何故手書き原稿を「直接手渡し」しなければならないのか?
https://twitter.com/adachi_hiro/status/160131194556653568
<今日は田中さんの原稿受け渡しで、某K談社の編集さんが来社されることになってる。こんな天気で本当に気の毒。田中さんが手書き原稿なのは仕方ないけど、毎回、編集さんに来て貰うことはナイよなあ。FAXだってあるんだし。むぅ。>
え?
講談社の編集の来社目的が「原稿をもらうこと【だけ】」で、かつ講談社側に「原稿は直接手渡しで貰うこと」とかいった類の社内ルールがあるわけでもないのであれば、原稿引渡についてはそれこそ「らいとすたっふ」側の方こそが配慮しても良いはずなのでは?
田中芳樹から原稿を受け取った社長氏なり他の「らいとすたっふ」社員なりが、原稿をスキャナにかけてPDFないしは画像ファイル化してメールするなりFAXするなりすれば、簡単に手間暇を省くこともできるはずでしょうに。
また実際問題、原稿の元本を自分の手元に置いておいたりデータ化したりしておけば、出版社側で原稿を紛失したり著作権絡みで揉めたりした際にも「保険」として機能するのですから、セキュリティの観点から言ってもそうするべきなのではないのかと。
出版社側の原稿引渡事情を調べてみても、「原稿は直接手渡しで作家から貰わなければならない」といった類の絶対的なルールが存在しているわけでもないようですし↓
http://shuppan.sunflare.com/essays/akibayashi_04.htm
> 作家や、いわゆる「もの書き」の人たちとおつきあいをしていると、いろいろな経験をします。この人たちは文章を書くことが仕事であり、また生きがいでもあるのでしょう。
>
> いまは作家から原稿を受けとるといっても、パソコンのメールだったりCDだったり、ファックスで送られてきたりで、手書きの原稿を受けとることはほとんどなくなってしまいました。紛失して社をあげて大騒ぎをする心配はなくなりましたが、私が現役で編集の仕事をしているころは、作家の家を訪ねて、万年筆などで書かれた原稿を受けとるときは、胸がふくらんだものでした。
もちろん、「原稿引渡」はあくまでも「ついで」であって、作家も交えて何らかの打ち合わせをするのが本来の主目的、という場合であれば、編集が来社したり、逆に作家側が出版社に赴かなければならなかったりすることは当然あるでしょう。
携帯電話やメールなどの連絡手段がどれだけ発達しても、「顔を合わせての打ち合わせ」の必要性がなくなることはないばかりか、場合によってはむしろ却って重要性を増したりもするのですから。
しかし社長氏の発言では、出版社の編集は「原稿を受け取ること【だけ】」を目的に「らいとすたっふ」へ来社しているケースが少なくないようなのですけどねぇ(-_-;;)。
あるいは、「らいとすたっふ」側も出版社側も原稿引渡の手間を簡略化したいとは思っているが、作者である田中芳樹自身が「原稿の直接受け渡し」に妙なこだわりを持っていて変革を断固拒否している、という話だったりするのでしょうか?
「イギリス病のすすめ」のあとがきで「自分が小説家であるということに妙なこだわり」を持っていると披露していたり、この情報化社会の時代にパソコンにも携帯にもあまり触れようとせず手書きの原稿執筆に固執したりしている諸々の事例を鑑みる限りでは、いかにもありえそうな話ではあります。
ただそれにしても、そんなことにこだわって何になるのかという問題もありますし、セキュリティの面でも非合理としか評しようのない話ではあるのですが……。
あと、現在執筆中らしい薬師寺シリーズ9巻は、どうやら講談社から出版されるらしいですね。
これまでは出版社の名前が公になっていませんでしたし、薬師寺シリーズは複数の出版社にまたがって刊行されているので、どこの出版社から出るのかについての情報が不明だったのですが。
前回の原稿引渡が去年の年末だったことを考えると、2回目のそれはまたずいぶんと早いですね。
ただ、去年の銀英伝舞台版ニコファーレ会談で田中芳樹は「現在第四章を執筆中」と述べていましたので、ひょっとするとそこまでの原稿が「引き渡しても良い」段階にまで何とか到達した、ということなのかもしれませんが。
もっとも、ただでさえ「遅筆作家」の勇名に恥じない遅れっぷりな上、ストレス解消に半年以上も無駄に費やしていることになるわけなのですから、まだまだペースを上げてもらわないと読者&出版社的には困るところではあるのですけどね。