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2012年03月の記事は以下のとおりです。

銀英伝2次創作「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察2

「心の内に飼っている獣」の命じるがまま衝動的に動くが故に、一般的な「忍耐」「我慢」という概念とは全く無縁な存在であるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン。
よほどに自己顕示欲が旺盛なのか、ヴァレンシュタインという人物は、目立ってはいけない局面ですら無為無用に目立った言動を披露し周囲からの注目を集め、結果的に自分を危険な方向へと追い詰めてしまう傾向が多々あるんですよね。
「亡命編」の4話~8話辺りまでのストーリーは、そんなヴァレンシュタインの性癖が致命的な形で裏目に出ている回であると言えるのですが、今回はそれについて検証をしてみたいと思います。
なお、「亡命編」のストーリーおよび過去の考察については以下のリンク先を参照↓

亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
http://ncode.syosetu.com/n5722ba/
銀英伝2次創作「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-570.html(その1)

「帝国への逆亡命計画」などという同盟への裏切り行為をありえないほど楽観的に画策していたヴァレンシュタインは、しかしその妄想に反して3話の終わりにアルレスハイム星域へと向かう第四艦隊での前線勤務を命じられることになります。
自身の妄想を妨害されたと早合点した挙句に被害妄想じみた怒りに囚われたヴァレンシュタインは、自分に前線勤務することを画策した者達に報復することを考えつきます。
そして、原作知識を利用した助言を行い、自分を監視しているミハマ・サアヤに報告書を書かせることで、ヴァレンシュタインは見事に報復を行うことに成功するのですが……。

一見するとヴァレンシュタインの有能性を示すかに思えるこのエピソードは、しかし実際には、ヴァレンシュタインの無思慮さとヒステリックな性格を露にしているだけでしかないんですよね。
そもそもヴァレンシュタインは、原作知識に基づいてラインハルトに協力すべく「帝国への逆亡命計画」を画策している身であったはずです。
そのために軍に入って職を得た、という選択自体が前回の考察でも述べているように既に間違っているのですが、それにあえて目を瞑るとしても、帝国へ逆亡命するためには必須とも言える絶対条件がひとつ存在します。
それは「自分が同盟内で目立つ存在になってはいけない」
ただでさえヴァレンシュタインは、亡命してきた経緯から「スパイ疑惑」をかけられ監視されている上、「帝国への逆亡命計画」という他者にバレるとマズい秘密を抱え込んでいるわけです。
であれば、その監視の目に対して「自分は無害な存在である」とアピールし続け、仕事についても無難かつ平穏にこなして「こいつは安全だ」と騙し込ませつつ、「決行の日」に向けて密かに準備を進める、という手法を取る必要がヴァレンシュタインには確実にあったはずでしょう。
もし何らかの形で自分が目立ってしまうと、ますます疑いの目で見られて監視の目が強くなったり、逆に「有能」と見做されて注目を浴びたりこき使われたりすることで、「帝国への逆亡命計画」が非常に難しくなる危険性があるのです。
実際、アルレスハイム星域の会戦後も、監視役であるミハマ・サアヤに対して「ヴァレンシュタインを引き続き監視し、どんな小さなことでも報告するように」との命令が、上司たるバグダッシュから伝達されています。
同盟軍に深く関わるようになればなるほど、同盟は「帝国への逆亡命」などを許しはしないでしょうし、一挙手一投足が注目されるような状況下でそんなことが可能なわけもないのです。
にもかかわらずヴァレンシュタインは、目先の報復感情を満足させるためだけに他者からの注目を浴びるような言動を披露することで、結果的には「帝国への逆亡命計画」を自分から破綻させる方向へと舵を切ってしまったわけです。
一般常識で考えるだけでも簡単に理解できる程度のことすら勘案できないほどに、ヴァレンシュタインは考えなしのバカだったのでしょうか?

さて、アルレスハイムでの1件で自業自得的に一際目立つ存在となってしまったヴァレンシュタインは、ほとぼりを冷ますことも兼ねてフェザーンへ行くことを命じられます。
そして、ここでも大人しくしていれば良いものを、またしてもヴァレンシュタインは考えなしの行動に走ってしまうんですよね。
これみよがしに同盟の高等弁務官事務所に届けられた、帝国の高等弁務官府で行われるパーティの招待状に応じ、パーティ現場へノコノコと足を運んでしまうのです。
そして、ここでヴァレンシュタインは旧友であるナイトハルト・ミュラーとの邂逅を果たし、ミハマ・サアヤを介して情報交換をしてしまうんですね(7話)。
自身がスパイ疑惑で未だに監視されている身であり、かつミハマ・サアヤ自身が自分の監視役であることを、他ならぬヴァレンシュタイン自身も充分過ぎるほど承知だったはずでしょうに、どうしてこんな短慮かつ危険な行為に及んだのか理解不能と言わざるをえません。
一般常識はもちろんのこと、スパイアクション映画の類な付け焼刃な知識だけで考えても、自身に危険が及ぶことが余裕で理解できるシチュエーションでしかないのですが(苦笑)。
実際、一連の行為はミハマ・サアヤに仕込まれていた盗聴器の存在(13話で判明)によって軍上層部の耳に入り、それがヴァンフリート4=2への前線勤務命令へと繋がることになるのですし(8話と10話)。
ヴァレンシュタインから原作知識がなくなると、ここまで近視眼かつ判断力皆無な人間にまで成り下がるという好例ですね。

ヴァレンシュタインが密かに考えている「帝国への逆亡命計画」からすればあまりにも「考えなし」の言動丸出しなヴァレンシュタインですが、しかし彼の立場でこういった危険性を予測することはできなかったのでしょうか?
実は一般常識やスパイアクション映画の知識などがヴァレンシュタインに全くなかったとしても、ヴァレンシュタインの立場であればこのことを充分に予測できる材料があるはずなんですよね。
それはもちろん、原作知識。
何しろ原作には、銀英伝1巻でイゼルローン奪取後に辞表を提出したヤンを、発足間もない第13艦隊をネタにシトレが却下するという作中事実が立派に存在するのですからね。
当然、この「シトレの法則」はヴァレンシュタインについても全く同じように適用されるわけで、軍内で有能さを示せば示すほど、その有能さを見込んだシトレがヴァレンシュタインを引き止めようとすることなんて、原作知識があるヴァレンシュタインにとって簡単に予測できるものでしかなかったわけですよ。
ヴァレンシュタインが本当に「帝国への逆亡命」をしたかったのであれば、むしろ逆に「自分は全く使えない人間である」という演出でもすべきだったのです。
にもかかわらず、わざわざ同盟軍に入ってしまった上に自分の有能さをアピールしてしまい、自分で自分の首を絞めているヴァレンシュタイン。
自分が何をしているのかすらも理解できず、周囲に誤解を振りまきまくって勝手にどんどん追い込まれている惨状が、私には何とも滑稽極まりないシロモノに見えてならなかったのですけどねぇ(笑)。

かくのごとく、そもそものスタートからして致命的に間違っているものだから、その後ヴァレンシュタインがシトレ一派を憎む描写があっても「それはただの八つ当たり」「お前の自業自得だろ」という感想しか抱きようがないんですよね。
しかもヴァレンシュタインは、自分が帝国に帰れなくなった最大の原因が「他ならぬ自分自身にある」という事実すら直視せず、ひたすら他人のせいにばかりして自分の言動を顧みることすらしないときているのですから、ますます同情も共感もできなくなってしまうわけです。
「本編」でヴァレンシュタインが批判していたヤンやラインハルトでさえ、自分達の言動を顧みる自責や自省の概念くらい「すくなくとも原作では」普通に持ち合わせていたはずなのですけどねぇ(苦笑)。
何でもかんでも全て他人のせいにして生きていけるヴァレンシュタインは、ある意味凄く幸せな人間であると心から思いますよ、本当に。

