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2012年04月の記事は以下のとおりです。

第32回ゴールデンラズベリー賞の受賞作品決定

2012年4月2日(アメリカ現地時間4月1日)に、2011年公開映画の中で最低の作品を決定する第32回ゴールデンラズベリー賞ことラジー賞の発表が行われ、映画「ジャックとジル」が全10部門を制覇するという結果となりました。

http://www.cinematoday.jp/page/N0040817
>  [シネマトゥデイ映画ニュース] その年に公開された最低映画を決める第32回ゴールデンラズベリー賞ことラジー賞が現地時間4月1日に発表され、アダム・サンドラーが一人二役に挑戦した映画『ジャックとジル』が史上初めて全10部門を制覇するという快挙(?)を成し遂げた。
>
>  とりわけ、双子の兄妹ジャックとジルと演じたアダムは、史上初めて最低男優賞、最低女優賞をW受賞。さらには、最低カップル賞、最低スクリーン・アンサンブル賞、最低脚本賞を総なめ。もともと本命視されていたものの、圧倒的な弱さを見せつけた。
>
>  これまではアカデミー賞のノミネーション発表前日にノミネーションを発表し、同授賞式の前夜に受賞作を発表していたラジー賞。今年はアカデミー賞の授賞式前日にノミネーションを発表、4月1日に結果発表という変則的なスケジュールが組まれたことも話題になった。(編集部・福田麗)

しかしまあ、相変わらず何を基準にしているのか意味不明な結果ですね(苦笑)。
受賞作品である映画「ジャックとジル」からして「何故これが受賞したのか?」という理由について全く語られてもいませんし。
賞の受賞理由をきちんと語ってくれた方が、観客や映画制作者達が納得できるか否かは別にして、賞の基準や意義が理解されやすいでしょうに。
芸術一辺倒で評価するアカデミー賞の方が、映画の評価としてはともかく選考基準においてはまだ納得できるというのが何とも言えないところで(T_T)。

ちなみに来年に行われるであろう第33回ゴールデンラズベリー賞ことラジー賞では、2012年10月に日本公開予定の映画「エクスペンダブルズ2」がすくなくともノミネートは確実にされるであろうと予測します。
理由は「シルヴェスター・スタローンが監督でかつ主演だから」「他にも有名な俳優さんたちが数多く出演するから」だけで充分でしょう(爆)。
ストーリーなんか観るまでもなくこれだけでノミネートの決定打となる、そんなシロモノですからねぇ、ラジー賞は(笑)。

2012年4月上旬における田中芳樹発言いろいろ

https://twitter.com/adachi_hiro/status/185914632643420160
<うちの田中さんも同じコトを言ってます。「引き出しは出来るだけ多くしておきなさい」という表現ですが。 とRT @kemo: "田中氏:  うちの若い奴には,こう言うんです。「デビューのときまでに,もの凄く大きな袋を背負っておけよ」と。..." http://bit.ly/HsdcCw

https://twitter.com/adachi_hiro/status/185917252212752385
<@yukimiz @kemo そうですね。あと田中さん語録では「自分の好きなモノだけ観ていては、結局はその好きなモノの縮小再生産にしか出来ないよ」「今までまったく知らなかった分野の専門家から話を聞くのは楽しいね」「映画は心の栄養です」なんてのが(笑)。>

なるほど、だから昨今の田中芳樹は「好きなモノの縮小再生産」しかできなくなっているわけですね(爆)。
ここ10年程の間に刊行された田中作品を見ても、「権力亡者な女性を不必要なまでに祭り上げる」ような腐臭の漂う話ばかりが幅を利かせるようになってしまっていますし。
1990年代前半頃の田中作品は、似たような傾向があってもそれでもまだ「普通に読める」者が多かったのですが、最近は本当に「見るに耐えない」レベルにまで堕しているありさまです。
田中芳樹が「強い(と自分で思い込んでいる)女性を描く」ことが好きなのは間違いなく、その「好きなモノの縮小再生産」にしか最近の作品は全くなっていないわけで。
「好きなモノの縮小再生産」でしかない今の自分の惨状を見据えた上での自戒だったのでしょうかね、この発言って(苦笑)。

そして、「映画は心の栄養です」に至ってはもう爆笑ものでしかないですね。
そんなことをのたまう人間がこんなタワゴトをかつてくっちゃべっていたとは、にわかには信じ難いのですが↓

イギリス病のすすめ・文庫版 P185~P186
<田中:
 政権交代があることを当然と思ってるところと、現実にないところではね、意識が全然違う。
ぼくは映画の「インディペンデンス・デイ」に見られるようなアメリカ人のセンスをなにかと言うと笑い話のネタにしてるけども……。(笑)
土屋:
 うん、ぼくもそうだから。(笑)>

