形で関わり、かつそのことで恨みを抱いている、などと自分から告白してどうするというのでしょうか、名無しがデフォルトであるはずの2chで(笑)。
移動要塞論争は何かと掲示板が荒れる紛糾のネタではありましたが、こんな後先考えない犯罪同様の手法でもって恨みを晴らそうなどと愚かしいことを考えるような理性の欠片も見出せない桁外れのバカなんて、あの論争に関わった誰かに該当なんてするのかねぇ、と私としてはつくづく考えずにはいられないのですけどねぇ(核爆)。

自称「環境保護団体」グリーンピースがフランスの原発を占拠

環境保護運動と称したテロ行為を、グリーンピースがフランスでやらかしたそうです↓

http://megalodon.jp/2011-1205-2257-22/sankei.jp.msn.com/world/news/111205/erp11120519540007-n1.htm
>  国際環境保護団体グリーンピースの活動家グループが5日、フランス中部ノジャンシュルセーヌの原発に侵入、「安全な原発は存在しない」との横断幕を掲げた。
>
>  グループは間もなく、警備当局に拘束され、取り調べを受けている。フランス電力によると、原発の運転に影響は出ていない。
>
>  フランス公共ラジオによると、グリーンピースは同日、フランス国内にある他の複数の原発へも同時に侵入を試みたが、警備当局に阻止された。(共同)

グリーンピースやその親戚筋に当たるシー・シェパードなどは、こういう人の迷惑を顧みない暴力的な活動を、これまでも平気で行ってきています。
2001年にはオーストラリアのシドニーにある原発を、2003年にはイギリスのサフォーク州サイズウェルの原発を、それぞれ今回と同じ理由で同じように占拠する挙に出ており、欧米諸国では「エコテロリスト」として捜査当局から監視対象に指定されています。
そのグリーンピースと、今回原発を襲撃されたフランスは、過去にも核実験や原発問題で対立してきた因縁の間柄。
我らが田中芳樹御大も、こんな論でもってグリーンピースの肩を持った主張を展開しております↓

薬師寺シリーズ3巻「巴里・妖都変」 光文社ノベルズ版P7上段~下段
<だいたいフランスという国そのものが薬師寺涼子に似ている。
 一九八五年、南太平洋で核実験を強行したとき、反対行動をおこなった環境団体の船をフランス政府の秘密工作員が爆破して、メンバーを殺害した。むろん各国から非難の声があがったが、
フランス政府は謝罪なんぞしなかった。「警告を無視して領海を侵犯したむこうが悪い」というのである。
 やっていることは悪辣で無反省なのに、堂々としていてカッコよくておシャレなものだから、ついだまされてしまう。涼子の正体を知りつくしているはずの私でさえ、何度だまされて後悔したことか。>

実際にはフランス政府はグリーンピースに謝罪どころか賠償までしていますし、その賠償金でもってグリーンピースは新しい船を購入しているのですけどね。
そのことは、当のグリーンピース自身が「フランスからの賠償で新しい船を購入した」と公式サイトで明言していますし↓

http://www.greenpeace.org/japan/ja/news/blog/staff/blog/34411/
> 初代の虹の戦士号は1985年にフランスの太平洋核実験を止めようと活動していた際に、停泊していたニュージーランドの港でフランスの諜報機関(スパイ)によって爆破され沈没してしまいました。嘘のような話ですが、事実です。
>
> このストーリーは「スパイバウンド」をはじめとして数々の映画やドキュメンタリーでも取り上げられました。  
>
>
2代目の虹の戦士号はフランス政府からの賠償金で購入され、初代の船の悔しさをばねにその熱き魂は引き継がれていきました。その後もフランス政府が続けた核実験の現場に向かい、世論を喚起し続け、ついには核実験を停止に導きました。

まあグリーンピースもシー・シェパードも、弱腰な日本についてはフランス以上のカモとでも考えているのか、反捕鯨や反原発を口実にロクでもない過激な行動を繰り広げまくっているので、その実態は比較的周知されてきてはいますが。
ただでさえ福島第一原発絡みで原発問題に世界中が敏感になっている昨今、ヨーロッパ諸国の電力供給最大手となりおおせているフランスにとって、グリーンピースの跳梁跋扈は頭の痛い問題でしょうね。

