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2012年11月21日の記事は以下のとおりです。

コミック版「大奥」検証考察11 【排除の論理が蠢く職業的男性差別の非合理】

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コミック版「大奥」検証考察11回目。
今回のテーマは【排除の論理が蠢く職業的男性差別の非合理】です。
なお、過去の「大奥」に関する記事はこちらとなります↓

前作映画「大奥」について
映画「大奥」感想&疑問
実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想

原作版「大奥」の問題点
コミック版「大奥」検証考察1 【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】
コミック版「大奥」検証考察2 【徳川分家の存在を黙殺する春日局の専横】
コミック版「大奥」検証考察3 【国内情報が流出する「鎖国」体制の大穴】
コミック版「大奥」検証考察4 【支離滅裂な慣習が満載の男性版「大奥」】
コミック版「大奥」検証考察5 【歴史考証すら蹂躙する一夫多妻制否定論】
コミック版「大奥」検証考察6 【「生類憐みの令」をも凌駕する綱吉の暴政】
コミック版「大奥」検証考察7 【不当に抑圧されている男性の社会的地位】
コミック版「大奥」検証考察8 【国家的な破滅をもたらす婚姻制度の崩壊】
コミック版「大奥」検証考察9 【大奥システム的にありえない江島生島事件】
コミック版「大奥」検証考察10 【現代的価値観に呪縛された吉宗の思考回路】

テレビドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」
第1話感想  第2話感想  第3話感想  第4話感想  第5話感想  第6話感想

コミック版「大奥」では、時代が下るのに比例する形で、男性差別の度合いが苛烈さを増していきます。
徳川9代将軍家重の時代になると、男性はもはや「日陰者」として生きていかざるをえない存在にまで落ちぶれ果てているようです。
8巻では、ただ単に「男だから」という理由だけで客からも同僚の女性達からも忌避された挙句、料亭「かね清」をクビにされてしまう善次郎(後に大奥へ入った際には芳三と名乗る)のエピソードが描かれています。
「赤面疱瘡」が原因で男性人口が激減したのと、女性が労働の主要な担い手となったことで、女性の発言権が増大し重要な社会的地位をも占めるようになったこと自体は、作中でも少なからず描かれているように別に不思議でも何でもないでしょう。
しかし、女性の発言権増大や権利伸長だけでは、労働の場から男性を排除すべき理由などには到底なりえませんし、ましてや男性差別が跳梁跋扈する理由にもならないのです。
にもかかわらず、時代が下るにしたがって「大奥」世界における男性差別が悪化の一途を辿っているのは一体何故なのでしょうか?

コミック版「大奥」における作中の描写を見ても、「大奥」世界で男性差別が発生しえる発端になったと「かろうじてレベル」でも解釈しえる事件やエピソードは、実のところ「慶安の変」と「元禄赤穂事件」の2つしか存在しません。
しかもこの2つでは、どちらも「血生臭く乱暴者な気風の象徴」として男性が忌避されているわけです。
ところが、8巻で描かれている「享保の大飢饉」では、女性達の手による米問屋の打ち壊しなどが全国規模で大々的かつ公然と行われていたりします。
また、家光時代に発生した「寛永の大飢饉」でも、男女人口比率が1:5にまで落ち込もうという最中に一揆の気運が高まろうとしていたという描写もあります。
江戸城の面々が心の底から忌避していたであろう「血生臭く乱暴者な気風」とやらは、女性側も普通に持ち合わせている、という厳然たる事実の存在がこれで証明されてしまっているわけで、何とも滑稽な話であるとしか言いようがないのですけどね(苦笑)。
さらに言えば、「大奥」世界における「元禄赤穂事件」で吉良家討ち入りを敢行した赤穂浪士47名の中には、女性も5人は含まれていたことが作中でも明示されている(「大奥」5巻P193)わけで、その事実を無視・黙殺して「男性の気質」だけに全ての責を負わせている綱吉の裁断は、現実を直視しない不当かつ愚劣極まるシロモノでしかなかったのですし。
そして何よりも問題なのは、「慶安の変」にしても「元禄赤穂事件」にしても、それはあくまでも武士階級の人間が起こしたものであり、その裁断の範囲もまた武士階級に限定されるものでしかない、ということです。
江戸時代は士農工商に代表される身分制度が幅を利かせていたのであり、武士・農民・商人でそれぞれ別個の規範が適用されるのが一般的でした。
武家を統制するための規範だった「武家諸法度」が農民の行動規範を拘束などするわけもなく、逆に農民統制を目的とする「慶安御触書」が武士に対して適用されるケースがあるわけもなかったのですから。
つまり、士農工商における「士」以外の階級で男性差別が横行しなければならない理由と経緯については、作中では全く描かれていないということになってしまうわけです。
こんな状態で「大奥」世界の社会において男性差別が横行している様子が描かれても、読者側としてはひたすら「?」マークを浮かべ続けなければならないことになってしまうのですが。