薬師寺シリーズ7巻「霧の訪問者」 講談社ノベルズ版P104上段
<「現実世界は、ハリウッド製アクション映画の世界と、すこしばかりちがうからです」
「どうちがうのさ」
ハリウッド映画では正しい者が勝ちますが、現実世界では強い者が勝つんです」
 だからこそ、イラクやイランが国際ルールを破れば制裁されるが、アメリカを制裁できる者など存在しない。各国軍隊の戦争犯罪をさばくために国際刑事裁判所というものが存在するが、アメリカは参加していないのだ。わが祖国はといえば、もちろん親分にさからうはずもない。>

こんなごくごく一部のハリウッド映画にしか当てはまらないタワゴトを、あたかもハリウッド全体の傾向であるかのごとくのたまっている辺り、田中芳樹は確実にハリウッド映画の愛好家などではないのでしょうが、では普段は一体どんな映画を観ているというのか、是非とも知りたいところではあります。
邦画の愛好家であるようにも見えませんし、ひょっとして中国映画や韓流にでものめりこんだりしているのでしょうかねぇ、田中芳樹は(苦笑)。

https://twitter.com/adachi_hiro/status/186838236457472000
<田中芳樹さんが「もし風水が正しかったら、歴代中国王朝で、滅んだ王朝は無かっただろうね」って言ってた。 RT @akagitsuyoshi: まあ、フルシチョフぐらいになると、風水なんて鼻の先で笑いとばすわな。

田中芳樹が個人として風水を信じないのは勝手ですが、他ならぬ自分自身の作品でオカルト要素を登場させておきながら作中で迷信扱いするという、ある種の病気でも患っているとしか思えないようなことを小説内で書き殴るのは止めましょうよ。
アレだけ公衆の面前で超常現象や怪物などが跳梁跋扈している光景が大々的に展開されていながら、未だにオカルトが一般社会に認知されてすらいないという作中事実の方こそが「非科学的な怪奇現象」以外の何物でもないのですから。
ネットが飛躍的に発展して個人でも情報発信が可能となり、YouTubeなどのような動画まで一般的なものとなっている現代で、一昔前の情報統制など不可能なのですが、作中の「非科学的な怪奇現象」が一体どのようなやり方で実現されているのについて、田中芳樹には是非とも「科学的に」説明してもらいたいところなのですけどね。

銀英伝2次創作「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察4

「亡命編」におけるヴァンフリート星域会戦自体は、転生者たるエーリッヒ・ヴァレンシュタインの原作知識に基づいた介入によって原作と異なり同盟側の勝利に帰するのですが、それに対するヴァレンシュタインのリアクションが、吉本新喜劇もビックリの真剣お笑いギャグそのもので、私がヴァレンシュタインを完全にネタキャラ扱いするようになったのも実はここからだったりするんですよね(苦笑)。
あまりにも桁外れな「狂人キチガイ」ぶりを発揮しすぎていて、正直、作者氏がヴァレンシュタインというキャラクターについて一体どのような役柄を託しているのかについても考えざるをえなかったところです。
もし一連の考察で私が述べている通りのイメージ(「狂人や精神異常者の魅力を描く」とか)をベースに作者氏がヴァレンシュタインを造形しているというのであれば、「亡命編」のみならず「エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝」という一連のシリーズは、二次創作どころか小説としての最高傑作としか評しようがないのですが、現実はどう考えても違うと思いますしねぇ(爆)。
それでは前回に引き続き、今回も「亡命編」におけるヴァンフリート星域会戦におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタインの思考と言動について追跡していきます。
なお、「亡命編」のストーリーおよび過去の考察については以下のリンク先を参照↓

亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
http://ncode.syosetu.com/n5722ba/
銀英伝2次創作「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-570.html(その1)
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-571.html(その2)
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-577.html(その3)

ヴァンフリート星域会戦を勝利に導くことができたヴァレンシュタインでしたが、彼には大きな不満がありました。
キルヒアイスは戦場で戦死したものの、彼が個人的に最大の目的としていたラインハルトの抹殺が達成できなかったのです。
正確に言うと、戦場においてラインハルトの死体が確認できなかった(キルヒアイスの死体はヴァレンシュタイン本人が確認した)ことと、当時のラインハルトの乗艦だったタンホイザーがヴァンフリート4=2から無事に脱出したことが確認されたため、そのように推測されたというわけなのですが。
この事態に発狂したヴァレンシュタインは、「偉大なる俺様の作戦案は神の采配のごとく完璧だった」というありえない前提の下、愚かしくも自分の作戦にケチをつけることになった「絶対神たる自分への反逆者」を糾弾することに全力を傾けることになります。
前回の考察でも述べたようなおよそ見当ハズレな推理からシトレとヤンに白羽の矢を叩きつけたヴァレンシュタインは、常識的に見て到底考えられないほどに愚劣な論理でもってヤンを上から目線で八つ当たり同然に罵り倒すこととなるわけですが……。

