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2013年02月の記事は以下のとおりです。

映画「ゼロ・ダーク・サーティ」感想

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映画「ゼロ・ダーク・サーティ」観に行ってきました。
2001年のアメリカ同時多発テロ事件の首謀者とされるオサマ・ビン・ラディンの所在を10年にわたって探し続け、ついに殺害するに至ったCIAの女性分析官にスポットを当てたサスペンス作品。
映画のタイトルは、2011年5月2日、パキスタンのアボッターバードに潜伏していたオサマ・ビン・ラディンの邸宅への攻撃を開始した時刻、午前0時30分を指す軍事用語です。
今作は、アルカイダの関係者に拷問を加える描写などの残虐シーンがてんこ盛りなため、PG-12指定されています。

2001年9月11日のアメリカ同時多発テロから2年が経過した2003年。
今作の主人公で当時高校を卒業したばかりのマヤは、すぐさまCIAにスカウトされ、パキスタンのアメリカ大使館でオサマ・ビン・ラディンを追跡するチームの一員としての任務に就くことを命じられます。
初仕事となる彼女が初めて目の当たりにしたのは、現地のオサマ・ビン・ラディン追跡チームのリーダーで彼女の上司となる人物でもあるダニエルが、アルカイダの関係者を吊るし上げ、水責めや箱詰めなど様々な拷問をかけて情報を引き出そうとしている場面でした。
その光景に最初は引きつつも、すぐさま順応して「早く情報を吐いた方が良い」と捕縛者に忠告すらしてみせるマヤ。
以降、マヤはCIAにもたらされる情報を分析しつつ、オサマ・ビン・ラディンの行方を知るとおぼしきアルカイダ関係者から情報を引き出す日々を送るようになっていくのでした。

2人は、アルカイダの関係者を(拷問その他の手管も交えて)取り調べていく中で、オサマ・ビン・ラディンの連絡役と思しきアブ・アフマドなる人物の存在をキャッチします。
しかし、その足取りや所在については全く手がかりが掴めないまま、5年の歳月が流れていきます。
その間、2005年7月7日にロンドンで同時爆破テロ事件が発生したり、2008年9月30日にはマヤ自身がイスラマバードのマリオット・ホテル爆破テロ事件に巻き込まれたりするなど、アルカイダが関与したとされるテロ事件が後を絶ちませんでした。
また、マヤの上司だったダニエルも現場を離れCIA本部の勤務になるなど、オサマ・ビン・ラディン追跡チームの構成員にも少なからぬ変化があったりもしました。
そんな中、マヤの同僚で親しい友人関係にもあったジェシカが、アルカイダの関係者から有力な情報を得られることになったとの報告がもたらされます。
マヤは素直に友人の功績を絶賛し、アフガニスタンにあるチャップマン基地で行われる予定のアルカイダ関係者との接触に期待を寄せるのでした。
ところがそれはアルカイダ側が仕組んだ罠であり、2009年12月30日の接触当日、ジェシカを含めたCIA職員7名は、アルカイダによる自爆テロによって帰らぬ人となってしまうのでした。
これがきっかけとなってマヤは、オサマ・ビン・ラディンの殺害を心から願うようになり、半ば狂信的な手法と態度でオサマ・ビン・ラディンの追跡を行っていくようになります。
その努力が実り、ついに彼女はアブ・アフマドの特定に成功し、パキスタンのアボッターバードにある邸宅の存在を掴むまでに至るのでした。
しかし、そこに何らかの重要人物がいるという点ではCIA内部でも見解の一致を見たものの、その組織がアルカイダの、ましてやオサマ・ビン・ラディンであるという確証など誰も持ち合わせていませんでした。
100%の確証があると断言して憚らないマヤに同意する者はCIA内部には誰もおらず、彼女は孤立無援も同然の状態でした。
しかしアメリカ政府上層部は、そんなマヤの可能性に着目し、攻撃の許可を与える決定を下したのです。
かくして2011年5月2日の「ゼロ・ダーク・サーティ」に、オサマ・ビン・ラディンの殺害作戦が、総勢15名で構成されるネイビー・シールズの部隊によって展開されることになるのですが……。

映画「ゼロ・ダーク・サーティ」は、良くも悪くもオサマ・ビン・ラディンが殺害されるに至るまでの全行程を余すところなく再現していますね。
捕縛したアルカイダ関係者達を、CIAの面々があの手この手で拷問にかける様子まで普通に描写されていますし。
今作がアメリカで公開された際には、アメリカの一部議員達が「CIAは拷問なんか行っていない、そんな間違った印象を与えるこの映画はケシカラン」などと映画の製作元に抗議したこともあるのだそうで。
しかし、日本の警察でさえ自白強要や誘導尋問等の事例が普通にあるというのに、それ以上に強権を持つ上に外国人を相手とするCIAで、その手の拷問が全くなかったとは到底考えられるものではないでしょう。
ましてや、相手がアメリカ同時多発事件の首謀者であり、かつ大多数のアメリカ国民からも当然のごとく成果を求められる状況ではなおのこと。
一応アメリカ政府も、公式発表上では「人道的な取り調べを行っている」ことを強調してはいるでしょうが、実際には拷問その他の強権発動があったことは「公然の秘密」というものでしょう。
民主主義国家であることと、その警察機構が人道的であることは、必ずしも両立するわけではないということですね。
むしろ、相手が外国人の場合は人権適用の対象外になっても本来はおかしくないくらいなのですし、下手に穏便に扱うと、テロ組織側に「捕まっても大したことはない」などと舐められてしまうリスクもあるのではないかと思うのですが。
一方のテロ組織の方は、アメリカ兵を捕まえたら一切容赦しないであろうことは、映画「ブラックホーク・ダウン」のモデルとなった「モガディシュの戦闘」におけるアメリカ兵の死体の扱いを見ても一目瞭然なのですし。
アメリカにばかり人道的措置を求められるのに、テロ組織はやりたい放題が許される、というのはあまりにもアンフェア過ぎるのではないのかと。
まあアメリカの方も、国内への配慮以外にも対外的にイイ顔をしなければならない事情もあるわけですから、別に好き好んで単なる足枷にしかならない「人道」を前面に掲げているわけではないのでしょうけど。

作中のマヤは女友達をチャップマン基地の自爆テロで殺されてしまった後、まるでそれが生きがいであるかのごとくオサマ・ビン・ラディンの抹殺に奔走するようになってしまっていましたが、その目的が達成された後、彼女は何に生きがいを見出すことになるのでしょうかね?
高校卒業直後からあしかけ8年近くもオサマ・ビン・ラディンの追跡に従事し続け、それ以外の分野における実績も功績もこれといってないわけですから、マヤはある種の「つぶしがきかない」人間と評されるべき人物であるわけです。
しかも、アレほど熱望していたオサマ・ビン・ラディンの殺害が実現したとなると、マヤは今後の「生きる目的」を一時的にせよ失った状態にもあるわけでしょう。
下手すれば「生ける屍」のごとき生気の抜けた状態になってもおかしくなさそうに見えますし。
まあ、オサマ・ビン・ラディンの殺害に成功したという事実自体が巨大な功績たりえるのですから、CIA内部における彼女の地位は不動のものになったのかもしれませんが、彼女、今後もCIAでの仕事を生業にしていくのでしょうかね?
彼女の後日談がどうなったのか、是非とも知りたいところです。

