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2013年01月の記事は以下のとおりです。

Facebookの会員数が飽和状態&使用頻度も低下傾向

Facebookの会員数が飽和状態に達し始めているようです。
国によっては既に横ばい、場合によっては減少に転じているケースすらあり、日本でも伸び率が減ってきているのだとか↓

http://www.j-cast.com/2013/01/29163176.html?p=all
>  2012年夏には大幅な伸び率を見せていたフェイスブックの会員数の伸びに、すでに「一服感」が出てきた。ブルネイやシンガポールといった人口に占める利用者率が高い国では、すでに利用者数が減少に転じるケースも出ており、市場の飽和ぶりが浮き彫りになってきた。
>
>  ウェブサイトの運営支援などを行っているセレージャテクノロジー(東京都文京区)では、アジア24か国・地域のフェイスブック利用者を、広告ツールを使って推計している。これによると、12年12月時点での日本国内の利用者は前月比2.0%増の1712万600人。インド、インドネシア、フィリピン、タイに次いでアジアでは5番目に多い数だ。だが、
その推移を見ると、すでに「頭打ち」になっているようだ。
>
>  推計は11年1月から毎月発表されているが、日本の利用者の伸び率を見ると、12年8月が前月比26.2%でピーク。翌9月には13.7%とほぼ半減している。それ以降も、10月が0.9%、11月が2.5%、12月が2.0%と、秋以降大きく局面が変わっていることが分かる。
>
>  一方、電通PRが12年11月下旬に全国の男女1339人を対象にネット上で行ったSNSに関する調査でSNSごとに利用経験や意向を聞いたところ、フェイスブックを「利用していないが、今後利用してみたい」と答えた人は14.1%。いわば、この数字が「伸びしろ」にあたると言えそうだ。グリー(9.8%)、モバゲー(9.4%)、ミクシィ(9.2%)といった比較的「古参」のSNSを大きく上回ってはいるものの、Google+(19.0%)やLINE(18.7%)、Comm(16.3%)といったメッセンジャーアプリが柱のSNSに比べると、やや下回っている。多数あるSNSの中で、フェイスブックが埋没する可能性もある。
>
>  
日本の人口に占めるフェイスブック利用者数の割合は13.5%で、地域内では13位。日本よりも利用者率が高い国や地域では、すでに飽和、または減少局面に入っているようだ。前出のセレージャテクノロジーの推計によると、12年12月時点のブルネイの利用者は25万5680人。人口比率では63.9%で、アジアでは最も高い。だが、ここ3か月の伸び率の推移を見ると、0.9%、-1.6%、-1.4%といった具合で、減少気味だ。1329万8300万人(人口比57.3%)の利用者を抱える台湾も状況は同様で、伸び率は0.4%、0.7%、1.1%。「微増」のレベルにとどまっている。
>
>  12年12月の推計では、ブルネイ以外にも香港、シンガポール、ラオス、マカオ、モルディブで利用者が減少している。逆に利用者の伸び率が高かったのは、国内からはフェイスブックにアクセスができないはずの中国(9.1%)、ベトナム(7.0%)、アフガニスタン(5.4%)、韓国(4.4%)だった。

かつては飛ぶ鳥を落とす勢いだったFacebookも、ややマンネリ気味になってきているみたいですね。
登場してから長い月日が経っているために飽きられてきている、という側面も少なからずあるのでしょうけど。
Facebookは実名公開を基本方針としていますから、有名人や団体などでは使用勝手が良い反面、一般人の個人利用という点ではやや難がありますし。
かく言う私自身、FacebookはTwitterと連動させるという形で一応は使っていますが、それ以外の用途ではまるで使い道がなく、事実上機能していないも同然の状態だったりしますからねぇ(T_T)。
このマンネリ状態を、Facebookは一体どのように打開していくことになるのでしょうか?

ところで、もうひとつのSNSの雄であるTwitterの利用状況はどうなっているのでしょうかね?
こちらはユーザー数の増加率はともかく、利用頻度についてはそれほど下がっているようには思えないのですが。
元々、ひとりで複数アカウントを持つことが公式に認められているTwitterの場合は、ユーザー数よりもツイート数の方が物を言うわけですし。
まあTwitterでも、Twitter API認証問題検閲問題などでマイナス面での物議を醸したりもしているのですが。
こちらはこちらで、今後は一体どうなっていくことやら。

「スターウォーズ」既存シリーズ作品の3D映像化が延期

「スターウォーズ」シリーズのエピソード2と3の3D映画版公開が、事実上の無期限延期になったそうです。
表向きは「エピソード7の製作に専念するため」と発表されていますが、去年公開されたエピソード1の3D版の興行収入があまり芳しいものではなかったことも背景にあるとのことです↓

http://www.cinematoday.jp/page/N0049785
>  [シネマトゥデイ映画ニュース] 3D版『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』の公開を延期するとルーカスフィルムが発表した。これらは2010年9月に発表された『スター・ウォーズ』全6作を最新の3Dでよみがえらせるという企画の一部で、2013年秋に全米公開されることが決まっていた。
>
>  延期決定の理由は、新作『スター・ウォーズ:エピソードVII(原題) / Star Wars: Episode VII』に集中するためとのこと。ルーカスフィルムは「われわれは現在、ファンが満足できる作品にするために『エピソードVII』に100パーセントの力を注いでいます」との声明を発表している。
>
>  
『スター・ウォーズ』シリーズ3D化企画の第1弾『STAR WARS エピソードI/ファントム・メナス 3D』は昨年公開されたが、興行収入は全米で4,345万6,382ドル(約35億円)と振るわなかった。また、人気キャラクター「ヨーダ」をパペットからCGに差し替えるなどの改変が熱狂的ファンを激怒させていたこともあり、3D版を延期し、新作に打ち込むというのはベストな選択といえそうだ。(数字はBox Office Mojo調べ・1ドル80円計算)
>
>  
『スター・ウォーズ:エピソードVII(原題)』の監督には、「LOST」などで知られるJ・J・エイブラムスが決定。ディズニーがルーカスフィルムを買収した際には公開は2015年と発表されたが、エイブラムス監督の起用によって公開時期は流動的になったと報じられている。(編集部・市川遥)