このヴァレンシュタインの考えは、今更言うまでもないでしょうが全く正当なものではありえません。
ヴァンフリート星域会戦における勝敗の帰趨が決した後、ヴァレンシュタインはこんなモノローグを心の中で語っています↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/16/
> どう考えてもおかしい。第五艦隊がヴァンフリート4=2に来るのが俺の予想より一時間遅かった。原作ではミュッケンベルガーがヴァンフリート4=2に向かうのが三時間遅かったとある。三時間有れば余裕を持って第五艦隊を待ち受けられたということだろう。
>
> 艦隊の布陣を整えるのに一時間かけたとする。だとすると同盟軍第五艦隊は帝国軍主力部隊が来る二時間前にはヴァンフリート4=2に来た事になる。だがこの世界では同盟軍が来たのは帝国軍主力部隊が来る一時間前だ。
>
> 二時間あればヴァンフリート4=2に停泊中のグリンメルスハウゼン艦隊を殲滅できた。行き場を失ったラインハルトも捕殺できたはずだ……。だが現実にはラインハルトは逃げている……。
>
> 俺の記憶違いなのか? それともこの世界では同盟軍第五艦隊が遅れる要因、或いは帝国軍が原作より早くやってくる何かが有ったのか……。
気になるのはヤンだ、俺が戦闘中に感じたヤンへの疑惑……。俺を殺すために敢えて艦隊の移動を遅らせた……。
>
> 否定したいと思う、ヤンがそんな事をするはずがない。
しかし俺の知る限り原作とこの世界の違いといえば第五艦隊のヤンの存在しかない……。奴を第五艦隊に配属させたのが失敗だったという事か……。

このヴァレンシュタインの「推理」には致命的な間違いがひとつあります。
それは「ミュッケンベルガーがヴァンフリート4=2に向かうのが三時間遅かった」という原作の作中事実が、「亡命編」でも無条件にそのまま適用されると考えていたことにあります。
実はヴァレンシュタインは、「ビュコックの第五艦隊にヤンを配属させた」ということ以外にもうひとつ、原作には全くなかったことをやっているんですよね。
それがこれ↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/13/
> 戦闘が始まって既に十二時間が経ちました。基地からは同盟軍に対して悲鳴のような救援要請が出ています。“帝国軍が大規模陸上部隊をもって基地を攻撃中。被害甚大、至急救援を請う、急がれたし”
>
(中略)
>
> もう分かったと思います。あの救援要請は嘘です、被害甚大なのは帝国軍のほうです。救援を欲しがっているのも帝国軍でしょう。実際、この救援要請を出した通信オペレータは笑い過ぎて涙を流していました。今年最大の冗談だそうです。
実際今も一時間おきに救援要請を出しますがその度に司令室には笑い声が起きます。

作中では、4月3日の時点でヴァレンシュタインの決断により最初の救援要請通信が送られており(12話)、以後、4月7日に基地に攻め込んできた帝国軍が撤退して以降も通信が続けられていたであろうことから、総計すると最低でも総計30~40回、4月3日時点から「1時間おきに…」出していたと考えると実に100回以上もの救援要請通信が行われていたと考えられます。
では原作ではどのような形で救援要請を行っていたのかというと↓

銀英伝外伝3巻 P73下段
<「ヴァンフリート4=2の後方基地からの緊急通信です」
 それが最初であった。ヴァンフリート4=2の奇怪な状況が、味方である同盟軍のもとに、通信となってもたらされたのは。それまで、用心しつつ
幾度か発した通信波は、ヴァンフリート4の巨大なガス体やその影響によって、遮断されていたのである>