映画「ゼロ・ダーク・サーティ」は上映時間が158分と非常に長く、しかもアクション映画にありがちな派手で観客受けする描写がまるでないため、観る人を選びそうな構成の作品ではありますね。
一応アカデミー賞有力候補作のひとつというのも売りな映画ではあるのですが、だからと言ってそれは必ずしも「名作」であることを保証するものでもないのですし。
アメリカほどにはオサマ・ビン・ラディンに執着がない日本ではなおのこと、その傾向がより強くなりそうです。
アメリカでは大ヒットを記録した映画だったそうですが、果たして日本ではどれくらい興行収益的な成功を収めることになるのでしょうかねぇ。

映画「レッド・ライト」感想

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映画「レッド・ライト」観に行ってきました。
超常現象を科学的に解明すべく奔走する主人公達が、稀代の超能力者として名を馳せるサイモン・シルバーと壮絶な心理戦を繰り広げる、異色のミステリー作品。

物語は、ポルターガイストとおぼしき超常現象に見舞われている家に、マーガレット・マシスンとトム・バックリーという2人の人物が訪れるところから始まります。
2人は、巷で評判の超常現象に懐疑的な立場から調査・検証を行うことを生業とする大学の物理学者で、マシスンが教授・バックリーが助手という関係にありました。
家主?の依頼で訪問した今回の家では、奇妙な物音が響き渡ったり、机が浮き上がるなどの現象が頻発しており、住人は引っ越しを検討すらしていました。
しかし、マシスンはポルターガイストの原因が家主のひとり娘にあり、かつ家の中で頻発していた超常現象も科学的なトリックによるものであることを喝破します。
ひとり娘にこれ以上イタズラをしないよう言いくるめ、2人はその家を後にするのでした。

その後、2人は大学の講義で、冒頭の家で発生した「机が浮き上がる」現象のトリックを解説しています。
サリー・オーウェンという若い女子学生がその講義の内容に興味を抱き、それが縁となってバックリーと恋仲になっていきます。
そして彼女は、バックリーとマシスンと共に、超常現象を調査するチームに入ることとなるのでした。
その頃、巷ではかつて「伝説の超能力者」と言われたサイモン・シルバーなる人物が、30年ぶりに復活を遂げるということで大きな話題となっていました。
バックリーは自分達の生業から言っても当然のごとくサイモン・シルバーを調査すべきと考え、上司たるマシスンに掛け合います。
しかしマシスンは、40年近く前にサイモン・シルバーと公開討論を行った際に彼のトリックを見破ることができずに撤退を余儀なくされた過去があり、「彼は危険だから近づくな」と全く取り合おうとしません。
しかし、サイモン・シルバーの弟子と称するレオナルド・パラディーノの超能力のタネも暴いたバックリーの、サイモン・シルバーの調査を行いたいという欲求は募るばかり。
ついに彼は、単独でサイモン・シルバーの調査を行うべく、サイモン・シルバーが公演を行っている劇場へと向かうのでした。
ところがそれ以降、バックリーの周囲では不可解な異常現象が次々と発生するようになり……。

映画「レッド・ライト」の大部分は、超常現象がどのようなトリックを駆使して展開されているのか、その種明かしを売りとしている感のある作品ですね。
机が浮き上がるトリックの解説とか、頻繁に変わる通信波を使用して観客のことを教える人間の存在とか、アレだけ超常現象の種明かしに終始している映画というのも珍しいのではないかと。
ただ、終盤近くまで続く科学考証至上主義的なストーリー進行自体が、ラストの大どんでん返しの伏線だったりもするのですが。
あの大どんでん返しは、確かに映画の予告編でもあったように「視点を変えてみる」にも合致しますし、ある意味作中の怪奇現象の謎を解くものでもあります。
あえてネタばらしをすると、サイモン・シルバーに関わって以降にトム・バックリーの周囲で発生していた超常現象は、全てトム・バックリー自身の超能力で引き起こしていたものだった、ということになるらしいのですが。
その結末を知った上でよくよく作中の描写を見てみると、トム・バックリーは最初から自分のことを「超能力者だ」と告白しているシーンもあって、「ああ、アレって社交辞令ではなく本当のことを言っていたのか」と納得することしきりではありました。
ただ、一応は「ミステリー」「超常現象への懐疑」を前面に打ち出しているはずの物語で、それを完全に否定する形での超能力を突然持ってくるという展開は正直どうなのでしょうか?
ミステリー作品の基本ルールと言われる「ノックスの十戒」にある「探偵方法に超自然能力を用いてはならない」「探偵自身が犯人であってはならない」にも、真っ向から反した結末となっていますし。
この辺りの構成は、やたらとミステリーな謎を予告編その他で協調しまくっていた映画「シャッターアイランド」と似たり寄ったりな雰囲気があって、どうにも微妙なイメージが否めなかったですね。

それと、アレのせいでサイモン・シルバー絡みの謎のひとつが、結果的に作中で明確に解明されることなく曖昧な形で残ったままになっていますね。
「サイモン・シルバーを非難する者は突然死をする」という謎は、結局作中ではどういう形での決着となったのでしょうか?
特に、1975年にサイモン・シルバーが引退するきっかけとなった、サイモン・シルバーに懐疑的な記者がショーの最中に死亡したという事件は、結局真相が如何なるものだったのかは何も分からずじまいです。
一応作中では、サイモン・シルバーの部下の男が、トイレで一緒に居合わせたトム・バックリーに襲い掛かり、半殺しにするという行為をやらかしているので、サイモン・シルバー
の一派が手を下していたという解釈は成り立たなくもないのですが、それにしても所詮は「疑惑」止まりでしかないのですし。
まさか、30年前の1975年の事件についてもトム・バックリーが関与していた、などというオチはいくら何でもないでしょう。
トム・バックリーは学生と恋仲になれる程度には「若い」という設定のようなのですし、マーガレット・マシスンと違ってサイモン・シルバーとは過去にこれといった面識もなかったようでしたからねぇ。
あそこまで科学にこだわるのであれば、せめてあの事件の真相についても「サイモン・シルバー関係者辺りの過去の回想」的な形で明確な答えを出して欲しかったところではあります。

基本的に超常現象に対する科学的なアプローチが延々と続く作品なので、全体的に派手な描写や手に汗握る展開といったものがなく、その点では万人向けの作品であるとは言い難いですね。
また、ミステリーの観点から言っても、ラストの展開は見る人によってかなり賛否が分かれそうな内容ですし。
超常現象懐疑論が好きな方にはオススメな作品と言えるかもしれませんが。
アメリカでも興行収益は製作費を下回ったほどに低調だったようですし、日本でも大ヒットは難しいかもしれませんね。

映画「ダイ・ハード/ラスト・デイ」感想

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映画「ダイ・ハード/ラスト・デイ」観に行ってきました。
大事件に巻き込まれる不運でタフな刑事ジョン・マクレーンをブルース・ウィリスが演じる、言わずと知れた超大ヒットシリーズ第5弾。
2013年に入って以降に観賞したブルース・ウィリス出演映画は、「LOOPER/ルーパー」「ムーンライズ・キングダム」に続きこれで3作目。
6月には、同じくブルース・ウィリスが出演する「G.I.ジョー バック2リベンジ」も日本公開される予定とのことですし、今年はブルース・ウィリス映画の当たり年ですね(苦笑)。
もちろん、一番の大本命は、アクション映画として不動の地位を確立している今作であるわけですが。
今作は2013年2月14日の木曜日に劇場公開の運びとなっているわけですが、これってどう考えても、TOHOシネマズ系列の映画館で毎月14日に1000円料金となる「TOHOシネマズディ」を意識していた以外の何物でもなかったでしょうね。
映画の劇場公開というのは、興行収益の観点から言っても金曜日が土曜日から始めるのが一般的かつ理に適っているのですし。
また今作は、作中でとにかく人が死にまくることもあってか、PG-12指定されています。

