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2012年11月の記事は以下のとおりです。

選挙の投票率と国民の政治的関心度の高さが招く意外な陥穽

選挙の度に必ずと言って良いほど話題になるのが、その選挙に投票した有権者の割合を示す投票率です。
この投票率の割合は、有権者の政治への関心の度合いを示すものとされ、高ければ高いほど有権者のためになる政治家が選出されると、主にマスコミを中心にこれまで言われ続けてきました。
しかしこの論理、果たして本当に実地で正しいと言える定説であると言えるのでしょうか?

2009年8月の衆議院選挙では、小選挙区比例代表並立制が導入された1996年以降で最高となる投票率を記録していました。
しかしその結果誕生したのが、あの史上最悪の民主党政権だったのは周知の通り。
そして、史上最高の投票率を誇った選挙で誕生したはずの民主党政権は、その後日本国民を3年以上もの長きにわたって苦しめ続け、東日本大震災後でさえも居座り続け、被災地の復興を妨害すらしてきたのです。
さらに歴史を紐解けば、1934年8月にドイツで行われた、ヒトラーに事実上の独裁権を付与する「総統就任」の正当性を問う民族選挙では、何と投票率95.7%の中で89.9%もの支持をヒトラーは獲得し、民主的な手続きに基づいて彼は最高権力を掌握することとなったわけです。
ではこの選挙は、ドイツ人の政治意識の高さと賢明ぶりを示すものであり、ドイツ国民を幸福にするものだったと言えるのでしょうか?
経済に関して言えばそうでもなかったかもしれませんが、少なくとも第二次世界大戦への移行とその後の敗戦を見る限り、とてもそう判断しえるものではなかったでしょう。
今や歴史の1ページともなったこれらの事例は、投票率の高さと政治の質が正比例の関係になど全くなっていないという事実を、額縁付きで証明するものでもあるでしょう。

選挙における投票率の高さは、政治の質や国民のためになる政治家を選出するための指標などには到底なりえません。
むしろ逆に、投票率があまりに高い時はその民意を利用した権力の乱用が発生しやすく、下手すれば民主主義の体制を根底から覆す巨大な権力を作り出してしまうことにすらもなりかねないのです。
さらに「国民の政治的関心度を示す指標」としての投票率に至っては、全く無意味な概念であるとすら言えるでしょう。
同じ政治的関心であっても、今更言うまでもなくその内容は人によって千差万別です。
一口に政治と言っても、その中身は経済・社会制度・福祉・教育歴史・国防・治安……と様々な分野に枝分かれしているのですし、その中で何を最大の関心事とするのかは、それこそ人の数だけパターンが存在するのです。
それどころか、極端なことを言えば「カップラーメンの値段を間違える麻生は許せない!」「3500円のカツカレーなどを食べる安倍には庶民感覚が足りない!」などというタワゴトを冗談やネタではなく大真面目に吹聴しまくる人間や、あまつさえそれに何の疑問も抱くことなくバカ正直に鵜呑みにして「そうだ!だから自民はダメなんだ!」とこれまた真顔でがなり立てる人間も実在したりするわけで。
性質の悪いことに、こんな3流お笑いネタにもならないであろうヨタ話でさえ、実は立派な政治的関心の一種たりえてしまうのですからねぇ(T_T)。
そんな「空気」の下で行われた2009年8月における衆議院選挙や、ヒトラーを総統にしたドイツの民族選挙は、前述のように間違いなく投票率も国民の政治的関心も極めて高かったとは言えるのですが、それがマトモな政治を生み出したとは到底言えたものではないでしょう。
むしろ逆に、誰もが政治に関心を持ち「このままではダメだ」と無用なまでの焦燥感に駆られ、一刻も早い政治的閉塞?の打開をなりふり構わず模索して副作用を伴う即効薬を選んだ結果、国民の害になる政権がめでたく誕生していたわけです。
これでは投票率や国民の政治的関心度が上がることを、無条件かつ手放しに喜ぶことはできないですね。

民主主義国家の一員たる国民としては、政治への関心や選挙での投票行為そのものは確かに必須の心得と言えるものであるでしょう。
しかし、その権利を有効に生かし、国民のためになる政治を本当に現出させるためには、国民ひとりひとりに相応の政治的知識と広い視野、そして他者に踊らされることのない精神力や信念などといったものが少なからず求められるのです。
自分で何も調べもせず、ただ「投票する行為自体に意義があるから」という理由だけで何となく投票したり、偏向マスコミの報道を鵜呑みにしたバッシング的感情だけで選挙で投票したりするような輩は、全く投票権を行使することのない有権者よりもはるかに性質の悪い「無能な働き者」でしかありません。
そんな投票行為が、先の衆院選で結果的に民主党政権を誕生させたり、ドイツでヒトラーに独裁権を与えたりしてきたのです。
あまつさえ、「あいつらは信用できない」と事前に警告している人達を「空気を読め!」と言わんばかりに嘲笑した挙句、案の定な展開で裏切られた後でさえも全く自分の選択を反省することすらなく「俺達は騙されていたんだ!」「あいつが全て悪いんだ!」と開き直るに至ってはねぇ……。
選挙における投票権というのは、ただ単に行使さえすれば良いというものなどではなく、使い方を誤れば自分や周囲の人間さえも傷つけ破滅にまで追い込みかねない、一種の凶器にもなりえるものなのです。
それほどまでの「権利」を行使する際には、当然それに見合う責任意識も事前にかつ充分に備えておくべきでしょう。
権利や権力には相応の責任が伴う、というのはごくごく当たり前のことでしかないのですから。

投票権というものは、ただ投票しさえすれば良いというものではなく、また目先の情報に踊らされ流される形で行使すべきものでもないでしょう。
他人の動向によって左右されることのない確たる自分の考えを持ち、候補者や政党の言動からその手腕や思想や方向性などを正確に読み取った上で、投票結果に責任を持って選挙に臨む。
これこそが、民主主義国家の国民に求められるべき本当の投票姿勢というものではないでしょうか?

