映画「外事警察 その男に騙されるな」感想
映画「外事警察 その男に騙されるな」観に行ってきました。
麻生幾の同名小説を原作とする、あまり知られていない日本の警視庁公安部外事課(通称「外事警察」)にスポットを当てたサスペンス作品。
今作は2009年にNHKで放映された人気ドラマシリーズの続編となる作品ですが、作品自体は単独でも問題なく観賞できる仕様になっております。
ただ、主人公を取り巻く人間関係が少しばかり複雑なので、その辺りのことについてまで網羅したい方は、NHKドラマ版を事前に復習しておいた方が良いかもしれません。
ちなみに、私はドラマ版未視聴で今作に臨んでいます(^^;;)。
物語は、血まみれの白い服を纏い、右手に1枚の古びた写真を持つ女性が、クルマが1台も走っていない自動車道路?の大橋で倒れこみ、警察に保護されるところから始まります。
警察官が韓国語をしゃべり、女性が日本語で「韓国語は理解できない」と応対していることから、今いる国とそれぞれの立場が判明します。
この描写は実は物語終盤の展開に繋がるものであり、この場面自体はすぐに他の場面に切り替わることとなります。
次の場面は韓国の国境線。
韓国政府は北朝鮮を国家として承認していないため、韓国の公式見解による「韓国の国境線」というと実は中国と北朝鮮の国境線がそれに該当することになるのですが、今作の場合はどう見ても北朝鮮と接する38度線のことでしょうね。
作中では「北朝鮮」とは明示されず、「あの国」「朝鮮半島」という曖昧な表現に終始していますが。
その国境線にて、「あの国」から濃縮ウランを獲得してきた工作員らしき男の存在と、その男を待ちかまえつつ、取引をしようとする男を殺して濃縮ウランと共にその場を立ち去る大物らしき人物が描写されます。
同じ頃、東日本大震災で混乱する日本の東北地方にある陸奥大学で、核爆弾の小型化を可能とするレーザー起爆装置に関するハードディスクが盗まれるという事件が発生。
日本と「朝鮮半島」で起こった2つの事件に関連性があると判断した、「日本のCIA」と呼ばれる警視庁公安部外事課は、今作というよりドラマ版からの主人公であり「公安の魔物」と恐れられた住本健司に調査を命じることになります。
住本はまず、元在日二世で「朝鮮半島」に渡航して核開発に携り、現在は韓国に亡命していたらしい徐昌義を確保し、最高水準の医療と警備体制をつけて日本の施設に移送します。
次に彼は、震災に乗じて日本国内で蠢いている工作員の洗い出しに着手。
その結果、元韓国人で日本人女性と結婚し日本国籍を取得して「奥田交易」という企業を営んでいる金正秀(日本名:奥田正秀)という人物が浮上します。
そこで住本は、金正秀と結婚している日本人女性の奥田果織に目をつけ、彼女を「協力者」として利用することを考えるのでした。
部下である松沢陽菜を使って奥田果織に接触し、とあるアパート?の一室に誘い込んだ住本は、説得と脅しの話術を巧みに駆使することで、奥田果織に夫のことを探らせる「協力者」に仕立て上げることに成功するのですが……。
映画「外事警察 その男に騙されるな」では、主人公・住本健司の性格設定がなかなかに複雑な様相を呈していますね。
一見すると穏やかなイメージがあり、人の心の痛みが理解できる優しい人物像を思い描きがちなのですが、要所要所では脅しや騙しの手練手管を躊躇なく駆使して手段を選ばず目的を達成する一面も併せ持っています。
妙に誠実そうな対応をしたかと思えば、自分の命令を有無をも言わさず実行させるような一面も見せたりしていますし。
作中でも色々な「顔」をその時々に応じて使い分けている感があり、その正確な人物像を特定するのが非常に難しいですね。
その辺りが「公安の魔物」という異名を冠されている部分でもあるのでしょう。