何故序盤におけるヴァレンシュタインが、こうまで先の見えない近視眼的な人物として描かれているのか?
身も蓋もないことを言えば「そうしないと作者がストーリーを先に進めることができないから」という事情に尽きるのでしょう。
しかしその結果、ヴァレンシュタインは「考えなしのバカ」というレッテルが貼られることになってしまった上、そのレッテルには「あれだけの原作知識がありながら…」というオマケまで付加される羽目となったわけです。
せめて、何らかのトラブルに巻き込まれて「有能さを発揮しないと自分が死んでしまう」という状況下で「やりたくもないけど才覚を発揮【せざるをえなかった】」という形にすれば、まだヴァレンシュタインの「考えなしな言動」も何とか取り繕えないこともなかったのですけどねぇ。
「能ある鷹は爪を隠す」という格言がありますが、その観点から言えば、全く必要性のない無意味なところで有能さを発揮し、そのくせ肝心なところで最も重要なことを隠蔽してしまうヴァレンシュタインは、到底「能ある鷹」とは言い難く、せっかくの強力な武器であるはずの原作知識すらもロクに使いこなせていない低能であるとしか評しようがありません。

さて次回は、そのヴァレンシュタインの醜悪極まりない本性がこれ以上ないくらい最悪な形で露呈しているヴァンフリート星域会戦について述べてみたいと思います。

銀英伝2次創作「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察1

「銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)」(以下「本編」)の作者が、同じキャラクターを主人公とした更なるIF話として新規に書き綴っている「亡命編」。
銀英伝世界に転生した日本人の佐伯隆二(25歳)ことエーリッヒ・ヴァレンシュタインが、諸々の事情で帝国から同盟に亡命し、銀英伝の原作知識を駆使して大活躍を演じるという転生物2次創作小説です。
小説一覧はこちら↓

亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
http://ncode.syosetu.com/n5722ba/

「本編」でも桁外れなまでの人格破綻と対人コミュニケーション能力の致命的欠如ぶりをこれでもかと言わんばかりに誇示しまくり、設定改竄&御都合主義という「神のお導き」による超展開によって何度も救われていたヴァレンシュタインの惨状は、「亡命編」ではさらに磨きがかかっていて、もはや一種のネタキャラと化している感すらあります。
2012年3月19日現在でアップされている42話時点では、「本編」でしばしば見られていた「原作に対する考察」も皆無なため、正直ヴァレンシュタインの「狂人」「キチガイ」としか評しようのない性格設定やトンデモ言動ばかりが鼻に付くシロモノと化している始末なのですが、個人的にはその支離滅裂な言動にツッコミを入れまくるという、恐らくは作者が全く意図していないであろう形で楽しませて頂いております(苦笑)。
今回は、その作中におけるヴァレンシュタインの問題点について少し。

「亡命編」は、「本編」の第9話から分岐したストーリーとなっており、第五次イゼルローン要塞攻防戦の最中、門閥貴族の一派に生命を狙われたヴァレンシュタインが、庇護を求めて同盟へと亡命することからスタートします。
「本編」でも如何なく発揮されていたヴァレンシュタインの得手勝手ぶりは、2話の時点で早くも顕現します。
ヴァレンシュタインの亡命を受けて、同盟側は「帝国があえて送り込んできたスパイの可能性」を勘案して様々な取調べを行ったり、軍人としての能力を試すために軍事シミュレーションをヴァレンシュタインに課したりしているのですが、それに対するヴァレンシュタインの感想がイキナリ振るっています。

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/2/
> ようやく情報部から解放された。これで俺も自由惑星同盟軍、補給担当部第一局第一課員エーリッヒ・ヴァレンシュタイン中尉だ。いやあ長かった、本当に長かった。宇宙では総旗艦ヘクトルで、ハイネセンでは情報部で約一ヵ月半の間ずっと取調べだ。
>
> 連中、俺が兵站専攻だというのがどうしても信じられないらしい。士官学校を五番で卒業する能力を持ちながらどうして兵站なんだと何度も聞きやがる。前線に出たくないからとは言えんよな、身体が弱いからだといったがどうにも信じない。
>
> 両親の事や例の二十万帝国マルクの事を聞いてきたがこいつもなかなか納得してくれない。俺がリメス男爵の孫だなんて言わなくて良かった。誰も信じないし返って胡散臭く思われるだけだ。
>
> おまけにシミュレーションだなんて、
俺はシミュレーションが嫌いなんだ。なんだって人が嫌がることをさせようとする。おまけに相手がワイドボーンにフォーク? 嫌がらせか? 冗談じゃない、あんまり勝敗には拘らないヤンを御願いしたよ。
>
> どうせ負けるのは分かっているからな、最初から撤退戦だ。向こうも気付いたみたいだ、途中で打ち切ってきた。いや助かったよ、あんな撤退戦だなんて辛気臭いシミュレーションは何時までもやりたくない。
>
> しかし、なんだってあんなに俺を睨むのかね。やる気が無いのを怒ったのか? あんただって非常勤参謀と言われているんだからそんなに怒ることは無いだろう。
俺はあんたのファンなんだからもう少し大事にしてくれ。今の時点であんたのファンは俺、アッテンボロー、フレデリカ、そんなもんだ。ユリアンはまだ引き取っていないんだからな。

この一連のモノローグを見てまず愕然とせざるをえなかったのは、自身の亡命を受け入れてくれた同盟に対する感謝の念が全くないことです。
ヴァレンシュタインはあくまでも個人的な都合で同盟に亡命してきただけであり、それを無条件に受け入れなければならない義務など同盟側には全くありません。
もちろん、同盟は昔から帝国からの亡命者を受け入れてきた国是があるのですから最終的に拒否されることはなかったかもしれませんが、それでも自分を受け入れてくれたことに対する感謝の念は当然あって然るべきではあるでしょう。
ヴァレンシュタインが同盟に亡命してきた経緯を考えれば、最悪、ヴァレンシュタインの身柄を帝国との取引材料として利用する、という手段を選択肢のひとつとして検討することも同盟としては充分に可能だったわけなのですから。
そして一方、同盟側がスパイの可能性を懸念してヴァレンシュタインを取り調べるのもこれまた当然のことなのに、それに対して理解を示そうとすらもしない始末。
挙句の果てには、ヴァレンシュタイン個人のことなど知りようもない相手に対して「俺のことを知っていて当然だ」と言わんばかりの不平不満を並べ立てるありさまです。
ここからはっきり読み取れるのは、ヴァレンシュタインが極めて自己中心的な性格をしている上、自分が置かれている立場を自覚&自己客観視することすら満足にできていないという事実です。
この性格設定は、銀英伝原作における門閥貴族達のあり方やアンドリュー・フォークの小児転換性ヒステリーと五十歩百歩なシロモノでしかないではありませんか。
ヴァレンシュタインと彼らの違いは、ヴァレンシュタインに原作知識があるという、ただそれだけなのです。
自分の利害が絡んだり、自分の気に食わないことがあったりすると、周囲の事情も鑑みず暴走しまくるところなんて、他ならぬヴァレンシュタイン自身が罵りまくっているフォーク辺りと全く同じ症状を発症している以外の何物でもないのですし。
あの2人を見ていると「同族嫌悪」や「近親憎悪」という言葉を想起せずにはいられないですね(苦笑)。
それを「亡命編」や「本編」では「心の内に獣を飼っている」などという装飾過剰もはなはだしい美辞麗句を並べ立てて絶賛しているわけですが、普通に考えるならば「狂人」「キチガイ」以外の評価しか与えようがないでしょうに。