この辺りはやはり、「既存作品を3D化しただけで劇場公開」という手法自体に無理があったと評さざるをえないところでしょう。
過去作品の復習なんてレンタルDVDでも充分間に合っているのに、わざわざ劇場に、それも3D料金増しなどという条件で映画館に足を運ぶ物好きなんて、この不況時にそうそういるわけもないわけで。
「スターウォーズ」シリーズにそれなりの固定ファンがいることを勘案しても、こんな「取らぬ狸の皮算用」的なことを一体誰が考えついたのやら。

「スターウォーズ」全シリーズに限らず、全く何の儲けにもならず誰も得をしない既存映画の3D改変版は、可能なことなら今後も一切劇場公開しないでもらいたいところですね。
アレが上映されるだけで、映画館の貴重なスクリーンのひとつが占有され、結果として新作映画がその分ワリを食らうことになるのですから。
ただでさえ大都市圏と比べて映画公開事情がお寒い地方では、スクリーンの減少は死活問題にもなりかねないのですし。
どうにもハリウッド映画業界では、3D映像が「金のなる木」であるかのごとく見られているような気配すらありますね。
そんなのは既に効力を失った幻想の類に過ぎないのですから、いいかげんそんな固定観念から目を覚ましてもらいたいところではあるのですが。

映画「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」感想

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映画「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」観に行ってきました。
カナダ人小説家のヤン・マーテル著「パイの物語」を原作とする冒険映画。
第85回アカデミー賞に11部門ノミネートを果たしている作品でもあります。
今作はあの忌まわしき3D映像が駆使された映画でもあったのですが、2D版も公開されていたので、スケジュール調整を行った末に、何とか3D版を回避することに成功しました(^^)。
映画料金節減の観点から言っても、無駄な労力を省きたいという視点から見ても、やはり可能な限り3D版は回避したいものですからねぇ(苦笑)。

今作は、映画の原作「パイの物語」の作者であるカナダ人作家ヤン・マーテル本人が、小説のネタを求め、インド人のパイ・パテルの元を訪れ、2人で会話を交わしているシーンから始まります。
このパイ・パテルが今作の主人公ということになるのですが、今作のストーリーは、パイ・パテルがヤン・マーテルに過去の自伝を語っていくという形式で進んでいくことになります。
パイ・パテルの語りは、そもそもの自分の名前の由来にまで遡ります。
パイ・パテルの本名はピシン・モリトール・パテルといい、これはパイと家族ぐるみで親交のあるママジという人物がよく通っていたフランス・パリのプールの名前から付けられたものなのだそうです。
しかし、彼が在住するインドでは、「ピシン」という単語に「尿」という意味が含まれているため、彼は名前が原因で幼少時からイジメを受けることとなります。
そのことに嫌気がさした彼は、11歳の頃、名前を現在のパイに改め、そのことを周囲に周知させるべく奔走することになります。
学校の授業毎に自分の名前の由来が円周率の「π(パイ)」であることを強調し、さらに円周率の数字を延々と黒板に書き綴っていく荒業まで見せたりしています。
そんな地道な努力が功を奏したのか、パイ・パデルの名は次第に周囲に認められていくのでした。

またパイ・パデルは、様々な宗教についても多大なまでの関心を持っていました。
元来信仰していた宗教のヒンドゥー教はもちろんのこと、キリスト教もイスラム教も一緒に信仰するという、ある意味節操のなさっぷりを発揮していたりします。
パイ・パデルの父親は「全ての宗教を信じることは、何も信じていないのと同じことだ」などとのたまっていましたが。
そんなある日、市から土地を借りて動物園を営んでいたパデル家は、市から援助を打ち切られ経営状態が悪化。
家の主であるパイ・パデルの父親は、動物をカナダに売り払い、新しい生活を始めることを決意し、結果、パデル家は動物達も含めた一家総出で日本船籍の船に乗り込むことになります。
パイ・パデルには当時、学校で知り合ったアナンディという恋人がいたのですが、結局彼女とは別れる羽目になり、彼は悲しみを抱いたまま、日本船籍の貨物船ツィムツァム号に乗り込むこととなります。
ところが、船が日本の南にあるマリアナ海溝へさしかかった時、巨大な嵐が船を襲います。
ちょうど深夜だったこともあり寝静まっていた船は、原因不明な理由でそのまま沈没してしまいます。
船の乗員乗客どころか動物達をも含めて生き残ったのは、人間のパイ・パデルと、同じ救命ボートに何かの偶然で乗り合わせていたシマウマ・オランウータン・ハイエナ、そしてベンガルドラの4匹のみ。
そしてここから、あしかけ227日間にも及ぶ、パイ・パデルの漂流生活が始まることとなるのです。

映画「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」は、人間だけでなく動物もまた、自身の生存のためならば他者を平気で殺す存在であるという、ごくごく当たり前の事実を再確認させてくれる作品ですね。
パイ・パデルを除く動物4匹のうち、シマウマは足の負傷に加えて飢えと乾きに苦しめられて早々に死亡。
するとハイエナが早々にシマウマの死骸を食べようと蠢動し始め、それに反応してオランウータンがキーキー喚き出すと、ハイエナはオランウータンを半殺しにしてしまいます。
そしてその直後、勝利の雄叫び?を上げたハイエナにベンガルトラが襲い掛かり、一瞬にしてハイエナの息の根を止めてしまったのでした。
こういう光景を見ると、よく環境保護団体辺りが主張する「動物は人間に比べれば理性のある知的な生き物なのです」などというスローガンも、完全に空しいものにしかなりえないですね。
今作を観ると、生物の中ではむしろ人間の方が知恵と理性がある分、他の動物よりもはるかに道徳的な存在なのかもしれない、という感慨すら抱きたくなってくるくらいです。
人間であるパイ・パデルなんて、自身の生命の危機すら招いている感すらあったベンガルトラを作中で何度も助けていましたし。
にもかかわらずベンガルトラは、飢えの苦しみからパイ・パデルを何度も襲撃してきましたし、ようやくメキシコの海岸に漂着して自由の身になった途端、パイ・パデルに目もくれずにさっさと森の中に消えてしまう始末。
アレだけ助け合ったのにと号泣していたパイ・パデルは少々お人良し過ぎる部類に入るのかもしれませんが、動物の無情ぶりをあれほど正面から突き付けられた描写というのはなかなか見れるものではなかったですね。
まあ、アレはあのベンガルトラ個体がそうだったというよりは、ベンガルトラがネコ科の動物で、かつ人にあまり懐かない部類の動物だったという事情もあるのかもしれませんが。

