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2012年06月の記事は以下のとおりです。

「くまモン」のTwitter公式アカウントへの不正ログイン事件

九州新幹線全線開業PRマスコットキャラクターとして生まれ、現在では熊本県全体の宣伝広報キャラクターとなっている「くまモン」のTwitter公式アカウントが、何者かに乗っ取られるという事件が発生しました。
既に新アカウントが開設済みで、問題となった旧アカウントは近く閉鎖される予定なのだとか。

http://www.j-cast.com/2012/06/11135129.html
>  熊本県PRマスコットキャラクター「くまモン」のツイッターアカウントが第三者に乗っ取られていたことがわかった。2012年6月8日、熊本県がくまモン公式サイトで発表した。
>
>  
これまでくまモンは「@55kumamon」のアカウントを使用してきたが、このアカウントが悪意の第三者にログインされていることが8日夜に発覚した。具体的にはフォローが勝手に外される、プロフィールが書き換えられるという被害があったという。
>
>  くまモンは新しいアカウント「@55_kumamon」をすでに作成済みで、これまでのアカウントのフォローを外し、新しいアカウントをフォローするように呼びかけている。


しかし、フォロワーを新たに集め直さなければならないだけでも「くまモン」には大きな打撃ですね。
私も10万人以上のフォロワーを集めるのは苦労しましたし(-_-;;)。
まあ、「くまモン」の知名度を鑑みれば、ある程度のリカバリーは容易ではあるのでしょうけど。
それにしても、Twitterでは「公式」とされるアカウントでさえ、容易に他者に乗っ取られるものなのですねぇ。
Twitterアカウントの管理には注意が必要であることを、改めて痛感させる事件ですね。

銀英伝外伝舞台「撃墜王編」の全配役発表と問題点

銀英伝舞台版公式サイトが更新され、出演キャストの全配役が発表されました。
公式サイトはこちら↓

銀英伝舞台版公式サイト
http://www.gineiden.jp/
銀河英雄伝説 撃墜王篇
http://www.gineiden.jp/gekitsui/
撃墜王篇の出演キャスト一覧
http://www.gineiden.jp/gekitsui/cast.html

ただこの配役、正直かなりの問題点を抱え込んでいると言わざるをえないところですね。
配役の内容は以下のようになっているのですが↓

中川晃教 =オリビエ・ポプラン
横尾 渉 =ジークフリート・キルヒアイス
二階堂高嗣=コールドウェル
中村誠治郎=イワン・コーネフ
大山真志 =サレ・アジズ・シェイクリ
仲原裕之 =ウォーレン・ヒューズ
岩永洋昭 =ワルター・フォン・シェーンコップ
三上 俊 =モランビル
長澤奈央 =ナオミ
桑代貴明 =ユリアン・ミンツ
川隅美慎 =ビクトル・フォン・クラフト
松村泰一郎=ライナー・ブルームハルト
海宝直人 =カスパー・リンツ
内藤大希 =ザムチェフスキー
ニコラス・エドワーズ=ラインハルト・フォン・ローエングラム
高山猛久 =アーサー・リンチ
川合敏之 =アドリアン・ルビンスキー
佐藤和久 =ヨッフェン・フォン・レムシャイド
深澤英之 =ラザール・ロボス
藤咲ともみ=ハンナ
内田羽衣 =ケイト
大澄賢也 =ムライ
天宮 良 =アレックス・キャゼルヌ

問題なのは赤文字部分の配役になるのですが、これらの配役を担うキャストは、正伝となるであろう第一章・第二章で配役を担っていた「中の人」とは明らかに異なっています。
問題となっている3者の第一章・第二章の配役とキャストは以下のようになっていました。

ジークフリート・キルヒアイス=崎本大海
ワルター・フォン・シェーンコップ=松井誠
ラインハルト・フォン・ローエングラム=松坂桃李

……何故今回、主要人物とすら言える登場人物のキャストが変わってしまっているのでしょうか?
同じ出演者が一人二役を演じたりするケースはともかく、同じ登場人物のキャストはシリーズ通じて同一にしておかないとマズいでしょう。
第一章・第二章の舞台を観た後に「撃墜王編」を観賞したら、顔ぶれが全く異なることから違和感バリバリになるのは必至なのですが。
今までの舞台でも、ジークフリート・キルヒアイス役の崎本大海がオーベルシュタイン編で友情出演するなどといったことを行い、キャストの一貫性を保っていたことを鑑みると、今回の措置はあまりにも不自然であると言わざるをえません。
特にシェーンコップなんて、直近の舞台である第二章の登場人物なのですからなおのこと、一貫性は保って然るべきでしょうに。
まあ、今回交代になってしまったキャスト達はそこそこの大物ではあるようなので(特に松坂桃李は最近の邦画でも名前を見かけるようになりましたし)、その辺りの「大人の事情」が影響してはいるのでしょうけど、こんな無理が生じるくらいならば、そもそも最初から大物を配置しなければ良かったのではないかと。
「客寄せパンダ」的な宣伝目的で大物を配置したことが、今回のような外伝では逆に仇となって返ってきているような感すらあります。
舞台に限らず、キャストの一貫性というのは極めて大事な要素なのではないかと思えてならないのですけどねぇ。

こんなことが今後も起こるとなると、今後発表されるであろう第三章の舞台などでも、「主要キャストが以前の舞台とは全くの別人になっている」という事態が想定されてしまうわけで、正直大丈夫なのかと考えずにいられないところなのですが。
それとも、舞台という場ではこういうことが日常的に行われていたりするのでしょうか?

育児休暇取得忌避に見られる「男女平等」の歪み

「妊娠した女性は、育児休業を取らずに退職して欲しい」と考えている企業が25%に昇るとする求人広告アイデムの調査結果が波紋を呼んでいます。
背景には、社員が育児休暇を取得すること疎んじる企業経営側と、交代要員もなく過重労働を強いられる社員側の利害があるとのことで、かなり根深い問題ではありますね↓

http://megalodon.jp/2012-0609-0349-31/www.j-cast.com/kaisha/2012/06/08135021.html?p=all
>   「妊娠した女性は、育児休業を取らずに退職して欲しい」と考えている企業が25%にのぼるとした調査結果に、波紋が広がっている。求人広告のアイデムが、正社員が6人以上いる1439社からインターネットを通じて回答を得たものだ。
>
>  
男性正社員の育休取得を「容認できない」とした企業も16%あった。急速に進む高齢化が社会不安を高めている中で、働きながら出産や子育てを行う女性や、それを支えようとする夫を疎んじる会社があるのが実態のようだ。
>
> ムカつく独身OL「育休取った同僚のせいで婚期遅れた」
>
>  ネットにはこの結果に対し、実際にはもっと多くの企業が育休取得を快く思っていないはずだ、という書き込みが見られる。
>
> 「『本音』を言ったのが25%のみ、という調査結果」
> 「むしろ正直な企業が25%しかないってことだろう」
>
>
育休取得を冷ややかに見ているのは、人の穴埋めに苦心する経営者や管理職だけではない。交代要員が配置されない場合、職場では仕事量が増えてフラストレーションが高まる。連続して子どもを産むと、産休、育休で何年も姿を見ないこともある。
>
>  ネットメディア「ガウ!マガジン」は、「『育児休暇を取らないで』が25%!子持ち同僚にムカつく事4選」という記事を掲載し、職場に残る独身OLの苛立ちを紹介している。
>
>  まっさきにあがっているのは、「婚期が遅れるのも“育児休暇”のせい」という声だ。同僚が自分より先に結婚・出産したために仕事が激増し、出会いが遠のいて婚期が遅れてしまったと嘆く31歳女性(保険会社勤務)の声を紹介している。
>
> 「のんきに子どもの写メールを送ってくるA子に腹が立ってしかたありません。復職後、仲良くやっていけるか心配です」
>  こういう人に限って、自分が出産するときには「目いっぱい休まなければ損」とばかり、育休を最大限に活用する気がするのだが…。