ヴァレンシュタインの自己中心主義と同盟をないがしろにする態度は、3話における次のようなモノローグにもよく表れています。

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/3/
> 第四艦隊? パストーレ中将かよ、あの無能の代名詞の。しかもアルレスハイム? バグダッシュの野郎、何考えたんだか想像がつくが全く碌でもないことをしてくれる。俺は前線になんか出たくないんだ。
>
> 後方勤務で適当に仕事をしながら弁護士資格を取る。大体三年だな、三年で弁護士になる。その後は軍を辞め弁護士稼業を始める。そして
帝国がラインハルトの手で改革を行ない始めたらフェザーン経由で帝国に戻ろう。そして改革の手伝いをする。それが俺の青写真なんだ。

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/3/
> 変更の余地無しか……随分と手際がいいじゃないか。覚えてろよ、この野郎。バグダッシュ、お前もだ。俺はやられた事は数倍にして返さないと気がすまないんだ。俺を第四艦隊に放り込んだ事を後悔させてやる。

原作知識から「近い将来に同盟が滅ぶ」という未来を知っているヴァレンシュタインにしてみれば「どうせ滅ぶ予定の同盟がどうなろうが知ったことか」といったところなのでしょう。
しかしその同盟は、ヴァレンシュタインの個人的都合に基づくものでしかない亡命を受け入れ、軍内に職まで用意してくれたわけです。
原作で幼少時のシェーンコップが同盟に亡命してきた際の経緯などを見ても、亡命者に対する偏見や差別が同盟内に存在することは明らかであり、そんな環境下で亡命早々に職を確保できるヴァレンシュタインが相当なまでに恵まれた境遇にあったことは確実です。
ところがそのヴァレンシュタインは、自身の境遇に感謝することすらもせず、それどころか将来的には帝国に戻るとまで公言する始末。
亡命を受け入れた同盟側にしてみれば、ヴァレンシュタインの計画は自分達に対する裏切り行為も同然ですし、そもそも逆亡命の際に同盟の重要な機密の類まで持ち去られてしまう危険性だってありえます。
「恩を仇で返す」とはまさにこのことですし、ヴァレンシュタインの計画は同盟としては到底許せるものではないでしょう。
また、帝国から同盟への亡命は数多けれど、その逆が極めて微少でしかないことは、それこそ原作知識から容易に理解できることでしかないはずです。
同盟の体面から考えても、機密保持の観点から言っても、同盟はヴァレンシュタインの逆亡命計画を何が何でも阻止せざるをえないわけで、その実現可能性は極めて困難なシロモノであると言わざるをえないのですが。
まさか、原作にも全くない逆亡命計画を原作知識とやらで乗り越えられる、などとはいくらヴァレンシュタインでも考えてはいますまい?

もしそれでもヴァレンシュタインがあくまで逆亡命にこだわるのであれば、彼はそもそも同盟軍内で職を得るべきではありませんでした。
軍に入った時点で機密を外に漏洩しないことを誓約させられるのですし、それに反する動きをしようとするだけでも罰せられるのですから。
本当に逆亡命がしたかったのであれば、同盟にある程度の情報を提供した後に軍に入らず一般人として活動するか、あるいはフェザーンへの亡命斡旋でも頼むべきだったのです。
しかもそれでさえ、同盟の当局から監視の目が向けられることはまず避けられなかったでしょう。
同盟に限らず、国家の安全保障や防諜というのはそうやって保たれているものなのですから。
こんなことは原作知識とやらを持たなくても普通に理解できそうな一般常識でしかないはずなのですが、同盟の実情と未来を熟知しているであろうヴァレンシュタインがそんな簡単なことすらも理解できていないとは、その頭の中身は相当なまでの濃密な香りが漂うお花畑が広がっているとしか評しようがありませんね。
あんなバカげた逆亡命計画が成功するなどと、まさか本気で考えてでもいたのでしょうか、ヴァレンシュタインは。
挙句、「俺は前線になんか出たくないんだ」「俺はやられた事は数倍にして返さないと気がすまないんだ」などと軍上層部に怒りを抱くのに至っては、もはや理屈もへったくれもない単なる逆恨みの類でしかありません。
この後、ヴァレンシュタインは同盟軍から抜けるに抜けられない状況に陥るわけですが、そうなった最大の元凶はヴァレンシュタインの自己中心的な思考と感情的な言動、そして何よりも原作知識さえをも黙殺した見通しの甘さによる自業自得以外の何物でもないのです。
その辺りのことを、ヴァレンシュタインはきちんと理解できているのでしょうかねぇ(-_-;;)。

「亡命編」におけるヴァレンシュタインの珍道中はまだまだ始まったばかり。
この後も延々と続くことになるヴァレンシュタインのトンデモ言動とその他作中キャラクターの「現実を一切直視しない装飾過剰な美辞麗句の数々」は、読者である我々に多種多様なツッコミの楽しみを提供してくれています。
その点でエーリッヒ・ヴァレンシュタインという人物は、高度に熟成された天然サンドバッグお笑い芸人であるとすら言えましょう(爆)。
この面白キャラクターの軌跡を、当ブログでは今後も追跡していきたいと思います。

映画「ジュラシック・パーク」が3D映像リメイク公開決定

スティーブン・スピルバーグ監督製作の1993年公開映画「ジュラシック・パーク」が、3D映画として2013年7月にアメリカでリメイク公開されるとのことです。
何でも2013年は「ジュラシック・パーク」誕生20周年とのことで、それに合わせてのことだそうですが……↓

http://www.cinematoday.jp/page/N0040369
>  [シネマトゥデイ映画ニュース] スティーヴン・スピルバーグ監督による大ヒット映画『ジュラシック・パーク』の3D版が2013年7月19日に全米公開されると米パラマウント ピクチャーズが発表した。1993年に公開された同作は、来年2013年が20周年の節目であり、それに併せての3D版公開となる。
>
>  『ジュラシック・パーク』は、バイオ・テクノロジーで現代によみがえったという設定の下、恐竜を当時最先端のVFX技術で描いたことが話題になったパニック・ムービー。2012年現在、スピルバーグ監督作としてはトップの世界興行収入を記録している大ヒット作で、シリーズ化もされた。2001年公開の『ジュラシック・パーク III』以来となるシリーズ第4作の製作も決定している。
>
>  
映画『アバター』のヒットは、その後多くの3D作品が製作されるきっかけとなっただけでなく、旧作の3D化も推し進めた。アニメーション映画『タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密』が自身初の3D監督作となったスピルバーグだが、いまだ3D実写映画の監督作はない。そのため、『ジュラシック・パーク』が初の3D実写監督作になる可能性もある。(編集部・福田麗)

「ジュラシック・パーク」は、今更言うまでもなく2Dで製作された映画であり、2013年公開の映画も当然のごとく3D加工処理を施した作品となります。
しかし正直、レンタルDVDでも観賞できる公開済みの旧作映画に、レンタルよりも高い映画料金+3D料金を支払ってまで【映画館で】観賞する価値など、ほとんどないと言わざるをえないでしょう。
現在公開中の「スターウォーズ」シリーズや、2012年4月公開予定の映画「タイタニック」の3D版もそうなのですが、既に公開済みの旧作映画を3D編集加工して再公開する必要が一体どこにあるというのでしょうか?
2D映画の後付3D映像が、元から3Dを意図して製作された映画のそれに劣ることは、これまで多数の事例によって証明済みのはずなのですが。
品質劣化な3D映像を押し売り&ボッタクリ商売ばかりしているようにしか見えない今の3D映画は、このまま行けば衰退必至なのではないかと思えてならないのですが。

