映画「天地明察」感想
映画「天地明察」観に行ってきました。
冲方丁による日本の時代小説を原作とし、日本独自の暦を初めて作り上げた歴史上の人物・安井算哲(渋川春海)の生涯を描いた人間ドラマ&歴史伝記作品。
SPシリーズで主演を演じた岡田准一と、「神様のカルテ」「わが母の記」で好演した宮崎あおいが共演していることで話題となった映画でもあります。
もっとも、単に「有名俳優同士の共演」というだけでなく、両者の間で不倫疑惑が週刊誌などで騒がれたというスキャンダルネタでも話題になっていたりするのですが(-_-;;)。
江戸時代前期、「左様せい様」の異名で知られる徳川4代将軍家綱の御世。
囲碁の名家である京都の安井家に生まれ、自身も将軍の御前で碁の対局勝負「御城碁」が行えるだけの実力と地位を持つ安井算哲(やすいさんてつ)という人物が存在しました。
彼は、幼少の頃から寝食を忘れて没頭するほどに星の観測と数学が好きな人物で、物語冒頭でも、翌日には「御城碁」を行うために江戸城へ参内しなければならないにもかかわらず、自宅の屋根で星を観測している様が描かれています。
翌日、江戸城へ参内に向かった安井算哲は、その途上にある寺に立ち寄ります。
その寺では、難解な算術問題が描かれた絵馬が飾られているという一風変わった風習?があるらしく、安井算哲は場所も構わず道具を広げて算術問題を解くことに没頭するのでした。
そこで彼は、たまたま寺の清掃をしていた村瀬えんという女性と出会うことになります。
江戸城へ参内する際に献上しなければならない大事なものを寺に忘れるなどのハプニングを経て、予定より遅刻しながらも何とか江戸城へ参内した安井算哲。
幸い、「御城碁」の対局には支障をきたすことはなく、彼は徳川4代将軍家綱の御前で、対戦相手にして旧友でもある本因坊道策(ほんいんぼうどうさく)との対局に臨むこととなります。
この当時の「御城碁」は、予め決められた定石に従って双方が碁を打つという、囲碁勝負とは名ばかりの形式的かつ儀礼的な式典と化していました。
しかし安井算哲と本因坊道策は、いつも真剣勝負の場に身を置いていたという思いから、型破りを打ち方を披露して周囲を驚かせます。
周囲が非難の声を上げる中、将軍に平伏しつつも己の主張を貫き通し、その心意気にお得意の「左様せい」という承認を家綱からもらい、型破りで真剣勝負な「御城碁」を続ける2人。
ところが、その「御城碁」の内容に周囲も固唾を飲んで見守る中、突如日食が発生してしまい、
「不吉の前兆」ということで「御城碁」を含む全ての式典は一切中止ということになったのでした。
「御城碁」に集まった一同が解散する中、安井算哲は会津藩主で家綱の後見人である保科正之に呼ばれ、彼に刀を授けると共に、日本全国の北極星の高度を測りその土地の位置を図る「北極出地」の旅に同行することを命じます。
この旅が、安井算哲の人生をも一変させるきっかけとなるのですが……。
映画「天地明察」で活躍する主人公・安井算哲は、星の観察と算術問題にうつつを抜かす一種の「オタク」な人物として描かれています。
自分の好きなものに夢中になるあまり、後先考えずに行動したり、周囲の状況が見えずに日常的なことでは色々なポカをやらかしたりする辺りは、現代の「オタク」にも共通するところがありますね。
「北極出地」の旅で全国各地の経度を正確に言い当てるほどの実力を有し、また旅を通じて現行の暦である「宣明暦」に2日もの誤差が生じていることを突き止めた安井算哲は、「北極出地」の責任者だった建部伝内や伊藤重孝、さらには幼少時における天文学の師でもあった山崎闇斎の推薦を受け、新暦作成の総責任者として抜擢されます。
自分の得意分野を存分に生かすことができる「天職」とすら言って良い仕事を、しかも幕府の命令で得ることができたわけなのですから、その点において安井算哲は非常に恵まれた境遇にあったと言えるでしょう。
本業である碁打ちでも安井算哲はそれなりの実力を誇ってはいたのでしょうが、星の観察と算術に比べれば、やや一歩を引いていた感は否めないところでしたし。
世の中は「天職」に恵まれるどころか、意に沿わぬ奴隷同然の労働を強要されるケースの方が圧倒的に多いことを考えればなおのこと。
ただ、それが天職ではあったにしても、その事業が決して楽なものでなかったことは確実なのですし、それを成功に導いたのは紛れもなく安井算哲自身の才覚と努力の賜物であることに変わりはないのですけどね。
安井算哲の功績は、日本独自の暦を日本で初めて作り出したことにあります。
それまで日本で使用されていたのは、9世紀中頃に唐の時代の中国から輸入された「宣明暦」と呼ばれる暦でした。
しかしこの暦は、徳川4代将軍家綱の御世の時点で既に800年以上もの時間が経過していることもあり、日食や月食の予報が困難になったり、春分・夏至・秋分・冬至などの24節気が実際より2日もズレたりするなど、大きな不具合が頻出していました。