作中の映像は、さすがアカデミー賞にノミネートされるだけのことはあり、かなり綺麗かつ自然の美しさと脅威の双方を上手く表現するものではありましたね。
主人公が漂流しているという事実がなかったら、「ライフ -いのちをつなぐ物語-」辺りにでも普通に出てきてそうな自然風景が展開されていたりもしましたし。
ただ一方で、アレだけ嵐に遭遇する場面やトラとのにらみ合い等のシーンがありながら、アクション&SFX系映画で見られる爽快感をもたらす描写の類はまるでないので、その辺は余計な期待をしない方が良いかと。

全体的な構成としては、自然の雄大さと人間の無力さが前面に出ていて、かつ宗教的な要素が少なくないストーリーが展開されるので、観る人をかなり選びそうな作品ではありますね。
まあ、最終的に主人公は助かっているわけですし、自業自得的な結末で終わってしまった「パーフェスト・ストーム」などよりはまだマシな展開ではあるのですけど。

映画「ストロベリーナイト」感想

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映画「ストロベリーナイト」観に行ってきました。
フジテレビ系列で放映された同名テレビドラマシリーズの劇場版。
竹内結子が演じるノンキャリア出世組の女刑事・姫川玲子、および「姫川班」と呼ばれる部下達の活躍を描いた刑事物です。
今作は姫川玲子シリーズのひとつ「インビジブルレイン」という小説が原作なのだとか。
ちなみに私は、過去のテレビドラマシリーズは全く未観賞で今作に臨んでいます。
その視点から見る限りでは、一応テレビドラマ版とは独立したストーリー展開となっていて事件の背景などについては問題なく理解できます。
しかし一方では、主人公である姫川玲子を取り巻く人間関係や過去のエピソードなどについてはほとんど何もフォローされておらず、そちらについては非常に分かりにくい構成でしたね。
作品の世界観や登場人物達について知りたいのであれば、過去のテレビドラマの事前復習は必須ではないかと思われます。

物語は、主人公である姫川玲子のモノローグと、事件の発端と思しき光景が混在する形で描写されていくところから始まり、直後に姫川玲子と菊田和男がバーで飲んでいる?シーンが映し出されます。
菊田和男は、姫川玲子が長年愛用していてすっかりくたびれてしまっている真っ赤なエルメスのバッグについて「買い替えないのか?」と尋ねるのですが、その場では明確な答えが出されることなく、2人は殺人事件発生の報に接することとなります。
殺害現場における被疑者は、何故か左目が切り裂かれている暴力団構成員の男。
ここ最近、全く同じ手口による殺人事件が、それも全く同じ暴力団の人間相手に発生していることから、警察では連続殺人事件と断定し、合同特別捜査本部が設置されます。
しかし、捜査本部設置初めての会議で事件のあらましを説明する段階から、姫川玲子は早々に異議申し立てを行い、暴力団等の組織犯罪を主に扱う組対四課の面々といがみ合うこととなります。
とても「互いに協力して捜査を行う」などという雰囲気ではなく、組対四課は捜査一課とは別個に捜査を行うことを上に提案する始末。
結果、組対四課の提案が採用され、警察の各課は「合同」の名に反し、「情報を共有すること」を条件としつつも全く連携の取りようがない捜査を行うこととなったのでした。

いきなり不穏な気配が漂いまくり、先行き不安な局面から始まった捜査でしたが、会議の終了後、誰もいなくなった会議室に一本の電話が鳴り響きます。
唯一その部屋にいた姫川令子が電話を取ると、コンピュータ音声を繋ぎ合わせたと思しき不審な声が「殺人事件の犯人は柳井健斗」などとしゃべったのでした。
電話は一方的に言葉を伝えた後、何も尋ねることなく一方的に切られてしまいます。
電話の内容をメモっていた姫川玲子は、体調不良だか何かで現在入院している自分の上司で係長の今泉春男の元を訪れ、電話の件を報告します。
ところが今泉春男は、「この件は一旦自分に預けておいてくれ」と不可解な言動を見せます。
さらに翌日、姫川玲子は橋爪俊介から「誰にも見られないよう早朝に公園に来い」命じられ、柳井健斗については一切触れるなと言われてしまいます。
当然のごとく不審を抱かざるをえなかった姫川玲子は、裏にヤバいものがあることを察し、命令に従わず単独での捜査を始めることとなるのですが……。

映画「ストロベリーナイト」最大の特徴は、物語のほぼ全編を通して雨のシーンばかり続くことですね。
物語全体でも数日の時間が経過しているはずなのですが、その大部分で雨または曇り空の天気が続いていました。
雲ひとつない晴れ上がった空が出てくるのは、物語のラストシーンのみです。
映画の原作および副題が「インビジブル『レイン』」なので、意図的に雨を意識した場面作りに精を出していたといったところでしょうか。
柳井健斗のアパートを姫川玲子がひとりで張り込みを行っていたシーンなどは、最低半日~1日程度の時間経過があるような感じだったにもかかわらず、その間ずっとクルマのワイパーを常時回していなければならないほどの雨が続いていたみたいですし。
アレだけ長時間にわたってそんな大雨が降り続いていたら、大雨洪水警報が発令して川が氾濫したり道路の浸水が発生したりで、交通網が大混乱に陥っていてもおかしくないのではないかと、ついついいらざる心配をしてしまったものでした(^^;;)。
もっとも、作中で描写されていない時間帯で、一時的に雨が止んだり小雨になったりしていた可能性はあるわけですし、高台などではそんな雨でも意外と普段とあまり変わらなかったりするものなのですが。