地方の場合、この手の旧作映画がスクリーン枠を取ってしまうことで、本来上映されるべき映画がその分観られなくなってしまう、という問題も実はあったりします。
ただでさえ、都会と地方の映画格差はかなり大きなものがあるのに、さらにその格差を、しかもレンタルDVDでも充分に間に合うような映画でもって広げることに意義があるとは到底思えません。
この手の旧作3D上映は、スクリーン数に余裕がある都会限定にして欲しいですね。
ただでさえ上映映画本数が都会と比べて著しく少ない地方で、旧作3D映画の横行は死活問題にもなりかねないのですから。
映画制作者のネタ切れと利権が絡んでいるとしか思えないこの傍迷惑な3Dブーム、一体いつまで続くことになるのでしょうかねぇ……(T_T)。

映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」感想

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映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」観に行ってきました。
イギリス初の女性首相であるマーガレット・サッチャーの豪腕政治と知られざる素顔にスポットを当てた、メリル・ストリープ主演の人間ドラマ作品。

2008年に長女のキャロル・サッチャーにより認知症を患っている事実が公表された、イギリス元首相マーガレット・サッチャー女史。
今作では、自身を認知症だと自覚できず、介護の目をくぐり抜けて買い物に出かけたり、今は亡き夫デニス・サッチャーの幻影と会話したりして、周囲からは「厄介な患者」として扱われている、メリル・ストリープ演じるマーガレット・サッチャーが過去を回想するというパターンでストーリーが進行していきます。
一番古い回想は、第二次世界大戦当時におけるドイツ軍の空襲に備えるべく、地下倉庫?に一家で隠れているシーン。
マーガレット・サッチャーの旧姓はロバーツといい、彼女の生家であるロバーツ家はイギリスのリンカンシャー州グランサムで食料雑貨店を営んでいる家でした。
そして、マーガレットの父親アルフレッド・ロバーツは市長を務めた経験もある地元の名士。
アルフレッド・ロバーツは、ドイツの空襲下においてさえ庶民のために店を開こうとするような人物であり、マーガレットは父親を尊敬していました。
さて、そんなマーガレット・ロバーツは1950年の25歳の時、保守党から下院議員選挙に立候補するのですが、あえなく落選。
選挙結果は初めての、それも女性としての立候補としてはかなりの票数を獲得していたようだったのですが、それでも選挙の敗北はマーガレット・ロバーツにとってショックだったらしく、彼女は悲嘆にくれてしまいます。
そこで彼女を励まし、ことのついでにプロポーズまでしたのは、実業家のデニス・サッチャー。
マーガレット・ロバーツは、デニス・サッチャーに対し「私は家で皿洗いをするだけの一生は送りたくない、家庭を顧みないこともあるかもしれないが、それでも良いのか?」と迫りますが、デニス・サッチャーは「そんな君も含めて好きなんだ」と返答。
かくして二人は翌年に結婚、ここに今の我々が知る「マーガレット・サッチャー」が誕生することになったのです。

その後、マーガレットとデニスの間にはマークとキャロルという2人の男女の双子が生まれ、砂浜?で一家総出で戯れている光景が映し出されます。
作中では、「家族としての幸せはこの頃が一番の絶頂期」的な描かれ方をしています。
しかし、1958年にマーガレット・サッチャーが下院議員に初当選を果たし、政界に進出するようになると、マーガレット・サッチャーは政治に没頭するように、次第に家族を顧みないようになってしまいます。
未だ年端も行かない2人の子供が母親に「行かないで」と懇願する様は、見ていて痛々しいものがありましたね。
一方政界におけるマーガレット・サッチャーは、女性であるが故に風当たりが強く、自分を認めさせるために悪戦苦闘を強いられる日々が続くことになります。
彼女は自身の主張である「自助努力・自己責任」のスローガンの下、労働運動に明け暮れる労働組合を無力化し、効率的な企業運営ができるようにしたいと考えていました。
そんなマーガレット・サッチャーに転機が訪れたのは1970年代のこと。
あまりにも不甲斐なく弱腰な保守党に憤慨した彼女は、党首選に立候補することを考えついたのです。
この時マーガレット・サッチャーが意図していたのは、自身が党首選に立候補することによって安穏としている保守党に揺さぶりをかけることで党全体の活性化を図る、というもので、党首選で自分が当選するとは全く考えていませんでした。
しかし、周囲の政治家達は様々な思惑から、マーガレット・サッチャーを党首選に当選させるべく画策します。
最初は党首選に出るだけのつもりだったマーガレット・サッチャーも、周囲に説得され、次第に党首選に勝利する意気込みを見せ始めます。
発声練習やルックスなどについて指導を受け、党首選に当選、そしてついに1979年に女性初のイギリス首相となるマーガレット・サッチャー。
しかし、マーガレット・サッチャーが進む先には、既得権益にしがみつくイギリス国民と、フォークランド諸島を奪取せんとするアルゼンチンが立ちはだかるのでした……。

映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」は、物語構成にかなり大きな問題があると言わざるをえないですね。
今作の物語構成は、認知症を患っている近年のマーガレット・サッチャーが過去を回想するというスタイルで描かれているのですが、回想主である近年のマーガレット・サッチャーにかなりの時間が割かれているのです。
既に死んでいるらしい夫のデニスが、マーガレットにのみ見える幻影として何度も登場し、彼女に何度も話しかけたり、マーガレットが幻影を振り払おうとしたりする描写がとにかく頻出します。
作品全体における比率で見ても、認知症絡みの描写が5割近くを占めていたのではないでしょうか。
「認知症患者の幻覚症状の実態について描く」というのがこの作品の本当のテーマだったのではないかとすら考えてしまったくらいに認知症絡みの描写が頻出するのが、個人的には正直ウザくて仕方がありませんでした。
あんなシロモノを描きたかったのであれば、マーガレット・サッチャーを主題にもって来るべき理由自体が全くないではありませんか。
「認知症患者の幻覚症状」なんて、そこら辺の一般人を題材にしてさえ問題なく表現することが可能なのですから。
また、回想されているシーンでは序盤のプロポーズと党首選前くらいしか大きな出番がないデニスが、認知症のマーガレット・サッチャーにアレだけ絡むというのもいささかバランスを欠いています。
マーガレットがデニスについて少なからず想う部分があったにせよ、作中の少ない描写だけでその部分を表現するのには、正直あまりにも弱いと言わざるをえないところです。
現役の政治家として活躍しつつ、家族を顧みないことに一個人として葛藤するマーガレット・サッチャーの偉人伝的なものが見られると期待していたからこそ、私は今作を観に行っていたのに、認知症絡みの描写があまりにも多すぎて正直肩透かしを食らわざるをえませんでした。
マーガレット・サッチャーの素顔や葛藤を描きたかったのであれば根本的に描き方が間違っていますし、認知症患者の幻覚症状の実態をテーマにしたかったのであればミスリードな宣伝もいいところです。
認知症のマーガレット・サッチャーは物語の最初と最後に登場させるだけにして、それで空いた時間分を現役時代のマーガレット・サッチャー、特にマーガレットとデニスのやり取りに割いていた方が、もっと面白い偉人伝的なものに出来たのではないかと思えてならないのですけどね。

