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2012年09月の記事は以下のとおりです。

映画「コロンビアーナ」感想

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映画「コロンビアーナ」観に行ってきました。
「ニキータ」「レオン」などの映画製作を手掛けたリュック・ベッソン監督が世に送るクライムアクションドラマ。
作中には血を出して死んでいる人間の描写やセックスを匂わせるシーンがあることから、当然のごとくPG-12指定されています。

最初の舞台は1992年、南アメリカの北東部に位置するコロンビア共和国。
当時、コロンビアの有力なマフィアのボスであるドン・ルイスは、部下のマルコに対し、組織から足を洗おうとしていた同じマフィアの幹部を殺害するよう命じます。
ターゲットにされた幹部の方も、すぐさまその気配を察知し逃げる準備を始めるのですが、時既に遅く、幹部の自宅はマルコの部下達によって包囲されてしまいます。
進退窮まったことを悟った幹部の男は、コロンビアの国花「カトレア」と名付けた当時9歳の娘に小さなチップと名刺を渡し、自分達に万が一のことがあれば名刺に書いてある住所まで自力で向かい、そのチップを渡した後、叔父のエミリオを頼るよう告げるのでした。
ほどなく強引に自宅へ押し入ってきたマルコ率いる男達によって、カトレアの両親はあっさりと殺されてしまいます。
そして勝利を確信し、自宅のテーブルにじっと座っていたカトレアと対座したマルコは、父親から渡されたであろうチップを渡せば欲しいものをやるとカトレアに迫ります。
それまで大人しく、また従順するフリをしていたカトレアは、そこで「ドン・ルイスの命!」という叫びと共に、隠し持っていたナイフをマルコの手に突き刺し、その一瞬の隙を突いて窓から脱出を果たすのでした。
コロンビアの複雑な地形を利用して追手の手から逃れ、名刺に書かれていた住所へと向かったカトレアが辿り着いたのは何とアメリカ大使館。
カトレアが予め口の中に入れていたチップを吐き出し、アメリカ大使館の人間に渡すと、よほどに重要なデータでも入っていたのか、アメリカ大使館の人間は驚愕の表情を浮かべます。
結果、アメリカへの入国が認められたカトレアは、しかしアメリカ入国直後にトイレに入った後、監視の目がないのを良いことに窓から逃亡。
そのままシカゴへと向かい、そこで裏の稼業を営んでいた叔父のエミリオと対面することに。
エミリオはカトレアを自分の保護下に置き、彼なりに守っていくことを決意することになります。
しかしカトレアは、自分の目の前で殺された両親のことが忘れられず、ドン・ルイスとマルコに復讐を遂げるべく、殺し屋になることを考えつき、エミリオにも協力するよう要求するのでした。

それから15年後。
平常の勤務で雑談をしていた警官2人が乗っていた車輛に、突然赤い車が猛スピードで体当たりしてくるという事件が発生。
車にはひとりの女性が乗っていたのですが、女性には自身の身元を証明するものは何も持っておらず(名前が書かれた図書館カードが一枚あっただけ)、また酷く酔っているのか呂律も回らない状態。
その様子を見た警官達は、とりあえず一晩牢にぶち込み、翌日釈放するということで決着をつけます。
奇しくもその時は、同じ牢に凶悪犯罪者を収監する予定が入っており、警官達は事なかれ主義的に処理を済まそうとしていたのでした。
ところが牢に放り込まれた女性は、監視の目がなくなるや否や、娼婦のような露出の高い服から隠し持っていたタイツスーツに着替え、不穏な行動を開始するのでした。
彼女こそ、15年前にエミリオに保護されたカトレアその人だったのです。
カトレアの目的は、収監された凶悪犯罪者をその手で抹殺すること。
様々なテクニックを駆使した末、彼女は首尾良くターゲットの殺害に成功するのですが……。

