銀英伝2次創作「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察10
「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察も、いつのまにやら10回目の節目を迎えることとなりました。
出てくる度に被害妄想狂ぶりを発揮しまくり、フォークやロボスばりの自己中心的な態度に終始する狂人ヴァレンシュタインの言動にあまりにもツッコミどころが多すぎ、その対処にひたすら追われているがために、10回目到達時点での話数消化はようやく30話に届いたかどうかという遅々とした状況にあります(T_T)。
当初の予定では、もうとっくに最新話まで追いついていたはずなのですが……(-_-;;)。
ここまでヴァレンシュタインの言動で問題が頻出し醜悪極まりないシロモノにまで堕しているのは、結局のところ「自分を特別扱いし過ぎる」という一点に尽きるでしょう。
ヴァレンシュタインが他者を批判する際、彼は「その批判が自分自身にも当てはまってしまうのではないか?」ということを全く考えすらもしないんですよね。
自分の足元を固めずに相手を罵り倒すことにばかり傾倒するものだから、相手に対する非難や罵倒がブーメランとなってそっくりそのまま自分自身に跳ね返ってきてしまい、あっという間にボロを出す羽目となってしまうわけです。
「亡命編」におけるロボスやフォークに対するヴァレンシュタインの批判内容なんてまさにその典型例ですし、攻撃に特化し過ぎて防御がおろそかになっている以外の何物でもありません。
自分が批判すらも許されない神聖不可侵にして絶対の存在だとでも考えていない限り、こんな愚行をやらかすはずもないのですけどねぇ。
本当に強い理論というのは、批判対象と同様に自分自身をも含めた他の事象にも適用しうるか、あるいは「場面毎に主張が変わる具体的な理由」を万人に明確に提示することを可能とする「一貫性のある論」なのであって、それができないダブスタ&ブーメラン理論などは愚の骨頂もはなはなだしいでしょうに。
他者を批判する前に自分の襟を正し、自分の言動が自分自身に適用されないよう配慮する、ということを行っていくだけでも、今のヴァレンシュタインの惨状はかなり改善されるのではないかと思えてならないのですがね。
まあ、そんなことは太陽が西から上るがごとく、最初から不可能な話ではあるのですが(爆)。
では今回も引き続き、第6次イゼルローン要塞攻防戦における狂人ヴァレンシュタインの狂態ぶりを見ていきましょう。
なお、「亡命編」のストーリーおよび過去の考察については以下のリンク先を参照↓
亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
http://ncode.syosetu.com/n5722ba/
銀英伝2次創作「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-570.html(その1)
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-571.html(その2)
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-577.html(その3)
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-585.html(その4)
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-592.html(その5)
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-604.html(その6)
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-608.html(その7)
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-614.html(その8)
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-625.html(その9)
自分から上官侮辱罪をやらかして総司令部の雰囲気を悪戯に悪化させたにもかかわらず、そのことに対する反省もなしに全ての責任をロボスに擦りつけるヴァレンシュタインは、帝国軍から逆襲されて作戦が潰えた後も、勝算もないままに陸戦部隊の再突入を強硬に命じたロボスに対し、自由惑星同盟軍規定第214条という実力行使に出ることをグリーンヒル大将に発案します。
「亡命編」のオリジナル設定である自由惑星同盟軍規定第214条とは、部隊の指揮官が錯乱状態などに陥りマトモな戦闘指揮が行えなくなった際に、次席の人間がその指揮官を排除してその指揮権を引き継げることを可能とする法です。
これを読んで個人的に思い出したのは、1995年公開の映画「クリムゾン・タイド」ですね。
この映画では、通信機の損傷により外部との連絡が途絶した原子力潜水艦の中で、途中まで送られていた暗号文の解釈を巡り、ただちに(核?)ミサイルを発射して先制攻撃すべきという艦長と、まずは通信内容の確認を行うべきだとする主人公の副長が対立し、独断で攻撃を強行しようとする艦長に対し、副長が指揮権剥奪を宣告し拘束させるという場面があります。
このケースでは、艦長に対して「通信の確認を行わずに攻撃を行おうとした」「攻撃には副長の同意も必要なのにそれを無視しようとした」という軍規違反の口実が使えましたし、下手すれば無辜の市民が虐殺されたり第三次世界大戦が勃発したりしかねないような状況でもあり、誰もが時間に追われ決断を迫られる極限状態にもありました。
この映画のラストでも軍法会議が開かれ潜水艦内での問題が審議されたのですが、裁判の場でも「どちらが全面的に正しい&間違っているとは言えない」という流れと結論に終始していました。
もっとも最終的には、年配の艦長が副長に後事を託し引退することで主人公の正しさを認める、という形で終わっていましたが。
軍内でこのような対立が起こったり、あまつさえ下位の人間が上官から権限を剥奪したりするというのはそれ自体が大変な問題行為でもあり、だからこそ、214条のような規定は乱用されないようにすべきものでもあるわけです。
しかし今回の場合、そもそもロボスは同盟軍の軍規に違反したり自軍に多大な損害を与えたりする一体どんな行為を行っていたというのでしょうか?