銀英伝舞台版第三章「内乱」の舞台公演が公式発表

つい先日、外伝舞台「輝く星、闇を裂いて」および宝塚版舞台が、共に千秋楽を迎えた銀英伝舞台。
そんな中、銀英伝舞台版公式サイトが更新され、第三章の舞台公演が正式に発表された模様です。
副題は「内乱」、公演は2013年の春頃に青山劇場の予定となっています↓

銀英伝舞台版公式サイト
http://www.gineiden.jp/
特報動画ページ
http://www.gineiden.jp/tokuhou/

内容を考えると、第二章に続き同盟サイドがメインで、救国軍事会議クーデターから移動要塞戦辺りまでのストーリーが展開されることになるのでしょうか?
同じ「内乱」でも、帝国側は既に第一章でリップシュタット戦役の最後までやり抜いているのですから、残るは同盟側にしかないわけで。
これだと、第一章で松坂桃李が演じたラインハルトは、完全ではないにしても出番は少なくて済むわけで、出演予定が絶望視されていた状況から考えれば、ある意味朗報と言える部分もあるかもしれないですね。

また、宝塚舞台版の方も、九州博多座での舞台公演が改めて行われるとのことです↓

宝塚版銀英伝 博多座公演情報
http://kageki.hankyu.co.jp/revue/313/index.shtml

こちらは東京と違ってそう離れているわけでもなくクルマでの日帰り可能圏内だったりするので行けないこともないのですが、やはり内容が内容なだけに少々迷わざるをえないところがありますねぇ(-_-;;)。
宝塚でなければ喜んでチケットを買う方向で調整を始めていたと思うのですが。
話を聞く限りでは、原作のストーリー自体もかなり改変されているという話でしたし、原作のイメージが壊れそうな予感がどうにも否めないところで(--;;)。
行くのであれば早くチケットを確保した方が良い、とは分かっているのですが……。

映画「任侠ヘルパー」感想

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映画「任侠ヘルパー」観に行ってきました。
諸々の事情からヤクザが介護ヘルパーとして働くという奇抜な設定が話題となった、2009年にフジテレビ系列で放映された草彅剛主演の同名テレビドラマの映画化作品。
テレビドラマ版については、映画館での宣伝からその存在自体を知ったくらいなので当然のことながら全く未視聴。
ただ、設定自体はテレビドラマ版と一応の繋がりはあるものの、ストーリー自体はテレビドラマ版とは別個になっているので、作品単独でも充分に観賞可能な映画ではありますね。

かつては指定暴力団「隼会」に所属していた、草彅剛が扮する今作の主人公・翼彦一は、映画の冒頭では組織を抜けて堅気となり、とあるコンビニで働きながら細々と生活していました。
客商売にはおよそ向かないレベルの愛想のなさっぷりを披露していたため、客からも同じバイト仲間?からも見下されバカにされる日々ではあったのですが。
しかしその日常は、コンビニにヘルメットをかぶった強盗が押し入り、バイト仲間にナイフを突きつけてカネを要求されたことから終わりを告げることになります。
ヤクザ時代に培ってきた修羅場での経験を生かし、いともあっさりと強盗を返り討ちにしてヘルメットを奪い取る翼彦一。
しかし、そこにあったのは老人の顔で、明らかに食い詰めて犯行に及んだことが丸分かりな風体でした。
そんな老人に翼彦一は何か同情するものでも見出したのか、自分から老人のバックをかすめ取ってコンビニのカネを入れ、老人に手渡してこの場を去るよう促すのでした。
しかし、そんな一連の出来事は全てコンビニに設置されていた監視カメラに録画されており、翼彦一はコンビニをクビになった上で警察に逮捕されることとなります。
一度は警察に従順に従うそぶりを見せていた翼彦一は、警官達の一瞬の隙を突いて逃亡し、警察に追われながらトンネルを走る描写が展開されます。
まあ、その直後には刑務所の中で囚人として過ごす翼彦一が映し出されていたので、直後にまた捕まったであろうことは想像に難くないのですが(苦笑)。

刑期を過ごしていた刑務所の中で、翼彦一は冒頭のコンビニで強盗に押し入っていた老人と再会することになります。
その老人の名は蔦井雄三といい、刺青もしっかり彫り込んでいる元極道者。
彼は翼彦一からもらったカネを競馬で全部スッてしまった挙句、別件で逮捕され刑務所へ収監されたのだとか。
蔦井雄三は自分と同じ「元極道」という境遇に共感でもしたのか、翼彦一に将棋の駒を渡し、自分が元いた大海市を牛耳っている「極鵬会」という組を訪ねるよう促します。
そして後日、蔦井雄三は老齢に加えて病を患っていたことから死去。
翼彦一が出所するその日、彼の遺体は棺に入れられ火葬場なり墓場なりへ運ばれていったのでした。

刑期を終えて出所した翼彦一は、しかしその直後、冒頭のコンビニで自分と共に仕事をしていた山際成次という若者と出くわし、「男気に惚れたから舎弟にしてくれ」と懇願されることになります。
最初は拒絶していた翼彦一でしたが、あまりにもしつこい上に、その直後に蔦井雄三の娘にして遺族でもある蔦井葉子から形式的な挨拶を受けたこともあり、なし崩し的に舎弟として扱っていくことに。
そして、自身と蔦井雄三の事例から、元極道として堅気で生きていくが困難であると思い知らされた翼彦一は、今は亡き蔦井雄三の勧めに従い、大海市へと向かうことになるのですが……。

映画「任侠ヘルパー」では、まさにゴミ溜めのごとき施設に老人達を隔離し、生活保護のカネだけをふんたくって私腹を肥やす暴力団が登場します。
それどころか、一応は法的に何の問題もない高級老人介護施設でさえも、老人達を半ば機械的に扱い、薬を使って黙らせたりする傾向があることが普通に描かれていたりします。
人をモノとしてしか見ていない凄まじく非人道的な話ではあるのですが、しかし実際問題として、こういったことは現実の介護施設の現場で本当に行われていることのように思えてならないですね。
実際、生活保護の支給は暴力団や悪質なNPO法人の資金源になっているとされ問題にもなっており、作中で展開された「介護や借金を餌にした貧困ビジネス」も普通に横行しているのだとか。
介護ヘルパーによる老人イジメなども一時期話題となりましたが、それも老人を人間ではなく「金のなる木」と見做す風潮が原因でしょうし、根は同じところにあるような感が多々あります。
日本のみならず世界各国の主要国全てで、高齢化社会は誰にとっても避けて通れない深刻な問題となりつつありますし、今後似たようなケースはいくらでも出てくるでしょう。
もちろん、作中における翼彦一のごとく、老人のことを親身に考え老人のためになる介護を真剣に行っている良識的な施設もあることはあるでしょうけど。
出演者の顔ぶれに加え、どう見ても軽いノリの舎弟っぷりを披露している山際成次や正真正銘軽い頭な持ち主の仙道茜などのキャラクターがいることから、一見するとギャグ調な作品っぽく見えるのですが、作品のテーマには意外に重いものがあり、良い意味で予想を裏切る内容ではありましたね。

