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2012年01月の記事は以下のとおりです。

Twitter社が検閲を行う方針を発表

Twitterが特定の国の状況や要求に応じて検閲を行う意向を表明したことが話題になっています↓

http://megalodon.jp/2012-0129-0001-53/internet.watch.impress.co.jp/docs/news/20120127_507848.html
>  米Twitterは26日、特定の国の状況によっては、検閲を行う意向であることを公式ブログで発表した。
>
>  「現時点で検閲を行なったことはない」としているが、
今後しかるべき国の当局から要求された場合、ユーザーに明示したうえで検閲が行われることになる。Twitterでは、検閲の透明性を高めたいと考えており、どのような要求が当局から行われているかを、Chilling Effectsと提携することによって公開するとしている。
>
>  検閲を行うためにTwitterはシステムを改良。これまでは国から検閲要求があった場合、該当アカウントを削除する以外に方法がなかった。改良によって、該当するツイートのみをその国で見られないようにする一方で、それ以外の国々では通常通り閲覧できるようにする。国を特定する方法としては、閲覧者のIPアドレスを利用する。
>
>  検閲が行われている国のユーザーは、検閲されたツイートがタイムラインの中でグレイアウトして表示されるため、検閲されていることを知ることになる。検閲されたツイート、または検閲されたユーザーがその国からのアクセスでは表示されないことが明示的に示される。Twitterでは、検閲されたメッセージの例をヘルプページで公開している。
>
>  Twitterは、2011年にチュニジア、エジプトなどで起こったいわゆる「アラブの春」で民主化運動の大きなツールになったと言われている。このため一部の国では、Twitterサイトへのアクセス制限が行われている。

Twitter社も、自社のSNSが「アラブの春」などで多大に貢献したことを知らないはずもないでしょうに、何とも墓穴堀りな発言をやらかしたものですね。
当然のごとく世界的な反発の声が上がりまくり、Twitter社は再び声明を発表せざるをえなくなったようで↓

http://megalodon.jp/2012-0130-2216-21/www.itmedia.co.jp/news/articles/1201/30/news022.html
>  米Twitterは1月27日(現地時間)、前日に発表したアップデートに対し、多くの質問が寄せられたとして、さらなる説明を追加した。
>
>  同社は前日、政府当局がその国の法律の下でユーザーアカウントやツイートの差し止めを求めた場合、その法が有効な地域でのみ差し止め、ツイートは他の地域では表示されるようにしたと説明した。だが、これを幾つかのメディアブログが「Twitterがツイートの検閲を開始する」「Twitterがツイートをフィルターする」と解釈した投稿をしたことなどから、混乱が生じていた。
>
>  
国境なき記者団(RSF)は27日、Twitterのジャック・ドーシーCEO宛に「国家の法の下でのツイートの検閲を可能にするという新ポリシーの発表に深い懸念を表明する」という公開書簡を送った。また、「#TwitterBlackOut」というハッシュタグで、検閲に反対して24時間ツイートを自粛する運動も展開された。
>
>  これに対しTwitterは「コンテンツを保留する方法をこれまでより柔軟にする新アプローチは、表現の自由・透明性・責任に関して、また、ユーザーにとって良いことだ。これまでより多くの地域でツイートを保持できるようになるだけでなく、われわれが表現の自由を守っているかどうかをユーザーが確認できる」と説明する。
>
>  公開前のツイートをフィルタリングするのかという疑問に対しては、1日当たり10億以上投稿されるツイートをフィルタリングすることは「望ましくないし、非現実的だ」として否定。
要請があり、それが合法であると判断した場合にのみコンテンツを保留するという説明を繰り返した。
>
>  なぜこのタイミングでアップデートしたのかという疑問には、タイミングには特に意味はなく、取り組んできた新機能が完成したから公開したとしている。
ネット上では、中国進出を狙ったものではないかという憶測も飛んでいた。同社の法律顧問を務めるアレックス・マクギリブレイ弁護士は米Wall Street Journalのインタビューで、このアップデートは「中国とは関係ない」と語った。

しかし、「要請があり、それが合法であると判断した場合にのみコンテンツを保留する」といっても、すくなくとも表面的に見ればまさにそれこそが「検閲」というシロモノなのであって、Twitter側の説明には苦しいものがあると言わざるをえないところです。
この手の「検閲」や言論統制というのは、誰でも一目瞭然な基準というものが作りにくく、かつ運用するにしたがって拡大解釈を続けていくという問題もあります。
最初は全く眼中にもなかったはずの言論や思想、さらにはエンターテイメント作品などでさえもが、いつのまにか「検閲」の対象になっていた、という事例も多々あるわけですし。
また「検閲」が行われていると知れば、ここぞとばかりに言論統制を推進しようと考える人間や、自分に都合の悪い情報が流されると困る人間によって、投稿の削除や規制要求が乱発されるという事態も考えられます。
中国や「アラブの春」を引き起こされた国々なんてまさにその典型ですし、また日本の民主党政権などもマスコミに対してなりふり構わぬ報道統制を展開するくらいですから、当然Twitterに対しても同様の統制下に置くことを考えても何ら不思議なことではありません。
Twitter社の方針がTwitterの動向に今後どのような影響を与えることになるのか、警戒を要する話ですね。

個人的にもTwitterは使い勝手が良く情報拡散に便利なツールなので、出来れば何事もなく終わって欲しいものではあるのですが……。

映画「麒麟の翼 ~劇場版・新参者~」感想

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映画「麒麟の翼 ~劇場版・新参者~」観に行ってきました。
東野圭吾原作のミステリー小説「加賀恭一郎シリーズ」の「新参者」を基に、阿部寛主演で放送されたテレビドラマの劇場版。
「加賀恭一郎シリーズ」は、第1弾「新参者」が2010年4月~7月にテレビドラマシリーズとして、第2弾「赤い指」が2011年1月3日に新春ドラマスペシャルとして、それぞれTBS系列で放映されており、今作はその流れの続きという形になります。
公式サイトによると、今作は「新参者」から1年後の設定なのだとか。
残念ながら私は原作&テレビドラマシリーズについては未読&未観賞だったのですが、一部主人公の人物関係で不明な点はあったものの、主要な設定などについて問題があるということもなく、前作を知らなくても充分に楽しむことができました。
もちろん、予め原作&テレビドラマ版を知っておいた方が「より」楽しめるであろうことは確かでしょうけど。