確かにロボスは、自身のメンツにこだわって勝算も成功率も皆無としか言いようのない無謀な命令を繰り出してはいましたし、「ローゼンリッターなど磨り潰しても構わないから再突入させろ!」とまでのたまってはいました。
それは確かに味方の損害を増やす愚行であったことは間違いないのですが、しかし総司令官としてそのように命じること自体は何ら軍規に違反する行為ではありません。
また、仮にイゼルローン要塞に突入したローゼンリッターどころか陸戦部隊の多くが壊滅状態になったとしても、それで全軍が瓦解するわけではなく、すくなくとも艦隊決戦に比べれば、全体から見た損害も微々たるもので済みます。
極端なことを言えば、いざとなれば陸戦部隊を切り捨てて撤退しても、軍の維持という点では大きな問題は発生しようもなかったわけです。
もちろん、陸戦部隊を身捨てる立場となるロボスが、後日に総司令官として相応の責任が問われ糾弾されることになるのは確実でしょうが、それをもって軍規違反に問うたり精神錯乱の疑いをかけたりすることは不可能なのです。
むしろロボスの場合は、軍規通りに総司令官として振舞った結果がああだったわけで、その点でロボスに軍法違反の容疑で解任を迫るというのは無理筋もいいところでしょう。
ここでロボスがさらに狂気に走って同盟全軍にイゼルローン要塞への特攻を命じる、といったレベルにまで至れば、さすがに214条の発動にもある程度の正当性が出てくるかもしれませんが、あの状況では「最悪でも陸戦部隊の壊滅だけで事は収まる」可能性の方が高いのです。
原作の第6次イゼルローン要塞攻防戦におけるロボスの言動を見ても、その辺りを落としどころにする可能性は大なのですし、他ならぬヴァレンシュタイン自身もそう考えていたはずでしょうに。
むしろ、214条発動に伴う混乱の隙を突かれる危険性の方が問題と言えるものがあります。
指揮系統が混乱しているところに敵の攻撃を受ければ、それこそ全軍が瓦解する危機を自ら招きかねないのですから。
遠征軍全体から見れば最大でも数%程度しかいない陸戦部隊の危機を救うために、全軍を危機に晒す必要があの状況で果たしてあったのでしょうか?
