映画「草原の椅子」観に行ってきました。
芥川賞作家の宮本輝による同名作品を原作し、日本映画では初めてパキスタン・イスラム共和国の北西部に位置するフンザでの映画撮影を実現させた、佐藤浩市主演の人間ドラマ作品です。
物語の冒頭は、明らかに外国と思しき風景が映し出され、その中で4人の日本人が集まって和やかに談笑している場面から始まります。
4人の日本人の構成は、男性2人に女性1人、そして子供がひとり。
彼らは地元のものとおぼしきマイクロバスに乗り、どこかへと向かっていくのでした。
ここで時系列は過去に戻り、4人が冒頭のようになった経緯が、4人の中のひとりで今作の主人公でもある遠間憲太郎の視点から語られていきます。
彼は、とある大手企業の中間管理職的な地位にあるサラリーマンで離婚歴があり、現在は大学に通っている娘の遠間弥生との2人暮らしをしています。
会社ではそれなりに人望もあるらしい遠間憲太郎は、部下達の悩みや相談にもしばしば丁寧に応じる人格の持ち主でもありました。
そんなある日、遠間憲太郎は、勤めている会社の取引先企業「カメラのトガシ」の社長である富樫重蔵からの電話を受けることになります。
何でも富樫重蔵は、激昂した不倫相手から灯油をぶっかけられてしまい、その強烈な臭気のためにタクシーの乗車を完全に拒否されてしまっている状態にあるのだとか。
遠間憲太郎はすぐさま、自家用車で富樫重蔵を迎えに行き、風呂に入れて新しい服を与え、さらには不倫相手と示談させるべく弁護士の紹介まで取り計らってやったのでした。
これに恩義を感じた富樫重蔵は、遠間憲太郎に対して「敬語や肩書は一切なしで語り合う親友になって欲しい」と申し出、遠間憲太郎は戸惑いながらもこれを受け入れます。
その後2人は、年齢が同じということもあってか、しばしば飲み屋で互いに悩みを打ち明け、忌憚なき会話を交わすことができる関係に昇華していくことになります。
また遠間憲太郎は、会社の過重労働が原因で居眠り運転を行い事故を起こしてしまい、病院で入院生活を送っている部下を見舞いに訪れていました。
部下は過酷な労働環境に自分を置いた会社を訴えると遠間憲太郎に告げており、遠間憲太郎は部下を何とかなだめすかしてその場を収めることになります。
部下を見舞った病院からの帰り道、雨が降る中タクシーで移動していた遠間憲太郎は、その途上で雨宿りをしている、ひとりの着物姿の女性を目撃します。
その女性が雨の中を走って一軒の骨董屋へ入っていくのを確認すると、彼女のことが妙に気になったのか、遠間憲太郎はタクシーを停車させ、後を追うようにその骨董屋へと入っていくのでした。
その女性・篠原貴志子は骨董屋を営んでおり、遠間憲太郎は彼女のためにわざわざ10万円もする骨董の皿を購入したりするのでした。
その後、遠間憲太郎は、骨董について独学で学びつつ、篠原貴志子の骨董屋にしばしば足を運ぶようになっていきます。
そしてまた別の日。
バス停でバスに乗ろうとしていた遠間憲太郎は、すぐ近くで自分の娘である遠間弥生が見知らぬ中年男の車に乗り込む光景を目撃します。
タクシーでその後を尾けた遠間憲太郎は、その中年男が住んでいるとおぼしきアパートのベランダで、遠間弥生が洗濯物を干している様子を見出すことになるのでした。
娘がいかがわしい男と、それも下手すれば援助交際や不倫の疑いすらもある付き合いをしているのではないかという疑問に駆られた遠間憲太郎は、その日娘が家に帰って来るとすぐさま中年男の件について問い質します。
奇しくもその時、遠間弥生は問題の中年男とその子供を家まで連れてきており、あわや一触即発の事態になりかけました。
しかし遠間弥生は、別に中年男とその手の関係にあるわけではなかったのです。
彼女は、同じバイト先で働いていた中年男の子供に懐かれており、子供の面倒を見るために中年男の家に出入りしていたとのこと。
そして中年男こと喜多川秋春と遠間弥生は、子供の喜多川圭輔を一時的に遠間家で世話をすることはできないかと遠間憲太郎に持ちかけてくるのでした。
喜多川圭輔の母親は、2年にわたって育児放棄と虐待を繰り返した挙句に男を作って家を出て行ってしまっており、また父親も一時的に遠出をしなければならない仕事ができたため、子供の面倒を見ることができなくなったのだそうで。
中年男の得手勝手な態度に怒りを覚えながらも、遠間憲太郎はしぶしぶその申し出を承諾し、喜多川圭輔の面倒を見ることになります。
