映画「ぼくが処刑される未来」感想
映画「ぼくが処刑される未来」観に行ってきました。
「仮面ライダー」や「スーパー戦隊」シリーズで活躍してきた若手俳優達にスポットを当てる映画シリーズ「TOEI HERO NEXT」の第二弾。
この「TOEI HERO NEXT」シリーズというのは、まだ今年になって発足したばかりのシリーズということもあって、劇場での公開も全国でわずか20箇所程度の映画館でしか行っていないみたいですね。
熊本ではたまたま1箇所だけ該当の映画館があったので私は観賞することができたのですが、全国20箇所では全く上映されない都道府県の方がむしろ多いわけなのですからねぇ。
この映画の地域間格差、いい加減どうにかして欲しいものなのですが(T_T)。
なお今作で、私の2012年映画観賞総本数は90本の大台に到達しています。
今作の主人公である浅尾幸雄は、世の中のことも他人についても、それどころか自分自身のことについてさえも無関心な体を為している若者。
その日の夜も、飯屋?の親父の注文ミスについてちょっと凄まれただけで何も言い返すことも出来ず、路上で負傷して寝ている酔っ払いサラリーマンを見て見ぬふりをして通り過ぎようとしたりと、その無関心かつ事なかれ主義ぶりが露わになっていました。
しかし酔っ払いサラリーマンを避けて通ろうとしたその時、突如頭上から眩しい光が浅尾幸雄に降りかかり、次に気づいた時、彼は薄暗い取調室の椅子に座らされていたのでした。
突然のことに混乱する浅尾幸雄を尻目に、取調室にいた取調官は「お前は人を5人も殺したんだ!」などとをのたまい、強圧的に浅尾幸雄に罪を認めさせようとします。
もちろん、浅尾幸雄に5人もの人間を殺した経歴など全くなく、彼はますます混乱を余儀なくされていくことに。
結局、必死の弁明も空しく、彼は独房に収監される羽目に。
ただ、浅尾幸雄には一応弁護士が付けられるということで、彼はその弁護士の面談を通じて事情を聞こうとします。
しかし、女性弁護士である紗和子は、無常にも「あなたの有罪は既に決定している」と通告。
それと共に彼女の口から語られたのは、驚くべき事実でした。
何と、浅尾幸雄が今いるのは、彼が元いた現代日本から25年も経った世界であり、殺人事件を犯した(とされる)のは25年後の彼だったというのです。
25年後の日本では死刑が廃止されており、犯罪者本人を死刑に処すことができないこと。
そしてその代わりに、「未来犯罪者消去法」という法律が施行されており、過去の犯罪者をタイムワープさせてきて見せしめに公開処刑をするという行為が公然と行われること。
過去の犯罪者をタイムワープさせた時点で、現在の時間軸とは全く異なる並行世界が作られるので、今の歴史が変えられたりする等のタイムパラドックスの問題は全く発生しないこと。
そして、浅尾幸雄を25年後の日本にワープさせたのは、日本の空に浮遊している巨大な量子コンピュータ「アマテラス」であり、日本の裁判は「アマテラス」の演算処理に基づいて行われていること。
これらの事情を聞かされた上、後日行われる裁判の場で遺族に謝罪してくださいと、浅尾幸雄は紗和子から一方的に告げられることになるのでした。
彼女は浅尾幸雄の弁護をするつもりなど欠片もなかったのです。
そして後日、裁判が行われることになったのですが、裁判と言ってもその実態は「最初から決まりきった結論を宣告するためのデモンストレーション&パフォーマンス」的なものでしかなく、殺害された遺族と観客たる国民が被告を罵るために存在するようなものでしかありませんでした。
判決は当然のごとく有罪&死刑。
ところが裁判後、何故か浅尾幸雄に面談が許されたことから、さらに事態は大きく変転することになります。
浅尾幸雄はその面談で、5人の人間の殺人を犯したとされる25年後の自分と会うことになっていたのですが、そこで姿を現したのは、彼と同姓同名でありながら実は全く別の人間だったのです。
「キングアーサー」と名乗るその人物は、浅尾幸雄が幼少時の頃の虐めっ子で、当時の浅尾幸雄に「奴隷の証」として焼印を押し付けるような残虐な人格の持ち主でもありました。
そのことに気づき、自分の無罪を何とかして証明しようとした彼は、さらに独房の中で思いもよらぬ声をかけられることになります。
刑務所のシステムを一時的にハッキングして浅尾幸雄に声を届けたその人物は「ライズマン」と名乗り、刑務所のシステムを操作して浅尾幸雄を脱獄させるのでした。
公開処刑の執行まであと3日という時間を残した中で、浅尾幸雄は何とか自分の無罪を証明すべく奔走を始めることとなるのですが……。
映画「ぼくが処刑される未来」で主要な舞台となる25年後の日本は、実に歪な法体系が現出していると言えますね。
25年後の日本で死刑が廃止されたのは、無実の人間を殺人罪で死刑にしてしまった後に真犯人が見つかったという事件があったことが問題となり、その再発防止の観点から成立したというのが背景にありました。
そして「未来犯罪者消去法」が誕生したのは、犯罪者を死刑にできない遺族の心情に配慮し、その復讐心を満たして心の平穏を回復させることにその主眼が置かれていました。
そして、量子コンピュータ「アマテラス」が裁判を担うようになったのは、かつて紗和子が弁護を担当した殺人事件の被告が無罪を勝ち取った後、別の殺人事件を起こして逮捕されたことがマスコミなどで大々的に報じられた結果、人間による誤認を伴う裁判制度に多くの人が疑問を抱くようになったため。
