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2012年07月の記事は以下のとおりです。

映画「おおかみこどもの雨と雪」感想

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映画「おおかみこどもの雨と雪」観に行ってきました。
「時をかける少女」「サマーウォーズ」などの作品を手掛けてきた細田守監督の新作アニメーション。
なお、今作は映画「メリダとおそろしの森」との2本立てで観賞しています。
1日2作品の映画同日観賞は久々ですね(^_^;;)。

映画の基本的な進行は、後日の成長したと思しき雪のモノローグをはさみながら、物語の前半は映画のタイトルにもなっている雨と雪の母親である花に、後半は雨と雪に、それぞれメインスポットを当てる形で進んでいきます。
そして物語は、大学生である花が、大学の講義でひとりの男性に興味を示したことから始まることになります。
作中でもエンドロールでも「彼」としか呼ばれていないその男性と、花はやがて親密な関係を結んでいくことに。
ある日、「彼」と一緒に街中を歩いていた際に、花は自分の名前の由来を「彼」に話し始めます。
何でも「花」という名前は、生まれた際に近くに咲いていた花を父親が見て、「いつでも花のように笑っている」ことを願い名付けられたものだったとか。
もっとも、父親が死んだ際の葬儀でまで彼女は笑顔を浮かべ続けていて、周囲に「不謹慎だ」と非難もされた過去もあるのだそうですが(^^;;)。
その花の過去話に感化されたのか、「彼」もまた、自身の重要な秘密を花に明かすことを決意。
その日の夜、誰もいない場所で、「彼」は花の眼前で自身の顔を狼のそれに変容させるのでした。
「彼」は、過去に絶滅したニホンオオカミと人間の最後の混血種で、同じく混血種だった父親から「おおかみおとこ」の歴史を学び育ったのでした。
ちなみに、「おおかみおとこ」の変身能力は別に「満月の夜」に限定されるものではなく、また人の血を好むというものでもないのだとか。
しかし、そんな「彼」の正体を見てもなお、花の「彼」に対する好意は何ら揺らぐことはなく、2人はついに逢瀬の時を迎えるのでした。

人間と混血種の2人の間には、2人の子供が誕生しました。
ひとりは冬の雪の日に生まれた女の子で、その日の天気から取って名前は「雪」。
もうひとりは春の雨の日に生まれた男の子で、名前は同じく天気から取って「雨」。
2人の子供は共に、人間から人狼へと変身する能力を生まれながらに身につけていました。
そのことが事前に予測できたことから、花は出産の際、わざわざ病院にかかることなく、自宅のアパートで2人の子供を産んでいたりします。
子供も生まれ、永遠に続くかと思われた花と「彼」の関係は、しかしある日突然終わりを告げることになります。
「雨」が生まれて間もないある日、花は雨が降り注ぐ天気の中、近くの川で死んでいる狼の姿を目撃するのです。
狼の死体は業者によってゴミ収集車でゴミ捨て場へと運ばれてしまい、花は「彼」の死を看取ることすらできなかったのでした。
当然のごとく打ちひしがれてしまう花でしたが、残された2人の子供を見て、彼女は涙を浮かべながらも持ち前の笑顔を刻み、自分ひとりで子供を育てていくことを決意するに至ります。
しかし、「おおかみこども」である2人を育てるのには様々な困難が伴いました。
身体的な問題がある故に子供を他の子供達と一緒に遊ばせることもできず、また子供が病気を患った際も医者にかかることができず、自分ひとりで見様見真似的に対処しようにも、小児科と動物病院のどちらに相談すれば良いのかという問題もありました。
しかも、幼稚園や保育園に子供を預けなかったことから、児童虐待の疑いを抱いた児童相談所の職員にアパートまで押しかけられてしまう始末。
児童相談所の対応自体は、それはそれで当然のものだったとは言え、事情を知る観客的には「何とも世知辛い世の中になったものだなぁ」と痛感せずにはいられないものがありましたね。
都会での生活が難しいことを痛感し、また「おおかみこども」である子供達の将来のことについても考えざるをえなかった花は、思い切って人里離れた田舎へ引っ越すことを決意するのですが……。

映画「おおかみこどもの雨と雪」は、花と「彼」が出会ってから、2人の子供が小学校を卒業する年代になるまでの13年間が描かれています。
父親が亡くなってから子供達が小学校へ入学するまでは、母親である花の奮闘記的な要素がメインで繰り広げられていますが、それ以降は子供の性格の変遷にスポットが当てられている感がありました。
たとえば長女の雪は、幼少時はネズミなどの小動物や蛇などと格闘して遊ぶような、とにかく明るく活発かつお転婆な幼女として描かれていますが、小学校へ入学した後、新しくできた友人達との交流を経て、彼女は次第に恥じらいや淑やかさを身につけるようになっていきます。
それに対して弟の雨は、幼少時はとにかく母親に甘え姉に引っ張られるような臆病な性格をしていたにもかかわらず、成長するにつれてこちらは「おおかみ」が持つ動物的な本能に目覚めていき、ついには山の「主」とされる老キツネに師事し、その後継となることを決断するにまで至ります。
また母親である花もまた、田舎へ引っ越してきた当初は、何でもかんでも自分ひとりだけでこなそうと無理をするのですが、やがて田舎の人達の支援を受けるようになり、ご近所付き合いもできるようになっていきます。
この三者三様の成長をよく描いているのが、今作の特徴と言えるでしょうか。
個人的には、母親である花の真骨頂は、それまで手塩にかけて育ててきた子供達が自立していく際、それをきちんと認めてあげたことに尽きるのではないかと思うんですよね。
花にしてみれば、アレだけ自分が苦労して育ててきた2人の子供が、自分の元を離れていくというのは悲しい部分もあれば不安な一面もあるでしょうし、「できれば【自分の保護下で】育って欲しい」という感情は母性本能の一側面として見てもごく自然なものです。
人間の母性本能には、長期にわたる子育ての必要性から「子供をいつまでも手放さない」という要素も備わっており、それが特に子供の思春期以降では「過保護」「過干渉」などの問題を引き起こすことも決して珍しいことではありません。
だから母親にとって「我が子の成長と自立を認める」というのは、実は「子供を大事に育て守り続ける」のと同じかそれ以上に難しいことであるわけです。
後者ができても前者はできないという母親は意外に多いものなのですから。
もちろん、作中でモンスターペアレント臭をこれでもかと言わんばかりに放出しまくっていた草平の母親のような輩は、全くもって論外ではあるのですが。

草平といえば、作中で彼が雪の通っている小学校へ転校してきた直後、いきなり雪に対して「お前から獣臭い臭いがする」的な放言を言い放つに至ったのは、正直どうなのかとは思わずにいられなかったですね。
「おおかみこども」である雪の場合は、自身にある程度の後ろめたさがあったにせよ、あんなことを正面切って言われれば、性別や事情を問わず普通に嫌悪されて然るべきではなかったのかと。
挙句の果てに、「獣臭い」発言から雪のことをひたすら追いかけまくっていた件に至っては、イジメやストーカーの類と見做されても文句は言えないでしょうに。
まあ、雪に対してはモンスターペアレントとして振る舞いながら、再婚が決まった途端に自分の息子に対し「お前はいらない」的な発言をやらかした「あの」母親に育てられたのでは、そうなるのも当然かと思わせるものがあるにはあったのですが……。
あの草平の母親って、絶対再婚後も問題を引き起こしそうな気がしてならないのですけどねぇ(苦笑)。

作品の全体的な構成としては「大人向けのアニメーション作品」といったところになるでしょうか。
あまり子供向けに作られているとは言い難いような気が(^^;;)。
大人向け映画としては、それなりに丁寧に作り込まれているので、イチオシの作品であるとは言えるのですけどね。

長崎の中国漁船大量入港に見る日本の「非対称戦争」の弱さ

長崎県の五島市玉之浦町の玉之浦港に、中国漁船が90隻も一度に入港するという事態が発生しました。
台風7号の接近と、玉之浦港が日中間の協定に基づく国際緊急避難港に指定されていることによるものだそうですが……↓

http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20120719/02.shtml
>  台風7号の接近に伴い、五島近海にいた中国漁船が18日、五島市玉之浦町の玉之浦港に相次いで避難した。市によると、中国漁船の入港は2年ぶり。入港した船は90隻(同日午後5時現在)に上り、一度に入った数では過去10年で最多。天候が回復するまで停泊する。
>
>  市水産課によると、玉之浦港は日本、中国の協定に基づき国際緊急避難港に指定。天候悪化の際に一時的に中国漁船が避難できる。
>
>  17日夜から五島海上保安署に、入港するとの連絡が相次いで入った。多くは底引き網漁船。船の故障や急病人の発生など特別な事情を除き乗組員は上陸できず、同保安署の巡視船が海上で監視、警戒を続けている。

一国の港に、他国の漁船が、それも数隻ではなく90隻もの数が一度に入港・停泊するという事態なんて、一体どうやったらそんなことが起こり得るのでしょうか?
そもそも、彼らは何故日本に避難などしてきたのかというところからして疑問符がついてしまいますし。
日本海や東シナ海での漁業ならば中国本土や韓国の港の方が近いでしょうし、そもそも台風接近って事前に分かっていた情報でもあるはずなのですが……。
90隻の大半が底引き網漁船ということを鑑みただけでも、日本の領海内で不正な漁を行っていた可能性があるのではないでしょうか?