6月13日午後8時58分、東京都中央区にある日本橋の中央にある麒麟の像まで歩いてきた男性が倒れる事件が発生。
現場にいた警官がすぐさま所轄の警察本部と連絡を取り、男性はただちに救急車で搬送されたものの、病院で死亡が確認されました。
男性の腹部には刃渡り8cmのナイフが突き刺さっており、殺人事件であることは誰の目にも明らかでした。
一方その頃、今作の主人公である加賀恭一郎は、現場からそう遠くないとある喫茶店だかレストランだかで、亡くなった自身の父親の三回忌に出席するよう、父親の最後を看取った看護師・金森登紀子に詰め寄られていました。
加賀は父親との約束を持ち出して頑なに三回忌出席の確約を拒否しようとしますが、金森は何故かしつこく加賀恭一郎に出席を迫り続けます。
彼女が何故そのような態度を取るのかは物語中盤の終わり頃に明らかとなるのですが、そんなやり取りの最中、加賀の携帯に先述の殺人事件発生の連絡が入りやり取りは中断、加賀はただちに現場に赴くこととなります。
殺害された男性はカネセキ金属という企業で製造本部長を務めていた青柳武明という人物で、日本橋の麒麟の像から(負傷の身では歩いて8分近くもかかる)離れた地下道で血痕が残っていたことから、そこで刺されたという事実が判明。
何故彼は刺された場所から麒麟像まで、瀕死の身で歩いてきたのか?

また事件現場から程近い別の場所では、青柳武明のカバンを抱えて草むらに隠れているひとりの男性の姿がありました。
その男性・八島冬樹は、同居中の恋人・中原香織に携帯で電話をかけ「俺、大変なことをやってしまった」というメッセージを残した後、巡視中の警官に職務質問されて逃走中、トラックに撥ねられて意識不明の重態に。
あまりにも怪しすぎる状況から、警察の対策本部では八島冬樹が事件の犯人ではないかと睨んで捜査を開始します。
すると、一見何の関係もないかのように見えた被害者と容疑者の間に「カネセキ金属」という共通項があることが判明。
八島冬樹は、かつて青柳武明が製造本部長を担っていた「カネセキ金属」の派遣労働者として働いていたことがあり、契約期限前に解雇された経歴があることから、その恨みで犯行に及んだのではないかと推察されたわけです。
一刻も早く事件を解決済みとしたい警察の対策本部は、八島冬樹の容態が回復する気配がないこともあり、容疑者死亡のまま送検すること目的にマスコミに情報を流し、その推察を既成事実化して記者会見で公式発表しようとします。
しかし、八島冬樹が「カネセキ金属」から解雇されてから半年もの時間が経過していることや、殺害に使われたナイフが八島冬樹の物であることが立証できないことなどから、加賀は上層部に記者会見を思いとどまらせ、独自の捜査を進めていきます。
やがて、その捜査から、被害者が殺された真の経緯と事件の真相が浮かび上がってくるのですが……。

映画「麒麟の翼 ~劇場版・新参者~」を観ていて個人的に強く印象に残ったのは、殺人事件の容疑者として警察が最初にクローズアップされた八島冬樹を巡る各人の反応ですね。
彼が「カネセキ金属」から契約期間前に解雇されたのは、工場で稼動させているベルトコンベアーを非常時の際に緊急停止させる「インターロック」を起動させていなかったことによる労災事故が原因だったのですが、「カネセキ金属」の現場工場長はこの事実を上司である青柳武明に報告しなかった上、彼の死後にそれが明るみに出た途端、今度は「死人に口なし」とばかりに青柳武明にその全責任を押し付けているんですよね。
結果、殺された被害者の遺族達は「殺されて当然だ」と言わんばかりの非難を浴び、さらには被疑者の長女が自殺未遂を図るなどという事態にまで発展してしまいました。
また、「八島冬樹犯人説」がワイドショーなどで盛んに報道された結果、恋人兼同居人だった中原香織は、「自分の店について悪い噂が流れると困るから」という理由で肉屋のバイト先からクビを言い渡されてしまいます。
このいかにも「事なかれ主義」的な営利企業の自己保身な言動の類は、現実にも普通に起こりえることなのでしょうが、風説の流布によってそういう目に遭わされる側にしてみればたまったものではないでしょうね。
物語の終盤で、それらの風説は事件の真相と共に事実とは全く異なることが判明するのですが、名誉を回復されたはずの関係者達は、しかし当面の間は引き続き白眼視され続ける環境に置かれ続けることになるのが目に見えています。
一度毀損された名誉はそうそう簡単に回復するものではありませんし、虚偽の風説を信じて解雇などの権限を発動した企業や人間が、その自身の責任を認めて被害者に謝意を表する事例なんてほとんどないのですから。
「そんな報道を流すマスコミが悪い」か「そんな報道を流された被害者にも責任がある」かのどちらかの主張を展開した挙句、最後の結末は「自分は悪くない」で締めくくるわけで。
いや、後者はともかく前者は必ずしも間違っているわけではないのですが、それを含めて考えても「その間違った報道を信じて行動に移した自分」の責任は免れないのですから、本来は何の言い訳にもならないはずなのですけどね。
しかも、それでも「事実関係が間違っていた」ことを認めるのであればまだマシな方で、それすらも認めなかったり後者の理由を振り回したりした挙句、相変わらず被害者を罵りまくるという、救いようのないほどに最悪な連中もいるのが現実です。
これも「間違った情報を元に間違ったことをやらかした事実を認めたくない」「そのことに対する責任を取らされたくない」という自己保身の産物なのでしょうが、作中における被害者の遺族は、これからも一度流された風説に苦しめられ続ける日々が続くことになるのではないかと。

それと、これはテレビドラマ版の延長線上にあるのでしょうが、主人公の加賀恭一郎ってやたらと顔が広いですね。
現場に程近い店々の店員達の多くと顔見知り&かなり親しげな様子でしたし、彼ら彼女らから被害者や容疑者に対する多くの情報を引き出すことにも成功しています。
実際の警察の捜査でも、一般人の協力から事件解明や犯人調査に纏わる重要な情報が得られることが少なくないそうなので、ああいうのって結構な「強み」になるでしょうね。

あと、今作では銀英伝舞台版第一章でラインハルト役を演じた松坂桃李が「殺害された青柳武明の長男役」で出演しています。
「父親に隔意ありげな息子」という役柄を存分に演じきっていました。
映画観賞中は全く気づくことがなく、観賞後に公式サイトで作品情報や登場人物名を調べていた際にその事実を知って「意外な縁があったなぁ」と少々驚いた次第で(^^;;)。
個人的には、銀英伝舞台版第一章絡み以外で彼の名前を見かけたのも、またそれ以外の出演作品を観賞したのも今回が初めてだったりします。
1年半以上ぶりに改めて調べてみたら、松坂桃李は去年から映画やテレビで積極的に顔を出すようになっているみたいですね。