原作のビュコック艦隊が緊急通信を受け取ったのは4月5日ですので、これ以降も当然「味方が受信してくれることを期待した通信」は行われていたでしょうが、それでも「慎重に行わざるをえなかった」と記載されているわけですから、すくなくとも「亡命編」のそれよりは発信回数が少なかったであろうことは確実です。
しかも基地での戦闘中に至っては、記載がない上に同盟軍劣勢でゴタゴタしていたこともあり、そもそも救援要請通信がきちんと出されていたのか否かすらも不明というありさま。
どう贔屓目に見ても、「亡命編」におけるヴァンフリート4=2から発信されていた救援要請通信は、原作のそれよりも圧倒的に多いであろうことが推察されるわけです。
何しろヴァレンシュタインは、敵に通信が傍受される危険性などおかまいなしに、とにかくビュコック艦隊を当てにして通信を乱発させていたのですから。
では、そこまで通信回数が多いと一体どのような事態が起こりえるのか?
そこから想定される最悪の予測は、「ミュッケンベルガー艦隊がビュコック艦隊よりも先に救援要請通信を傍受してしまう」というものです。
そもそも原作のヴァンフリート星域会戦からして、通信波によって自軍の所在が帝国軍に知られるとマズイという理由から、連絡が慎重に行われていたという事情があるのに、その状況を無視してのこの通信の乱発は、それだけで原作の歴史を変えてしまうのに充分過ぎる要素です。
実際、同盟軍が発した救援要請通信は、ヴァンフリート4=2に駐屯しているグリンメルスハウゼン艦隊の司令部でもしっかり傍受されていましたし、彼らが無能で味方にそのことを知らせなかったにしても、何らかのまぐれ当たりでミュッケンベルガー艦隊がその通信を「原作よりも早く」【直接に】傍受してしまった可能性だってありえるのです。
そうなればミュッケンベルガーとしては当然のことながら「救援要請通信を受けた同盟軍はヴァンフリート4=2にやってくる」と察知できるでしょうし、そうなれば「救援にやってくるであろう同盟軍に先んじてヴァンフリート4=2に先着し、逐次投入でやってくる同盟軍を各個撃破しよう」という発想へと普通に行き着くはずです。
実際、原作でも第五艦隊の動きを察知したミュッケンベルガーは、まさにそういう決断を下していたわけなのですから↓

銀英伝外伝3巻 P86下段~P87上段
<一万隻をこす戦力が、外縁部から星系内部へ移動してきたのである。多少の時差はあっても、気づかれないはずがなかった。両軍ともに、敵の動向を探るための努力はしていたのである。ミュッケンベルガー元帥も、けっして無為無能な男ではなく、同盟軍の行動が、ヴァンフリート4=2宙域を目標としてのものであることを見ぬいた。
 帝国軍首脳部、ことにミュッケンベルガー元帥にしてみれば、あえて危険を犯して、グリンメルスハウゼン艦隊を救出するだけの価値など認めてはいない。だが、
叛乱軍こと同盟軍の動向が、かなりの確度で明白になった以上、それに対応せずにすむはずがなかったのである。
 ミュッケンベルガーは、ヴァンフリート4=2の宙域に、全軍の主力を集中移動するように命じた。この命令は、戦術上、ほぼ正しいものであったが、残念なことに、ややタイミングが遅かったであろう。
彼が三時間ほど早くこの命令を出していれば、まず同盟軍第五艦隊を正面から邀撃して壊滅させ、つぎつぎとやってくる同盟軍を各個撃破して、全面勝利を手に入れえたはずである。だが、そうはならず、帝国軍主力は、第五艦隊の動きに追随する形で、ヴァンフリート4=2宙域へと進撃していった。>

戦場とは不確定要素に満ちた「生き物」なのであり、それは原作知識のごとき「未来の預言書」的なものがあっても例外ではありません。
ましてや、その「未来の預言書」と少しでも違うことをやっている時点で、戦場に与える影響も原作からのズレも充分に多大かつ未確定なものへとなりえるではないですか。
救援通信要請を乱発しまくっている時点で、ヴァレンシュタインは「原作よりも早くミュッケンベルガーが動くかもしれない」という危険性に気づくべきだったのです。
もちろん、これはあくまで可能性の問題ですから、「亡命編」におけるミュッケンベルガーが、ヴァレンシュタインによって乱発されまくった救援要請通信を【幸運にも】全く傍受することなく、原作と寸分の狂いもなく動いていた可能性も決して考えられないことではないでしょう。
正直、いくら近いとは言え、グリンメルスハウゼン艦隊司令部や現地の地上軍がああも簡単に傍受できかつ内容も完全に把握できてしまうような通信を、ミュッケンベルガー艦隊が暗号解読も含めて全くキャッチできなかったとは非常に考えにくいのですが……。
ただいずれにしても、被害妄想に満ち満ちた愚劣な推論でもってヤンとシトレを罵倒しまくっていたヴァレンシュタインの立場的には、本来この可能性【も】一緒に、あるいはそれ以上に考慮しなければならなかったはずなのですがね。

