映画「図書館戦争」感想&疑問
映画「図書館戦争」観に行ってきました。
有川浩の同名小説を原作とする、岡田准一・榮倉奈々主演のSFアクション大作。
「図書館戦争」は、元々アニメ化された後に「図書館戦争 革命のつばさ」というタイトルで映画化もされていたのですが、そちらは全国わずか30スクリーンでの上映ということもあり、熊本では全く観賞することもできないまま終わってしまっていました(T_T)。
それだけに今回の実写映画版は、公開が決定したことを知ってすぐに観賞リストに追加したほど、期待の高い作品でもありました。
しかも今作では、「SP」シリーズで奇抜なアクションシーンを見せてくれた岡田准一が主演、という大きなプラス要素もあったわけですし。
個人的に、映画観賞前の期待度という点では、今年前半期に上映される映画の中では一番だったと思いますね、今作は。
物語の舞台は並行世界?の架空の日本。
この世界の日本では、1988年に当時の国会で「メディア良化法」が成立するまでは、現実世界と全く同じ歴史を歩んでいます。
「メディア良化法」とは、公序良俗を乱し人権を侵害するとされる表現を規制するために制定された法律で、その対象は新聞・週刊誌等の紙媒体マスメディアはもちろんのこと、個人の著書やWebサイトなども含まれています。
「メディア良化法」の施行に伴い、その法の執行を行う機関「メディア良化委員会」が設置され、「メディア良化法」の名の下で苛烈な言論弾圧が開始されることになりました。
翌1989年1月、この世界でも昭和天皇が崩御され、新たな元号が制定されました。
この世界の日本で新たに採用された元号は「平成」ではなく「正化」。
「正化」は実際に「平成」と並ぶ新元号の有力候補のひとつだったのだそうですが、これ以降、日本国内における言論弾圧はますます激しさを増していきます。
「メディア良化委員会」は、検閲に抵抗する者に対する武器の使用まで認められ、自衛隊と並ぶ国内最大の武装集団へと躍進していくのでした。
そんな中、図書館だけは唯一、メディア良化委員会からの言論弾圧から免れ、かろうじて表現の自由を守り抜いていました。
しかし正化11年(西暦で言えば1999年)、公共図書館のひとつである日野市立図書館が、メディア良化委員会に同調する武装化された政治結社集団に襲撃されるという「日野の悪夢」と呼ばれる事件が発生します。
この事件では貴重な図書が1冊を除き全て損壊した上に総計12名の死者を出し、しかも警察の対応が大幅に遅れたことから被害が拡大。
結果、図書館側は「警察は自分達を守ってはくれない」と、独自に武装化する道を歩み始めます。
さらに正化16年(2004年)には図書館法が改正され、図書館の武装化を規定した条文が追加されたことにより武装化が合法化され、図書館の私設軍隊と言える「図書隊」が設立されるに至ったのでした。
以来、「図書隊」と「メディア良化委員会」は何かにつけて対立を続け、市街戦すら演じるほどの犬猿な関係となっていくのでした。
そして正化31年(2019年)、物語の本編が開始されることになります。
この年、図書隊に笠原郁(かさはらいく)という女性が入隊してきました。
一応は今作の主人公である彼女は、高校時代に所持していた本をメディア良化委員会の検閲で没収されそうになった際、図書隊の隊員によって窮地を救われた過去があり、以来、名前どころか顔すらもマトモに見ていないその隊員に憧れ、また再会を期して図書隊へ入隊したのでした。
その笠原郁の最初の上官となったのは、コチコチの規律至上主義的な言動を繰り広げ、鬼教官として恐れられている堂上篤(どうじょうあつし)。
彼は笠原郁に対し、しばしば手を挙げたり怒鳴りつけたりするなどして厳しく指導したことから、笠原郁から反発と陰口を叩かれるようになってしまいます。
堂上篤が笠原郁に厳しく当たるのには、実は彼個人の全く私的な理由があったのですが。
やがて笠原郁は、元々の素質と堂上篤の厳しい指導の賜物なのか、図書隊初の図書特殊部隊(ライブラリータスクフォース)の隊員として配属されることになります。
そして彼女は、図書隊が置かれている現実の厳しさを目の当たりにすることとなるのですが……。
映画「図書館戦争」における図書隊やメディア良化委員会、および両陣営の戦いについては、正直いくつものツッコミどころがあると言わざるをえないですね。
それを一番痛感せずにいられなかったのは、植物人間状態の館長が死去したのに伴い閉鎖されることになった小田原の情報歴史図書館の資料を巡って発生した、図書隊とメディア良化委員会との戦いですね。
この戦いでは、図書館にバリケードを張り巡らせて籠城しつつ、ヘリ輸送による空輸で資料を運ぶ時間を稼ぐ図書隊と、それを攻撃するメディア良化委員会という図式で進行することになったのですが、その実態は、第一次世界大戦当時の塹壕戦レベルなシロモノでしかないんですよね。
両陣営共に自動小銃を装備し、互いに撃ち合いながらの戦いは一見派手ではあるのですが、自動小銃程度では図書隊が築いたバリケードを突破することも、盾を並べて進軍するメディア良化委員会の進軍を阻むことも難しく、戦いは長期戦(と言っても数時間程度ではあったでしょうけど)の様相を呈してきます。
しかし、もしどちらかの陣営がロケットランチャー等の重火器や戦車・航空機などを駆使した軍事作戦を展開していれば、あの戦いは数時間どころか数分程度であっさりとケリがついてしまったことでしょう。
どちらの陣営も、自動小銃が標準装備という、日本の警察など及びもつかないレベルの武装化を既に達成しているにもかかわらず、更なる重武装を志向しないのはあまりにも不自然です。