作中のストーリーを見てみると、主人公である姫川玲子の行動にはかなり不可解な要素が否めなかったですね。
彼女は「上司の命令に従順ではない反権力的・真実追及を第一とする思考をする女性」として描かれており、犯人追求に人一倍の情熱を燃やしています。
ここまでならばこの手の刑事物にはありがちな設定なのですが、作中における姫川玲子は、不審な電話で言われていた柳井健斗のことを調べる過程で、指定暴力団・竜崎組の若頭である牧田勲と接触するようになります。
最初は牧田勲が自身の身分を偽っていたこともあり「事件の参考人」程度の接し方だったのですが、竜崎組絡みの暴力沙汰に巻き込まれたことがきっかけとなって、姫川玲子は牧田勲の正体に気付くことになります。
そこまでは良かったのですが、彼女は牧田勲を犯人と見立てて素性を調べ真相を暴くべく迫った際、逆に自分の本質を相手に見抜かれた挙句、「お前が憎む相手を俺が殺してやろうか?」という相手からの申し出に対し「殺して」と同意の返答をしてしまうんですよね。
さらにその直後、2人は互いに抱擁しそのままカーセックスへとしけこむありさま。
あの時点における牧田勲は、姫川玲子にとってはどう控えめに見ても事件の重要参考人、場合によっては真犯人の可能性すら持ちえる存在であることを、彼女は当然のごとく知っていたはずなのに、それを承知でああいう展開になるというのが正直理解に苦しむところなんですよね。
暴力団関係者、それも事件の容疑者にもなりえる存在とそんな関係になることが、自分にとっても警察にとってもどれほどまでに致命的なスキャンダルたりえるのか、一般常識があれば誰でも普通に理解できそうなことでしかないではありませんか。
警察内部でも、姫川玲子と牧田勲の関係が噂され、姫川班の面々が公衆の面前で堂々と糾弾されていた描写すらあったのですし、部下の菊田和男などは、2人がカーセックスにしけこむ場面に居合わせてさえいました。
このシーンの後、姫川玲子は度重なる単独行動と命令違反が問題視され、事件の捜査から外れることとなってしまうのですが、警察内部でのスキャンダルな噂話の方が、実際にはもっと大きな問題だったのではないのかと。
菊田和男も、よくもまあ姫川玲子のカーセックス問題を追及しなかったものだと、逆の意味で感心せざるをえなかったですね(苦笑)。
牧田勲とカーセックスをやらかした時点で、彼女は犯罪捜査にある種の「私情」を持ち込んでいることになるわけですし、警察の人間として完全に失格であるとすら言えてしまうのではないのでしょうか?
物語後半で菊田和男から「あなたは警察として行動しているのですか?」と問いかけられたのに対する返答も、明らかに私情で動いていることを告白しているも同然のシロモノでしかなかったですし。
映画観賞後にWikipediaで調べてみたところ、姫川玲子には17歳の頃にレイプされた過去があるらしいのですが、だからと言ってそれが彼女の「私情」な言動の免罪符になるわけもないのですし、彼女は警察という職種にはあまり向いていない人間であると評さざるをえないですね。
いっそ、カーセックスで結ばれた牧田勲と共に、極道の世界で成り上がっていった方が、彼女の適性的に見てもはるかに良かったのではないのかと(苦笑)。

ミステリー系なストーリーとしては意外な真相で面白かった部分もあったのですが、姫川玲子のカーセックスの一件から、どうにも彼女の言動にはついていけないものがありましたね。
しかも結果的に見れば、彼女は結局自力では事件の真相に辿り着けておらず、真犯人の一種の「自爆」によって幕が下りたようなものでしたし。
この点から言っても、姫川玲子の「有能さ」よりも「常識外れの異常ぶり」の方がはるかに際立った作品であると言えますね。

オリジナルな展開を本格的に始動させたコミック版の薬師寺シリーズ

垣野内成美が連載しているコミック版の薬師寺シリーズで、完全なオリジナルストーリーを元にした巻が出版されています。
月刊連載に対する田中芳樹の桁外れな遅筆ぶりに、連載側がついに見切りをつけざるをえなくなった形ですね↓

http://a-hiro.cocolog-nifty.com/diary/2013/01/post-dcf9.html
>  田中さんの『薬師寺涼子の怪奇事件簿』を原作に、垣野内成美さんがコミックを描いてくださっております。
>  田中さんも、毎月、雑誌「アフタヌーン」が届くたび、垣野内さんの筆により活き活きと活躍する涼子の姿を楽しみに読んでおります。
>  で。
>  垣野内さんのコミック版は月刊連載。田中さんの原作は、不定期…と言えば聞こえは良いのですが、いささか停滞気味。
>  
ついにコミック版が追いついてしまいました。
>  そこで、「アフタヌーン」編集部の担当N氏が考えたのがコミック版オリジナル・ストーリー。
>  
もともと田中作品を愛読してくださっていた脚本家の植竹須美男氏の手によってストーリーが作られ、これを垣野内さんがコミックに仕立てて下さいました。
>  私はストーリーの段階からチェックさせていただいたのですが、さすが植竹さん。しっかり「お涼」の世界になっておりました。もちろん、
田中さん本人もすっかりお気に召したようで「これはいいなあ。これから先も原作がなくても大丈夫だ」などと口走り、担当さんに白い目で見られておりました(笑)。

