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2012年03月の記事は以下のとおりです。

映画「戦火の馬」感想

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映画「戦火の馬」観に行ってきました。
イギリスのマイケル・モーパーゴ原作の児童小説を、スティーブン・スピルバーグが実写映画化した作品。

物語最初の舞台は、第一次世界大戦前夜のイギリス・デヴォン州。
この地にある牧場?で、一匹のサラブレッドの子馬が生まれるところから物語が始まります。
子馬が生まれるまでの一部始終を遠巻きに見物していたアルバート・ナラコットは、子馬が母馬離れするまでの間、子馬と仲良くなろうとしますが、子馬はアルバートから逃げ母馬の後ろに隠れるばかりで上手くいきません。
やがて子馬は、地元の市場で競売にかけられることになったのですが、そこへアルバートの父親であるテッド・ナラコットが居合わせます。
元々は農耕馬を買うために市場へとやってきていたテッドでしたが、競売にかけられていた子馬に何か惹かれるものでもあったのか、テッドは貧しい家の家計事情も顧みず、大金をはたいて子馬を購入してしまいます。
農耕馬を買うと思っていた妻のローズ・ナラコットは、家計を傾けるレベルの大金を投じて農耕に向かないサラブレッドなどを買ってきたテッドに当然のごとく激怒し、土下座してでも馬を返品してカネを取り戻して来いとテッドに詰め寄ります。
しかし、元々子馬を持つことに憧れていた息子のアルバートが割って入り、「自分が農耕できるように調教する」と説得し、何とか子馬を手放すことは避けられたのでした。
アルバートは子馬にジョーイという名前を付け、その日からアルバートによるジョーイの調教の日々が始まるのでした。
ジョーイは最初、冒頭と全く同じようにアルバートを警戒し近づこうとすらしないのですが、やがてアルバートが差し出した餌をちゃんと食べるようになります。
また、フクロウの鳴き声を真似た口笛を吹くことで自分の所へやってくる芸を仕込み、これも最初は無反応だったのを、最終的にはマスターさせることに成功。
そして最後には、石ころだらけの荒地を鋤で耕す訓練を始めるようになり、「そんなことできるわけないだろ」と周囲からの嘲笑を買いながら悪戦苦闘を続けた末、ジョーイは遂に農耕馬として自分が使える存在であることを証明してみせたのでした。
そして、これらの調教は、ジョーイの今後の運命に大きな影響を与えることになるのです。

ジョーイの調教は充分以上の成果を上げることができたアルバートでしたが、彼の能力とは関係なくナラコット一家には破局の危機が迫っていました。
元々ジョーイを買うために大金を投じたことが響いた上、せっかくジョーイを使って荒地を開墾して作ったカブ畑も暴風雨で全滅するという不運に見舞われてしまい、地主であるライオンズに支払う地代が調達できなくなってしまったのです。
そんな折、世界ではオーストリア皇太子がセルビアのガヴリロ・プリンツィプによって暗殺されたことが発端となって第一次世界大戦(欧州大戦)が勃発、イギリスもまたドイツに宣戦布告し連合国側に立って参戦することになったのです。
これを好機と見たテッドは、息子にも内緒でジョーイをひそかに運び出し、軍に売り飛ばすことを画策するのでした。
事態に気づいたアルバートがただちに駆けつけるも時既に遅く、ジョーイは軍馬として取引されてしまった後でした。
悲嘆に暮れるアルバートでしたが、ジョーイを買い取ったイギリス騎兵隊所属のニコルズ大尉はアルバートに同情し、ジョーイの世話をきちんと行うことと、戦争が終わったら必ずジョーイをアルバートへ返すことを約束します。
それでもジョーイと一緒にいたいアルバートは軍に志願しようとしますが、年齢制限を理由に拒絶されてしまいます。
しかたなくアルバートは、かつて父親が戦争に参加した際に所持していたという小さな軍旗?をジョーイの手綱に結びつけ、ジョーイと袂を分かつこととなるのでした。