この異名にふさわしい「魔物」ぶりが今作で最大限に発揮されたのは、物語の終盤で韓国に潜んでいるテロリストグループが殲滅された後、小型核爆弾を製造した徐昌義と対峙した場面ですね。
徐昌義には、かつて「朝鮮半島」へと渡った際、日本に妻子を残しており、妻は自殺、娘は消息を絶って「死亡判定」が出ている状態でした。
しかし住本は、娘が韓国人に誘拐されて娘を取り戻すべく必死になっている奥田果織に対し、奥田果織こそが徐昌義の娘であるとDNA判定による親子証明書で証明してのけ、さらには「金正秀も彼女の正体を知っていて、徐昌義に対する人質として偽装結婚をしていた」などという非常に説得力のある論法まで提示することで、徐昌義と奥田果織の「親子対決」を現出させていました。
ところが物語のラストでは、住本が提示していた親子証明書は全くの偽物であり、「否定」の判定が下っていた本物の証明書が焼き捨てられるシーンが描写されていたのです。
しかも、住本はその場にカネを置いていくのですが、それを受け取ったのが何と奥田果織の娘を誘拐した韓国人だったというオチ。
奥田果織が「あの人と私が親子って、実は嘘でしょ?」と発言してあのシーンが出てくるまで、観客の多くが「住本が言っていることは事実である」「住本は奥田果織とその娘のことを本気で案じている」と考えていたのではないでしょうか?
かくいう私自身、これにはすっかり騙されたクチでしたし(^^;;)。
この辺りは、キャラクターの演技でも演出面でも「見せ方」が本当に上手い、と感心せざるをえなかったですね。
ただ、奥田果織が住本の策謀に気づいていたことを考えると、もう一方の当事者である徐昌義もまた同じく「住本の騙し」であると直感していた可能性は極めて濃厚ですね。
あの老人、物語の中盤頃でも住本の「公安が人を騙す目」に気づいていましたし、「娘の所在が分かった」という嘘自体もあの時点で二度目でしたからねぇ。
それでもあえてあの老人が住本と奥田果織を相手にしていたのは、「核爆弾起爆を止めることはできない」という勝者の余裕もあったのでしょうが、死んだ妻と行方不明の娘に対する懺悔的なものでも告白する意図があったのではないでしょうか?
既に末期ガンなり核爆弾起爆なり、あるいは今現在の対面相手に殺されるなりで自分の死も確定していたわけですし、死ぬ前の余興としてあえて住本の策に乗って長々と会話を交わしていた、というのがあの老人の考えだったのではないかと。
そして、結局核爆弾起爆の解除パスワードを明かすことなく自殺することで、自身の最後の矜持だけは守り抜いてみせたのでしょう。
そう考えると、あの場に居合わせた三者全てが桁外れの傑物だったと言わざるをえないところですね。
まあ、徐昌義が実際にどんなことを考えていたのかは、当の本人にしか分からないことではあるのですが。
「日本のCIA」こと警視庁公安部外事課というのは、これまでロクにスポットが当てられてこなかった部署ではありますが、こういう作品を観ると「公安というのも色々言われているけど、やはり【必要悪】ではあるよなぁ」とは思わずにいられませんね。
実際、彼らが水際で日本におけるテロ行為を阻止&抑止しているという側面は当然あるのですし。
もちろん、「毒をもって毒を制す」的な一面もありますし、その毒が悪い方向に作用しないよう注意・監視する必要も当然ありますが、単純に「絶対悪」として全否定するのもまた違うでしょう。
公安の仕事の実態にスポットを当てすぎるのもまた良くない副作用があるのでしょうが、たまにはこういう作品で公安の実態と素顔を「理解する」というのも必要なのではないかと。
公安に対する批判の中には、「何のためにあるのか分からないから不気味である、だから排除すべき」などという「無知から来る自己防衛」的な心理も間違いなく存在するのですから。
人間同士による謀略・駆け引き・騙し合いといったサスペンス物が好きという方には、今作はイチオシの映画なのではないかと思います。