映画「麒麟の翼 ~劇場版・新参者~」は、同じ東野圭吾原作のミステリー小説でも、まるで救いようのないバッドエンドと、人間の冷酷さがこれでもかとばかりに繰り広げられた映画「白夜行」とはまた一味違った面白さがありましたね。
ミステリー的な出来の良さや人間ドラマにスポットを当てたドラマ展開は相変わらず秀逸で、観る者を退屈させることがありません。
作中に出てくるエピソードの数々も、上記で挙げた通り現実にも充分に起こりえる展開ばかりで、それらが全て繋がることで謎が解明されていく過程は爽快感すら覚えるものがありましたし。
また今作は「白夜行」と違ってバッドエンド物ではないので、その手の作品が苦手という方にも素直に楽しめる作品ではないかと思います。

端ガネをバラ撒いて消費税を増税する矛盾

この不況の最中に消費税をはじめとする増税路線を邁進しまくっている野田佳彦こと野駄目カンタービレ政権がとにかく迷走しまくっていますね。
この期に及んで国民の支持を取り付けたいからとはいえ、わざわざこんな実効性ゼロのタワゴトをほざくにまで至るとは……↓

http://ow.ly/8IfQl
>  政府・民主党は25日、2014年4月に消費税率を8%に引き上げる際に、低所得層を中心に現金を支給する検討に入った。金額は1人当たり年1万円とする案が有力だ。低所得層ほど負担が増すとされる「逆進性」に配慮する姿勢を示し、税率引き上げへの反発を和らげる狙いだ。だが一律の現金給付の効果は不透明で、ばらまきとの批判を呼ぶ可能性がある。
>
>  政府・民主党は、社会保障と税の一体改革で消費税率を14年4月に8%、15年10月に10%と2段階で引き上げることを決めている。消費増税関連法案の与野党協議をにらみ、現金給付の具体化に向けた議論を進める。
>
>  支給対象は、個人住民税や所得税の課税が免除される層とする案が有力だ。
対象者は最低でも数百万人と見られ、必要経費は年間で最大で1000億円規模となる可能性がある。14年度予算に計上する方向で検討する。
>
>  政府・民主党は低所得層対策として、税金の控除と現金給付を組み合わせた「給付付き税額控除」を想定している。だが控除を実施するには「社会保障と税の共通番号」を本格導入し、納税者の所得などの情報を集める必要があり、実現は早くても17年以降となる見通し。それまでの期間を現金支給でつなぐ。14年以降も現金支給が続く可能性もある。
>
>  政府試算では、消費税率を5%から10%に引き上げると低所得層の負担は、1人あたり年間3.5万~5万円増える。8%に引き上げた時の負担増は約2万~3万円となり、年1万円を給付すれば半分から3分の1を補填できる。
>
>  政府は過去の消費増税時にも一律の現金給付を行っている。消費税を導入した1989年には「臨時福祉給付金」などの名目で645億円を拠出。高齢の低所得者や生活保護受給者ら563万人に、1万円や5万円の一時金を配った。税率を3%から5%に上げた97年にも、同様に890万人に計948億円を配った。
>
>  これらのケースでは支給はいずれも1回限りだった。消費税増税と所得税減税をセットで実施したためだ。だが一体改革は所得税の大型減税を伴わず、消費税率の引き上げ幅も大きく、より手厚い措置を求める意見が出ている。

わざわざ低所得者層に対し年間1万円の現金を支給する案を検討するなんてことが実際にできるのであれば、実は国の財政にある程度余裕があることを自分で証明することにもなってしまうのでは?
年間1万円ということは、1ヶ月単位で換算するとわずか833円程度にしかならず、支援としてもほとんど何の意味もありません。
今時、各種ショップの買い物で特典ポイントを溜めていってもそれくらいは達成できそうですし(苦笑)。
低所得者層のひとりひとりに1万円の現金を配る手間と費用を考えれば、ただでさえ「無駄の削減」が叫ばれている中で更なる無駄以外の何物でもない出費が嵩むことになるのは確実です。
そうでなくても「人気取り目当てのバラ撒き」「外国人まで支給対象」「しかも財源不足で結局実行不可」と国民にとって何重にも悪しき前例と化している感すらある「子ども手当」という負のお手本が直近にあるというのに。
この期に及んでなお、意味不明かつ自家撞着な自爆発言をやらかすとは、民主党も余程なまでに追い詰められているのでしょうかねぇ…。
まあ民主党にしてみれば、一度消費税増税を通してしまえば後のことは知ったことではない、それどころか政権交代が実現すれば、消費税増税を「時限爆弾」として起爆させ時の政権を攻撃できる、というのが本音ではあるのでしょうけど。

まあ本当に民主党と財務省が目指しているらしい「財政再建」とやらを本気で実行したいのであれば、民主党がこの世から消滅することこそが最良の選択であるはずなのですけどね。
2009年選挙時に民主党が絶叫していたキャッチフレーズ「政権交代こそが最大の景気対策」は、今こそ完全に当てはまる情勢となっているわけで(苦笑)。
今政権交代が起こっただけでも、経済的な効果は数兆円単位にも上ってしまうのではないかと(爆)。
何しろ、民主党の存在自体が最大最悪の「無駄」な上に「無能な働き者的害悪」でしかないのですからね
民主党が政権をとってから、国の支出はひたすら上がる一方ですし、それでいて景気は却って悪くなる始末と来ていますし。
次の総選挙では、「政権交代こそが最大の景気対策」という全く同じ文言をキャッチフレーズに使う人間ないしは政党が確実に出てくるのではないかと思えてならないのですが(爆)。

1月27日は国旗制定記念日

1月27日は国旗制定記念日。
1870年のこの日に通達された太政官布告第57号の「商船規則」によって、日の丸が日本国籍の船舶が自らの身元を証明するための「御國旗」として採用されました。
国旗国歌法が制定される100年以上も前から、日の丸は慣習的に日本の国旗であり続けたわけですね。
ちなみに、日本の国歌である「君が代」の記念日は8月12日です。