また、最近の中国の反日感情を鑑みると、この機に乗じて中国側が何らかの反日工作を仕掛けてくる可能性も懸念されます。
自作自演的にわざと自船を自沈させて日本側の受け入れ拒否を非難するとか、どさくさに紛れて破壊工作員を日本国内に潜伏させるとか、その方法はいくらでもありますし。
第一、中国の漁船と称する船舶が、実は中国海軍の偽装船や工作船である可能性でさえも、実のところ全くないわけではないのですからねぇ(-_-;;)。
実際、尖閣諸島へ接近してくる漁船などは、中国海軍の偽装船の疑いが濃厚であると言われているのですし、90隻というあまりの数の多さを考えても、大船団による上陸作戦の予行演習や偵察を兼ねている可能性すらありえるのではないかと。

世界のテロ組織やゲリラ・特殊部隊などにとって、日本ほどに事件を起こしやすい国もそうはないのではないでしょうか?
武器と工作員さえ日本国内に送り込めれば、テロどころか国会や皇居の制圧なども容易に行えそうですし。
もちろん、この手の内部破壊工作の類は、日本に限らず「起こってしまったら終わり」という一面がありますし、どこの国でも「事件を未然に防止する事前抑止力」という方向で対策を打つものではあります。
その点で日本の公安や公安調査庁などの警察機構、海上保安庁や自衛隊などの「事前抑止力」自体は決して低いものとは言えないでしょう。
ところが、日本のがんじがらめな法体系と、警官が銃を1発撃っただけで始末書レベルの不祥事のごとく書き立てるマスコミの「とにかく体制叩き」な体質は、スパイや工作員の日本国内への浸透や破壊活動その他の工作を容易なものとしており、また「事前抑止力」の発揮をも困難なものとしています。
一般的に難しいとされている武器の日本国内大量搬入も、実際には重火器も含めた大量の武器庫が発見されたりするといった事件も発生しているわけですし↓

http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/06/29/kiji/K20120629003567540.html
>  28日午後2時ごろ、北九州市戸畑区の2階建て建物内で、ロケットランチャーや拳銃5丁、実弾数十発の銃火器があるのを、立ち入った福岡県警の捜査員が見つけた。
>
>  ロケットランチャーは濃い緑色の金属製で長さ約70センチ。県警は建物が暴力団の武器庫の可能性があるとみて銃刀法違反などの容疑で調べている。
>
>  県警と北九州市は半径25メートル以内に住む93世帯、計181人に避難を呼び掛け全員公共施設などに避難した。捜査員は「戦争でも始めるつもりか。発射したらビルが吹っ飛ぶぞ」と顔をこわばらせた。

相手が最初から「やる気」で、かつ手出しもできないような状況を演出した上でことを起こした際に、果たして「事前抑止力」だけで制圧ができるものなのか、はなはだ疑問なところではあります。
あのアメリカやヨーロッパ諸国ですら、しばしばテロ事件の発生を許してしまうことを鑑みれば、いくら「事前抑止力」を充実させても起こるものは起こる、常にそう考え、そのような非常事態をも想定した体制は絶対に必要不可欠でしょう。

では、そこまで工作員の浸透やテロ・国内武装蜂起が容易なはずの日本で、何故その手の事件が全く発生しないのか?
それは在日米軍の存在が「結果的に」大きな抑止力となっているためです。
スパイや工作員の浸透であればまだ日本の統治機構の範疇に属する問題ですし、テロや武装蜂起なども「発生した瞬間」までは、まだ御しやすい日本「のみ」を相手にするだけで済みます。
しかし、テロや武装蜂起が引き起こされ、日本国内が無政府状態や内乱状態になったりすると、その直後から在日米軍は本格的に動くことが可能となります。
日本の国内組織をがんじがらめに縛りつける日本の国内法も、在日米軍には全く適用されませんし、日本人の人質などもアメリカ軍には全く通用しません。
極端なことを言えば、国会議事堂や皇居などにミサイルを撃ち込み、人質もろともテロリストを殲滅し勝利を宣言する、そんな選択肢すらも最終的にアメリカは取ることが可能なのです。
もちろん、それはアメリカとしても「最後の手段」ではあるでしょうし、日本にしてみれば最悪の結果以外の何物でもありませんが、この「最後の手段」があるのとないのとでは、相手に与える脅威の度合いがまるで異なります。
日本とは全く関係なく、己の利害のためのみのために動くアメリカと在日米軍の存在があるからこそ、最終的にはそれをも相手どらなければならない大規模テロや武装蜂起の類は事前に抑止されている、というわけです。
在日米軍と言えば、「侵略の抑止」という観点で語られることが多い存在ですが、この「テロと武装蜂起の抑止」というのも意外に大きな要素と言えるのではないでしょうか?
なまじ日本が法やマスコミの問題でがんじがらめになっているのですからなおのこと。

中国側も、日本「だけ」が相手なのであれば、威圧にせよ侵略にせよ本当に楽な話ではあるでしょうね。
最新兵器などを持ち出すまでもなく、少数の特殊部隊や工作員だけでいくらでも好きなだけ引っ掻き回すことが可能な存在なのですから。
この非常時を一切想定しない日本の歪な体制、いいかげん変革する必要があるのではないかとおもえてならないのですけどね。

二次小説投稿サイト「にじファン」がサービス終了

二次小説投稿サイト「にじファン」が、2012年7月20日正午をもって正式に閉鎖されました。
二次小説の新規投稿および一般公開は一切できなくなり、投稿者のみ閲覧可能な投稿小説群も来年1月1日より順次削除されます。

にじファン/NOS サービス終了のお知らせ
http://nizisosaku.com/

二次小説投稿サイト「にじファン」の閉鎖に伴い、同じ会社が運営している「小説家になろう」では、二次利用を承諾する作品についてのみ二次小説を掲載する方針を打ち出しています
しかし「にじファン」が閉鎖された時点で、実際に二次利用の許可が下りたのはたったの2作品しかなく、これでは事実上「二次小説は一切禁止」と何ら変わるところがありません。
結局のところ、「小説家になろう」では「にじファン」に掲載されていた二次小説を受け入れるつもりなど最初からなかった、ということになるのでしょうね。
二次利用の許諾には運営側の直接確認が必要など、負担を考えただけでも無理難題な条件が付随していましたし。
そもそも、「自ら行う煩雑な確認作業が困難を極める」などと泣き言を並べていた運営が、この期に及んで許諾の確認を自ら積極的に行うなどということ自体が本来ありえないことだったわけで。
銀英伝や恋姫無双などは、公式が二次利用に関するガイドラインを公示して許可を与えていたこともあり、許可が下りる可能性は他に比べれば比較的高い部類にあったはずなのですが、そういったところに対する許諾確認すらも実際にやっていたのかどうか…。
二次小説の移転を認めるつもりが全くなかったのであれば、最初からその旨宣言しておけば余計な混乱もなかったというのに。
閉鎖までのあまりにも短すぎる猶予期間といい、立つ鳥跡を濁しまくっている「にじファン」の運営会社ヒナプロジェクトの、無責任かつ混乱を助長しまくっている運営方針は、サイトの利用者達から充分に非難されて然るべきではあるでしょうね。
いよいよ閉鎖ということで、他サイトも巻き込んだ更なる混乱の誘発は必至なのですし。

ところで、我らが狂人キチガイの被害妄想狂患者たるエーリッヒ・ヴァレンシュタインの二次小説も、どうやら移転先が決定したようですね。
移転先は「暁 ~小説投稿サイト~」。

http://megalodon.jp/2012-0720-1915-45/mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/101342/blogkey/505148/
> azuraiiruです。今日でにじファン消滅です。出来ればなろう本体への移行をと考えていたのですが運営側からは今日になっても答えがありません。
> そういったわけで
別の場所に投稿しようと考えています。投稿先は肥前のポチ様が運営されているサイトにしようと思います。これから手続きしますので多少時間がかかると思います。
> アドレスは以下の通りです。
> http://www.akatsuki-novels.com/

「本編」「亡命編」およびその他短編的な外伝を合わせれば総計300話以上にも達するあの小説群を移行するのはさすがに大変でしょうが、ネタとしては笑えるので、是非とも頑張ってもらいたいものです。
アレほどまでにキチガイかつ自爆的な言動を繰り広げまくって平然としていられる二次創作の主人公というのも、そうそういるものではありませんので(苦笑)。

Windows8の正式発売日が10月26日に正式決定

Microsoft社が、Windows8を10月26日に発売することを明らかにしました。

http://megalodon.jp/2012-0719-2033-16/cloud.watch.impress.co.jp/docs/news/20120719_547806.html
>  米Microsoftは18日(米国時間)、次期クライアントOS「Windows 8」を、10月26日に発売することを明らかにした。なお、ARM版のWindows8である「Windows RT」搭載のタブレットも同時に発売されるとみられる。
>
>  Microsoftでは7月9日に、Windows 8とWindows Server 2012が8月1週目にRTM(製造工程向けリリース)になること、また10月末までにWindows 8が出荷されることを発表していたが、今回、発売日が明らかになった。Windows Server 2012は一足早く、9月より一般提供開始となる予定だ。
>
>  また、Microsoft純正のタブレット端末「Surface」のうち、Windows RT版はWindows 8発売と同時に、Windows 8 Pro版はその90日後に提供されると発表されているため、Windows RT版も10月26日より入手可能になるとみられている。