そして、実はこちらがより致命的な問題なのですが、そもそもヤンがビュコック艦隊にいること自体がヴァレンシュタインの要求によるものである、という作中事実があります。
ヴァレンシュタインにしてみれば、ヤンとビュコックは原作でもお互い信頼が厚く頼りになる戦友的な間柄にあったので、ヤンにビュコックを補佐させておけば間違いは生じない、という考えだったのでしょう。
しかし、2人がそのような関係になったのは、銀英伝1巻の第7次イゼルローン要塞攻防戦でヤンがイゼルローン要塞を無血奪取して以降の話です。
それに先立つヴァンフリート星域会戦時点では、2人は未だ面識すらもなく、お互いの名声を聞き及んでいた程度の関係に過ぎませんでした。
当然、この時点では互いに相手の人格や性格すらも全く知らないわけですし、ビュコックにしてみればヤンは単なる新参の一作戦参謀でしかなく、ヤンから見たビュコックも「おっかない親父さん」程度の存在でしかなかったでしょう。
また、アスターテ会戦以前のヤンが「3回忠告を受け入れられなければ『給料分の仕事はしたさ』であっさり引き下がってしまう」ような人間だったことも、これまたヴァレンシュタインは原作知識から当然熟知していたはずです。
お互い初対面で相手のことも「過去の名声」以上のものは分からず、原作1巻以降のような確固たる信頼関係が構築されているわけでもない。
そんな状態で「ビュコックにヤンをつければ確実に上手く行く」などと考える方が変というものでしょうに。
間違った原作知識の使い方をしている自分自身のことを一切顧みず、ひたすら「自分を見捨てにかかった!」などという被害妄想をベースにヤンとシトレを罵り倒すヴァレンシュタインの滑稽な惨状が、私には何とも笑えるシロモノに見えて仕方がなかったのですけどね。

こんな被害妄想と視野狭窄と責任転嫁に彩られたバカげた「迷推理」を開陳しまくった、ヴァンフリート星域会戦におけるヴァレンシュタインの狂気に満ちたお笑いひとり漫才劇は、いよいよそのグランドフィナーレに向けて最大戦速で突撃を敢行することになります。
その全容については、「亡命編」におけるヴァンフリート星域会戦編最後の考察となる次回で明らかにしたいと思います。

映画「センター・オブ・ジ・アース2 神秘の島(3D版)」感想

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映画「センター・オブ・ジ・アース2 神秘の島(3D版)」観に行ってきました。
2008年に公開され、日本初となる実写フル3D映画公開ということで話題となった前作「センター・オブ・ジ・アース」の続編で、ジュール・ヴェルヌの「地底旅行」をベースに繰り広げられる冒険アドベンチャー作品。
ちなみに前作「センター・オブ・ジ・アース」は、劇場公開当時に映画館で観賞しました(^^)。
今回はちょうど「映画の日」ことファーストディである1日が日曜日だったこともあり、安い映画料金で観賞することができたのですが、3D料金がその割引分をほとんど埋めてしまった感がありました(-_-;;)。
今作は熊本の映画館では「熊本シネプレックス」1箇所のみ、しかも3D日本語吹替版でしか上映されていなかったので、最初から選択の余地が全くなかったのですが(T_T)。
まあ3D映像については「意外に良く出来ている」と一応評価できる部類に入ってはいたので、それがせめてもの救いではありましたが。
3D映画はただでさえ余計に料金が徴収されますし、これまで散々なまでに裏切られ続けてきた経緯もありますから、たとえ3D映像の出来が良くても出来る限りは避けたい、というのが正直なところではあったりするのですけどね。

前作「センター・オブ・ジ・アース」での冒険から4年。
前作から成長したショーン・アンダーソンが、しかし何故か警察からオートバイを駆使して逃走中のところから物語は始まります。
警察の追っ手を掻い潜って逃走を続けるショーンでしたが、その最中にオートバイごと他人の家のプールに突っ込んでしまい、あえなく御用に。
そこへ、ショーンの義理の父親で建設会社の社長?であるハンク・パーソンズが警察に口添えし、そのおかげでショーンは警察のお世話になることなく無罪放免となります。
ハンクは当然のことながらショーンに理由を問い質すのですが、ショーンはハンクに反発を示して部屋に閉じこもってしまいます。
そしてショーンは、文字でびっしりと埋められたメモを取り出し、何やら作業を始めるのでした。
一方、義理の息子と何とか上手くやっていきたいハンクは、ショーンに直談判すべくショーンの部屋へと入ってきます。
そしてハンクは、ショーンが微弱な暗号電波をキャッチしたこと、その解読を行うために人口衛星研究センターに不法侵入し、その罪で警察に追われていた事実を知ることになります。
元軍人であり、暗号解読でもそれなりの実力があったらしいハンクは、ショーンが入手した暗号の解読に協力し、あっさりと暗号の全容を明らかにすることに成功します。
暗号の内容は、伝説とされている「神秘の島」の存在と座標を示しており、ショーンはここに自分の祖父がいるのではないかと確信し、すぐにでも「神秘の島」に向かおうとします。
そんな義理の息子に一度は反対したハンクでしたが、すぐに自分も保護者として同行しショーンとの関係を改善するきっかけに出来ればと考え直し、ハンクは自分も一緒に行くことを条件にショーンの旅を承諾するのでした。