映画「コロンビアーナ」では、実の両親の仇を討つためにのみ生きる女が、それ故に全てを失っていく様が描かれています。
両親を殺した仇を討つために殺し屋になったカトレアは、闇稼業に精を出すエミリオが請け負った殺しの依頼を受けるという形で、殺し屋稼業に従事していました。
ところが彼女は、両親の復讐を優先するあまり、自分が殺した凶悪犯罪者達の死体にコロンビア国花であるカトレアの花の紋様をわざわざ残していっているんですよね。
カトレア的には、そうすることで自分が生きていることを仇のマフィア達にメッセージとして伝え、自分の下へおびき寄せることで仇を討とうという意図がありました。
しかしそれは、自分の正体に繋がる手がかりを残しながら殺しを続けるという行為に他ならず、警察の捜査から逃れることが困難になるばかりか、マフィア達からも再び生命を狙われかねないという二重の危険を背負うものでもありました。
さらに、死体にカトレアの花を残すという所業はエミリオの指示ではなく、あくまでもカトレアが独断でやっていたものでしかなかったのです。
殺しの依頼を取ってきていたエミリオにしてみれば、自分はおろか、実の娘同然に扱っているカトレアにまで危害が及ぶという事態は到底認められるものではなく、そんなことは止めるようカトレアに命令します。
しかし、復讐が全てに優先するカトレアにとって、仇をおびき出すという手段は決して放棄できるものではなく、通算で23件目となる殺し屋稼業でも彼女は結局同じことを繰り返すのでした。
結果、カトレアはエミリオと縁を切られてしまったばかりか、例の紋様からカトレアを追跡してきたマルコ一派によってエミリオ夫婦叔父と祖母を殺害されるという憂き目まで見ることになってしまいます。
ところが、それでも彼女は復讐を諦めることがないんですね。
殺されたエミリオ夫婦叔父エミリオも、殺された息子の復讐に精を出していた経験から、復讐が不毛なものであることを悟り、死んだ息子の分もカトレアに幸せになってもらいたいと公言されていたにもかかわらず。
また、カトレアの両親が殺されたのはカトレアに責任があるものではありませんが、エミリオ夫婦叔父と祖母の死はまぎれもなくカトレアの行為が原因です。
彼女は結果的に、自身の復讐のために自分の叔父夫婦叔父と祖母を巻き込んでしまっているわけなのですから。
そこまでして、彼女にとっての復讐は何が何でも達成されなければならないものだったのでしょうか?
結果的にカトレアはドン・ルイスとマルコ一派に復讐を果たすことに成功するわけですが、そのために払った代償はあまりに大きなものであると言わざるをえないでしょう。
叔父夫婦叔父と祖母の死、自分の正体が露見し全国指名手配、さらには仕事の基盤をも失い、恋人とも別れて街を出ていかざるをえなくなると、散々な状態に追い込まれたのですから。
彼女にとって「両親に対する復讐」というのは、自分の生涯をかけた「生きる目標」であり、それがなくては彼女は生きていけなかったのか、とすら思えてならなかったです。
自身の復讐のために新たな悲劇を生みながら、それでも復讐に固執せざるをえない彼女の生き様は、ある意味哀れなものがありましたね。

ただそうなると、その「生きる目標」である復讐を果たした後、彼女は一体どうなってしまうのでしょうか?
カトレアには、復讐をどうやって達成するかについてはいくらでも考えていたでしょうが、復讐を達成した後のことについては全く何も考えていなかったように見えます。
「生きる目標」を失い、しかもそれに代わる目標も立たないというのは、精神的に死んだも同然の状態にもなりかねないものがありますし。
また、親しかった人間と強制的に決別させられ、(殺し屋としての)生活基盤をも失った上、正体が割れて全国指名手配までされた彼女の未来は、あまり明るいものとは言い難いものがあるでしょう。
最低でもアメリカからの国外逃亡は余儀なくされるでしょうし、それ以前に「自分が生きる理由」というもの自体が果たして見出しえるのかどうか……。
状況的に見れば、ラストシーンの後に「死んだ両親とエミリオ夫婦に会いに行く」として自殺に走っても何ら不思議なことではないのですしね。
エミリオ夫婦がカトレアに望んだ「死んだ息子の分まで幸せになってほしい」という願いは、残念ながら達成されそうにもないのが何とも言えないところで(T_T)。
後日談的なエピソードがあるのならどういうストーリーが展開されることになるのか、少々興味をそそられはしますね。

