映画「ツナグ」観に行ってきました。
辻村深月の同名小説を原作とする、人の死と死後の再会をテーマとするファンタジー要素を含有した人間ドラマ作品。
その街には、ひとつの都市伝説が存在しました。
生涯でたった一度かつひとりだけ、死んだ人と再会させてくれる仲介人「ツナグ」という名の存在。
多くの人が一種のヨタ話として信じない中で、「ツナグ」は実在し仲介活動を行い続けていました。
その噂話や存在の話を知る人が、その存在を信じ、さらに「ツナグ」と何らかの形で連絡が取ることができ、そして何よりも「死者が生者と会うことを承諾する」ことによって初めて実現する、ツナグを介した死者と生者との邂逅。
そこには、死者と生者、そして「ツナグ」の3者を取り巻く複数のルールが存在します。
1.死者が「生者に会いたい」と「ツナグ」に依頼をすることはできない。
2.死者・生者共に「死」の壁を越えて会えるのはひとり1回だけ(ひとりの生者が「ツナグ」に複数回依頼することができないのはもちろんのこと、複数の生者がひとりの死者相手にそれぞれ1回ずつ会うこともできない)。
3.死者と生者が会えるのは月が出る夜、日没から夜明けまでの限られた時間のみ。それが過ぎると死者は消滅する。
4.「ツナグ」自身は1回たりとも死者に会うことを望むことはできない(ただし、「ツナグ」を引退したり「ツナグ」になる前であれば別)。
5.「ツナグ」になるためにはとある鏡の所有者になることが必須条件。その鏡を使うと、特定の死者と会話をすることができる。
6.「ツナグ」以外の者が鏡の鏡面部分を直接見た場合、その鏡を見た者と「ツナグ」の双方が死ぬ。
なお、作中で「ツナグ」の仕事に従事していた渋谷一家は、「ツナグ」の仲介で依頼者からカネを取るといった行為は一切行っていませんでした。
「ツナグ」の仕事でカネを取ってはいけない、というルールは特になかったようなのですが。
作中でも言われていたように、人生に立ち会うという重い仕事を担うことになる「ツナグ」が無報酬というのは、正直割に合わない感が否めないところではあるのですけどね。
作中における「ツナグ」を担う人間は、今作の主人公・渋谷歩美(こんな名前なのに男性だったりします(^^;;))の父方の祖母である渋谷アイ子。
渋谷アイ子の生家は、先祖代々「ツナグ」の仕事を担い続けてきた秋山家という家で、現在は渋谷アイ子の兄である秋山定之がひとりで家を維持しているようです。
秋山定之もかつては「ツナグ」として死者と生者の仲介を行った過去があったものの、渋谷アイ子にその地位を譲ったのだとか。
渋谷歩美は、渋谷アイ子から「ツナグ」の話を聞かされ、半信半疑ながらもその見習いを自主的に引き受けていたのでした。
その彼が作中で直面することになる「ツナグ」見習いとしての仕事は、以下の3人の人物からの仲介依頼となります。
1.ガンで亡くなった母親がどこかにしまってそれっきりとなっている土地の権利書を聞き出すことを目的としている、個人経営の木材精製所?の社長・畠田靖彦。
2.演劇部の主役を巡り、自分を差し置いて主役に抜擢された親友・御園奈津に殺意を抱き、その直後に事故死してしまったことに罪悪感と恐怖心を抱いている嵐美沙。
3.7年前に突如失踪して行方どころか生死すら不明の恋人・日向キラリを想い続けるサラリーマンの土谷功一。
この3つの依頼に基づく「死者と生者の仲介」を通じて、渋谷歩美は「ツナグ」の仕事とその心得について実地で学んでいくことになります。
また渋谷歩美は両親が既に他界しているのですが、その両親の死には疑惑が付きまとっており、その疑惑についても彼は向き合っていくことになります。
その結末と真相は、一体どのようなものとなるのでしょうか?
映画「ツナグ」では、主人公である渋谷歩美役を松坂桃李が主演として担っています。
私が彼の存在を初めて知ったのは、2010年に銀英伝舞台版で彼がラインハルト役を担当することが公式サイドから発表された時だったのですが、その頃と比べても彼が映画界その他でメキメキと頭角を現しているのが分かりますね。
その後、私が観賞したことのある映画に限定しても「アントキノイノチ」「麒麟の翼 〜劇場版・新参者〜」などに出演暦がありますし、「ドットハック セカイの向こうに」でも登場人物のひとりの声優を担当していたりします。
Wikipediaを参照してみると、実際にはさらにそれ以外の映画やテレビドラマ、さらにその他色々な分野でも活躍しているみたいですし。
芸能・スポーツ分野には人並以上に疎く、初めて名前を知った頃に「誰だこいつは?」とすら考えていたほどの私がこれだけ名前を見かける覚えていることができるというのは、俳優としては結構成功している部類に入るのではないかなぁ、と(苦笑)。
また、今作で渋谷歩美の依頼者のひとりとなっていた嵐美沙役の橋本愛も、私が観賞している映画の中では「HOME 愛しの座敷わらし」「スープ ~生まれ変わりの物語~」「アナザー/Another」に続き今年4作目。
こちらも現在人気上昇中といったところのようですね。
ただ、今作では序盤から意味ありげに出演していたことから、ひょっとすると主人公と恋愛関係にでもなるのかと考えていたら、作中ではあくまでも依頼者のひとりという立場のみで終わっていたので、その辺は少々肩すかしを食らったところではあったのですが。