暗号で指定された座標は海にあり、当然海を渡れる何らかの移動手段を調達する必要がありました。
ショーンとハンクは座標に程近い港町へと赴き、指定された座標へ船を出してくれるよう船頭に依頼するのですが、指定された座標の近辺では嵐が多い上に座礁しやすい地形であることもあり、けんもほろろに断られてしまう始末。
ところが「依頼を受けたら(アメリカドルで)1000ドル出す」という声に釣られ、声をかけてきた中年の男がひとり存在しました。
その人物ガバチョは、あまりにも年季が入りすぎている、マトモに飛ぶかどうかすらも保証の限りではないオンボロヘリを使って2人を目的地まで案内しようと申し出てきます。
あまりにもヘリがオンボロであることから、むしろ2人の方が難色を示してしまうのですが、そこで登場したガバチョの娘カイラニ。
カイラニに一目惚れしてしまったショーンはガバチョのヘリに乗り込むことを決断し、4人は一路目的の座標へと向かうことになります。
ところがそこでは竜巻が荒れ狂っており、ヘリはコントロールを失い竜巻に巻き込まれてしまうことに。
そして4人は、どことも知れない見知らぬ島で目を覚ますこととなるのですが……。

映画「センター・オブ・ジ・アース2 神秘の島」に登場する「神秘の島」には、以下のような特徴があります。

1.動物の一般的な大きさが全て逆になっている
2.火山が金でできている
3.一定の周期(70年~140年)で浮上したり沈没したりを繰り返している

「1」の実例としては、やたらと大きなトカゲや人間2人が乗れるスズメバチなどが出てくる一方、象が人間の手で抱えられたり、サメが小魚程度の大きさしかないほどに小さかったりします。
象やサメは一見普通の大きさであるかのような登場の仕方をするので、実際の大きさが分かると結構拍子抜けになったりします。
まあ、トカゲやスズメバチなどは人間が乗れたり追いかけられたりと一目で分かりますから、その対比としてのインパクトを与える必要があったのでしょうけど。
しかし、島が「3」の要素で浮いたり沈んだりを繰り返しているのに、海はまだしも、陸上の動物達は一体どうやって生き延び、かつ生態系をどのようにして維持しているのか、その辺は何とも不思議なところではありますね。
エンドロールで象が海の中を普通に歩き泳ぎしているシーンがあるので、彼ら(?)って実は水陸両用生物(??)だったりするのでしょうか?
両生類とはちょっと性質が異なるように思いますし、そもそも島が沈んでいる時期は陸地が全くないわけですからねぇ(苦笑)。

あと、この手の上映映画館数の少ない作品というのは、ストーリーが一般受けしなかったりR-15指定だったりするなど特殊な場合が多いのですが、今作を観た限りでは特に観客層を限定することのないオーソドックスな物語でしたね。
人が死ぬこともなければ、登場人物の設定もストーリーも子供が観て何の問題も起きないであろう要素だけで構成されていましたし。
一応2作目でもあるのですし、そんなに人気がない作品というわけでもなさそうなのに、何故ここまで上映映画館数が少ないのか、そこが少し疑問に思えてならなかったところです。
3D映像も、昨今の3D映画の中では上の方に数えても良い出来ではあったわけですし。
一体どんな「大人の事情」が介在しているのかは分かりませんが、もう少し評価されても良い映画なのではないですかねぇ。

ラストはさらにジュール・ヴェルヌの「月世界旅行」をベースにしたストーリーが展開されそうな引きで終わっているのですが、これの続編って実際に出てくるのでしょうかねぇ。
2作目までは製作されたのですから、3作目が出来ても不思議ではないのですが、まあこれは興行成績次第、といったところになるでしょうか。

映画「ヘルプ ~心がつなぐストーリー~」感想

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映画「ヘルプ ~心がつなぐストーリー~」観に行ってきました。
1960年代におけるアメリカの田舎町を舞台に、白人家庭で仕事をする黒人メイド達の実態を暴いた、実在する同名の本が出版されるまでの経緯を描いたヒューマン・ドラマ作品。
今作はアカデミー賞3部門にノミネートされ、オクタヴィア・スペンサーが助演女優賞を受賞しています。