アクションシーンはそれなりのものがありますので、アクション映画が好きという方にはオススメの映画と言えるでしょうか。

映画「ひみつのアッコちゃん」感想

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映画「ひみつのアッコちゃん」観に行ってきました。
赤塚不二夫原作の国民的人気を誇る同名コミック生誕50周年を記念して制作された、綾瀬はるか・吉田里琴が主演を担う実写映画化ハートフルコメディ作品。
ストーリーは完全オリジナルで、原作や既存アニメとは何の関連性もありません。
今作は元来観賞する予定はなかったのですが、現在がちょうど1ヶ月フリーパスポート発動期間中ということで、急遽観賞予定リストに加えられることになった経緯があったりします(^_^;;)。
しかし、こんなある意味「古典的作品」までとうとう実写映画化されるようにまでなったのですねぇ。
洋画・邦画を問わず、昨今の映画では原作マンガの実写化が顕著なのですが、この傾向、果たしていつまで続くことになるのやら。

映画のタイトル名や原作から考えても当然のごとく今作の主人公である「アッコちゃん」こと加賀美あつ子は、母親の化粧箱を無断で失敬して見様見真似の化粧をするような、小学5年生のちょっと活動的な女の子。
ある日、加賀美あつ子が5年2組の教室で化粧をしていたところ、今時珍しいガキ大将含む3人の男子児童にイチャモンをつけられた挙句、ガキ大将から物を投げつけられた衝撃で父親からもらったコンパクトを壊されてしまいます。
そのことを嘆き悲しんだ加賀美あつ子は、自宅の庭にコンパクトの墓を作り、壊れたコンパクトを丁重に葬ります。
しかしその夜、加賀美あつ子は突如、誰かに名前を呼ばれると共に白い光が自宅の外で放たれているのを目撃するのでした。
謎の声に導かれるままに彼女が自宅の外に出ると、そこには光に包まれたひとりの男が佇んでいました。
彼は自分のことを「鏡の精」と名乗り、壊れたコンパクトを長年にわたって大事にしてくれたお礼として、新しいコンパクトを加賀美あつ子にプレゼントするのでした。
そして彼はこう付け加えるのです。
そのコンパクトは魔法のコンパクトであり、「テクマクマヤコンテクマクマヤコン」と唱えて変身したいものの名前を言えば、その名前のものに変身することができること。
元に戻りたい時は「ラミパスラミパスルルルンパ」「ラミパスラミパスルルルルルー」と唱えれば良いこと。
そして、コンパクトの魔法は誰にも知られてはならず、もし知られたら魔法が使えなくなってしまうこと。
「鏡の精」が去った後、加賀美あつ子はコンパクトの魔法を何度か発動させ、「鏡の精」が言っていたことが事実であることを確認します。
元々「大人になること」に憧れを抱いていた加賀美あつ子は、自分が好きな時にすぐさま大人に変身することができるコンパクトをすっかり気に入り、大人の女性警察官に変身してガキ大将に説教をしたりするのでした。
そんな折、小学校の同級生と一緒に遊びに行った遊園地で、加賀美あつ子は御年27歳になるひとりの男性と「子供の姿で」出会うことになります。
色々あって遊園地の観覧車に、その男性と一緒に同乗することになった加賀美あつ子は、妙に寂しそうなその横顔が気になるのでした。
その男性とは本来、一度きりの出会いとなるはずでした。
しかしその後、コンパクトの魔法でまた大人に変身した加賀美あつ子は、かねてから興味があった化粧品の売り場で店員から化粧をしてもらっている際、何の因果か再びその男性と遭遇することになります。
彼は化粧品の開発・販売を担っている大企業「赤塚」の開発室長待遇の地位にある早瀬尚人という名前の人物であり、この出会いが加賀美あつ子と早瀬尚人、さらには「赤塚」の運命をも変えていくことになるのですが……。

初の実写版映画(テレビドラマでは既に前例あり)となる今作の「ひみつのアッコちゃん」は、そのメルヘンチックなお子様向け作品をイメージしやすい名前と実績に反して、企業乗っ取りだの株主総会だのといったドロドロな一面が前面に出てきます。
ストーリーの大部分が、化粧品会社「赤塚」および「赤塚」に勤務している早瀬尚人との関係に終始しているため、ストーリー的にはそうなるのも当然ではあるのですが、そのこともあってか、「子供としての加賀美あつ子および彼女周辺の人間関係」についてはかなり小さな比重でしか扱われていないんですよね。
ガキ大将とか加賀美あつ子の友人であるモコなどは、序盤と終盤以外ではほとんど「お情け」レベルの出番しかありません。
そこから考えると、今作はあくまでも「魔法の力で大人になった加賀美あつ子の物語」であり、同時に「大人に憧れる子供の現実遊離な物語」でもある、ということになるでしょうか。
物語終盤では、魔法が使えなくなった加賀美あつ子が、元いた「子供としての自分の居場所」に戻っていくという描写もしっかり描かれていますしねぇ。