これらのことから考えると、あの場面で214条発動の条件が整っていたとは到底言い難いものがあります。
ロボス個人が無能低能であることと、軍法に基づいた行動を取り軍の秩序を守ることは全く別のカテゴリーに属する話であり、それを一緒くたにして断罪すること自体に無理があり過ぎるのです。
かくのごとく問題だらけの214条発動を、例によって例のごとく自らの実力ではなく神(作者)の介入によって御都合主義的に切り抜けてしまったヴァレンシュタインは、ロボスを放逐した後に陸戦部隊救出のための指揮を取り、味方の撤退を見届けるべくイゼルローン要塞内の最前線に最後まで留まることを自ら志願します。
ロボスに代わって臨時の総司令官となったグリーンヒル大将は、「毒を食らわば皿まで」と言わんばかりにそれを承認し、かくしてヴァレンシュタインはイゼルローン要塞の最前線へと向かうこととなるのでした。
最前線に到着したヴァレンシュタインは、まずは最前線の指揮官が誰であるのかを捕虜に問い質し、オフレッサー・リューネブルク・ラインハルトの3者であるとの回答を得ます。
必要な情報を得たヴァレンシュタインでしたが、捕虜の中に自身の旧友であるギュンター・キスリングがいることを確認し驚愕。
何故彼が負傷した状態でここにいるのか熟考するヴァレンシュタインに不審を抱いた捕虜のひとりが、以下のような行動に出ることとなるのですが……↓
http://ncode.syosetu.com/n5722ba/32/
> 「あんた、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン大佐か?」
> いつの間にか思考の海に沈んでいたらしい。気が付くと体格の良い男が俺が絡むような口調で問いかけてきていた。
>
> 「……そうです」
> 俺が答えるのと同時だった。そいつが吠えるような声を上げていきなり飛びかかってきた。でかいクマが飛びかかってきたような感じだ。
>
> しゃがみこんでそいつの足に荷電粒子銃の柄を思いっきり叩きつけた。悲鳴を上げて横倒しにそいつが倒れる。馬鹿が! 身体が華奢だから白兵戦技の成績は良くなかったが、嫌いじゃなかった。舐めるんじゃない。お前みたいに向う脛を払われて涙目になった奴は一人や二人じゃないんだ。
>
> 立ち上がって荷電粒子銃をそいつに突きつける。他の二名は既にローゼンリッターの見張りが荷電粒子銃を突きつけていた。
> 「ヴァレンシュタイン大佐! 大丈夫ですか!」
> 「大丈夫ですよ、リンツ少佐」
>
> 「貴様、一体どういうつもりだ! 死にたいのか!」
> リンツが体格の良い男、クマ男を怒鳴りつけた。
> 「う、うるせえー。ヴァンフリートの虐殺者、血塗れのヴァレンシュタイン!俺の義理の兄貴はヴァンフリート4=2でお前に殺された。姉は自殺したぜ、この裏切り者が!」
>
> クマ男の叫び声に部屋の人間が皆凍り付いた。姉が自殺? こいつもシスコンかよ、うんざりだな。思い込みが激しくて感情の制御が出来ないガキはうんざりだ。どうせ義兄が生きている時は目障りだとでも思っていたんだろう。
>
> 「ヴァンフリートの虐殺者、血塗れのヴァレンシュタインですか……。痛くも痒くも有りませんね」
> 俺はわざと声に笑みを含ませてクマ男に話しかけた。周囲の人間がギョッとした表情で俺を見ている。クマ男は蒼白だ。
>
> 「き、貴様」
> 「軍人なんです、人を殺して何ぼの仕事なんです。最高の褒め言葉ですね。ですが私を恨むのは筋違いです。恨むのならヴァンフリート4=2の指揮官を恨みなさい。部下の命を無駄に磨り潰した馬鹿な指揮官を」
>
> その通り、戦場で勝敗を分けるのはどちらが良い手を打ったかじゃない。どちらがミスを多く犯したか、それを利用されたかだ。敵の有能を恨むより味方の無能を恨め。今の俺を見ろ、ウシガエル・ロボスの尻拭いをしている。馬鹿馬鹿しいにもほどが有るだろう。
>
> 「裏切り者は事実だろう!」
> 笑い声が聞こえた、俺だった。馬鹿みたいに笑っている。笑いを収めて蒼白になっているクマ男に答えた。
> 「私が裏切ったんじゃありません、帝国が私を裏切ったんです。恥じる事など一つも有りません」
……ここまで「夜郎自大」という言葉の生きた見本みたいな人間は初めて見ましたよ、私は。
だいたい、ヴァンフリートで義兄が戦死し姉が自殺したことに憤ることが「シスコン」かつ「思い込みが激しくて感情の制御が出来ないガキ」って、一体どこをどうすればそんな論理が出てくるというのでしょうか?