映画「RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ」感想

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映画「RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ」観に行ってきました。
富山県に実在する富山地方鉄道を舞台に、長きに渡って鉄道運転士を勤めた男とその家族を描いたヒューマンドラマ。
今作は「RAILWAYS」シリーズ2作目とのことですが、前作とは「地方の鉄道および鉄道運転士を扱っている」というコンセプトの共通点はあっても、ストーリーや登場人物等での関連性は一切ないので、前作を知らない人でも問題なく観賞できます。

今作の主人公である滝島徹は、富山地方鉄道で実に42年も勤務し続け、かつ35年もの間無事故の実績を持つベテランの鉄道運転士。
その彼が定年退職を迎える1ヶ月前、55歳で長年専業主婦として滝島徹を支えてきた妻佐和子と、妊娠中の娘片山麻衣が、踏切の前で停まっている車の中で走行していく列車を眺めているところから物語は始まります。
滝島徹がいつものように鉄道運転士の仕事を終えて自宅に帰ると、妻が看護師の仕事をしたいと相談をもちかけてきました。
実は妻の佐和子は元々看護師の職に就いていたものの、ガンを患った母親の介護のために仕事を辞め、以後はずっと専業主婦として家事を担っていたという経緯がありました。
そして、夫の定年退職と、物語中盤で明かされるあることがきっかけで第二の人生を歩みたいと考え、再び看護師の仕事に就こうと考えたわけです。
しかし夫である徹は「お前が働く必要はない」と聞く耳を持たず、2人は激しい口論を繰り広げることとなってしまいます。
挙句、口論の最中に、「同僚が倒れたからすぐ来てくれ」という鉄道会社からの緊急連絡で、滝島徹は会社へとんぼ返りをしてしまうのでした。
トラブルを何とか処理し、滝島徹が再び家に帰ってみると、自宅から妻の自家用車がなくなっており、家の中も誰もいなくなっていました。
先ほどの件が原因で失踪した以外の何物でもない状況に直面した滝島徹は、朝になって娘夫婦に妻の所在を確認する電話をかけてみますが、当の娘夫婦は妻の失踪の事実すら知らない始末。
そうこうしているうちに仕事の時間が迫ってきたため、滝島徹は妻の所在が不明なままの状態で鉄道会社に出勤する羽目となります。
一方、鉄道会社では、滝島徹の同僚が倒れてしまったことで問題が発生していました。
倒れた同僚が新人の鉄道運転士見習いである小田に対して行っていた研修指導が継続できなくなってしまっていたのです。
小田の研修期間は残り1ヶ月もないということもあり、その研修指導員の穴埋めの話が滝島徹に持ち込まれてきます。
妻のことが気になりつつも、滝島徹は通常の鉄道業務と小田の研修指導を一緒にこなしていくことになるのですが……。

映画「RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ」では、実在する富山地方鉄道が舞台の中心となることもあり、富山地方鉄道を実際に走行している、レッドアロー・かぼちゃ電車・だいこん電車等の愛称で知られる列車が登場します。
主人公・滝島徹が作中で主に運転しているのは、二両編成の「レッドアロー」ことモハ16010形。
地方でしか見られない列車が、田舎ならではのだだっ広い田園や山間をひた走るシーンが作中で何度も繰り広げられるのも、「RAILWAYS」シリーズの魅力のひとつでしょう。
実際、前作「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」でも、劇場公開された2010年5月以降、物語の舞台となった島根県の一畑電車は利用者が急増し前年同時期に比べて8.7%増益になったのだとか。
今作でも同じ効果がそれなりに期待できるのではないかと。

また今作では、主人公である鉄道運転士・滝島徹役を担っていた三浦友和の好演が光っていました。
三浦友和も作中の主人公とほぼ同年齢とのことですが、昔ながらの頑固オヤジとしての姿と、それ故に周囲と衝突し葛藤する様子を、カッコ良さと貫禄も交えて丁寧に演じていました。
彼が登場している映画で私が観賞した作品としては、「マイ・バック・ページ」「星守る犬」がありますが、どちらもチョイ役での登場だったにもかかわらず「妙にカッコ良いキャラクター」というのが印象に残っていたものでした。
特に「星守る犬」では「この人にも何か曰くありげな別の物語がありそう」とすら考えたくらいでしたし。
今作は、彼のファンであればまず必見と言える映画でしょうね。