ただ、物語全体で見ると、明らかに「魔法のコンパクト」以外の要素があるとしか思えない言動が、加賀美あつ子には目立ち過ぎますね。
たとえば序盤で加賀美あつ子は、冬休み中に通わなければならない塾をサボるために大人に変身して「加賀美あつ子の親戚」と称し、塾に直接乗り込んで「加賀美あつ子は外国へ行ったから当面塾は休むことになる」と塾講師?に告げることで休みを確保します。
しかし、こんなのは塾側が加賀美あつ子の母親に直接電話をかけて確認を取ればすぐにでも露呈するウソでしかありませんし、そもそも一度も面識もない「加賀美あつ子の親戚」なる人物の身分詐称を、塾側が頭から信じなければならない理由もありません。
むしろ塾側としては、加賀美あつ子が何らかの犯罪に巻き込まれた可能性をも考慮して、目の前の女性の身元や親への確認を、自分から率先して行わなければならないところでしょう。
今の時代、この手の対処を誤ればマスコミが総出で叩きにかかりますし、下手すれば塾の経営や信用にも多大な悪影響が出かねないのですから。
あんな稚拙なやり方で、よくもまあ親にもバレないサボりができたよなぁ、とつくづく考えずにはいられませんでした。
そして早瀬尚人が勤務する化粧品会社「赤塚」へバイト待遇で入社した後も、社会人としてのマナーなど欠片たりとも持ち合わせていない言動を披露するのは、その出自から考えてやむをえないにしても、それに対して実行力のある制裁が全く発動しないというのは奇妙な話です。
加賀美あつ子の「非礼」な言動を見て周囲の他者が取った行動って、せいぜい「口先だけの抗議」くらいなものでしかなかったですからねぇ。
特に酷いのは、「赤塚」の株主総会で披露されたマイクパフォーマンスですね。
作中では誰もが彼女に注目し筆頭株主を動かすほどの名演説的な演出として扱われていましたが、元々彼女は「赤塚」の株主ではなく、あの場における発言権限など皆無なはずなのですから。
それどころか、あんなマイクパフォーマンスは企業の株主総会に対する明確な妨害行為とすら見做され、最悪は法的に罰せられる危険性すら否定できないところでしょう。
というか、加賀美あつ子が通う小学校でさえ、ああいう「悪目立ち」する行為を抑制するための社会的なマナー程度のことは普通に教えられそうなものなのですけどねぇ。
ましてや、小学校でも5年生レベルであればなおのこと。
この辺りは「小学生ならではなの世間知らずと無邪気さ」を逆手に取って大人達を圧倒する美談的に扱ってはいるのでしょうが、展開に無理があり過ぎて、正直ここにすら「魔法の力」が介在していたのではないかと考えざるをえなかったですね。

あと、ラストの爆弾騒ぎで加賀美あつ子は、ネコに変身して爆弾の所在を確認した後に人員の誘導を行っているわけですが、何故あそこでネコから元の大人の姿に戻って他者に爆弾の存在を知らせようと考えなかったのでしょうか?
ネコに変身して爆弾の現場まで他人を誘導するなんて手段自体がまどろっこしすぎますし、実際、作中でも一度失敗しかけてすらいますよね、アレって。
そんなことをするよりも、一度大人に変身して素直に「工場に爆弾が仕掛けられています」と他者に知らせていた方がはるかに効率も良く、かつ自身の秘密を知られることなく魔法を失うこともなかったのではないのかと。
というか、もっと効率の良い方法を考えれば、魔法のコンパクトを使って爆弾解体業者に変身して自分で起爆装置を解除するとか、オリンピック級の長距離走&槍投げ選手に変身して爆弾を安全な場所まで持っていって空高く遠くに投げるとか、自分ひとりで解決できる手段はもっと色々あったはずなのですが。
作中でも、魔法のコンパクトでバイクレーサーに変身した際にオートバイまで一緒に出していた上、免許もなく一度も動かした経験すらないはずなのに問題なく普通に乗り回していたのですから、魔法のコンパクトの力を使えば決してできないことではないでしょう。
外見上の変身のみならず一流の技能まで備わる魔法のコンパクトなんて、無敵のチート能力もいいところなのではないかと思うのですけどねぇ(苦笑)。

