映画「ヒューゴの不思議な発明(3D版)」感想
映画「ヒューゴの不思議な発明」観に行ってきました。
ブライアン・ セルズニックの小説「ユゴーの不思議な発明」を原作とする、マーティン・スコセッシ監督の冒険ファンタジー作品。
「ヒューゴ」は「ユゴー」の英語読みで、今作の主人公ヒューゴ・カブレのフランス読みでの正式名はユゴー・キャブレなのだとか。
今作は本来、2012年3月1日に日本で封切られるはずの映画で、当初は映画料金1000円のファーストディ(映画の日)でもあるその日を狙って観賞する予定でした。
ところが今回、以前にたまたま気まぐれで応募していた試写会に当選するという幸運に恵まれ、予定よりも早い観賞となったのです。
正直、過去にTV局が主催していた試写会に何度か応募した際には全く音沙汰がなかったこともあり、今回まさか当選するとは思ってもいなかっただけに、全く望外の幸運でした(^^)。
今回は3D日本語吹替版での観賞となりましたが、試写会当選ということで3D料金も当然無料化されており、お得感はさらにひとしお(^^)。
しかも今作の3D版は、昨今の3D映画としては非常に珍しいことに、物語全般を通して立体感のある映像が展開されており、3D料金そのものの問題を除外すれば、ひとまず観ても損はしない程度の出来には仕上がっております。
3D映像の撮影では、2009年公開映画「アバター」と同じ3D-フュージョン・カメラ・システムを採用しているとのことで、それだけに3D映像的には、その「アバター」以来のヒットとすら言えるものなのではないかと。
……まあこんな評価をしなければならないこと自体、「詐欺同然のボッタクリ商売」とすら評しても言い過ぎではない昨今の3D映画の惨状を物語ってはいるのですけどね(-_-;;)。
物語の舞台は、1930年代のフランス。
首都パリのリヨン駅にある時計台でただひとり隠れて暮らしている主人公ヒューゴ・カブレは、駅の各所にある時計のネジを巻きながら、駅で売られている商品を盗むことで生活を成り立たせている少年。
ある日、ヒューゴは駅内にあるおもちゃ屋で、ネジを巻くと走行するネズミ型のオモチャに目をつけます。
店番の老人が眠っているのを確認し、隙を見計らってネズミ型オモチャを奪取……できるはずだったのですが、老人は眠っているフリをしていただけで、ネズミ型オモチャに手を伸ばしたヒューゴの腕をあっさり掴んでしまいます。
盗みの現行犯を捕らえた老人は、ここぞとばかりに他に余罪がないかを確認すべく、ヒューゴの所持品検査を始めます。
「鉄道公安官を呼ぶぞ」と脅しつつ、ヒューゴのポケットから次々に所持品を出させて確認していく老人でしたが、ヒューゴが所持していた手帳の中身を確認したところで顔色が変わります。
ヒューゴはヒューゴで、他の物品には大した関心も持たなかったのに、その手帳だけは執拗に「返してくれ」と老人に迫ります。
ところが老人は、「この手帳はもう私の物だから私がどうしようと勝手だ、家に帰って燃やす」とヒューゴを追い払い、そのまま自宅への帰途についてしまいます。
手帳を諦められないヒューゴは老人を自宅まで追跡し、老人の同行を監視するのですが、そこでヒューゴは老人の関係者とおぼしきひとりの少女と出会います。
老人のことを「パパ・ジョルジュ」と呼ぶその少女は、手帳に執着するヒューゴを見て「パパ・ジョルジュと正面から粘り強く交渉すれば手帳は返してくれるはず」と忠告し、その場は「手帳は燃やされないように私が見張っておくから」とヒューゴを退散させるのでした。
ヒューゴがパパ・ジョルジュに奪われた手帳に固執するのには理由がありました。
件の手帳は、かつて時計店を営んでいたヒューゴの亡き父親が、とある博物館から手に入れた機械人形と共にヒューゴに残した形見だったのです。
ヒューゴの父親は、仕事をしていた博物館で火事に巻き込まれ帰らぬ人となり、その後ヒューゴは、親戚に当たるクロードおじさんに、自分に代わってリヨン駅の時計を管理するよう命じられ、現在に至るのでした。
そのクロードおじさんも今では行方知れずとなり、今や身よりもなく天涯孤独の身となってしまったヒューゴ。
そんなヒューゴにとって、父親が残してくれた機械人形と手帳は、父親の形見であると同時に心の拠りどころでもあるのでした。
手帳には、ヒューゴの父親が残した機械人形のことについて記されており、それがなくては機械人形の修理や起動に支障をきたしてしまうのです。
