映画「妖怪人間ベム」感想
映画「妖怪人間ベム」観に行ってきました。
1960年代に放映された同名テレビアニメを実写化し、2011年に日本テレビ系列で放映されたテレビドラマ番組終了後の後日談にあたる作品。
今作のストーリーは、テレビドラマ版と密接な関連性があり、テレビドラマ版を視聴していないと登場人物達の人間関係が分かりにくいところがありますので、今作を観賞する際には事前にテレビドラマ版を視聴することをオススメします。
かく言う私自身、テレビドラマ版はたまたま最終回だけ再放送で途切れ途切れながら観賞する機会があった以外は未視聴で、特に物語中盤に登場したベム・ベラ・ベロの知り合い的な登場人物達については「こいつら一体誰だよ?」と疑問に思わざるをえませんでしたし。
物語は、大金のバックを抱えながら多くの乗客が乗っているバスジャックした3人組の覆面男が、雷雨の中、バスの運転手に銃を突きつけ警察の検問を突破したところから始まります。
バスは検問が死守していた建設途上?の無人のトンネル内に突入するのですが、そこで突然、バスが停止し動けなくなってしまうという事態が発生します。
バスジャック犯がいきり立って周囲を怒鳴りつけつつ外の様子を確認しようとしますが、バスの外に出るや否や、彼らは何者かによって悲鳴と共に姿を消してしまいます。
3人のバスジャック犯達は次々と消されていき、乗客の子供をひとり人質として連れ去ろうとした最後のひとりも、悲鳴と銃声を残していなくなってしまうのでした。
バスジャック犯がいなくなり、子供の安否を確認しようと我先にバスから降りた乗客達は、最後のバスジャック犯が逃走した先で、ただひとり呆然と座っている子供を発見し胸をなでおろすのでした。
しかし、バスジャック犯に一体何が起こったのか?
自分達も安全であることを確認できた後で、当然のごとくその疑問に駆られた彼らは、ふとトンネルの出口方面に目を向けます。
ちょうどその時、稲光と共に浮かび上がる3体の異形の存在。
明らかに人間ではないその異形の存在にパニック状態となったバスの乗客達は、悲鳴を上げながら我先に反対側のトンネルの出口へと殺到していきます。
そして一方、3体の異形の存在もまた、驚異的な身体能力を駆使してその場を後にするのでした。
乗客達が目撃した3体の異形の正体。
それは、人間になることを目的とし、人間のために戦うことを自らに課している妖怪人間ベム・ベラ・ベロの3人でした。
彼らは、バスの乗客達に姿を見られてしまったことから、新たな場所へ「引っ越し」をする必要に迫られることになります。
船に密航?し、新たな場所へと移動することになる3人。
しかし、船で辿り着いた新たな場所では、MPL製薬という巨大企業の重役が何者かに襲撃・殺害されるという事件が頻発していました。
船から上陸早々、そのMPL製薬の重役がクレーンの真下で重傷を負っている事態になっていることをベムは突き止めます。
3人が重役の男を発見直後、クレーンのワイヤーが何者かによって切断され落下してくるのですが、間一髪で3人はクレーンを交わし、巨大な落下音を聞きつけた人間達に後の処理を任せその場を後にします。
またもや騒動に巻き込まれそうな気配が濃厚な中、3人はただひとり寂しそうに佇む少女の姿を発見することになるのですが……。
映画「妖怪人間ベム」のストーリーは、原作のテレビアニメ版で見られた「妖怪同士の戦い」などよりも人間ドラマ的な物語に重点が置かれており、醜い容姿をしているために人間社会に溶け込めないことや、不老不死であるが故の葛藤などがメインテーマとなってます。
敵方の妖怪も全く出てこないというわけではないようなのですが、それらの存在との戦いはあくまでも「メインテーマの添え物」的な扱いです。
巷に溢れる「妖怪もの」と言えば「妖怪VS妖怪」という図式がメインで繰り広げられる構図が常に存在するだけに、人間ドラマに重点を置いた妖怪ものというのはある意味新機軸ではあったでしょうね。
まあ、それでヒットしたのかどうかはまた別問題ですが。