世界的に見ても、日の丸・君が代ほどに平和的な理念から成立し、またそれにもかかわらず「軍国主義的」「天皇崇拝」などといった誹謗中傷を浴びせられ続けている国旗国歌もないのではないでしょうか?
ついこの間も、「不起立界のジャンヌ・ダルク」などと称する不良教師のお笑い集団が、職務放棄を巡る裁判で全面敗訴に至ったニュースが流れていましたし。
日本に限らず、国旗国歌というものは、栄光に飾られた歴史も戦争や殺戮で血塗られた歴史も全てひっくるめた「国と国民がこれまで歩んできた軌跡」を背負うものでもあるわけなのですから、あの手の不良教師連中に代表される「日の丸・君が代」に反対する面々が掲げている主張の類は、日本の国旗国歌を否定しなければならない理由になんて本来なりえないはずなのですけどね。
他国を植民地化して現地住民を差別しまくってきた歴史を持つ欧米諸国や、自国民と他国民を合わせて数千万単位ものオーダーで虐殺を繰り返してきた共産主義国家などは、連中の主張に従えばまさに「血塗られた国旗国歌」を掲げていることになるわけですが、連中がそれらに反対した形跡なんて微塵もないのですし。
それどころか、こと共産主義国家に対しては「地上の楽園」云々に代表される礼賛すらやっていた輝かしい実績すらもあったりしますからねぇ(苦笑)。
「個人の自由」を掲げながら、何も知らない子供達を自分達の思想で洗脳し、国旗国歌法が成立する契機となった広島県立世羅高等学校の校長自殺事件に象徴されるがごとく、場合によっては人を死に追いやることも辞さないのが連中の本性なのです。
日本人民共和国でも成立した日には、新しく制定されるであろう国旗国歌、それもおそらくは桁外れに「血塗られた」内容になるであろうシロモノを、それこそ「右翼の軍国主義者」のごとく崇拝することを、自分のみならず他者にも問答無用で強制するようになるのではないですかねぇ、あの連中は。

国旗国歌に敬意を払うという行為は、世界標準で見ても何らおかしなことではないばかりか、むしろ世界共通で通用する礼儀作法とすら言えるものです。
日本以外の国の教育現場では、朝礼や集会など機会がある度に国旗を敬い国歌を斉唱するのは当たり前、教科書などにも国旗国歌を称揚する文言が普通に記載されていたりします。
そうやって自国の国旗・国歌に対する敬意を持てば、そこから「他国の国民もまた、自分達の国旗と国歌に対して敬意を払っているのだろう」と考えることもできるのですし、必然的に他国の国旗国歌に対しても敬意が払えるようになるのです。
そういうのって、戦争している国家間同士の関係においてすら、結構重要なことだったりするのですけどね。
逆に、日本のように自国の国旗国歌を敬わない教育をしていると、他国に対しても同じような態度に出てしまい、最悪、それが国際問題にまで発展してしまうことすらもあったりするわけで。
日教組をはじめとする教職員組合やそれを煽ってきた朝日を主犯とする左傾マスコミ、それに乗じた不良教師連中によってもたらされた、日の丸・君が代全否定の弊害は計り知れないものがあるでしょうね。

国旗が制定されたこの日を機会に、日本の象徴としての日の丸の意義について考えてみるのも悪くはないのではないでしょうか。

「asahi.com(アサヒ・コム)」のニュースが有料化

朝日新聞社のニュースサイト「asahi.com(アサヒ・コム)」のブランド名が「朝日新聞デジタル」に統一されました。
これにともない、サイトのデザインが刷新された他、掲載記事が有料化されることになるのだとか↓

http://megalodon.jp/2012-0123-2115-09/internet.watch.impress.co.jp/docs/news/20120123_506735.html
>  朝日新聞社は23日、ニュースサイト「asahi.com(アサヒ・コム)」のブランド名を「朝日新聞デジタル」に統一した。トップページを刷新し、朝日新聞の有料電子版サービスへの申し込みページの導線を強化したり、有料記事を識別するための「+」ボタンを設置した。
>
>  なお、一部の記事は引き続き無料で閲覧できる。一方、「+」ボタンが付いている有料記事については、全文を閲覧するにはログインが必要。
>
>  有料版ではさらに、全国の地域面を紙面そのままのイメージで閲覧できるサービスをPC向けに開始した。全国6ブロック(北海道・東北、関東、東海・甲信越、近畿・北陸、中国・四国、九州)に分けて並べた地域面イメージを掲載する。紙面イメージは朝刊掲載日の午前10時30分をめどに配信し、翌日の地域面配信まで閲覧可能。紙面イメージの拡大機能や印刷機能も備える。

しかし、この手の「情報の有料化」というのは、カネを払ってもなお見るべき価値のある記事というものがないと、却って客離れを引き起こすことにもなりかねないと思うのですけどね。
既にネット記事の有料化を実施している日経新聞などは、経済に特化した記事があるのでまだその方面で独自性を出すこともできるでしょうが、朝日にそんなものがあるのかどうか、かなり疑問と言わざるをえないところなのですが。
社説などだとその社独自の思想や論調といったものがあるわけですが、それは逆に「有料化したらマズい」シロモノですし。
一方で、一般的な時事ニュースなどの記事だと、他の無償提供の新聞サイトで充分間に合うということにもなってしまいます。
一昔前の新聞とテレビが情報配信の大部分を独占していた時代ならばいざ知らず、今は新聞に代わる媒体なんていくらでもあるのですから。
そして朝日独自のスクープ記事となると、まずはその信憑性からして疑問符をつけざるをえないほどに胡散臭いシロモノでしかないことは、これまでの朝日が積み重ねてきた歴史が額縁付で証明しているわけですし(苦笑)。
独自に売りに出来る記事が、戦前から有名な超のつく偏向報道くらいしかないというのも、ある意味凄いことではあるのですけどね(爆)。

かつては栄華を誇った新聞も、テレビやネットに速報性で惨敗し、情報の公正さも疑問符だらけと、もはや衰退することが確定されたレガシーメディアと化しつつあります。
紙の新聞は今や、メインの購読層が60代以上という「老人のためのメディア」になってしまっていますし、このまま行けばジリ貧はまず免れないのですから。
無害ならまだしも、朝日は昔から有害極まりない偏向報道ばかり続けてきたのですし、そろそろ自身が日本国民に向けて説教しているがごとく、過去の己の醜行を直視し、全世界に謝罪と賠償の意を表してとっとと潰れて欲しいものなのですがね。