とはいっても起動については、手帳とは別にハート型の鍵が必要であることが既に判明していたりするのですが。
ともあれ翌日、ヒューゴは再びパパ・ジョルジュの店に姿を現し、手帳を返すよう再度頼み込むことになります。
ところがそれに対してパパ・ジョルジュがヒューゴに提示したのは、ハンカチに包まれた一握りの灰でした。
手帳が燃やされたと考えたヒューゴは、絶望のあまりその場から走り出してしまいます。
しかし、曲がり角を曲がろうとしたところでヒューゴは、昨日出会った少女と再び遭遇することになります。
少女は手帳が燃やされていないことをヒューゴに告げると、彼を図書館へと連れて行きます。
以後、ヒューゴはパパ・ジョルジュの養女でイザベルと名乗るその少女と共に、機械人形の謎と、手帳の奪取に奔走することとなるのですが……。
映画「ヒューゴの不思議な発明」は、内容的には「大人よりも子供向けに製作された作品」というイメージが強いですね。
主人公が10代前半の少年少女ということもさることながら、ストーリー的にも残虐描写などが一切なく、常に子供視点で描かれ、かつ童話的な雰囲気に溢れた世界観が披露されていましたし。
作品そのものの方向性としては、去年観賞した映画「SUPER 8/スーパーエイト」をさらに低年齢向けにした感じ、といったところでしょうか。
もっとも、作中の設定や謎には特にSF的・オカルト的な要素が存在するわけではなく、作中で展開されるアクション的かつ派手な描写も、鉄道公安官とヒューゴの追いかけっこと、就寝しているヒューゴの脳裏で展開されている悪夢くらいなものなのですが。
親子連れなどで観賞するには最適の作品と言えるかもしれませんが、正直「大人だけで観に行く」という主旨にはあまり向いていない映画なのではないかと。
物語の序盤でヒューゴから手帳を奪い対立した「パパ・ジョルジュ」と呼ばれている老人には実は別に本名があったりします。
ヒューゴの父親が残した機械人形とイザベルの証言から分かるのですが、老人の本名はジョルジュ・メリエス。
実はこのジョルジュ・メリエスというのは架空の存在ではなく、かつて本当に実在していた人物で、映画の創世記に「世界最初の職業映画監督」として活躍した人物だったりするんですよね。
機械人形が作中で描いていた「月の右目に弾丸が直撃している絵」も、ジョルジュ・メリエスが製作した映画の代表作「月世界旅行」の有名な描写だったりしますし。
作中では、これらの事実からジョルジュ・メリエスの「挫折した過去の記憶」が披露され、そこから立ち直る過程が描かれることになります。
ただ、今作が予告編などで紹介されていた際、「世界を修理する」といった類の宣伝文句を何度も聞かされていたこともあって、「その謎の真相がこれなの?」と少々肩透かしを食らった気分にはさせられました。
あの宣伝内容を聞く限りでは、件の機械人形には文字通りの世界の趨勢に何らかの影響を与えるかのような巨大な秘密が隠されており、最終的にはとてつもなくスケールの大きな物語にまで発展していくのではないか、と期待させるものがありましたからねぇ(-_-;;)。
確かに、ジョルジュ・メリエスやヒューゴ、および彼ら2人の周囲の人間にとっては極めて重要な「世界」であり、かつ自分達の心の傷を「修復」していくものではあったのでしょうが、同時に映画を観賞している観客的には「だから何?」としか言いようのない「世界」でもあったりしてしまうわけで。
過去のショックや心の傷から立ち直っていく、という主旨ならば、この間観賞した映画「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」の方が、演出も構成もはるかに上手く共感もしやすかったですし。
正直、映画の宣伝があまりにも明後日の方向を向いた誇大広告に過ぎたのではないかとすら、ついつい考えざるをえなかったところです。
冒頭でも述べたように、3D映像は近来稀に見る秀逸な出来ですし、ストーリーも余計な先入観を抜きにして観賞するならば普通に見れるものではあるでしょう。
ただ、「映像が綺麗で良く出来ている」ことと「映画が面白い」というのは本質的に全く別のカテゴリーに属する話なのだなぁ、とは、この映画を観るとつくづく痛感せざるをえなかったところですね(T_T)。