Microsoft社としては、Windows7がようやく「目の上の瘤」たる旧OSのWindowsXPを駆逐しつつある中での新OS投入となるわけですが、これがMicrosoft社にとって吉と出るか凶と出るか、要注目といったところでしょうか。
現時点では、Windows8がWindows7程度にも「使える」OSたりえるのか、未だ答えは出ていないわけですし。
古いバージョンのアプリケーションソフトやシステムソフトなどが、Windows7でさえ互換性がなくインストール不可能&バージョンアップを余儀なくされ、余計な費用と手間がかかる、といった事例が普通にある中で、Windows8がその手の問題にどこまで対応しえるのかは結構重要な問題だったりしますからねぇ。
Windows8はタブレット方面に特化したOSなんて話もチラホラ出てきていますが、それが本当ならば、従来のデスクトップ&ノートパソコンについては、能力の適正が明らかになるまで引き続きWindows7を搭載し続けて欲しいところです。
Windows Vistaの例を見るまでもなく、適性のないOSの使用を強要された挙句、ダウングレードにカネをかけなければならないことくらい、不毛な事例もそうはないわけですし。
巷のパソコンショップなどでは、今新しくパソコンを買い換えるとWindows8のアップグレードサービスが格安で入手できるという話ですし、やはりパソコンを買い換えるのなら今なのかなぁ、と。

映画「スリーデイズ」感想(DVD観賞)

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映画「スリーデイズ」をレンタルDVDで観賞しました。
日本では2011年9月に劇場公開されたアメリカ映画で、2008年公開のフランス映画「すべて彼女のために」のハリウッド版リメイク作品です。

どこにでもいる、ごく普通の両親と息子の3人家族であるブレナン一家。
いつものように朝の食事をとっていたブレナン一家を、突如複数の警官達が包囲し、妻のララ・ブレナンが殺人容疑の罪で逮捕されてしまったことから物語は始まります。
ララの夫で今作の主人公であるジョン・ブレナンは、妻の無罪を信じ3年にもわたり法廷闘争を繰り広げるのですが、1審はむろんのこと2審の裁判でも、ララの無罪を勝ち取ることは叶いませんでした。
ララの弁護人は、日本の最高裁に当たるアメリカの連邦最高裁では30年以上にわたって殺人事件を扱っていないことを理由に、判決を受け入れるよう進言します。
しかし、妻の無実を信じているジョンは当然のごとくそれを受け入れません。
しかし、もう裁判で逆転の目が全くないことは、如何にジョンと言えども覆すことのできない事実でした。
法の正義というものをまるで信じられなくなったジョンは、ここに至ってついに妻を刑務所から脱獄させ、逃亡生活を送ることを決意します。

ジョンは脱獄計画を成功させるため、過去に7回にわたって刑務所からの脱獄に成功した実績を持つデイモン・ペニントンに接触します。
彼はジョンに対し、「逃亡生活を続けることに比べれば、刑務所を脱獄すること自体は容易なことだ」と述べ、刑務所を脱獄するための極意をいくつか教えるのでした。
税関を通過できる新しい社会保障番号と偽造パスポートを揃え、逃亡のための資金を用意すること。
刑務所の官吏達は日常の業務を惰性的に行っていることから、非常時の際には隙が生まれやすいので、刑務所の様子をよく観察した上でその隙を突くこと。
逃亡の際にはアメリカと仲の良くない国に高飛びしてしまうこと。
そして何よりも、手段を問わず脱獄を成し遂げるという覚悟を持つこと。
ジョンはそれらのアドバイスを全て実行に移すべく、まずは社会保障番号と偽造パスポートを得るべく内々の活動を始めます。
最初のうちは、その手の裏稼業の人間にいくら金を積んでも、ただ金を奪われた挙句に暴力を振るわれるだけの結果に終わるのみで、なかなか目的のブツを手に入れることができません。
しかしそれでも、相場の2倍近い金をかけた末に、何とか家族全員が逃亡するのに必要な3つの社会保障番号と偽造パスポートを揃えることに成功します。
ただ、そのための代償は決して少ないものではなく、なけなしの資金も底を尽きることになってしまいます。
さらには、有罪が確定したララが、3日以内にこれまでの刑務所とは全く別の遠い場所にある刑務所へ移送されるとの情報が、面会したララからもたらされるのでした。
窮地に追い込まれたジョンは、ついに強硬手段を取ることを決意するのですが……。

映画「スリーデイズ」の最も皮肉で面白いところは、無実の妻ララを救うために有罪確実の犯罪を重ねていかなければならないという夫ジョンの立場ですね。
彼は妻を助けるために脱獄の準備を進め実行するのはもちろんのこと、資金難から麻薬密売組織のアジトを襲撃し、その構成員を2人も殺害して札束を奪ってしまいます。
必要に迫られ、また相手が麻薬密売グループとはいえ、立派な強盗殺人ですし、無実の妻を助けるために自分が罪を重ねるというのは本末転倒ではないか、とは思わなくもなかったですね。
もちろん、ジョンにしてみれば、2審でも有罪判決な上に再審の道も断たれたことで妻を助ける方法が他になくなってしまったわけですし、アメリカの社会システムそのものに絶望を抱いていたというのが正直なところではあったのでしょうが、それでも自ら強盗殺人を犯すというのは、当人にとっても「ルビコン川を渡る」的な心境ではあったのではないかと。
ジョン自身、強盗殺人を犯したことで「もう引き返せない」「ここで手をこまねいていたら何もしなくても全てを失う」という覚悟を抱かざるをえなかったでしょうし。
妻を見捨てて息子と2人だけで人生をやり直す、という選択肢も、ジョンにとっては論外なシロモノだったでしょうからね。
この「覚悟の描き方」というのは結構上手い部類に入るのではないかと思います。

制限時間が課せられ、一刻の猶予もない脱獄作戦は、全体的に紙一重的に警察の包囲網を掻い潜りつつ、時間が経てば経つほどに敵を罠に嵌める余裕が出てくるというパターンで進行していきます。
ジョンやララにとっての一番の難所は、一番包囲網が厚く隙を見出しにくい監視下の病院だったということになるのでしょう。
ある程度距離を離しての心理戦であれば、ある程度頭を使えば何とかすることもできるわけですが、警察を直接相手取っての逃亡劇となると、「逃げ方をどうするか?」以外の智恵など活用のしようがないわけです。
ジョンもララも別に武芸の達人というわけではなかったのですから、警察に捕まったらその場で一巻の終わりだったのですし。
この辺り、主人公が超人やスパイアクション系の凄腕工作員でないのがよく出ていますね。

個人的に少し御都合主義的に思えたのは、片道20分以上もかかる動物園に息子が行ってしまった件で、迎えに行くかどうかであれだけド派手に揉めたにもかかわらず、そのことで他者から警察へ通報が行くでもなく、またいともあっさりと息子を迎えにいくことが出来てしまった点でしょうか。
高速道路?とおぼしき場所でアレだけ危険運転でスピンしまくっていたら、他の通行人に対して目立ちまくり&大迷惑かけまくりなわけですし、通報が行かないほうが変だと思うのですが。
また、警察も「2人は子供の場所へ向かうだろう」と目星をつけていた割には、時間をかけまくって揉めにもめていたジョンとララ相手に後れを取ってしまい、結局3人を逃がす羽目になっていましたし。
個人的には、あの揉めていた時間は充分に致命傷たりえましたし、警察が先回りする時間くらいのロスは普通にあったのではないかと思えてならないのですが。
デイモン・ペニントンの「脱獄の心得」を見事に無視した上での行動でしたし、アレで助かるというのは少々御都合主義的な感が否めないところですね。

アクションはやや地味ながらも、手に汗握るサスペンス的な面白さはなかなかのものではないかと思います。

平成24年(2012年)7月九州北部豪雨に見る治水・公共事業の重要性

7月11日から14日にかけて熊本・福岡・大分を襲った「平成24年(2012年)7月九州北部豪雨」。
この豪雨では、白川の氾濫で阿蘇地方を中心とした白川流域に多大な浸水被害をもたらし、九州3県で死者・行方不明者合わせて総計30名以上の犠牲者を出しています。

阿蘇から熊本の市街地を経て有明海へと流れる白川は、昔から水害が絶えない河川であり、古くは加藤清正の時代から治水事業が続けられてきました。
白川は中流域が非常に急勾配で、阿蘇地方で降った雨と、阿蘇の火山灰を含んだ土砂が一気に流れ込んでくる特性を持ち合わせています。
そのため、阿蘇地方で集中豪雨が発生すると、その影響はたちまちのうちに白川下流域にまで出てきてしまうことになるわけです。
今回の豪雨では、阿蘇地方で500mm以上もの大雨が降ったことが、白川流域の被害を拡大する一大要因となりました。
毎年自然災害が猛威を振るう中、治水事業の重要性はますます高まっているのではないでしょうか?

