映画「コロンビアーナ」感想
映画「コロンビアーナ」観に行ってきました。
「ニキータ」「レオン」などの映画製作を手掛けたリュック・ベッソン監督が世に送るクライムアクションドラマ。
作中には血を出して死んでいる人間の描写やセックスを匂わせるシーンがあることから、当然のごとくPG-12指定されています。
最初の舞台は1992年、南アメリカの北東部に位置するコロンビア共和国。
当時、コロンビアの有力なマフィアのボスであるドン・ルイスは、部下のマルコに対し、組織から足を洗おうとしていた同じマフィアの幹部を殺害するよう命じます。
ターゲットにされた幹部の方も、すぐさまその気配を察知し逃げる準備を始めるのですが、時既に遅く、幹部の自宅はマルコの部下達によって包囲されてしまいます。
進退窮まったことを悟った幹部の男は、コロンビアの国花「カトレア」と名付けた当時9歳の娘に小さなチップと名刺を渡し、自分達に万が一のことがあれば名刺に書いてある住所まで自力で向かい、そのチップを渡した後、叔父のエミリオを頼るよう告げるのでした。
ほどなく強引に自宅へ押し入ってきたマルコ率いる男達によって、カトレアの両親はあっさりと殺されてしまいます。
そして勝利を確信し、自宅のテーブルにじっと座っていたカトレアと対座したマルコは、父親から渡されたであろうチップを渡せば欲しいものをやるとカトレアに迫ります。
それまで大人しく、また従順するフリをしていたカトレアは、そこで「ドン・ルイスの命!」という叫びと共に、隠し持っていたナイフをマルコの手に突き刺し、その一瞬の隙を突いて窓から脱出を果たすのでした。
コロンビアの複雑な地形を利用して追手の手から逃れ、名刺に書かれていた住所へと向かったカトレアが辿り着いたのは何とアメリカ大使館。
カトレアが予め口の中に入れていたチップを吐き出し、アメリカ大使館の人間に渡すと、よほどに重要なデータでも入っていたのか、アメリカ大使館の人間は驚愕の表情を浮かべます。
結果、アメリカへの入国が認められたカトレアは、しかしアメリカ入国直後にトイレに入った後、監視の目がないのを良いことに窓から逃亡。
そのままシカゴへと向かい、そこで裏の稼業を営んでいた叔父のエミリオと対面することに。
エミリオはカトレアを自分の保護下に置き、彼なりに守っていくことを決意することになります。
しかしカトレアは、自分の目の前で殺された両親のことが忘れられず、ドン・ルイスとマルコに復讐を遂げるべく、殺し屋になることを考えつき、エミリオにも協力するよう要求するのでした。
それから15年後。
平常の勤務で雑談をしていた警官2人が乗っていた車輛に、突然赤い車が猛スピードで体当たりしてくるという事件が発生。
車にはひとりの女性が乗っていたのですが、女性には自身の身元を証明するものは何も持っておらず(名前が書かれた図書館カードが一枚あっただけ)、また酷く酔っているのか呂律も回らない状態。
その様子を見た警官達は、とりあえず一晩牢にぶち込み、翌日釈放するということで決着をつけます。
奇しくもその時は、同じ牢に凶悪犯罪者を収監する予定が入っており、警官達は事なかれ主義的に処理を済まそうとしていたのでした。
ところが牢に放り込まれた女性は、監視の目がなくなるや否や、娼婦のような露出の高い服から隠し持っていたタイツスーツに着替え、不穏な行動を開始するのでした。
彼女こそ、15年前にエミリオに保護されたカトレアその人だったのです。
カトレアの目的は、収監された凶悪犯罪者をその手で抹殺すること。
様々なテクニックを駆使した末、彼女は首尾良くターゲットの殺害に成功するのですが……。
映画「コロンビアーナ」では、実の両親の仇を討つためにのみ生きる女が、それ故に全てを失っていく様が描かれています。
両親を殺した仇を討つために殺し屋になったカトレアは、闇稼業に精を出すエミリオが請け負った殺しの依頼を受けるという形で、殺し屋稼業に従事していました。
ところが彼女は、両親の復讐を優先するあまり、自分が殺した凶悪犯罪者達の死体にコロンビア国花であるカトレアの花の紋様をわざわざ残していっているんですよね。