ニコルズ大尉と共にフランスの戦場へと向かうことになったジョーイは、その初陣とも言える戦いで、ドイツ軍歩兵600に対し300の騎兵隊で突撃奇襲をかける作戦に従軍することになります。
しかし、この作戦は最初効果を上げたかと思われたのですが、森に避難したドイツ軍が隠していた大量の機関銃による一斉射撃であっさり形勢逆転、逆にイギリス軍の方が壊滅してしまい、ニコルズ大尉も戦死してしまうのでした。
ジョーイは他の馬達と共にドイツ軍によって捕らえられ、以後、自分と同じ境遇のトップソーンという黒馬と共にドイツ軍の負傷者輸送用の馬として使われることになるのですが……。

映画「戦火の馬」を観ていて疑問に思ったのは、アルバートの父親テッドについてですね。
テッドは作中で、過去に戦争に参加して味方を助けて足に障害を負い、そのことが讃えられて勲章と所属連隊の小さな軍旗を貰いながらも、「戦場で人を殺してしまったから」とそのことを誇りに思わず勲章を捨ててしまった(ただしテッドの妻のローズがこっそり保管していた)というエピソードが、ローズからアルバートに語るシーンが存在します。
このシーンが影響しているのか、アルバートは母親から貰った小さな軍旗を大事にしており、ジョーイとの別れの際にはそれをお守り代わりにジョーイの手綱に結びつけ、さらに物語のラストでは父親と抱き合い、人から人へと渡ってきた小さな軍旗を父親に返す、というシーンが展開されています。
しかし、作中におけるテッドは、農耕馬として役に立つかも分からないジョーイに大金を投じて家計を危機に陥れたり、ジョーイに銃を向けて殺そうとしたり、息子に無断でジョーイを軍馬として売り飛ばしたりと、全く良いところが見出せません。
アルバートの視点から見た父親テッドは、母親ローズの擁護が空しく思えてすらくるほどに「障害持ち&酒飲み&生活無能者&家庭内暴君」とダメ人間要素が満載の人物でしかないのです。
父親の過去に何があろうと、それは今現在における父親の言動を正当化するものではありえないのですから。
そんな父親が持っていた小さな軍旗を、何故アルバートが後生大事にしなければならないのか、実に理解に苦しむところがあります。
特に、ジョーイを軍に売り飛ばした件などは、たとえ家計が苦しいという事情を理解していてさえも反発を抱かざるをえないところですし、ましてや、あの時の父親の行動は息子に対する裏切り行為も同然です。
何しろ父親は、息子に対して「こういう事情があるから(ジョーイを売ることを)理解してくれ」といった類の説得すらも行っていないのですから。
もちろん、説得したところで、ジョーイに愛着がある息子が激烈に反発&反対するのは必至だったでしょうが、家の苦しい事情はアルバートだってきちんと理解しているのですから、最終的には納得という方向に行かざるをえなかったでしょう。
しかし、渋々ながらも納得してジョーイを売りに出されるのと、自分に無断でコソコソと売りに出されるのとでは、アルバートが受ける精神的ショックは桁違いなものになります。
ただでさえテッドには、農耕馬として役に立たないと見做したジョーイを息子の目の前で撃ち殺そうとした前科を持っているのに、そこへ来てさらにこの裏切り行為が重なるのです。
アルバートのジョーイに対する愛情を考えれば、アルバートは父親に対して憎悪どころか殺意すら抱いてもおかしくありません。
実際、件の場面でもアルバートは父親に対して「酷い」となじっていましたし。
にもかかわらず、ラストシーンではジョーイに乗って帰ってきたアルバートがテッドと抱き合うシーンが普通に展開されているのですから、大いに違和感を覚えざるをえませんでした。
あの場面ではむしろ、アルバートが父親に対して「ジョーイに近づくな!」と怒鳴りつけ、例の小さな軍旗を父親に叩きつける、といった光景でも繰り広げられる方がはるかに自然なくらいです。
まあ、父親のジョーイ売り飛ばし所業からあのラストシーンまでは最大4年近い時間が経過しているわけですから、その間に父親と息子が和解していた可能性もなくはないのですが、それならそれで、2人が和解するに至ったエピソードが作中に挿入されていないと、あのラストシーンには繋がらないのではないかと。
この父親テッド絡みの描写は、これまでのスピルバーグ作品には全く見られなかったもので、それも「あってはならない」的な最悪の部類に属するシロモノです。
細かいところではツッコミどころもあるにせよ、登場人物の設定そのものに重大な問題があってストーリーに多大な違和感を覚えたスピルバーグ作品というのは、今回が初めてでしたねぇ(-_-;;)。

