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2012年04月29日の記事は以下のとおりです。

映画「テルマエ・ロマエ」感想

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映画「テルマエ・ロマエ」観に行ってきました。
月刊雑誌「コミックビーム」で連載されているヤマザキマリの同名漫画を原作とした、古代ローマ帝国の公衆浴場「テルマエ」を設計する技師が現代の日本へタイムスリップすることから始まる、阿部寛・上戸彩が主演のコメディ作品。
一応古代ローマ帝国も舞台になっているのに、主要登場人物の俳優が全て日本人だけで構成されているという、なかなかに斬新な手法が用いられている映画です。
なお、今作で私の2012年映画観賞本数はちょうど30本目となります。

物語の始まりは西暦128年の古代ローマ帝国。
ローマ帝国のこの時代は、後に五賢帝の3人目に数えられることとなる第14代皇帝ハドリアヌスの御世であり、当時のローマ帝国は、異民族の度重なる侵入に手を焼きつつも、全体的には「パックス・ロマーナ」の恩恵を存分に享受していました。
ハドリアヌス帝は、即位当初に自身の政策に反対した4人の元老院を殺害するなどの強硬策から元老院の受けが悪く対立していたものの、「テルマエ」と呼ばれる公衆浴場を整備することで一般大衆の支持を得ていました。
阿部寛が演じる今作の主人公ルシウス・モデストゥスは、そんな「テルマエ」を設計する技師のひとり。
ところが彼は、革新的かつ豪華な建造物が次々と誕生していく世相の中、その生真面目過ぎる上に頑固な性格から時代に合わない古風な「テルマエ」を設計し続けたことが災いし、仕事を斡旋してくれていた依頼主と喧嘩別れをすることとなってしまいます。
自身の考え方が受け入れられないことに憮然とならざるをえなかった彼は、親友であるマルクス・ピエトラスに連れられ、ローマの「テルマエ」に一緒に入ることとなります。
しかし、あまりの喧騒と、自分の理想から著しくかけ離れた「テルマエ」の様相にさらに落胆したルシウスは、喧騒を避けるため浴槽の湯中にひとり潜りこむことに。
そこでルシウスは、浴槽の壁の一部に穴が開いており、そこから水が排水されている光景を発見します。
ルシウスが確かめてみようと近づくと、突如ルシウスは水流に足を取られ、壁の穴に吸い込まれてしまうのでした。

ルシウスは無我夢中で出口を求め、ようやく水から顔を出すことに成功します。
しかし、そこは自分がいたローマの「テルマエ」ではなく、何と現代日本の銭湯だったのです。
どう見てもローマ人の顔つきとは異なる日本人と、見たこともない浴場の様相に戸惑いを覚えるルシウス。
そんなことなど知る由も無い彼は、そこがあくまでもローマの属州であり、かつ入浴している日本人達もローマの奴隷であると思い込み、彼らを「平たい顔族」として下に見るのでした。
基本的に好奇心旺盛かつ学習意欲満々のルシウスは、浴場、ひいては現代日本の文明水準にいちいち大真面目なリアクションで驚愕することを繰り返しまくりつつも、それが自分が理想とする浴場のあり方と合致していることから、日本の浴場文化をローマの「テルマエ」に取り入れていくことを考えつきます。
素っ裸のまま浴場・脱衣所を経て一度外に出たルシウスは、今度は女湯の方へと足を踏み入れてしまい、悲鳴と共に体重計?を投げつけられ気絶してしまうのでした。
そんなルシウスを女湯から引き摺り戻し、フルーツ牛乳を渡す「平たい顔族」の老人達。
それを飲んだルシウスが味に感動していると、次第に視界が霞んでいき、次に気づいた時には元いたローマの「テルマエ」に戻ってきていたのでした。
ローマに戻ってきたルシウスは、現代日本で得た知識を元に、当時のローマにはなかった斬新な「テルマエ」を次々と作り出し、それまでとは一変して人気を博するようになっていくのですが……。

