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2012年01月20日の記事は以下のとおりです。

「不起立界のジャンヌ・ダルク」一派が最高裁で事実上の敗訴

国旗国歌を巡る教職員の処分について争った裁判が最高裁で結審しましたね。
しかしこれ、マスコミでは「原告勝利」だの「(処分に当たっては)慎重な判断をするよう最高裁が求めた」「大阪市の橋下行政に影響を与える」だのと言われていますが、実際の判決内容を見る限りでは、とても原告勝訴と言えたものではないでしょう。
何しろ、原告171人のうち、戒告処分を受けた168人の処分取消請求は全部棄却、停職処分を受けた2人のうち1人は「違反歴が多過ぎるから処分は妥当」とする二審判決をそのまま踏襲しているのですから。

判決全文(PDFファイル)
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20120116162214.pdf

http://megalodon.jp/2012-0120-2206-33/www.asahi.com/national/update/0116/TKY201201160303.html
>  卒業式などで日の丸に向かって起立せず、君が代を斉唱しなかった公立学校の教職員などを停職や減給、戒告とした東京都の懲戒処分をめぐる3件の訴訟の上告審判決で、最高裁第一小法廷(金築誠志裁判長)は16日、「戒告は基本的に裁量権の範囲内だが、それより重い減給・停職は過去の処分歴などを慎重に考慮する必要がある」との初めての判断を示した。
>
>  3件の訴訟を起こしていたのは計171人。うち、
戒告処分を受けた168人については処分を取り消した二審判決を破棄して、全員の請求を棄却した。減給処分を受けた1人については、処分を取り消した二審判決を支持した。
>
>  停職処分を受けた残る2人のうち、1人の処分は取り消したが、
もう1人は過去の処分歴を重視し、違法性はないとした一、二審判決の判断を支持した。
>
>  減給・戒告処分を受けた計169人をめぐる2件の訴訟では、昨年3月の東京高裁判決が「教員らの行動は職務怠慢ではなく、信念に基づいた真摯(しんし)な動機によるものだった」などと指摘。「懲戒処分まで科すのは社会観念上重すぎる。懲戒権の乱用だ」と判断していた。
>
>  最も重い停職処分を受けた2人の訴訟では、同月の別の東京高裁判決が「元教諭は過去に同様の処分を繰り返し受けており、社会観念上著しく妥当性を欠いているとはいえない」と判断していた。

最高裁の判決では、停職などの「特に重い処分」を課す際には慎重に行うようにと述べているだけで、国旗国歌絡みで教職員を処分にすること自体はきちんと認めているんですよね。
懲戒処分の中でも軽いとされる戒告処分については、そもそも取消請求を全て却下しているわけですし、重い処分でも違反が累積されれば妥当と裁定しているのですから。
これを一部にせよ「原告達の主張が受け入れられた!」などと評価するのは、戦前の大本営発表と同じ類のシロモノなのではないのかと(苦笑)。