今作の舞台は、過去4作の主要舞台であるアメリカを離れ、シリーズ初の海外となるロシア。
物語は、ジョン・マクレーンの息子で父親と10年以上にわたって喧嘩別れしているジャック・マクレーンが、ロシアのバー?で人を撃ち、そのまま収監されてしまうところから始まります。
息子が収監されたとの情報を聞きつけたジョン・マクレーンは、ジャックの姉で自分の娘でもあるルーシー・マクレーンに見送られ、息子の身柄を引き取るべく、ロシアへと高飛びすることになります。
一方、ジャックの方は尋問する警官に取引を持ちかけ、現在ロシア中で話題となっているユーリ・コマノフの裁判で、彼の指示で自分が犯罪を犯したと証言するから同じ裁判に出廷させてほしいと提案しています。
そして、2人の裁判の場に、ジョン・マクレーンもまた居合わせることとなるのでした。
ところが、裁判所の外の路地に停車した3台の車が突如爆破。
爆発は裁判所の壁を吹き飛ばし、裁判の場およびそこに居合わせていた面々をも巻き込む大惨事を現出することに。
そこへ、ガスマスクを着用した謎の武装集団が、爆発で吹き飛ばされた壁跡から乱入し、中にいる人達を殺傷し始めるのでした。
しかし、裁判に出廷していたジャックは、ユーリ・コマノフを連れていち早く裁判所を離脱。して車を奪い、どこかへ逃走しようと図ります。
そして、ユーリ・コマノフの身柄確保を目的としていたらしい武装集団も、装甲車を使いただちに彼らの追跡を開始。
一方、謎の武装集団からの追撃から逃げるジャックは、自分を引き取りに来た父親ジョン・マクレーンとついに鉢合わせることとなります。
ジャックは父親の主張に全く聞く耳を持つことなく、自分の車に乗せることも拒否してその場から離脱。
そのジャックの後を追う装甲車を見て、ジョンはさらに近くに止めてあった車を奪い、2組の後を追い始めるのでした。
かくして、ジャックと謎の武装集団とジョン・マクレーンによる3つ巴のカーチェイスが繰り広げられることとなるのですが……。

映画「ダイ・ハード/ラスト・デイ」は、さすが人気アクション映画シリーズなだけのことはあり、アクションやカーチェイスがとにかく派手ですね。
序盤からロシアの大通りを舞台にド派手なカーチェイスが繰り広げられますし、終盤に至るまでアクションシーンが展開されるので、退屈だけはしないで済みます。
ただ、今作はこれまでのシリーズと比較してもかなり短い98分の上映時間しかない(1~4作目までの上映時間は全て120分以上)ため、ボリュームという点では今ひとつな感が正直否めなかったですね。
これまでのシリーズと比較しても、アクションシーンやカーチェイスなどに比重が置かれ過ぎていて、悪役達との駆け引きなどの描写が薄くかつ浅かった感がありましたし。
長すぎて問題ということはないでしょうし、これまでと同様に上映時間120分以上できっちり作って欲しかったところだったのですけどね。

一方で、 悪役絡みの設定や描写は、明らかにシリーズ1作目を意識しているような趣がありました。
たとえば、今作の真の黒幕がジャックに建物の屋上から投げ落とされるシーンは、「ダイ・ハード」1作目のラスボスであるハンス・グルーバーの最期とカブる「ゆっくりスローモーションに落下していくシーン」が繰り広げられていたりします。
また、その黒幕とマクレーン親子が、今作のラストバトルの舞台であるチェルノブイリで「再会」した際、黒幕はハンス・グルーバーと同じく「何も知らない被害者」の演技を披露して自分の窮地を脱しようと試みています。
ただ今作では、1作目のハンス・グルーバーとは異なり、マクレーン親子にあっさり正体を喝破されてしまったため、黒幕側もすぐさま反撃に移らざるをえなかったのですが(苦笑)。
まあ、ジョン・マクレーンには1作目でハンス・グルーバーにまんまと騙された経緯がありますし、ジャックもCIAの工作員としての経験を積んでいるわけですから、その両者を騙すのは至難の業ではあったのかもしれないのですけど。
そして、黒幕を殺された後に黒幕の右腕的な存在である悪役が復讐に走り、マクレーン達を殺そうとする展開も、1作目におけるハンス・グルーバーの腹心カールと全く同じですね。
1作目のカールは、過去のトラウマから発砲できなくなっていた警官によって射殺されるのですが、今作のそれは「弾薬が尽きたヘリで体当たり特攻を敢行する」という形でマクレーン親子に復讐しようとしています(当然、失敗するのですが)。
私が気づいただけでもこれだけあるのですから、ひょっとするとまだ他にも1作目との共通項があるかもしれないですね。
何故製作者達が、これほどまでに1作目を意識していた構成にしていたのかは不明なのですが。

あと、今作の邦題で付けられた「ラスト・デイ」なのですが、結果的に見れば「ラスト・デイ」を髣髴とさせる描写は作中には全くなかったですね。
一応意味としては、チェルノブイリの戦い直前にジョン・マクレーンが息子のジャックに対し、「お前と会えて良い一日だった」と述懐しているシーンが由来ではあるのでしょうけど、ラストでマクレーン親子は五体満足で普通にアメリカに帰ってきていましたし(苦笑)。
あのラストの終わり方を見ると、まだまだ続編はあるとみて良いのでしょうかねぇ。
今後続編が制作されるのであれば、上映時間をまた120分以上に戻して欲しいところではあるのですけど。

「ダイ・ハード」シリーズのファン、およびアクション映画愛好家であれば、まず観ておいて損はない作品です。

映画「王になった男」感想

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映画「王になった男」観に行ってきました。
17世紀前半の李氏朝鮮の宮廷を舞台とし、イ・ビョンホンが一人二役で主演を担う韓国映画となります。
今作は韓国で製作された映画ということもあり、当初は観賞予定作品のリストにも全く入っていなかったのですが、久々に試写会に当選するという僥倖に恵まれたため、「まあタダなのであれば……」ということで観賞に臨むことと相成りました。
韓国映画は、心理描写一辺倒&ラスト30分がグダグダの「リベラ・メ」や、トンデモ反日臭があまりにも強すぎる「マイウェイ 12,000キロの真実」と、どうにも良い印象を持ちようがないのが実情だったのですが、今作は如何に?

1616年の李氏朝鮮。
日本では徳川幕府が豊臣家を滅ぼし太平の世の礎を確立しつつあり、支那では明王朝が衰退から滅亡へと邁進しつつあったこの時代、当時の李氏朝鮮では光海君という人物が15代国王として君臨していました。
この光海君というのは、1623年に政敵にクーデターを起こされ廃位させられたという経緯も手伝い、李氏朝鮮では「暴君」という評価を受けている国王だったりします。
後世でもそんな評価な光海君は、作中でも周囲から恐れられる暴君として振る舞っており、それ故に自身も他者から暗殺される危険に怯えていました。
特に食事時などは、毒殺されるリスクが少なからず存在することもあり、光海君も毒見役に当たり散らすなど神経を尖らせていました。
暗殺のリスクを何とかして減らしたいと考える光海君は、国王の意思を臣下達に伝達したり、逆に臣下や民の意見を国王に伝える役割を持つ承政院の都承旨(トスンジ・承政院の長官)の地位にあるホ・ギュンに対し、自分とよく似た影武者を探させろという命令を下します。
しかし、影武者がなかなか見つからない中で、光海君に対する暗殺の脅威はますます増大するばかり。
光海君もホ・ギュンも、光海君の影武者をますます切望するようになっていきます。