民主党の管直人ことカンガンスは、かつて己のブログで「あい続く天災をストップさせるには昔なら元号でも変えるところだが、今必要なのは政権交代ではないか」などとのたまいました。
当時は自民党が政権を握っており、この発言もいつものごとく「政権交代」のためのイチャモンの類でしかなかったのですが、民主党政権発足以来の災害の数々は、皮肉にもこの言葉が正しいものであることを証明していると言えますね(苦笑)。
九州だけでも口蹄疫や新燃岳の噴火という災厄がもたらされましたし、全国的には言うまでもなく東日本大震災が発生している事例があります。
これから考えれば、2009年9月以降に発生した自然災害は全て民主党政権にその責任が求められるということになり、他ならぬ民主党自身の主張から言ってさえも政権交代が求められることになるわけですね(笑)。
もちろん、いくら「親中韓朝・反日」を党是としているとしか思えない民主党といえども、まさか日本を衰退させるために意図的に天変地異を引き起こしているなどということはさすがにないでしょうが、連中の施策は「コンクリートから人へ」や事業仕訳けの事例、さらには災害時の鈍重な対応に見られるがごとく、災害の被害を収束どころかむしろ拡大する方向を向いているとすら言えるものです。
民主党が政権にいる限り、放射能など比べ物にならないレベルで国民の財産と生命が脅かされることになるのはこれからも明らかでしょう。
毎年のように繰り返される自然災害の被害を可能な限り少なくするためにも、頭がお花畑な「無能な働き者」でしかない民主党を一刻も早く政権の座から叩き出し、可能ならば存在そのものをも消滅に追い込み、余計な蠢動すらも封じ込めた上で、日本の国土を災害から守るための正しい治水・公共事業を行っていくことが、今は求められているのではないかと思うのですが。

ところで「平成24年(2012年)7月九州北部豪雨」では、田中芳樹の生家があったとされる熊本市の白川流域に位置する黒髪地区も多大な被害を蒙っています。
かつて日本の治水事業について「コンクリートの護岸で覆う自然破壊」「想像力といったけど、景色を見て、いいなあと思う気持ちってないのかな」的なことをのたまっていた田中芳樹は、今回の水害についてどのような感想を抱いたのでしょうかねぇ。
まあ、原発問題を語る際に民主党の存在を無視するがごとく、自分に都合の悪いことは当然のごとくスルーを決め込むのでしょうけど。

映画「苦役列車」感想

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映画「苦役列車」観に行ってきました。
第144回芥川賞を受賞した西村賢太の同名私小説を実写映画化した作品。
映画のタイトルに反して、作中に列車の類は一切出てきません(苦笑)。
作中には生々しい風俗関係の描写があるため、R-15指定されています。
なお今作は、熊本県では熊本シネプレックス1箇所限定での劇場公開となっていたため、そこまで足を運んでの観賞となりました。

物語の舞台は1986年。
父親が性犯罪行為で社会的に取り上げられ、一家離散を余儀なくされた挙句に中卒で働き始めた今作の主人公の北町貫多は、日雇い労働でその日暮らしの生計を立てつつも、風俗や酒に溺れる自堕落な生活を送っていました。
そんなある日のこと、いつも彼が日雇いで働いている職場に、その年から専門学校生として田舎から上京してきた日下部正二が新入り労働者としてやってきます。
北町貫多と日下部正二は仕事場で意気投合し、公私両面で行動を共にするようになります。
ちょっとしたことですぐにブチ切れる北町貫多に対し、処世術に長け世慣れた感のある日下部正二は、最初は良きコンビとして機能します。
もっとも、それは無理筋な要求ばかりする北町貫多に対し、日下部正二が困った顔をしながら受け入れていくというパターンに終始してはいたのですが……。
北町貫多には、行きつけの古本屋でバイトとして働くひとりの女性の存在が気になっていました。
自身も読書が趣味という北町貫多は、その容姿といつも読書をしているバイトの女性こと桜井康子にお近づきになりたいと願うようになっていたのでした。
北町貫多がそのことを日下部正二に話すと、彼は北町貫多を伴って古本屋へ直接乗り込み、桜井康子と直談判をすることで、2人の友人になってくれることを桜井康子に了承させることに成功するのでした。
しかし、「友達」の意味が全く分かっていない北町貫多は「友達になれる=(セックス的な意味合いで)ヤれる」と勘違いするありさま。
その様子に、日下部正二は一抹の不安を抱くのですが……。

映画「苦役列車」は、主人公の破綻だらけな性格と言動をどのように解釈するかによって、観る人次第で大きく賛否が分かれそうな作品ではありますね。
個人的には、正直「何を言いたいのか分からない」的な部分がとにかく多すぎる上、主人公の言動にはまるで共感も同情もできないというのが実情ではあったのですが。
ストーリー的に見ても、「生活破綻者が友人を得てから無くしていく過程」が延々と描かれているだけで、爽快感的なものもまるでなく、そこにどんなテーマがあるのかを見出すのにすら困難を極めるありさまでしたし。
同じ私小説でも、映画「わが母の記」などはテーマに普遍性があり感情移入もしやすかったのですが、この作品にそういう要素はまるで見出せない状態。
どちらかと言えば、映画「ラム・ダイアリー」を日本に移植してさらに劣化させた作品というのが、今作の実情に近い評価と言えるのではないかと。
作中で主人公が何の結果も出していないこととか、作中におけるヒロインの存在意義がないも同然とか、昔の特定地域の知られざる闇の雰囲気を堪能できるとか、そんな共通点が両作品共に存在するわけですし。
今年の観賞映画の中でもワーストクラスに入るであろう「ラム・ダイアリー」と作品の出来や評価までもが同じ、というのは正直どうかとは思うのですけどね(-_-;;)。

それでも無理に今作のハイライトを見出すとしたら、一度険悪な雰囲気になってしまった北町貫多と桜井康子が日下部正二の仲介で和解した後、3人で海に入って仲良くじゃれあう光景でしょうか。
個人的には、ここで映画そのものを終了しておいた方が、却って作品の評価は上がったのではないかと思えてならないですね。
ここからストーリーをさらに展開していくとしたら、友情に目覚めた北町貫多が真人間になっていく過程を描くというパターンが理想的なわけなのですが、実際にはこれ以降の北町貫多の性格破綻ぶりはますます悪化の一途を辿り、全ての人間関係を破局へと追い込むことになってしまうのですから。
作中の北町貫多は、中卒であることや家庭問題などで少なからぬコンプレックスを抱え込んでいるのは良いにしても、破滅願望でも抱いているようにしか思えない言動に終始し過ぎていて、とても感情移入できるようなシロモノではありませんでしたし。
物語の終盤近くで、日下部正二と彼の恋人?に対し、東京と映画について何やら偉そうに御高説を垂れていた場面でも、主張内容の是非以前に「そんなことをしたらせっかくの友人関係が確実に破綻するだろ」としか評しようがありませんでしたし。
作中の北町貫多って、対人コミュニケーション面で何らかの障害でも抱え込んでいる狂人の類にしか見えなかったのですが、こんな人物のどこに人間的な普遍性や魅力といったものが存在するのかと。
まあ原作からしてそういうキャラだったのかもしれませんし、そういうキャラクター性を100%出し切っていたであろう俳優さんは、それはそれで評価に値するのかもしれないのですが……。

最初から最後まで「救い」とか「明るさ」とかいった要素がまるで期待できない作品なので、エンターテイメント的な面白さや感動的な人間ドラマのようなものが観たいという方にはあまりオススメできるものではないですね。

映画「BRAVE HEARTS/ブレイブハーツ 海猿」感想

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映画「BRAVE HEARTS/ブレイブハーツ 海猿」観に行ってきました。
海難事故の救助に奮闘する海上保安官達の姿を描く、同名漫画原作の人気シリーズ劇場版第4弾。
劇場版の「海猿」シリーズは、前作「THE LAST MESSAGE/ザ・ラストメッセージ 海猿」および前々作「LIMIT OF LOVE/リミット・オブ・ラブ 海猿」において「シリーズ完結編」を謳い文句にした宣伝が盛んに行われていましたが、その謳い文句を2度も裏切った形で劇場公開された今作では、さすがに同じキャッチフレーズを使う気にはなれなかったみたいですね(苦笑)。
製作側としては、今作の観客動員数と興行収益が成功レベルに到達すれば、また続編を作る気満々なのでしょうし、その判断自体は正しいと思うのですが、どことなく「大人の世界&事情」が垣間見られる光景ではあります(^_^;;)。
前作も前々作もそうでしたが、今作も映画単体だけで楽しめる仕様となっており、これまでの「海猿」シリーズを知らない方でも問題なく観賞することができます。

