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2012年12月の記事は以下のとおりです。

朝日新聞の上野千鶴子が繰り出した児童福祉法違反推奨発言

朝日新聞別冊版にある人生相談コーナーで、男子中学生の性の悩みの告白に対し、回答者の上野千鶴子が「熟女に土下座してでもお願いして教えてもらえ」などと発言したことが話題になっています。著
しく反道徳的であるばかりか、児童福祉法違反に該当する可能性もあるそうで↓

http://megalodon.jp/2012-1211-2030-18/www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20121211/dms1212111538011-n1.htm
>  朝日新聞の別冊版にある人生相談コーナーに男子中学生が性の悩みを打ち明けたところ、回答者が「熟女とのセックス」を勧めたことが問題になっている。「18歳未満に性行為を助長する言動は法律違反となる可能性もある」と専門家。お堅い朝日にしては過激な表現も目立つだけに波紋を広げそうだ。
>
>  《ぼくの悩みは性欲が強すぎて、今年受験だというのに、エッチなことばかり考えて勉強が手に付かないことです》
>
>  こんな15歳の男子中学生の相談が、8日付朝日新聞に折り込まれた別冊版「be」の人生相談コーナー「悩みのるつぼ」に掲載された。少年は
《毎日、自分で処理はしているのですが、どうしても本物の女の子の体に触れてみたくてたまりません》と悩みを打ち明けた。
>
>  なんとも過激な質問。だが、回答はそれをさらに上回るものだった。
>
>  回答者は東京大名誉教授の社会学者、上野千鶴子氏(64)。上野氏は従来の「スポーツで汗をかいて性欲を発散」といった紋切り型の答えは避け、《セックスって何か、知りたければ方法があります》と次のような解決策を提示したのだ。
>
>  
《知らないことは知っているひとに教えてもらうに限ります。経験豊富な熟女に、土下座してでもよいから、やらせてください、とお願いしてみてください》
>
>  熟女ブームもあり、しゃれっ気も多少交えて回答したのかもしれないが、ネット上などでは騒ぎが巻き起こった。ツイッター上では「男子中学生に語る内容ではない」などの声が相次ぎ、一部のテレビ番組でも話題に取り上げられた。
>
>  上野氏は
《(熟女の)ご指導に従って十分な経験を積んだら、ほんとうに好きな女の子に、お願いしましょうね。コンドームの準備は忘れずに》と回答を締めくくっているが、これが「法律違反」になる可能性もある。元東京地検特捜部副部長の若狭勝弁護士は「18歳未満に性行為を助長することは、児童福祉法違反に該当する可能性がある」と語る。同法では「児童に淫行をさせる行為」を禁じており、「新聞がこうした内容を載せるのは、児童福祉法違反を助長、教唆することにもなる」というのだ。
>
>  夕刊フジの取材に対し、朝日新聞社広報部は、「性に関する深刻な悩みに対して、男女の機微について語りつつ、『相手のいやがることは決してしないこと』などと相談者に冷静な対応を促したものと考えています」とコメント。上野氏は、朝日が示した見解について「その通りじゃないですか」としつつ、「取材に応じている時間がない」と話している。

この朝日新聞別冊版の人生相談コーナーで物議を醸している上野千鶴子なる人物は、フェミニズム研究の第一人者です。
また同時に、「女は嫁に行くのが一番」という個人的信条を「犯罪として取り締まれ!」と主張したり、「コミュニケーションスキルが乏しい男はマスターベーション死ながら死んでいただければいいと思います」などと発言したりするなど、「女尊男卑」を地で行く思想の持ち主として有名を馳せている人物でもあります。
その他、オタクや障害者に対しても差別意識満載の論説を展開したりしており、今回の発言もその延長上から出たものであることは明らかです。
中高年の男性が女子中学生に対して性の手ほどき的なことをすれば、たとえそれが女子中学生からの要望であったとしても警察が動く事態にもなりかねないのに、中高年の女性が男子中学生を相手にする分には問題ないって感覚だったりするのでしょうかね、上野千鶴子の感覚というのは。
全く同じことを女性がやるのはOKだが男性がするのはNG、というのでは、男女平等もクソもあったものではないのですが。
常日頃から人権人権とがなり立てまくっている人種が実は差別主義者、というのはよくある構図ではあるのですが、上野千鶴子はそのような人権主義者の中でも特筆的に分かりやすいタイプの人間ですね。
こういうのが「男女平等」「女性の権利伸長」を唱えるフェミニズムを代表する論客のひとりだというのですから、フェミニズム運動の実態も底が知れようというのです。
人権という錦の御旗を振りかざして男性を踏みつけにする女性が「強い女性」として礼賛されるという風潮って、いいかげんどうにかならないものなのですかねぇ……(-_-;;)。

映画「ハングリー・ラビット」感想(DVD観賞)

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映画「ハングリー・ラビット」をレンタルDVDで観賞しました。
日本では2012年6月に劇場公開されたアメリカ映画で、ニコラス・ケイジ主演のサスペンス・アクション作品です。
例によって例のごとく、熊本では一度として見かけたことすらない作品ですね(T_T)。
ニコラス・ケイジ主演作品は、熊本では軒並み避けられている傾向が多々ありますし(-_-;;)。
この映画の地域間格差、いい加減どうにかならないものなのかと。

物語の舞台はアメリカ・ルイジアナ州ニューオリンズ。
冒頭では、何者かがビデオカメラで録画撮影をしている中、撮影されている男が「空腹の兎が飛ぶ(ハングリー・ラビット・ジャンプ)」という謎の言葉の意味について尋ねられています。
男はとにかく怯えている様子で、一刻も早くその場を離れたがっていました。
男がしゃべった内容については物語後半で判明するのですが、それはさておき、話が終わったらしい男は周囲を警戒しながら、立体駐車場の屋上に停めていた自分の車に向かっていました。
そして男が車を発進させその場を離れようとしていたその時、突如大型のランドクルーザー?に側面からぶつけられます。
男は恐怖に震えながら逃げようとするのですが叶わず、車ごと屋上のフェンスに追い込まれ、ランドクルーザーに追突される形で屋上から死のダイブを強要されることになってしまいます。
男の車は下の車を巻き込む形で落下・大破させられ、当然のごとく男の生命もそこで尽きることとなるのでした。