物語の舞台は1960年代、アメリカ南部のミシシッピ州にあるジャクソンの町。
今作の主人公ユージニア・スキーター・フェラン(以下「スキーター」)は、黒人メイドであるエイビリーン・クラークを取材していました。
エイビリーンから黒人メイドの実態について聞き、それを「THE HELP」という著書にまとめるためです。
ここから物語中盤頃までは「エイビリーンの回想」という形で物語が進行していきます。

エイビリーンは、白人の家庭で家事や子育てをこなしつつ生計を立てる黒人メイド。
彼女によって育てられた子供は実に17人にも及び、その筋のプロであることは疑いの余地がありませんでした。
当時の彼女はヒリー・ホルブロックエリザベス・リーフルトという女性の家で仕事をしており、出産後に産後鬱を起こして事実上育児放棄をしてしまったヒリーエリザベスの娘の子育てを代わりに行う日々を送っていました。
そんなある日、ヒリーエリザベスは自宅で友人達を招いて開いたパーティで、彼女の友人であるスキーターと再会することになります。
既に結婚して子供がいる他の女性達と異なり、大学へ進学し、ニューヨークの出版社で作家としてデビューする夢を叶えるべく、地元の新聞社に就職して経験を積むべく奔走するスキーター。
新聞社で面接したスキーターは、女性だからという理由で家事コラムの代筆を任され、コラムの穴埋めをするために友人達に協力を依頼。
結果、スキーターはエイビリーンを紹介され、コラム欄を埋めるためのツテを手にすることとなるのでした。

エイビリーンと接触を続けていく中で、スキーターは友人達の黒人メイド達に対する仕打ちに不快感を抱くようになってきます。
特に友人のひとりであるヒリー・ホルブロックは、「黒人メイドが自分の家にあるトイレを使うと病気に罹ってしまう」などという迷信から、黒人メイド専用のトイレを別に作り、あまつさえそれを法案としてミシシッピの州知事?に採用させようと働きかけたりするありさま。
一方、スキーターの実家では、自分を親代わりに育ててくれたコンスタンツェンが何故か大学在学中にいなくなっており、スキーターはそのことについても不信感を覚えるようになります。
それらのことから、やがてスキーターは、黒人メイドの実態をまとめた本を出版することを考えるようになり、エイビリーンに情報提供を依頼します。
当時のアメリカ南部州には「人種分離法(ジム・クロウ法)」と呼ばれる人種差別を正当化する法律があり、スキーターの依頼内容がその法律に抵触しかねないものであったことから、最初はエイビリーンも協力に難色を示します。
しかし、ヒリーの人種差別と潔癖症のない混ざった狂気の反応と、自身が育てた白人の子供達が成長すると結局親と同じになってしまうという苦い経験から、やがてエイビリーンはスキーターに協力するようになるのでした。
さらにエイビリーンの友人&同業者で、ヒリーの自宅内のトイレを使ったためにヒリーからクビにされたミニー・ジャクソンも加わり、「THE HELP」を構成する黒人メイド達の赤裸々な実話が語られていくことになるのですが……。

映画「ヘルプ ~心がつなぐストーリー~」では、登場人物の大部分が女性のみで占められています。
男性も全く登場しないわけではないのですが、出番はほんのわずかであり、しかもほとんど「女性の引き立て役」的な役割しか与えられていません。
その上で今作は、1960年代におけるアメリカの女性差別と黒人差別、そして女性だけの世界ならではの人間模様が大きくクローズアップされています。
女性差別については当時のアメリカのみならず日本でも、いや世界各国全てで似たような光景が繰り広げられていたのでしょうが、黒人差別の実態についてはアメリカならではの「差別伝統」に基づいた偏見と悪意の産物ではありました。
当時のアメリカで公民権運動が盛んだったのも当然の帰結ではあったのでしょうね。
今作で面白いのは、その女性差別・黒人差別を、あくまでも女性の視点のみからスポットを当て、ともすれば暗い雰囲気に陥りがちなテーマを、可能な限り明るくコミカルに描写したところにあります。
この手の話って、これまでの作品で語られたにしても、男性オンリーか男性&女性の視点が半々ずつというのがほとんどでしたし、その点では結構斬新な視点であると言えるのではないでしょうか。