また、この国旗国歌の不起立問題については「“私”を生きる」という題名で映画化もされていて、2012年1月14日から公開されているみたいですね。

http://megalodon.jp/2012-0120-2220-49/www.cinematoday.jp/page/N0038559
>  [シネマトゥデイ映画ニュース] 18日、現代の教育現場に迫ったドキュメンタリー映画『“私”を生きる』の舞台あいさつがオーディトリウム渋谷で行われ、本作にも出演している「君が代」不起立処分取消し訴訟で敗訴した原告の根津公子さんと、土井敏邦監督が登壇し、今後も戦う意向を示した。
>
>  君が代不起立処分取消し訴訟。これは入学式や卒業式で国歌の起立斉唱をしなかったため、東京都教育委員会から懲戒処分を受けた教員たちが都に処分の取り消しを求めたもの。今月16日に最高裁第一小法廷で判決が下され、懲戒処分は裁量権の範囲内、停職・減給については慎重な考慮が必要と判断された。
>
>  この判決を受けて根津さんは「まさかと思いました」と大きく落胆したという。さらに司法権のある目的が反映されていると指摘。「現場を抑える目的があったのではないかと思う。
停職・減給についての最高裁の判断は、処分された人たちの中でも勝利と思う人が多く、現場の怒りを鎮めるためではないか」と分析。
>
>  また、一定の成果もあるとし「何回不起立しても免職にならないということが残せたと思う」と話した。これまでに不起立などで、のべ10回以上の懲戒処分を受け、現在も君が代不起立処分取り消し訴訟を係争中の根津さん。
これまでの活動を振り返り「式典で日の丸を下したのは妨害行為ではなく子どもたちへの教育行為だと思っている」と強調した。
>
>  「裁判に負けたことは新たな出発だなと思いました。これで幕を閉じる。閉じたところで、これをどうもう一回掘り返すのか。わたしたちがこれからやっていかなければないことだと思う」と気持ちを新たにしていた。本作は君が代の斉唱や起立など、教育現場で進んでいるとされる言論と思想の統制をめぐるドキュメンタリー。教育現場のみならず日本そのものが右傾化しているとしてあらがう3人の教育者を追う。(取材・文:中村好伸)

それにしても、公の場で、それも「国旗国歌に敬意を表しない」という一種の職務放棄行為をやらかすことがそんなに偉いことなのでしょうか?
教育現場におけるこの手の不良教師達は、たいていの場合「日本の右傾化や思想統制が教育現場で行われていることに対する警鐘」という大義名分を掲げています。
しかし視点を変えれば、不良教師達は「国旗国歌に敬意を表しない」という行為を自分達の教え子である子供達に見せつけることで自分達の思想を押しつけるという「思想統制」を行っている側面も多大にあるのですが。
「不起立界のジャンヌ・ダルク」などという笑える異名で呼ばれている根津公子なんて、自分達の所業について「子どもたちへの教育行為」などと堂々とのたまっているわけですしね。
子供から見ればどちらも同じ「上からの思想統制」でしかありませんし、社会性に欠けるという点では不良教師達の方が何百倍も有害なのですけどね。

不良教師達の主義主張を見ていると、どうも連中は「言論・思想の自由」という概念を意図的に歪曲解釈しているようにしか思えないんですよね。
個人として国旗国歌について抱く思想と、教育現場における「国旗国歌に対して敬意を払うべき」という職務は、別に矛盾するものでも何でもありません。
どんな思想を持っても構わないが、職務はきちんと遂行しろよ、というのがそれほどまでにおかしな考え方だと言うのでしょうか?
自分にとって不快だから職務を遂行しなくても良い、という考えが通用するのであれば、「教師が不快だから」と教え子達が自分達の授業を受けるのを拒否しても良いことにもなりかねないでしょうに。
また前述のように、子供達に「不起立行為」で教育してやっているんだ、というのであれば、それはまさに連中が主張する「思想統制」そのもので大いに矛盾しています。
国旗国歌に反対してそれで何がやりたいのかについてもまるで見えてきませんし、傍迷惑な不良行為としか評しようがないのですけどね。

ただまあ、国主催の戦没者慰霊祭における席の最前列で、トリューニヒトの演説に起立・拍手することなくただ座り続けていた銀英伝のヤン・ウェンリーが、「不起立界のジャンヌ・ダルク」をはじめとする不良教師達を見たらどんな反応をするのかは少々ながらも興味がありますね(苦笑)。
ヤンの場合はそれでも職務として「起立すること」が求められていたわけではないのですが、連中の行為は完全無欠な職務放棄そのものなのですし。
自分の思想を先取りするものとして絶賛でもするのか、それとも「同族嫌悪」「近親憎悪」の類で激しく憎みあうのか、いずれにしても結構な見物になりそうではあるのですが。
まあ作者にして現実世界の田中芳樹辺りは、件の不良教師達を大いに絶賛しそうではあるのですが。

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