舞台は変わり、カーニバル?のような祭りが繰り広げられているニューオリンズのラフィット・ホテルのバーで、今作の主人公であるウィル・ジェラードとその妻ローラ・ジェラードは、結婚記念日を祝い乾杯をしていました。
祭りで踊り明かしたり、親友に出会いのきっかけを話したりして、ローラと共に楽しんでいだウィルは、その日の夜、ローラにルビーのネックレスをプレゼントし、ローラを喜ばせます。
ウィルは地元の高校の教師、ローラは交響楽団の演奏家の職にあり、子供はいないながらも夫婦円満かつ幸せな生活を営んでいたのでした。
しかしそんな生活は、ある日ローラが銃を持った暴漢に襲われ乱暴を受けた上、ルビーのネックレスを奪われてしまったことから一変します。
妻が襲われたという知らせを聞いてすぐさま病院に駆けつけたウィルが見たものは、暴行を受け顔が腫れあがり、病室で寝かされている妻ローラの姿でした。
妻が襲われたことに当然のごとく深い悲しみと苛立ちを覚えるウィル。
しかし、そんなウィルの前に、ひとりの見知らぬ男が話しかけてきます。
サイモンと名乗るその男は、妻を襲った犯人のことを詳細に知っているようでした。
そして、犯人が捕まってもDNA鑑定や裁判で時間がかかる上、11ヶ月の服役程度で簡単に出所できてしまうということも。
その上でサイモンはウィルに対し、「自分達の組織で犯人を代わりに始末しよう」と提案してくるのでした。
金はいらないが、後日手伝ってもらうことがある、という条件を提示して。
最初は胡散臭く思い、サイモンの一度は断るウィルでしたが、直後に妻のことが脳裏に浮かんだウィルは考え直してサイモンを呼び止めます。
サイモンは謎めいた行動を取るようウィルに指示を出し、ウィルはその指示の通りの行動を行います。
果たして後日、ローラを襲った犯人は、別の男によって自宅を襲撃され、自殺を装って殺されてしまうのでした。
犯人を殺した男は、事を済ませると携帯で葬儀社に電話し、こう言うのでした。
「空腹の兎が飛ぶ(ハングリー・ラビット・ジャンプ)」と。

映画「ハングリー・ラビット」は、先が読めないサスペンス調な展開が良いですね。
個人的にはニコラス・ケイジが主演ということから、単純明快なアクションメインの作品とばかり考えていたのですが(苦笑)、これは良い意味で予想を裏切られました。
「空腹の兎が飛ぶ(ハングリー・ラビット・ジャンプ)」の意味とはどういうものなのか、サイモンの組織の実態とはどのようなものなのかなど、謎を追っていく展開が面白かったですし、ラストのオチもなかなかに底知れぬ恐ろしさを感じさせてくれるものではありました。
ああいう組織って、実態が分からないからこそ恐怖感が煽られるのであって、どれだけ巨大だろうが実態が把握できてしまえば大したことはなくなってしまうわけですが、ようやくサイモンの組織の実態が分かったかと思ったらあのラストだったわけなのですからねぇ。
この展開はかなり上手いと言えるものだったのではないかと。
また、「法に頼らない正義の組織」が暴走すると如何に恐ろしいものになるのか、というテーマも今作では内包されていて、サイモンはまさにその担い手と言えるものでした。
序盤でウィル相手に「法の無力さ」を披露していたサイモンは、主観的にはまさに「正義」を実現するつもりで、次第に組織の主旨とは異なる暴走を開始していったのでしょう。
作中のサイモンは、あくまでも「組織の邪魔になる人間」を消していっただけであって、私利私欲のために人を殺していたわけではないようでしたし。
もっとも、サイモンより上の組織の人間達も、組織の自己防衛にはそれなりの手練手管を駆使してはいるようなのですが。
警察やマスコミの上層部にまで食い込めてしまう辺り、組織の全貌ってどれくらいの規模&秘密を抱え込んでいるのでしょうかねぇ。

今作でニコラス・ケイジが演じる主人公ウィル・ジェラードは、一介の高校教師ということもあってか、それほど派手なアクションを演じて敵を爽快感溢れる倒し方で圧倒するわけではありません。
また敵との駆け引きも、観客が不安にならざるをえないような直截的かつ危なっかしい要素が多分に含まれるような稚拙なやり取りに終始していたりします。
サイモンの言いなりになることに反発を感じて半ば条件反射的に逆らったかと思えば、その後の制裁や急展開について予想外と言わんばかりな反応を示していたり、妻に組織のことを秘密にして却って猜疑心を買ってしまったりと、良くも悪くも「凡人」な言動ばかりが披露されています。
アクション映画であればまず間違いなく失格条項となるであろうこれらの描写は、しかし緊迫感溢れるサスペンスがメインである今作では却って作品の世界観に上手くマッチしていると言えるものではあります。
凡人を相手にしているからこそ、サイモンのような組織は成り立つわけですし。
その意味で今作は、アクションヒーローのような「非現実なフィクション作品」ではなく、「誰の上にも起こりえる一般人の思考・言動を元にした【現実的な】フィクション映画」と言えるのかもしれません。

ミステリー的な謎解きやサスペンスな展開が好みな方にはオススメの作品ですね。

映画「レッド・サイクロン」感想(DVD観賞)

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映画「レッド・サイクロン」をレンタルDVDで観賞しました。
2011年にカナダで製作されたSFディザスターパニック映画。
やっぱりこれも、日本での劇場公開なしにDVDのみで日本上陸を果たした作品とのこと。

物語は、ガソリンスタンド?の車庫で何やら車の整備をしている父親と、自転車に乗ってきた息子とのやり取りから始まります。
息子の方はどこかに行かなければならない用事があるらしく、父親に外出の許可を得ようと働きかけるのですが、当の父親の方は全く意に介することなく、息子に自分の仕事の手伝いをさせようとしていました。
そこへ突然、ガソリンスタンドが大きな揺れに見舞われます。
何事かと思って2人が車庫の外に出ると、突如落雷がガソリンスタンドの看板をなぎ倒します。
あまりにも突発的の出来事に呆然とする息子と、「大丈夫か!」と駆け寄る父親でしたが、その2人の周囲では明らかに異常な放電現象が発生していました。
クルマを真っぷたつに切り裂く雷、ガソリンスタンドを駆け巡る静電気?などで、その場を逃げようとしていた2人は動きを封じられてしまいます。
そして空では赤い雲が竜巻状なものに変化し、地面に転がっていた2人を巻き込んでしまうのでした。

場面はかわって、今度はエンストしたオンボロなクルマの修理に当たっている母子のシーンが映し出されます。
息子のウィルは、自分が通っているハートフィールド高校で行われる「遅刻の罰登校」へ向かう途中で、罰登校に遅刻することを気にしていました。
息子の将来を案じて大学進学を熱心に勧める母親アンドレアとウィルの仲はお世辞にも良いものとは言えず、2人は学校の前で離れることになります。
ウィルの罰登校の担当教師はウィルの父親ジェイソンで、ウィル以外には、ウィルの恋人?メーガン、バスケ部の選手ローソン、報道記者志望のスーザン、そして冒頭のガソリンスタンドのシーンで出てきたルークの4人が罰登校を受講する予定でした。
一方、罰登校による補習が行われている最中、アンドレアはジェイソンに対し、ウィルに大学の願書提出について話を勧めさせるよう携帯で電話をかけます。
しかし2人が会話をしている途中、突然携帯が不調をきたして連絡が取れなくなってしまいます。
さらに街中では街灯が突然破裂するなど、明らかな異変が既に始まっていました。
一方、ウィルとメーガンはローソンと口論になり、仲介したジェイソンによって校舎の外で荷卸しをするよう言い渡されてしまうのでした。
そして、2人が意味あり気な会話を交わしながら作業を続けていたところ、冒頭のガソリンスタンドと全く同じ揺れが2人を襲います。
異常を感じた2人が外に出てみると、そこでは……。