そんなある日。
光海君の部下達は、ついに光海君と瓜二つの人間を見つけ出すことに成功します。
その男は、事実上の売春婦に相当する妓生(キーセン)達のたまり場である妓生宿のひとつで、妓生達を相手に国王の道化として振る舞っていたのです。
その道化師の名前はハソン。
目的の人物をついに見つけ出した彼らは、ハソンを家から宮廷に連れ出し、光海君と対面させることになります。
一時は光海君の不興を買う危機に直面しながらも、ハソンは持ち前の機転で逆に気に入られ、当人は乗り気ではなかったものの、光海君の意向により彼の影武者として採用されることとなります。
当初は3日に1度宮廷に赴けば良いとされた影武者役だったのですが、ハソンが最初に影武者を務めた夜の直後、光海君は突如体調を崩し倒れ意識不明の状態となってしまいます。
光海君は政敵から毒を盛られた可能性もあり、彼が死ねば宮廷、ひいては李氏朝鮮そのものが混乱することは必至でした。
事態を重く見たホ・ギュンの判断により、ハソンは四六時中宮廷内で光海君を演じることを余儀なくされるのですが……。

映画「王になった男」は、ひたすら周囲に恐怖と威圧感を与える暴君と、右も左も分からない宮廷でコメディな言動に終始しつつ、次第に王としての風格を持ってくる道化師という、全く異なる役柄を演じきったイ・ビョンホンの好演が光る作品ですね。
全体的にはシリアスな展開ですが、物語中盤はコメディとしても成り立っており、どちらの観点でも一見の価値はあります。
ただ、当時の朝鮮の独特な文化や政治情勢が何の説明もなく当たり前のように作中に挿入されているため、李氏朝鮮の知識がない人が見たら理解に苦しむ描写が少なくないのがやや難点なところです。
その手の歴史用語でマトモな説明があったのは、税制改革の一環である大同法くらいなものでしたし。
また、韓国映画なのですから韓国文化を前面に出すのは良いにしても、当時の宮廷におけるトイレ事情とか、国王の糞便を舐めて健康状態を判断する「嘗糞」なんてシロモノを、しかも全年齢対象の映画で出してくるのは正直どうなのかと。
ウンコを元に製造される「トンスル」なる人糞酒などというシロモノが現代にいたるまで存在する朝鮮では、嘗糞なんて行為も当たり前の文化なのかもしれませんが、朝鮮以外の文化圏の人間は確実に引かざるをえないでしょうに(苦笑)。
嘗糞描写では、試写会のスクリーン内でもどよめきが起こっていましたし、ある程度朝鮮文化を知っている私でさえ「そこまでやるか」と思わずにはいられなかったですからねぇ。
この手の描写って、韓国以外の国で果たして一般受けしえるものなのかと、いささか心配せずにはいられないですね。

また、韓国映画の弊害のひとつである「ラスト30分の展開が暗い」という要素は、今作でも健在ですね。
道化師のハソンは、最終的に李氏朝鮮の宮廷から逃亡を余儀なくされ、船に乗って難を逃れるという結末で終わっていますし。
一応、若干妙な感動エピソードなシーンが挿入されてはいるのですが、基本的な流れは「陰々滅々なまでに暗い」の一言に尽きます。
この辺りは、「マイウェイ 12,000キロの真実」でも似たような流れがありましたし。
何故韓国映画は毎回毎回「暗い結末」な話ばかり作ろうとするのか、全くもって理解に苦しむのですが。
個人的には、ハリウッド映画によくある「爽快感に満ちたハッピーエンド」的な終わり方をする方向で作品を製作していった方が、韓国のみならず他国でも一般受けしやすい映画ができるのではないかと思えてならないのですけどね。
アクションシーンとか演出面などは結構良いものを持っているのですから、ストーリー展開の問題を改善さえすれば、韓国映画はもっと飛躍しえる可能性があるはずなのですが……。

韓国映画として見た場合、今作は過去2作と比較しても意外なくらいに良く出来ている部類に入るとは思います。
ただ、これがハリウッドや躍進著しい日本映画に対抗しえる作品なのかというと、やはり首を傾げる評価にならざるをえないところですね。
内容的に見てもあまり万人向けに作られているとは言い難く、明らかに人を選ぶ映画なのですし。
ただでさえ今週は「ダイ・ハード/ラスト・デイ」などの大作が目白押しなのですし、また昨今の日韓関係の悪化という政治事情もありますから、興行収益的には結構厳しい戦いを強いられる映画と言えそうです。

週刊少年ジャンプのイロモノ漫画「究極!!変態仮面」が実写映画化

かつて週刊少年ジャンプで連載されていたマンガ「究極!!変態仮面」が、「HK/変態仮面」というタイトルで実写映画化されるとのことです。
全国的な劇場公開は2013年4月13日なのだそうで↓

http://www.cinematoday.jp/page/N0050235
>  [シネマトゥデイ映画ニュース] 1990年代に「週刊少年ジャンプ」誌上で連載され、常識を超越したヒーロー像が話題を呼んだ人気コミックを実写化した『HK/変態仮面』の公開が決定し、予告編も公開された。原作を「世界で最も愛する」という俳優・小栗旬の声掛けをきっかけに実現した企画で、小栗は脚本協力に名を連ねる。
>
>  原作の「究極!!変態仮面」は、1992年から1993年まで連載された、あんど慶周のギャグ漫画。SMの女王である母と刑事でドMの父を持つ男子高校生・色丞狂介が、女性のパンツをかぶった正義のヒーロー「変態仮面」となり、悪と戦う姿を描く。頭のパンツに、ブリーフと網タイツという変態仮面のビジュアルや、「それはわたしのおいなりさんだ」などの名セリフが、ジャンプ読者の間で一大ブームを巻き起こした。
>
>  
実写化のきっかけとなったのは人気俳優の小栗旬。自身のラジオにあんどを呼ぶほどの原作ファンで、本作の映画化を熱望する小栗の気持ちに、福田雄一監督が共鳴し、映像化に挑むことになった。脚本の打ち合わせで小栗は、パンティーをかぶる衝動を抑えられない変態仮面ならではの哀しみや、変態的で風変わりなアクションの再現に本格的に取り組むことの重要性などを、熱く語ったという。
>
>  変態仮面を演じるのは、そんな小栗が「ほかには考えられない」と指名した鈴木亮平。役のため1年にわたる肉体改造に取り組んだという鈴木は、「迫力ある生身のアクションはもちろん『俺は変態じゃないんだ!』という思春期の悩みに苦しむ少年の心を真摯(しんし)に演じきりたい」とコメント。またヒロイン・愛子を演じるのは「仮面ライダーフォーゼ」の清水富美加。鈴木の肉体を「ほんとに良い体で、気分はエクスタシー! でした」と振り返る清水は、清純派の役に抵抗があったとしながら「女の子女の子した子はこんな感じ! としゃべり方や仕草を気にしながらやるのは面白かったです」と語っている。
>
>  予告編では、忠実な再現度の変態仮面に感心させられるばかり。映画『コドモ警察』『俺はまだ本気出してないだけ 』を手掛けるなど、人気監督として活躍する福田監督が、この変態的な世界観を小栗や、キャスト陣とどのように再現するのか、公開が楽しみだ。(編集部・入倉功一)
>
>
映画『HK/変態仮面』は4月6日より新宿バルト9にて先行公開 4月13日より全国公開