いや、冗談抜きで原作者の存在意義は皆無なのですし、もう原作者はいらないのではないかと結構本気で思えてならないのですが(笑)。
田中芳樹が原作を書いたところで、原作の品質はひたすらに下がる一方でしかないのですから(爆)。
まあ、講談社その他出版社の担当者にしてみれば、そんなことをされたら自社の売上や自分の評価などに響くわけですから必死にならざるをえないのでしょうけど。
加えて、現在執筆中のタイタニア4巻に、次に執筆予定のアルスラーン戦記14巻が控えている事情を鑑みると、次の薬師寺シリーズの新刊が出るまでには、早くても3年以上はかかることになるでしょうし。
連載を完全に打ち切るか、田中芳樹を完全に除外した連載継続の体制を本格的に構築するかしないと、これ以上のコミック版の連載は出版社の視点から見ても不安定要素が大きすぎるでしょう。
今回のオリジナルストーリー作成だって、今後も永続的に続いていくという保証はどこにもないわけなのですから。
というか、オリジナルストーリーの方が原作よりも人気になった場合、原作者の面目は丸潰れもいいところなのではないですかねぇ(苦笑)。
かつてのシェアードワールド作品と異なり、薬師寺シリーズは原作の品質が悪すぎるのですから、そういう事態も充分にありえるわけですし。
コミック版の薬師寺シリーズの今後については、連載継続にせよ打ち切りにせよ、田中芳樹界隈にとっては何とも笑える喜劇的な展開が待っているような気がしてなりませんね(^_^;;)。
もちろん、自業自得な田中芳樹はともかく、原作者の職務怠慢に振り回される周囲の人間にとっては、何とも気の毒な話ではあるのですが。

アルジェリアの人質拘束事件における犠牲者の実名報道問題

アルジェリアの人質拘束事件で、遺族への取材で非公開を約束したはずの朝日新聞が約束を反故にして被害者の実名報道を行った問題が議論を呼んでいます↓

http://megalodon.jp/2013-0125-0103-42/www.rbbtoday.com/article/2013/01/23/101659.html
>  アルジェリア人質拘束事件について、犠牲者の実名を非公表とした日本政府に対し、朝日新聞が22日朝刊で実名報道を開始。メディア各社が追随したことに対し、論議を呼んでいる。
>
>  21日深夜、日本政府は同事件で日本人犠牲者がいたことを確認し、公表した。その会見の際に菅官房長官は、会社(日揮)、
ご遺族と相談の上、実名は公表しないことに決めたと、犠牲者の実名を明かさないことを表明した。
>
>  しかし翌22日、
朝日新聞は朝刊に犠牲者の実名と写真を公表。これを受けてテレビ、新聞各社も追随、実名が広く報道されることになった。
>
>  Twitterなどでは22日午前からこの実名報道に関するツイートが増加。トレンドにも「実名」が載ったほどで、そのほとんどは実名報道を非難するものだった。午後になり各社が追随し、記者やマスコミ関係者と思われる人からの「それが何よりの弔いになる」「事件を公的なものとして歴史に刻むため」といった論拠がツイートされたが、多くの反論が寄せられたようだ。
>
>  犠牲者の甥という本白水智也氏は23日になり、Twitterで
「朝日新聞の記者は2つ約束をしておりました。『実名は公表しない』『本白水さんの許可がなければ絶対に記事にしない』。この2つの約束を破りました」と朝日新聞記者とのやりとりの一部を公表。1000件を超えるリツイートがなされている。
>
>  本白水氏は、このほかにも
叔父の家庭近辺で過剰な取材があったことなどを明かし、「今回の約束を破って実名報道した朝日新聞には抗議文を書きまして、今回の実名報道されるまでのやりとりについての取材を受けます」と言明。実名報道に端を発した取材のあり方を今後も追及していくとしている。
>
>  新聞記者になると、まず初めにやらされるのが事件の際の被害者(場合によっては加害者)の写真集め。写真がないと叱られるといったこともある。こういった体質が実名報道を“是”とする傾向とつながっていないか。この実名報道、まだまだ論議を呼びそうだ。

今回の場合、何よりも問題なのは「政府が非公開と決めたことをマスコミが公開した」ことではなく、「取材対象が『非公開』を条件に応じた取材内容を無断で公開した」という点に尽きます。
政府主導による報道規制とは全く別の話となってしまうわけですから。
取材対象を詐欺同然に騙して取材を敢行し、その成果を本人の同意なしに無断公開するなどという行為が「テロの犠牲者への弔い」だの「権力に対する正当な監視行為」などと開き直れるとは、朝日新聞もどこまで堕ちているのやら。
まあ戦前から日本をミスリードし続けてきた、虚報と捏造の煽情報道を得意技とするアサヒる新聞にとって、取材対象との約束事など、最初から破り捨てるために存在するシロモノでしかないのでしょうけどね(苦笑)。

非公開を条件に取材をしているにもかかわらず、約束事を平気で破り捨てるアサヒる新聞は、言論統制を国是とする中国のような国であればともかく、民主主義国家における報道機関としては全く論外なシロモノでしかありません。
朝日をはじめとする日本の大手マスコミが主張する言論の自由というのは、「剣はペンより強い」とか「他者の圧力に屈することなく真実を報じる」などという崇高な概念などではなく、「報道で他人を傷つけ情報を操作し恣意的・捏造・虚報を垂れ流して責任を問われない自由」のことでしかないのでしょうが。
しかし、ここまで取材対象の意思を尊重どころか蹂躙すらする行為については、さすがに何らかの法的な対処が必要なのではないかとつくづく考えずにはいられないところですね。
言論の自由の概念を履き違えて好き勝手に振る舞いまくるアサヒる新聞をこれ以上放置していては、さらなる捏造と虚報と詐欺のテクニックを駆使した報道で、日本の国益どころか国民のプライバシーが蹂躙されることにもなりかねないでしょう。
アサヒる新聞が社是として敵視している安倍政権にとっても、今回のアサヒるの失態はアサヒるの息の根を止める好機にもなりえるのですし。
戦前から延々と続くこの「アサヒるの呪い」を、いいかげん断ち切るべき時期に来ているのではないのかと。

映画「東京家族」感想

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映画「東京家族」観に行ってきました。
「男はつらいよ」シリーズなどで知られる、山田洋次監督が手掛けた81作目の映画作品となるファミリー・ドラマです。