あと、馬のジョーイが途中で出会うことになるドイツ軍脱走兵の2人、兄ギュンターと弟ミヒャエルのうち、特に弟の方が実に哀れに思えてなりませんでした。
ミヒャエルは別にドイツ軍から積極的に脱走したかったわけではなく、むしろ戦って軍功を上げたいとすら考えていたくらいなのに、母親との約束に固執したギュンターに無理矢理引き摺られる形で軍を脱走する羽目になった挙句、兄共々脱走罪で銃殺されるという最悪の末路を辿ることになったのですから。
これではミヒャエルは「兄のせいで殺された」も同然ではありませんか(T_T)。
兄は兄で、何故そんな危険極まりない「賭け」で助かると考えていたのか理解不能です。
大戦末期ならともかく、大戦がまだ始まって間もなくドイツ軍が優勢だった時期に、仮に脱走に成功して母親の元に返ったところで、ドイツ軍なり当局なりから後日改めて実家に連絡が行って脱走罪の容疑で逮捕されることなんて普通に目に見えていたはずなのですが。
母親と合流後、さらに当時中立国だったスイス辺りにでも逃げる計画があったのでしょうかね?

映画「戦火の馬」は、アカデミー賞6部門にノミネートされていた(賞そのものはひとつも受賞できていませんが(T_T))だけあってか、風景や戦争描写や馬の描き方などについてはさすが秀逸な出来ではあります。
アルバートとジョーイの再会も感動的ではありましたし、これで父親絡みの描写がないか、ラストは父親が既に他界でもしていたことにするか、あるいは映画「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」のごとき大逆転劇でもあれば言うことはなかったのですが(T_T)。

映画「顔のないスパイ」感想

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映画「顔のないスパイ」観に行ってきました。
旧ソ連時代の凄腕スパイ「カシウス」の行方を巡って繰り広げられる、リチャード・ギア主演のスパイ・アクション作品。
「顔のないスパイ」は邦題タイトルで、映画の原題は「The Double」。
元々今回は、3月1日が映画「ヒューゴの不思議な発明」の公開初日&ファーストディ(映画の日)ということもあり、当初はそちらを観賞する予定でした。
ところが「ヒューゴの不思議な発明」は、全く思いもよらなかった試写会当選のおかげで予定よりも早く、しかも無料での観賞が可能となったことから、結果的に3月1日の予定が空いてしまったんですよね。
しかし、せっかくのファーストディなのだからこの日に映画を観ないと損だということで、本来は2月26日の日曜日に観賞する予定だった今作をこちらに持ってきた、というわけです。
映画を安く観賞できるという特典がある日を、逃がすわけにはいかないですからねぇ(^_^;;)。