カトレア的には、そうすることで自分が生きていることを仇のマフィア達にメッセージとして伝え、自分の下へおびき寄せることで仇を討とうという意図がありました。
しかしそれは、自分の正体に繋がる手がかりを残しながら殺しを続けるという行為に他ならず、警察の捜査から逃れることが困難になるばかりか、マフィア達からも再び生命を狙われかねないという二重の危険を背負うものでもありました。
さらに、死体にカトレアの花を残すという所業はエミリオの指示ではなく、あくまでもカトレアが独断でやっていたものでしかなかったのです。
殺しの依頼を取ってきていたエミリオにしてみれば、自分はおろか、実の娘同然に扱っているカトレアにまで危害が及ぶという事態は到底認められるものではなく、そんなことは止めるようカトレアに命令します。
しかし、復讐が全てに優先するカトレアにとって、仇をおびき出すという手段は決して放棄できるものではなく、通算で23件目となる殺し屋稼業でも彼女は結局同じことを繰り返すのでした。
結果、カトレアはエミリオと縁を切られてしまったばかりか、例の紋様からカトレアを追跡してきたマルコ一派によってエミリオ夫婦叔父と祖母を殺害されるという憂き目まで見ることになってしまいます。
ところが、それでも彼女は復讐を諦めることがないんですね。
殺されたエミリオ夫婦叔父エミリオも、殺された息子の復讐に精を出していた経験から、復讐が不毛なものであることを悟り、死んだ息子の分もカトレアに幸せになってもらいたいと公言されていたにもかかわらず。
また、カトレアの両親が殺されたのはカトレアに責任があるものではありませんが、エミリオ夫婦叔父と祖母の死はまぎれもなくカトレアの行為が原因です。
彼女は結果的に、自身の復讐のために自分の叔父夫婦叔父と祖母を巻き込んでしまっているわけなのですから。
そこまでして、彼女にとっての復讐は何が何でも達成されなければならないものだったのでしょうか?
結果的にカトレアはドン・ルイスとマルコ一派に復讐を果たすことに成功するわけですが、そのために払った代償はあまりに大きなものであると言わざるをえないでしょう。
叔父夫婦叔父と祖母の死、自分の正体が露見し全国指名手配、さらには仕事の基盤をも失い、恋人とも別れて街を出ていかざるをえなくなると、散々な状態に追い込まれたのですから。
彼女にとって「両親に対する復讐」というのは、自分の生涯をかけた「生きる目標」であり、それがなくては彼女は生きていけなかったのか、とすら思えてならなかったです。
自身の復讐のために新たな悲劇を生みながら、それでも復讐に固執せざるをえない彼女の生き様は、ある意味哀れなものがありましたね。
ただそうなると、その「生きる目標」である復讐を果たした後、彼女は一体どうなってしまうのでしょうか?
カトレアには、復讐をどうやって達成するかについてはいくらでも考えていたでしょうが、復讐を達成した後のことについては全く何も考えていなかったように見えます。
「生きる目標」を失い、しかもそれに代わる目標も立たないというのは、精神的に死んだも同然の状態にもなりかねないものがありますし。
また、親しかった人間と強制的に決別させられ、(殺し屋としての)生活基盤をも失った上、正体が割れて全国指名手配までされた彼女の未来は、あまり明るいものとは言い難いものがあるでしょう。
最低でもアメリカからの国外逃亡は余儀なくされるでしょうし、それ以前に「自分が生きる理由」というもの自体が果たして見出しえるのかどうか……。
状況的に見れば、ラストシーンの後に「死んだ両親とエミリオ夫婦に会いに行く」として自殺に走っても何ら不思議なことではないのですしね。
エミリオ夫婦がカトレアに望んだ「死んだ息子の分まで幸せになってほしい」という願いは、残念ながら達成されそうにもないのが何とも言えないところで(T_T)。
後日談的なエピソードがあるのならどういうストーリーが展開されることになるのか、少々興味をそそられはしますね。
アクションシーンはそれなりのものがありますので、アクション映画が好きという方にはオススメの映画と言えるでしょうか。