たた、個人的に一番印象に残ったのは女性差別でも黒人差別でもなく、女性同士で繰り広げられる陰湿なやり取りの数々でしたね。
外で嵐が荒れ狂い外に出られない中、自分達が使うのと同じトイレで用を足したという理由から黒人メイドのミニーにクビを宣告した挙句、再就職すらできないように他の白人家庭に手を回すヒリー。
そのヒリーに対し報復すべく、自分の糞便を混ぜ込んだチョコパイをヒリーに食べさせてしまうミニー。
さらに、まんまとウンコ入りチョコパイを食わされてしまった自分を嘲笑ったという理由で、母親ミセス・ウォルターズを老人ホームにぶち込んでしまうヒリー。
女性の報復手段は陰湿極まりないシロモノだという事例をこれでもかとばかりに披露していったこの描写は、女性に対するある種の幻想を木っ端微塵に破壊してくれるだけの要素はありましたね。
ヒリーは他にも、元恋人を取られたなどという個人的な理由で、シーリアという女性を村八分状態にしてしまうというイジメな行為にも及んでいたりしますし。
女性って怖いわ、と改めて感じさせてくれる一幕でした。

しかし、ヒリーやエリザベスはアレだけ黒人をほとんどバイ菌扱いしているにもかかわらず、その黒人メイドに自身の娘の子育てをほとんど一切合財委ねてしまうというのは一体どういう感覚をしているのか、その辺は少々疑問ではありましたね。
普通、ああまで黒人に対する差別意識を持ち、かつおかしな迷信まで信じてしまうような人間であれば、むしろ自分が差別している黒人を子供には近寄せまいとするのではないのでしょうか?
にもかかわらず、ヒリーやエリザベスは自分達の娘がアレだけ黒人メイドに触られたり抱き締めあったりしても何ら反応してすらいませんでしたし。
作中でもヒリーエリザベスは「産後鬱にかかって以降はほとんど子育てを放棄して気難しくなっている」という説明がありましたが、立派なネグレクトをやらかして平然としていた辺り、自分の子供を少しも愛してはいなかったのだろうなぁ、とは考えずにいられませんでしたね。
物語のラストでエイビリーンをクビにした際、娘が別れを嫌がって泣き叫んでいたのでさえも、ヒリーや母親であるはずのヒリーエリザベスは完全に無視していましたし。
黒人差別以上に悪質な犯罪も同然のことを、ヒリーやエリザベスはよりにもよって年端もいかない子供に対して行っているように思えてならなかったのですが。

アクションもサスペンスもSFX的な描写の類も一切ないため、一般受けは結構難しいものがある作品ですね。
アメリカでは安い制作費ながらも口コミで大ヒットを記録したとの話なのですが、さて日本ではどういう結果になるのでしょうか?

※取消線と青字部分は間違いとの指摘を受けましたので修正しております。

熊本市が全国20番目の政令指定都市に正式移行

ファイル 582-1.png

2012年4月1日0時をもって、熊本市は正式に政令指定都市へと移行しました。
九州では北九州市・福岡市に次いで3番目、全国では20番目に誕生した政令指定都市となります。
2012年時点で73万人以上の人口を抱える熊本市は、中央区・東区・西区・南区・北区の5つの行政区が設けられ、市内在住者の住所が一律で変更となる他、各行政区毎に区役所が設置され、市の権限が大幅に強化されます。

熊本市の政令指定都市化は長年叫ばれ続けていただけに、熊本在住の人間としてはようやく実現したかという感はありますね。
まあ政令指定都市化の恩恵が受けられるのは熊本市在住者だけですし、その在住者にしても、当面は住所の変更と役所の手続き関係以外で特に生活面で変わるものはないのでしょうけど。
政令指定都市化によって、熊本市および熊本県全体がより発展していくことを願いたいものですね。

ところで熊本市といえば、田中芳樹の実家も政令指定都市化で影響を受けることになるのでしょうかね?
田中芳樹の出身学校(熊本市立黒髪小学校・熊本市立桜山中学校・熊本学園大学付属高等学校)を見る限りでは熊本市に実家があるみたいですし、今でも時々帰郷しているという社長氏の報告などがあることを鑑みると、すくなくとも熊本県内に今でも実家があることは確実です。
ただ、その後引越しをして熊本市外の市町村へと転出した可能性はありますから、今でも熊本市在住であるとは限らないのですが。
まあ、東京&軽井沢暮らしが長い田中芳樹にとって、熊本という場所は「自分の出身県」という以上の認識と感情はもうないのかもしれませんけどね。

2012年4月5日追記:
田中芳樹の実家は今現在も熊本市内にあるそうです。
ソースは「らいとすたっふ」社長氏のツイート↓

https://twitter.com/adachi_hiro/status/187727033588137986
<田中さんが、「実家の住所が変わったよ」と。へ?と思って聞き返したら、熊本市が政令指定都市になったのですね。>

熊本市以外の熊本県内に住んでいて2012年4月1日に住所が変わるわけもないのですから、これで確定でしょう。
しかしそうなると、田中芳樹の実家って今でも熊本市の黒髪地区近辺にあるのでしょうかねぇ。

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