一方で、政治の世界にのめりこんでいくあまり、家族を顧みなくなるようになり家族の面々から避難轟々なマーガレット・サッチャーのありようは、男女平等のスローガンとしてよく謳われる「家庭と仕事の両立」の難しさを的確に表現していますね。
政治家としてのマーガレット・サッチャーは、確かに類稀な政治手腕によって功罪いずれにせよ大きな業績を残すことに成功しているわけですが、それは一方で、家族、特に幼少期時代の自身の子供達を顧みることがなかったという副作用をも生み出していたわけで。
結婚前に「家庭を顧みない」的な宣言をされていた夫のデニスは、そんなマーガレットのことなど充分承知の上だったかもしれませんが、そんなことは子供達にとっては全く預かり知らないことなのであって、子供達は自分達のことを顧みない母親をさぞかし怨んでいたのではないかと思えてなりませんでしたね。
実際、党首選前に、娘のキャロルが自分のことを見ようともしない母親に激怒して部屋から出て行く描写が作中にもありましたし。
かの偉大なるマーガレット・サッチャーをもってしてさえも「家庭と仕事の両立」という命題は極めて達成困難なシロモノだったわけで、その現実を無視して「女性の社会進出」とやらを煽って「家庭と仕事の両立」を無責任に言い立てる男女平等イデオロギーには改めて疑問を感じずにはいられないところです。
マーガレット・サッチャーのような「家庭を顧みない女性」によって一番被害を被るのは、実は夫ではなく子供なのですし、特に思春期前の子供にとって「母親が自分のことを顧みない」という事実は、その後の人生をも左右するほどに大きな影響を及ぼすものとなるのですから。
現実はともかく、すくなくとも映画内におけるマーガレット・サッチャーは、政治家としては偉大な存在であっても、私人・家庭人としてはかなり問題のある人物である、と評さざるをえないのではないでしょうか。

マーガレット・サッチャーを演じたメリル・ストリープの演技は、第84回アカデミー賞で主演女優賞を獲得するだけのことはあり、確かに特筆すべきものがあります。
しかし今作を「マーガレット・サッチャーの偉人伝」として見ると、その出来については正直かなり疑問符をつけざるをえないところなんですよね。
よって、マーガレット・サッチャーのエピソードよりも、映画に出演している俳優さんを目当てに観賞する、というのが今作の正しい楽しみ方であるのかもしれません。

君が代斉唱に纏わる北海道新聞のお笑いコラム

大阪府で行われている君が代斉唱の口元チェックについて、北海道新聞がお笑いコラムを披露しているようですね。

http://megalodon.jp/2012-0316-1302-21/www.hokkaido-np.co.jp/news/fourseasons/357615.html
> 腹話術の起源は、古代のエジプト、ギリシャにまでさかのぼるそうだ。司祭や予言者が、託宣とか奇跡を天から授かった声として伝えるための発声法として発達したという▼
> 20世紀に米国で人形を使ったショーが人気になるまでは、「秘伝の神業だった」と腹話術の入門書にある。現代の達人は、単に人形が話しているように見せるだけではなく、伴奏に乗り朗々と歌うテクニックも披露し、私たちを驚かせる▼
> 上演中、観客の視線は、腹話術師の口元にくぎ付けになる。唇がぴくりと動くことはないか、見詰める。
まさかこんなところにも、目を皿のようにして他人の口の動きを観察する人たちがいようとは―
> 大阪府立高校で、卒業式 の君が代斉唱の際、校長や教頭らが教職員の口元を監視し、歌っているかどうかをチェックしていた。
約60人の教職員中3人の口が動いていないと割り出したというから、腹話術師も恐れる集中力。君が代の曲が流れている間、巣立ちゆく生徒一人一人の表情に温かく目を向ける暇などなかっただろう▼
> 「ルールを守らせるということは、こういうことですよ」。橋下徹大阪市長は監視を絶賛した。弁護士の資格を持つ校長は、学生時代からの友人だそうだ▼
>
もし、「口が動いていなかった」と校長室に呼ばれた人が、「腹話術だった」と主張したら、認められるか。弁護士さんに相談したい。2012・3・15

これがネタなどではなく、仮にも地方紙の新聞の1コラムとして堂々と掲載されたという事実が何とも恐ろしいところで(-_-;;)。
卒業式や入学式という場で「腹話術」を使って君が代を斉唱するなんて、別の意味で卒業式や入学式を舐めているとしか思えないのですが、北海道新聞にはそれが分からないのでしょうかねぇ(苦笑)。
「ドラえもんが助けてくれる」「魔界転生にある復活の儀式を行った」などと称して強姦殺人を犯した、光市母子殺害事件の実行犯・大月孝行に通じるものがあると言わざるをえないのですが。
大阪における君が代斉唱のチェックについては「これまでが甘かったのだから妥当だ」「国家的な思想統制でしかない」など賛否両論あるでしょうが、「腹話術」云々なんて反対派でさえ恥ずかしくてとても主張できるものではないでしょうに(笑)。
こんなことまで述べないと反対ができないのでしょうかねぇ……。

薬師寺シリーズ9巻の2012年3月15日時点執筆状況

https://twitter.com/wrightstaff/status/180176399456411648
<田中芳樹情報です。『薬師寺涼子の怪奇事件簿』新刊の原稿受け渡しがおこなわれました。あとひと息です。順調なら、今月中に脱稿できるかもしれません。

これまた物凄く早い進展ですね。
去年の年末時点でわずか第一章が完了していただけという進捗状況だったことを考えれば、わずか3ヶ月で飛躍的に筆が進んだことを意味するわけですから。
まあ筆が早いのは良いことですし、最近は「病気&後遺症」を口実に筆が遅くなっていた感も多々ありましたから、これはこれで歓迎すべきことではあるのですけどね。
「髑髏城の花嫁」の脱稿から半年程も一体何をしていたんだとか、そんなに早く完成するなら最初からエンジンかけとけよとか、ツッコミどころは多々あるのですが。

ただ、仮に3月中に脱稿したとしても、出版社の対応が遅い昨今の事情から考えると、著書の刊行は早くても7月~8月といったところにならざるをえないのではないかと。
まあ脱稿すれば、すくなくとも薬師寺シリーズに田中芳樹がかかりきりになるという状況から解放され、次回作「タイタニア」の執筆をいよいよ開始することができるのですから、すくなくとも今回の場合は出版社の対応自体は二の次以下の問題でしかないのですが。
極端なことを言えば、出版社が田中芳樹の原稿を全部紛失して薬師寺シリーズが流産したとしても、田中芳樹サイドや出版社としては大事件であっても読者的には大した問題ではないのですしね(苦笑)。
いっそのこと、垣野内成美女史に原作の権利を全部移譲して続きを書いてもらった方が、読者のみならず薬師寺シリーズそのものにとっても幸せなのではないかとすら思いますし(爆)。

ところで今回の薬師寺シリーズ新刊では、サーベルタイガーが何らかの形で登場するらしいですね。
社長氏がこんなツイートと画像をアップしているようなのですが↓

https://twitter.com/adachi_hiro/status/180107098888216576
<田中さんが「今度の『薬師寺…』の資料に使うんだ。」と言って持ってきたサーベルタイガーの人形。わざわざ買ってきたらしい。 http://twitpic.com/8weyi5
ファイル 566-1.jpg
ファイル 566-2.jpg

相も変わらず「オカルトに依存しながらオカルトを全否定する」という構図が繰り広げられることになりそうで(-_-;;)。
非常に不思議なことに、薬師寺シリーズにおける警察機構やマスメディアなどは、自分の目の前で超常現象が繰り広げられていてさえ、ただひたすらに「そんなことは科学的にありえない!」の一点張りだったりしますからねぇ(苦笑)。
薬師寺シリーズ4巻「クレオパトラの葬送」で、オカルトの存在がマスメディアによって世界的に報じられて以降でさえ、相変わらずの反応なのですから。
お前らの反応の方が科学的にありえないよ、と一体何度ツッコミを入れたことやら。
こういうバカな反応を何度も見せつけられると、田中芳樹はオカルト小説向きの人間ではないし、いっそミステリー小説でも書いていた方が却って良かったのではないかとすら思えてならないのですけどね。

映画「タイタニック(3D版)」感想

ファイル 565-1.jpg

映画「タイタニック(3D版)」観に行ってきました。
ジェームズ・キャメロン監督が製作し1997年に公開され、同監督製作映画「アバター」に抜かれるまで興行収益がギネスブックに登録されるほどの大ヒットを記録した、パニック・ラブロマンス映画の3D映像リメイク作品。
映画「タイタニック」については、私は以前にも作中の恋愛描写についてこんな感想を書いたことがあったりします↓