2012年の5月。
東京の郊外にある診療所・平山医院を営んでいる平山家では、瀬戸内海にある島のひとつ・広島県の大崎上島からはるばる新幹線で上京してくる予定の一組の老夫婦を迎えるべく、準備が進められていました。
老夫婦の長男で家主の平山幸一に代わり、料理を用意したり、2人の子供達に文句を言われながらも老夫婦の宿泊部屋を確保したりと、奥さんである平山文子は大忙し。
久々に両親に会えるということで、同じく東京郊外で理髪店を営んでいる長女・平山滋子も平山医院を訪れ、迎えに行った次男・平山昌次と共に帰ってくるであろう老夫婦との再会を待ちわびていました。
ところが何か手違いがあったのか、平山昌次は迎えに行くべき駅を間違え、本来老夫婦が降車する予定の品川駅ではなく、東京駅で待機していることが判明。
駅の間違いを指摘された平山昌次は、すぐさまイタリア製のオンボロ車・フィアットを駆使して東京駅へと向かいます。
しかし、品川駅で平山昌次を待ち続けていた老夫婦の夫である平山周吉は、これ以上待たされることに我慢が出来ず、妻の平山とみこを連れてタクシーで平山医院へと向かうことになります。
結局、タクシー代に1万円以上もかけたらしい老夫婦は、2人だけで平山医院へ到着することになります。
自分達にとっては孫に当たる、長男の子供達と挨拶を交わす平山周吉&とみこの老夫婦。
そうこうしているうちに、結果的には何の目的を果たすこともできなかった平山昌次も平山医院に到着。
久しぶりに家族一同が揃った平山家では、ささやかな歓迎の夕食会が行われることになったのでした。

翌日。
老夫婦を泊めていた平山家の長男は、自分の子供と一緒に老夫婦を東京観光へ連れて行く計画を立てていました。
ところが今まさに出かけようとしたその時、かねてより平山医院へ掛かっていた患者の容態が悪化したとの連絡が入り、長男はそのまま往診へ行くことを決断します。
当然、東京観光は取り止めとなってしまいました。
予定が立ち消えとなってしまった平山とみこは、父親と一緒に出掛けることを期待していた次男の勇と一緒に公園へ散策に出かけることに。
まだ9歳でしかない勇はすっかり人生を諦めてしまっており、平山とみこはその様子に溜息をつきながらも父親を引き合いに出して諭し続けるのでした。
その後、老夫婦は今度は長女の平山滋子の家で世話になるのですが、こちらは常日頃から理髪店の仕事が忙しくて老夫婦にかまっている余裕がなく、また天候にも恵まれなかったことから、2人は狭い家でただ佇んでいるありさま。
平山滋子は苦慮の末、次男の平山昌次に両親を連れて東京観光へ連れて行くよう依頼します。
平山昌次は、とりあえず東京観光用の遊覧バスに2人を乗せはしたものの、自分はバスの中で居眠りをこいて過ごすというやる気の無さを披露していました。
元々平山昌次は、何かと自分に厳しく当たってくる父親に隔意を持っており、老夫婦の子供である3人の中では一番父親を歓迎していなかったのでした。
そんな中、仕事の都合から両親の面倒を見ることが難しい長女・平山滋子は、同じ境遇にあった長男・平山幸一と相談して、2人を東京都内の高級ホテルに宿泊させることを思いつきます。
かくして2人の老夫婦は、一泊10万円近くもするらしい高級ホテルに宿泊することとなるのですが……。

映画「東京家族」に登場する家族および登場人物達は皆、どこにでも普通にいるような存在ですね。
特殊技能を駆使するスパイやヒーローというわけではなく、辣腕をふるう政治家や悪党というわけでもありません。
ストーリー自体も、手に汗握るスリリングな展開があるというわけでもなく、一応大きな事件は起きるものの、全体的にはそれすらも含めて淡々とした展開が続いていきます。
PG-12&R-15系な描写は何もないにもかかわらず、内容的には議論の余地なく大人向けの作品以外の何物でもないですね。
今作のストーリーは、平山周吉と平山昌次を中心に回っており、実質的にはこの2人が主人公ということになるでしょうか。

今回個人的に注目していたのは、やはり何と言っても平山周吉の平山昌次を巡るやり取りですね。
長男と長女は、父親に対して敬意は払いつつもどこか一歩距離を置いていたような態度に終始していたのに対し、次男は結構本気で父親を毛嫌いしているところがありましたし。
まあ、作中でも明示されていたあの父親の頑固一徹な態度に幼少時から晒され続けていれば、そうなるのも当然ではあったかもしれませんが。
あの父親は、今で言うならば「毒を持つ親(毒親)」に近いものが、平山昌次にとってはあったわけですからね。
あの2人の関係は、ストーリー中盤までは母親の平山とみこが、終盤30分ほどは恋人である間宮紀子が間に入ることで何とか成立していたようなものでしたし。
平山周吉も、次男のことを全く愛していなかったわけではないのでしょうが、父親のあの性格と息子の反感具合から考えると、あの2人だけでは永遠に和解する日など決してくることはなかったでしょうね。
ただ、母親の葬儀後、父親の世話や話し相手を全て恋人に押し付けていた平山昌次の対応は、さすがに正直どうかと思わなくはなかったのですが(苦笑)。
平山昌次の主観的には当然の選択肢であったにしても、厄介事を押し付けられた間宮紀子にしてみれば、「何故私が全く赤の他人の世話などをしなければならないのか?」と疑問に思わない方が不思議な話なのですから。
間宮紀子も、よくもまあアレだけのことを後悔しつつもやってのけたものだと、第三者的に見てさえも考えずにいられなかったですからねぇ。
まあ、そのことを当の父親本人に堂々と言ってのけた辺りは、彼女も相当なまでの「正直者」ではあったでしょうけど。