映画「テルマエ・ロマエ」は、阿部寛が演じる主人公ルシウスの驚愕なリアクションが序盤の見所のひとつですね。
洗面器やシャンプーハットなどについて、いちいち仰天の表情と詳細なモノローグを交えて、その驚きぶりを表現してくれます(苦笑)。
そのカルチャーショックは浴場だけにとどまらず、トイレのフタの自動オープン機能やお尻ウォッシャーなどにも及び、電気のことを知らないルシウスは「これは奴隷が隠れてやっているに違いない」と間違った解釈をしていたりします。
ただそれにしても、お尻ウォッシャーに感動して涙まで流すのはさすがにどうかとは思うのですが(爆)。
しかし一方で、そうやって見聞した現代日本の文化を自分なりに解釈し、その結果をローマの「テルマエ」に反映させてしまう辺り、ルシウスの仕事に対する情熱とやる気は並々ならぬものがあります。
ルシウスにとっての「テルマエ設計技師」という仕事は、生計の術であるのと同時に、現代日本の「オタク」「マニア」と似たようなものでもあるのでしょうね。
ただ、その仕事一筋な性格が災いして、奥さんに不倫された挙句に逃げられてしまったのは何とも気の毒な話ではありましたが(T_T)。
また、この手の作品では、異世界にジャンプする際に何故か自分と相手との言語の問題が自動的にクリアされていて普通に意思疎通が可能だったりするのが一般的なパターンなのですが、今作ではルシウスは当時のローマで使われていたラテン語で、日本人は普通の日本語をしゃべっているという設定となっていました。
日本に来た際のルシウスはラテン語をしゃべっていましたし、物語中盤までは「平たい顔族」との意志の疎通自体が困難を極めるありさまでした。
普通にありえる話なのに、巷のエンターテイメント作品では意外と見かけない設定であり、却って斬新な感がありましたねぇ。

ルシウスのタイムトラベルには、ルシウス本人が身に纏っている物や手に持っている物も一緒に移動させることが出来るという特性があります。
序盤でも牛乳瓶などを持ち帰っていたり、バナナの皮と種を入手して「テルマエ」の建造に利用したりしているのですが、何と人間まで持ち帰ることも可能という恐るべき仕様も。
さらには、ルシウスが現代日本からローマへとタイムリープする際、その場には一定時間の間、タイムホール?のようなものが出来るらしく、他の人間達もその穴を伝ってローマ時代にタイムトラベルすることも可能なようです。
結果、物語後半では、逆にルシウスのいるローマの時代に複数の現代日本人がタイムトラベルしてくるという事態に。
しかもその際、ルシウスに連れられる形でローマにやって来た山越真実は、自身がケイオニウス(後のルキウス・アエリウス・カエサル)の愛人にされかけるところをアントニウスに助けられることで、世界の歴史が変わりかねない事態を招くこととなってしまう始末。
何と、史実ではハドリアヌス帝の後を継いで第15代ローマ皇帝に即位するはずのアントニウスが、本来ケイオニウスが赴任しそこで死去するはずのパンノニア属州の総督に任命されることとなってしまうのですね。
歴史の流れを修正するため、山越真実はルシウスと共に奔走することとなるのですが、この辺りが今作の映画オリジナル要素と言えるところなのでしょうか?

ただ、その歴史を修正する過程で2人が提示した改善策だと、ケイオニウスとアントニウス絡みの歴史は修正されても、その他の部分で歴史が大幅に変わるような気はしなくもないのですけどね。
戦いの兵士達の傷を癒す「テルマエ」を作った結果、ローマ辺境蛮族との戦いに勝ってしまったら、それは充分に歴史を変える行為になってしまうのではないかと思うのですが(^^;;)。
あの蛮族との戦い、作中ではモロにローマ側の敗色濃厚な状態でしたし。
ハドリアヌス帝は、本来負けるはずの戦いに勝ってしまったのかもしれませんし、その戦いで死ぬはずだった人間が生き残り、またその逆も充分に発生しえる事態なのですから、歴史に与える影響が少なかろうはずもありません。
下手をすれば、遠い未来にどこかの国の王族を誕生させることになるはずの遠い祖先が、その戦いで死んでしまった、などという事態もないとは言い切れないわけですし。
これって本当に大丈夫なのだろうか、とは、正直野暮だろうと思いつつも考えずにはいられなかったですね(苦笑)。

ちなみに、今作のオリジナルキャラクターでもあるらしい山越真実は、明らかに原作者自身をモデルにしたキャラクターですね。
元々、名前からしてそっくりで「漫画家志望」という設定な上、物語の最後にどこかの出版社?で今回の事件をモデルに書いたらしい、そのものズバリ「テルマエ・ロマエ」の漫画原稿を提出していたのですから(笑)。
ここは繋げ方が上手いなぁ、と少し感心したところです。

出演俳優とコメディ映画の好きな方にはイチオシの作品、と言えるでしょうか。

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