母親の育児放棄と虐待から、精神的に深刻な外傷を被っている気配すらある喜多川圭輔を相手に、遠間憲太郎は様々な試行錯誤を繰り返していくことになります。
これら3つの出会いがやがてひとつの流れを生み、やがてそれは遠間憲太郎とその周囲の人間に少なからぬ転機をもたらすこととなっていくのですが……。
映画「草原の椅子」に登場する主要人物達は、全員が何らかの形で心に傷を抱え込んでいます。
バツイチかつ浮気の経歴を持つ主人公の遠間憲太郎。
会社経営で少なからぬトラブルを抱え、リストラした元社員に自殺されて落ち込んでしまう富樫重蔵。
何度も不妊治療をしながら子宝に恵まれず、それが災いして夫と離婚する羽目になった、主人公と同じく同じくバツイチの篠原貴志子。
遠間憲太郎の娘と元妻も、離婚絡みでそれぞれ少なからぬ傷を負っていた様子が描かれています。
しかし、作中で一番大きな精神的ショックと外傷を被っているのは、価値観が俺様至上主義かつ電波入りまくりであまりにもゴミ過ぎる両親の得手勝手な自己都合に振り回された挙句、わずか4歳でありながら実の両親から事実上捨てられることになった喜多川圭輔でしょうね。
自分のこと以外全く眼中にないあの2人の実の両親のクズっぷりは、傍目から見ている分にはなかなかに笑えるものがありました。
もちろん、当事者にとっては深刻な問題以外の何物でもありませんし、親が子供を捨てるという行為が許されるはずもないのですが。
ただ喜多川圭輔の場合、実の両親があまりにもあっさりと子供を捨てる態度を取っていたことは、むしろ逆に幸いな側面もあったでしょうね。
作中で遠間憲太郎も述懐していましたが、あのまま実の両親の下にいたら、両親による更なる育児放棄と虐待によって殺されていた可能性すら充分にありえたわけですし。
また、これは意外な話ではあるのですが、子供を虐待する親というのは、実際には作中の両親とは逆に、子供を自分の管理下から放したがらないという問題もあったりするんですよね。
もちろんその理由は決して子供の将来等を考えてのことなどではなく、単に世間体が悪く自分に非難の目が集中するからとか、子供に暴力を振るって自分の不満のはけ口にするためとか、およそ自己中心的な事情によるものでしかないのですが。
虐待の疑いのある親や、実際に子供を殺してしまった親が、行政の干渉をすら跳ね除けて子供を執拗に自分の管理下に置こうとする事例は、実際に数多く存在していたりします。
もし喜多川圭輔の両親がそんな態度に打って出ていたら、喜多川圭輔自身にとっても不幸なことはもちろんのこと、遠間憲太郎も余計な法廷闘争を強いられることになったのは確実だったことでしょうね。
まあ遠間憲太郎には知り合いに弁護士がいるみたいですし、状況証拠的に見ても遠間憲太郎側に有利に戦いを勧められはしたでしょうけど、それが子供に少なからぬ悪影響を与えるであろうことは避けられなかったでしょうし。
その点で、あのゴミな実の両親が喜多川圭輔をあっさりと捨て去ったことは、結果的に見れば、あの2人が子供にしてやった唯一の「善行」だったとすら言えるのかもしれません。
もちろん、そんなシロモノをそんな風に評価しなければならないこと自体、あの両親の救いようがないクズっぷりを充分に証明して余りあることでしかないのですけどね。
物語冒頭と終盤で舞台となるパキスタン・イスラム共和国のフンザは、さすが「世界最後の桃源郷」と言われるだけのことはあり、雄大かつ美しい光景をまざまざと見せつけていました。
ロードムービー的な構成としては、なかなかに良く出来ていたのではないでしょうか。
ただ、ああいうのってやはり映像や写真ではなく、実際に自分の目と耳で実地で確認してこそ、本当の意味で実感できるものなのでしょうね。
だからこそ作中の主人公達も、写真集で何度も風景を見ていながら、実物のフンザへ足を運ぶことを決断したわけで。
フンザは2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件以降、パキスタンがイスラム国家ということもあり観光客が減少傾向にあるとのことなのですが、今作の上映で客足に弾みがつくことになるかもしれませんね。
登場人物の設定に暗い要素はあるものの、全体的には安心して観賞できる構成ですし、個人的にも結構オススメできる作品ですね。