映画「リンカーン/秘密の書(3D版)」感想
映画「リンカーン/秘密の書」観に行ってきました。
映画「ダーク・シャドウ」のティム・バートンが製作を、2008年公開のアクション映画「ウォンテッド」のティムール・ベクマンベトフが監督をそれぞれ手掛けた作品。
「リンカーン/秘密の書」というのは邦題で、原題は「Abraham Lincoln, Vampire Hunter(エイブラハム・リンカーン ヴァンパイアハンター)」。
その名の通り、奴隷解放宣言で有名なアメリカ第16代大統領エイブラハム・リンカーンが実はヴァンパイアハンターだった、という設定の下で、リンカーンとヴァンパイアの間で戦いが繰り広げられていくアクション映画です。
今回は料金格安のファーストディ狙いで2012年11月1日の公開初日での観賞となったのですが、3D版しか観賞可能な時間帯がなかったこともあって、結局格安分は3D料金で相殺されてしまった感じですね(T_T)。
そして肝心の3D映像は、相も変わらず「カネが高いだけのボッタクリ」以外の何物でもないシロモノでしかなく、「いいかげん3Dは止めて欲しいものだ」と改めて考えずにはいられませんでした(-_-;;)。
なお今作は、銃弾が目の中にめり込んでいたり、血まみれの殺戮シーンがあったりすることなどから、PG-12指定されています。
物語の冒頭は、1865年のエイブラハム・リンカーンが、ヘンリーという名の人物宛てに日記を書いているところから始まります。
いきなりネタばらしになるのですが、今作の邦題である「リンカーン/秘密の書」というのは、このエイブラハム・リンカーンが記している日記のことを指しています。
公に公開されることなく、特定の人間宛ての「秘密の日記」なので「秘密の書」という邦題の元となったわけです。
決して、世界の命運を決する内容なり秘密なりが記されている書物か何かを意味するわけでもなければ、それを巡っての奪い合いが繰り広げられるわけでもありません。
その点では、邦題よりも原題の方が今作の内容を忠実に表現してはいるのですけどね。
この辺りの詳細な事情はラストシーンで明らかとなるわけですが、ここでは日記を綴っているエイブラハム・リンカーンが9歳の頃の回想シーンへと移っていくことになります。
エイブラハム・リンカーンが9歳だった1818年。
当時彼は、父親であるトーマス・リンカーン、母親のナンシー・リンカーンと共に、ジャック・バーツという実業家の下で暮らしていました。
ある日エイブラハム・リンカーンは、ジャック・バーツの部下にウィル・ジョンソンという黒人が鞭で打たれ、奴隷でもないのに奴隷として連行されようとしている様を目撃します。
虐げられているウィル・ジョンソンをかばい、一緒に鞭打たれる羽目になってしまうエイブラハム・リンカーンでしたが、父親が助けに入り、鞭を打っていた男は湖に放り込まれます。
しかし、そのことがリンカーン一家はジャック・バーツの不興を買うことになり、彼の仕事場を追われることになってしまうのでした。
さらにその夜、ジャック・バーツはリンカーン一家へ密かに侵入し、母親のナンシー・リンカーンに病原菌?を注入して不治の病を患わせてしまい、彼女を死に追いやってしまいます。
たまたまその様子を目撃していたエイブラハム・リンカーンは、ジャック・バーツへの復讐を誓うようになるのですが、それを諌めていた父親の存命時は復讐を実行に移せずにいました。
母親の死から9年後、父親が他界したことで復讐を掣肘する者がいなくなったエイブラハム・リンカーンは、待ってましたとばかりに復讐を実行に移すことを決意。
殺意を高ぶらせるために酒場で酒を一気飲みしていたエイブラハム・リンカーンは、しかし隣にいた男にその意図を喝破され、彼は図星を指されて落としてしまった短銃を拾って足早に酒場を去ります。
そして、いざジャック・バーツを見つけ背後から銃撃しようとするのですが、湖に長時間潜伏していたのが災いして銃が水で使い物にならなくなっており、奇襲に失敗してしまいます。
失敗を悟ったエイブラハム・リンカーンはその場から逃亡し、小屋へ立てこもり体制を立て直そうとします。
嗜虐的に勝ち誇るジャック・バーツは、ナンシー・リンカーンは自分が殺したのだとほのめかしながら小屋の扉を強引に破り、エイブラハム・リンカーンをもその手にかけようとします。
しかし、小屋の扉を破った直後、ジャック・バーツは銃に弾を込め直したエイブラハム・リンカーンによって右の眼球を打ち抜かれその場に倒れることになります。
殺害の証拠隠滅のために銃を湖に捨てるエイブラハム・リンカーンでしたが、その直後、彼は驚くべきものを見ることになります。
何と、右眼球を打ち抜かれたはずのジャック・バーツの死体が、彼の後ろへ移動して襲い掛かってきたのです。
不意打ち同然に襲い掛かられ窮地に陥ったエイブラハム・リンカーンを助けたのは、酒場で彼の隣の席にいた男でした。
男はヘンリー・スタージスと名乗り、ジャック・バーツがヴァンパイアであり、通常の手段では殺すことができないことをエイブラハム・リンカーンに教えます。
エイブラハム・リンカーンはヘンリー・スタージスに対ヴァンパイアの戦い方を教えてくれるよう懇願し、ヴァンパイアを狩る戦いへ身を投じていくことになるのですが……。
映画「リンカーン/秘密の書」に登場するヴァンパイア達には、致命的な弱点らしい弱点というものが全くと言って良いほどに皆無と言って良いチート設定な存在ですね。