3人の依頼者による死者との対面は、そのいずれもが少なからず印象に残るものではあったのですが、個人的にも最も強烈だったのは、橋本愛が演じた2人目の依頼者である嵐美沙のものでした。
残り2者が動機や過程がどうであれ「死者に会いたい」という願いそのものは本物だったのに対して、彼女だけは親友の御園奈津に対して「自分が殺してしまった」という負い目と「そのことが他者にバレたら…」という恐怖心を抱いていて、どちらかと言えば「親友に会いたい」よりも「自分の負い目と恐怖心を払拭するため」という思惑の方が強かったわけなのですから。
御園奈津は御園奈津で、嵐美沙の思惑や自身への殺意を知っていたようでしたし、「ツナグ」見習いの渋谷歩美を介して、嵐美沙を試していたかのようなスタンスを最終的に披露したりしていました。
あそこまで嵐美沙のやっていたことを知っていたのならその心情を理解することもできたでしょうに、御園奈津も残酷なことをするよなぁ、とあの場面ではつくづく考えずにはいられなかったですね(T_T)。
あのやり取りのせいで、嵐美沙は間違いなく一生ものの後悔を背負うことになってしまったのではないかと思えてならないのですが。
御園奈津にしてみれば、長年親友関係をやっていた嵐美沙との友情を疑いたくなかった、という心情も働いてはいたのでしょうけど、どうせ今後の御園奈津と嵐美沙は、嵐美沙が死ぬまで二度と会うことはないわけですし、真相を自分の胸にしまったまま嵐美沙の負い目と罪悪感を当人の希望通りに払拭してやっても良かったのではなかったかと。
ただ、嵐美沙が懸念していたであろう「御園奈津を殺そうとしていたことが御園奈津の口から他者にバレたら……」という問題については、「ツナグ」を介して自分が御園奈津と出会った時点で雲散霧消してしまってはいたのですけどね。
「ツナグ」のルール上、今後の御園奈津が「ツナグ」を介して他者と出会うことはできなくなったわけですし、その点ではひとつの目的は達成していると言えるのではないでしょうか。
あと、映画「ツナグ」における「仲介者としてのツナグの存在とその小道具」は、もし実在するならば政府機関やマフィア、および彼らに派遣されるであろう暗殺者や刺客などに付け狙われる要素となりえるでしょうね。
何しろ「ツナグ」がいる限り、「口封じで暗殺」という手法は一切通用しなくなってしまうのですから。
「ツナグ」がいれば、口封じで殺されたしまった被害者から、事件の真相や加害者の正体などを聞き出すことも可能となるのです。
加害者側にしてみれば、「ツナグ」から口封じの被害者が生者と対面し真相を暴露するような事態は何としてでも防がなくてはなりませんし、逆に被害者側にとっての「ツナグ」の存在は、加害者に一矢報いるための必勝必殺の武器となりえます。
「ツナグ」を巡っての政争や争いが起こっても何ら不思議なことではありませんし、これがアメリカであれば、CIAやFBIに大統領直属のシークレットサービスなども絡んだ一大スパイアクション映画的な作品にでも変貌していたのではないかと(笑)。
そこまでスケールのデカい話でなくても、たとえば迷宮入りした殺人事件などで、死者に直接犯人を尋ねたり真相を語らせたりすることもできるでしょうし、個人的な用途以外にも使い道はかなりのものがありそうなのですけどねぇ。
実際、作中でも「母親から土地の権利書について聞きだす」だの「殺意の真相が他者にバレたらどうしよう」などといった、「ツナグ」依頼者達の事情が描写されていたりしているのですから。
「死者から直接情報を引き出せる」というのは、そこまで大きな価値が伴うことなのですが。
他にも、「ツナグ」になるために必須となる鏡の存在も、本来の用途とは全く異なるものでありながら極めて有効な使い方がありますね。
「ツナグ」のルールにもあるように、あの鏡は「ツナグ」以外の者が鏡面部分を見ると当人および「ツナグ」が死ぬようになっています。
ということは、あの鏡の鏡面部分を他者に見せることで、その他者を死に至らしめることも可能、ということになります。
つまりあの鏡は、メドゥーサの首のごとく「人を殺すための武器」としても活用することができる、ということになるわけですね。
渋谷歩美の両親の死の原因がまさにそれだった(当時「ツナグ」だった父親の鏡を母親が見てしまった)わけですが、当時の警察での調べでは「母親が父親に殺され、直後に父親も自殺した」とされていました。
これから分かるのは、鏡を使った殺害では、その凶器ばかりか死因の真相すらも満足に暴くことができない、という事実です。
あの鏡は、やり方次第では「完全犯罪」をも可能にする凶器となりえるわけですよ。
歴代の「ツナグ」がそんな鏡の使い方をしなかったのは、何と言っても「ツナグ」自身の生命に関わる事項である以上当然と言えば当然なのですが、逆に言えば自分が「ツナグ」にさえならなければ、他者「だけ」を殺すことも可能となるわけでしょう。
「ツナグ」の件を抜きにして考えても、あの鏡を欲しがる人は欲しがるのではないかと思えてならなかったですねぇ(^^;;)。
……「ツナグ」とは全くの対極をなすであろう、どこか「デスノート」を髣髴とさせる「ルールを逆用したゲーム」のごとき使用方法ではあるのですが(苦笑)。
ストーリー的には「死者と生者との対面」を巡る死者と生者それぞれの葛藤や本音のぶつかり合いが面白く、充分に楽しめる仕上がりになっています。
「映画はアクションシーンや迫力ある映像が全てだ!」という嗜好の人でなければ、多くの方にオススメの作品ではないかと思います。