今作が現実世界で前作から2年後に劇場公開されているのに合わせたものなのか、作中時間においても前作の「レガリア」の事故より2年の時間が経過している今作の舞台。
「海猿」シリーズの主人公である仙崎大輔は、前作まで所属していた海上保安庁の第十管区から「第三管区海上保安本部羽田特殊救難基地」こと特殊救難隊、通称「特救隊」に自ら志願し配属されていました。
「特救隊」は、全国各地で発生する非常に特殊で危険な救助活動を行うことを目的とする、海難救助のスペシャリスト達で構成されている部隊を指します。
「特救隊」の誕生は、1974年11月に東京湾で発生した、LPG・石油混載タンカーの「第十雄洋丸」とリベリア船籍の貨物船「パシフィック・アレス」が衝突・爆発炎上して総計30名以上の乗組員が犠牲となった「第十雄洋丸事件」を発端としており、当初は5名で発足、現在は1隊につき6名で構成される、第一から第六までの6隊36名で構成されています。
形式上は海上保安庁の第三管区に所属していますが、出動地域に制限はなく、海上保安庁の各管区からの出動要請に基づいて全国各地で救助活動を行う部隊とされています。
第十管区の機動救難隊で隊長になる話も持ち上がっていた仙崎大輔は、しかしその話を断り、後輩の吉岡哲也と共に「特救隊」の第二隊へと異動してきたのでした。

作中で最初に展開される「特救隊」第二隊の任務は、台風が接近している中で発生した大阪湾で事故を起こし沈没しつつあるコンテナ船での救難活動。
暴風雨が吹き荒れる中、既に大きく斜めに傾斜し積載されたコンテナ群が今にも海に転げ落ちそうになっている船の救出作業は、当然のことながら至難を極めるものがありました。
それでも「特救隊」第二隊の面々は、ヘリを巧みに船に接近させ、船上にいた2人を救助することに成功します。
しかし2人をヘリまで引き上げた直後、仙崎大輔は未だ船上にいた人がいるのを発見。
既に船はいつ沈没してもおかしくない危険な状況になっていたのですが、周囲が止めるのも聞かずに仙崎大輔は船上の人を救助にかかります。
しかし彼は、傾いた船に叩きつけられる荒波に飲み込まれ、さらにその上からはコンテナが落下しまくり、救助は全く不可能な状態に。
結果、その船員1名が犠牲になるという形で、作中の「特救隊」第二隊の任務は終了となってしまうのでした。
現場となった大阪湾から、「特救隊」への出動要請が行われた第五管区の本部へ帰還後、第二隊の副隊長である嶋一彦から「判断が甘い」「特救隊に必要なのはスキルと技術だ」と責められることになります。
同時に前々作および前作の救難活動で、最終的に仙崎大輔自身が同僚達から救助された件について触れられ、「それによって結果的に仲間を危険に晒した」「助かったのは運が良かっただけだ」とまで言われてしまいます。
しかし仙崎大輔は、「海難救助の際には諦めない心が必要だ」と反論し、結局両者はこの場では物別れに終わってしまうのでした。
仙崎大輔は、前作でバディとして海難救助を共にし、今では第五管区に異動になった服部拓也と一時の邂逅を果たしつつ、第三管区へと戻ることになります。

前作から2年の歳月は、仙崎大輔の私生活にも一定の変化を与えていました。
妻である仙崎環菜は長男の仙崎大洋に続く2人目の子供を身篭っており、後輩の吉岡哲也には付き合ってそれなりの月日が経つCA(キャビンアテンダント)の恋人が出来ていました。
仙崎夫妻は、吉岡哲也と恋人の矢部美香の関係を応援しており、吉岡哲也は既に結婚の決意まで固め告白する気満々ですらいるのですが、矢部美香は何故か結婚に乗り気ではありません。
実際、吉岡哲也は矢部美香に何度も「結婚してくれ」と迫っており、その都度矢部美香は何度もはぐらかし、遂には明確に拒否の意思を示し別れまで告げる始末。
表向きには仕事や収入を口実に挙げていた矢部美香には、それとは別の結婚したくない本当の理由があるようではあったのですが……。
そんな折、矢部美香がCAとして登場していた、シドニー発羽田空港行きのG-WING206便にエンジントラブルが発生。
マスコミの生中継で日本中が注目し、吉岡哲也が矢部美香の安否に気を揉む中、G-WING206便の乗客乗員346名の救助作戦が開始されることになるのですが……。

映画「BRAVE HEARTS/ブレイブハーツ 海猿」では、予告編でも公開されている「ジャンボジェットの海上着水」に至るまでのストーリーがかなり長いですね。
むしろ、そちらの方がメインなのではないかと思えるほど、ジャンボジェットを巡る動向に多くの時間が割かれている感すらあります。
最初は他の飛行機の着陸を禁止した上で羽田空港の滑走路に着陸させようとしたのですが、飛行機の胴体右側の降着装置が故障して車輪が出てこなかったことで、この作戦は失敗に終わってしまいます。
そして今度は、下川嵓の提案で海上着水が提案されるも、懸案が多すぎて一旦はボツになってしまい、かといって代案も浮かばす皆が頭を抱えているところで、仙崎大輔が海上着水の修正案を提示し、それによって作戦決行になった、という過程が延々と描かれています。
まあ実際問題、「ジャンボジェットの海上着水」というのは「着水から沈没まで20分程度しかない」と作中でも言われているように実は最悪の手段もいいところなのですし、可能な限り安全確実な救出手段を行いたいと考えるのも、救助する側としては至極当然のことではあるのですが。
作中の救助活動の際にも、中央部で2つに割れてしまったジャンボジェットは、コックピットを含む前部は「機体が一旦コックピットを頭にして垂直に立った直後に水没」という映画「タイタニック」を髣髴とさせるようなパターンで、後部は乗員乗客の大部分が退去したのを見計らったように割れた部分から水が流入する形で、それぞれ短時間のうちに水深60mの海の底に沈んでいきましたし。
一歩間違えれば大勢の犠牲者が出ることは確実の救出劇であり、確かに危険と言われるだけのことはありました。

物語中盤のハイライトは、官民問わず全て一丸となって救助活動に邁進する光景ですね。
一連の救助作戦は当初、警察・消防・海上保安庁・空港関係者などの組織や国家機構だけで主導されていたのですが、海上着水が決定されると民間の漁船や病院などにも協力要請がもたらされ、彼らも救助活動に協力していくことになります。
海上に即席で設置された誘導灯をパイロットが見出してから、海上着水した飛行機に向けて多くの船が動き出す光景は、まさに圧巻かつ感動的なものでした。
この辺りは、東日本大震災における日本の団結力の強さを再現しているかのようにも見えましたね。
製作側も意図してこういう描写を作ってはいたのでしょうけど。

作品全体で見ると、今作では前作「THE LAST MESSAGE/ザ・ラストメッセージ 海猿」でほとんど活躍の場がなかった吉岡哲也が、その鬱憤を晴らすかのごとく、下手すれば仙崎大輔をも凌ぐ勢いで見せ場がありましたね。
特に物語終盤付近では、ほとんど彼の独壇場的な感すらありましたし。
そして、これまでの劇場版「海猿」シリーズでも顕著に出ていた「生きるか死ぬかの手に汗握るギリギリの状況を描く上手さ」は今作でも健在です。
特に今作は、序盤の大阪湾の救助活動で船員のひとりが救助に失敗して死んでいることもあり、「ひょっとすると……」という考えは前作よりも強いものがありましたし。
あの「どうせ助かるのだろうけど、でももしや……」という感触を観客に抱かせる演出の巧みさはなかなかのものがあります。
これを「御都合主義ないしはファン向けのリップサービス」と見るか「安心して楽しめる」と解釈するかは、意見の分かれるところではあるでしょうけど。

「海猿」シリーズのファンの方々はもちろんのこと、人間ドラマや映画ならではの迫力ある演出を楽しみたい方などにも、今作は間違いなく楽しめる作品ではないかと思います。

銀英伝2次創作「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察16

2012年7月7日に、死生観と転生をテーマとして扱った映画「スープ ~生まれ変わりの物語~」という作品を観賞する機会があったのですが、エーリッヒ・ヴァレンシュタインという転生者を考察の題材として取り上げてきた私としては、映画自体の感想とは別に、個人的に色々と考えさせられるものがありました。
この映画では、突然の落雷事故で死んでしまった主人公が、あの世で「前世の記憶を保ったまま転生する方法」を探すべく奮闘するのですが、主人公以外の作中の登場人物達は「転生」について否定的な見解ばかり示しているんですよね。
作中に登場する「記憶を保ったまま3回も転生した」という人物は、3回の転生の末に「自分の親しい人間がいなくなっていく中で転生を続けても虚しいだけ」という結論を出しており、次は記憶を消して転生するとの決意を表明していますし、主人公と行動を共にしていた女性上司も、DVな父親に虐待された不幸な人生の記憶を全て消した上で生まれ変わる意思を示しています。
また、念願叶って前世の記憶を保ったまま新たな人間へと転生した主人公は、前世の娘にとにかく再会したい一心であちこち尋ね回ることで、今世の両親に余計な心配をかけていますし、息子に不安を抱いた母親が「あなたは何をしているの?」と話しかけてきた際も、「親に対する息子の反応」とは思えないどこか他人行儀な態度に終始していました。
いくら「自分は新しい人間として転生したのだ」と自覚していても、前世の記憶がある限り、前世のしがらみや人間関係と完全に無縁でいることはできない。
そんな「前世の記憶を持って生まれ変わる」ことの問題ないしは後遺症的なものが上手く表現されていて、結構頷くところが多かったです。
地味な予告編や映画紹介に反して、映画単独として見てもなかなかに面白い作品なので、機会があれば是非観賞されることをオススメします。