作中の描写を見る限り、彼らは昼間も日の光を全く気にすることなく通常通りに行動できるようですし、通常の武器も全く通用しません。
ジャック・バーツの事例のごとく、眼球を短銃で撃ち抜かれてさえも平気で動いていたりするのですし。
のみならず、常人よりもはるかに強い膂力やスピードを誇り、さらには短時間ながら姿を消したり、他人に病気を発症させる等の特殊能力まで持ち合わせているときています。
彼らを殺すには、何らかの形で銀が施された物体を使って相手に致命傷を与えるしかありません。
しかし銀製の武器を使ったところで、別にそれだけで彼らヴァンパイアが弱体化するなどということは全くなく、彼らの強みである膂力やスピードその他特殊能力は健在のまま。
能力に圧倒的な格差があり過ぎ、また人間側に有利な要素が無さ過ぎで、逆に「何故ヴァンパイアは人間の頂点に君臨していないのだ?」とすら考えてしまったほどです。
個体数は人間に比べれば数万と少ないようなのですが、人間の首筋を噛んで血を吸うことで人間をヴァンパイアにする能力は健在なわけですし、あれだけの不死性と特殊能力があれば、ヴァンパイアが人間社会の頂点に君臨することくらい簡単に出来そうな気もするのですけど。
銀というのは確かに彼らにとっては致死性の武器となりえるものではあるのでしょうが、逆に言えばその程度の脅威しかなく、彼らの圧倒的優位を覆すものではないわけですし。
作中におけるエイブラハム・リンカーンやヘンリー・スタージスのようなヴァンパイアハンターもほとんど数がいないようですし、あれでヴァンパイア達が人間社会を支配する野心を今まで抱かなかったことの方が奇異な話に見えてしまいますね。
作中のヴァンパイア達は、その圧倒的な不死性や特殊能力の割には、戦い方がおよそ考えられないほどに稚拙な上、何をしても死なない描写と、いともあっさり人間達にやられていく描写という、あまりにも両極端な描かれ方をしています。
特にその稚拙なあり方と両極端ぶりが前面に出ているのは、史実のアメリカ南北戦争における転換点であり最大の激戦が繰り広げられたゲティスバーグの戦いです。
今作におけるゲティスバーグの戦いでは、数的劣勢にある南軍が事態を打開するためにヴァンパイアのリーダーであるアダムに依頼し、最前線の兵士を不死のヴァンパイアで固めさせています。
ゲティスバーグの序盤戦では、ヴァンパイアがその不死性と特殊能力を如何なく発揮し、北軍の防衛陣をやすやすと突破するんですよね。
特に、突然姿を消して敵の後方に現れて虐殺を繰り広げていたのがかなり効いていました。
ところがラストの戦いでは、いくら北軍に銀の武器が届けられ、ヴァンパイアのリーダーであるアランがエイブラハム・リンカーンに殺されたとはいえ、ヴァンパイアは北軍に対して為すすべもなく簡単に討ち取られ壊滅を余儀なくされているのです。
しかし、確かに銀の武器があればヴァンパイアを殺すことは可能にはなったでしょうが、前述のように膂力やスピードや姿を消す等の特殊能力までは無効化できないのですから、その力を駆使すればまだまだ充分に強力な戦力たりえたのではないかと思えてならなかったのですけどね。
ヴァンパイアは「前線の盾兼突破戦力」などにするよりも、むしろ後方攪乱や遊撃戦などに活用して北軍を翻弄させた方がはるかに使い勝手が良かったのではないのかと。
特に姿を一時的に隠せる能力なんて、奇襲やゲリラ戦にはもってこいの武器となりえるのですし。
アランが銀を輸送してきた(と偽装していた)リンカーン達を襲撃するやり方も、燃やす予定の橋の付近に戦力を集中して待ち伏せるというものではなく、そこに至るまでの道程でヴァンパイアを逐次投入して不確実に襲撃するなどという稚拙極まりないシロモノでしたし。
おかげで各個撃破の好餌となったヴァンパイア達は、それまでの不死性がまるで嘘であるかのように、次々とリンカーン達のヴァンパイア無双の前に一方的に殺されていくありさま。
南軍にとって貴重な戦力であったはずのヴァンパイア達は、全く無意味な戦いで無駄に死んでいった以外の何物でもなく、南軍およびアランは、切り札であるはずのヴァンパイアの活用方法がヘタクソもいいところだったとしか評しようがなかったですね。
彼らがヴァンパイアの能力を正しく理解し、その有効な活用方法をきちんと模索さえしていれば、作中におけるアメリカ南北戦争の勝利は南軍のものだったかもしれないのに、つくづく自ら勝機を放棄するバカなことをしたものですよ、全く。
ラストシーンにおける、劇場へ赴く直前のエイブラハム・リンカーンとヘンリー・スタージスの会話は、史実を知り得る人間の視点から見るとなかなかに切ないものがありましたね。
何しろ、あのラストシーンの後にエイブラハム・リンカーンは、妻と共に赴いた劇場でジョン・ウィルクス・ブースに背後から撃たれ暗殺されてしまうのですから。
作中におけるエイブラハム・リンカーンも、まさかあの直後に自分が死ぬことになるとは夢にも思ってもいなかったのでしょうけどね。
もしあそこでエイブラハム・リンカーンがヘンリー・スタージスの勧めに従ってヴァンパイアになっていたらアメリカの歴史がどうなっていたのか、少々興味をそそられますね。
もっとも、それだと敵方のヴァンパイアリーダー・アランが推進しようとしていた「アメリカをヴァンパイアの国にする」という野望が、全く異なる形でありながら達成されることにもなってしまうのでしょうけど。
史実のエイブラハム・リンカーンの足跡をなぞってはいるものの、基本的にはあくまでもフィクションなアクション映画として評価すべき作品ですね。