「シスコン」であろうがなかろうが、家族を殺されて憤らない人なんて相当なまでの少数派ですし、その正当な怒りが「思い込みが激しくて感情の制御が出来ないガキ」とまで罵られなければならないシロモノなどであるわけないでしょうに。
こんな論理が成立するのであれば、今世の両親を殺され仇を討つことを決意したヴァレンシュタインは「ファザコン&マザコン」で「思い込みが激しくて感情の制御が出来ないガキ」ということになってしまうではありませんか(爆)。
もちろん、ヴァレンシュタインが「思い込みが激しくて感情の制御が出来ないガキ」であること自体は疑問の余地など全くない厳然たる事実ではあるのですが(笑)、しかしそれは別に今世の両親が非業の死を遂げたからでも、そのことにヴァレンシュタインが怒りを覚えたからでもありません。
自分自身のことを全く顧みることなく、後先考えずに目先の感情的な罵倒にばかり熱中してダブスタ&ブーメランな言動ばかり披露する行為の数々と、それらの言動を行うことに何ら矛盾や羞恥を自覚することすらもない厚顔無恥な思い上がりこそが、ヴァレンシュタインが「思い込みが激しくて感情の制御が出来ないガキ」と評される由縁なのですから。
さらに語るに落ちているのは、もし自分が襲撃者と同じ立場にあったら、襲撃者が自分に対して述べた罵倒と同じことを言うであろうことを、当のヴァレンシュタイン自身がはっきりと述べていることです↓
http://ncode.syosetu.com/n5722ba/37/
> “ヴァンフリートの虐殺者”、“血塗れのヴァレンシュタイン” クマ男の声を思い出す。憎悪に溢れた声だった。ヴァンフリートで帝国人を三百万は殺しただろう、そう言われるのも無理は無い。俺がクマ男の立場でも同じ事を言うはずだ。
同じ立場であれば、同じことを言うだけでなく襲撃もするでしょう、ヴァレンシュタインの性格ならば(笑)。
何しろ、忍耐心とか我慢とかいった概念が全くない上に嗜虐性と他罰主義に満ち溢れた「キレた少年」「ブラック企業経営者」のごとき破綻だらけな性格をしているのですからね、ヴァレンシュタインは。
周囲も後先も考えずに暴走したことも一度や二度ではないですし、「本編」でヤンに謀略を仕掛けられた際の対応を見ても、「敵の有能を恨むより味方(自分)の無能を恨」むなどという、ある意味謙虚な行為などするはずがないのですし。
となるとヴァレンシュタインは、自身がまさに襲撃者と同じく「ファザコン&マザコン」で「思い込みが激しくて感情の制御が出来ないガキ」でしかないことを、他ならぬ自分自身で認めてしまっていることにもなるわけです(爆)。
他ならぬ自分自身が、自分がバカにしている襲撃者と完全に同類の人間であることを、わざわざ自分から告白する必要もないでしょうにねぇ(苦笑)。
そして、「私が裏切ったんじゃありません、帝国が私を裏切ったんです。恥じる事など一つも有りません」に至っては、当の襲撃者もまさに空いた口が塞がらなかったでしょうね。
巨大な国家と自分ひとりが同等、いやそれどころか国家の方が自分よりも格下、などという発想は、万人の自由と平等を謳う民主主義国家ですらもありえないシロモノですし、ましてや専制君主国家であればなおのことです。
第一、「帝国が私を裏切った」というのは一体何のことを指しているのでしょうか?
まさか、帝国とヴァレンシュタインが何らかの相互契約を結んでいてそれを帝国が反故にした、という話ではないでしょうし、両親を殺し自分をも殺そうとしたということを指すのであれば、それはそのように命じたカストロプ公個人の犯罪であって、帝国そのものの罪などではないでしょうに。
貴族の犯罪がもみ消されるという社会問題にしても、「帝国が元からそういう政治形態である」という事実もヴァレンシュタインは当然知っているわけですし、その事実を知っていてなお帝国を信用する方がむしろ「愚か者の所業」以外の何物でもないのですが(苦笑)。
そして何よりも、ヴァレンシュタイン個人にそのような事情があったからと言って、それはヴァレンシュタインが赤の他人の家族に対して同じような目に遭わせることを正当化するものでも免罪するものでもありえません。
そのことに対して自覚的でその罪も生涯背負って生きていくとか、最小限の犠牲に抑えて大業を為すとかいうのであればまだしも、「自分は正当な報復の権利を行使しているだけであり全て他人が悪い。お前の家族が死んだことで俺を逆恨みするのは筋違いだし、むしろ邪魔な家族を殺してやったことに感謝しろ」では、むしろ他者からの賛同や共感を得られることの方が奇妙奇天烈な話でしかないですよ。
まさに「思い込みが激しくて感情の制御が出来ないガキ」の様相を呈している以外の何物でもないのですが、そうでなければヴァレンシュタインは、一体何を根拠に自分が帝国よりも偉大な存在であるとまで考えられるようになったのでしょうか?