ただ、個人的に少々疑問に思ったのは、物語終盤における「極鵬会」の面々達の行動ですね。
貧困ビジネスの一環として自分に与えられた「うみねこの家」を焼かれたことから、翼彦一は介護施設建設の入札?会場で「極鵬会」に対して大々的に喧嘩を打ってビジネスを壊してしまった翼彦一は、「極鵬会」の総力を挙げて追われる存在となってしまいます。
そして、放火された「うみねこの家」で老人達が戻ってきた光景を目の当たりにした翼彦一は、老人達が「極鵬会」の目に留められ襲撃されることのないよう、自分の身を「極鵬会」に晒しその身を犠牲にすることを決断します。
果たして彼は「極鵬会」の組員達によって集団リンチに遭い、今まさにどこかへ連れ去られ殺されようとしていたのですが、そこへ異変を察知した八代照夫と蔦井葉子の2人が駆けつけ、八代照夫が「極鵬会」に向かって啖呵を切ることになります。
そしてそれに恐れを抱いたのか、「極鵬会」の面々達はそれ以上の危害を誰にも加えることなく、捨て台詞を吐きながら退散することになるのですが……。
しかし「極鵬会」の面々にしてみれば、たかだか八代照夫の啖呵程度のことで撤退する必要など、実はどこにもなかったりします。
その時の八代照夫は既に大海市の議員を辞職していることを宣言していましたし、その理由が彼自身の女性問題であることも、彼自身の口から既に公のものとなっていました。
となれば、あの場における八代照夫はただの一介の弁護士であるに過ぎず、「極鵬会」にしてみればその場で殺してしまっても何ら問題のない存在でしかない、ということになります。
むしろ「極鵬会」としては、翼彦一に集団リンチを加えていた現場を八代照夫と蔦井葉子に目撃されていることになるわけですから、2人を見逃すと後々厄介な問題にも発展しかねない局面でさえあるわけです。
既に「極鵬会」は、翼彦一を殺すためにどこかへ連れて行く段階に入っていたのですし、あの場には2人以外に目撃者もいなかったのですから、殺すべき対象をひとりから3人に増やしたところで何の支障もなかったはずでしょう。
口封じを目的にした殺人行為なんて、仮にもヤクザや暴力団を名乗っている面々ともあろう者達であれば常日頃から行っているビジネスでしかないのですし。
もちろん、2人を殺す際にはそれなりに合理的な理由で自分達の犯行がバレないような細工をする必要もあるでしょうが、そんなものは後からいくらでもでっち上げることも容易なことでしかないでしょう。
さし当たっては、八代照夫と蔦井葉子の関係を利用して心中に見せかけて殺すとか、何ならコンクリ詰めなり死体を処分するなりして「行方不明」にしても良かったでしょうし。
映画「悪の教典」の蓮実聖司辺りならば簡単に実行してのけそうなものなのですが、仮にも非合法行為を生業とする暴力団の面々が、その程度のことすらも実行どころか思いつきさえしないとは驚きです。
あの場は弁護士である八代照夫が得意とする法律など何も機能しておらず、完全無欠な「極鵬会」のテリトリー下にあったのですから、既にひとりの人間の殺害を実行しようとしていた「極鵬会」が2人を追加で抹殺するなど、赤子の手をひねるよりもはるかに容易なことだったようにしか思えないのですが。
あれでは「極鵬会」は、極道にあるまじき「アマちゃん&事なかれ主義の集団」でしかないではありませんか。
あの場で3人が助かるシナリオにするならするで、もう少し「極鵬会」側がそうせざるをえないような「物理的な力の明示(八代照夫の背後から警察が大挙して出現しようとしていたとか)」の類の演出が必要だったのではないかと。

テレビドラマ版か草彅剛のファンであればもちろん、介護問題について考えたい方であれば必見の映画ではないかと思います。

テレビドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」 第6話感想

全10話放送予定のTBS系列の金曜ドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」。
今回の記事は、2012年11月16日放映分の第6話感想となります。
前回第5話の視聴率は8.9%。
今まで続いていた視聴率最低記録の更新は回避され、今まで右肩下がりだった視聴率がようやく持ち直した感じではありますね。
とはいっても、初回および2回目放映分の視聴率までは回復しきれておらず、またここからさらに回復するのか、再度反転して落ちていくのかは正直不透明な情勢ではあるのですが。
なお、過去の「大奥」に関する記事はこちらとなります↓

前作映画「大奥」について
映画「大奥」感想&疑問
実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想

原作版「大奥」の問題点
コミック版「大奥」検証考察1 【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】
コミック版「大奥」検証考察2 【徳川分家の存在を黙殺する春日局の専横】
コミック版「大奥」検証考察3 【国内情報が流出する「鎖国」体制の大穴】
コミック版「大奥」検証考察4 【支離滅裂な慣習が満載の男性版「大奥」】
コミック版「大奥」検証考察5 【歴史考証すら蹂躙する一夫多妻制否定論】
コミック版「大奥」検証考察6 【「生類憐みの令」をも凌駕する綱吉の暴政】
コミック版「大奥」検証考察7 【不当に抑圧されている男性の社会的地位】
コミック版「大奥」検証考察8 【国家的な破滅をもたらす婚姻制度の崩壊】
コミック版「大奥」検証考察9 【大奥システム的にありえない江島生島事件】
コミック版「大奥」検証考察10 【現代的価値観に呪縛された吉宗の思考回路】

テレビドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」
第1話感想  第2話感想  第3話感想  第4話感想  第5話感想

第6話が担当している原作のページ範囲は、コミック版「大奥」3巻のP94~P127まで。
女版家光と捨蔵改めお楽の方の間に女児が生まれてから、有功が玉栄に女版家光と子を為してくれるよう依頼するシーンまでのストーリーが展開されます。
今回は女版家光と有功絡みの本筋のストーリーについては特にオリジナル要素がなかったのですが、その分、稲葉正勝絡みのオリジナルストーリーがかなり前面に出ていた感がありましたね。
今回の話におけるテレビドラマ版オリジナルエピソードは以下の通り↓

・女版家光の出産後、春日局が捨蔵改めお楽の方に「お腹様」であることを告げ、次こそ男児を産むよう促す。
・有頂天になって柿を取ろうとしたお楽の方が、頭を打って半身不随に(原作では柿は話に絡んでこない)。
・お楽の方の半身不随後、女版家光と有功の逢瀬を許した春日局に対し、稲葉正勝がその意図について問い質す。
・家光に扮する稲葉正勝と、元服の儀のために江戸城へ参内した息子の稲葉正則の対面、さらに無難に儀式が終わろうとした際、息子を自分に近づけさせアドリブで語りかける稲葉正勝。
・対面が終わった後、母親に報告を行う稲葉正則と、春日局から「二度と同じことをするな」と警告される稲葉正勝。

話が進む度に思うのですけど、このテレビドラマ版「大奥」では、春日局のサディスティックな悪役ぶりが無意味なまでに前面に出まくっているような感が多々ありますね。
女版家光と有功の逢瀬を許した意図を稲葉正勝に問われているシーンでは、わざわざ自分から他者の憎しみを買うかのごとき振る舞いを稲葉正勝相手に披露していたりしていますし。
春日局に破滅願望でもあるのでなければ、アレって単に稲葉正勝をイビっていただけでしかないのですが。
原作の春日局も相当なまでの悪党ではありましたが、原作の方はあくまでも「必要に応じて手段を選ばない」だったのに対して、テレビドラマ版の方ではそうでない局面においてさえも残虐性が浮き彫りになっています。
よほどにストレスでも溜まっていたのか、それとも老い先短い自分の寿命に苛立ってでもいたのか、はたまた息子をイビることで自分が権力者であることの再確認でもしたかったのかは知りませんが、傍目には実に無意味なことをしているよなぁ、と。
原作と違って春日局の思想的背景が、現時点では全く語られていないため、なおのことサディスティックな一面だけがクローズアップされてしまっていますし。
稲葉正則の元服の儀で、稲葉正勝が春日局の言いつけに背いてアドリブな言動を披露していたのも、息子に対する愛着もさることながら、間違いなく春日局に対する反発も一役買っていたことでしょう。
あの2人、だんだんと反感と対立を深めつつあるようなのですけど、稲葉家の面々共々、今後一体どうなっていくのでしょうかねぇ。
何となく、自分に逆らう息子に対する制裁を目的に、稲葉家に呪いをかけたり殲滅を命じたりする春日局、という構図が思い浮かばずにはいられないのですが(苦笑)。

あと、玉栄に女版家光の側に上がるよう依頼してきた有功の表情が、明らかに腹に一物あるかのごときシロモノだったのが印象に残りました。
前回の話で玉栄に対して「お前はええ子や」と発言していた際の表情と言い、有功って玉栄に対して実は凄まじいまでの悪意や負の感情を抱いているのではないか、とすら解釈せざるをえないところだったのですけど。
有功を演じている堺雅人の表情の作り方は結構上手いものがありますが、自分のことを心から慕ってくれている第一の忠臣である玉栄に対して、わざわざそんな不気味な表情や声色をすることもなかろうに、とは考えずにいられなかったですね。
そして当の玉栄の方では、そんな有功の不気味さに果たして気づけているのでしょうか?
まあ、あの忠臣ぶりを見るにつけ、「まさか有功様が自分に悪意など抱くはずがないだろう」と頭から決めてかかっていそうではあるのですけど(苦笑)。
有功絡み以外になると、玉栄も春日局ばりに手段を選ばぬ悪党ぶりを披露しているものなのですが、主である有功の前では純粋無垢な赤子同前でしかない、ということになるのでしょうかねぇ。

次回第7話で、いよいよ原作でも支離滅裂な論理の塊だった「一夫多妻の否定」「女性に家の後を継がせる」の話が出てくるみたいですね。
春日局も次話で倒れることになるようですし。
正直、あの場面で披露されることになる男女逆転の政治的・論理的正当性については、原作以上のものを出すことはできそうにもありませんが、どんな形で盛り上げていくことになるのでしょうかねぇ。

野田佳彦こと野駄目カンタービレ政権が遂に衆議院を解散

野田佳彦こと野駄目カンタービレが遂に衆議院の解散を決定し、2012年12月16日に衆議院総選挙が行われることが確実となりました。
長々と居座り続けて日本の国益と国民生活に多大な損害と犠牲を強いてきた愚かな民主党政権が、ようやく退場を迫られる時が来たわけです↓

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121116/plc12111615520011-n1.htm
>  衆院は16日夕の本会議で解散された。これを受けて政府は臨時閣議で「12月4日公示-16日投開票」の衆院選日程を決定。3年余りの民主党政権が審判を受けるとともに、民主、自民の二大政党の対立に橋下徹大阪市長の日本維新の会、石原慎太郎前東京都知事の太陽の党など「第三極」が絡み、選挙後の新たな政権の枠組みや政界再編の行方を決める選挙となる。
>
>  政府は16日朝の閣議で解散詔書を決定。午後の衆院本会議で横路孝弘議長が解散詔書を朗読し、解散を宣言した。閣議を前に野田佳彦首相は官邸で記者団に「国民の皆さまの信をしっかり問います」と述べた。
>
>  解散に先立ち16日午前の参院本会議では野田首相が解散条件に掲げた特例公債法、衆院の「一票の格差」是正に向けて選挙区を「0増5減」する関連法が可決、成立。選挙区の区割り見直し作業が間に合わないため「違憲状態」(最高裁)のままの選挙となる。
>
>  衆院選は民主党が政権交代を果たした平成21年8月の総選挙以来、約3年4カ月ぶり。12月の衆院選は昭和58年以来。
>
>  消費税増税、脱原発、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の是非に加え、中国の戦略的海洋進出をにらんだ日米安保体制の強化、集団的自衛権の行使をめぐる憲法解釈の変更など各党の「国家観」に関わる課題も争点となる。
>
>  首相は内閣や民主党の支持率が低迷する中で解散を断行。民主党内ではこれに反発し離党する動きが相次いでいる。