物語は、ロシアと密接な関係を持っていた上院議員が暗殺される事件が勃発するところから始まります。
上院議員が殺される光景は監視カメラにも捕らえられていたのですが、犯人の顔は識別不可。
しかし、殺しの手口が細いワイヤーを使って首を切り裂くという手法で、かつ切り裂きの手法が、旧ソ連時代に活躍したと言われる往年の凄腕スパイ「カシウス」が多用していたものと同一であったことから、「カシウス」が復活したのではないかと囁かれました。
事態を重く見たCIAは、かつて「カシウス」を半生にわたって追い続け、今では引退している元CIAエージェントのポール・ジェファーソン(今作の主人公)を呼び戻し、FBIの若手捜査官ベン・ギアリーと共に「カシウス」の捜査に当たらせます。
ベンは「カシウス」を題材にした修士論文を書いたほどに「カシウス」に精通している人物で、今回の事件が「カシウス」の仕業だと最初に主張したのも彼でした。
これに対し、ポールは「カシウスは既に死んでおり、今回の事件は模倣犯の仕業である」と主張、2人の意見は対立します。
それでも2人は、「カシウス」がリーダーを務めていたとされる暗殺組織「カシウス7」の生き残りメンバーで現在は獄中にいる人物から、情報を引き出すべく面会に臨みます。
そこで2人は、獄中の男にラジオ?を渡すのと引き換えに、「カシウス」が暗殺者の掟を破ったことで罰を受けたという新事実を知ることになります。
その後、獄中の男はラジオ?の中にあった電池を飲み込み、体調不良を訴えて自身を病院に運ばせると共に、医療スタッフ達の隙を突いて脱走することに成功します。
しかし、脱走した男が逃げた先で待ちかまえていたのは、何と先ほど男と面会していた2人のうちのひとり、ポールだったのです。
脱走男との対峙の中で、自分が「カシウス」であることを告白し、愛用の武器である腕時計仕込みのワイヤーで脱走男を惨殺してしまうポール。
ポールはその直後に、「カシウス」こと自分自身にいずれ辿り着くかもしれないベンを今のうちに殺そうと、彼の家でその機会を伺うのですが、庭にひとり出ていたベンを奥さんが家から出てきて話しかける光景を見て思い直したのか、結局何もすることなくその場を後にするのでした。

その後、ポールが惨殺した脱走男が発見され、現場検証が行われるのですが、全ての真相を知っているポールも知らぬ顔で現場検証に参加しています。
そればかりか、相棒のベンに野次馬のひとりを指し「あいつが来ている服はロシア製だ」などと指摘して追跡劇を演じ、捜査を悪戯にかき回したりする始末。
ただ、これがひとつのきっかけになって互いに打ち解けたのか、ベンはポールを自宅に招いて食事を共にしたりもするようにもなったのですが。
一方、捜査が進んでいく過程で、「カシウス」と同じ時期に姿を消した、元KGB特殊部隊(スペツナズ)所属のボズロスキーという男が浮上してきます。
CIAは、ポールの正体について何ら疑問を抱かぬまま、ボズロスキーを「カシウス」と見て追跡調査を進めていくことになるのですが……。

映画「顔のないスパイ」を観賞していく中で私がまず連想したのは、1997年(日本では1998年)公開の映画「ジャッカル」でしたね。
映画「ジャッカル」は、今作と同じくリチャード・ギアが主演で、かつブルース・ウィリスが悪役というタッグの実現で当時話題を呼び、これまた今作と同じくスパイ同士の駆け引きとアクションをメインとしたストーリーが展開されていた異色の作品です。
主演が全く同じということに加え、スパイ・アクションという映画のジャンルも同一、さらには作中の主人公の設定にも「身内を殺されたことから復讐に走る」という共通項があるとくれば、やはり「ジャッカル」を想起せずにはいられなかったところでして(^^;;)。
ただ、「ジャッカル」と今作では14年以上もの開きがあるためか、リチャード・ギアの外見がすっかり様変わりしていたのが結構印象に残ったものでした。
「ジャッカル」の時はブルース・ウィリスよりも若く見えていたリチャード・ギアでしたが、今作では役柄にふさわしい容貌になっていましたし。
物語の中盤頃までは主人公の復讐の設定が出てこなかったこともあり、「『ジャッカル』におけるブルース・ウィリスの役柄をリチャード・ギアが担っている」とまで考えていたくらいでした(^^;;)。

今作で少し疑問に思ったのは、「カシウス」が関わったとされる全ての事件の写真にポールが写っていたことから、ベンが「カシウス=ポール」の図式に気づくところですね。
ポールはCIA現役時代に「カシウス」を長年にわたって追いかけている、という設定が最初から明示されているのですから、「カシウス」絡みの事件全てでポールが映し出されていること自体は何ら不自然なことではありません。
ボズロスキーを単身追いかけていたポールの行き先で例の「カシウス」の犯行以外の何物でもない手法で殺されていた遺体をベンが目撃する描写がありましたから、この時点で「カシウス=ポール」の疑いが出てきたという事情もあった(この時点で「カシウス」候補は、未知の第三者を除外すればボズロスキーとポールの2人に絞られる)のでしょうが、それにしてもアレではまだ決定打とは言えないよなぁ、と。