企業の育児休暇に対する忌避傾向は、女性の社会進出を「安価な労働力が確保できる」と安易に賛同・推進してきたツケが回ってきた結果でもあります。
女性に出産の問題があり、女性の労働力を取り込むためには出産に纏わる様々な事象に配慮する必要があることなど、企業側も最初から分かっていたことのはずです。
にもかかわらず、「利益は享受したいがリスクは背負いたくない」と言わんばかりに育児休暇を忌避し、その挙句に社員にそれを押し付けるという構図は正直どうかと言わざるをえないところです。
そもそも、子育ての観点から見ると、現行の育児・介護休業法で定められている1年の育児休暇ですら実は不十分もいいところなのです。
「三つ子の魂百まで」という格言にもあるように、生まれてから3年以内の育児は、その子供の性格形成や成長、ひいてはその後の一生に重大な影響を与えます。
それを考えれば、出産から始まる育児休暇の期間は最低でも3年、できれば5年は必要と見るのが妥当なところでしょう。
もちろん、現行の育児休暇にすら難色を示す企業にそんな負担が耐えられるわけもないのですが。
人間の育児というのはそれほどまでに手間暇がかかるものである、という事実自体を知らない人というのはそうそういるものではないでしょう。
しかし一般社会では、その大変な子育ての実態をどうにも甘く見過ぎているような風潮が多々あるのではないかと思えてなりませんね。
だから安易に女性の社会進出が叫ばれたり、今回のような育児休暇に対する忌避感が露呈したりといったギャップが生まれたりもするわけなのですが。

社員による育児休暇の取得を忌避する傾向があるのは、性別で見ると意外にも女性の方が多いとのことです。
何でも、育児休暇で生じた穴を埋めるために過重労働を強いられる傾向があるからなのだそうです。
しかしこういう話を聞くと、「女性にとっての最大の敵は女性自身である」という言葉は案外真実を突いているのかもしれないとつくづく思えてきますね。
育児休暇によって他の社員の負担が増大するというのは、基本的には企業側の責任であるはずです。
育児休暇によって空いた人材の穴を埋める体制を整えず、現行の社員だけで回していくような負担を強いる企業こそが、本来最も責められるべき対象なのです。
にもかかわらず、その企業は全く責めることなく、同じ被害者であるはずの女性を目先の事象で責める辺りは、何とも短絡的と言わざるをえないところです。
そんなことをしたところで、物事の本質は何も解決しないのですし、それで本当にほくそ笑むのは、自身の責任追及を免れるばかりか正当化すらされる企業でしかないのですが。
あまつさえ、今の会社や社員の間では、女性の出産や育児休暇を非難する「空気」すらあるのだとか。
出産は本来めでたいことであるはずなのに、それを歓迎しないどころか白い目で見たり退職の圧力をかけたりするなど、社会として何か間違っているとしか思えないのですが。
子供ってそこまで害悪であり、社会にとって邪魔な存在だというのでしょうか?

現在叫ばれている女性の社会進出や男女平等という概念に、私がどうにも懐疑的・否定的にならざるをえないのは、結局のところその副作用が一番弱い立場にある子供を直撃するからです。
この手の問題はとかく「男女間の対立」や「女性の権利伸張」という観点のみで語られる傾向が多く、物言わぬ子供の問題は軽視・無視どころか、下手すれば「女性の敵」「社会のお荷物」であるかのごとき扱いすら受けることがあります。
特に育児の問題などは、性差から来る適性の違いをも無視して、女性が男性にその負担を無条件に押しつけようとする傾向すら垣間見られる始末ですからね。
そりゃ少子化だって改善どころかさらに悪化もしようというものです。
男女それぞれの適性と個性に合致し、かつ子供にも負担をかけることのない「本当の男女平等」のあり方というものを模索することはできないものなのでしょうかねぇ……。

銀英伝2次創作「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察12

二次創作には「メアリー・スー」と呼ばれる用語があります。
「メアリー・スー」とは、原作の登場人物をはるかに凌ぐ実力と優秀さを兼ね備え、原作の主人公をもそっちのけにして万能的に活躍し、主人公も含めた原作キャラクターや読者から無条件に畏怖・礼賛されるオリジナルキャラクターの総称です。
この用語の由来は、「スタートレック」の二次創作に登場した女性のオリジナルキャラクター「メアリー・スー大尉」にあるのだとか。
欧米の二次創作では、「メアリー・スー」は物語の世界観を破壊しかねないという理由からその存在そのものが忌み嫌われ、敬遠される傾向にあるのだそうですが、日本では一次創作からして「メアリー・スー」のごとき万能系の主人公が登場し他を圧倒して活躍する作品も珍しくない(創竜伝や薬師寺シリーズもそうですし)ためか、意外と受け入れられているフシが多々ありますね。
そして、「本編」も「亡命編」も含めた「エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝」もまた、典型的過ぎるほどに「メアリー・スー」の系譜に属する二次創作であると言えるでしょう。
この「メアリー・スー」のオリジナルキャラクターが持つ特性を、ヴァレンシュタインは軒並み踏襲している始末ですからねぇ(苦笑)。
以下のページでは、自分が作成した二次創作の「メアリー・スー度」を診断することができるのですが、作者氏自身の性格や意向が絡む要素を抜きにして「作中に表れている主人公の傾向」のみに限定しても、かなりの項目にチェックが入ってしまいますし↓

Mary Sueテスト
http://iwatam-server.sakura.ne.jp/column/marysue/test.html

同じサイトの別ページでは、「メアリー・スー」が良くない&嫌われる理由について、以下のようなメッセージが込められているからだと書かれています↓

http://iwatam-server.sakura.ne.jp/column/marysue/index.html
<今の自分は酷い扱いを受けているけど、本当は秘めた能力を持っている。自分がこんな扱いを受けているのは、単に自分の能力を発揮する機会を与えられなかっただけだ。今みたいに周囲に悪い人しかいないのではなく、良き理解者がいればもっと活躍できるのに。

思わず笑ってしまったのですが、これってヴァレンシュタインが常日頃抱いている被害妄想そのものでもありますよね。
ヴァレンシュタインはまさに、「自分のことを理解できない他人が悪い」「自分の意図を忠実に実行できない他人が悪い」「自分の意に沿わない他人は無条件で悪だから何をしても良い」「だから常に自分は正しく他人が悪い」的なことばかり主張し、自分の責任や失態を免罪すると共に他者を罵倒しまくっているのですから。
しかし、作中におけるヴァレンシュタインの言動が正当化されるためには、どう考えても「良き理解者」どころか「全知全能の神」でも味方につけないと不可能なレベルであるようにしか見えないのが何とも言えないところで(T_T)。
ヴァレンシュタインが「メアリー・スー」を貫くなら貫くで、もう少し読者にその有能さを納得させられるだけの理論的説得力や物語的な必然性といったものが伴っていて欲しいものなのですけど。
また、「メアリー・スー」は作者の願望や理想が投影されたものでもあるそうなのですが、「エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝」の作者氏は、あんなシロモノになりたいとかアレが理想像であるとか本気で考えていたりするのですかねぇ……。
いくら希少価値があるからと言っても、狂人やキチガイに魅力を感じ憧れを抱くというのも考えものではあるのですが。

それでは、今回より第6次イゼルローン要塞攻防戦が終結して以降の話を検証していきたいと思います。
なお、「亡命編」のストーリーおよび過去の考察については以下のリンク先を参照↓

亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
http://ncode.syosetu.com/n5722ba/
銀英伝2次創作「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察
その1  その2  その3  その4  その5  その6  その7  その8  その9  その10  その11

暴言と失態を重ねるたびに何故か周囲から絶賛され昇進していく、原作「銀英伝」のビッテンフェルトすらも凌ぐ文字通りの「奇跡の人」ヴァレンシュタイン。
38話の軍法会議で、本来ならばありえるはずもない無罪判決を「神(作者)の奇跡」によって勝ち取ってしまったヴァレンシュタインは、しかしそのことについて神(作者)に感謝もしなければ悔い改めることもなく、相変わらずの「我が身を省みぬ狂人」ぶりを披露してくれています。
特に、ミュッケンベルガーが辞任して空位になった帝国軍宇宙艦隊司令長官の後任に誰が就くのかについて聞かれた際にこんな回答を返したことなどは、軍における自分とロボスの関係自体をすっかり忘れてしまっているのではないかとすら危惧せざるをえないほどなのですが↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/40/
> 部屋が静まり返りました。准将のいう事は分かりますが私にはどうしても納得いかないことが有ります。
> 「准将、周囲の提督達はどうでしょう。素直に命令に従うんでしょうか?」
>
> 私の問いかけに何人かが頷きました。そうです、いきなり陸戦部隊の指揮官が司令長官になると言っても提督達は納得できないと思うのです。准将は私の質問に軽く頷きました。
>
>
「従わなければ首にすれば良い。そして若い指揮官を抜擢すれば良いんです」
> 「若い指揮官?」
> 「ええ、今帝国で本当に実力が有るのは大佐から少将クラスに集中しているんです。彼らを抜擢して新たな宇宙艦隊を編成すればいい」
> 「……」