正直、私は実際に衆議院解散が為されるまでは、カンタービレが前言をあっさり翻して解散せずに居座り続けるというシナリオも充分にあると考えていました。
何しろ、衆議院解散をエサとしてちらつかせた上で自分達の目的を達成し、達成した後は前言を翻して政権の座に居座り続けるというのが、これまで何度も繰り広げられてきた民主党の日常風景だったのですから。
これまでの民主党政権の言動の数々を見ても、前言を翻したりブーメラン発言を繰り広げたりとロクでもない内容が多すぎ、その発言にはとても信用が置けたものではなかったのですし。
民主党内でも、解散せずに任期満了まで居座り続けようとする勢力が公然と存在していたことを考えれば、民主党には解散する気など最初からさらさらない、と考えるのが自然というものでしょう。

さらに言えば、そもそも民主党は任期満了の選挙をする気すらも実は全くないのではないかとすら私は考えていたくらいなんですよね。
中国の習近平体制が確立するまでひたすら時間を稼いだ後、中国人民解放軍を自ら招き寄せて日本でクーデター&武力侵攻を起こさせ、その軍事力を背景に中国の傀儡政権として日本を永続的に支配し続ける。
そんなシナリオをすら、他国の利益を代弁する民主党は頭の中で描いていたのではないかと私は考えていたくらいですからねぇ。
これならば、そもそも選挙対策を考える必要すらもなく、中国をひたすら当てにしていれば良いだけなのですし。
それだけに、今回カンタービレが本当に衆議院を解散したのは驚愕せずにはいられませんでした。
カンタービレはとうとう自暴自棄にでもなってしまったのではないか、とすら私は考えてしまったくらいだったのですが……。
しかしいずれにしても、これで長年にわたって居座り続け、国民を食い物にしながら不当な利益を貪り続けていた民主党に、ようやく引導を渡すことができます。
今こそ、民主党を政権与党の座から叩き落とし、可能ならば消滅させて、日本の国益と国民生活を守りえる政権の樹立を、国民は求めるべきでしょう。
愚かなる民主党政権を生み出してしまった2009年8月の愚行を、我々は二度と繰り返してはならないのです。

ところで今回の解散を受けて、我らが田中芳樹御大は今頃相当なまでに複雑な心境にでも達していることでしょうね。
創竜伝や薬師寺シリーズにおける社会評論の内容を鑑みても、田中芳樹が民主党支持であったことは確実です。
2009年8月の衆院選でも、田中芳樹が嬉々として民主党に投票したであろうことは想像に難くなく、その熱烈な支持ぶりは、薬師寺シリーズ9巻で民主党批判を一切行わなかったことを見ても一目瞭然です。
その民主党が次から次に不祥事を引き起こしまくった挙句、国民から総スカンを食らい、ついにはバカとキチガイの集団であるかのごとく酷評されるようになってしまったことは、田中芳樹にとっては身を切られるほどのショックですらあったことでしょう(苦笑)。
しかし一方では、今度の衆院選で自民党やいわゆる「第三極」の勢力が政権を担った場合、田中芳樹は薬師寺シリーズで政権批判を復活させ、自身のストレスを再び発散することができるようになるわけです。
「第三極」の中心人物達って、石原慎太郎といい橋下徹といい、田中芳樹がさぞかし毛嫌いしてそうな人間ばかりですからねぇ。
ひょっとすると田中芳樹は今頃、現在執筆中のタイタニア4巻を放り投げて薬師寺シリーズを書き殴りたい衝動にでも駆られているかもしれません(爆)。

パクリ元とカブってしまう薬師寺シリーズのゴキブリネタ構想

久々にらいとすたっふネタをひとつ↓

http://twitter.com/adachi_hiro/status/268319224378847232
<今日の田中さん。編集さんと打ち合わせしていて、ふと「そういえば、まだ薬師寺にゴキブリの怪物だしてなかったなあ」と。ワシ、ここ数年は見せたことがなかったくらいの真顔で「女性読者が減るから、絶対にやめろ」と言ったよ。誰か褒めてよ。>

いや、ゴキブリの話は女性読者云々以前にネタがカブるでしょう、薬師寺シリーズのパクリ元たるGS美神極楽大作戦と(爆)。
あのマンガには、まさにゴキブリとその怪物を扱ったそのものズバリな話があるのですから。
美神令子はドラえもんのネズミ並にゴキブリが大の苦手で、ゴキブリを駆除するために核ミサイルをオーダーしようとしたり、信頼性のない危険な薬を使ってゴキブリを全滅に追い込もうとしたりと、なかなかにコメディチックなキャラクターを演じていました。
ただ、美神令子が苦手としているのはあくまでもゴキブリであって、「ゴキブリの怪物」の方には全く恐怖を抱いておらず、むしろここぞとばかりに足蹴にしていたところが何とも奇妙な話ではありましたが(苦笑)。
これと全く同じネタを、田中芳樹は薬師寺シリーズで披露するつもりだったのですかねぇ(笑)。