作中のストーリーでは、主人公の鉄道運転士としての仕事と別居を始めた妻の訪問看護の仕事、そして、互いに無器用な形でしか相手に接することができず、結果的にスレ違ってしまう夫婦の関係が描かれています。
主人公は、妻に対してだけでなく娘夫婦、さらには、同僚が倒れたことで半ば押し付けられた新人の小田に対する研修指導などでのやり取りでも無器用な面を見せており、そのためにしなくても良い損をしているような印象が多々あります。
奥さんに対する態度も、別に相方のことを蛇蝎のごとく嫌っているわけではなく、むしろ(間違ったものであったにしても)自分なりに相手のことを考えていたが故の失敗だったわけですし。
一方の奥さんは奥さんで、看護師の仕事をすることについて「母親をなくしたことに対することに対する気の迷いだろう」と誤った分析をしながらも「好きにすれば良い」ととにもかくにも容認してくれた夫に対し、「何故分かってくれないの!」と激高した挙句に結婚指輪と離婚届を突きつけてくる始末ですし。
これまでの鬱屈がたまっていたという事情もあったのでしょうが、それを差し引いても「そこは怒るところなのか?」と若干は疑問を抱かずにいられませんでした。
いっそ本当に互いに憎しみ合うような関係であれば却って話は簡単になったのでしょうけど、そうではないからこそ複雑で解決しがたい問題なんですよね、ああいう夫婦関係のこじれは。
2人の関係に娘夫婦がやきもきしていたのは当然でしょうが、当の本人達でさえも「何とかしてくれ」と言いたい気分ではあったことは間違いなかったでしょうね。

アクション映画のような派手さは皆無ですし、また世代によって評価にかなりの差が出そうな作品ではありますが、個人的には充分に面白くオススメの作品だと思います。

映画「タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密」感想

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映画「タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密」観に行ってきました。
ベルギーの漫画家エルジェ原作の同名マンガを3Dアニメーションで映像化した、少年新聞記者タンタンとホワイト・フォックステリア犬のスノーウィ、そして伝説のユニコーン号の船長の子孫であるハドック船長がコミカルに活躍する、スティーブン・スピルバーグ監督製作の冒険ファンタジー作品です
この映画は3D版と2D版が公開されていますが、料金が高いだけの3D版は何とか回避に成功。
また今回は12月1日の「正式な映画の日」での観賞となったため、いつもより格安で映画を観賞することができました(^^)。

物語は、主人公タンタンがノミの市に掘り出し物として出されていた模型帆船を見つけ、出店の主人と交渉して購入するところから始まります。
タンタンが模型帆船を購入したのとほとんどタッチの差で、2人の男が同じ模型帆船を買い付けにやってきます。
最初の男はタンタンに対し「それを手放さないと危険な目に遭うから」と警告し、2人目の金持ち風な男は「言い値で買い取るから売ってくれ」とタンタンに譲渡を迫りますが、タンタンはどちらの申し出も無視して模型帆船を持ち帰ります。
タンタンが自宅であるアパートの一室で模型帆船を居間の机?の上に置いた直後、窓から侵入したネコと愛犬であるスノーウィが追いかけっこを始めてしまい、その騒動に巻き込まれる形で模型帆船はマストの部分が壊れ机の上から落下してしまいます。
その際偶然、マストの部分に隠されていた小さな筒が模型帆船から抜け落ち、机の裏側に紛れ込んでしまいます。
床に落ちて壊れてしまった模型帆船を、落胆しつつも再び机の上に戻したタンタンは、模型帆船のモデルとなった船について図書館で調べるため、タンタンは模型帆船を家に置いて外出。
しかし、図書館で模型帆船のモデルであるユニコーン号のことについて調べたタンタンが家に帰ってみると、机の上に設置したはずの模型帆船がなくなっていたのです。
留守中に空き巣に狙われたことは確実で、また模型帆船の際のゴタゴタもあって「警戒しておくべきだった!」と後悔するタンタンですが後の祭り。
タンタンは模型帆船を取り戻すべく、模型帆船購入の際に言い値で売るよう迫った2人目の男の住所を割り出し、模型帆船を奪取しようとします。
そこはかつてのユニコーン号の船長が住んでいたとされるムーランサール城で、2人目の男ことサッカリンによって買収された地でもあるのでした。

