「男性は仕事、女性は家庭」は本当に男女差別的で時代錯誤な概念なのか?
「男性は仕事、女性は家庭」と言えば、大多数の人が「時代錯誤な家父長制的家族形態の名残」と見做し、特に男性がそう主張した場合は「差別主義者」と罵られたりするのが昨今の風潮にして「空気」です。
ところが、滋賀県および同県の男女共同参画審議会が行った調査によると、そういう考え方に肯定的な「女性」が年々増加傾向にあるのだそうです↓
http://megalodon.jp/2012-0112-2151-32/www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20120109000030
> 「男性は仕事、女性は家庭」と考える20代女性が増えている背景や要因を突き詰めようと、滋賀県が調査に乗り出した。このほど若者を対象にしたアンケートを実施、仕事も家庭も両立している手本となる人の有無が影響しているかどうかなど、詳しい分析を進めている。
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> 県の調査で、「男性は仕事をし、女性は家庭を守る」という考え方に肯定的な20代女性は2005年に23・1%、06年は29・8%、09年は38・2%と増加傾向にある。国の調査でも同様の傾向がみられ、県の男女共同参画審議会で調査を始めた。
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> アンケートは昨年10月に実施し、県内20代の男女約560人(女性6割、男性4割)から回答を得て、中間報告をまとめた。
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> 「男性は仕事、女性は家庭」との考え方に肯定的だった女性は33・1%。理由として、「子どもの成長にとって良い」が29・1%と最も多く、「役割分担した方が効率が良い」「自分の家庭がそうだったから」と続いた。子どもが小さいときは「保育園などに預けず、母親が面倒を見るべき」とした女性は33・9%だった。
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> また、「男は仕事、女性は家庭」とした女性のうち、仕事と家庭を両立し、社会で活躍するため手本となる人がいると答えた人は27・7%。いないと答えた人は46・2%で、いる人よりも割合が高かった。県男女共同参画課は「手本となる人の有無などが影響していると見ているが、より詳細に評価、分析を進めたい」としている。今年3月ごろに検討結果案をまとめる。
当の女性からこう言われるようでは、男女共同参画とやらいう壮大な社会実験は大失敗だった、としか評しようがないのではないですかねぇ(苦笑)。
実際、女性が会社へ働きに出ても、この不景気では「労働力の過剰供給」にしかならず、労働単価が悪戯に下がるだけでしかないですし、またこの間の記事のように「おめでた」なことがあってさえ、祝福どころか「無計画で妊娠するのは無責任だ! ふざけるな! クビにしろ!」などと人事が迫られるケースもあったりするわけで。
また女性の社会進出が進んだと言っても、その就労実態は、男性並に深夜残業をこなしまくる重労働を避け、パート労働者や事務職などの「比較的軽負担で済む仕事」が大部分を占める、というのが実情だったりします。
その挙句、30歳未満の女性に限定すれば可処分所得が男性を上回るという統計結果まで出てくる始末ですし。
一見すると給与における男女平等が実現した、という美談になりそうな話ですが、実際のところは「不況の影響もあって長年停滞し続けている男性の給与水準に女性のそれが追いついただけ」でしかないのですからね、これは。
そこまで全体的な労働単価が下落した結果、「共働きでなければ一家の生計を立てることができない」という家庭が激増することになってしまい、これが少子化の原因のひとつにまでなっているわけです。
これが男性のみならず女性にとっても、また社会全体にとっても不幸なことでしかないのは疑問の余地がありますまい。
実は「女性の社会進出」を推進することで本当に利益を得ているのは女性ではなく、「安価な労働力の大量供給とそれに伴う単価の削減」が可能となる企業や公的機関だったりするんですよね。
元々「女性の社会進出」というのは、「女性【にも】男性と同じように就業できる【機会】を与えよう」という「機会の平等」を達成するために始まったものでした。
ところが今の「女性の社会進出」は、「女性は男性と同じように就業【しなければならない】」という「空気」に支配され、しかもそれが「女性全体の利益になる」と当の女性をも含めた社会全体が錯覚レベルで信じ込まされているのです。
挙句の果てには、能力を問わず女性を優先的に大学受験や雇用などで優遇しようとする「ポジティブ・アクション」や「クォータ制」と呼ばれる制度の導入まで推進しようとする始末。
「男女平等」というのは、算術的な「男女の数合わせ」で達成される類のシロモノなどではないはずなのですけどね。
「女性の社会進出」や女性の優遇策を推進しようとする企業や公的機関側にしてみれば、そうすることで「女性に優しい企業」と自社のイメージをアップさせることができると共に安価な労働力もゲットできるのですから、そりゃ笑いが止まらないことでしょう。
単なる企業&公的機関の利権や都合でしかないものを、「女性全体の利益」と粉飾することで錦の御旗のごとく崇め奉られている。
そこに「男女平等」についての根深い誤解と不幸が仕込まれているように思えてならないのですが。
生物学的に見ても、男女の間には身体的格差のみならず脳構造の相違による考え方の違いがあり、それを同列に並べて同じように扱うこと自体が非合理的なのです。
男性は男性の、女性は女性の、それぞれの長所と利点を生かし、共に社会を支え合う。
これこそが本当の意味での「男女平等」ではないのでしょうか。
今世間一般で声高に叫ばれている「男女平等」とやらは、以前に論じた映画「スターシップ・トゥルーパーズ」で描写された「男女混同のシャワーシーン」のごとく、男女間の身体的・脳科学的な違いを無視し、かつ「女性を男性並に会社で働かせる」ことで実現されるという、硬直しきった固定観念によって支えられているマガイモノでしかありません。
こんな「非科学的」で「時代錯誤」な考え方こそが、本来あるべき「男女平等」に反するものでしかないはずなのですが……。