まあ正直、極楽大作戦とスレイヤーズからあそこまで露骨にネタをパクリまくっていたら、逆に確信犯でネタとしてやっていると考える方が自然ではあるのですが。
まさか両作品の存在すらも知らず、たまたまあれだけのネタがカブっているだけ、などという言い訳など、あの設定の酷似ぶりを見ても到底信じられない話なのですし。
というか私は、一体いつになったら魔神アシュタロスとルシオラを薬師寺シリーズに登場させてくれるのかと、半ばワクワクしながら待っているくらいだったりします(^^;;)。
元ネタの極楽大作戦でも「美神を食ってしまった」というレベルの圧倒的な存在感を醸し出していたルシオラが出るかどうかは微妙であるにしても、美神令子の(前世&魂の)生みの親である魔神アシュタロスの方は、ちょうど強大な権力者である父親が薬師寺涼子にはいるわけですし、こちらは逆に出てこない方が不自然でしょう。
姉の薬師寺絹子がスレイヤーズのルナ・インバースをまんま持ってきたような存在だったのですから、父親の薬師寺弘毅か祖父の薬師寺正基辺りが魔神アシュタロスのパクリだったとしても何の不思議もないわけですし(爆)。
自身が抱いている破滅願望を薬師寺涼子に託している、という設定なんて、いかにも強大な悪役らしい役どころなのではないかと。
今の田中芳樹に魔神アシュタロスのような悪役が描けるとは、正直言ってとても考えられないのですが、この辺り、田中芳樹は一体どう処理するつもりなのでしょうかねぇ。

それと、本日から銀英伝外伝舞台「輝く星、闇を裂いて」の公演が始まりますね。
今度の公演は、銀英伝舞台としては、銀英伝が舞台になることが初めて発表された時を除けば最悪の前評のようなのですが、その実際の出来は果たしてどうなることやら。
外伝公演が終われば、次はいよいよ来年4月になるであろう本編第三章の舞台となるでしょうし、そろそろ舞台公演の公式発表があっても良さそうなものなのですが、こちらの動向も気になるところです。

Windows8のスタートメニュー問題で飛び交う憶測

マイクロソフト社のWindows事業部門トップだったスティーブン・シノフスキーの、Windows8の発売開始から1ヶ月も経たない中での辞任が憶測を呼んでいます。
彼はWindows8のスタートメニューの削除を提言した人物で、その改造が不評だったことから辞任を余儀なくされ、かつWindows8でスタートメニューが復活するのではないかと囁かれているわけです↓

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/121114/biz12111410200002-n1.htm
>  ソフトウエア世界最大手、米マイクロソフトが、発売したばかりのパソコン向け最新基本ソフト(OS)「ウィンドウズ8」の設計を変更するのではないかとの観測が強まっている。歴代のウィンドウズに採用されてきた「スタートメニュー」が廃止されたことで、利用者から戸惑いの声が上がっていることに加え、同社のウィンドウズ事業部門トップが、最新版の発売後わずか半月で突然退職したことが憶測を呼んでいる。
>
>  同社は12日、ウィンドウズ部門を率いてきたスティーブン・シノフスキー氏が辞任すると発表した。同氏はバルマー最高経営責任者(CEO)の後任候補の一人と目されてきた幹部。さらに辞任のタイミングが最新版を発売直後だったため、関係者の話題を集めている。13日の米紙USAトゥデー(電子版)によると、
最新版からスタートメニューが消えたことで「どう操作すればよいのか」と、とまどう利用者が多いという。スタートメニューをなくしたのは、ウィンドウズの搭載ハードウエアが伝統的なパソコンから携帯端末に移行し、タッチパネル方式による操作が主流になるとしてシノフスキー氏が、社内を説得したためだという。
>
>  これが不評だったことで同氏が解職されたとの見方が出ている。USAトゥデーは、シノフスキー氏の後任であるジュリー・ラーソングリーン氏が最新版の改修を指揮するのではないかとする関係者の見方を紹介している。

ある程度は想定の範囲内だったとはいえ、やはりWindows8は発売早々問題を引き起こしているとしか評しようがないですね。
スタートメニュー問題以外でも、様々な不具合が頻発しているみたいですし。
まあ、プログラムが初期に様々な不良を起こすこと自体は、むしろ全くないと却って不正が疑われるくらいに「ある方が自然」なのですし、仕様変更も互換性の問題や操作性の相違などで、最初はなかなか素直に受け入れられなかったりするものなのですが。
初期不良や仕様変更の弊害が少なくないだろうと考えたものだから、私は逆にパソコン買い替えの際にWindows7にこだわったりしたくらいでしたし。
その判断はやはり間違ってなかったな、とついつい自分褒めをしたくなってしまうWindows8の惨状ですね(^_^;;)。
不具合については、今後のWindows Updateで漸次改善されていくことになるのでしょうが、スタートメニューについては再度の仕様変更にまでなってしまうわけですし、果たしてどうなっていくのでしょうかねぇ。
個人的には、デスクトップ&ノートパソコンでWindows7、タブレット端末専用のWindows8といった「棲み分け」を行なって欲しいところではあるのですが。
すくなくとも、Windows8搭載パソコンをWindows7にダウングレードしなければならないなどという、Windows Vista時代の悪夢の再現は勘弁願いたいです。

燃費向上で巻き返しを図るホンダのハイブリッド車戦略

ハイブリッド車でトヨタの後塵を拝しているホンダが、新たなハイブリッドシステムを2013年に販売する新モデル車に搭載すると発表しました。
燃費を従来よりも30%以上向上させ、価格もトヨタのアクアより安く抑える方針なのだとか↓

http://www.nikkei.com/article/DGXNASDD120IL_S2A111C1TJ1000/
>  ホンダは主力のハイブリッド車(HV)用システムを刷新すると発表した。低・中速走行時にエンジンと切り離す仕組みなどを採用し、燃費を従来より30%以上高める。2013年に発売する小型車「フィット」の次期モデルから搭載する見通しだ。
>
>  現在はモーターがエンジンと直結するHVシステム「IMA」をフィットなど7車種に搭載している。新システムは低・中速走行時にクラッチでエンジンを切り離し、モーターだけで走行する仕組みを採用。従来のニッケル水素電池からリチウムイオン電池に変更し、燃費効率を高める。
>
>  2つのモーターを使うHVシステムも開発。
中型セダン「アコード」に搭載して充電可能なHV「プラグインハイブリッド車」として13年1月に発売する。後輪駆動用も含めて3つのモーターを使うHVシステムの開発も進め、15年にも発売する高級スポーツ車「NSX」に搭載する。

ハイブリッド車についてホンダは、「安かろう悪かろう」的なイメージがすっかり定着してしまっていますからねぇ(苦笑)。
ホンダのハイブリッド車「フィット」も、せっかく安い価格帯を実現したにもかかわらず「車体が小さいのにプリウスより燃費が悪い」とそっぽを向かれる始末でしたし。
その欠点が是正されることになれば、確かにホンダにも逆転の目はあると言えるでしょう。
ただ、ホンダは今までトヨタに対ハイブリッド車商戦で負けが続いてますから、その負のイメージを払拭することも少なからず求められることになるかもしれませんが。
この手の販売商戦では、商品の品質や性能とは別に「これまでのイメージ」という要素も結構重要だったりしますからねぇ。
ハイブリッド車商戦におけるホンダの巻き返しは果たしてあるでしょうか?