また、物語終盤で「実はベンもまたポールと同じくロシアのスパイだった」という事実が明かされます。
何でも彼は、ロシアを裏切った「カシウス」ことポールを抹殺するために10歳の頃にロシアから派遣され潜伏していたスパイだったのだそうで、上院議員殺しも彼が「カシウス」を炙り出すために行った犯行なのだとか。
どことなく映画「ソルト」を髣髴とさせるようなエピソードではありますね。
ただ、作中には目に見えてそれと分かる伏線や説明が全くなく、いかにも唐突に出てきた感は否めませんでした。
後から物語全体を俯瞰して考えると、冒頭の上院議員殺しと「修士論文まで書くレベルのカシウスマニア」というベンの設定に関連性があったことが分かり「ああ、なるほど」と納得もできた(「カシウス」の手法を熟知しているからこそ「カシウスの犯行」をも再現できた)のですが、作中ではこれといった説明もないですし、普通はまず気づかないのではないですかね、これって。

それにしても「ソルト」といい今作といい、映画の世界におけるアメリカってとことんスパイに弱い体質をしていますね(苦笑)。
安全保障上の問題が浮上してもおかしくないほどに、スパイに浸透され放題ではありませんか。
まあ「アメリカの場合は」エンターテイメントならではお約束ではあるのでしょうし、また今作の場合は「The Double」という映画の原題にも関わってくる(二重スパイが2人)ので、落としどころは上手いとは思いましたが。
これがスパイ防止法すらも成立していない日本だと、現実自体が「映画の世界のアメリカ」よりもさらに悲惨な惨状を呈しているために、笑いすらも出てこないのが何とも言えないところで(T_T)。

アクションよりもスパイならではの葛藤や人間ドラマに重きをおいているストーリー構成ですが、リチャード・ギアのファンの方なら観て損はしない映画なのではないかと。

第84回アカデミー賞&第32回ラジー賞についての雑感

2011年にアメリカで公開された映画の中で最高の作品と俳優を決定する、第84回アカデミー賞の授賞式が、日本時間2月27日に行われました。
そのうち、作品賞の受賞とノミネート作品については以下の通り↓

作品賞授賞
 「アーティスト」(日本では2012年4月7日公開予定)
ノミネート作品一覧
 「ファミリー・ツリー」(日本では2012年5月18日公開予定)
 「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」
 「ヘルプ ~心がつなぐストーリー~」(日本では2012年3月31日公開予定)
 「ヒューゴの不思議な発明」(日本では2012年3月1日公開予定)
 「ミッドナイト・イン・パリ」(日本では2012年5月26日公開予定)
 「マネーボール」
 「ツリー・オブ・ライフ」
 「戦火の馬」(日本では2012年3月2日公開予定)

しかし、受賞作品および賞にノミネートされた作品リストを見ると、この手の賞というのは映画の「面白さ」ではなく「芸術性」を評価する作品なのだなぁ、とつくづく痛感せずにはいられないですね。
受賞作品である「アーティスト」なんて、その全編がサイレント&モノクロ映像で成り立っているという、まさに文字通りの「芸術作品」ですし、爽快感や迫力ある映像などといった「面白さ」を求めている観客層には、そのコンセプトだけで既に論外としか言いようのない映画です。
また、ストーリーの本筋と如何なる関係があるのかすらも不明な映像を長々と垂れ流し、映画の途中なのに席を立ってスクリーンから去っていく人が続出するなど、史上稀に見る駄作要素が満載の「ツリー・オブ・ライフ」なんて、「面白さ」で評価するならアカデミー賞どころか、むしろ正反対のゴールデンラズベリー賞(ラジー賞)にこそノミネートされるべき作品でしょう(苦笑)。
今回に限らず、アカデミー賞の選考評価基準というのは、一般的な大衆映画評とは大きく乖離しているのではないでしょうか?
日本では興行的に成功してなかったり知名度が低かったりする作品、さらに酷い場合は「ツリー・オブ・ライフ」のごとく駄作認定すらされている映画も少なくないのですから。
しかし、世間一般で映画が宣伝される際には、アカデミー賞やカンヌなどでノミネート&受賞されたという事実が、集客のネタとして大々的に喧伝されることが多かったりするんですよね(-_-;;)。
「芸術性を評価している」映画の賞は、必ずしも「映画の品質や面白さ」を保証するものではないのに、「賞を取った&ノミネートされた=面白い良い映画」という図式で映画の宣伝・集客が行われるのは、「面白さ」を求めている観客にとっては悪質なミスリード以外の何物でもないのですが。