また暦は吉日や凶日なども刻まれていたことから、これがズレるというのは当時としては死活問題にも関わることでした。
科学知識がまだ一般的ではなかった時代に、縁起や吉凶日などの風習が重んじられるのはむしろ当然のことだったわけで。
安井算哲ら新暦作成チームは、唐代に作られた「宣明暦」に加え、元の時代に創出された「授時暦」、明代に用いられた「大統暦」とを比較した結果、「授時暦」こそが最も優れた暦であると結論付けます。
ところが、暦を司ることで莫大な利権に与っている朝廷は、「授時暦」の優秀性を認めず、改暦に全く応じようとしません。
しかも、その「授時暦」にも実は大きな誤謬が内包されており、安井算哲は「授時暦」の優秀性を立証するために行った「三暦勝負」のラストで、日食予報を外す羽目になってしまいます。
それでも、ハズレばかり連発していた「宣明暦」より優秀であることは証明できていたのですから、それだけでも安井算哲の正しさの証明と「授時暦」採用の根拠には十分になり得ていたはずなのですが、まあこの辺りは天文学よりも政治の問題に属する話ではあるのでしょうね。
幕府の面目を保ち朝廷を頷かせるためには、たとえ僅かな誤謬であっても許されない、という次元の話であるわけなのですから。
結果、幕府の面目は見事に丸潰れとなってしまったわけですが、安井算哲にとってもこの結果は屈辱以外の何物でもなかったでしょうね。
今のままでも、なまじ「宣明暦」より優秀さが証明されていたのですからなおのこと。
この手の不具合というのは、原因を見つけてしまえば「なあんだ」で簡単に終わってしまうものなのですが、現実にはその「見つけるまで」が大変なわけで、この「不具合の原因」を探すために七転八倒して苦悩する安井算哲のありさまは、見ていて共感せずにはいられなかったですね。
結局、安井算哲は水戸光圀や関孝和などの協力を得ることで、何とかこの苦境を乗り切ることに成功するのですが。
あと、安井算哲は冒頭の寺で出会った村瀬えんについて、当初は1年の予定だった「北極出地」の旅から帰還した後に結婚の申し込みをするようなことを、村瀬えん本人に明言しています。
ところが、当初の予定より半年以上も大幅に遅れて安井算哲が「北極出地」から帰還した時、村瀬えんは既に他家へ嫁いで行ってしまった後でした。
村瀬えんの兄である村瀬義益の発言によれば、彼女は予定の1年までは安井算哲の帰還を待っていたとのことだったのですが。
しかし、新暦作成の仕事が佳境に入ってきた頃、村瀬えんは嫁ぎ先から出戻ってきているんですよね。
これ幸いと安井算哲は、出戻ってきた村瀬えんに再度プロポーズを仕掛け、紆余曲折な反応を経て夫婦として結ばれることになるのですが……。
ただ、村瀬えんが嫁ぎ先から出戻ってきた理由については、作中でも「よんどころない事情」と言われているだけで、具体的な内容については何も語られていなかったりするんですよね。
どう見ても「夫との死別」が原因であるようには見えませんし、仮にあちらの家で世継ぎの子供でも作っていれば、たとえあちらの家の主人が死んだとしても「母親」として子供を育てることに専念せざるをえなかったはずでしょう。
表面的にはお淑やかな美人に見える村瀬えんの、しかし微妙に強気かつ頑固な性格を鑑みると、嫁ぎ先の家でその性格を嫌われ離縁させられたか、あるいは村瀬えんの方で嫁ぎ先の家の気風なり主人の性格なりが気に入らず、自分から飛び出していったかのいずれかのように思えてならないのですが(苦笑)。
元々彼女は、「普通の武家が嫌い」みたいな発言も行っていたわけですし。
ならば結婚なんてしなければ良かったのに…………というのは現代人の価値観なのであって、あの当時は「家のために結婚する」のが当たり前な時代だったのですから、村瀬えんも「世間体」や「家の事情」にせっつかれる形で【他家へ嫁がざるをえなかった】のでしょう。
そんな事情さえなければ、村瀬えんもひょっとすると、安井算哲が「北極出地」から帰還するまで待ち続けていたかもしれないですね。
まあこの辺りは、安井算哲側の「女性関係に対する不器用さ」にも原因がないとは言えないのですけど(^_^;;)。
ストーリーの主要なテーマが「日本初の新暦の作成」ということもあり、作中ではそれなりに難しい専門用語が飛び交っていたりします。
色々な解説を交えることで素人にも分かりやすく説明している努力の痕跡は伺えますし、決して理解できないものでもないのですが、それでも初心者にはやや「取っ付き難い」部分があるかもしれません。
SPシリーズの岡田准一が主演と言っても、今作は派手なアクションシーンなんて全くないわけですし。
岡田准一や宮崎あおいをはじめとする出演者が目当てというのでなければ、今作は時代劇などの歴史物が好きな人向けの映画、ということになるでしょうか。