じゃあ何故ロボスは、上官侮辱行為だの214条発動の進言だのを行ったヴァレンシュタインを処断することができなかったのでしょうかねぇ(笑)。
「従わなければ首にすれば良い」というのであれば、当然ロボスもヴァレンシュタインに対してそれが行えたはずなのに。
ヴァレンシュタインがロボスに対して行っていたことは誰の目にも明らかな軍規違反だったのであり、またヴァレンシュタインがロボスに露骨なまでの反抗の意思を示していたのもこれまた明白だったのですから。
その際にヴァレンシュタインが自己正当化の手段として掲げていた「司令官は無能低能&無責任だ」程度の言い訳ならば、オフレッサーが自分達の上官になることに不満を持つ軍人であれば誰だって言うでしょうよ。
上記引用にもある通り、「いきなり陸戦部隊の指揮官が司令長官になると言っても提督達は納得できないと思う」事態は当然発生しえるのですから。
つまりヴァレンシュタインは、「あの場における自分は上官たるロボスに排除されて当然の人間だった」と自分から告白しているも同然であるということになってしまうわけです(爆)。
せっかく「神(作者)の奇跡」で無罪判決を恵んでもらったというのに、その正当性を自分から破壊するような言動を披露しているようでは世話はないですね。
まあそれ以前に、あの当時のヴァレンシュタインの立場で「自分は何故ロボスから処断されなかったのだろう?」と少しも疑問に思わないのは論外もいいところなのですが(苦笑)。

自分の身に起こっている「神(作者)の奇跡」を「望外の幸運」として感謝するどころか至極当然のものとすら認識しているヴァレンシュタインの傾向は、同盟軍における宇宙艦隊司令長官の後任人事話の際にも垣間見ることができます。
ここでヴァレンシュタインの恰好の被害妄想サンドバッグにされてしまっているのは、同盟軍ナンバー1の統合作戦本部長シドニー・シトレ元帥です↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/41/
> 「なら、お前は誰が司令長官に相応しいと思うんだ」
> 「シトレ元帥です」
> 「な、お前何を言っているのか、分かっているのか?」
> ワイドボーンの声が上ずった。まあ驚くのも無理はないが……。
>
> 軍人トップの統合作戦本部長、シトレ元帥が将兵の信頼を取り戻すためナンバー・ツーの宇宙艦隊司令長官に降格する。本来ありえない人事だ。だがだからこそ良い、周囲もシトレが本気だと思うだろう。彼の“威”はおそらく同盟全軍を覆うはずだ。その前で反抗するような馬鹿な指揮官など現れるはずがない。オフレッサーにも十分に対抗できるだろう。
>
> 俺がその事を話すとワイドボーンは唸り声をあげて考え込んだ。
> 「これがベストの選択ですよ」
> 「それをシトレ元帥に伝えろと言うのか?」
> 「私は意見を求められたから答えただけです。どうするかは准将が決めれば良い。伝えるか、握りつぶすか……」
> 「……」
>
> 「これから自由惑星同盟軍は強大な敵を迎える事になる。保身が大切なら統合作戦本部長に留まれば良い。同盟が大切なら自ら火の粉を被るぐらいの覚悟を見せて欲しいですね」
>
> 蒼白になっているワイドボーンを見ながら思った。
シトレ、俺がお前を信用できない理由、それはお前が他人を利用しようとばかり考えることだ。他人を死地に追いやることばかり考えていないで、たまには自分で死地に立ってみろ。お前が宇宙艦隊司令長官になるなら少しは信頼しても良い……。

もうここまで来ると、ヴァレンシュタインは常に被害妄想を抱いていないと死んでしまう病気の類でも患っているのではないか、とすら思えてきてしまいますね(苦笑)。
シトレが第5次イゼルローン要塞攻防戦の際に宇宙艦隊司令長官の職にあったという作中事実を、まさかヴァレンシュタインが知らないわけはないでしょう。
別に原作知識とやらがなくても、「亡命編」の世界の人間であれば誰でも普通に理解できる「過去の作中事実」でしかないのですから。
「たまには自分で死地に立ってみろ」も何も、シトレはとっくの昔にヴァレンシュタインが所望する宇宙艦隊司令長官の職を経た上で現在の地位にあるわけなのですから、「お前が戦争に行け」論的な批判など最初から当てはまりようがないのですが。
そもそも軍に限らず、組織の長というのは「組織全体の方針を決める」「人を使っていく」ことをメインの仕事としているのであり、その観点から見ればシトレは自分の職務を忠実にこなしているだけでしかありません。
むしろ、その立場にある者が他者を使うことなく自分で全ての仕事を処理していくことの方が、人材を死蔵させ下の者の仕事を奪うという二重の意味で迷惑極まりない話なのであり、一般的な評価でも「本来やるべき仕事をしていない」と見做されて然るべき行為なのです。
人の上に立つ者には人の下で働く者とは別の責任と義務があるのであり、それは決して楽なものでも軽いものでもないということくらい、よほどのバカでもない限りは分かりそうなものなのですけどね。

それにヴァレンシュタインにとってのシトレは、「死地に追いやる」どころか、むしろ「一生の恩人」とすら言って良いほどの恩恵をヴァレンシュタインに与えているはずではありませんか。
7話におけるフェザーンで帝国軍人であるミュラーと秘密の会話を交わしていた件では、そのことを報告しなかったミハマ・サアヤ共々、法的にも政治的にも本来ならばスパイ容疑で処断されても文句は言えない局面でした。
しかしシトレは、それでもヴァレンシュタインを「殺すには惜しい有用な人材」であると考え、彼に本当の同盟人になってもらおうと意図してヴァンフリート4=2への赴任を命じたわけです。
しかも、ヴァレンシュタインの要望に100%応え、大規模な戦力を増強させるという便宜を図ってまで。
それでヴァレンシュタインがヴァンフリート星域会戦を勝利に導き、シトレの意図通りになったかと思いきや、今度は「伝説の17話」で極刑ものの自爆発言を繰り出してしまう始末。
シトレにしてみれば、せっかくヴァレンシュタインを登用し要望まで全部聞いてやったにもかかわらず、自分と同盟の双方に対する裏切りの意思まで表明され憎まれる羽目となったのですから、「あれだけのことをしてやったのに」「自分の方こそ裏切られた」と激怒しても良さそうなものだったのですけどね。
そしてさらに38話では、どう見ても214条発動の緊急避難性を何も証明できていないヴァレンシュタインに対し、わざわざ無罪判決を出してしまうという「贔屓の引き倒し」もはなはだしい茶番&八百長行為すらも堂々とやらかしてくれたシトレ。
これらの過去の経緯を鑑みれば、ヴァレンシュタインはシトレに対し「一生かかっても返せないほどの恩恵を与えてくれた恩人である」と絶賛すらして然るべきはずでしょう。
いくら「神(作者)の奇跡」という絶対的な力の恩恵だからとは言え、異様なまでに理解のあるシトレがヴァレンシュタインを贔屓していなければ、ヴァレンシュタインはとっくの昔に「亡命編」の世界からの退場を余儀なくされていたのは確実なのですから。
にもかかわらず、ヴァレンシュタインは「自分に対する最大の良き理解者」でさえあるはずのシトレにすら、一片の感謝の意も示さないどころか憎悪すらしているときているのですから、その想像を絶する被害妄想狂ぶりにはもう呆れるのを通り越して笑うしかありません。
自分がいかに原作知識や能力とは全く無関係なところから、それも常識ではありえないレベルで恩恵を享受している立場にあるのか、ヴァレンシュタインは一度死んでみないと理解できないのですかねぇ(笑)。