映画「レッド・サイクロン」は、元来地球上にはなく木星にあるという破壊粒子・エクスポゾンによって構成された雲ないし竜巻が、地上のありとあらゆる個体物質を気体に変えていきつつ拡大を続けるという設定です。
周囲を破壊しながら自然増殖・拡大を続ける脅威と言い、(カナダの映画なのに)アメリカの片田舎が舞台な点と言い、どことなく映画「グランド・クロス シード・オブ・ディストラクション」とも共通する部分が多々ありますね。
被害については、ワシントンDCやニューヨークなどのアメリカ東海岸が軒並み壊滅したこちらの方がはるかに規模がデカいのですが、具体的な映像が出てくるわけではなくただニュースの一節として流れるだけですから、作中における演出という点では両者共にあまり変わりがないですね(^_^;;)。
世界的な危機を扱っている割には舞台が小さい上に登場人物も少なめなので、こじんまりとしている感はどうにも否めないところではあるのですが。
ウィルが実は超天才的な才能を持っていて、それがレッド・サイクロンを自壊させることになるというストーリーは、ハリウッド映画をもしのぐ御都合主義的要素が多大にあるとはいえ、一般受けしやすいものではあるでしょうね。
逆に、いっぱしの科学者だったであろう男女2人の登場人物が、如何にも思わせぶりに登場していながら、男性は飛行機不時着の際にあっさり死亡、もう片方の女性もガソリンスタンドでの凡ミスの類で爆死してしまい、ロクな活躍の場すらもなかったというのは、正直どうかと思わなくもなかったのですけど。
登場シーンから見て、当初はウィルと手を組んでサポート役として後半に活躍するとばかり考えていただけに、あの末路は悪い意味で予想を裏切るものではありました。
作中における2人の役割って、単なる伝言係でしかなかったですからねぇ、アレでは。

それと、ウィルの超がつくだけの天才的な才能を全く見抜くことができず、上から目線で小言ばかり繰り出していた両親2人は、どんな事情があるにせよ、あまりにも息子のことを見て無さ過ぎですね。
本来、子供の才能を認め伸ばすように努めるのが親の役割であるはずなのに、息子の彼女の父親の発言でようやく息子の才能に気付かされるって……。
ウィルの両親は、作中の描写を鑑みても、普段から息子を見下している感がありありでしたし、最も身近なはずの自分の息子を、ある意味この世で一番信用していなかったのではないですかねぇ。
また当の息子ウィルもまた、両親のそんな態度が鼻についたから自分の才能をひた隠しにしていたのではないかと。
ああいう親の場合、自分の子供に意外な才能があることに仮に気づいたとしても、そのことを正当に評価するどころか、むしろ自分の意に沿わないことをしているとして、却って子供を虐待したりする事例も少なくなかったりしますからねぇ。
あのレッド・サイクロンの事件がなかったら、2人はいつまで経っても息子の才能に気付くことなく、息子を無能と嘆きながら生涯を終えてしまっていたのではないでしょうか?
作中のあの親子は最終的に和解してめでたしめでたしな結末ではありましたが、親が選べないというのは子供にとって論外な話だよなぁ、とつくづく考えずにはいられなかったですね。

暇潰しの余興としてDVDでレンタル観賞する分には、まあまあの出来とは言えるのではないかと。

映画「パニック・スカイ フライト411 絶対絶命」感想(DVD観賞)

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映画「パニック・スカイ フライト411 絶対絶命」をレンタルDVDで観賞しました。
2012年に製作されたアメリカ映画で、パニックアクション的な要素を交えつつも、宗教的な色彩の強い作品です。
これも「グランド・クロス シード・オブ・ディストラクション」と同じく、日本での劇場公開なしにDVDのみで日本上陸を果たした映画のようです。
こういう海外映画って、意外に多そうですね。

「竜は海辺に立ち、獣を呼び出す。あらゆる人類を支配する権限を得た獣は、聖なる者をも征服した」 ― 黙示録13章

今作の物語は黙示録13章を読み上げるところから始まった直後、タイのバンコクにあるコンテナ集積所?にあるコンテナのひとつで、周囲を銃で武装した護衛に囲まれる中、とある手術が行われようとしているシーンに場面が移ります。
コンテナを警護している護衛のひとりであるチャド・ターナーは、雇い主に不満そうながらもしぶしぶと警護の任についています。
ところがそんな中、突如コンテナを謎の武将集団が奇襲を仕掛けます。
チャドは善戦するものの、護衛の多くは撃ち倒され、コンテナの手術室にも銃弾が浴びせられてしまいます。
チャドは襲撃者を打ち倒しつつ、警護対象たるコンテナに近づき、その安否を確かめようとします。
少なからぬ銃弾が撃ち込まれたコンテナには、チャドの上司?も手術対象の人間も既に死んでおり、かろうじて生きていたのは瀕死の重傷を追ったひとりの医者だけでした。
チャドが医者に駆け寄ると、その医者は「お前だけが頼りだ」とチャドの腕に何かを打ち込み、そのまま息絶えてしまいます。
そして、何かを打ち込まれたチャドもまた、注射?の打ち込まれた後遺症によるものなのか、そのまま意識を失ってしまうのでした。

次にチャドが目を覚ますと、彼はチャドの様子を観察していた人物と共に、とある一室に寝かされていました。
同じ一室にいた人物は、自分のことをアヴァンティ社のクーパーと名乗り、チャドの腕の中に「チップ」と呼ばれる物が埋め込まれた結果、チャドが会社にとっての重要人物になったことを彼に告げます。
そしてクーパーは、ドイツのベルリンで開かれるG20の会議の場へ行くようチャドに指示を出すのでした。
二日後にバンコク国際空港からベルリンへと飛び立つ飛行機に乗り、かつ旅行者に紛れ込む形で。
またもやキナ臭い任務な感がありありだったものの、チャドに選択の余地もなく、彼はその指示に従うことになります。

一方、アヴァンティ社のライバル企業?とおぼしきターク産業のグローバル本社では、企業のトップと思しき人物とプロの仕事人?の2人が何やら密談を繰り広げていました。
ターク産業のトップの人物は、アヴァンティ社が開発したチップを欲しがっており、大金を積んで買うと申し出ながら断られたことから、プロの仕事人にチップを奪うよう依頼するのでした。
そしてプロの仕事人は、バンコク発ベルリン行の飛行機に搭乗するチャドを捕縛すべく、同じ飛行機に搭乗し蠢動することになるのですが……。

映画「パニック・スカイ フライト411 絶対絶命」は単独では全く完結しておらず、まるまる1本使ってプロローグ的なストーリーを展開しているような感がある作品ですね。
今作では、チャド・ターナーに埋め込まれた「チップ」と呼ばれる存在が、物語の重要なカギを握っているのですが、実のところ、この「チップ」なるものが具体的にどんな力を持っているのかについては、物語のラストに至るまで謎に包まれたままです。
作中における「チップ」の具体的な能力の発動例としては、物語中盤で飛行機の乗客の半分近い数が突然着用していた服を残して忽然と消えてしまったという事例があるにはあるのですが、これにしても「何故、どのような理由でそんな現象が発生したのか?」については全く何も言及されていません。
作中における「チップ」は、リーマンショック後の混沌とした世界を変えられる救世主的な役割を担えるだけの力を持つとされているのですが、作中で披露された「突然人が服を残したまま消える」というだけでは、それがどんな形で救世主的なツールたりえるのか不明もいいところです。
結局、「チップ」の謎は最後まで明かされることなく、ラストは主人公がヒロインと共に低空飛行に入った飛行機からパラシュートで脱出するという結末を迎えただけでしかありませんでしたし。
ハイジャックをやらかしたプロの仕事人も結局死ぬことなく終わっていましたし、作品単独としてはあらゆる点で不完全燃焼が否めないのではないかと。
かといって続編に期待しようにも、続編ができるほどの人気を博しているとは到底思えない出来なことは、日本で劇場公開されることがなかったというその一事だけを見ても一目瞭然なのですしねぇ。
この辺り、アメリカ映画にもピンキリ色々とあるのだなぁ、という当たり前の事実をつくづく感じさせてくれる作品ではありますね。