男女逆転「大奥」の続編がTVドラマ&映画で制作決定

すっかり見逃していましたが、2010年に劇場公開された男女逆転「大奥」の続編製作が決定したそうですね。
原作の2巻~4巻に当たる「有功・家光篇」がTBS系列のTVドラマとして2012年10月から、ドラマ終了後の12月に、原作の4巻終盤~6巻前半頃までの物語となる「右衛門佐・綱吉篇」が劇場公開になる予定とのことです↓

http://megalodon.jp/2012-0123-1746-26/www.cinematoday.jp/page/N0038526
>  [シネマトゥデイ映画ニュース] 2010年に公開された映画『大奥』の続編が、映画とテレビドラマで製作されることが発表され、その両方で堺雅人が主演を務めることが明らかになった。原作2~4巻にあたるテレビドラマ「大奥[有功・家光篇]」では多部未華子が3代将軍・家光を、同4~6巻にあたる映画『大奥[右衛門佐・綱吉篇]』では菅野美穂が5代将軍・綱吉を演じる。堺が、多部、菅野と共演するのは今回が初めてだ。
>
>  2004年に連載開始されたよしながふみの原作は、謎の疫病により男女の立場が逆転した江戸時代の大奥を舞台にしたマンガ。二宮和也と柴咲コウが共演した映画第1作では、8代将軍・吉宗の時代を描き、興収23億円というヒットを記録した。待望の続編で描くのは、第1作以前の時代だ。テレビドラマが10月よりTBS系列で放送された後、12月22日より映画版が公開という一大プロジェクトになる。
>
>  ドラマ版では汚れなき心を持つ院主・有功(ありこと)、そして映画版では胸に野望を秘めた、有功にうり二つの男・右衛門佐(えもんのすけ)という一人二役に挑戦する堺は「大河ドラマに参加するときのような、意気込みと緊張感で臨みたいと思っています」とコメントすると、大奥総取締役という役柄に掛けて、「華やかな世界ですが、あくまでも裏方。いい作品になるよう、(将軍役の)お二人を支えながら粉骨砕身力の限りを尽くす所存です」と明かしている。
>
>  その堺に「運命を見据えた、強いまなざし」と評されたドラマ版の多部は、初の女将軍という役どころについて「大きなプロジェクトで重要な役柄を担うことに、とても緊張していますし、不安でいっぱいです」と語れば、「かなしげな、悩ましい吐息」と評された映画版の菅野も「まさか自分が、将軍の役をやらせていただく機会があるなんて、夢にも思いませんでした」と驚きを隠せない。
>
>  現在、すでに衣装合わせは終わったといい、菅野は「将軍の葛藤(かっとう)、孤独、やり切れない運命を、そして、生きている人間だからこそのどうにもならない弱さ、愚かさを、エンターテインメントとして演じられたら良いなと思います」と意気込んでいる。前作に続き、監督は金子文紀が務める。(編集部・福田麗)

あの男女逆転「大奥」の映画版1作目は、それ単体で自己完結するように出来ており、かつ続編を匂わせる描写も全くなかったので、続編が出るかどうかは正直微妙なところではあったんですよね。
特に映画となると、「有功・家光篇」にせよ「右衛門佐・綱吉篇」にせよ、1作目の「水野・吉宗篇」よりもはるかに長い話になりますから、かなりエピソードや途中経過を端折って一種の「ダイジェスト」的なものにでもしないと、せいぜい2時間前後くらいしかない上映時間枠内にはとても収められないという問題もありましたし。
何よりも、延々と江戸城内における政治的駆け引きや陰湿な人間模様ばかり描かれることもあって、映画を盛り上げる派手なアクションやSFX的な描写がまるでないときていますからねぇ。
映画版1作目も、原作にない夜中の決闘の描写を無理矢理に挿入していたくらいなのですから。
そういった条件を鑑みると、続編を制作するならば映画よりもTVドラマの方がはるかに向いていることは確かで、その点では妥当な選択と言えるでしょうか。

しかし、右衛門佐に「有功とうり2つの男」などという設定なんてありましたっけ?
一応、同じ京の出身で、かつ自分のところ挨拶にやってきた右衛門佐の姿に桂昌院が有功の面影を見たという描写はあるのですが、直後に桂昌院は「奴と有功様は似ても似つかない」などと全否定に走っていますし、それ以前にコミック版における両者の顔はそれほど「似ている」という感じでもなかったのですが。
有功と右衛門佐双方と面識があった村瀬とかいう「大奥」の歴史書「没日録」を綴っていた老人も、右衛門佐が有功そっくりとは全く述べていないのですし。
原作で明確に「有功とうり2つの男」と謳われているのは、徳川4代将軍家綱の父親となった「お楽の方」こと捨蔵であって、右衛門佐ではないはずなのですが。
映画&TVドラマ版のオリジナル設定なのでしょうかね、これって。

ちなみに私は、男女逆転「大奥」について映画感想以外にもこれだけの記事を書いていたりするのですが↓

実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想
コミック版「大奥」検証考察1 【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】
コミック版「大奥」検証考察2 【徳川分家の存在を黙殺する春日局の専横】
コミック版「大奥」検証考察3 【国内情報が流出する「鎖国」体制の大穴】
コミック版「大奥」検証考察4 【支離滅裂な慣習が満載の男性版「大奥」】
コミック版「大奥」検証考察5 【歴史考証すら蹂躙する一夫多妻制否定論】
コミック版「大奥」検証考察6 【「生類憐みの令」をも凌駕する綱吉の暴政】
コミック版「大奥」検証考察7 【不当に抑圧されている男性の社会的地位】
コミック版「大奥」検証考察8 【国家的な破滅をもたらす婚姻制度の崩壊】

今回の映画&TVドラマ化で、これら私が提起した問題点の中の何かが補完・解消される、ということが果たして起こりえるでしょうか?
個人的には、作中における女性の男性蔑視思想が醸成されていく過程がきちんと描かれれば、結構面白い上級シャーロキアン的な設定補完になるのではないかと思うのですけど。
健康的な男性が働こうとするのを「赤面疱瘡」の名の下に意図的かつ強引に「押し込め」てしまったり、幼い男子に無理矢理「ジェンダーフリー教育」モドキな女性化教育を施して男性的な要素を取り除こうとしたりとか、そういった「女性による組織的な男性の去勢化」が普通に横行しているような世界でもなければ、そもそも「男女逆転」なんて発生のしようもないのですからねぇ。
目先の女性受けと視聴率狙いに狂っている上に思想自体も左がかっている昨今のテレビ局であれば、鼻に付きまくる女性至上主義的な描写を乱発することで案外簡単に実現してしまいそうな気もしなくはないのですが(苦笑)。

何故手書き原稿を「直接手渡し」しなければならないのか?

https://twitter.com/adachi_hiro/status/160131194556653568
<今日は田中さんの原稿受け渡しで、某K談社の編集さんが来社されることになってる。こんな天気で本当に気の毒。田中さんが手書き原稿なのは仕方ないけど、毎回、編集さんに来て貰うことはナイよなあ。FAXだってあるんだし。むぅ。>