あと個人的には、物語中盤で子供の加賀美あつ子が、唐○俊○ばりのネットからのコピー&ペーストで「冬休みの課題」をさっさと終わらせたところを佐藤先生に見つかって咎められていたシーンも笑えるものがありましたね。
映画における●沢●一レベルのP&Gな盗作行為自体は、ジャック・ブラック主演の映画「ガリバー旅行記」でも見られたものではありましたが、これって知識さえあれば子供でもできることでもないのだなぁ、と。

原作やアニメにおける「ひみつのアッコちゃん」は、全体的に子供がメインの作品であるのに対し、今作はストーリー的にも出演キャスト的に見ても「大人向けの大人のための作品」ではあるでしょうね。
企業乗っ取りや株主総会の話なんて、とても子供向けに作られたものとは思えないですし(苦笑)。
大人だけで観るのならともかく、すくなくとも親子連れで観賞しえる映画であるようにはあまり見えないですね、今作は。

銀英伝外伝舞台「輝く星、闇を裂いて」の出演キャスト第二弾公開

銀英伝舞台版公式サイトが更新され、外伝舞台「輝く星、闇を裂いて」の出演キャスト第2弾が発表されました。

銀英伝舞台版公式サイト
http://www.gineiden.jp/
「輝く星 闇を裂いて」公式ページ
http://www.gineiden.jp/kagayaku/

今回発表されたキャストと、これまでの銀英伝舞台出演履歴は以下の通りです↓

中原裕也 ⇒ 今回が初出演
岩永洋昭 ⇒ 「撃墜王編」でシェーンコップ役、今回も同じ役と考えられる。
三上 俊 ⇒ 「撃墜王編」でモランビル役、「双璧編」でフレーゲル男爵役。今回もモランビル役と考えられる。
間宮祥太朗 ⇒ 今回が初出演
小林且弥 ⇒ 今回が初出演
桑野晃輔 ⇒ 今回が初出演
三木哲也 ⇒ 今回が初出演
藤原啓児 ⇒ 今回が初出演
廣瀬大介 ⇒ 今回が初出演
松村泰一郎 ⇒ 「撃墜王編」でブルームハルト役、「オーベルシュタイン編」でシュテファン・ノイマンの少年期役。今回もブルームハルト役と考えられる。
岸 祐二 ⇒ 「オーベルシュタイン編」でシュテファン・ノイマンの青年期以降の役。

横尾渉が「撃墜王編」と同じ役で主演を担っていることから、横尾渉と並んで評判が悪かったらしいニコラス・エドワーズも出演するのではないかと思われるのですが、さすがにそこにはまだ言及しないですねぇ(苦笑)。
次回の外伝舞台は、演技面で評判の悪いジャニーズ芸人が主演な上、チケットの先行販売直後に既に公開されていたストーリーを改変するという暴挙をかましてしまい、公式ブログが炎上状態となっています。

http://ameblo.jp/gineiden-stage/entry-11336572539.html
http://ameblo.jp/gineiden-stage/entry-11341480526.html

というか、個人的にはあの公式ブログがちゃんとコメント欄を公開&コメントを受け付けていることの方に驚いたくらいなのですが(^^;;)。
以前に公式サイト内に設置されていたブログは、レイアウトは論外な上にコメントもトラックバックも受け付けない仕様になっていたので、てっきりアメーバブログの方もそうだとばかり考えていましたし。
ある意味、銀英伝の舞台化発表の頃よりも悪評を轟かせているような感すらあるのですが、本当に大丈夫なのですかね今回の舞台は。

ところで、もうひとつの銀英伝舞台である宝塚版の方も、先日の2012年8月31日から公開開始となりましたね。
こちらはこちらで、一体どんな出来とストーリーなのやら。

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