すくなくとも原作知識と自身の才覚だけではここまで増長できるものではないですし、やはりありとあらゆる「奇跡(という名の御都合主義)」を発動できる「神(作者)の祝福」への依存症だったりするのでしょうかねぇ……。
この辺のやり取りは、原作「銀英伝」9巻におけるヴェスターラントの遺族によるラインハルト暗殺未遂事件でのやり取りをトレースしたものなのでしょうが、原作のそれと比較してもあまりにもヴァレンシュタインが幼稚かつ自分勝手に過ぎます。
そもそも、如何に敵の無能が原因でヴァレンシュタインが敵を殺しまくり大勝利を獲得しえたにしても、それはヴァレンシュタイン自身の「大量虐殺者としての罪」を何ら軽減も免罪もするものではないのですが。
しかも相手は敵の指揮官などではなく単なる一兵士でしかなく、立場的には「無能な味方」と「有能な敵」双方の被害者でもあるわけです。
「無能な味方」と共に「有能な敵」をも恨むのは、その立場から言えば当然のことであり、筋違いでも何でもありません。
そして、原作9巻でヴェスターラントの虐殺を糾弾されたラインハルトも、愚行を行った無能なるブラウンシュヴァイク公と同じかそれ以上の罪が自分にもあることを自覚していたからこそ、ロクに反論もできず自責の念に駆られることとなったわけでしょう。
被害者に対してすら被害妄想と他罰主義と責任転嫁にばかり汲々とする夜郎自大なヴァレンシュタインに比べれば、原作におけるラインハルトの自責の念やオーベルシュタインの「少数を殺すことで多数を生かす」という信念の方が、まだ自身の責任を直視し受け入れているだけマシというものです。
どうもヴァレンシュタインの自己正当化な言動を見ていると、軍人としてではない快楽的な大量殺人やレイプその他の重犯罪者の自分勝手な心情や言い訳を聞いているような気にすらなってくるのは私だけなのでしょうか?
負傷したキスリングを助け、また味方が安全に撤退するための時間を稼ぐべく、ヴァレンシュタインは帝国軍に敵前交渉を行うことを決断します。
周囲はその場で殺される危険性が高いことを理由に反対するのですが、ヴァレンシュタインは反対を押し切り敵前交渉を強行。
そのことについて、ヴァレンシュタインは以下のようなモノローグを語っているのですが……↓
http://ncode.syosetu.com/n5722ba/37/
> キスリングを救うには直接ラインハルト達に頼むしかなかった。危険ではあったが勝算は有った。彼らが嫌うのは卑怯未練な振る舞いだ、そして称賛するのは勇気ある行動と信義……、敵であろうが味方であろうが変わらない。大体七割程度の確率で助かるだろうと考えていた。
>
> バグダッシュとサアヤがついて来たのは予想外だったが、それも良い方向に転んだ。ちょっとラインハルトを挑発しすぎたからな、あの二人のおかげで向こうは気を削がれたようだ。俺も唖然としたよ、笑いを堪えるのに必死だった。撃たれたことも悪くなかった、前線で命を懸けて戦ったと皆が思うだろう。
>
> ロボスだのフォークのために軍法会議で銃殺刑なんかにされてたまるか! 処罰を受けるのはカエルどもの方だ。ウシガエルは間違いなく退役だな、青ガエルは病気療養、予備役編入だ。病院から出てきても誰も相手にはしないだろう。その方が世の中のためだ。
まずここでおかしいのは、そもそもラインハルト達がヴァレンシュタインの態度に感服することと、自分が見逃してもらえる可能性が何故直結するのか、という点です。
確かに「原作におけるラインハルトの性格」に限定するならば、正々堂々とした振る舞いを「敵ながらあっぱれ」と称賛する可能性は高いでしょう。
また、銀英伝10巻ではユリアン達の敢闘にわざわざ温情を与えたくらいですから、ヴァレンシュタイン的にはラインハルトのそういった部分に期待したのかもしれません。
しかし「亡命編」におけるラインハルトは、ヴァレンシュタインによってキルヒアイスを戦死に追いやられ、ヴァレンシュタインに対する憎悪と復讐心に燃えている状態です。
しかも、ヴァレンシュタインを殺せば、仇を討つのみならず大功を挙げることができるのもこれまた分かりきっています。
ヴァレンシュタインの堂々たる態度に感銘を受けたからといって、何故わざわざ敵を逃がして仇討ちと大功を挙げる機会を自ら潰さなければならないのでしょうか?