え?
講談社の編集の来社目的が「原稿をもらうこと【だけ】」で、かつ講談社側に「原稿は直接手渡しで貰うこと」とかいった類の社内ルールがあるわけでもないのであれば、原稿引渡についてはそれこそ「らいとすたっふ」側の方こそが配慮しても良いはずなのでは?
田中芳樹から原稿を受け取った社長氏なり他の「らいとすたっふ」社員なりが、原稿をスキャナにかけてPDFないしは画像ファイル化してメールするなりFAXするなりすれば、簡単に手間暇を省くこともできるはずでしょうに。
また実際問題、原稿の元本を自分の手元に置いておいたりデータ化したりしておけば、出版社側で原稿を紛失したり著作権絡みで揉めたりした際にも「保険」として機能するのですから、セキュリティの観点から言ってもそうするべきなのではないのかと。
出版社側の原稿引渡事情を調べてみても、「原稿は直接手渡しで作家から貰わなければならない」といった類の絶対的なルールが存在しているわけでもないようですし↓

http://shuppan.sunflare.com/essays/akibayashi_04.htm
>  作家や、いわゆる「もの書き」の人たちとおつきあいをしていると、いろいろな経験をします。この人たちは文章を書くことが仕事であり、また生きがいでもあるのでしょう。
>
>  いまは
作家から原稿を受けとるといっても、パソコンのメールだったりCDだったり、ファックスで送られてきたりで、手書きの原稿を受けとることはほとんどなくなってしまいました。紛失して社をあげて大騒ぎをする心配はなくなりましたが、私が現役で編集の仕事をしているころは、作家の家を訪ねて、万年筆などで書かれた原稿を受けとるときは、胸がふくらんだものでした。

もちろん、「原稿引渡」はあくまでも「ついで」であって、作家も交えて何らかの打ち合わせをするのが本来の主目的、という場合であれば、編集が来社したり、逆に作家側が出版社に赴かなければならなかったりすることは当然あるでしょう。
携帯電話やメールなどの連絡手段がどれだけ発達しても、「顔を合わせての打ち合わせ」の必要性がなくなることはないばかりか、場合によってはむしろ却って重要性を増したりもするのですから。
しかし社長氏の発言では、出版社の編集は「原稿を受け取ること【だけ】」を目的に「らいとすたっふ」へ来社しているケースが少なくないようなのですけどねぇ(-_-;;)。

あるいは、「らいとすたっふ」側も出版社側も原稿引渡の手間を簡略化したいとは思っているが、作者である田中芳樹自身が「原稿の直接受け渡し」に妙なこだわりを持っていて変革を断固拒否している、という話だったりするのでしょうか?
「イギリス病のすすめ」のあとがきで「自分が小説家であるということに妙なこだわり」を持っていると披露していたり、この情報化社会の時代にパソコンにも携帯にもあまり触れようとせず手書きの原稿執筆に固執したりしている諸々の事例を鑑みる限りでは、いかにもありえそうな話ではあります。
ただそれにしても、そんなことにこだわって何になるのかという問題もありますし、セキュリティの面でも非合理としか評しようのない話ではあるのですが……。

あと、現在執筆中らしい薬師寺シリーズ9巻は、どうやら講談社から出版されるらしいですね。
これまでは出版社の名前が公になっていませんでしたし、薬師寺シリーズは複数の出版社にまたがって刊行されているので、どこの出版社から出るのかについての情報が不明だったのですが。
前回の原稿引渡が去年の年末だったことを考えると、2回目のそれはまたずいぶんと早いですね。
ただ、去年の銀英伝舞台版ニコファーレ会談で田中芳樹は「現在第四章を執筆中」と述べていましたので、ひょっとするとそこまでの原稿が「引き渡しても良い」段階にまで何とか到達した、ということなのかもしれませんが。
もっとも、ただでさえ「遅筆作家」の勇名に恥じない遅れっぷりな上、ストレス解消に半年以上も無駄に費やしていることになるわけなのですから、まだまだペースを上げてもらわないと読者&出版社的には困るところではあるのですけどね。

映画「ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬」感想

ファイル 513-1.jpg

映画「ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬」観に行ってきました。
「Mr.ビーン」で有名なイギリスのローワン・アトキンソンが主演を担う、スパイアクションコメディシリーズの2作目。
ちなみに前作「ジョニー・イングリッシュ」は未観賞です(^^;;)。
作品の邦題タイトル自体が、イギリスで2008年(日本では2009年)に劇場公開された映画「007 慰めの報酬」をもじったものであることからも分かるように、今作は「007」シリーズのパロディ物的な要素が強いですね。
「007」ばりの秘密兵器やボンドガールもどきも出てきますし。

前作の活躍?で、一時はイギリスの秘密諜報組織MI7で一番のエースにまでのし上がっていた主人公ジョニー・イングリッシュ。
しかし彼は、5年前にモザンビークで要人警護に失敗し、要人を暗殺されてしまうという大失態を犯してしまい、MI7からクビを言い渡され、チベットの僧院で修行に明け暮れる日々を送っていたのでした。
このモザンビークでの失態の詳細については物語中盤で明らかになるのですが、どう見ても「イングリッシュでなければやらないであろう失態」でしたね。
イングリッシュにとってもこの失態は相当なまでに堪えているようで、作中でも他人にモザンビークの件について触れられる度に右瞼が震えまくるという形で表情に出てきます。
後半ではすっかり開き直ったのか、「アレは俺の失敗ではない、今回追っている連中が関わっていたんだ」などと言い訳がましいタワゴトをのたまいまくっていましたが(苦笑)。
それはさておき、チベットの僧院で金的攻撃に対する耐性を身につけるための修行をしていたらしいイングリッシュの元に、MI7の復帰要請が届けられます。
チベットの僧院に何故か存在していた、全く似つかわしくないパソコン端末から復帰要請を受けたイングリッシュは、チベットから一路イギリスへ。

イングリッシュがいなくなっていた5年の間に、MI7はすっかり様変わりしていました。
何故か日本企業である東芝の傘下に入り、しかも自らがスパイ組織であることを大々的に公示するかのような垂れ幕を1F正面ロビーに堂々と掲げているMI7。
東芝と言えば、映画「ニューイヤーズ・イブ」でも「TOSHIBA」の文字が作中のあちこちにやたらと出てきていましたが、そういう宣伝戦略でも東芝はやっているのでしょうかね?
さらに中へ入っていき、これまたすっかり様変わりしたMI7の局長パメラ・ソーントン、通称「ペガサス」と対面。
「ペガサス」はイングリッシュに説明を始めるのですが、イングリッシュは話を聞いていないばかりか、部屋のソファーに座っていたネコをビルから落としてしまったり(ネコはイングリッシュにとって最悪のタイミングで戻ってきます)、同じく部屋の中にあったバランスボールに座ろうとして転倒したりと、ここでもドジを振りまきまくります。
その後でイングリッシュは、映画「007」シリーズでもおなじみとなっている、秘密兵器を開発している部署へと案内され、そこで秘密兵器の紹介と使い方の説明が行われるのですが、その最中でも兵器を誤作動させたり、変声キャンディを無断で食べたりと、やはりお笑いネタをばら撒いていきます。
そんなイングリッシュに与えられた任務は、英中首脳会議に出席する予定となっている中国の首相の暗殺を阻止すると共に、暗殺を企んでいる組織についての情報収集を行うこと。
イングリッシュは、その情報を提供したフィッシャーという人物に会うため、MI7から相棒として自分と共に行動することになった諜報員タッカーと共に香港へと向かうのですが……。