あと、いくらリーマンショック等の経済危機で世界が混乱をきたしているとはいえ、救世主的な力でもってその状況を改善するというのは正直無理があるのではないかと思わなくはもなかったですね。
黒幕であるターク産業のトップが画策していたのは、作中の描写を見る限りでは「ひとりのリーダーによる超強力な中央集権体制の確立でもって世界を統合しよう」という話のようです。
しかし、通貨を統合しようとしたEUの悲惨なまでの政治的妥協や危機的状況を鑑みるだけでも、それが非現実な行為でしかないことは素人目にも明らかなのではないかと。
超常的かつ絶対的な力や奇跡を行使しさえすれば成し遂げられる、というものではないのですからねぇ、その手の政治的統合というものは。
各国がそれぞれ抱え込んでいるナショナリズムの問題や伝統・慣習・文化・言語の違いなど、単純な力業だけで押し通せない問題はいくらでもあるのですし。
宗教や文化で多くの共通項が存在するはずのヨーロッパの経済的統合ですら失敗するのですから、ましてやひとりの強大なリーダーによる政治的統合など、まだ当面は夢物語もいいところでしかないでしょう。
また仮にそんなものが実現しえたとして、それが大多数の人間および人類社会にとっての利益になるという保証もありはしません。
0.1%の人間だけが利益を享受し、残り全てが圧政と弾圧で苦しめられるなどという未来だって起こりえるのですから。
経済的・政治的な格差が拡大するようなものであれば、一時的に状況が改善されたとしても、長期的には動乱の種を植え付けることにもなりかねないのではないかと。
ヨーロッパやアメリカ、それに中国などで貧富の格差が拡大したことが大きな社会問題となっているように。
ターク産業のトップが、そこまで考えた上で救世主を志向しているとはとても見えないのが何ともねぇ(-_-;;)。

今作は続編ありきが前提のストーリーのため、作品単独では正直評価のしようがないですね。
続編が出た後でまとめて観賞する方が、あらゆる意味でスッキリしそうな映画ではあります。

テレビドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」 第9話感想

全10話放送予定のTBS系列の金曜ドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」。
残り2話となった今回は、2012年12月7日放映分の第9話感想です。
前回第8話の視聴率は、前々回最低記録を更新した第7話をさらに下回る7.0%。
正直、ここまで視聴率が上がらないというのは、もう番組の出来がどうとかいう以前にテレビの集客力自体が衰退しているとしか評しようがないですね。
なお、過去の「大奥」に関する記事はこちらとなります↓

前作映画「大奥」について
映画「大奥」感想&疑問
実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想

原作版「大奥」の問題点
コミック版「大奥」検証考察1 【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】
コミック版「大奥」検証考察2 【徳川分家の存在を黙殺する春日局の専横】
コミック版「大奥」検証考察3 【国内情報が流出する「鎖国」体制の大穴】
コミック版「大奥」検証考察4 【支離滅裂な慣習が満載の男性版「大奥」】
コミック版「大奥」検証考察5 【歴史考証すら蹂躙する一夫多妻制否定論】
コミック版「大奥」検証考察6 【「生類憐みの令」をも凌駕する綱吉の暴政】
コミック版「大奥」検証考察7 【不当に抑圧されている男性の社会的地位】
コミック版「大奥」検証考察8 【国家的な破滅をもたらす婚姻制度の崩壊】
コミック版「大奥」検証考察9 【大奥システム的にありえない江島生島事件】
コミック版「大奥」検証考察10 【現代的価値観に呪縛された吉宗の思考回路】
コミック版「大奥」検証考察11 【排除の論理が蠢く職業的男性差別の非合理】

テレビドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」
第1話感想  第2話感想  第3話感想  第4話感想  第5話感想  第6話感想  第7話感想  第8話感想

第9話は、ほぼ全編にわたってオリジナルストーリーが展開されています。
原作的には4巻P12~P33までの管轄となるのですが、この区間にはテレビドラマ版には全く登場しない神原家のエピソードも存在するため、原作ストーリーの観点から見るとほとんど進んでいなかったりするんですよね。
今回のオリジナルエピソードは以下の通り↓

・女版家光の公表後における稲葉正勝と有功との会話。
・稲葉正勝と澤村伝右衛門の酒盛りと昔の回想、さらに有功からの伝言が稲葉正勝に伝えられる。
・女版稲葉正則の動向。
・「御内証の方」ができた理由についての女版家光の(原作よりはもっともらしい)解説。
・女版家光に夜伽の相手に指名されるも、女版家光の懐妊により夜伽がお流れになる。
・お夏の方と玉栄の確執。
・「今度こそ(女版家光に)子供を産ませてみせる」と意気込む玉栄と、どこか達観している感のある有功。
・有功のお褥辞退願いの後、稲葉正勝に話しかけ、「そなたは死ぬことなく僧になって息子の菩提を弔え」と述べる女版家光。

前作映画「大奥」ではおよそ意味不明な概念として登場していた「御内証の方」がここでやっと出てきましたが、この導入に関する説明は原作よりはまだ「理性的に見える」シロモノではありましたね。
まあ原作では、どう見ても女版家光のヒステリックな癇癪とヤクザの言いがかり的な動機から生まれたものでしかなかったのですから、少しばかり理論武装らしきことをのたまうだけで大抵はマトモなように見えてしまうものではあるのですが(苦笑)。
とはいえ、テレビドラマ版のそれも、少し考えればすぐさまボロを晒すようなシロモノでしかないのですけどね。
何しろ、「一瞬たりとも何者かが将軍の上に立つことは許さぬ」「ひいては将軍の、徳川の威光を守ることにもなろう」などという女版家光の言が事実なのであれば、そもそも「叛逆者」の類にすら該当する「御内証の方」は、御白洲裁判にでもかけて打ち首獄門の上、その死と晒し首を公衆の面前で知らしめる必要が当然のごとく発生するはずでしょう。
もちろん、当時の法体系から言えば「御内証の方」本人だけでなくその親類縁者も同罪とならざるをえないので、当然それらの人々も同じ目に遭わせなければなりません。
女将軍の初体験が「将軍の身体に傷をつける」と定義され、それが叛逆罪なり将軍暗殺未遂罪なりに匹敵する大罪と見做されるのであれば、「何者かが将軍の上に立つこと」を許さず「将軍の、徳川の威光を守る」ためにも当然そこまでやらなければならないわけです。
将軍側に何ら後ろ暗いところがなく「御内証の方」を悪として断罪するのであれば、「御内証の方」は世間一般にその存在を晒して家族もろとも公然と処刑すべきなのです。
それをせずに「内々に死罪にする」などと文字通り女々しいタワゴトをのたまっている時点で、それを執り行うべき女将軍側に後ろ暗い事情があることを自分から白状しているも同然ではありませんか。
むろん、「御内証の方」を叛逆罪として公然と処刑などしようものならば、そもそも大奥に入ろうとするものなど誰もいなくなってしまうでしょう。
自分のみならず、家族や親戚までもが処刑に巻き込まれ御家断絶の事態にまで発展しかねず、さらには自身や家の名誉までもが汚され後世に至るまで断罪され続けることにもなるのですからなおのこと。
まあ女版家光も、そのような現実と後ろ暗さをある程度自覚しているからこそ、「御内証の方」は【内々に】死罪にしろとのたまっているのでしょうけどね。
そもそも、「御内証の方」の実態が世間一般に知れわたろうものならば、将軍家そのものが笑い物にされて、それこそ「将軍の、徳川の威光」を多大なまでに損壊することにもなりかねないのですし(爆)。
女版家光個人のレイプな初体験はいざ知らず、女版家光が言うところの「初体験」自体は女性であれば誰もが通る道でしょうに、そんなものにわざわざ死を与えるなんて、如何なる社会常識で考えてさえ頭の具合を疑われても仕方のない話でしかないのですから。
それとも「大奥」世界の女将軍とやらは、世間一般の女性達全てに対しても「自分の処女を奪った男は殺せ!」ということを社会通念として推奨しているとでもいうのでしょうかねぇ(苦笑)。