週刊少年ジャンプの中でも相当なまでにイロモノかつマイナーな作品を、しかもよりによって実写映画化とは、小栗旬の「究極!!変態仮面」への愛情はなかなかに凄まじいものがあると言わざるをえないですね(苦笑)。
「究極!!変態仮面」は連載が1年弱と短かった上、内容がPTAから目の敵にされても不思議ではないほどに過激過ぎたために、これまでアニメ化すらもされていないのが実情だったというのに、ひとっとびに実写化を達成したというのですから。
アニメ化よりも実写化が先行した事例としては「デスノート」があるのですが、これは元々社会現象を起こしたほどの人気作品だった上、内容的にもアニメより実写向けの作品だったことが大きかったのに対し、「究極!!変態仮面」はどう考えてもアニメの方が向いている作品でしょう。
女性のパンティを顔に被って活躍する、などという設定自体が何らかの規制に引っ掛かりそうなシロモノでしかないのですし(爆)。

まあ、宣伝効果や話題性としては面白いものがあると思うのですが、原作ファンや映画ファンにとって問題なのは「映画そのものの出来が如何なるものなのか?」ですね。
いくら奇抜な宣伝で衆目を集めたとしても、内容がゴミであれば論外もいいところなのですし。
ただ私としては、内容がどうであれネタとしては面白そうな感じではあるので、熊本でも公開されるのであれば観に行こうかとは考えてもいるのですが。
小栗旬の決断が果たして吉と出るか凶と出るのか、注目の作品ですね。

専業主婦志向を経済の観点のみで否定する拝金主義者の論理

2012年12月15日に発表された内閣府の「男女共同参画社会に関する世論調査」。
以前にも紹介したように、この調査では、専業主婦志向の人間が男女問わず、また若年層になるほどに増えているという結果が出ています。
しかし、これまで男女共同参画社会とやらを推進してきた面々にはよほどに納得のいかない結果だったのか、現実を見ないおかしな珍論を彼らは出しまくっています↓

http://megalodon.jp/2013-0210-1122-55/r25.yahoo.co.jp/fushigi/rxr_detail/?id=20130207-00028165-r25
> 約52%。何の数字かわかるだろうか。じつはこれ、内閣府の調査で「夫は外で働き、妻は家庭を守るべき」という考え方に「賛成」と答えた人の割合。92年にこの質問を始めて以来、賛成はずっと減り続けてきたのに、一転して前回より10ポイント以上も増えたのだ。とくに男性の賛成が約55%と目立ち、20代が急増している。なぜ男性の「専業主婦派」が増えたのか。
>
>
「妻には家庭にいてほしいと思っても、経済状況や雇用環境を考えると現実的ではない。実際には共働きを選ばざるを得ない世帯が増えている分、逆に専業主婦への憧れが高まったのでは」。こう話すのは内閣府男女共同参画局の松崎さん。
>
> たしかに「夫は外で働き、妻は家庭を守る」というのは長いあいだ日本に定着してきた家族観。その考えを反映したのが専業主婦世帯の課税所得を優遇する配偶者控除だ。妻の所得が38万円以下(給与収入では年収103万円以下)なら年間38万円の所得控除を受けられる。
>
> ただし、経済面だけを考えたら“専業主婦”を選ぶメリットはほとんどない。全国消費者実態調査(09年)によると、妻が30~34歳の専業主婦世帯の年収は540万円で共働き世帯は599万円。毎月の貯蓄額も、専業主婦世帯の1.1万円に対し共働き世帯は4.3万円もある。また、ひと月の可処分所得は専業主婦世帯の33.2万円に対し、共働き世帯では38.5万円と、年換算で63.6万円も違う。さらに女性が30歳で“専業主婦”になると生涯賃金は3000万円だが、正社員として働き続ければ生涯賃金は1億7800万円、非正社員でも8200万円―。
経済的には共働き派の圧勝といえるのだ。
>
> もっとも、様々な不安から専業主婦に夢を抱くのもわかる。ある結婚相談所の調査では、未婚男性1135人のうち「妻の収入が多ければ専業主夫になってもいい」と答えた20代男性が61.7%もいたという。男にとって幸せな結婚とはどんなカタチ…なのか!?
> (押尾銅山)

……何というか、これを書いた人ってカネの亡者か金銭至上主義者だったりするのではないか?とすら疑いたくなってきてしまいますね(苦笑)。
そもそも、引用記事の内容を見てさえ、経済事情と専業主婦志向が何の関係もないことが丸わかりですし。
「経済面だけを考えたら“専業主婦”を選ぶメリットはほとんどない」にもかかわらず、何故「何ら経済的な恩恵がない」はずの専業主婦志向が増えているのかについて、引用記事は結局何の説明もできていないのですから。
第一、貧乏だけど子供の面倒を見るために妻が専業主婦をやっている家などについては、一体どうやって引用記事のごとき論理を適用することができるというのでしょうか?
専業主婦は別に「金持ちのステータス」というわけではないのですし、家の維持や子育てなども「外へ働きに出る」のと同じかそれ以上の苦労があることなんて、誰の目にも明らかであるはずなのですけどね。
赤子の面倒を見る際にノイローゼを患ったり、「家事や子育てをやりたくないから外へ出て働きに出る」などと言い切ったりするような女性までいるほどに、専業主婦というのは大変な一面もあるというのに。

この手の「専業主婦否定論」や「女性の社会進出推進論」などを色々読んでみると、あるひとつの傾向がはっきりと見て取れます。
それは、妻と夫が常に階級闘争史観的な二項対立の構図になっていることが前提としてまずあり、かつ家族全体や子育てなどの観点から見た視点や意見が完全に無視されていることです。
保育園神話や夫婦別姓推進論などはまさにその典型例なのですが、これらの主張には子供のことなど全く眼中にないか、下手すれば邪魔者扱いしているかのごとき論調が非常に目立つんですよね。
子供がある程度成長し分別を持つような年代になったのならばともかく、親の保護下に置かれるべき幼少期の子供は、親が親身になって面倒を見るべきか弱い存在であるはずでしょう。
しかし、責任のある仕事を持ちながら子供を育てるなんてのは、よほどの超人でなければ自分ひとりだけでは到底できるものなどではありません。
しかも、幼少時における子育ては、その後の子供の性格形成にも大きく影響を与えるものとなりえるのです。
家族や子供が大事だから。
外に出て働きに出ることで、自分の子供には寂しい思いをさせたくない。
親が子供を見てそういったことを考えるのは、別に不自然なことでも何でもないでしょう。
ましてや、専業主婦志向が増えたという20代は、特に自分自身が親の共働きの影響で放置されていた経験を持つ人も少なくないのですからなおのこと。
共働き「しなければならない」事情があって【さえもなお】専業主婦志向が増大する、というのは、むしろそういった「家族や子供への思い」の方が理由としては強いでしょう。
そんな簡単な理由に目を背け、あたかも拝金主義者のごとき生涯賃金を持ち出してくるとは、男女平等思想も一体どこまで捻じ曲がっているのかと、つくづく思えてならないところなのですけどね。
第一、ここ20年近くも続く不況では、正社員でさえもリストラの脅威に晒され、誰もが生涯働けるという保証すらないのが実情だというのに。
共働きで本当に利益を得るのは、安価な労働力を確保し、かつさらに労働単価を値切ることを可能とする企業でしかないのですし。
その企業利権を確保したいからこそ、男女平等イデオロギーは推進されているのではないのかとすら、昨今の歪んだ男女平等事情を鑑みると勘ぐらざるをえないところなのですがねぇ。

男女平等というのは元来「男女共に平等に【不幸になる】」ことを目的としたものではないはずなのですが、現状はまさにそうなってしまっているとしか言いようがありません。
家族観や子育ての観点から抜本的に見直した、全く新しい男女平等の概念を考えるべき時期に、いいかげん来ているのではないですかね?