映画「ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬」では、主人公ジョニー・イングリッシュがとにかくドジを繰り返します。
敵を追い詰めている最中に余所見をしてその隙に相手に逃げられたり、何とか手に入れた重要アイテムの扱いが諜報員とは思えないほどに雑で簡単に敵に奪われたり、せっかくヘリが操縦できるのに道が分からないからと超低空飛行(地上からたった50cm浮いているだけ)&クルマ以下の速度で道路上を滑空していたり。
老婆なのに恐ろしく俊敏でイングリッシュをつけ狙ってくる殺し屋クリーナー相手には、全くの別人の後ろ姿をクリーナーと勘違いして襲撃した挙句、頭を押さえつけてトレイでバンバン叩くという失態を二回も繰り返していますし。
「可能を不可能にする男」のキャッチフレーズを裏切らない活躍(?)を次から次に演じてくれます。
一番笑えたのは、英中首脳会議に臨むイギリス首相も交えたMI7の事前ミーティングの場面でしたね。
イギリス首相の顔も知らないで首相の隣の席に座り、「首相はまだ来ないのか?」などとのたまうイングリッシュ。
イングリッシュが座った椅子には、取っ手部分に座高を調整する電動機能が搭載されていたのですが、イングリッシュその取っ手を適当に弄り回した挙句に壊してしまいます。
その結果、イングリッシュの椅子の座高は限界まで下がったり、逆に上がったりを繰り返すことに。
ただ座っているだけのイングリッシュが上がったり下がったりを繰り返しているのに、当のイングリッシュはひたすら無表情で取り繕っていますし、周囲も明らかに奇異な目で見ていながら全くツッコミを入れないしで、単純ながらも滑稽なその構図は大ウケで、スクリーン内でも笑いの小声があちこちから上がっていました。
アレは共演者達も、さぞかし笑いを堪えるのに大変だったことでしょうね。

また、映画終了時に流れるスタッフロールでも、イングリッシュのお笑い劇場は続きます。
そこではイングリッシュが料理をする場面が出てくるのですが、イングリッシュの調理方法がとにかく「雑」のひとこと。
音楽をかけながら素材を切っていくのは良いのですが、切った際に素材がまな板から飛び散っていく上、散らばった素材をキッチンの引き出しの中に隠蔽するイングリッシュ。
最後は無造作に切断しまくった素材をかき集めてレンジにぶち込むところで終わるのですが、何がやりたかったのかすらもロクに分からないところも含めてここでも笑えましたね。
そんなわけで、今作を観賞する際には、スタッフロールが終わるまで席を立たないことをオススメしておきます。

「不起立界のジャンヌ・ダルク」一派が最高裁で事実上の敗訴

国旗国歌を巡る教職員の処分について争った裁判が最高裁で結審しましたね。
しかしこれ、マスコミでは「原告勝利」だの「(処分に当たっては)慎重な判断をするよう最高裁が求めた」「大阪市の橋下行政に影響を与える」だのと言われていますが、実際の判決内容を見る限りでは、とても原告勝訴と言えたものではないでしょう。
何しろ、原告171人のうち、戒告処分を受けた168人の処分取消請求は全部棄却、停職処分を受けた2人のうち1人は「違反歴が多過ぎるから処分は妥当」とする二審判決をそのまま踏襲しているのですから。

判決全文(PDFファイル)
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20120116162214.pdf

http://megalodon.jp/2012-0120-2206-33/www.asahi.com/national/update/0116/TKY201201160303.html
>  卒業式などで日の丸に向かって起立せず、君が代を斉唱しなかった公立学校の教職員などを停職や減給、戒告とした東京都の懲戒処分をめぐる3件の訴訟の上告審判決で、最高裁第一小法廷(金築誠志裁判長)は16日、「戒告は基本的に裁量権の範囲内だが、それより重い減給・停職は過去の処分歴などを慎重に考慮する必要がある」との初めての判断を示した。
>
>  3件の訴訟を起こしていたのは計171人。うち、
戒告処分を受けた168人については処分を取り消した二審判決を破棄して、全員の請求を棄却した。減給処分を受けた1人については、処分を取り消した二審判決を支持した。
>
>  停職処分を受けた残る2人のうち、1人の処分は取り消したが、
もう1人は過去の処分歴を重視し、違法性はないとした一、二審判決の判断を支持した。
>
>  減給・戒告処分を受けた計169人をめぐる2件の訴訟では、昨年3月の東京高裁判決が「教員らの行動は職務怠慢ではなく、信念に基づいた真摯(しんし)な動機によるものだった」などと指摘。「懲戒処分まで科すのは社会観念上重すぎる。懲戒権の乱用だ」と判断していた。
>
>  最も重い停職処分を受けた2人の訴訟では、同月の別の東京高裁判決が「元教諭は過去に同様の処分を繰り返し受けており、社会観念上著しく妥当性を欠いているとはいえない」と判断していた。

最高裁の判決では、停職などの「特に重い処分」を課す際には慎重に行うようにと述べているだけで、国旗国歌絡みで教職員を処分にすること自体はきちんと認めているんですよね。
懲戒処分の中でも軽いとされる戒告処分については、そもそも取消請求を全て却下しているわけですし、重い処分でも違反が累積されれば妥当と裁定しているのですから。
これを一部にせよ「原告達の主張が受け入れられた!」などと評価するのは、戦前の大本営発表と同じ類のシロモノなのではないのかと(苦笑)。