その後、ヴァレンシュタインはシトレに呼ばれ、トリューニヒトとレベロも交えた秘密の会合に参加することになります。
そこでヴァレンシュタインは、自身が初めて原作の流れに介入したアルレスハイム星域会戦以降における政治の舞台裏を知ることになります。
しかし、そこはやはりヴァレンシュタイン、他人を罵り自分を正当化するのは相変わらずのようで↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/43/
> 「彼には正直失望した。あの情報漏洩事件を個人的な野心のために利用しようとしたのだ。あの事件の危険性を全く分かっていなかった」
> トリューニヒトが首を振っている。ワインの不味さを嘆いている感じだな。シトレが顔を顰めた。つまりシトレにも関わりが有る……。
>
> ロボスはあの事件をシトレの追い落としのために利用しようとしたという事か。何をした? まさかとは思うが警察と通じたか? 俺が疑問に思っているとトリューニヒトが言葉を続けた。
>
> 「自分の野心を果たそうとするのは結構だが、せめて国家の利益を優先するぐらいの節度は持って欲しいよ。そうじゃないかね、准将」
> 節度なんて持ってんのか、お前が。持っているのは変節度だろう。
>
> しかし国家の利益という事は単純にトリューニヒトの所に駆け込んでこの件でシトレに責任を取らせ自分を統合作戦本部長にと言ったわけではないな。警察と裏で通じた……、一つ間違えば軍を叩きだされるだろう。となると捜査妨害、そんなところか……。
>
> 「節度がどうかは分かりませんが、国家の利益を図りつつ自分の野心も果たす。上に立とうとするならその程度の器量は欲しいですね」
> 「全くだ。その点君は違う。あの時私達を助けてくれたからね。国家の危機を放置しなかった。大したものだと思ったよ」
>
>
突き落としたのも俺だけどね。大笑いだったな、全員あの件で地獄を見ただろう。訳もなく人を疑うからだ、少しは反省しろ。まあ俺も痛い目を見たけどな。俺はもう一度笑みを浮かべてサンドイッチをつまんだ。今度はハムサンドだ。マスタードが結構効いてる。

「訳もなく人を疑う」も何も、当時のアンタは「帝国への逆亡命計画」などという、他者に露見したら重罪に問われること確実な後ろ暗い陰謀を普通に画策していたのではありませんでしたっけ?
しかもフェザーンでは、同盟側が抱いていたスパイ疑惑をわざわざ裏付けるような軽挙妄動に及んでいましたし、「伝説の17話」では同盟を裏切る意思表示までしていたのですから、同盟側のヴァレンシュタインに対する疑惑は全くもって正しいものだったと言わざるをえないところなのですが。
それを「少しは反省しろ」って、少しどころではなく本当に反省すべきなのは、目先の、それも逆恨みの類でしかない怒りに駆られて軽挙妄動した挙句、結果として自分の「帝国への逆亡命計画」を頓挫させてしまったヴァレンシュタイン自身でしょうに。
「あの時あんなバカな行動に走らなければ…」といった類の自省心を、ヴァレンシュタインは一片たりとも持ち合わせていないのか……とは今更問うまでもなかったですね(苦笑)。
上記引用のほんの少し前では、こんなことを平気で述べてもいたわけですし↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/42/
> 溜息が出る思いだった。発端はアルレスハイム星域の会戦だった。あそこでサイオキシン麻薬の件を俺が指摘した。その事がこの二人を結びつけロボスの失脚に繋がった。何のことは無い、俺が此処にいるのは必然だったのだ。にこやかに俺を見るトリューニヒトとシトレを見て思った、俺も同じ穴のムジナだと……。

ヴァレンシュタインの自業自得な軽挙妄動がなければ「帝国への逆亡命計画」の発動で帝国に帰れたかもしれず、シトレの異常なまでの「贔屓の引き倒し」がなければとっくの昔に処刑されていたことを鑑みれば、42~43話におけるヴァレンシュタインが置かれている状況は必然でも何でもありません。
狂人ヴァレンシュタインの狂気な言動と「神(作者)の奇跡」のコラボレーションによる超怪奇現象、それがこれまでのストーリーから導き出される正しい評価というものでしょう。
そして、そのような異常事態を作中の誰ひとりとして認識できないという事実こそが、この作品の醜悪な本質を表しているものであると言えるのかもしれません。

次回は引き続き、シトレ・トリューニヒト・レベロの3者と会合するヴァレンシュタインの主張を検証していきます。

Windows7の世界累計販売数6億本突破

Microsoftが販売するOS「Windows7」の累計販売数が6億本を超えたことが明らかになりました。
また、Windows7の世界シェアも着々と拡大中のようで↓

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1206/07/news027.html
>  米Microsoftは6月6日(現地時間)、台湾で開催中の「COMPUTEX TAIPEI 2012」の基調講演で、「Windows 7」の累計販売数が6億本を超えたと発表した。
>
>  Windows 7は2009年9月に発売された。同社は1月の業績発表時にはWindows 7が累計で5億2500万本売れたと発表している。
>
>  アイルランドのアクセス解析サービス企業StatCounterによると、
Windows 7は2012年4月末の世界のOSシェアランキングでトップ(シェアは47.58%)だった。同月のWindows XPのシェアは31.79%、Windows Vistaは8.92%だった。
>
>  MicrosoftのOEM担当副社長を務めるスティーブン・グッゲンハイマー氏は、Windows 7は次期OS「Windows 8」に移行するための最善の道であるとし、最近発表した「Windows 8 優待購入プログラム」について触れた。
>
>  この基調講演でMicrosoftは、OEMメーカーによるWindows 8搭載機を紹介した他、組み込み向け次世代OS「Windows Embedded Standard 8」が第2CTP(コミュニティーテクノロジープレビュー)段階になったことも発表した。

しかしこの期に及んでも、Windows Vistaの世界シェアは悲惨な惨状を呈していますね。
衰退しつつあるWindowsXPのさらに3分の1以下って……。
いかにWindows Vistaが世界的に受け入れられなかったかが良く分かる数値と言わざるをえませんね(T_T)。

そのWindows Vistaが取って代われず、長年王者として地位を維持し続けてきたWindowsXPも、XPモードの互換性を兼ね備えたWindows7に少しずつ駆逐されていっている様相が明らかになっています。
WindowsXPもいよいよ年貢の納め時を迎えつつありますが、完全な入れ替えにはあと数年は必要でしょうか。
個人単位でさえ、OSの入れ替えはパソコンの買い替えとセットで行うのが常なのですし、実際、古いパソコンだとスペック的に新OSが動かないという問題もありますからねぇ。
ましてや、これが企業単位ともなれば、パソコン同士のデータのやり取りやソフトの互換性の問題もありますから、そうそう簡単には入れ替えも行えないわけで。
WindowsXPもサポート期限が迫ってきていますから、下手に維持し続けても否応なく入れ替えを余儀なくされることになるのですが、Microsoft社はともかく、WindowsXPの個人ユーザーや企業にとっては頭の痛い話でしょうね。

田中芳樹&垣野内成美の「USTREAM」トークライブ感想

2012年6月5日19時より「USTREAM」で配信された、田中芳樹&垣野内成美トークライブを観賞してみました。
全体的な感想としては「とりあえずは無難に終わらせたなぁ」という感じですかね。
視聴者から募集し採用されていた質問の内容も当たり障りの無いものならば、田中芳樹の遅筆の言い訳も相変わらずなシロモノでしたし。