映画「脳男」感想

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映画「脳男」観に行ってきました。
首藤瓜於の同名小説を原作とする、生田斗真主演のバイオレンス・ミステリー作品。
バイオレンスの名が示す通り、今作は人から切り取られた舌の描写や、爆弾で阿鼻叫喚の地獄絵図のごとく人が次々と死んでいくなどといった描写があったりするため、PG-12指定されています。

今作の主人公は、とある病院で精神科医を務めている鷲谷真梨子(わしやまりこ)。
今作における彼女は、「脳男」の精神鑑定と正体を突き詰める役を担っています。
ある日、仕事から帰ろうとしていた鷲谷真梨子は、バスに乗り込もうとするもギリギリのところで間に合わず、バスに乗っていた小学生達にからかわれながらバスを見送る羽目となります。
元来自分が乗るはずだったバスを見送っていたところ、彼女は次にバスが停車したバス停で、口に血の跡がついている女性が乗り込む姿を目撃します。
その女性を乗せ、バスが出発した次の瞬間、突如バスは轟音を立てて爆発炎上!
しばらくは周囲の人間共々茫然としていた鷲谷真梨子でしたが、バスからよろよろと歩き出てきた子供を見るや、ハッと我に返り子供の元に駆け付け、「早く救急車を!」と叫び始めます。
周囲は騒然となり、ただちに警察による現場検証が開始されました。
しかし、事件の物珍しさもあってか、周囲の野次馬達は携帯を片手に現場の写真を撮ろうとするありさま。
現場検証に当たっていた刑事のひとり・茶屋(ちゃや)は、そんな野次馬に腹を立て、野次馬のひとりが現場に向けていた携帯を取り上げ、その場で叩き壊してしまいます。
当然、周囲は彼に非難の目を向けるのですが、彼は平然としていました。
茶屋は、今回の事件を起こした犯人を憎悪し、何が何でも自分で検挙すべく、執念を燃やしていたのでした。

今回の爆破事件は単独で発生したものではなく、個人をターゲットとし、そのターゲットの舌を切り取った上で爆殺するという同じ手口が既に何度も実行されていた、連続性・関連性の極めて強いテロ事件でもありました。
事件で使用されている爆弾はありふれた市販の製品を元に構成されており、物流ルートの追跡が事実上不可能であることから、警察の捜査は難航していました。
しかし、爆発物のスペシャリストである黒田雄高の調査結果により、爆弾製造の際に特殊な素材が使用されていることが判明し、これが容疑者を割り出す大きな手掛かりとなります。
その特殊な素材の購入者リストを入手した茶屋は、ひとりずつ購入者を洗い出していき、ついに有力な容疑者とそのアジトの割り出しに成功するのでした。
部下の広野と共にアジトへと向かう茶屋。
アジトでは侵入者を想定していたのか、入口に爆弾が設置されており、ドアを開けると同時に爆発に巻き込まれた広野は、2階から地面に叩きつけられてしまいます。
重傷ながらも意識はある広野の無事を確認した茶屋は、アジトの中でひとりたたずむ男に対し銃を向け、爆破事件の共犯者としてその身柄を確保することになります。
連続爆破事件があまりにも犠牲が大きく異常性のあるものであったことから、その男は精神科医による精神鑑定を受けることになりました。
その精神鑑定を受けることとなったのは鷲谷真梨子。
彼女は、鈴木一郎という露骨な偽名を名乗るその男の鑑定結果に興味を持ち、彼の素性を調べ上げていくことになるのですが……。

映画「脳男」は、「脳男」に出会いその正体や誕生に至るまでの経緯を把握するためのパートと、「脳男」と警察と爆破テロ犯との3つ巴の戦いが繰り広げられるパートの2つに分かれるストーリー構成となっています。
前半は、主人公である鷲谷真梨子、および「脳男」こと鈴木一郎(本名:入陶大威(いりすたけきみ))の過去や生い立ちなどがメインで語られており、どちらかと言えばやや退屈な展開が続きます。
一応、ミステリー的な謎解き要素を入れることで、話にそれなりの起伏や演出を盛り込んではいますが。
そして後半、特に病院が爆弾魔に襲撃されてからは、とにかく緊迫感に満ちたストーリーが展開されることになります。
派手な爆破シーンやアクションシーンがてんこ盛りな上、誰が最終的に勝つのか全く予測不可能な話の進め方でしたし。
世界観の解説に終始する前半とアクションメインの後半という今作の構成は、映画「インセプション」と比較的良く似た構成であると言えるでしょうか。
映画の製作者達も、宣伝などで「衝撃のラスト30分」と豪語していましたが、確かにそれにふさわしい出来ではありましたね。

個人的に「ちょっとそれは違うだろ」と考えずにいられなかったのは、鷲谷真梨子が数年?かけて更生させ社会復帰させた自分の弟を殺した犯人を「脳男」が殺した際の、鷲谷真梨子の激情ですね。
あの犯人は、上辺だけの更生した態度を見せつけることで鷲谷真梨子を騙していたのであり、「脳男」があの犯人を殺害していなかったら、かつて弟が殺された時の惨劇を、しかも彼女自身の手で再現することにもなりかねなかったのです。
にもかかわらず、鷲谷真梨子が殺された犯人ではなく「脳男」に対して「私が長年かけて築いてきたものを壊した」などと怒りをぶつける光景は、「脳男」にしてみれば八つ当たりもいいところだったでしょう。
あの犯人が再び犯行を繰り返すことを見抜けなかったのは明らかに鷲谷真梨子の大失点だったのですし、それは精神科医としての自身の責任を問われ、下手すれば自分の地位も立場も失いかねないほどのものですらあったはずです。
もし「脳男」があの犯人を殺さなかったら、鷲谷真梨子はまさにそういう立場に追いやられていたかもしれないのですし。
自分の無能と見る目の無さを、綺麗事を並べて誤魔化していた以外の何物でもなかったのではないですかね、あの時の鷲谷真梨子の態度は。
その前にも鷲谷真梨子は、爆弾魔を殺そうとしていた「脳男」を制止して動きをとめ、ここぞとばかりに爆弾を起爆させようとした爆弾魔の行動によって、結果的に自分達を危険に晒すことにもなっていたのですし。
何というか、作中後半における鷲谷真梨子は、「無能な働き者」の代名詞な言動に終始していたと言っても過言ではないのではなかったかと。

ミステリーとして見てもアクションシーン等の演出面でも、映画館で見てまず損はない良作ですね。

映画「恋する歯車」感想

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映画「恋する歯車」観に行ってきました。
「仮面ライダー」や「スーパー戦隊」シリーズで活躍してきた若手俳優達にスポットを当てる映画シリーズ「TOEI HERO NEXT」の第三弾。
今作では、「海賊戦隊ゴーカイジャー」に出演していた俳優達にスポットが当てられています。
同シリーズの第二弾「ぼくが処刑される未来」と同じく、上映される映画館も少なくマイナーな作品ではあるみたいなのですけどね(T_T)。
作中ではセックスを連想させる微妙な描写の他、血を流して死んでいる人間の描写等もあることから、PG-12指定されています。

今作の主人公で弁護士志望の大学院生・高岡祐市は、ある日突然両親を事故で失ってしまったことから、チンピラに喧嘩を売るなどの自暴自棄な生活を送っていました。
その日も、複数のチンピラ達にボコボコにされているところを、通りがかった警官に助けられる始末。
その警官は、元警察官であった死んだ父親の元部下だったということもあり、「いざという時にはここに連絡して」と高岡祐市相手に世話を焼くなどの親切ぶりを披露していました。
結果、高岡祐市はボロボロになった身でありながら、警察の世話になることもなく帰宅の途につくことができていました。
しばらく道を歩いていると、高岡祐市は、道路に飛び出したひとりの女性がそのまま道の真ん中で立ち尽くしている光景を目撃します。
さらにそこへ、お約束のごとく大型トラックがスピードを出し、女性めがけて突っ込んできました。
高岡祐市は女性を助けようと自分も道路に飛び出し、間一髪のところで女性を突き飛ばし大惨事を回避することに成功します。
助かった女性は自分の事情や自殺に至るまでの経緯については何も語ろうとしませんでしたが、自分を助けてくれたことについては、高岡祐市にキスし礼を述べることで応じるのでした。
その女性の名は藤島リサ。
これがきっかけとなり、2人は交際する関係となり、次第にその仲を深めていきます。