映画「タイタニック」の現実逃避な恋愛劇
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-61.html

こんな感想記事をアップしていることからも分かるように、個人的に映画「タイタニック」は1997年の劇場公開当時に既に観賞済みであり、そのこともあって当初は無視を決め込む方針でした。
3D映像しか売りがない、という時点で敬遠するのに充分なシロモノでしたし。
ところが、以前に映画「ヒューゴの不思議な発明」で試写会当選して無料で観賞できたことに味をしめ、無差別に試写会応募をしていたところ、その中からたまたま「タイタニック(3D版)」の試写会当選が転がり込んできたんですよね。
そうなると、「まあせっかくタダなのだし、ネタ収拾も兼ねてまた観に行ってみるか」ということになって、結果今回の観賞に繋がった、というわけです。
こんな形で、実に15年ぶりに同じ映画をしかも映画館で観賞する、というのもなかなかできない経験ではありましたね(苦笑)。
ちなみに、今作の正式な劇場公開日は2012年4月7日の予定となります。

映画「タイタニック(3D版)」のストーリーは、1997年当時に公開された映画と全く同じです。
というより今作は、当時の映画を単に3D映像で観賞できるようにしたというだけですので、エピソードの追加などといった要素すらも全くなかったりするんですよね。
過去に映画館やレンタルなど何らかの形で作品を観賞した人にとっては、単なる過去作の再確認にしかなりません。
では、今作におけるほとんど唯一のセールスポイントで、かつ大々的に喧伝されている3D映像はどうなのかというと、こちらはこちらで「注意して見ていれば若干浮き出ている箇所があるのが分かる」「2D版とはかろうじて区別がつくかどうか程度」のシロモノでしかなかったりします。
もちろん、3D映画の傑作とされる「アバター」や、この間観賞した「ヒューゴの不思議な発明」などとは比較のしようもなく、これ【だけ】のために映画を観賞する価値があるのかと問われると、はなはだ疑問と言わざるをえないところです。
「アバター」と「ヒューゴの不思議な発明」が、最初の段階から3D専用のカメラを使って映画の撮影が行われていたのに対し、大多数の3D映画は「2Dで撮影し終わった映画を後付の編集加工で3D化する」という手法が取られています。
しかし、最初から3Dを意図して製作された3D映像と、後付で編集加工されたそれとでは、その出来やクオリティにおいて雲泥の格差が存在します。
もちろん、前者の方が後者をはるかに突き放して秀逸な出来なわけですが。
そして「タイタニック(3D版)」もまた後者の部類に属するのです。
それから考えると、3D映像的には「タイタニック(3D版)」が「アバター」「ヒューゴの不思議な発明」に及ばないのも当然の結果ではあったのでしょうね。
元々2Dで撮影していた「タイタニック」を、後付で3Dに加工すること自体に無理があることなんて、製作陣からして最初から分かっていたのではないかと思えてならないのですが。
実際、「タイタニック」「アバター」双方の生みの親であるジェームズ・キャメロン監督からして、以下のような発言をしていた経緯もあるみたいですし↓

アメリカ映画産業の3Dブームに暗雲!? 最低水準の3D映画の乱発に危険信号
http://www.cinematoday.jp/page/N0025070
>  後処理で3Dにした映画を観ると、往々にして画像が暗く、鮮明な立体感にも欠けるという違いが表れます。ちなみに日本でも大ヒットしたティム・バートン監督の『アリス・イン・ワンダーランド』も後処理で3Dにしたものです。後処理決定を下したバートン監督に対して、『アバター』のキャメロン監督は、「2Dで撮影した映画を3Dで公開するなど、まったくの無意味」と公の場で厳しく批判し、話題になりました。
>
>  さらにキャメロン監督はこう付け加えました。
「最近、スタジオ側のプロデューサーが、撮影が終わった後に3Dにするという決定を下す場合がある。こういったクリエイティブな事はスタジオでなく監督が行うべきである」と。

……まさか後年、他ならぬ自分自身で製作した2D映画が「後付3D化でリメイク&劇場公開される」なんて夢にも思っていなかったでしょうねぇ、ジェームズ・キャメロン監督は(苦笑)。
今回の「タイタニック(3D版)」自体が、3D映画へのこだわりを持つジェームズ・キャメロン監督に対するあてつけでも意図しているようにすら思えてならないのは私だけなのでしょうか(爆)。

3D映像関連以外で私が抱いた感想としては、「この当時のレオナルド・ディカプリオってえらい若かった上に役柄も全く違っているなぁ」といったところですね。
私が「タイタニック」以外で観賞したレオナルド・ディカプリオ主演作品と言えば、2008年公開映画「ワールド・オブ・ライズ」と、2010年公開映画「シャッターアイランド」「インセプション」があるのですが、全体を通じて「闇の世界のプロ」「妻子を愛しているが、妻の奇行に常に悩まされている」的な役柄が際立っていました。
最新の主演作である2011年(日本では2012年1月)公開映画「J・エドガー」でも、アメリカFBIの豪腕実力者にして「アメリカの影の支配者」とまで評されていたジョン・エドガー・フーヴァーを演じていましたし。
それに対し、「タイタニック」でディカプリオが演じたジャック・ドーソンは、「貧乏だけど裏表のない若者」的な役柄だった上に外見も非常に若々しく、近作の傾向とは非常に大きなギャップがあるんですよね。
「15年もの歳月で、ディカプリオも恐ろしく変わってしまったよなぁ」と改めて感慨を覚えたものでした。
ただ、当のディカプリオ自身は、自身が主演を演じたはずの映画「タイタニック」に対して必ずしも好意的ではないようで↓

レオナルド・ディカプリオ、『タイタニック』出演を後悔?
http://www.cinematoday.jp/page/N0005624
>  [シネマトゥデイ映画ニュース] レオナルド・ディカプリオが、雑誌のインタビューで、世界的大ヒットとなった『タイタニック』への出演が観客に自分のイメージを植えつけてしまった、と語った。ディカプリオは『タイタニック』と同時期に、ポール・トーマス・アンダーソン監督作『ブギー・ナイツ』でマーク・ウォールバーグが演じたポルノスターの役をオファーされていたが、「そちらを選べばよかった」と告白。「自分のことを知られれば知られるほど、アーティストにとってミステリアスな部分は奪われてしまい、役を演じていても観客に真実味を与えられなくなってしまう」と、心の内を語った。

これから考えると、近年におけるディカプリオの役柄こそが「ディカプリオが本来望んでいたもの」ということになるのかもしれないですね。

3D映像に特にこだわりを持つ人でもなければ、今作の観賞はレンタルDVDでも充分なのではないかと思わなくもないですね。
特に今回の場合は「映画の方が早く観賞できる」という利点すらも皆無ですし。