前述のように、タイムワープしてきた人間を殺しても「その人間がいない並行世界」が出現するだけで歴史改変等の問題は全く発生することがなく、またタイムワープした人間は「この世界の人間ではなく、この世界における日本の法律適用対象外となる」ため、公開処刑も問題なく行える、ということになっているようです。
一見すると、なかなかによく練られた設定と論理であるかのように思われます。
ただ、よくよくその実態を眺めてみると、すぐさま色々なツッコミどころが見つかってしまったもするんですよね(苦笑)。
一番の問題は、「未来犯罪者消去法」で公開処刑をするための人間を選定するに際して、何故わざわざ25年も前の存在を引っ張ってこなければならないのか、という点です。
25年も前の人間を引っ張ってきて「現在の」罪を認めさせ土下座などを強要したところで、作中の浅尾幸雄がそうであるように普通はわけも分からず戸惑うだけでしかありません。
また、「自分がやってもいないことを無理矢理認めさせる」などという構図は、まず相手の人権および法の権利を無視しているという点で論外もいいところですし、そんな構図に必死になって抵抗しようとする人間も決して少なくはないでしょう。
全く身に覚えのないことで有罪を宣されることほど、人間にとって不当極まりない事象はないのですから。
作中の浅尾幸雄はまさに事実関係においてさえも冤罪を着せられていたわけですが、たとえそうでなかったとしても、あるかどうかも分からないし、まだ自分がやってもいない25年後の未来の行為について自己責任を感じ懺悔までする人間なんてそうそういるものではありません。
人間は過去と現在の行為にはともかく、未来の行為に対する責任なんて持ちようがないわけですし、仮にそんなことをする人間がいたとしたら、そいつはよほどの聖人か偽善者の類でしかないでしょう。
こんなことをやったところで、遺族の復讐心的な感情など満たしようがないばかりか、むしろ遺族を「不当な殺人者」と同等以下の存在にまで貶めてしまう危険性すら否めません。
そんなことをするよりは、殺人事件を犯す直前の犯罪者をタイムワープさせて前非を悔いさせでもした方が、まだ遺族の復讐心を満足させるという観点から言ってさえもはるかに有効なのではないのかと。
タイムワープさせてきた人間を殺しても、並行世界が生じるだけで時間軸に全く何の影響もないであればなおのことです。
何故「アマテラス」がわざわざ25年も前の犯罪者をタイムワープさせてくるようなシステムになってしまっているのか、理解に苦しむと言わざるをえないところなのですが。
しかも「アマテラス」は、同姓同名や双子などといったケースを全く区別することができず、犯罪者とは全く無関係な人間をタイムワープさせたりしているのですから、その滑稽かつ悲惨な惨状は目を覆わんばかりなものなのですし。
もう少し安全確実かつ実効性のあるシステム体系というものを、「アマテラス」にせよそれを作り出した人間にせよ構築することができなかったのですかねぇ。
また、いくら人間社会で誤審を伴う裁判制度に懐疑的な目が向けられていたとはいえ、量子コンピュータの判決についてあそこまで絶対的かつ宗教的なまでの信奉っぷりはさすがにありえないでしょう。
人間の恣意性が多大な影響を及ぼす裁判や法律という分野は、演算能力と「型にはめたプログラム運用」を売りとするコンピュータが最も苦手とするものなのですから。
裁判や法律の世界では、下手に型にはまった運用などしようものならば却って社会的な混乱を招きかねません。
著作権や表現規制の問題などは、まさに機械的に型にはめた運用を行って歪な形になってしまった典型例ですし。
現代でさえ、コンピュータはセキュリティや管理運用の面で毎日毎日色々な問題を引き起こし続けているのですし、作中の「アマテラス」も簡単にハッキングされたりしている辺り、セキュリティ面の問題は相当なものがあると言わざるをえないところです。
いくら「アマテラス」が高性能かつ多機能であるとは言え、よくまあこんな不安だらけなシステムに人の命運をも左右する裁判などを任せることができるなぁ、と逆の意味で感心するしかなかったですね。
というか、本当に裁判面で「アマテラス」を活用したかったのであれば、犯行が行われた現場と時間に監視カメラをタイムワープさせる等の「サポート役」として使用していた方が、裁判の誤審を防ぐという本来の主旨にもはるかに合致したのではないのかと。
この辺りの方向性は、その管理運用に全面的な信頼が置かれていたAIが暴走し、AIの主観的には人類社会のためを思って行動していることが逆に人類社会の脅威となっていく「アイ,ロボット」や「イーグルアイ」を髣髴とさせるものがあります。
まあ作中の「アマテラス」はそこまで自律的な行動をする存在ではなく、ただ判断能力などの性能面でバグを頻出させていた、ある種の「欠陥品」でしかなかったのですが。
かくのごとく、ストーリー面では色々とツッコミどころのある作品ですが、粗削りな中にも光るところはあり、将来的な期待は持てそうな感じの映画ではありますね。
着眼点や展開自体は決して悪いものではなかったですし。
「TOEI HERO NEXT」シリーズの3作目は2013年2月に公開されるとのことですが、この調子でどんどんシリーズを積み重ねていって欲しいものですね。