さて、「大奥」世界における男性差別がいかに歪なシロモノであるのかについて、8巻に登場していた料亭「かね清」絡みのエピソードを見てみることにしましょう。
実のところ、料亭で板前の男性が排除されるというただその一事だけでも、「大奥」世界の男性差別があまりにも非合理かつ無理筋なシロモノであることを証明して余りあります。
料亭における板前というのは、基本的に「同じ味と形の料理を常に変わることなく提供し続けることが可能であること」を必須とする職種です。
ところが女性の場合、生理の影響で体温が一定ではなく、また味覚も力加減も不安定に変化することから、「同じ味と形の料理を常に変わることなく提供し続ける」という用途には、男性と比較しても到底適しているとは言えません。
また、昔の板前というのは当然のごとく現代のような機械化された便利な環境があるわけでもないので、料理の素材の調達・運搬・下ごしらえに至るまでとにかく重労働をこなさなければならず、その点においても女性にはあまり向いていません。
男女平等&労働環境の利便化が進んだ現代においてさえも、すし屋や料亭の板前には女性よりも男性の方がはるかに多いのはそのためなのです。
身体的な問題が大きく影響しているのですから、男性が女性よりも数が少なくなったからと言って、男性排除の論理を働かせて良いものなどでは、板前という職種は全くありえないわけです。
ところが「大奥」世界では、そのありえないはずの男性排除の論理が大手を振ってまかり通っているなどという、何とも奇妙奇天烈な珍現象が現出しているのです。
しかもその理由がまた振るっていて、「男がいること自体がダメ」とか「(女性の)月のもの等の話がやりにくい」などといった、板前としての職のあり方や料理の味などとは全く何の関係もない、現代で言えば「一国の首相のカップラーメン値段当てクイズ」のごとくどうでも良いシロモノでしかないときています。
この「かね清」という料亭って、もし創業100年以上の伝統を誇っている店だったのであれば、赤面疱瘡で男女逆転が起こった際に、一体どんな珍論を駆使して男女の身体的な格差および板前の伝統と慣習を覆していったのか、つくづく疑問に思えてならなかったですね。
その際に「かね清」の料理の質は、間違いなくガタ落ちもいいところなレベルまで落ちたのではないかと思えてならないのですが(苦笑)。
これが史実の江戸時代であれば、元来男性の方が身体的・技術的にも向いている上に男性オンリーに近い板前の世界で、女性が台頭するのは至難を極める上に伝統・慣習的にも受け入れ難いものがあるからということで他の男性板前達の反感を買う、という構図が簡単に成立しえるのですけどね。
こういうのって、男女の人口比が変わったからと言って単純に逆転しえるものではないですし、ましてや、男性排除の論理を働かせなければならない必然性もないに等しいはずなのですけどねぇ(-_-;;)。

上記の板前の事例のごとく、人口・権力的な男女逆転が発生したからと言って、単純に連動させて逆転できるものではない伝統・慣習といったものは他にも色々あります。
女人禁制の伝統がある相撲などはその典型ですね。
そもそも、相撲が女人禁制となったのには、主に2つの理由があると言われています。
ひとつは神道における「穢れ」思想の影響によるもので、女性の生理や出産時における出血が不浄のものであるとされ、「神事」とされる相撲がそれによって穢されると考えられていたこと。
もうひとつは、「神事」で祭られている神が実は女性の神であり、同性である女性がその領域に近づくと女神の嫉妬や怒りを招くと考えられていたこと。
相撲に限らず、日本における女人禁制のほとんどが、上記2つの理由で軒並み説明可能だったりします。
江戸時代以前には、比叡山や大峰山などといった特殊な山が女人禁制とされていましたが、これには「山はそれ自体が女神である」と考えられていたことから後者の理由が当てはまるのですし。
で、こういった女人禁制などの伝統や慣習などは、男女逆転が発生したからと言ってそうそう変えられるものでもなければ、簡単に変えて良いシロモノなどでもありえないはずなんですよね。
現代でさえ、女人禁制を伝統や慣習として堅持しているところがあったりするのですし。
こういうのって、「大奥」世界においては一体どのような扱いになっているのでしょうかねぇ。
7巻P170~171で徳川8代将軍吉宗が男性力士と相撲を取った回想シーンがあるところを見ると、どうやら相撲については女人禁制がそれなりに機能していたようではあるようなのですが……。

どうにも「大奥」世界というのは、男女逆転に伴う伝統や慣習への影響や変革というものをあまりにも軽く考え過ぎているきらいが多々ありますね。
板前と相撲の事例のごとく、一方では男女逆転を安易に適用していたかと思えば、他方では何故か都合良く男性メインの形態が続いていたりと、チグハグな社会システムが出現するありさまですし。
結局、コミック版「大奥」という作品は、史実における伝統や慣習などといった社会システムのあり方や、それが出来るに至る経緯や必然性といったものについて寸毫たりとも考えることなく、ただ「男女逆転が起これば全ての慣習が自動的に逆さまになる」などというありえない前提で作中の世界を描こうとするから、世界設定のことごとくがおかしなシロモノとなり果ててしまうのでしょう。
男性差別に至っては、それがあの世界で出てくる理由も必然性も全くないに等しいのですし。
そういったものを出すなら出すで、作中のごときコジツケな屁理屈などではなく、もう少しマトモな理論と必然性といったものを捻出して欲しかったところなのですが。

次回の考察は、2012年12月3日に刊行されるらしいコミック版「大奥」9巻を購入して以降に披露してみたいと思います。

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