また、アカデミー賞授与式に先立ち、2011年の駄作映画を決定するラジー賞こと第32回ゴールデンラズベリー賞のノミネート作品も発表されています(授賞式は2012年4月1日予定)。
その中の最低作品賞におけるノミネート作品は以下の通り↓

ノミネート作品一覧
 「Bucky Larson: Born to Be a Star」(日本公開未定)
 「ジャックとジル」
 「ニューイヤーズ・イブ」
 「トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン」
 「トワイライト・サーガ/ブレイキング・ドーン Part1」

で、ラジー賞はラジー賞で、やはりアカデミー賞と同様に一般的な映画評価からの著しく大きな乖離を感じずにいられないんですよね。
しかも、アカデミー賞の場合は選考評価基準がまだある程度明確なのに対し、ラジー賞は一体何をベースに作品を評価しているのかすらも意味不明です。
ラインナップされている作品群を見ても、「とりあえず大衆娯楽作品を適当に集めてバッシングしてみました」的な雰囲気が漂いまくっていますし、そのくせ正真正銘の駄作である「ツリー・オブ・ライフ」はノミネートすらもされていませんし。
特にラジー賞が信用ならない最たる理由は、映画に出演している有名俳優を基準に駄作認定を行っている部分も多々あることです。
「ラジー賞の常連」などと言われているシルヴェスター・スタローンなんてまさにその典型で、作品の内容がどうこうではなく「スタローンが関与している」というだけでラジー賞にノミネートされることすら珍しくないのですからねぇ(-_-;;)。
この恣意的としか評しようのない作品評価基準が、私がラジー賞を「アメリカ版『と学会』」などと酷評する最大の理由でもあったりします。
ラジー賞というのは元々ユーモアやジョークを意図しているものでもあるらしく、ラジー賞で駄作認定された作品が必ずしも本当の駄作というわけではない、とは賞の主催者側も承知の上ではあるようなのですが、ただ一般的には「ラジー賞授与=駄作認定」という評価が確立していることもまた事実ではありますからねぇ。
まあ、ラジー賞の受賞者自らがわざわざ授与式に登場し、ラジー賞のトロフィーを受け取った上にスピーチまで披露したという事例もありますし、その辺りの「懐の深さ」については、トンデモ認定した論者を罵倒しまくり一方的に遠ざけ、そのくせ身内には大甘な「と学会」とは比べるべくもないのですけどね(苦笑)。

映画についての評価や感想は人の数だけ千差万別で存在するでしょうし、それを承知の上で良作&駄作映画を選考する賞というのも必要ではあるでしょう。
アカデミー賞が「映画の面白さではなく芸術性を評価する賞」であっても、その「芸術性」もまた映画の良し悪しを評価するひとつの基準になりうることはまず間違いないわけですし。
ただ、それが一般的な映画評価から大きく乖離し、かつ映画の宣伝などで「面白さをアピールし集客するための道具」として多用されている現状は、映画ファンとしては正直歯痒く思うところではあります。
アカデミー賞やラジー賞に限らず、映画の賞というのは一般的にも少なからぬ知名度を誇っているにもかかわらず、大多数の一般人とは全く無縁な映画をただ紹介するだけの賞と化してしまっている一面が多々あったりしますからねぇ。
ただ「客寄せをするための道具」としてではなく、また一部の映画マニアだけが楽しむものでもなく、本当に作品の品質や面白さを評価し、大多数の一般人が納得も共感もできるような映画の賞ができれば、映画業界自体の活性化にも繋がるのではないかと思えてならないのですけどね。

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