トークライブの構成内容は、大雑把にまとめてみると、

薬師寺シリーズ9巻「魔境の女王陛下」の簡単な内容紹介

薬師寺シリーズの変遷や雑談

コミック版薬師寺シリーズの今後の予定

著名人からの応援メッセージの紹介

泉田準一郎の恋愛感?についての話

読者から寄せられた質問の公表

田中芳樹&垣野内成美それぞれの今後の仕事の予定について

とまあこんな流れで進行していました。
田中芳樹の発言によれば、元々「魔境の女王陛下」は奥多摩を舞台にしたミステリーにしようとしていたところ、そう考えた頃に自分の構想と全く同じ舞台のミステリー作品が続々と出てきたため、急遽構想をやり直すことにしたのだとか。
なるほど、去年のニコファーレ会談の際に「四章を執筆中」と公言していながら、年末には「一章をお渡しした」と執筆状況がやたら後退していた理由はそれだったというわけですね。
わざわざ書き直しているのであれば、執筆状況が後退するのも当然というわけで。
しかし薬師寺シリーズって、「そもそもミステリーなのか?」という根本的な疑問がまずあるのではないかと思うのですけどねぇ(苦笑)。
作風も、どちらかと言えばホラーアクションコメディ的なノリに近いですし。
確かに薬師寺シリーズが作られる発端となったのはミステリー作品でしたが、薬師寺シリーズのミステリー志向は、1巻「魔天楼」の時点で早々に頓挫していたはずでしょうに。
オカルトに依存している時点で既にミステリーではありませんし、下手にその構図を否定しようとしても、それは作品の世界観に多大な混乱をもたらすだけでしかありません。
この期に及んでまだ薬師寺シリーズのミステリー志向を諦めていなかったのかと、この点はむしろ驚かざるをえませんでしたよ、私は。
巷のミステリー作品と薬師寺シリーズは、どうやってもジャンル的にカブりようがないと思うのですけどねぇ。

あと、読者からの質問コーナーでは、以下のような質問が行われていました。

1.薬師寺シリーズが実写映像化されるとしたら、御二人は誰をキャスティングされますか?
2.歴史上の人物で薬師寺涼子と戦わせてみたい人はいますか?
3.田中芳樹が子供の頃に読んで面白かった本にはどのようなものがありますか? また、オススメの本はありますか?
4.実際に仕事をしてみて、(田中芳樹と垣野内成美の)御二人はそれぞれどのような印象だったか教えてください。

「1」はどう見ても田中芳樹向きの質問ではなく、「2」は質問の意図からして全く意味不明、「3」と「4」もこれまでに刊行された著書にある対談やインタビューなどに既に答えがありそうなシロモノでしかないのですが。
正直、もう少し質問を選ぶべきだったのではないかとは思わずにいられませんでしたね。
そりゃ、「○○の新刊刊行はいつですか?」だの「薬師寺シリーズはスレイヤーズと極楽大作戦のパクリなのですか?」だのといった質問が来ても、田中芳樹的に回答のしようなどないであろうことは分かるのですが(苦笑)。

ただ、薬師寺シリーズの実写映像化については、昨今の映画作品の傾向を見ると意外に可能性があるのでないかとも考えられてしまいますね。
現代日本が舞台な上に警察を前面に出す作品は最近少なくないのでその手の実績も生かせるでしょうし、オカルト部分をCGで再現でもすれば、それほど無理な企画であるようにも見えませんし。
もちろん、昨今の映画化作品と違って原作はとんでもなくクソなのですから、可能な限り原作の設定を改変しまくらないと、せっかくの実写版も余裕でコケるのは最初から全く疑いようもないのですけど(爆)。

薬師寺シリーズの新刊は、地方の情報伝達格差の問題から私が手に入れることになるのはもう少し先のことになりそうですが、果たして一体どんな「ゴミ」な出来になっているのやら(苦笑)。

本日、田中芳樹&垣野内成美トークライブ開催予定

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薬師寺シリーズ9巻「魔境の女王陛下」の表紙が公開されていますね。
いよいよ発売間近のようで↓

http://a-hiro.cocolog-nifty.com/diary/2012/06/post-b94d.html
>  昨日、講談社の編集さんが事務所にいらっしゃいました。
>  田中さんの新刊『薬師寺涼子の怪奇事件簿 魔境の女王陛下』の見本を届けてくださったのです。
>  じつに
四年半ぶりのお涼さんの新作です。
>
>  写真で、本の両側に置かれているのは、講談社さんが作ってくださった書店さん向けのPOP。ことに右側にあるA4版のモノは、絵が大きく使ってあることもあり、けっこうな迫力です。
>  
『薬師寺涼子の怪奇事件簿 魔境の女王陛下』は、早い書店さんは6月6日に店頭に並ぶのでは、ということ。
>  どうぞよろしくお願いいたします。

たかだかストレス解消ごときに一体何年つぎ込んでいるんだ、と一読者としては言いたいところではあるのですけどね(苦笑)。
公開された表紙を見る限りでは、シベリアが舞台?みたいな情報が載っているみたいですが、どんな形で出てくるのですかねぇ。
これまでの田中作品の傾向を鑑みると、「舞台そのものは日本だが、悪役だか味方だかの術か何かで数万年前のシベリアに飛ばされる」的な展開もありそうですし。
まあ薬師寺シリーズの舞台がどこだろうと、余計な政治評論と「オカルトを否定しながらオカルトに依存する」という図式と「反権力を気取ってブーメラン発言を乱発している権力亡者な女性」という描写の数々がある限り、出てくる新刊が全て駄作になることは最初から約束されているようなものなのですが(爆)。
熊本はいつものごとく3~4日ほど遅れることになりそうですが、個人的にはこれからどんな形で叩き潰すことになるのか、今から楽しみでなりませんね(笑)。

ところで、本日2012年6月5日19:00より、「USTREAM」にて田中芳樹と垣野内成美のトークライブが行われます。
それに伴い、このトークライブで両者に対する質問をTwitter上(とメール)にて募集するという企画が、講談社主催で進行されていました。
質問受付は2012年6月5日0時までとなっており既に終了しているのですが、私もささやかながら田中芳樹に対する質問を作成し送ってみることにしました。
その内容は、以下のようなものとなります↓

https://twitter.com/tanautsunet/statuses/209644961744957441
@kodansha_novels 【田中芳樹に対する質問1】薬師寺涼子や泉田準一郎は今時ネットを全く使いこなせていないようなのですが、今時の20代~30代では極めて珍しい人種に属するのではないかと思います。何故彼らはネットをマトモに使いこなして情報収集等に利用しないのでしょうか?

https://twitter.com/tanautsunet/statuses/209645011501977601
@kodansha_novels 【田中芳樹に対する質問2】数年前、銀河英雄伝説がパチンコ・パチスロに進出するという「事件」がありましたが、「パチンコは警察利権の温床である」と創竜伝の作中に記載していた人のやることだとは思えません。何故パチンコに銀英伝を売り飛ばしたのでしょうか?

https://twitter.com/tanautsunet/statuses/209645062387281920
@kodansha_novels 【田中芳樹に対する質問3】銀河英雄伝説の外伝は6巻完結との公約をかつて行っていたと思うのですが、作者本人が「もう書けない」と述べていたとの非公式な情報が「らいとすたっふ」社長氏のツイートにて発表されています。それは本当に事実なのでしょうか?

「○○の新刊刊行はいつですか?」などという質問はありきたり過ぎる上に、そんなものは「らいとすたっふ」ブログや社長氏のTwitter公式アカウントなどを逐一チェックしていれば分かる程度のことでしかないので、少し捻った質問を考えてみたわけなのですが。
まあ正直、質問が採用される可能性は非常に低いとは思うのですが、まあ意見表明をすること自体に意義がある、ということで(^_^;;)。
「USTREAM」で生中継される田中芳樹&垣野内成美トークライブは、急な用事が入らない限りは私も観賞する予定です。

映画「外事警察 その男に騙されるな」感想

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映画「外事警察 その男に騙されるな」観に行ってきました。
麻生幾の同名小説を原作とする、あまり知られていない日本の警視庁公安部外事課(通称「外事警察」)にスポットを当てたサスペンス作品。
今作は2009年にNHKで放映された人気ドラマシリーズの続編となる作品ですが、作品自体は単独でも問題なく観賞できる仕様になっております。
ただ、主人公を取り巻く人間関係が少しばかり複雑なので、その辺りのことについてまで網羅したい方は、NHKドラマ版を事前に復習しておいた方が良いかもしれません。
ちなみに、私はドラマ版未視聴で今作に臨んでいます(^^;;)。

物語は、血まみれの白い服を纏い、右手に1枚の古びた写真を持つ女性が、クルマが1台も走っていない自動車道路?の大橋で倒れこみ、警察に保護されるところから始まります。
警察官が韓国語をしゃべり、女性が日本語で「韓国語は理解できない」と応対していることから、今いる国とそれぞれの立場が判明します。
この描写は実は物語終盤の展開に繋がるものであり、この場面自体はすぐに他の場面に切り替わることとなります。