外で働く女性達の「仕事と家庭の両立」の実態

外で働く女性達が子育てとキャリアの両立に悩まされている実態を綴った記事が、週刊誌「AERA」の2012年11月19日号に掲載されています。
記事は「働く女性に社会の理解が足りない」的な論調で締めくくっているのですが……↓

http://megalodon.jp/2012-1113-2049-37/zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20121112-00000006-sasahi-soci
>  働きながら子育てする女性が増えた。しかし、子育てとキャリアの両立にジレンマを抱える女性も少なくないようだ。
>
>  思い詰めた表情で、小6だった娘が発した言葉が胸に刺さった。
>
> 「お母さん、仕事辞めてくれない?」
>
>  大手保険会社の女性課長(46)は昨年、娘の中学受験を経験した。塾では大量の宿題が出され、多くの子どもは専業主婦の母親が手取り足取りフォローをし、成績を伸ばしていた。なのに、自分は娘の宿題を見る時間はほとんどなかった。成績で決まる塾での席順は目に見えて後退した。娘も我慢を重ねていたのだろう。
普段は無理を言わない娘が、冒頭の訴えをしたのだ。
>
>  女性はちょうどその時、部門の抜本改革を担当するリーダーだった。「前代未聞の忙しい時期」だったこともあり、塾が終わる夜9時に娘を迎えに行くためダッシュで会社を出て、帰宅後家事を済ませると、深夜まで持ち帰り仕事をこなす日もあった。「娘の訴え」を聞いた受験半年前からは、朝5時に起き、娘とマンツーマンで2時間勉強をした。
>
>  女性は34歳で出産。育休から復帰後は、保育園やファミリーサポートを利用しながらフルタイムで働いた。
娘に不自由な思いをさせてまで働いているのだから成果を上げたいと思い、出産前より仕事へのこだわりが強まった。会社もそんな彼女を、キャリアアップしながら働く女性のモデルとして後押しした。出張を免除され、クリエーティブな仕事を与えられ、3年前に課長への昇進を打診された。
>
>  迷った。責任が増し、忙しくなるのは目に見えていた。メンター役の先輩ワーキングマザーに相談すると、
>
> 「自分の裁量が増すぶん、管理職のほうが働きやすくなる」
>
>  と応援してくれた。
>
>  だが、管理職は想像以上の大変さだった。二十数人の部下が適材適所で働けているか目を配り、相談に答えられるよう幅広く業務知識を身につけなければならない。
時間的にも精神的にも仕事のウエートが増した。夫は忙しい時の塾の迎えなどを担当してはくれたが、そこまでして母親が働く必要があるのかという態度が透けて見えたし、実母にははっきり批判された。
>
> 「父親が出世したら、なんで出世なんて、とは決して言われない。母親は出世したら周囲も自分もジレンマを抱える。ワーキングマザーの出世とはそういう複雑さを抱えています」
>
> ※AERA 2012年11月19日号

この手の話題が出る度にいつも考えざるをえないのは、「母親(女性)の都合しか述べられていない」ということに尽きますね。
もう一方の当事者であるはずの「子供」の考えはどうなのか、という問題意識がまるで語られないわけです。
この記事に登場している母親的には、別に子供をないがしろにしているつもりもなければ、子供に対して申し訳ない感情を抱いてもいるのでしょう。
しかし彼女は、それでも自分が外に出て働きカネを稼ぐことに固執していたわけですし、それが子供にどんなに寂しい思いをさせているのかについて「頭だけの理解」に留まっていたわけです。
この母親に対する子供の「仕事を辞めて欲しい」という訴えは、記事にあるような塾での成績の問題も当然あったでしょうが、それ以上に「もっと自分の相手をして欲しい」というシグナル的な意味合いもあるでしょう。
記事中の母親は別にシングルマザーというわけでもなく、夫や祖母も母親の仕事熱心ぶりに批判的ですらありますが、金銭的に切迫しているわけでもないのに「子供を構うことなく外での仕事に没頭する」的なスタンスを取っていればそうなるのも当然でしょう。
すくなくとも表面的に見る分には、まさに母親が育児放棄しているようにすらも解釈されてしまう余地も充分にあるのですし。
この母親の主張を見ても、自分の仕事の都合しか語っていませんし、仕事に没頭する母親が子供に「叛逆」されてしまったモデルケースと言えるものではありますね。

外へ働きに出る女性達は、必ずと言って良いほど「自分は子育てと仕事の双方をきちんと両立させている」と主張します。
しかしその実態は、子育てを他人の手に委ねたり施設に預けたりして自分は子供のことをロクに構わないのに、子供が不満を述べない(言えない)のを良いことに「自分に甘い評価」を下している事例がほとんどです。
件の母親も、娘のことを「普段は無理を言わない」と評していた辺り、似たような認識を抱いていた可能性が濃厚ですし。
ところが実際はかくのごとし、というわけで、「子育てと仕事の双方をきちんと両立させていた【つもりだった】」母親はさぞかしショックを受けていたことでしょうね。
そもそも、自分の子育てについてことさら自虐的に悪く言う親なんて、実際に誰の目にも不祥事を公然とやらかした子供を持つ親でなければ相当な変わり者の類でしょうし。
「ワガママを言わない子供」などというのは、子供が不満を持っていない証明になんてまるでならないのですし。
外へ働きに出る出ないに関わりなく、親の贔屓目や世間体の問題が少なからず絡んでくる「子育てに関する親の自己評価」など、到底当てにできるシロモノなどではないのですが。