テレビドラマ版「大奥」も、残すはいよいよ最終話のみ。
予告編を見る限り、テレビドラマ版「大奥」は女版家光の死とその後日談が若干展開されることでもって完結し、次作の映画版「大奥 ~永遠~ 右衛門佐・綱吉篇」へと繋がっていくことになりそうですね。
徳川4代将軍家綱のエピソード、特に「明暦の大火」辺りの話は完全にすっ飛ばすつもりのようで。
今話の終盤で有功と女版家光がそれぞれ「死ぬな」と稲葉正勝相手に明言していた効果は、果たして「女版家光の死に際して追い腹を切った稲葉正勝」という原作の流れを改変することができるのでしょうか?

イラストに依存している薬師寺シリーズの魅力?

http://twitter.com/adachi_hiro/status/273625695266160641
<いわゆる自炊代行業者さんを一部の作家さんが訴えている話。自炊されるのが嫌だったら自分たちで電子書籍を出してしまえば良いのに。うちの会社は社員4人だけど自前で電子書籍書店を立ち上げてる。「銀英伝」の電子書籍は、けっこう読んでもらっているよ。http://bit.ly/R3CIWo

http://twitter.com/adachi_hiro/status/273642672219115520
<@tora2m 「薬師寺涼子の怪奇事件簿」シリーズの場合、垣野内さんのイラストあっての魅力という気もするので、うちで電子書籍にしても需要があるかなあ。>

確かに、薬師寺シリーズの魅力はあのイラストにあるのであって、田中芳樹の文章など添え物程度のシロモノでしかないですね(苦笑)。
いや、「ない方がマシ」という点では添え物にすらなっていないというか(爆)。
実際問題、前から言っていることではありますが、薬師寺シリーズは垣野内成美がイラストのみならずシナリオや設定も一緒に作った方が、現行よりもはるかに出来が良くなるであろうことは確実なのですし。
作者個人のストレス解消のため「だけ」に存在するシリーズ作品なんて、読者を舐め腐っている以外の何物でもないというのに。
そして、そこまで傾注しているはずのストレス解消ですら、自分がお好きな民主党が相手になると、途端に言及を避けて格下相手に責を求めるときているのですから、その御都合主義とダブスタぶりはもはや失笑レベルなシロモノにまで堕しているわけで。
田中芳樹がストレス解消とやらに邁進すればするほどに、薬師寺涼子や泉田準一郎をはじめとする作中の登場人物達はどんどん低能バカになっていってしまうのですが。
しょうもないストレス解消などのために、自分の作品および自作品の登場人物達を結果として貶めることになっている構図が、田中芳樹には果たして理解できているのでしょうかねぇ(-_-;;)。

田中芳樹が薬師寺シリーズに関わることで生じる利点があるとすれば、それは、
「スレイヤーズと極楽大作戦の元ネタが、作中のどこら辺にどのような形で反映されることになるのか?」
という「パクリ探し」なシロモノしかないでしょう。
主要登場人物はもちろんのこと、薬師寺涼子の姉の薬師寺絹子の露骨極まりない両作品からのパクリっぷりを鑑みても、田中芳樹が完全に開き直った上での確信犯でパクリを展開しているのはほぼ確実なのですし。
どうせそのうち、魔神アシュタロスやルシオラらの昆虫三姉妹的な存在も出てくるでしょうし、薬師寺涼子が幼少時の頃に死んだという設定になっている母親なども、美神令子の母親よろしく「公式では死んだことになっているが実は密かに……」という形で登場しそうな気がしてなりませんし(笑)。
さらにその母親は薬師寺涼子の妹をこれまた密かに出産していて、かつその妹はパイロキネシスの超能力を生まれながらに保持している、などというモロパクリな設定も出てきかねないのではないですかね(爆)。
まあそこまで確信犯的にパクリに徹することができるのであれば、それはいっそ逆に賞賛に値することですらあるのかもしれませんが。

ただ問題なのは、こういう展開が仮に将来ありうる話であったとしても、それが出てくるのは早くても数年以上は先であるという点ですね(-_-;;)。
田中芳樹も、安倍総裁率いる自民党にせよ、橋下徹率いる日本維新の会にせよ、すくなくとも民主党より毛嫌いしていることは確実なのですし、今頃さぞかしストレス解消をしたくてしたくてウズウズしていることではあるでしょうが、当面はタイタニア4巻とアルスラーン戦記14巻の執筆に専念しなければならない身です。
この2つが出るだけで一体何年かかることになるのやら、知れたものではないのですし。
あの想像を絶する遅筆ぶりや、昨今の不安な健康状態などを鑑みると、次の作品が出てくるまでに田中芳樹の寿命そのものが尽きるという可能性も考えられなくはない、というのは何とも厳しい現実ではあります(T_T)。

映画「グランド・クロス シード・オブ・ディストラクション」感想(DVD観賞)

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映画「グランド・クロス シード・オブ・ディストラクション」をレンタルDVDで観賞しました。
2011年にカナダで製作されたパニックSF作品。
日本での劇場公開はなく、DVDのみでの日本上陸となるみたいですね。
Wikipediaやシネマトゥデイの映画検索にも引っかからないですし。

物語冒頭では、「アラムート計画」と称する研究を行っている男達が、植物を相手に空気浄化の実験をしている様子が映し出されています。
ビデオカメラで撮影されている男がタバコの煙を植物に吹きかけた瞬間、その植物は煙を吸い込み浄化してしまいました。
直後の測定で、植物の周囲にはタバコ特有の一酸化炭素や二酸化窒素などの有害物質が全く検出されなくなっていたことが判明。
「素晴らしい植物だ!」と絶賛する男の下で、不気味なまでの速度で根を生やす植物が映し出された直後、舞台は全く別の場所へと移ります。