次の場面は韓国の国境線。
韓国政府は北朝鮮を国家として承認していないため、韓国の公式見解による「韓国の国境線」というと実は中国と北朝鮮の国境線がそれに該当することになるのですが、今作の場合はどう見ても北朝鮮と接する38度線のことでしょうね。
作中では「北朝鮮」とは明示されず、「あの国」「朝鮮半島」という曖昧な表現に終始していますが。
その国境線にて、「あの国」から濃縮ウランを獲得してきた工作員らしき男の存在と、その男を待ちかまえつつ、取引をしようとする男を殺して濃縮ウランと共にその場を立ち去る大物らしき人物が描写されます。
同じ頃、東日本大震災で混乱する日本の東北地方にある陸奥大学で、核爆弾の小型化を可能とするレーザー起爆装置に関するハードディスクが盗まれるという事件が発生。
日本と「朝鮮半島」で起こった2つの事件に関連性があると判断した、「日本のCIA」と呼ばれる警視庁公安部外事課は、今作というよりドラマ版からの主人公であり「公安の魔物」と恐れられた住本健司に調査を命じることになります。
住本はまず、元在日二世で「朝鮮半島」に渡航して核開発に携り、現在は韓国に亡命していたらしい徐昌義を確保し、最高水準の医療と警備体制をつけて日本の施設に移送します。
次に彼は、震災に乗じて日本国内で蠢いている工作員の洗い出しに着手。
その結果、元韓国人で日本人女性と結婚し日本国籍を取得して「奥田交易」という企業を営んでいる金正秀(日本名:奥田正秀)という人物が浮上します。
そこで住本は、金正秀と結婚している日本人女性の奥田果織に目をつけ、彼女を「協力者」として利用することを考えるのでした。
部下である松沢陽菜を使って奥田果織に接触し、とあるアパート?の一室に誘い込んだ住本は、説得と脅しの話術を巧みに駆使することで、奥田果織に夫のことを探らせる「協力者」に仕立て上げることに成功するのですが……。

映画「外事警察 その男に騙されるな」では、主人公・住本健司の性格設定がなかなかに複雑な様相を呈していますね。
一見すると穏やかなイメージがあり、人の心の痛みが理解できる優しい人物像を思い描きがちなのですが、要所要所では脅しや騙しの手練手管を躊躇なく駆使して手段を選ばず目的を達成する一面も併せ持っています。
妙に誠実そうな対応をしたかと思えば、自分の命令を有無をも言わさず実行させるような一面も見せたりしていますし。
作中でも色々な「顔」をその時々に応じて使い分けている感があり、その正確な人物像を特定するのが非常に難しいですね。
その辺りが「公安の魔物」という異名を冠されている部分でもあるのでしょう。
この異名にふさわしい「魔物」ぶりが今作で最大限に発揮されたのは、物語の終盤で韓国に潜んでいるテロリストグループが殲滅された後、小型核爆弾を製造した徐昌義と対峙した場面ですね。
徐昌義には、かつて「朝鮮半島」へと渡った際、日本に妻子を残しており、妻は自殺、娘は消息を絶って「死亡判定」が出ている状態でした。
しかし住本は、娘が韓国人に誘拐されて娘を取り戻すべく必死になっている奥田果織に対し、奥田果織こそが徐昌義の娘であるとDNA判定による親子証明書で証明してのけ、さらには「金正秀も彼女の正体を知っていて、徐昌義に対する人質として偽装結婚をしていた」などという非常に説得力のある論法まで提示することで、徐昌義と奥田果織の「親子対決」を現出させていました。
ところが物語のラストでは、住本が提示していた親子証明書は全くの偽物であり、「否定」の判定が下っていた本物の証明書が焼き捨てられるシーンが描写されていたのです。
しかも、住本はその場にカネを置いていくのですが、それを受け取ったのが何と奥田果織の娘を誘拐した韓国人だったというオチ。
奥田果織が「あの人と私が親子って、実は嘘でしょ?」と発言してあのシーンが出てくるまで、観客の多くが「住本が言っていることは事実である」「住本は奥田果織とその娘のことを本気で案じている」と考えていたのではないでしょうか?
かくいう私自身、これにはすっかり騙されたクチでしたし(^^;;)。
この辺りは、キャラクターの演技でも演出面でも「見せ方」が本当に上手い、と感心せざるをえなかったですね。

ただ、奥田果織が住本の策謀に気づいていたことを考えると、もう一方の当事者である徐昌義もまた同じく「住本の騙し」であると直感していた可能性は極めて濃厚ですね。
あの老人、物語の中盤頃でも住本の「公安が人を騙す目」に気づいていましたし、「娘の所在が分かった」という嘘自体もあの時点で二度目でしたからねぇ。
それでもあえてあの老人が住本と奥田果織を相手にしていたのは、「核爆弾起爆を止めることはできない」という勝者の余裕もあったのでしょうが、死んだ妻と行方不明の娘に対する懺悔的なものでも告白する意図があったのではないでしょうか?
既に末期ガンなり核爆弾起爆なり、あるいは今現在の対面相手に殺されるなりで自分の死も確定していたわけですし、死ぬ前の余興としてあえて住本の策に乗って長々と会話を交わしていた、というのがあの老人の考えだったのではないかと。
そして、結局核爆弾起爆の解除パスワードを明かすことなく自殺することで、自身の最後の矜持だけは守り抜いてみせたのでしょう。
そう考えると、あの場に居合わせた三者全てが桁外れの傑物だったと言わざるをえないところですね。
まあ、徐昌義が実際にどんなことを考えていたのかは、当の本人にしか分からないことではあるのですが。

「日本のCIA」こと警視庁公安部外事課というのは、これまでロクにスポットが当てられてこなかった部署ではありますが、こういう作品を観ると「公安というのも色々言われているけど、やはり【必要悪】ではあるよなぁ」とは思わずにいられませんね。
実際、彼らが水際で日本におけるテロ行為を阻止&抑止しているという側面は当然あるのですし。
もちろん、「毒をもって毒を制す」的な一面もありますし、その毒が悪い方向に作用しないよう注意・監視する必要も当然ありますが、単純に「絶対悪」として全否定するのもまた違うでしょう。
公安の仕事の実態にスポットを当てすぎるのもまた良くない副作用があるのでしょうが、たまにはこういう作品で公安の実態と素顔を「理解する」というのも必要なのではないかと。
公安に対する批判の中には、「何のためにあるのか分からないから不気味である、だから排除すべき」などという「無知から来る自己防衛」的な心理も間違いなく存在するのですから。

人間同士による謀略・駆け引き・騙し合いといったサスペンス物が好きという方には、今作はイチオシの映画なのではないかと思います。

映画「ファイナル・ジャッジメント」感想

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映画「ファイナル・ジャッジメント」観に行ってきました。
宗教団体である「幸福の科学」の大川隆法が製作総指揮を手掛ける、近未来の日本を舞台に繰り広げられる近未来予言?作品。
元々「幸福の科学」が主催しているということもあり、「宗教的な要素が色濃い映画なのだろう」とある程度構えて観賞してはいましたが、まさかこれほどのものとは……。

1996年。
どう見ても中国がモデルとしか思えないオウラン国によって併合された旧南アジア共和国(現在はオウラン国南アジア自治区)で、父親・母親・娘で構成される1組3人の家族が宗教的な挨拶と共に一家団欒の食事を始めようとしていました。
そこへ、お約束のようにドアを蹴り破って集団で押し入ってくるオウラン国の人民軍兵士達。
オウラン国では宗教活動が全面的に禁止されており、それに反した者は国家反逆罪として処刑されることになっていました。
家に押し入った人民軍の長らしき人物は、家にいた幼女に祈りの言葉をしゃべらせると、幼女を自分で連れて行き、父親と母親を部下に連行させるのでした。