タンタンは愛犬スノーウィの助けもあって首尾よく城の中に不法侵入を果たし、模型帆船を発見することには成功します。
しかし直後に城の執事?と思しき人物によって昏倒させられた上、見つけた模型帆船も自分が盗まれたものとは別物であることを確認(ムーランサール城の模型帆船は壊れていなかった)して落胆する羽目に。
他人の住居に不法侵入したのに何故か警察に突き出されることもなく解放されたタンタン(まあ捕らえた側にしてみれば「あえて泳がせていた」のでしょうけど)は、城から追い出される際に城の執事から「模型帆船の部品を探せ」とアドバイスされたことから、冒頭の犬猫騒動で模型帆船から零れ落ちた部品があったことを思い出し、急ぎ自宅に戻ります。
そして、タンタンは無事に模型帆船の部品を見つけることができ、さらにその部品の中に隠されていた羊皮紙をも手に入れることができたのでした。
ところがその喜びを噛み締める間もなく、タンタンは模型帆船購入の際に出合った最初の男の訪問を受けます。
彼はしつこくタンタンに警告を続けるのですが、その最中に何者かによる銃撃を背後から受け、「カラブジャン」というダイイング・メッセージを残して死亡。
自身への襲撃や空き巣を警戒したタンタンは、件の羊皮紙を財布に入れて持ち歩くことにしたのですが、その財布もスリによって盗まれてしまう始末。
さらにタンタン自身も最後には拉致されてしまい、最初の男が残したダイイング・メッセージである「カラブジャン」という名の大型船の一室に収監されてしまったのでした。
またしても愛犬スノーウィの助けで自由を得たタンタンは、何とか脱出の道はないかと模索し始めるのですが……。

映画「タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密」は3Dアニメーションとのことですが、作中に出てくる街の風景や海・砂漠・建物などといった背景も、登場人物達の造形もほとんど実写そのもの。
パッと見たくらいでは実写なのか3Dアニメなのか区別がつかないほどです。
過去に私が観賞したことのある3Dアニメーション作品としては、DVDで観賞した「塔の上のラプンツェル」があるのですが、アレは「3Dアニメ造形」と明確に分かる造形でしたし、その比較でも今作における映像技術の凄さは折り紙付きですね。
むしろ逆に、異様に鼻のでかい登場人物が何人も出てくるなど、完全に実写に近づけないようあえてアニメ的な造形を作り出しているようなフシすらあるくらいです。
子供向け作品としてのアピール、という側面もあったのでしょうが、主人公タンタンなどは実写として紹介されても違和感が無いような顔立ちでしたし、完全に実写的な表現をしようと思えば出来ないこともなかったのではないかと。

また作中では、どう見ても人間並みの知能を持っているとしか思えないホワイト・フォックステリア犬のスノーウィが大活躍しています。
前述の「塔の上のラプンツェル」でも人間以上に動物達の活躍が顕著でしたが、3Dアニメだと実写の動物では到底できない様々な動きや演出も自由自在に描けるわけで、この辺は3Dアニメならではの強みと言えるでしょうね。
映画「わさお」などが典型ですが、実写で動物を扱うとなると、ごく普通の動きであっても現場ではかなりの手間と時間がかかったりするみたいですからねぇ(-_-)。

作中のストーリーは、アクションやシリアスシーンを交えつつも、全体的にはややコメディタッチなノリで進行していきます。
特に大型船カラブジャン号からの脱出の際に仲間になるハドック船長など、最初は酒にこだわりまくってタンタンの足を引っ張りまくる天然コメディアン以外の何物でもなかったですからねぇ(苦笑)。
一応はユニコーン号の財宝に至るキーパーソンだったとは言え、タンタンも何故こんな奴を救うのかと最初は疑問に思えてならなかったくらいでしたし。
これと個人的に印象に残ったコメディ系の演出としては、モロッコの君主が持っているという3つ目の模型帆船を守っている「ワレナーイ」社製の強化ガラスと、それを打ち破る「ミラノのナイチンゲール」ことオペラ歌手カスタフィオーレ夫人の「ジャイアンの歌」でも想起させるような甲高い歌声ですね。
カスタフィオーレ夫人は、3つ目の模型帆船を奪取せんとするサッカリンがわざわざ連れてきた人物で、彼の意図通りに模型帆船の守りは崩壊したわけですが、この辺りはまさにギャグそのものの展開でした。
もう少しマトモな方法で目的を達成するだろうと考えていただけに、アレには一瞬唖然とさせられたものでしたが。

ストーリーは分かりやすく単純そのものですし、3Dアニメも実写に近いので、その手の3Dアニメが嫌いという方でも違和感なく入れる作品と言えるのではないかと。
大人・子供を問わず、幅広い層で共通して楽しめる作品ですね。

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