次の舞台は、アメリカ・ネバダ州ラブロックにあるケンブル鉱山。
そこでは一組の男女2人が、有害ゴミの不法投棄を行っている人間の様子をビデオカメラに収めるべく、忍耐強く監視を続けていました。
やがて2人の前に、不審な白いバンが現れます。
不法投棄が行われる様子が行われるのかと緊張し、ビデオカメラを取り出して撮影を始める2人でしたが、バンから降りた男は手ぶらで歩いており、不法投棄を行う様子など全くありません。
代わりに男は、周囲を警戒しつつ、スーツ姿を来た男と対面するのでした。
スーツ姿の男はアタッシュケースから大金を見せつけ、バンの男と何か取引をしようとしているようでした。
それに対し、バンの男はおもむろにナイフを取り出して自分の手を切った後、同じく取り出した葉っぱを手に当てます。
手に当てた葉っぱを男が剥がすと、そこには最初に手を切った際にできたはずの傷はどこにもなくなっていました。
バンの男は大金と引き換えに何かの種子をスーツ姿の男に渡す手筈となっているようで、バンの男は車から種子を持って来ようとします。
しかし、スーツ姿の男にはもうひとり、遠距離から狙撃中で監視しているスナイパーがついていました。
そのスナイパーの男が2人の男女の姿に気づいた時、事態は急激に動き出します。
スーツ姿の男は、バンの男が罠にはめたのではないかと早合点し、スナイパーの男はバンの男を銃で狙撃。
負傷したバンの男は、ちょうどバンから取り出そうとしていた種子を地面に落としてしまい、種子を保管していた容器が割れてしまいます。
そして、種子が地面に落ちてしばらく経った時、それは突然起こりました。
何と、地面から突如巨大な植物の根が生えてきて鉱山を覆いつくしてしまったのです。
スーツ姿の男も、急激に成長する根に巻き込まれる形であっさりとフェードアウト。
遠距離だったために無事だった2人の男女は、クルマに乗ってその場から逃走。
しかし巨大な植物の根は、その後も凄まじい勢いで成長を続け、やがてネバダ州を覆い尽くさんとするのでした……。

映画「グランド・クロス シード・オブ・ディストラクション」は、上映時間が91分と短いこともありとにかく展開が速いです。
今作で脅威として描かれる巨大植物は早々に出現しますし、その成長速度も早ければ、人間達がその脅威を認識するのも何の問題もなく達成されます。
目の前ではにわかに現実とは思えない光景が次から次に繰り広げられていくにもかかわらず。
まあ、たとえどんなに非常識かつ理解不能な光景であっても、それが危険であることは誰の目にも一目瞭然だったわけなのですから、「こんなことが科学的&常識的にありえるはずがない!」などと手をこまねいて現実を否定していたら、生命がいくつあっても足りないのですが。
ただ、作中の巨大植物は、図体の大きさと破壊力という点では申し分なかったものの、対人間についてはどのような脅威になるのかがやや不透明な感が多々ありますね。
植物が人間に直接襲い掛かって殺すシーンというのは作中になく、作中の人間達の死は、植物が作った亀裂に落っこちたり、人が乗った車がいいように弄ばれるという形で、間接的に明示されるに留まっていましたし。
この映画、人の死を直截的に描かないということにこだわりを持ってでもいたのでしょうか?
その割には、ヘリが撃墜された際にパイロットが撃たれて死ぬ様はモロに描いていたりするのですが……。

個人的に疑問だったのは、植物の研究を行っていたマッドサイエンティストの老科学者が、ただ単に「研究を邪魔されたくない」という理由だけで侵入者を抹殺しろと命じたことですね。
自分の研究結果を独占して利益を得るという意図でもあるのならば抹殺命令も納得がいくのですが、単に「研究を邪魔されたくない」って、それが他者を殺さなければならない理由になるのかと。
そのためにわざわざプロの傭兵?を4人も雇っているのも理解に苦しみますし。
ただ「邪魔をされるのを防ぐ」というだけであれば、銃を突きつけて脅して追い払うという形を取った方が、持ち場を離れなくて良い分安全確実なのではないのでしょうか?
プロの傭兵4人も、わざわざ無駄に走らされた挙句に結局は侵入者の侵入と研究妨害を許してしまっているのですし。
殺すことにこだわったがために、却って本来の目的からしても本末転倒な結果をわざわざ自分から招いていたとしか思えないのですけどね、あの老科学者は。
まあ彼にとっての研究とは何物にも代えがたい至宝の存在であったことは、物語終盤に「植物の増殖を止める」ことで合意が成立していたにもかかわらず、植物の根を見て「素晴らしい研究素材だ」とあっさり前言を翻して裏切ったシーンを見ても明らかなのですが。

全体的にイマイチ盛り上がりが欠けていて、いかにもB級映画的なテイストで製作された雰囲気が多大なまでに漂う作品ですね。
作りから考えても低予算な映画なのでしょうし、仕方ない部分もあるのでしょうけど。

天然お笑い政党としての期待の新星・日本未来の会

滋賀県知事の嘉田由紀子が代表を務める日本未来の党が開設していた、脱原発の是非を問うアンケートサイトで、大量の原発推進賛成票が投じられ閉鎖されるという珍事が発生し話題となっています。
票数の操作や集計リセットが何度も行われた挙句の閉鎖だったそうで↓

http://www.j-cast.com/2012/12/04156728.html
>  「正体不明」「いや、偽物にしては良くできている」などと話題になっていた「日本未来の党」(嘉田由紀子代表)を名乗るアンケートサイトは、やはり「未来」がPRの一環として開設していたものだった。
>
>  だが、「原発推進に賛成ですか?」という問いにネット利用者は敏感に反応し、賛成票が大量に入るというハプニングが起き、結局は閉鎖されてしまった。
>
> 「セキュリティーの問題や、いたずら」を理由に閉鎖決める
>
>  サイトは2012年12月3日、「ネットでプレ総選挙」と称して開設され、最初は「『脱原発』に賛成ですか?」という問いでアンケートが設定されていた。ところが、
原発存続を意味する「反対」への票が、党の方針である「賛成」を大きく上回ってしまった。
>
>  このことが影響したのか、サイト側は設問が分かりにくかったとして、午後になって投票結果をリセットした上で「原発推進に賛成ですか?」というシンプルな設問でアンケートを再開。直後は、「賛成」が「反対」を大きく上回り、やはり党の方針とは逆に投票結果が出ていたが、夕方になって反原発派が巻き返しをみせていた。
>
>  サイトの正体をめぐっては、(1)運営が行き当たりばったりで、異様にずさん(2)公式サイトからアンケートサイトにリンクが張られていない、といった理由で「偽物」説も浮上していたが、(1)公式サイトに載っていない嘉田代表の写真が使われている(2)ヤフーに出ている広告からにリンクされている、という点から「本物」説が有力視されていた。
>
>  「未来」は12月4日、J-CASTの取材に対し、本物と認め、
>
>
「セキュリティーの問題や、いたずらがあったため、このままにしておくのは問題があると判断した」
>
>  として、同夜遅くに閉鎖したと説明した。わずか1日の露出だったことになる。
>
> CMのとおり検索すると「日本未来の党がネット民に壮絶に馬鹿にされる」がヒット
>
>  「未来」のテレビCMも、このアンケートサイトを意識した内容となっており、「脱原発に…」というナレーションに続いて、画面上では「YES!」の選択肢が強調される。さらに、「あなたの意見をお聞かせ下さい」いうスローガンが表示され、ウェブサイトの検索窓に「未来の党」という単語で検索を促す構成になっている。
>
>  ところが、実際にPCからグーグルで「未来の党」を検索しようとすると、連想されるキーワードに「未来の党 アンケート」と表示され、今回の騒動の内容をネット利用者に広く知らせてしまうという逆効果になっている。さらに、実際に検索してみると、ニュース記事を除くと、一番上に出てくるのは「日本未来の党がネット民に壮絶に馬鹿にされる」というタイトルの、アルファブロガー・山本一郎氏の記事。公式サイトが出てくるのは、山本氏の記事の6つ下だ。CMのとおりに検索した有権者は、結果として「未来」のPR戦略の思惑はずれを知ってしまうという皮肉な状態になっている。