そんなある日、高岡祐市の両親の死後49日が経過したことから、高岡家では父母の生前の知り合いや親族等を集めて49日法要が行われていました。
その最中、高岡祐市は「両親の死に際しての事故報告書で、ブレーキ痕の形跡がない」という不審な内容に疑問を抱きます。
そこで彼は、法要を取り仕切っていた父親の元同僚で現職の警察官である曽根隆三に警察内部での調査を依頼。
また事故報告書によれば、両親が乗っていた車は、時速75㎞ものスピードで交差点の角に激突していたとのことだったのですが、高岡祐市が直接事故現場に赴いてみると、そこは極めて狭い道路の交差点であり、普通に運転していて時速75㎞ものスピードが出せるような場所ではなかったのです。
やがて高岡祐市は、両親の死そのものに対し疑問を抱くようになっていくのですが……。

映画「恋する歯車」は、派手なアクションなどの演出はおよそ皆無で、どちらかと言えばミステリーな謎解きが醍醐味な作品ですね。
最初はいくつもの謎が次々と出現しつつ、わけが分からないままに翻弄されるのですが、物語後半でちりばめられた謎がこれまた次々と解明されていくという構図が展開されています。
ただ正直、ミステリーとしてはあまりにも色々なものを詰め込みすぎている感が否めないところではあります。
25年前の事件を隠蔽するために、殺人はもちろんのこと、25年近くにわたって家を監視する警察とか、そのためにわざわざ恋人に偽装した監視役までつけるとか、当事者以外の人間が聞いたら誇大広告の陰謀論も甚だしいことを、しかし作中の公安警察は大真面目にやっていたりしますし。
警察もまあ、昔の汚点を隠蔽するためとはいえ、ずいぶんとまだるっこしいことをやっているなぁ、と見ているこちらの方がツッコミを入れずにいられなかったのですけどね。
元々作中の警察は、犯罪捜査や真実の隠蔽のためならば手段を問わず、殺人も拷問でさえも躊躇しない集団として描かれているのに、わざわざ25年も監視「のみ」を続けなくてはならない理由が必然性が一体どこにあったというのでしょうか?
あんなことをするよりも、25年前に事件の関係者一同を全員殺してしまっていた方が、事件の隠蔽という観点から言っても、面倒な手間やゴタゴタを事前に抑止するという観点から見ても上策だったでしょうに。
25年前に高岡祐市が高岡家に引き取られた理由も、養父たる高岡宏則の個人的な「罪滅ぼし」でしかなかったのですし、高岡祐市を殺してはいけない理由自体がないに等しいのですが。
そのくせ25年後になると、今度は高岡家の面々を殺すことに何の躊躇もないときていますし。
どうにも作中の警察は、悪逆な組織であるかのごとく描かれている割には、肝心なところで冷酷に徹しきれない中途半端ぶりが浮き彫りになっているとしか評しようがありませんでした。
物語のラストで高岡祐市に銃を発砲しその場で倒しておきながら、それを介抱していたリサも口封じに一緒に殺そうとしたのを制止した行為も意味不明でしたし。
主人公死亡?のためにほとんどバッドエンド的な終わり方になってしまったことも含め、あのラストシーンは映画の評価を大きく下げるシロモノにしかなりようがなかったですね。

また、日本に革命をもたらすために活動しているという、一昔前の左翼学生運動を髣髴とさせるテロ組織も、関口琢馬の狂人ぶりが前面に出過ぎていて、狂信的な過激派以上のものが今ひとつ伝わりにくいものがありますね。
一応彼らも、警察の陰謀論や監視の仕掛けを見破るだけの知識や能力は持っているわけですし、もう少し冷静沈着かつ警察に対抗しえるだけの存在として描く余地は充分にあったのではないかと思えてならないのですが。
ある意味「古典的」な警察の悪逆描写と併せ、昔懐かしい左翼思想のノスタルジアをベースに今作の脚本は制作されたのではないかとすら思えてしまうほどに、ストーリー構成や設定面については時代錯誤かつチープな内容もいいところでしたね。
それこそ25年前に今作が製作・公開されていたら、あるいは「時代のニーズと合致した作品」として大ヒットしえたのかもしれませんが(苦笑)。

ところで、細々とながらも上映されてきた「TOEI HERO NEXT」シリーズというのは今作で終了、ということになるのでしょうか?
前回のシリーズ作品である「ぼくが処刑される未来」では、エンドロール後に今作の次回予告みたいな特典映像が出てきていたのですが、今作にはそれが全くなかったんですよね。
となると、「TOEI HERO NEXT」シリーズは今作で打ち止め、という可能性も大いに考えられることになってしまうのではないかと。
まあ、劇場公開される映画館の数からして全国20箇所程度、しかも公開時期も2~3週間あるかどうかというレベルでは、興行収益的な観点から見ても採算が取れるようにはまるで見えないのですし、いつ打ち切りになっても何の不思議もないシリーズではあるのですが。
正直、次代の映画俳優を育成するための映画作品というコンセプト自体は必要な部分もあると思いますし、個人的にはもう少し続けてもらいたいところではあるのですけどね。

第5回くまもとラーメン祭に行ってきました

昨日、熊本県益城郡益城町にあるグランメッセ熊本で、2013年2月10日~11日の期間で開催されている「第5回くまもとラーメン祭」に行ってきました。
今年は県内16店および県外から6店の合わせて22店舗のラーメン屋が一堂に会し、それぞれのラーメンの味を競い合っていました。
公式サイトはこちらとなります↓

http://www.kumamoto-ramen.jp/

過去のくまもとラーメン祭では、お昼時の時間帯を狙って現地に向かっていたために常に大渋滞と駐車場探しに翻弄させられたことから、混雑が収束し始める15時頃の時間帯にグランメッセ熊本に着くよう調整。
予想通り、今年は過去のくまもとラーメン祭でしばしば見舞われた混雑とは全く無縁の状態で、短時間であっさり会場入りすることができました。
会場で行われるイベントには興味ないので、これでも充分なんですよね。
今回食べてみた店舗のラーメンは「黒亭」と「ラーメン 桑庵」の2店舗。
本当は22店舗完全制覇もやってみたいところなのですが、1杯当たりの量と金額を考える結構難しいところでしてね(T_T)。

以前から考えていることなのですけど、くまもとラーメン祭というのは「ラーメンを客に紹介し食べてもらう」ことに主軸を置いているイベントなのですから、1杯当たりの量と金額はどちらももう少し少なくして薄利多売方式にでもした方が、イベントの方針にも沿っている上に却って儲けが出るのではないのかと。
むしろ、ラーメン店舗と一緒に出店している屋台や売店などの方が、ラーメンよりも安い価格のサブメニューを提示できたりしているのですし。
もう開催をはじめてから5年にもなるのですし、もう少しやり方を変えてほしいところではあるのですが。

映画「ゴーストライダー2」感想

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映画「ゴーストライダー2」観に行ってきました。
マーベル・コミックの同名マンガを原作とする、ニコラス・ケイジ主演のホラー・アクション映画「ゴーストライダー」の続編作品となります。
ただ、続編とは言っても、前作を観賞せずとも楽しめるストーリー構成にはなっていたりします。
……あまり良くない意味において、ではあるのですが。