「卿の勇気と態度には感嘆するが、それとこれとは別。キルヒアイスと俺のためにさっさと死ね」でブラスターが発射されて一巻の終わり、というのがはるかに現実的に想定されるマトモな反応というものでしょう。
元々ラインハルトのその手の称賛的な言動自体、自らの絶対的な立場を確立した上での「余裕」的な側面も大きいのですから、それが確立されていない状態でそんな態度はあまり望めないのではなかったのかと。
また、リューネブルクやオフレッサーの性格が「卑怯未練な振る舞いを嫌い、勇気ある行動と信義を称賛する」というものであるという事実を、当時のヴァレンシュタインが一体どうやって知り得たというのでしょうか?
「亡命編」におけるヴァレンシュタインは、第6次イゼルローン要塞攻防戦における敵前交渉まで、ラインハルトも含めた3者とは直接の面識が全くありませんでした。
ヴァンフリート星域会戦におけるヴァレンシュタインのリューネブルク・ラインハルト評も、結局のところは原作知識を用いた記号的なものでしかなかったのです。
ところが、その原作知識にあるリューネブルクとオフレッサーの評価というのは、「卑怯未練な振る舞いを嫌い、勇気ある行動と信義を称賛する」とは程遠いものがあります。
リューネブルクは「(事情はあったにせよ)同盟を裏切って平然としている卑怯者」ですし、オフレッサーは「石器時代の勇者」「ミンチメーカー」と評され、重傷を負って這い蹲る敵兵相手にトマホークを打ち下ろしたり、ラインハルト相手に侮辱的な言動を披露したりする残忍な人物として描かれています。
何よりも原作者である田中芳樹自身、そのような意図でもって両者を描いていたであろうことは、銀英伝のみならず他の作品におけるこの手の人物の傾向を見ても明らかです。
とても「卑怯未練な振る舞いを嫌い、勇気ある行動と信義を称賛する」というタイプの人間であるとは評しえるものではありえません。
ヴァレンシュタインの姿が見えた瞬間、無防備であろうが何だろうが「大功が立てられる」と獲物を見るような目で喜び勇んで騙し討ち&突撃を敢行し全員殺して首級を挙げる、というのが「原作知識から導き出される」彼らの正しい反応というものではないのでしょうか?
かくのごとき「スタンダードな」原作知識から全く異なる人物評を導き出したというのであれば、「本編」における考察と同じようにその思考過程を説明する必要があるでしょう。
「本編」におけるリューネブルクやオフレッサーの性格がそうだったから、などというのは全く何の言い訳にもなりはしません。
そんなことは、「亡命編」におけるヴァレンシュタインが全く知りえようはずもない情報なのですから。
ヴァレンシュタインが持っている原作知識とやらには、「亡命編」が全くタッチしていないはずの「本編」10話以降のストーリー情報や設定までもが含まれていたりするのでしょうか?