外へ働きに出る女性が増えた背景には、男女平等イデオロギーが浸透していったこと以上に「共働きでなければ家庭を維持できない」という経済的な事情も決して少なくはないでしょう。
それも元を質せば、女性の労働力供給による労働単価の引き下げを企業が求めたことに原因が求められはするのですが。
しかし、親が子供に構わなくなることで子供が蒙る悪影響は、その子供の一生を左右するとすら言っても過言ではないほど深刻です。
特に幼少時の子供にとって、自分の母親というのは「世界の全て」とすら言って良いほどの存在です。
その母親から母性本能と愛情をもって育てられず、母親との信頼関係が構築できなかった子供は、母親以外との対人コミュニケーションでも多大な支障をきたすようになります。
自分と最も身近にいて「世界の全て」ですらある母親の愛情すらもらえない状態で、どうして世間一般のことを信じることなどできるのでしょうか?
もちろん、実際には母親以上に愛情を注いでくれる父親や知人の類に恵まれた人もいはするでしょうが、それはあくまでも「たまたま人間関係に恵まれていた」のであって「母親のことが信頼できないのが正常」であるわけではないのです。
母親の愛情に恵まれない子供は、「子供の自立心を養う」という観点から言ってさえも問題です。
子供は母親から愛情をもらうためなら何でもする存在なのですし、母親から虐待された子供がますます母親にしがみつくという事例も無数にあります。
子供が非行に走る有力な原因のひとつにも、「どんなことをしてでも親を自分に振り向かせたい」という動機があったりするのですし。
では、父親が母親の役目を代わりに担えば良いではないか、という反論もありはするでしょうが、しかし、特に幼少時の子供の育成において、子供に対して母親の役割を父親が代替で賄えるものはごく僅かなものであり、母親による子供の育児に勝るものはないのです。
母親が早期に亡くなったとか、母親の不祥事が原因で離婚して父親が子供を引き取ったとか、そういった特殊な事情でもない限りは、少なくとも幼少期の子供は父親ではなく母親がメインとなって面倒を見るべきなのです。

昨今の女性の社会進出は、子育てと子供の健全な成長を犠牲にすることで成り立っていると言っても決して言い過ぎではないでしょう。
子育てというものを大人の都合で安易に勘定し、下手すれば邪魔なものとしてすら社会的に扱ってきたことが、子供への悪影響、さらには非婚&少子高齢化の元凶にもなっているのです。
「働く女性に非ずんば人に非ず」的な働けイデオロギーを女性に強要しているような風潮が、男女平等には確実にあるのですが、それは子供はもちろん女性自身さえも不幸にするシロモノでしかありません。
そんな「女性の解放」でも目指しているとしか思えない一昔前の左翼なスローガン的男女平等思想は、マルクスとエンゲルスの共産党宣言ばりに時代錯誤な、前世紀どころか19世紀レベルの「古臭い」思想でしかないのですけどね。

映画「シルク・ドゥ・ソレイユ3D 彼方からの物語」感想

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映画「シルク・ドゥ・ソレイユ3D 彼方からの物語」観に行ってきました。
映画「タイタニック」「アバター」のジェームズ・キャメロン監督が製作を手掛けた、世界最高峰のパフォーマンス集団「シルク・ドゥ・ソレイユ」による人間の限界を超えたパフォーマンスショーと音楽を売りにする作品です。

映画の物語としては、一応は主人公となるらしいミアという女性が、田舎で開催されていた移動サーカス「マーヴェラス」へと足を踏み入れたところからスタートします。
ちなみにこの「ミア」という名前自体、作中で判明するのは物語も後半に入ってからのことだったりします。
彼女はサーカス会場を見物していく中で、ひとりのピエロからチラシを強引に押し付けられます。
そのチラシに掲載されていたのは、エアリアリストという名の空中ブランコショーの芸人。
ミアは彼の空中ブランコショーを観覧すべく、ショーが行われている会場へ足を踏み入れます。
エアリアリストの空中ブランコショーは途中までは順調に推移していたのですが、ショーを観覧しているミアと目が合い、微笑みかけたことから一瞬の隙ができてしまい、彼はブランコをハシゴすることに失敗、セーフティネットも張られていない砂の舞台へ真っ逆さまに転落してしまいます。
ところが、エアリアリストが砂に叩きつけられたその瞬間、突如砂がアリジゴクのごとくさらに下へと落下しはじめ、エアリアリストもそれに巻き込まれて姿を消してしまいます。
観客席にいたミアは思わず立ち上がり、エアリアリストの後を追って同じく砂の舞台の下へと落下することに。
そして、意識を失ったミアが目を覚ました時、そこは別世界としか思えない広大な大地が広がっていました。
ミアが辺りを見渡してみると、すぐ近くにサーカスのテントを連想させる、しかしその規模は相当なまでに大きな建造物が存在していました。
その中へ入っていったミアは、ピエロにもらったチラシを元にエアリアリストの行方を探し始めるのですが……。

映画「シルク・ドゥ・ソレイユ3D 彼方からの物語」では、上映時間の大半が「シルク・ドゥ・ソレイユ」によるパフォーマンスショーに費やされており、登場人物達も作中ではほとんど何もしゃべることがありません。
作中で登場人物達がしゃべっているセリフは数えられる程度しかなく、しかもそれ自体、「助けて」とかいった類のちょっとした単語を口にしている程度でしかありません。
一応軸となるストーリー自体は「サーカスだけで構成されているような世界で、ミアがエアリアリストを探し出す」的な内容となっているのですが、その進行のほとんどをパフォーマンスショーのみで表現しています。
ミアがエアリアリストを探してあちこち回っている先々で、「シルク・ドゥ・ソレイユ」の団員達?が様々なパフォーマンスショーを披露していくという按配です。
パフォーマンスショーの中には、エアリアリストを捕縛したり刺客達と戦いを演じたりするものなどもありますが、物語進行とは全く何の関係のないものもあります。
一般的な映画とは楽しみ方がまるで異なっており、良くも悪くも「パフォーマンスショーと音楽のための映画」ですね。
登場人物による駆け引きや心理描写やストーリーの謎を追うなどといったコンセプトは全く見出しようがないのですし。

今作を観賞する際には、映画というよりもサーカスでも観覧しに行く的なスタンスで臨んだ方が良いでしょうね。

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