今作は2011年3月11日に発生した東日本大震災およびその影響をある程度意識して製作されたと聞いていたのですが、作中でそれが反映されていたのはたった2箇所程度でしかなかったですね。
ひとつは、平山周吉の友人宅で、家政婦さん?らしき女性の母親が東日本大震災で発生した津波の犠牲になったというエピソード。
もうひとつは、平山昌次と間宮紀子の出会いが、東日本大震災のボランティア活動がきっかけであったということ。
震災話はもう少し前面に出てくるものとばかり考えていただけに、「たったこれだけ?」という印象を抱かずにはいられなかったですね。
まあ、この映画が最初に企画されたのは東日本大震災発生前で、震災発生をきっかけに撮影を延期したとのことだったので、震災エピソードを大量に挿入する余裕もあまりなかったのでしょうけど。

アクション映画やVFX作品のごとき派手な演出も、ミステリー的な頭脳戦も皆無な作品なので、観る人をかなり選びそうな作品ではあります。
どこか響く物語であることは確かなのですが……。

自転車事故を悪玉扱いする警察が駆使する「数字のトリック」の実態

東京地検が、悪質な信号無視を繰り返す自転車の運転者を、従来の原則不起訴から略式起訴する方針に改めることを明らかにしました。
何でも、自転車による事故の「割合」が増えたことが理由なのだそうで↓

http://megalodon.jp/2013-0122-2237-49/sankei.jp.msn.com/affairs/news/130121/crm13012122280023-n1.htm
>  悪質な信号無視を繰り返す自転車の運転者について、東京地検は21日、これまで原則不起訴としてきた方針を改め、道交法違反(信号無視)罪で略式起訴する方針を明らかにした。都内で自転車が関係した事故の割合が高まっており、悪質な運転に厳しい姿勢で臨むことが必要と判断した。こうした運用は全国の検察で初めてという。
>
>  地検によると、略式起訴の対象となるのは、2人乗りや携帯電話を使用しながらなど安全への配慮を欠いた運転をしたうえで、さらに信号を無視し、事故を引き起こしそうになったケース。2回以上繰り返した場合、原則略式起訴する。略式起訴されれば、5万円以下の罰金刑が科される。
>
>  自転車の運転者には自動車と違って、刑事手続きを免除する反則金制度が存在しない。略式命令を受けると前科となるため、検察は同じ信号無視で自転車の運転手にだけ前科がつくのは不公平との考えから、すべて起訴猶予などの不起訴処分にしてきた。
>
>  事故を引き起こした場合は従来通り、より重い業務上過失致死傷罪などが適用される。
>
>  警視庁によると、
都内の交通事故のうち自転車が関係した割合は、平成19年の34・8%から24年には36・2%と上昇。信号無視の自転車が事故を引き起こした割合も同期間で8・0%から9・6%に増えている。

自転車事故にまつわるこの手の数字を見る度に、「数字のトリック」という言葉をついつい連想せずにはいられないですね。
警察が「自転車事故が増えている」と主張する時、その根拠として使われる数字は「事故全体の割合」であって「実数」ではありません。
「実数」で言えば、自転車事故による死亡者数は、警察の主張とは反対にむしろ減少傾向にすらあるのです。
総務省の公式サイトにある交通事故の各種統計表によると、ここ10年における自転車乗用中における死亡者数は以下のようになっています↓

自転車乗用中における死亡者数
平成14年(2002年) …… 919人
平成15年(2003年) …… 858人
平成16年(2004年) …… 772人
平成17年(2005年) …… 765人
平成18年(2006年) …… 720人
平成19年(2007年) …… 678人
平成20年(2008年) …… 639人
平成21年(2009年) …… 632人
平成22年(2010年) …… 586人
平成23年(2011年) …… 561人
平成24年(2012年) …… 512人

10年前と比較しても自転車事故による死亡者数が減っていることが、これで一目瞭然でしょう。
それに対し、交通事故全体の年間死亡者数は以下の通り↓

交通事故全体の年間死亡者数
平成14年(2002年) …… 7,498人
平成15年(2003年) …… 6,903人
平成16年(2004年) …… 6,594人
平成17年(2005年) …… 6,200人
平成18年(2006年) …… 5,704人
平成19年(2007年) …… 5,174人
平成20年(2008年) …… 4,590人
平成21年(2009年) …… 4,378人
平成22年(2010年) …… 4,288人
平成23年(2011年) …… 4,131人
平成24年(2012年) …… 3,908人

自転車事故も含めた交通事故による死亡者数そのものが減少傾向にあるという、なかなかに喜ばしい調査結果が叩き出されています。
そして、交通事故全体の年間死亡者数に対する自転車乗用中における死亡者数の「割合」を計算すると、以下のような数字が弾き出されるわけです↓

交通事故死者数全体に対する自転車事故死亡者数の割合
平成14年(2002年) …… 12.3%
平成15年(2003年) …… 12.4%
平成16年(2004年) …… 11.7%
平成17年(2005年) …… 12.3%
平成18年(2006年) …… 12.6%
平成19年(2007年) …… 13.1%
平成20年(2008年) …… 13.9%
平成21年(2009年) …… 14.4%
平成22年(2010年) …… 13.7%
平成23年(2011年) …… 13.6%
平成24年(2012年) …… 13.1%

そう、自転車事故の死亡者数以上に交通事故全体の死亡者数が減っているために、割合的には自転車事故が却って増えている「ように見える」、という「数字のトリック」がこれで成立するわけです。
こんな「数字のトリック」を利用して自転車を悪玉扱いする昨今の警察やマスコミの報道には、つくづく疑問符をつけずにはいられないですね。

※今回参考にした統計資料
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?lid=000001104745

自転車事故ほど、警察から悪玉扱いされ「数字のトリック」が盛んに活用されている事例もそうはないでしょうね。
「割合」ではなく「実数」の上では、自動車事故も自転車事故もそれに伴う死亡者数も全て減少の一途を辿っているというのに、ちょっと数字をいじるだけで真逆に見せかけた結果を提示することができるわけです。
警察にしてみれば、交通事故の件数も検挙者数も激減の一途を辿っているので、仕事がなくなることに対する危機感と新たな利権確保の観点から、自転車事故を殊更大々的にクローズアップしている一面もあるのかもしれませんが、自転車利用者の一般庶民にしてみれば何とも傍迷惑な話でしかありません。
警察は以前にも、「自転車は歩道ではなく車道を走るべし」などという、地方の道路事情を完全に無視した上に却って事故を増やしかねない本末転倒の方針を実施しようとすらしていた前科があるわけですし。
自転車事故対策それ自体は結構なことなのですが、自動車による事故の方が自転車のそれよりも数も多ければ質も悪いことを無視した誇大広告的な自転車悪玉論は、事故撲滅とは全く別の意図を勘ぐられても仕方がありますまい。
こういった実態を無視した統計や方針って、交通事情を却って悪化させるだけでしかないのではないかと思えてならないのですが。

レオナルド・ディカプリオが俳優を長期休業?