また、この国旗国歌の不起立問題については「“私”を生きる」という題名で映画化もされていて、2012年1月14日から公開されているみたいですね。

http://megalodon.jp/2012-0120-2220-49/www.cinematoday.jp/page/N0038559
>  [シネマトゥデイ映画ニュース] 18日、現代の教育現場に迫ったドキュメンタリー映画『“私”を生きる』の舞台あいさつがオーディトリウム渋谷で行われ、本作にも出演している「君が代」不起立処分取消し訴訟で敗訴した原告の根津公子さんと、土井敏邦監督が登壇し、今後も戦う意向を示した。
>
>  君が代不起立処分取消し訴訟。これは入学式や卒業式で国歌の起立斉唱をしなかったため、東京都教育委員会から懲戒処分を受けた教員たちが都に処分の取り消しを求めたもの。今月16日に最高裁第一小法廷で判決が下され、懲戒処分は裁量権の範囲内、停職・減給については慎重な考慮が必要と判断された。
>
>  この判決を受けて根津さんは「まさかと思いました」と大きく落胆したという。さらに司法権のある目的が反映されていると指摘。「現場を抑える目的があったのではないかと思う。
停職・減給についての最高裁の判断は、処分された人たちの中でも勝利と思う人が多く、現場の怒りを鎮めるためではないか」と分析。
>
>  また、一定の成果もあるとし「何回不起立しても免職にならないということが残せたと思う」と話した。これまでに不起立などで、のべ10回以上の懲戒処分を受け、現在も君が代不起立処分取り消し訴訟を係争中の根津さん。
これまでの活動を振り返り「式典で日の丸を下したのは妨害行為ではなく子どもたちへの教育行為だと思っている」と強調した。
>
>  「裁判に負けたことは新たな出発だなと思いました。これで幕を閉じる。閉じたところで、これをどうもう一回掘り返すのか。わたしたちがこれからやっていかなければないことだと思う」と気持ちを新たにしていた。本作は君が代の斉唱や起立など、教育現場で進んでいるとされる言論と思想の統制をめぐるドキュメンタリー。教育現場のみならず日本そのものが右傾化しているとしてあらがう3人の教育者を追う。(取材・文:中村好伸)

それにしても、公の場で、それも「国旗国歌に敬意を表しない」という一種の職務放棄行為をやらかすことがそんなに偉いことなのでしょうか?
教育現場におけるこの手の不良教師達は、たいていの場合「日本の右傾化や思想統制が教育現場で行われていることに対する警鐘」という大義名分を掲げています。
しかし視点を変えれば、不良教師達は「国旗国歌に敬意を表しない」という行為を自分達の教え子である子供達に見せつけることで自分達の思想を押しつけるという「思想統制」を行っている側面も多大にあるのですが。
「不起立界のジャンヌ・ダルク」などという笑える異名で呼ばれている根津公子なんて、自分達の所業について「子どもたちへの教育行為」などと堂々とのたまっているわけですしね。
子供から見ればどちらも同じ「上からの思想統制」でしかありませんし、社会性に欠けるという点では不良教師達の方が何百倍も有害なのですけどね。

不良教師達の主義主張を見ていると、どうも連中は「言論・思想の自由」という概念を意図的に歪曲解釈しているようにしか思えないんですよね。
個人として国旗国歌について抱く思想と、教育現場における「国旗国歌に対して敬意を払うべき」という職務は、別に矛盾するものでも何でもありません。
どんな思想を持っても構わないが、職務はきちんと遂行しろよ、というのがそれほどまでにおかしな考え方だと言うのでしょうか?
自分にとって不快だから職務を遂行しなくても良い、という考えが通用するのであれば、「教師が不快だから」と教え子達が自分達の授業を受けるのを拒否しても良いことにもなりかねないでしょうに。
また前述のように、子供達に「不起立行為」で教育してやっているんだ、というのであれば、それはまさに連中が主張する「思想統制」そのもので大いに矛盾しています。
国旗国歌に反対してそれで何がやりたいのかについてもまるで見えてきませんし、傍迷惑な不良行為としか評しようがないのですけどね。

ただまあ、国主催の戦没者慰霊祭における席の最前列で、トリューニヒトの演説に起立・拍手することなくただ座り続けていた銀英伝のヤン・ウェンリーが、「不起立界のジャンヌ・ダルク」をはじめとする不良教師達を見たらどんな反応をするのかは少々ながらも興味がありますね(苦笑)。
ヤンの場合はそれでも職務として「起立すること」が求められていたわけではないのですが、連中の行為は完全無欠な職務放棄そのものなのですし。
自分の思想を先取りするものとして絶賛でもするのか、それとも「同族嫌悪」「近親憎悪」の類で激しく憎みあうのか、いずれにしても結構な見物になりそうではあるのですが。
まあ作者にして現実世界の田中芳樹辺りは、件の不良教師達を大いに絶賛しそうではあるのですが。

創竜伝や薬師寺シリーズは「自分で納得のできる作品」なのか?

https://twitter.com/adachi_hiro/status/159063321834815489
<@ogawaissui 田中さんがよく言っている言葉は、「いま書いている作品が遺作になる覚悟」ということ。続けて「作品の評価は他人に任せるしかないけど、自分で納得のできない作品は残したくない」とのことです。>

……いや、言っていること自体は立派だと思うのですけど、じゃあ田中芳樹的には「あの」創竜伝や薬師寺シリーズなどが「自分で納得ができる作品」ということになるのでしょうか?
内容自体が徹底的に破綻しまくっている上に論の一貫性や整合性も全く顧みられていない場当たり的かつ余計な時事評論を作中に挿入しまくり、ストーリーの流れを阻害しまくった挙句、肝心要の物語構成&設定も支離滅裂かつ矛盾だらけと、まるで良いところを見出しようのないアレらの作品群が?
薬師寺シリーズ8巻なんて、執筆当時の安倍内閣&麻生氏憎しで書き綴ったのが祟って、発刊した瞬間から内容的に時代遅れな産物と化してしまっていましたよね?
普通だったら、必死こいて自分自身を説得しようとしても到底納得なんて出来るものではないと思うのですけどねぇ、あんなシロモノでは。

それに、最新刊であるはずの「髑髏城の花嫁」でさえも、過去の作品と比較してこれと言った違いがまるで見当たらないのですけど。
創竜伝にも登場したようなイギリス礼賛論があるかと思えば、薬師寺シリーズにも見られた「オカルトに依存しながらオカルトを全否定する」構図もしっかりブチこまれており、何より主人公の女性キャラクターはあたかも金太郎飴のごとく薬師寺涼子そっくりな性格をしていますし。
「いま書いている作品が遺作になる覚悟」とやらは、すくなくとも作品の品質を上げる方向にはまるで機能していないとしか言いようがないのですが。
ああいうのを自分で書いていておかしいとは思わないのでしょうかねぇ、田中芳樹は。

本当に「いま書いている作品が遺作になる覚悟」で「自分で納得のできない作品は残したくない」というのであれば、すくなくとも創竜伝と薬師寺シリーズを書くのだけは止めた方が確実に良いだろうと思えてならないのですが。
あんなのが「遺作」になるなんて、「晩節を汚す」以外の何物にもなりようがないのですから。

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