閉鎖までの過程を追った動画

日本未来の会にしてみれば、このアンケートを使って自分達が掲げる脱原発の正当性をアピールすると共に自党への得票数を稼ぐという目的でもあったのでしょう。
しかし実際には、その意図に反して笑いのネタを提供しただけとしか評しようがありませんね。
脱原発以外の政策でも、「子ども手当」の焼き直しや「女性を全員働かせる」的なスウェーデン型労働体系の確立など、今となってはもはや破綻が明らかなシロモノばかり掲げている始末ですし。
衆院選の「第三極」は「=泡沫政党の集合体」的なイメージがどうにも拭えないのですが、選挙戦早々に混乱の様相を呈している日本未来の党は特にその傾向が強いですね。
第一、デビューの経緯自体が泡沫政党そのものなのですし。
日本維新の会が「第二民主党」ならば、日本未来の会は「第二社民党」とでも位置づけられるべき存在でしょう。
政界における天然お笑い政党としてはそれなりの価値があるのかもしれませんが、大多数の日本国民はそんなものを望んでなどいないでしょう。
正直、こんな政党が国民の支持を得られるとは到底思えないのですが、この党には果たしてどんな国民の審判が下されることになるのでしょうかねぇ。

第46回衆議院選挙が本日公示&選挙戦スタート

2012年の第46回衆議院選挙がついに公示され、本格的な選挙戦が始まりました。
日本憲政史上最悪のバカとキチガイの売国寄せ集め集団である民主党政権に終止符を打つ、日本国民にとって大変重要な選挙となります。

誰に、どの政党に投票するのかは地域によって、また人の数だけ異なるでしょう。
そんな有権者が最大公約数的にまずさし当たって始めるべきは、自分が属する選挙区の候補者の名と顔と所属を知るところからですね。
非常に簡単かつ当たり前のようでいて、実は意外にもこれが出来ていなかったりする人は多いのではないでしょうか。

かく言う私自身、選挙で候補者の名前と顔を知るのは投票直前の投票会場で、というケースが結構あったりします(T_T)。
私の場合、基本的には候補者ではなく政党で政治家を選ぶので、候補者について知る必要があまりなかったというのもあるのですが。
とにかく自民の候補者を選ぶとか、民主党と社民党と共産党は絶対に選ばないとか、個人的にはそれだけで充分だったりしましたからねぇ(^^;;)。
2009年8月の衆院選で小選挙区・比例代表共に自民党および自民党候補者に投票した際も、基本的にはそれで選んでいたりしていたのですし。
政党の候補者は、どんなに個人的な公約を掲げたところで所詮は政党の意向に拘束されざるをえないので、「それならば候補者ではなく政党をメインにして選んだ方が良いではないか」というのが私の考えでした。
それでも、時の「空気」に従うかのごとく民主党に投票して自身の選択を悔いる羽目になった他の有権者達に比べればこれでもはるかにマトモな判断になったというのは、何とも皮肉な話ではあるのですが。

ただまあ、候補者を全く見ることなく政党のみで選ぶというのも少々寂しいものはあったりするので、今回私の地元熊本の選挙区で出馬を表明している候補者達の名前を並べてみたいと思います。
熊本は県内に5つの選挙区があり、各選挙区の立候補者達はそれぞれ以下のようになっています↓

熊本1区
・山部洋史(46) 共産 新
・松野頼久(52) 維新 前
・池崎一郎(60) 民主 新
・木原 稔(43) 自民 元
・倉田千代喜(62)無所属 新

熊本2区
・福嶋健一郎(46)未来 前
・濱田大造(42) 民主 新
・本田顕子(41) みんな 新
・松山邦夫(59) 共産 新
・野田 毅(71) 自民 前

熊本3区
・本田浩一(45) 維新 新
・森本康仁(34) 民主 新
・坂本哲志(62) 自民 前
・東奈津子(43) 共産 新

熊本4区
・矢上雅義(52) 無所属 元
・蓑田庸子(61) 共産 新
・園田博之(70) 維新 前

熊本5区
・中島隆利(69) 社民 前
・橋田芳昭(57) 共産 新
・金子恭之(51) 自民 前

この中で一番注目されるべき戦いは、やはり何と言っても熊本1区でしょうね。
熊本1区は、松野頼久が過去の選挙で4回連続当選を果たしているのですが、当時の松野頼久が所属していた政党は一貫して民主党でした。
ところが今回、松野頼久は日本維新の会に鞍替えした上で選挙戦に臨んでおり、所属政党の変更が選挙にどのような影響を与えるのかが焦点となるでしょう。
個人的には、民主党はもちろん日本維新の会もまるで信用できませんし、ただ単に「選挙に勝つために党を鞍替えした」だけにしか見えない松野頼久自身にもどれほどの信頼性があるのか、はなはだ疑問ではあるのですが。
「ちょっと待て、その無所属(または他の政党名)は民主かも」の標語のごとく、所属政党が変わっただけで中身は全く変化していないでしょうからねぇ。
如何に4回連続当選の実績があるとはいえ、長年民主党を続けてきたという前歴も、松野頼久には大きなマイナスとならざるをえず、今回は苦戦が予想されるところでしょう。
一方、その松野頼久の最有力な対抗馬となるのは、安倍晋三自民党総裁自ら応援演説に駆けつけた、 自民党候補の木原稔。
民主党の逆風で自民党に追い風が吹いていることを鑑みても、今回の熊本1区は実質的に松野頼久と木原稔の一騎打ちになるのではないかと考えられます。

逆に笑うしかないのは熊本5区ですね。
これまた4選連続当選の実績を持つ金子恭之の対抗馬が、よりによって社民党と共産党の候補者しかいないって……。
無所属と日本維新の会の候補者による一騎打ちとなる熊本4区よりもはるかに一方的な勝負になるのが、最初から目に見えているではありませんか。
選挙前から既に勝敗は決しているとしか言いようのない選挙区ですね、熊本5区は(笑)。
こんな選挙区があるのを鑑みると、何かと弊害が指摘される比例代表の並立制度も、それなりに意義はあるのかなぁとついつい考えてしまいますね。

第46回衆議院選挙の投票日は2012年12月16日。
果たして、どのような国民の審判が、各政党および候補者達に下されることになるのでしょうか?