また、テレビアニメ版の「妖怪人間ベム」と言えば、肝心のベムの露出が控えめで実質的な主人公がベロだったのに対し、テレビドラマ版&映画版のそれは名実ともにベムが主人公となっています。
タイトル名もさることながら、実写でベロが主役ということになると、ベロ役を担う子供にかかる負担が半端なものではなくなるという「大人の事情」も絡んだ上での変更なのでしょうね、これは。
ただ今作では、テレビドラマ版で終始悪役として君臨していたらしい「名前のない男」がいなくなってしまったこともあってか、これといった存在感を放つ「ラスボス」が不在だったことから、どことなく消化試合的な雰囲気がどうにも否めなかったですね。
強大な力を保有する主人公達に対し、物理的なものではなく社会的・政治的なテーマやアンチテーゼなどで対抗しえる「敵」の存在が不在なんですよね、今作は。
副作用のある薬を隠蔽するMPL製薬や、妖怪人間達に銃を向けてくる警察組織等を「悪の組織」的な存在にするとか、その手の「敵」を作る方法はいくらでもあったのではないかと思えてならないのですが。
映画ならではの演出としてラストに登場させたのであろう巨大植物妖怪?も、ただ「物理的に強い」というだけで、絶対的な悪でもなければ非道な敵というわけでもなかったですし。
作中における「絶対悪」を挙げるとすれば、MPL製薬の代表取締役?の加賀美正輝がそれではあるのでしょうが、しかし彼にしてもその主張に比してあまりにも物理的に弱すぎて、主人公の対抗軸になど到底なりえていません。
加賀美正輝は、彼なりに筋の通った「悪の信念」に基づいて悪行を為してはいたのでしょうが、物理的にほとんど無力な彼は、結局妖怪人間達にいいように振り回される人間のひとりでしかなかったのですから。
彼の信念そのものは決して悪いものではなかったのですが、如何せん「自分の手を汚す」ということにこだわり過ぎるあまり、汚れ役のプロやボディーガードをそれなりの数だけ雇うでもなく、単独で殺人その他の悪行を重ねていたのには笑うしかありませんでしたし。
一応は巨大企業の支配者でもあるのですし、その程度のカネくらい動かせる力は充分に備えているでしょうに(苦笑)。
加賀美正輝を悪役として登場させるのであれば、彼が自ら望んで巨大妖怪に変化して主人公と戦うとか、警察を裏から操って邪魔者を情け容赦なく殺すよう指示させるとかいった演出でもやってくれた方が、主人公の対立軸にもなって良かったのではないのかと。
エンターテイメント作品における「悪役の使い方」というものが、どうにもヘタクソに思えてなりませんでしたね、今作は。
いくら今作が人間ドラマ重視の作品だったにしても、もう少しやりようはあったのではないかと、つくづく思えてならなかったのですが。
あと、作中の演出で思わず内心笑ってしまったのは、いくらベム・ベラ・ベロの3体の妖怪人間が怖かったからとはいえ、その場の状況も考えることなく銃を乱射しまくる警官達の行為ですね。
作中の警官達は、明らかに警察上層部から発砲許可を取ることなく銃を乱射していましたし、そもそも妖怪人間達の後方には民間人たる子供がいたりしていたのですが。
特に、妖怪相手に撃ちまくった銃弾の流れ弾が後方の人間に当たろうものならば、後日警察がその横暴ぶりと責任を社会的に問われ、窮地に追いやられることになるのは確実なのですし。
映画「ロボット」におけるインド警察じゃあるまいし、コチコチの官僚機構たる日本の警察がそんなことをやって良いものなのかと(苦笑)。
あそこまで日本の警察がはっちゃけることが可能なのであれば、様々な作品で問題として取り上げられてきた「事なかれ主義な官僚機構の硬直性」などとは、永遠に無縁でいることができるはずなのですが。
テレビドラマ版のファンであれば、今作を観賞する価値はあるでしょう。
ただ、テレビアニメ版のイメージでもって「派手な妖怪の戦い」を期待し今作を観賞しようとすると、大きく肩透かしを食らうことになるかもしれません。