前作から8年後。
東ヨーロッパの断崖絶壁のような場所にある修道院に、バイクに乗ったひとりの男がやってきました。
モローと名乗るその黒人風の男は、その修道院が匿っているダニーという名の少年を、ただちに「聖域」と言われる場所へ移送するよう要求します。
その子は悪魔が狙っており、ここは今すぐにも悪魔の襲撃を受ける危険がある、と。
修道院側は圧倒的に有利な地の利と近代設備があるから大丈夫だろうと主張するのですが、その直後、修道院は本当に襲撃を受けてしまいます。
安全だったはずの修道院はあっさり壊滅してしまい、モローはダニーを死守すべく襲撃者と単独で一戦交える羽目に。
一方、襲撃者がターゲットしていたダニーは、母親のナディアと共に修道院を脱出。
襲撃者達はただちにダニーの追撃を開始しますが、その襲撃者をさらに追ってきたモローの必死の妨害により足止めをされてしまい、ダニーを逃がすこととなってしまうのでした。

その頃、前作から引き続き主人公のジョニー・グレイズは、アメリカから遠く離れ、東ヨーロッパの一角に身を潜めるような生活を送っていました。
そこへ、修道院で襲撃者達を妨害した際に断崖絶壁に落ちていったモローがやってきます。
警戒感を露わにするジョニーでしたが、モローはジョニーが「ゴーストライダー」であること、そして彼がゴーストライダーの暴走に悩まされていることを喝破した上で、ジョニーに対しダニーを守るように依頼を持ちかけるのでした。
そして、依頼が達成されれば、ジョニーにかけられた「ゴーストライダーの呪い」から解放してやる、とも。
一方、修道院から逃走していたダニーとナディアは、修道院を襲撃したのと同じキャリガン一派に見つかってしまい、今まさに囚われの身になろうとしていました。
そんな中、悩んだ末にジョニーはモローの依頼を受けることを決心し、ダニーを守るべくゴーストライダーに変身してダニーの元へと急行するのですが……。

映画「ゴーストライダー2」は当然のことながら前作「ゴーストライダー」の続編であるはずなのですが、前作とのストーリー的な整合性がなく、また設定も前作とは大きく異なっている部分が多々あります。
今作のために私は前作の「ゴーストライダー」も事前に観賞していたのですが、それと比較してみると「こんな設定あったっけ?」と首を傾げたくなるシーンがしばしば展開されていたりするんですよね。
序盤で早くも判明するその手の設定の齟齬の第一手は、前作でジョニー・グレイズがゴーストライダーの契約を悪魔メフィストと結んだ際の回想シーンです。
今作の回想シーンでは、悪魔メフィストとの契約の際、ジョニーが自分から契約書に血をバラまき、契約が成立した様が描かれています。
しかし前作におけるジョニーは、巻き物状になっていた契約書を広げる際、誤って自分の指を切って契約書に血をつけてしまったに過ぎないのです。
また、ジョニーが父親を助けたいがためにゴーストライダーの契約を交わしたのは前作と同じなのですが、作中では真の動機として「それは父親のためではなく、父親と一緒にいることを願った自分のためだった」と告白するシーンがあります。
しかし前作におけるジョニーは、元々父親とは仲が良くなかった上、病気のことを知る前には恋人と駆け落ちをする約束まで交わしており、父親の回復後には父親と決別する気満々だったのではないかというフシが多大なまでに伺えるのですが……。
回想シーンと前作における実際の契約の描写がまるで違っていて、「何故こんな変なことをやっているんだ?」と疑問に思わずにはいられませんでした。
その理由はどうやら、前作と今作で悪魔メフィストを演じている俳優さんが異なっていることにあるようなのですが。
前作で悪魔メフィストを演じたのはピーター・フォンダという俳優だったのですが、今作でその役を担っているのはキーラン・ハインズという全くの別人だったりします。
当然、その外見も姿形も全くの別物で、この2人が同一人物と断じるのはほぼ不可能なレベルなんですよね。
というか実際、前作と今作を立て続けに観賞した私自身、物語終盤までこの2人が同一人物とは全く考えておらず、終盤付近におけるジョニーとメフィストの会話でやっとその事実を把握したくらいでしたし。
前作と今作で同じ登場人物を出すのであれば、俳優もまた前作と同じ人にして欲しかったところだったのですけどね。

また、ジョニー・グレイズがゴーストライダーから解放されたがっているという作中の設定にも違和感があります。
そもそもジョニーは、前作のラストシーンで「契約は達成されたからお前の呪いを解いてやろう、君は自由だ」と申し出たメフィストに対し、「この呪いは俺が背負っていく、そしてこのゴーストライダーの力でお前を倒す」と啖呵を切って拒絶していたはずではありませんか。
このラストシーンから考えれば、今作でジョニーが「ゴーストライダーの力」を疎んじ、その呪いから解放されたいと願うこと自体がおかしな話であると言わざるをえないのです。
ジョニーの目的だった「ゴーストライダーの力を使ってのメフィストの打倒」は全く達成されていなかったのですし。
にもかかわらず、その目的も達成されないままに「ゴーストライダーの呪い」からの解放を切望し、それが達成されると喜びまくっていたジョニーの描写は、何とも支離滅裂なものがあるとしか評しようがありません。
メフィストを倒した後に「ゴーストライダーの呪い」からの解放を願う、というのであればまだ理解できなくもなかったのですが。
まあ最大限好意的に解釈すると、前作から8年もの歳月が経過したことで、ジョニーの精神も摩耗してしまっており、目的を見失い精神的な挫折状態にでもあったのかもしれないのですが、この期に及んでそんなことを考えるくらいならば、前作のラストでメフィストの申し出を素直に受けていれば良かったじゃないか、と当然のごとく私はツッコミを入れずにいられなかったですね。

さらに、ゴーストライダーの特性自体も大きな変更点が発生していたりします。
ゴーストライダー最大の武器である「贖罪の目(ペナンス・ステア)」の描写がなくなり、使用武器はほぼ「地獄の炎(ヘルファイア)」オンリーとなっています。
その代わり、巨大なクレーン車やトラックなどを炎で包み込んで敵を攻撃する描写が追加されてはいましたが。
そして何よりも大きな変化は、物語終盤でゴーストライダーが陽の光が出ている中でも堂々と活動できていたことにあります。
前作のゴーストライダーは、太陽の光に当たるとゴーストライダーの変身が解除されジョニー・グレイズに戻ってしまうという問題があり、彼の活動時間は夜がメインだったのですが、今作の終盤では太陽が出ている朝の時間帯に敵とカーチェイスを繰り広げていたりします。
一体いつの間に陽の光の弱点がなくなったんだ、と疑問に思わずにはいられなかったところですね。
こちらの場合は、一度「ゴーストライダーの呪い」から解放されたジョニーが再度ゴーストライダー化を望み、悪魔の力を覚醒させつつあったダニーによってそれが実現するという描写があったので、その際に陽の光の弱点も解消されていたのかもしれませんが。
この辺りも、作中では説明がまるでないので非常に困惑させられたものでした。
今作の映画製作者達は、今作を製作する際に映画版の前作の流れをきちんと踏まえていたのだろうか、という疑問符すらつけざるをえないですね。

確かに今作は、前作を観賞していなくても充分に楽しむことができる構成にはなっていると言えるでしょう。
何しろ、前作との繋がりや整合性がまるでないのですから、むしろ前作を観賞する方が混乱させられることにもなりかねないわけで(苦笑)。
作品単独としてはともかく、作品毎に相互の時系列や関連性のあるシリーズ物としては完全に失格な出来なのではないですかね、今作のシナリオ構成は。

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