映画「ロボット」感想(DVD観賞)

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映画「ロボット」をレンタルDVDで観賞しました。
日本では2012年5月に公開されたインド・ボリウッド映画で、世界最高の頭脳と能力を持つ人造人間が暴れ回る、ラジニカーント主演のSFアクション作品です。
今作では劇場公開時に熊本では全く上映されておらず、今回そのリベンジを果たす形での観賞となりました。
ちなみに、私がインド・ボリウッド映画を観賞するのは、実は今回が初めてとなります。
インド・ボリウッド映画って、「あの」ハリウッドすらも超える数の映画を製作しているという割には、日本ではあまり劇場公開されておらず、どうにもマイナーなイメージが拭えないところなんですよね。
もう少し劇場公開されても良さそうな気はするのですが……。

今作の主人公であるバシーガランは、実に10年にもおよぶ歳月をかけて、1体のロボットを製作していました。
製作は順調に進み、製作の時点で既に自立歩行はもちろんのこと、格闘技まで問題なくこなし、さらには会話の方法を学んだり歌を歌ったりすることまでできるという高性能ぶりを披露しています。
恋人であるサナですら門前払いをして研究に没頭したために怒りを買って別れ話を切り出されるにまで至ってしまうという副作用はあったものの、ロボットはめでたく完成の日を迎えます。
スピード:1テラヘルツ・メモリー:1ゼタバイト(ゼタはテラの10億倍)という、スペックからして凄まじい能力を誇るそのロボットは、バシーガランの母親によって「チッティ」と名付けられることになります。
最初は、間からの指示を字面通りに解釈し融通の利かない様を見せたり、電話帳の中身を丸暗記して驚異の記憶力を見せつけたりと、いかにもロボットらしい言動を披露するチッティ。
そしてバシーガランは、ロボット工学の要人達?を集めた発表会で、チッティの存在を世に知らしめるのでした。
しかし、発表会の場でそれを面白くなさそうに眺めるひとりの男がいました。
AIRD(人工知能開発局)の局長であるボラ教授です。
彼もまた人工知能を持つロボットの製作を生業としていたのですが、バシーガランと異なり開発がまるで上手く行っておらず、自身が為し得ない成功を達成したバシーガランを妬んでいたのでした。
彼は、男の嫉妬丸出しで、バシーガランに一泡吹かせることを決意するのでした。

そんな中、チッティの桁外れな高性能ぶりに目をつけたサナは、大学?の試験対策のための家庭教師としてチッティを使うことを思いつき、バシーガランに頼み込んで2日ばかりチッティを借りることに成功します。
しかしサナは、大学で好き放題やりまくっているチンピラ学生達と対立し、チッティは彼女を守るべくチートな奮闘を展開しまくることに。
その後、チッティの調整を終えたバシーガランは、AIRDからチッティの承認をもらうべく、AIRDの審査会に臨むこととなるのですが……。

映画「ロボット」は、全体構成の3分の2近くを「チッティの能力披露と変遷の過程」に注ぎ込んでいますね。
序盤は基本的な性能の披露から始まり、中盤にかけてはチンピラとの格闘、火災現場における人助けと、ロボットの性能とそれ故のイザコザに関する描写に終始しています。
個人的に少々疑問を持ったのは、火災現場で風呂に入っていたセルビという女性をチッティが助けた際、衆人環視の前で裸を晒す羽目となった彼女が、報道陣から逃げ出した挙句にタンクローリーに轢かれて死亡した責任がチッティの責任にされてしまったことですね。
あれってどう見ても、チッティではなく裸の女性にカメラを突きつけたマスコミの方に問題があったのではないかと思えてならなかったのですが。
日本やアメリカであればまず真っ先に人権問題に発展しかねない報道だったのですが、ああいうパパラッチ以下レベルでしかない報道手法がインドでは許されるとでも言うのですかねぇ(苦笑)。
今作特有の描写で言えば、チッティがサナを誘拐して逃亡していた際に、サナという人質がいることが分かっていながら、そんなことお構いなしに銃を乱射しまくっていた警官達の描写もなかなかにクるものがありました。
クルマの真横という至近距離からマシンガンをぶっ放しまくるという描写までありましたし。
あれだけ銃を乱射しまくってサナが死亡どころか負傷すらもしなかったのは、単なる奇跡かご都合主義以外の何物でもなかったでしょう。
いくらあの時点ではチッティの驚異的な性能が周知だったとは言え、人質もろとも殺してしまえとあっさり突き抜けてしまえる作中におけるインドの警察機構は、日本やアメリカとはまた違った組織であることをまざまざと見せつけてくれます(爆)。
日本やアメリカの映画で同じような場面に遭遇した際には、必要以上に人質に対する配慮を示して行動を束縛されたり、そこを犯人側に付け込まれて好き勝手されたりする描写が展開されるのが常だったりするのですが。
特に日本なんて、硬直しきった警察機構や官僚組織のあり方が、しばしば映画のみならずエンタメ作品のテーマとして取り上げられたりするくらいなのですからねぇ。
そんな苦悩とは全く無縁な作中におけるインドの警察機構は、日本人から見たらある意味羨望に値するものですらあるのかもしれません。

あと、せっかくチッティをバシーガランから離反させて自分の意のままに操れるチャンスを得たにも関わらず、結果的にチッティに惨たらしく殺されてしまうボラ教授が、あまりにもマヌケに見えてならなかったですね。
彼は、チッティのプログラムを書き換えて好き勝手に暴れ回るよう仕向けた際に、自分にだけは絶対に逆らわない&逆らえないようにするためのセーフティプログラムを全く組み込んでいなかったんですよね。
プログラムの中に主人に対する絶対服従を仕込み、自分達に逆らおうとした際には強制的な措置でもってその行動を抑止するという手法は、映画だと「ロボコップ」辺りで既に描かれている、誰でも考えるべき手垢の付いたシロモノでしかないはずなのに。
チッティを助けたのだから自分は大丈夫だろうと、何の根拠もなく信じ込んでいたのですかねぇ、ボラ教授は。
そんなものは何の安全保障にもならないと、彼ならば他ならぬ自分自身の経験から理解できたはずでしょうに。
あれだけのことをやって黒幕的な雰囲気を醸し出しておきながら、その末路がセーフティネットの張りそこないによる自業自得な自滅というのは、いささか竜頭蛇尾もいいところだったのではないのかと。

しかし今作の真骨頂は、物語後半50分ほどで展開されるアクションシーンにあります。
逃走するチッティとそれを追う警察との戦いと、チッティによって製作された大量の「チッティ軍団」の暴走ぶりは、確かにハリウッド映画も顔負けな要素がふんだんに盛り込まれています。
確かにあんなアクションシーンは、日本映画どころかアクション映画の本場ハリウッドでさえもなかなか思いつけるものではないでしょう。
というか、一体どうやったらあんな超高度な組体操モドキなアクションシーンを考えつくものなのかと(苦笑)。
当然のごとく警察は全くの無力で、チッティ軍団に対抗しえるのは、バシーガランの知略とコンピュータワームを駆使したIT戦術のみというありさま。
圧倒的な力を誇るチッティ軍団と、それを相手に頭脳戦を挑むバシーガランの熾烈な頭脳戦は、製作費37億円もかけているというだけあってなかなかの出来ではあります。
これがしかし日本ではマイナーな映画でしかないという辺りに、インド・ボリウッド映画に対する日本での評価というのが垣間見えて、何とも泣けてくる話ではありますね(T_T)。
もう少し洗練されれば、インド・ボリウッド映画はすくなくとも韓流映画や中国映画などよりは日本のみならず世界にも通じるものになりそうな気がしてならないのですが。

インド・ボリウッド映画の魅力を知りたい方にはオススメの一品と言えるでしょうか。

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