さて今回、この映画をあえて引き合いに出したのは、この映画と同じく「前世の記憶を保ったまま生まれ変わった転生者」であるはずのヴァレンシュタインこと佐伯隆二が、前世のしがらみや人間関係と全く無縁であるかのごとく振る舞っていることに、改めて違和感を覚えざるをえなかったからです。
彼は転生直後においてさえ、前世の両親や恋人や親しい友人などといった人達に会いたいと考えていた形跡すらも全く示していません。
前世の恋人に至っては、会いたいと考えたり心配したりといった思いを抱くどころか、「俺を毒殺したのではあるまいな」などと猜疑すらする始末でしたし。
ヴァレンシュタインの場合、転生してからの3年間は「自分が銀英伝世界に転生したという事実」すら完全には把握できる状況になく、それどころか(赤子だったために)身体の自由さえ満足に効かない植物人間同然の状態にあり、さらにはその時点ではどこの馬の骨ともしれなかった赤の他人な人間に周囲を囲まれての生活を余儀なくされていたというのに、よくまあ前世および前世の人間関係について哀愁や郷愁の念を僅かたりとも抱くことすらなかったよなぁ、と。

また転生の事実を知った後は後で、今度はあまりにも割り切りが良すぎる感が否めないところです。
ヴァレンシュタインは今世の新しい両親をいともあっさりと受け入れているのですが、前世の記憶を持つヴァレンシュタインこと佐伯隆二にとって、今世の両親を「自分の親」として受け入れるのは、本来相応の違和感や困惑が伴うものなのではないのでしょうか?
佐伯隆二にとっての「本当の生みの親」はあくまでも「前世の親」であり、それ以外の人間にその立ち位置を代行することなどできないのですから。
転生という要素を抜きにして考えても、これって子供の視点から見て相当に違和感を伴わざるをえない事象なのではないかと思うのですけどね。
たとえば、今まで一緒にいた「育ての両親」と普通の関係を築いていたところに、突然「本当の両親」なる2人組の存在が出現し、DNA鑑定結果等の証拠でもってそれが本当であることが立証されたとします。
その場合、子供はその結果に基づいて素直に「育ての両親」の元を離れ、「本当の両親」と一緒になることを何ら躊躇することなく選択することができるものなのでしょうか?
実際には、「育ての両親」に対する感謝や愛情の念もあれば、「本当の両親」への不安や違和感があってもおかしくはないところですし、下手すれば不信感や嫌悪感、最悪は憎悪や殺意の類すら発生しても不思議なことではないのではないかと。
転生後の両親の場合は、すくなくとも当人達には何の落ち度もないわけですから、問題はあくまでも「転生者の心情」のみに限定されることにはなるのでしょうが、それでも「本当の生みの親」に対する何らかの感情や思いなどはどうやっても残らざるをえないわけで。
「本当の生みの親」と良好な関係を構築していれば、「新しい両親」を受け入れることに「この人達は自分の親ではない」という違和感や拒絶感、さらには「自分は前世の親を裏切っているのではないか?」的な後ろめたさを覚えてしまうものでしょう。
また逆に「本当の生みの親」がDVを駆使して威張り散らすしか能のないロクデナシの類だったとしても、今度は「あんな奴らに比べれば今の親は……」と比較する形で、やっぱり無視はできないだろうと思えてならないところですし。
前世の恋人や友人関係にしても、転生のせいでもう二度と会うことができないと分かっていても、ふとした拍子に昔を思い出し懐かしむ程度のことくらい、普通にあってもおかしくない光景なのではないのかと。

ヴァレンシュタインに纏わるこの「転生者でありながら前世に対する執着心が著しく欠如している」問題は、身も蓋もないことを言えば「転生が抱える構造的な問題について、作者の認識が著しく甘くかつ何も考えていなかったから発生した」という結論しか出しようはないでしょう。
ただ、「本編」で見られたヴァレンシュタインの原作考察のようなスタンスで考えれば、この問題は案外、ヴァレンシュタインのキチガイ狂人&被害妄想狂患者な性格設定のルーツを解明する糸口のひとつになりえるのではないかと、そう考える次第です。
ヴァレンシュタインこと佐伯隆二は、前世の人生について「ごく普通の一般人だったと思う」などとのたまっていますが、これまでのヴァレンシュタインのキチガイ言動の前歴を見る限り、彼が主張する「普通」とやらが、一般的にイメージされるそれと同一である保証などどこにもありはしません。
ひょっとすると、前世の佐伯隆二はヤクザか指定暴力団組長の息子か何かで、親の威光と暴力を背景に弱い者イジメばかりやらかしていた人生を「普通」などと思い込んでいるのかもしれないのですし(苦笑)。
ヴァレンシュタインは原作の記述の矛盾点や穴について、原作者である田中芳樹からして「そんなことは考えたこともないよ」と言い出しそうな考察の数々を繰り広げているのですから、作中で全く言及されていない佐伯隆二の前世人生について色々推察されても、文句が言える立場には全くないと思うのですけどね。

それでは、今回は第7次イゼルローン要塞攻防戦終結以降のヴァレンシュタインの言動についての考察を行っていきたいと思います。
なお、「亡命編」のストーリーおよび過去の考察については以下のリンク先を参照↓

亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
http://ncode.syosetu.com/n5722ba/
銀英伝2次創作「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察
その1  その2  その3  その4  その5  その6  その7  その8  その9  その10  その11  その12  その13  その14  その15

第7次イゼルローン要塞攻防戦のラストを飾ったヴァレンシュタインの「毒発言」とやらでショックでも受けたのか、帝国ではフリードリヒ四世が急逝してしまいました。
原作よりも早い死の上、ヴァレンシュタインの「毒発言」が行われた直後ということもあり、巷では「ヴァレンシュタインがフリードリヒ四世を呪い殺した」との噂が広まるに至りました。
で、それを受けて同盟軍首脳陣達の密談で出てきた会話の一部がこれ↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/61/
> 「さて、ヴァレンシュタイン准将、以前君が言っていた不確定要因、フリードリヒ四世が死んだ。世間では君が呪い殺したと言っているようだが、この後君は帝国はどうなると見ている?」
>
>
嬉しそうに聞こえたのは俺の耳がおかしい所為かな、トリューニヒト君? 君の笑顔を見るとおかしいのは君の根性のように思えるんだがね、このロクデナシが! 何が呪い殺しただ、俺は右手に水晶、左手に骸骨を持った未開部族の呪術師か? お前を呪い殺してやりたくなってきたぞ、トリューニヒト。俺は腹立ちまぎれにミートソースのピザを一口食べて、水を飲んだ。少し塩辛い感じがする。釣られたのか、他の四人も思い思いにピザを手に取った。

「前世の記憶と原作知識を保持したまま銀英伝世界に転生した」などという、呪いと同レベルかそれ以上の「非科学的な超常現象」をその身に具現させている人にそんなことを言われましても(苦笑)。
転生という現象が作中世界において実際に存在するのであれば、呪いだって存在しても何ら不思議なことではないだろう、とは寸毫たりとも考えることができないのですかねぇ。
科学的に説明不能なオカルト的要素に溢れた超自然現象という点では、どちらも全く同じカテゴリーに分類されるわけなのですし。
そもそも、あの世界には「神(作者)の祝福」「神(作者)の奇跡」などという、転生・原作知識・呪いが束になっても敵わない「全知全能の超常現象」さえも実在するのですからね。
ヴァレンシュタインが「伝説の17話」「軍法会議の38話」に象徴されるトンデモ言動の数々をいくら繰り返しても何のお咎めもなく済んでいるのも、また原作キャラクター能力が自由自在に改変されていく原作レイプな珍現象も、全てこの「神(作者)の祝福」「神(作者)の奇跡」の恩恵によるものなのですし。
呪殺が非科学的だというのであれば、転生や原作知識や「神(作者)の祝福」「神(作者)の奇跡」があの世界に実在している理由を、ヴァレンシュタインには是非とも「科学的に」説明してもらいたいものです。
もちろん、「作者の御都合主義」などという身も蓋もない理由以外の理論に基づいて、ですが(爆)。

それにしても、「オカルトに依存しながらオカルトを否定する」などという愚かしい構図にそれと気づかず固執するのは、創竜伝や薬師寺シリーズを書き殴っている田中芳樹くらいなものだろうと思っていたのですが、同じようなことを考える人って意外に多いのでしょうかねぇ(-_-;;)。
普通に考えれば、超常現象を論じる際に「転生物なのだから転生だけは【無条件に】特別」なんて論理が、マトモに通用なんてするはずもないというのに。