レオナルド・ディカプリオが俳優業の長期休暇を取る方針とのことです。
2年間で3本もの映画に出演したために疲れ果てたというのが理由とのこと↓

http://www.cinematoday.jp/page/N0049521
>  [シネマトゥデイ映画ニュース] 強烈な映画の撮影が3作続いたレオナルド・ディカプリオは、俳優業に疲れ果ててしまったため、しばらくはハリウッドから遠ざかるつもりのようだ。
>
>  レオは映画『ジャンゴ 繋がれざる者』の前に、バズ・ラーマン監督の映画『華麗なるギャツビー』とマーティン・スコセッシ監督の映画『ザ・ウルフ・オブ・ウォールストリート(原題) / The Wolf of Wall Street』に出演。
「正直、くたくただよ。長い長い休暇を取ることにした。2年間で3本の映画を撮影したから疲れ果てたよ」とドイツのBild紙に語っている。
>
>  休暇中は環境保護に力を入れるつもりだという。「世界をもう少し改善させたいんだ。世界中を飛び回り、環境を良くすることに手を貸したい。僕の家の屋根はソーラーパネルで覆われている。車は電気自動車だ。普通の人は一日に50キロ以上は走らないだろ。それなら電気自動車で十分だ」とコメントしている。
>
>  レオのリラックス方法は、根っからのバカのような態度を取ることだという。「撮影現場では真剣に演技だけに集中する。だから友達と一緒に騒ぐときは、意味のないことを話し、根っからのバカのような振る舞いをして楽しむんだ。友達とバカ騒ぎするのは僕にとってのセラピーみたいなもの」と言っている。
>
>  しかし、忙しいスケジュールのせいで、そんな友達らと自宅で過ごすことができていないとのこと。「友達を家に呼ぶのは大好きなんだけど、1年半ほどまともに自宅に帰ってないから、最後に家で集まったのがいつかも覚えていない。自宅に帰るのが楽しみだよ」と語っている。(BANG Media International)

環境保護に手を貸すこと自体は結構なことなのですが、グリーンピースやシーシェパードなどには協力しないでもらいたいところですね(^^;;)。
アレ系の団体も、欧米ではそれなりの地盤や人気があるので、その危険性もなきにしもあらずですし。
もちろん、個人で真っ当な活動をする分には大いに推奨されて然るべきことではあるのですが。
しかしまあ、「長い長い休暇」って一体どのくらいの期間にわたるのでしょうかね?
普通に考えて、半年~1年くらいといったところなのでしょうか?
個人的には、できるだけ早く復帰して頂き、「インセプション」のような映画で活躍してもらいたいところなのですけどね。

最近のディカプリオはとにかく「裏稼業に手を染めた犯罪者ないしボス」的な役柄を担うことが多いのですが、出演自体を後悔しているという「タイタニック」の時と異なり、今は自分が目指していたものや、自分のイメージと合致する役柄などをきちんとこなせているのでしょうね。
日本では2013年3月1日に公開予定の映画「ジャンゴ 繋がれざる者」では、ディカプリオは初めて悪役を演じることになるらしいですし。
悪役が大物俳優の場合、元来メインであるはずの主人公を食ってしまうほどの存在感が出てしまう危険性もあったりするので、その辺はいささか心配なところではあります。
「ジャンゴ 繋がれざる者」はアメリカではかなりの成功を収めているとのことですから、出来自体は大丈夫だろうとは思うのですけどね。

実は田中芳樹はマイナー映画の愛好家だった?

http://twitter.com/adachi_hiro/status/292834969280192512
田中芳樹さんがマイナー映画が好きって言う話。同じような感覚を持つ人たちを集めて、それぞれが自分の推薦する映画のビデオを持ち寄って鑑賞する会を開いたら面白そう、と思ったけど、立ちあわされるのは私だと気付いて辞めた。>

田中芳樹って、実は映画そのものが嫌いなのではないかとすら私は考えていたくらいなのですけどね。
何しろ、過去にはこんなタワゴトをくっちゃべっていた経緯もあるわけで↓

イギリス病のすすめ・文庫版 P185
<田中:
 政権交代があることを当然と思ってるところと、現実にないところではね、意識が全然違う。
ぼくは映画の「インディペンデンス・デイ」に見られるようなアメリカ人のセンスをなにかと言うと笑い話のネタにしてるけども……。(笑)
土屋:
 うん、ぼくもそうだから。(笑)>

アメリカの1映画、それも全体的な傾向を代表しているわけでもない作品を論って「アメリカ人のセンス」なるものを嘲笑っている人間のどこに、映画に対する理解や愛情などといったものが存在するのかと、何度も私は考えざるをえなかったくらいなのですが。
ディズニー映画についても、「既存作品の借り物」「独創性がない」などと散々な評価を叩きつけまくっていましたし。
田中芳樹は映画というものが大嫌いで、極端なことを言えば「映画のポスターを見ただけで映画批評をやっている」レベルの人間であろうとすら、私は偏見混じりに見做していたくらいだったのですけどね(苦笑)。
田中芳樹の映画評というのは、映画を観賞する手間すら惜しむ人間が、巷に溢れる俗説的な映画レビューをコピー改変しながら適当に殴り書きしたようなシロモノでしかなかったのですから(爆)。
そんな田中芳樹が実はマイナー映画の愛好家だったとは、逆の意味で驚きですね。
一体どんな映画が好みだったのやら。

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