そしてそれ以上に異常なのは、戦闘の最中に敵に対して交渉を持ちかけるという策それ自体の是非が全く論じられていないことです。
当時のヴァレンシュタインは撤退戦の指揮を任されてはいましたが、彼の権限はあくまでも「撤退戦の指揮」に限定されるものであり、敵との交渉権まで委ねられていたわけではありません。
敵との交渉というのは、敵ではなく味方・部下・国民の感情を刺激するものですし、実際、交渉を通じて味方の内情や機密が筒抜けになってしまう懸念もあります。
軍事のみならず政治の問題にも直結しかねない敵前交渉を行う際には、いくらヴァレンシュタインに撤退戦の指揮権が委ねられているとはいえ、さすがに軍上層部の判断を仰ぐ必要が確実にあったはずです。
実際、この後の第7次イゼルローン要塞攻防戦では、ヴァレンシュタインが敵前交渉を行うに際してこんなやり取りが交わされています↓
http://ncode.syosetu.com/n5722ba/57/
> シトレに視線を向けた、向こうも俺を見ている。そして軽く頷いた、俺もそれに頷き返す。
> 「オペレータ、敵艦隊に通信を。ミューゼル中将に私が話をしたいと言っていると伝えてください」
>
> 俺の言葉にオペレータが困ったような表情をしている。そしてチラっとシトレを見た。確かに指揮官の許可なしに敵との通信などは出来んな、俺とシトレの間では話はついているんだが、こいつがそれを知るわけがない。
> 「准将の言う通りにしたまえ」
> 「はっ」
ところが第6次イゼルローン要塞攻防戦では、この手の上層部への確認や事前の根回しの類などが全く行われておらず、その場におけるヴァレンシュタインの独断のみで敵前交渉が決定・実行されてしまっているのです。
ましてや、ヴァレンシュタインは元々同盟市民ではなく帝国からの亡命者です。
ただでさえ、ローゼンリッター連隊長の過半数にも及ぶ裏切り行為を味わってきた歴史を持つ同盟軍にとって、亡命者の敵前交渉など、まさに自分達への裏切りを促進するものにしか映らないでしょう。
しかも、その目的のうちの半分(というよりもメイン)は、同盟軍とは全く何の関係もない「ヴァレンシュタイン個人の旧友であるキスリングを助けること」にあったのです。
事前に許可を得ることなく「敵の軍人を助けるために敵に交渉を申し込む」という行為が「利敵行為に当たる」として後々問題視される可能性は決して無視できるものではないでしょう。
そればかりか、ヴァレンシュタインがキスリングに同盟の軍事情報や機密の類を密かに渡している事態すらも構造的には起こりえるので、【本来ならば】同盟軍はその可能性についての調査・検証を確実に迫られることになります。
元々ヴァレンシュタインは、例の自爆発言で同盟を裏切る意思を堂々と表明していた前科もあるわけですし。
これから考えると、交渉内容の是非や成果以前に、まずこの「敵前交渉」それ自体が何らかの軍規違反、最悪はスパイ容疑や国家機密漏洩罪・国家反逆罪等の重罪に問われる可能性すらも【本来ならば】かなり高かったであろうと言わざるをえないのです。
これ単独だけでも軍法会議の開廷は【本来ならば】必至でしたし、ましてや214条や上官侮辱罪の件もあるのですから、それらとも連動してさらにヴァレンシュタインの立場や周囲の心証が悪くなるのも【本来ならば】確実だったでしょうね。
もちろん、作中で全くそうなっていないのは、いつものごとく神(作者)が「奇跡」という名の御都合主義を発動しまくっているからに他ならないのですが(爆)。
こんな惨状で、この後の214条絡みの軍法会議で勝利できるなどと確信できるヴァレンシュタインは、非常におめでたい頭をしているとしか評しようがないですね。
ひとつではなく3つもの軍規違反が重なっているのですから、普通にやれば必敗確実、ヴァレンシュタインのあの態度では「反省が見られない」「情状酌量の余地なし」で銃殺刑も充分にありえる話ですし。
ヴァレンシュタインが毎回毎回人知れずやらかしまくる失態や問題を、原作知識やヴァレンシュタイン自身の才覚ではなく「神(作者)の奇跡」を乱発しまくることで乗り切らせるという構図は、ヴァレンシュタインのみならず作品と作者の評価をも間違いなく下げているのではないかと思えてならないのですけどね。
そんなわけで、次回はいよいよ第6次イゼルローン要塞攻防戦の締めとなる、自由惑星同盟軍規定第214条絡みの軍法会議の実態について検証していきたいと思います。