白夜書房の雑誌「パチスロ必勝ガイドNEO」が休刊

唐沢俊一が連載を持っていた「パチスロ必勝ガイドNEO」が、2012年5月号を持って休刊するとのことです。
発端は、出版元である白夜書房の完全子会社「白夜プラネット」の常習賭博事件なのだそうで↓

http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/02/03/kiji/K20120203002562220.html
>  携帯電話のゲームサイト上で換金できる賭博をしていたとして、警視庁保安課は3日までに、常習賭博などの疑いで、サイト運営会社「白夜プラネット」代表取締役の森下幹人容疑者(40)=東京都世田谷区=ら3人を逮捕した。
>
>  
プラネット社はパチンコなどギャンブルに関する専門情報誌などを出版する「白夜書房」(東京)の完全子会社。保安課は約3年間で延べ約5万7000人に総額約8000万円を賭けさせ、このほかサイト上の広告収入で約3億2000万円を得ていたとみている。
>
>  保安課によると「売り上げを伸ばすためにやった」などといずれも容疑を認めている。同社はサイトの運営を止めており、近く閉鎖する。
>
>  逮捕容疑は2008年11月ごろから11年11月ごろにかけて「カジパラ」という名称の携帯サイトを開設し、サイトにアクセスした神奈川県の無職女性(51)ら15人とポーカー賭博をした疑い。
>
>  客の15人は賭博容疑で書類送検する方針。
>
>  保安課によると、参加者はネットバンキングやクレジットカードを使いサイト上で300円~5万円の「コイン」と呼ばれるポイントを購入。トランプやスロットマシンなど8種類のゲームに挑戦し、結果に応じて現金に換金できる「チケット」を受け取っていた。
>
>  チケットは1割の手数料を差し引いて換金され、銀行口座に振り込まれていた。
>
>  プラネット社は「警視庁からの指摘を真摯に受け止めている」とコメントしている。

これに伴い、白夜書房の公式サイトでも以下の文書ファイルがアップされています↓

ファイル 564-1.jpg

そして、ここで名前が挙がっていない「パチスロ必勝ガイドNEO」の動向については、「唐沢俊一検証blog」のkensyouhan氏が確認したとのこと↓

http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20120314/1331710681

これで、唐沢俊一が持っている連載は、年2回刊の雑誌「幽」を残すのみとなってしまいました。
漫棚通信氏からの盗作発覚事件が勃発した2007年当時は朝日新聞書評委員でさえあったことを考えると、ここ5年における唐沢俊一の凋落ぶりは目を見張るものがありますね(苦笑)。
連載が次々になくなっていった理由は、唐沢俊一の自業自得な所業もあれば、出版不況に伴う雑誌の再編・休刊など様々ですが、そこまでボロボロになっても欠片も同情すらされない辺りはさすが唐沢俊一と言うべきか……。
あの盗作発覚事件でちゃんと素直に謝罪し、かつ開き直りの文章なんか世に出さなければ、ここまでの惨状を呈することもなかったかもしれないのに(T_T)。
今後もさらに凋落を続け「不幸な晩年」を飾ることになるのは確実なのでしょうが、こうなったらもう堕ちるところまでとことん堕ち続けてもらいたいものですね、唐沢俊一には(苦笑)。

HTML文法的に正しいSNSボタンの設置方法 その2

設置することで情報拡散に使用でき便利だが、標準仕様ではHTML文法的に正しくないタグで構成されているSNSボタン。
Twitterツイートボタンとmixiチェックボタンについて解説した前回に引き続き、今回はFacebookとGREEのいいね!ボタンのHTML文法的に正しい設置方法について少し。

FacebookとGREEのいいね!ボタンは、SNSボタンの中でもかなり特殊なタグで構成されています。
Twitterツイートボタンとmixiチェックボタンは、一般的にも多用される<a>のリンクタグで構成されていたため、カスタマイズも比較的容易だったのですが、FacebookとGREEのいいね!ボタンでは<iframe>(インラインフレーム)というタグが使用されています。

Facebookいいね!ボタン
<iframe src="http://www.facebook.com/plugins/like.php?href=(エンコードされたURL)&send=false&layout=box_count&show_faces=false&action=like&colorscheme=light&font&width=70&height=62" scrolling="no" frameborder="0" style="border:none; overflow:hidden; width:70px; height:62px;" allowTransparency="true"></iframe>

GREEいいね!ボタン
<iframe src="http://share.gree.jp/share? url=(エンコードされたURL)&type=0&height=20" scrolling="no" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" style="border:none; overflow:hidden; width:100px; height:20px;" allowTransparency="true"></iframe>

<iframe>はHTMLページの中に全く別のHTMLページを出力表示させる際に使われるタグで、主にページの中に大量の情報を表示させたりする際などに多用されています。
ところが<iframe>は、HTMLのバージョンによっては非推奨となっている上、タグの属性でも特殊なコードが使われていることが珍しくないため、HTML文法的には忌避されるタグだったりするんですよね。
実際、上記のタグを「Another HTML-lint」でチェックをかけてみると、以下のようなエラーメッセージが出力されてしまいます↓

7: <IFRAME> は他のHTML用のタグです。
6: <IFRAME> に不明な属性 `ALLOWTRANSPARENCY` が指定されています。
7: </IFRAME> は他のHTML用のタグです。

もちろん、こんな高レベルなエラーメッセージが出てくる時点で、「Another HTML-lint」では100点満点どころか80点の獲得すらも絶望的となってしまいます。
しかも<iframe>は<a>タグと異なり、それを使うこと自体がHTML文法に違反していると言われてしまうわけですから、<iframe>タグ内でどんなカスタマイズをしても意味がありません。
よって、FacebookとGREEのいいね!ボタンをHTML文法的に正しく表示させるためには、<iframe>を直接使うことなくボタンを表示させるためのテクニックが必要となるわけです。

そのための方法としてまず考えられるのは、JavaScriptを使用してHTMLタグを出力させる、というやり方があります。
その手法は以下の通り↓

Facebookいいね!ボタン
<script type="text/javascript">
document.write(‘<iframe src="http://www.facebook.com/plugins/like.php?href=(エンコードされたURL)&send=false&layout=box_count&show_faces=false&action=like&colorscheme=light&font&width=70&height=62" scrolling="no" frameborder="0" style="border:none; overflow:hidden; width:70px; height:62px;" allowTransparency="true"><\/iframe>’);
</script>

GREEいいね!ボタン
<script type="text/javascript">
document.write(‘<iframe src="http://share.gree.jp/share? url=(エンコードされたURL)&type=0&height=20" scrolling="no" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" style="border:none; overflow:hidden; width:100px; height:20px;" allowTransparency="true"><\/iframe>’);
</script>

JavaScriptのdocument.write関数は「HTMLページ内に文字列を書き出す」ためのもので、これはタグも書き出すことが可能なんですよね。
ただし、document.write関数内で「/(スラッシュ)」を直接記載すると、「Another HTML-lint」では高レベルのエラーメッセージが出力されてしまいます。
「/(スラッシュ)」はそれ自体がJavaScriptで使用する演算子のひとつになっているため、そのままでは演算子の処理が行われてしまうのです。
これは「/(スラッシュ)」の前に「\」をつけ、演算子ではなく文字列としての「/(スラッシュ)」であるとJavaScriptに示すことで回避できます。
これで高レベルエラーはあらかた回避できるのですが、さらにスマートなタグ構成にしたいのであれば、JavaScript記載部分を外部のJavaScriptファイルに移してそれを読み込む形式にするという方法がオススメです。
具体的にはこんな風にします↓

HTMLファイル
表示したい箇所に<script type="text/javascript" src="(○○○.jsフォルダのあるURL)(○○○.js)”></script>

外部JavaScriptファイル(○○○.js)
document.write(‘(<iframe>のタグ内容全部)’);

これで、SNSボタンを設置しながら「Another HTML-lint」の減点回避が可能になるのではないかと。
JavaScriptを使用しているので、JavaScriptが使用できないブラウザや環境だと何も表示されないのが辛いところではあるのですが、まあこれはやむをえないでしょうね。
前回のテクニックと併せ、結構使える手法なのではないかと思いますので、自分でサイトを運用している方は是非試してみてはいかがでしょうか?