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/63/
> 七月五日、今回の戦いの論功行賞、そしてそれに伴う人事異動が発表された。ビュコック、ボロディン両大将が元帥に昇進した。当初、二人を昇進させるとシトレと同じ階級になる、後々シトレが遣り辛いのではないかという事で勲章だけで済まそうと言う話が国防委員会で有ったらしい。
>
> だがシトレはそれを一笑に付した。“ビュコック、ボロディンは階級を利用して総司令官の権威を危うくするような人間ではない、心配はいらない”その言葉でビュコック、ボロディン両大将の元帥昇進が決まった。
>
> 上手いもんだ、二人を昇進させて恩を売るとともにちゃんと枷を付けた。これであの二人がシトレに逆らうことは無いだろう。おまけに自分の評価も急上昇だ。同盟市民のシトレに対する評価は“将の将たる器”、だそうだ。狸めが良くやるよ!
>
> ウランフ、カールセン、モートン、クブルスリーの四人も大将に昇進した。もっともクブルスリーにとっては素直には喜べない昇進だろう。他の三人が功績を立てたのに対してクブルスリー率いる第一艦隊は明らかに動きが鈍かった。当然働きも良くない。周囲の昇進のおこぼれに預かったようなものだ。
>
>
俺、ヤン、ワイドボーンも昇進した、皆二階級昇進だ。そして宇宙艦隊司令部参謀から艦隊司令官へと異動になった。ヤンとワイドボーンは良い、でも俺も艦隊司令官に転出? 亡命者に艦隊を任せるなんて何考えてるんだか……、さっぱり分からん。原作ではメルカッツだって客将だ、ヤンの代理で艦隊は指揮したが司令官では無かった。

「亡命者に艦隊を任せる」という人事以前に「そもそも何故自分は今生きていられるのだろう?」ということからして疑問視すべきなのではないですかね、ヴァレンシュタインは(笑)。
何度も述べていますが、「伝説の17話」「軍法会議の38話」の件で処刑台への直行を免れただけでも、「神(作者)の奇跡」と呼ばれるに充分な超常現象と言えるものなのですから。
そもそもヴァレンシュタインの異常な昇進自体、原作における亡命者の一般的な扱いを完全に無視して行われたものでもあるのですし。
そして「原作の設定を無視」と言えば、二階級昇進をここまで大盤振る舞いするという行為自体も、完全無欠の原作無視でしかありませんね。
原作における同盟軍の二階級昇進は、あくまでも戦没者に対する特別措置という意味合いを持つものであり、だからこそエル・ファシル脱出後のヤンや、ヴァンフリート星域会戦におけるヴァレンシュタインは、時間差をおいて昇進するという措置が取られていたというのに。

第一、第7次イゼルローン要塞攻防戦におけるヤンとワイドボーンは、ほとんどこれといった目立つ活躍など何もしておらず、ヴァレンシュタインが戦闘詳報で功績をでっち上げただけでしかないのですが。
いくらシトレやトリューニヒトら政軍上層部と共謀しているとはいえ、よくまあそんな事実歪曲行為が許されるなぁ、とはつくづく思わざるをえないところです。
こんなことを許していたら、ロクな功績を上げていない人間が戦闘詳報を弄ることで絶賛され昇進するという前例と禍根を自ら作り出してしまうことにもなりかねないでしょうに。
第6次イゼルローン要塞攻防戦における214条発動の件でも垣間見られたことですが、どうにも「亡命編」は、順法精神や判例の影響などといった法の問題について軽く考えすぎているのではないかという感が拭えないところですね。

さらに、原作知識から「将来の有望性」についての情報が得られるヤンはまだしも、何故ヴァレンシュタインがワイドボーンにそこまで肩入れするのかも理解不能です。
原作におけるワイドボーンはロクでもない扱いでしたし、実のところ「亡命編」の作中でさえも、彼は「ヴァレンシュタインの茶坊主」的な役どころを担っているだけで、第7次イゼルローン要塞攻防戦終結時点では、これといった軍事的な実績を示しているとは到底言えたものではありません。
まさか「自分に忠実な茶坊主だから」などという理由だけでワイドボーンを持ち上げているわけではないでしょうが、それにしても「亡命編」におけるワイドボーンの扱いとヴァレンシュタインの高評価ぶりは、原作と比較してもあまりにも説明不足で必然性に乏しいと評さざるをえないところです。
ただでさえ原作設定を改竄して原作キャラクターの能力を好き勝手にコントロールしているのですから、その理由くらいきちんと明示しないと「原作破壊」としての効果しか持ちえないでしょうに。

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/63/
> サアヤの処遇はちょっと迷った。副官にするか、それとも後方参謀にするか……。情報参謀、作戦参謀でも良かった。彼女は元々情報部だし、戦術シミュレーションも下手じゃないからな。だが結局は副官にした。気心も知れているし、他の奴を新たに副官に任命しても下手に怖がられては仕事にならない。最近俺を怖がる人間が増えて困っている。敵はともかく味方まで怖がるってどういう事だ? 俺は化け物か? 母さんが泣いてるよ、私の可愛いエーリッヒがって。

「俺は化け物か?」って、今さら何を言っているのでしょうかね、ヴァレンシュタインは(爆)。
「原作知識を持つ転生者」というだけでも、周囲にとってはその得体の知れなさだけで充分に「化け物」そのものですし、これまでの暴言妄言の数々とそれを支える「神(作者)の祝福」もまた、他者から「化け物」として恐れられるに充分過ぎる要素です。
何しろ、どれだけ目上の人間を罵り軍の威信や信用を踏みにじっても、罰せられるどころか内々に咎められることすらないと来ているのですから。
ましてや、そんな人間を自分の上司として迎えさせられる羽目になる部下にしてみれば、ヴァレンシュタインはブラック企業のパワハラ上司並に恐怖そのものの存在です。
いつ自分がヴァレンシュタインの罵倒と攻撃の餌食になるのか気が気ではない、そう考える人が多いのは至極当然というものでしょう。
しかも、上層部にヴァレンシュタインの不当な支配ぶりを訴えても、ヴァレンシュタインと上層部の関係から考えれば、訴え自体を握り潰された挙句に報復を食らうのも最初から目に見えているのですし。
ヴァレンシュタインが他者から恐れられる理由は、もちろん周囲に対する容赦のなさというのも理由のひとつではあるでしょうが、それ以上に「いくら好き勝手に振る舞われても『神(作者)の祝福』の妨害で止めることができない」というのが何よりも大きいのです。
まあそれ以前に、ヴァレンシュタインを守護する「神(作者)の祝福」の存在は、ヴァレンシュタインの人物評価的には本来マイナスに作用しかねないのではないかと思えてならないのですけどね。
自分は上司に対してすら平気で食ってかかり、しかもそれで咎められることが全くないにもかかわらず、部下がヴァレンシュタインに同じことをしようとすれば徹底的に攻撃し貶める。
「神(作者)の祝福」を駆使してそんなダブルスタンダードを派手に披露しまくるヴァレンシュタインが、部下の目から見てどのように映るのかは【本来ならば】火を見るよりも明らかなはずでしょう。

もちろん、作中におけるヴァレンシュタインがそのように見られていない理由もまた、「神(作者)の祝福」の効果によるものなのですが。
原作知識など比較にならないヴァレンシュタインの「神(作者)の祝福」の恩恵ぶりは、ヴァレンシュタインの独善性とダブルスタンダードを際立たせ、ヴァレンシュタイン自身と作品の評価を下げる効果しかもたらしていないのではないかと思えてならないのですけどね。

また、いくら「気心も知れているし、他の奴を新たに副官に任命しても下手に怖がられては仕事にならない」からと言って、ヴァレンシュタインがこの期に及んでなおミハマ・サアヤを重用するというのも理解に苦しむものがありますね。
そもそもヴァレンシュタインは、48話でバグダッシュから「ミハマ・サアヤを疑わないでほしい」と懇願された際、「手駒は多い方が良い、本人は切れたと思っても実際には切れていなかった、なんてことはいくらでもある。彼女が協力したくないと思っても協力させる方法もいくらでもあるだろう」という懸念を抱いていたのではありませんでしたっけ?
本人の意思にかかわらず自分を裏切る懸念がある以上、「気心も知れている」というのはヴァレンシュタインにとって何の安全保障にもならないはずなのですが。
これも以前から何度も述べていることですが、ミハマ・サアヤの立ち位置は「ヴァレンシュタインをいつでも恫喝&暗殺することを容易にする」という点において、ヴァレンシュタインの生命と安全を脅かす最大の脅威のひとつに充分なりえるのです。
ミハマ・サアヤにその気がなくても、その立ち位置を利用しようとする人間なんていくらでも存在しえるでしょう。
帝国・同盟を問わず、ヴァレンシュタインは他者から憎悪と殺意を抱かれるに充分な「実績」を大量に積み重ねているのですから(苦笑)。
ヴァレンシュタインが本当に「自分が生き残る」ことに拘るのであれば、テロや暗殺に対する警戒なんて本来最優先事項で考えなければならないことですし、その手の害意に利用されそうな要素は真っ先に排除して然るべきではないのかと。
その脅威の筆頭的存在とすら言えるミハマ・サアヤを、ヤンやラインハルトなどといった原作キャラクターに対してすら「ヤクザのいいがかり」的な不信と殺意を平然と抱くほどのヴァレンシュタインが、何故ここまで無警戒に信用などできるのか、その思考パターンは謎もいいところなのではないでしょうかね。