時もところも変わった2009年の日本。
元商社マンとしてオウラン国に赴任した際、オウラン国の軍事力膨張と勢力伸張に危機感を覚えた今作の主人公である鷲尾正悟(わしおしょうご)は、友人の中岸憲三(なかぎしけんぞう)と共に未来維新党を結成し、当時行われた衆議院総選挙に立候補し日本の危機を訴えました。
ところが選挙では、選挙カーで演説する鷲尾正悟に耳を傾ける者はほとんどおらず、敗色濃厚な気配が漂います。
誰も聞いていない中で演説を続けることに空しさを覚えずにいられなかった鷲尾正悟がふと空を見上げた時、何故か空から金色の羽が舞い降りてきます。
しかし、その金色の羽は鷲尾正悟にしか見えないものだったらしく、呆然としていると勘違いされた中岸憲三の注意で我に返った鷲尾正悟は、再び誰も聞いていない選挙演説に戻っていくのでした。
しかし、そんな鷲尾正悟の選挙活動に感動したひとりの女性が、鷲尾正悟の選挙スタッフに協力を申し出てきました。
彼女の名はリンといい、鷲尾正悟が声を大にして脅威を主張するオウラン国の人間でした。
彼女はそのまま、鷲尾正悟の選挙スタッフの一員に加わることとなります。
しかし、そんな努力の甲斐もなく、その夜の選挙速報では鷲尾正悟の落選があっさりと確定してしまったのでした。
ちなみに選挙で勝利したのは、これまたあからさまに民主党がモデルであることが分かる民友党という名の政党です。
作中で放送されていたTVニュースのテロップにも、「政権交代」という文字がデカデカと書かれていましたし(苦笑)。
選挙後の民友党が、憲法9条を掲げて軍備撤廃・日米安保破棄を唱え聴衆から拍手喝采を受けていたり、オウラン国に沖縄の領土宣言をされて「遺憾の意」を表明しまくったりしている描写などは、もう現実に対する皮肉であるようにしか思えないところが何とも……。
一方、選挙で落選した鷲尾正悟は、選挙戦の際に出会ったリンと親しい関係となり、2人で新田神社の祭りでデートに興じたりするのでした。

それからさらに数年後。
いつもの平和な東京渋谷に、突如として大量の軍用機とヘリが現れ飛び交う光景が多くの人に目撃されます。
多くの人々が呆然とそれを見守る中、やがてTVにひとりの人物が映し出されます。
その人物はラオ・ポルトと名乗り、オウラン国が日本を占領し、オウラン国極東省としてオウラン国の支配下に入ったことを高らかに告げるのでした。
口ではオウラン国人民としての共存を主張しつつ、日本文化の完全破壊に勤しんだり、夜間外出禁止令を発動したりして圧政を布くオウラン国。
そんな中、鷲尾正悟は、オウラン国によって弾圧された各種の宗教団体の信者達を匿うレジスタンス地下組織「ROLE(Religious Organization for Liberty of the Earth、ロール)」という組織の存在を親友達から聞き、組織と合流することとなるのですが……。

映画「ファイナル・ジャッジメント」は、物語が進めば進むほどにツッコミどころがどんどん増えていく構成ですね。
特に物語後半などは、描写が切り替わる毎にいちいちツッコミを入れなければならないほどの超展開だらけでしたし。
一番大きなツッコミどころは、一般人に情け容赦なく殴る蹴るの暴行を働きまくる悪逆非道な集団として描かれているオウラン国人民軍が、作中では何故かロクに発砲する描写がないことにあるでしょうか。
オウラン国人民軍は必ずと言って良いほど銃を携帯しているのに、作中ではもっぱら殴打用の武器として使用される傾向の方が圧倒的に多く、銃を発砲すること自体がほとんどありませんでした。
映画全体で見ても、敵味方問わず銃から発射された銃弾の総数は50発にも到達していないのではないでしょうか?
主人公が乗車するクルマとの間で繰り広げられたカーチェイスの場面でも、別にオウラン国の要人が乗っているわけでもないクルマに対してすら、オウラン国人民軍はせいぜい2~3発発砲した程度でしかありませんでしたし。
さらには、物語のラストで主人公が選挙カーの上に立ってほとんど無防備の状態で演説を始めた際にも、オウラン国人民軍はただの1発も銃弾を発射することすらなく、バカ正直に主人公の演説に聞き入っているありさまでした。
銃の発砲自体が法的な制約からほとんど行えない状態にある日本の警察や自衛隊などではあるまいし、オウラン国人民軍が発砲を躊躇しなければならない理由などどこにもないはずなのですけどね。
占領国の住民が集まっている衆人環視の中で、無抵抗な人間に対しこれ見よがしに集団リンチを繰り広げて平然としているような軍隊が、一般人どころかレジスタンスの類に対してすら発砲を自重しているというのは大きな矛盾なのではないかと思うのですが。
ラストの演説シーンなんて、人民軍兵士の1人が、主人公にただ1発銃を発砲しただけで、反乱分子の要を完全に潰すことができたはずなのですけどねぇ。

また、物語中盤で主人公が瞑想し、悪魔との戦いを経て悟りを開く部分でも、多少どころではない違和感を覚えずにはいられませんでした。
瞑想の最中、悪魔は主人公の父親で故人となっている鷲尾哲山(わしおてつざん)に化け、主人公に宗教の無意味さと「争いを続ける人間のサガ」を説くのですが、主人公は「本当の父親ならば絶対に言わないであろう言動」から悪魔の正体を見破り反撃に転じています。
それは良いのですが、実はこの場面で主人公は、悪魔の主張について何ら反論を提示することすらなく、ただオカルティックな攻撃で悪魔を撃退しているだけでしかないのです。
悪魔の主張はこれこれこういう形で間違っている、宗教にはこれだけの偉大な可能性があるんだといった反論を展開して悪魔を追い詰める、という形では全くないんですよね。
作中のような展開では、悪魔の正論に正面切って反論できなかった主人公が、論点を逸らして悪魔を力づくかつ物理的に撃退しただけのようにしか見えません。
あの場面で本当に撃退すべきだったのは、「悪魔の存在」それ自体ではなく「悪魔の主張」の方だったはずなのに。
あんなやり方で「悟りを開いた」「神と一体化して奇跡が行使できるようになった」などと言われても、それって軍事力にものを言わせて周辺諸国への侵略を繰り広げるオウラン国のやり方と何も変わらないのでは、としか評しようがないところなのですけどね。

まあ作中では、その悪魔に対する反論部分に相当するものが全くないというわけではなく、作品的には物語のラストで繰り広げられる主人公の街頭演説こそがそれに当たると言いたいところなのでしょう。
しかしあの演説って、「人を憎むのは止め、自分の行いを反省しましょう」などという、あまりにも素朴過ぎるが故に政治的には現実離れした理想論を唱えているだけでしかなく、悪魔の現実に裏打ちされた主義主張には到底対抗しえるものなどではないんですよね。
あんな程度の理想論で世界が変わるのであれば、とっくの昔に世界から争いなど無くなっているでしょうに。
日本国内限定で通用するのか否かすらも怪しいレベルの個人的道徳観程度の演説を披露するだけで「世界が変わる」「オウラン国の独裁体制が崩壊する」などという世界的な変革が起こしえるなど、それこそ3流カルト宗教の妄言レベルなシロモノでしかないのですが。
オウラン国のあまりにも手緩い対応と併せ、露骨過ぎるまでの超御都合主義以外の何物にも見えはしませんでしたね、この部分は。

この映画、特にラスト30分はトンデモ描写のオンパレードで、いちいちツッコミを入れたり笑いを堪えたりしながら観る羽目になりましたよ、私は。
宗教映画であることを差し引いて考えてさえ、あまりにも御都合主義に満ち溢れ過ぎていて、普通に観賞して素直に楽しむなど不可能でしたし。
同じ宗教観を前面に出した映画でも、「ザ・ウォーカー」「ヒアアフター」などは普通に楽しめましたし、共感できる部分もあったのですけどねぇ。
まあ「ツリー・オブ・ライフ」などのように、前衛芸術ばかり前面に出しまくって何を主張したいのかすらも分からないような宗教映画よりはまだマシではあるのですが、最下級クラスの作品と比較しても不毛なだけですからねぇ(爆)。
よほどに宗教が大好きという人以外は、作中で展開されるトンデモ描写の数々を「笑いのネタ」として割り切って楽しめるという人くらいにしかオススメのしようがないですね、今作は。