※記事内で紹介しているHTMLタグ内における「<」「>」「&」は、全て半角から全角に変換しています。

映画「デイブレイカー」感想(DVD観賞)

ファイル 562-1.jpg

映画「デイブレイカー」をレンタルDVDで観賞しました。
日本では2010年に公開されたオーストラリアとアメリカの合作映画で、人類が絶滅寸前となりヴァンパイアが世界を支配する近未来を舞台に繰り広げられるSFアクション・スリラー。
劇場公開当時は熊本での上映が全くなく、涙を呑んで観賞を見送った経緯がありました(T_T)。
作中では流血シーンが何度も登場したり、ヴァンパイアが生きながらに焼き尽くされる描写があったりするため、映画館ではR-15指定されていました。

物語の年代は2019年。
1匹のコウモリから爆発的に伝播したウィルスにより、人類の95%は不老不死となる代わりに、紫外線に弱く、人の血を飲まなければならないヴァンパイアと化していました。
一方で、ウィルスの伝播と、ヴァンパイアの食糧としてターゲットにされてしまった人類はその数を著しく減らし、今や世界全人口のわずか5%を占めるのみの少数派にまで落ち込んでいました。
ヴァンパイアの人口が圧倒的なのに、彼らの食糧となる人類が激減しているわけですから、ヴァンパイアの社会では当然のごとく食糧不足の問題が発生することになります。
ヴァンパイアは不老不死ではあるのですが、長期にわたって人間の血液を採取しない状態が続くと、脳の前頭葉が破壊されて理性が失われ、ただひたすら血を求めて凶暴化する「サブサイダー」と呼ばれるモンスターに変容してしまうのです。
渇きを癒すためにヴァンパイア同士で血を吸い合ったり、自分自身の血を吸ったりすれば、さらに「サブサイダー」までの行程が加速するというオマケつきで、「サブサイダー」も年々増加傾向にあり社会問題化しつつありました。
この問題に対処すべく、世界では血液を採取することを目的とした「人間の家畜化」が推進される一方で、人間の血に変わる代用血液の研究開発が行われていました。
しかし、絶対数が少ない人間を家畜化するだけでは採取する血液の量に限界があり、また開発中の代用血液はヴァンパイアの身体が拒絶反応を起こすなど問題が多く、実用化までには至っていないのが実情。
ヴァンパイアも人類も、それぞれ形の異なる滅亡に向かって突き進みつつある、先の展望がまるで見えない時代でした。

今作の主人公エドワード・ダルトンは、巨大製薬会社ブロムリー=マークス社で代用血液の研究に従事しているエリート研究者。
彼は元々、自分からヴァンパイアになりたかったわけではなく、人間の血を啜って生きながらえるヴァンパイアというあり方を嫌悪していました。
代用血液を研究開発していたのも、それができれば人間の血を飲まなくて済むから、という一心によるものでした。
しかし、代用血液の人体(?)実験では、血液を注射した被験体の体調が激変を来たした挙句に身体ごと爆散してしまうなど、ロクでもない成果しか上げられず、苛立つ日々が続いていました。
そんなある日の夜、エドワードは車で自宅へと帰る途中で、猛スピードで走ってきた対向車との事故に巻き込まれてしまいます。
エドワードは車の様子を見に行くのですが、車に乗っていたのは何と人間で、エドワードにクロスボウを突きつけてきます。
何故クロスボウなのかというと、クロスボウの矢が「心臓に杭を打ち込む」的な役割を果たすことでヴァンパイア殺傷の武器となるため。
しかしエドワードは、人間達を自分の車に避難させて隠し、事故を聞きつけ駆けつけた警察に嘘の情報を教えることで彼らを逃がしたのでした。
この行為に何か感じるものがあったのか、逃がしてもらった人間達のひとりであるオードリー・ベネットは、車の中にあった身分証から判明したエドワードの家を訪れ、「ひとりで来い」と言う条件付で、真昼間にとある草原へ来るようにとのメッセージを残します。
車の窓を全て遮蔽し、テレビで外の景色を確認しながら車を走行できる「日中運転モード」に切り替えて車を走らせ、メッセージの通りに草原へとやってきたエドワードは、そこでオードリーにひとりの男を紹介されます。
その男ライオネル・コーマックは、肌を紫外線に晒しても焼け爛れないことから確かに人間であるはずなのですが、首筋には紛れもないヴァンパイアの噛み跡が。
彼は、自分がかつてヴァンパイアであり、その上で人間に戻ったという過去を披露するのでした……。

映画「デイブレイカー」は、ヴァンパイアを扱った作品でありながら、既存のオーソドックスなヴァンパイア作品とは大きく一線を画する存在ではありますね。
ヴァンパイアと人間の立場が逆転していたり、それ故に食糧事情が切迫する様が描かれていたり、ファーストフード?の売店ではABO式血液型別に血が売られていたり。
日光(紫外線)に弱いヴァンパイアが日中に外で車を走らせても平気なように「日中運転モード」が搭載されている車などは、作中とは別の理由で現実にも登場しそうな実用性の高い車だったりしますし。
また、ヴァンパイアの成れの果てである「サブサイダー」を処刑する描写もなかなかユニークで、「サブサイダー」達を集団で鎖にかけ、装甲車で強制的に日向にまで引きこんで焼き殺すというもの。
日光でヴァンパイアを処刑する、という手法自体は、同じくヴァンパイアを扱っている映画「アンダーワールド ビギンズ」でも披露されていましたが、「デイブレイカー」のそれは現代ならではの光景ですね。
一方、ヴァンパイアの「永遠に生きる」という属性に希望や展望ではなく絶望を見出してヴァンパイアを忌避する人間がいたり自殺するヴァンパイアが出たりする光景は、どことなく映画「TIME/タイム」に通じるものがありました。
老いや病気を気にする必要がない(ヴァンパイアになることで癌が治った人間がいたりしますし)のに、それでもなお「永遠に生きる」ことに葛藤する、というのは一見すると理解に苦しむ話ではあるのですが、これはやはり文化的なものも絡んでいたりするのでしょうか?

作中では、ライオネル・コーマックによって、ヴァンパイアから人間に戻る方法が2つ提示されています。
ひとつは、日光を浴びて身体が燃え出した瞬間、ただちに火を消して焼死を回避すること。
二つ目は、ヴァンパイアから人間に戻った者の血液をヴァンパイアが採取すること。
原理は作中でも全く説明されていないのですが、身体が紫外線を受けて燃え上がることでヴァンパイアウィルスが死滅すると共に抗体も出来、抗体はそれを採取した者の中でヴァンパイアウィルスを安全確実に殺してしまう、といったところになるでしょうか。
この設定の面白いところは、ヴァンパイアから人間に戻った者が、血に飢えたヴァンパイア達の真っ只中に放り出された際に発生する光景にあります。
血に飢えたヴァンパイア達は、人間を見るや集団で襲いかかり、肉を食いちぎったり手足や首をもぎ取ったりしてその人間を殺して血を啜りまくります。
すると、その血を飲んだヴァンパイアは当然人間に戻ります。
ところが周囲はまだヴァンパイアで囲まれているため、今度は人間に戻った者達がさらに残存のヴァンパイア達に襲われ、最初のケースと同じやり方で殺され血を飲み干されます。
するとそのヴァンパイア達も人間に戻り、彼らもさらにその周囲のヴァンパイア達によって……という半ばネズミ講的なサイクルが、最終的にヴァンパイアがいなくなるまで延々と繰り返されるんですね。
これはヴァンパイアの一般的なイメージやあり方を逆手に取り、なおかつヴァンパイアの破滅的な欲望を表現するものとしては非常に秀逸な描写であると言えます。
描写自体はR-15指定されるほどに結構グロいのですが、ヴァンパイア好きな方にとってはこれだけでも一見の価値がある映像と言えますね。

「俺達の戦いはこれからだ!」的な終わり方をしていますが、続編あるのでしょうかね、これって。
設定自体は良く練られており、ストーリーもそれを上手く生かしているだけに、続編があったら是非観てみたいところです。

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