通常の艦隊よりも艦艇数が多く配備されながらも本質的には寄せ集めの集団でしかない第一特設艦隊なる艦隊の司令官に就任したヴァレンシュタインは、その「化け物」の本質に怯えられながら、ヤンとワイドボーンと共に艦隊訓練に従事することになります。
「私は身体が弱いからいつ倒れるか分からない」と言いながら、作中の描写を見ても日常生活や軍の指揮に支障をきたしているようには全く見えないヴァレンシュタインの指揮の下、寄せ集め集団としての欠点を露呈しながらも少しずつまとまっていく第一特設艦隊の面々でしたが……↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/69/
> 宇宙艦隊司令部から連絡が入ってきた。艦橋に居る人間は殆どが迷惑そうな顔をしている。無理もないだろう、第一特設艦隊は第一、第三艦隊に見つからないように行動しているのだ。そんなときに長距離通信などどう見ても有難い事ではない。
>
> おそらく宇宙艦隊司令部の参謀が通常業務の連絡でも入れてきたと思っているのだろう。内心では俺達は忙しいんだ、暇人の相手などしていられるかと毒づいているに違いない。まあ、俺自身は三割ぐらいはシトレからの連絡かなと思っている。その場合は帝国で何か起きたか、イゼルローン方面でラインハルトが攻めてきたかだろう。
>
> 現実には作戦行動中に上級司令部からの通信が有る事は珍しい事じゃない、頻繁とは言わないがしばしばある事だ。
上級司令部が下級司令部の都合を考えることなど無いだろう。訓練の一環だと思えば良いのだが第一特設艦隊は既に二回も第一艦隊の奇襲を受けている。これがきっかけで三度目の奇襲になったらと皆考えているのだ。
>
> 訓練なんだからともう少し割り切れれば良いんだが、艦隊の錬度が余りに低いのでそこまで余裕が持てないでいる。それでも少しずつだが良くはなってきているし、成果が上がっているのも確かだ。余裕が出るのはもう少し時間がかかるだろう。
>
> 平然としているのは俺とサアヤ、嬉しそうにしているのはシェーンコップだ。こいつの性格の悪さは原作で良く分かっている。可愛げなんてものは欠片も持っていない男だ。何でこいつが俺みたいな真面目人間に近づくのかさっぱり分からん。
>
> スクリーンに人が映った、シトレだ。宇宙艦隊司令長官自らの連絡か、どうやら何か起きたらしい。席を立ち敬礼すると皆がそれに続いた。
> 『訓練中に済まない、さぞかし迷惑だったろう。少し長くなるかもしれん、座ってくれ』
>
> 低い声には幾分笑いの成分が含まれている。参謀長達の考えなど御見通し、そんなところだろう。皆バツが悪そうな表情をしているが遠慮しなくていいんだ、迷惑なのは事実なんだからな。皆の代わりに俺が言ってやろう。
>
>
「お気になさらないでください、訓練の一環だと思えば良い事です。下級司令部の都合を上級司令部が気にする事など滅多に有りませんから」
> 座りながら答えるとシトレがクスクス笑い出した。
>
> 『相変わらずだな、君は。私はもう慣れたから良いが、君の幕僚達は皆困っているようだ』
>
「皆の気持ちを代弁しただけです。感謝されると思いますよ」
> シトレが耐えきれないといったように大きな声で笑い出した。
チュン参謀長は天を仰いでいる。なんでそんな事をする、俺は皆の気持ちを上に伝えたんだぞ。握りつぶした方が良いのかね、その方が問題だと思うんだが。

この場合、ヴァレンシュタインは「自分の発言の責任を部下に擦りつけた」ということにもなりかねないのですが、それで良いのですかね?
「俺はそんなこと微塵も考えていないが、部下がそう考えているようだから代弁してやった。だから俺には責任などないし、部下からは感謝されて然るべき」
と言っているも同然なのですから。
それにしても、本当に上司相手には好き勝手な反抗や妄言暴言の類を繰り広げていながら、部下相手には問答無用の服従を要求する存在なのですね、ヴァレンシュタインは。
せめて上司部下の相手共にどちらか一方に統一してくれれば、まだ一貫性くらいは評価できたはずなのに、自分と他人でこんなダブルスタンダードを堂々と披露して部下に示しなんてつくのかと。
「ヴァレンシュタインに対してだけ何故そんな態度が許されるんだ? 俺達には絶対服従を強制していながら!」と誰もが不満を抱かざるをえないでしょうに。
それ以前に、特定の人間だけ特別扱いが許される、という状況は、軍の秩序の維持や活動などにも多大なまでの悪影響を与えかねないのですが。
他ならぬヴァレンシュタイン自身、原作でも「亡命編」でも、ロボスやフォークという「生きた実例」をその目でまざまざと直視させられていたはずなのに、どうしてそれと全く同じ行為を繰り返して恥じることすらないのでしょうかねぇ(-_-;;)。

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/69/
> 「皇帝になったのは軽蔑するフリードリヒ四世の血を引く唯一の男子、そしてその皇帝を支えるのが全ての元凶であるリヒテンラーデ侯……。クロプシュトック侯がテロに走ってもおかしくは無いでしょう」
> 『……』
>
> 「ブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯も頭が痛いでしょう。彼らにとってエルウィン・ヨーゼフ二世、リヒテンラーデ侯の死は予想外の事だったはずです。これから帝国がどう動くか、要注意ですね」
>
> 『君はブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が改革を進める可能性は有ると思うかね』
> “要注意ですね”の言葉にようやくシトレは反応を見せた。
頼むよ、しっかりしてくれ。俺は以前よりはあんたを高く評価しているんだからな。食えないところが良い、上に立つのはそのくらいじゃないと駄目だ。

ヴァレンシュタインの脳内評価的には、シトレってむしろ昔の方がはるかに「食えない人間」だったのではありませんでしたっけ?
何しろ、ヴァレンシュタインに様々な援助を与えていたことを棚に上げ、ヴァレンシュタインを見殺しにして邪魔者を排除しようとしているとか、ヴァレンシュタインの死を政治的に利用して自分の立場を固めようとしているとか、ロクでもない被害妄想を繰り広げてシトレを罵倒しまくっていたのですから(爆)。
当時のシトレは、ヴァレンシュタインの脳内的には間違いなく「悪賢い&狡賢い&油断がならない=食えない人間」ということになっていたはずなのですが、それにしてはえらく評価が低かったよなぁ、と(笑)。
かくのごとく、ヴァレンシュタインは他者の人物評価に「自分の利害」というものを大量に含有させるものだから、全く同じことをやっていてもその時その時で評価が全くの正反対になる、ということがザラにあったりするんですよね。
人物に限らず、何かを評価する際には、自分の主観とか利害とかいった要素は可能な限り排除し、可能な限り客観的な視点に基づいて観察するように努めないと、評価自体が本来あるべきところから著しくズレるという事態をも引き起こしかねないのですが。
その評価対象が自分の利害にどう関わるのか、敵になるのか味方になるのか、利益になるのか害悪になるのかといった判断は、正しい「評価」を下した後で【評価とは別に】行うべきものでしょう。
「評価」と「利害」をゴッチャにしていれば、そりゃ「こいつらはバカだから俺に害を与えるんだろう」とか「常に正しい俺に異を唱える奴はいつも間違っている」的な被害妄想&自己中心主義なタワゴトもバンバン出てこようというものです。
まあ、精神年齢が5歳児以下にしか見えない「心は永遠の保育園児」な狂人ヴァレンシュタインに、「評価」と「利害」の区別を求めるのも酷な要求ではあろうとは思うのですが(笑)。

さて2012年7月14日現在、一連のヴァレンシュタイン考察は、今回の記事でとりあえず「亡命編」の最新話までほぼ追いつくことになりました。
「銀英伝2次創作「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察」と名付けている一連の記事は、「亡命編」の物語が完結か中断するまで続けていく予定なのですが、最新話まで追いついたとなると、話が進まないと考察も先に進めなかったりするんですよね(T_T)。
そんなわけで、今後のヴァレンシュタイン考察は、今後の「亡命編」のストーリー進行および話の内容を見て記事をアップする形式になります。
いずれ話数がたまってくれば再開の時を迎えることになるでしょうが、当面は「一区切りがついた」ということで、一旦筆を置きたいと思います。

「銀河英雄伝説@TAKARAZUKA」の製作発表記者会見

ファイル 688-1.jpg

2012年7月12日に、銀河英雄伝説@TAKARAZUKAの製作発表記者会見が行われたそうですね。
銀英伝の登場人物に扮した女優さん達が多数登場し、役柄に応じた衣装で舞台を彩っている写真が公開されています↓

宝塚歌劇宙組『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』制作発表 その1
http://enterminal.jp/2012/07/gineiden1/

記事冒頭に掲載している写真を見ても分かるように、記者会見の場には田中芳樹もはせ参じています(真ん中にいる禿げた初老のオッサンが田中芳樹)。
社長氏曰く、田中芳樹はこんな感想を抱いていたようで↓

http://twitter.com/adachi_hiro/status/223393574996279297
<今日は、田中さんと「銀河英雄伝説」@TAKARAZUKA の制作発表会に行って来ました。なんともきらびやかな世界に圧倒されました。田中さんは「長生きはするもんだなぁ」って言ってました。>

衣装などは確かにきらびやかで、かつ以前の舞台版よりも気合が入っているのが素人目にもよく分かるのですが、個人的には以前の舞台版の方が違和感もなく受け入れやすいですし好みではありますね。
女性が男性役をこなす「オール女優体制」なんて、映画ではまずお目にかかることがないですし、個人的な第一印象も「ケバい」という言葉が先に来たくらいで(-_-;;)。
以前の舞台版は普通に観賞もできるのですが、こちらは完全なる「別世界」的な感がどうにも拭えないですね、やっぱり。

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