映画「君への誓い」感想

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映画「君への誓い」観に行ってきました。
実在する1組の夫婦の実話を元にした恋愛ドラマ作品。
今作は劇場公開日がちょうど1日のファーストディだったこともあり、金曜日レイトショーでの観賞となりました。

物語の舞台はアメリカ・イリノイ州の大都市シカゴ。
そのシカゴで大雪が降ったある日、一組の仲睦ましい夫婦がクルマに乗り、帰宅の途につこうとしていました。
今作の主人公でもある夫は、録音スタジオを経営しているレオ・コリンズ。
その妻は、個人のアトリエを持つ彫刻家のペイジ・コリンズ。
とある交差点でストップしたクルマの中で、2人は「子供を授かりたい」という妻の要望からシートベルトを外しカーセックスに及ぼうとするのですが、そこへ、雪のためにブレーキが利かずほとんど全速力状態でスリップしてきたトラックが後方から追突してきます。
トラックによって押し出されたクルマは、そのまま前方にある電柱だか街灯だかに激突してしまい大破。
しかも運の悪いことに、一足先にシートベルトを外していた妻ペイジが、トラックと電柱OR街灯の衝突によるショックでフロントガラスを突き破って外に放り出されてしまい、頭を強打してしまうのでした。

2人はそのまま病院へと運ばれ、やがてペイジに比べればまだ軽傷だった夫レオが先に意識を取り戻します。
ここからペイジが意識を取り戻すまでは、レオの回想という形で、レオとペイジ2人の馴れ初めから結婚までのエピソードが語られることとなります。
それによれば、2人が最初に出会ったのは4年前とのこと。
その他、シカゴのミレニアム・パークで2人がキスをしたり、施設?の無断使用で親友達と結婚式モドキなことをして警備員?に追いかけられたりといった光景が走馬灯のごとく思い返されていきます。
ちなみに、ミレニアム・パークで主人公カップルがキスを交わすという描写は、映画「ミッション:8ミニッツ」のラストにも全く同じものがあったのですが、シカゴのミレニアム・パークってそういう名所として評判な場所だったりするのでしょうかね?
さて、そんな回想が進んでいくうちに、夫よりも重傷だった妻の方も意識を取り戻す時がやってきました。
ペイジの意識が戻ったことに喜ぶレオでしたが、その喜びはすぐに雲散霧消してしまいました。
何とペイジは、夫であるはずのレオのことを「自分の担当医」と認識しており、その存在自体を完全に忘れ去っていることが判明してしまったのです。
ペインの本当の担当医に「普段通りの夫婦生活を営むことが、記憶を取り戻す可能性が最も高い最善の方法」との対処療法を聞いたレオは、ペイジの記憶を取り戻すべく奔走することとなります。
しかし、ペイジが記憶を無くしたことを聞きつけたペイジの家族や元婚約者などが現れたことで、レオとペイジの関係はギクシャクすることとなってしまい……。

映画「君への誓い」の大きな特徴は、ある人物が記憶を無くしたことによって利益を得る者もいる、という事象が描かれている点ですね。
冒頭の交通事故でペイジは、事故から遡ること4~5年ほど前からの記憶が完全に欠落していました。
その中には夫であるレオとの出会いから始まる一連の記憶全てが含まれていたことはもちろんなのですが、彼女は過去に自分の家族や元婚約者との間でトラブルが発生していた過去があり、その記憶も完全に消えて無くなっていたのでした。
そのため、元々ペイジとヨリを戻したがっていた家族と婚約者は、ペイジの記憶喪失を逆に千載一遇の好機と見做し、ペイジに対し干渉を始めてきたのです。
またペイジにしてみれば、出会った記憶すらも消し飛んでしまった夫のレオは全く見知らぬ人間でしかなく、逆にトラブルの記憶が無くなっている家族や元婚約者は「気心も知れ頼れる人々」として映っています。
その家族や元婚約者にしてみれば、現行のペイジの夫であるレオの存在はむしろ邪魔な存在であり、とにかくレオからペイジを引き離そうとすら画策し始めるようになります。
レオ側の家族は既に死んでいることもあり、ペイジの記憶を取り戻そうとするレオは孤軍奮闘を余儀なくされてしまうわけですね。
特定の人物の記憶喪失が、別の人間にとっては僥倖だったりすることもあるのだなぁ、とこの辺の構図は結構興味深く見ていたところでもありました。
トラブルの記憶が片方の当事者から消えてしまえばやり直しが効く、というのは確かに一面の真実ではあるのですから。

物語後半で判明するのですが、ペイジが自分の家族と決別した最大の理由は、ペイジの父親であるビル・ソーントンの不倫でした。
しかも父親の不倫相手は、よりによってペイジのかつての親友であった女性だったのです。
そりゃペイジが激怒して家を飛び出すのも、当然と言えば当然の話でしょう。
そんな過去がありながら、ペイジの父親ビルは、物語中盤で行われたペイジの姉グウェン・ソーントンの結婚式の席上で、レオに対して「ペイジは自分達が引き取るから離婚しろ」などと話していたりするんですよね。
彼および家族のペイジに対する愛情が相当なものであったことを考えても、ペイジの記憶喪失に便乗したこの厚顔無恥ぶりはなかなかにスバラシイものがありました(苦笑)。
言われたレオの方も、記憶を失う前のペイジから事の顛末を聞いて全てを知っていたのですから、さすがに父親に対して殺意のひとつくらい沸いたのではないですかねぇ。
実際、あの場でもレオは父親のことを「卑怯者」「臆病者」と罵っていたりしますし。
一方、ペイジと家族の関係を充分に知っていたはずのレオがそのことをペイジに告げなかったのは、ペイジに家族を二度も捨てさせたくなかったからなのだそうで、なおのこと父親の身勝手な態度とは著しく対照的ですね。
自分から離れ家族の元に帰ろうとするペイジを何が何でもレオが繋ぎとめたかったのであれば、最初に家族の問題をペイジに告げれば良かっただけのことだったのですから。
しかもレオがペイジの家族の問題をあえて告げなかったせいで、レオは愛していたはずのペイジとの離婚届に署名する羽目にまでなっていたわけですし。
自分のことを犠牲にしてまでペイジの幸せについて考えるレオのペイジに対する愛情は、確かに本物であったことは疑いの余地がないでしょう。
こういうのって、なかなか出来ることではないですからね。

ペイジの父親の不倫に関しては、記憶を失う前のペイジやレオはもちろんのこと、ペイジの家族は全員がその事実を知っていました。
作中でも、父親の不倫の事実を知ったペイジが母親であるリタ・ソーントンを問い詰めるシーンがあり、母親も一度は離婚を真剣に考えていたことを告白しています。
しかし母親は、自分よりも子供達のことを考え、結果的に離婚を思い止まったのだそうで。
実際、離婚というのは夫婦それぞれにも多大なショックを与えるものですが、子供が受ける心の傷や悪影響はそれ以上のものがあるのですから。
この母親の「強さ」も結構印象に残るものではありましたね。

ただ、ペイジの元婚約者だったジェレミーについては、レオに直接「寝取る」宣言的なことをやらかしてレオに殴られた件を差し引いても、正直「ペイジに振り回されていただけ」なイメージが拭えないところですね。
彼自身は別にペイジに対して害意を働いたわけではなく、ストーリー全体を見ても、ペイジの気まぐれか父親の不倫のトバッチリを受けたことが、ペイジにこっぴどく振られた原因であるとしか読み取りようがありませんでしたし。
物語のラストでも、彼はそれまで付き合っていた恋人と別れてまでペイジとヨリを戻そうとしていたのに、それでもペイジは(レオとの関係が修復しつつあったからとは言え)情け容赦なく決別する始末でしたからねぇ。
ジェレミーも何とも間の悪い人間ではありますが、ペイジにそこまでされなければならない理由がジェレミー本人に何かあったというのでしょうか?
レオも一歩間違えればジェレミーと同じ役回りを演じる羽目になったのではないかと思うと、さすがに少しは同情もせざるをえないところでして(T_T)。

正直、映画としてはあまり一般受けしなさそうな内容の話ではありますが、「昼ドラみたいな人間模様を描いた話が好き」という方には、それなりに観れる作品とは言えるでしょうか。

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