「法律で重武装が規制されていた」というのであれば、では何故自動小銃による武装は許したのか?という疑問が逆に生じてしまいます。
特に図書隊なんて、法的・治安維持の観点から見れば、地方政権による軍閥ないしは私設軍隊と見做されても何の違和感もないようなシロモノなのですし、日本国内における銃撃戦や市街戦が想定されるような法体系の成立自体、他国はいざ知らず、治安の良さが売りの日本では論外もいいところではありませんか。
特に図書館の武装化を認める法律の成立なんて、日本国内で内紛が発生するのが最初から誰の目にも明らかだったのではないのかと。
一方では「武器の所持を特定の組織・個人相手に認める」などという、日本の治安を揺るがしかねない大変革を行いながら、他方では中途半端に武器の種類を制限・選別する。
これって「メディア良化法」など比べ物にならないくらいの大失政なのではないかと思えてならないのですけどね。
また、メディア良化委員会については、警察や自衛隊でさえそうそう簡単に行使しえない先制攻撃の自由が事実上与えられているに等しい(検閲に逆らう相手には武器の使用が認められ、かつその判断はメディア良化委員会の裁量に委ねられる)のですから、その利点を最大限に有効活用するという観点から言ってもなおのこと、重武装を志向してはいけない理由が全くありません。
また、専守防衛思想を旨とする図書隊の基本スタンスから考えても、メディア良化委員会は重武装すべきなのです。
作中でも図書隊の面々が主張していることなのですが、専守防衛思想というのは「まず相手に撃たせてから反撃する」というのがベースの考え方です。
ならばメディア良化委員会としては、その思想を逆手に取り、最初の一撃で敵を壊滅状態に追い込めるだけの火力を充実させる必要性が確実にあるわけです。
極端なことを言えば、敵が死守する図書館に核ミサイルを撃ち込むような体制を構築しえれば、メディア良化委員会にとって図書隊など敵でも何でもなくなってしまうのです。
さすがに核ミサイルは不可能であるにしても、先制攻撃の一撃で圧倒的火力による超飽和同時多方面攻撃を仕掛け、敵に壊滅的打撃を与える程度のことくらい、考えない方がむしろ変というものでしょう。
何しろ、最初の一撃だけは相手からの妨害を全く考慮する必要がないのですから。
専守防衛などという軍事的にはマイナス以外の何物でもない弱みを自ら進んで抱え込むような図書隊に対し、何故メディア良化委員会が同水準の武装でもってバカ正直に付き合ってやらなければならないのでしょうか?
さらに奇怪なのは、図書隊がヘリを使った空輸で図書館の資料を運び出す際、メディア良化委員会側がヘリを撃ち落とそうとすらせず、ただ黙って飛び去っていくがままに放置していたことです。
ヘリについては、一部の兵士?達がヘリに向かって銃撃している描写が一応ありはしたものの、ヘリに対する具体的な行動と言えばそれくらいなものでしかありませんでした。
しかしこれにしても、自動小銃よりもさらに強い火力を持つ武器を用いてヘリを撃墜すれば、メディア良化委員会は簡単にその目的を達成することができたはずなのです。
元々メディア良化委員会が小田原の情報歴史図書館を襲撃したのは、そこに眠っている「自分達に都合の悪いことが書かれている資料」を我が物とすること、もしくはその資料を亡き物にしてしまうことが目的だったはずです。
ならば空輸を妨害するという行為は、その目的を達成する最も簡単かつ確実な方法となりえるわけで、ここでメディア良化委員会側がヘリ撃墜を志向してはいけない理由が全くありません。
ヘリが銃撃されていたシーンがあったことから考えても、「ヘリを攻撃・撃墜してはいけない」というルールがあったわけでもないようですし。
また、単なる軍事的な理由に限定しても、ヘリから地上へ向けて銃撃等の支援があるというだけでも、攻撃される側にとっては充分過ぎるほどの脅威となりえるのですし、自己防衛という観点から言ってさえも、ヘリ撃墜は大いに正当性を主張しえるでしょう。
というか、私は戦いの最中に呑気にやってきたヘリを見た瞬間に「ああ、このヘリは撃墜されるな」と考えたくらいだったのですが。
にもかかわらず、ヘリがあっさり資料が満載されたコンテナ?を機体に接続して空輸して去っていったのを見た時は目が点になりましたよ(苦笑)。
ヘリを1機撃墜しただけでも、目的達成に向けて大きく前進したはずのメディア良化委員会は、わざわざ小田原くんだりまで集団でやってきて一体何がしたかったというのでしょうか?
まさか、図書隊の面々と戦争ごっこや陣取りゲームがやりたかった、というわけではないでしょうに。
国家的権力による検閲制度とそれを遂行する機関の存在、というコンセプト自体は、現実世界でも表現規制問題があったりするのでそれなりの説得力や現実感もあるのですが、警察や自衛隊以外の特定組織が、よりによって法律のバックアップを受けて武装化されるというのはあまりにも非現実的過ぎますね。
今の日本で個人の銃の所持が合法化されたり、暴力団等の武器所持が合法化されたりするとなったら、それに無関心でいられる人間がどれだけ存在するというのでしょうか?
表現の自由の侵害はただちに国民生活には直結しない(もしくは「直結しないように見える」)かもしれませんが、治安と安全の問題はすぐさま国民生活に関わってくるのですから。
「図書館戦争」の世界における日本では、南アフリカのヨハネスブルグ並の最悪水準で治安が悪化しているか、映画「エイトレンジャー」のごとく警察が完全に無為無力化しているという設定でもあったりするのでしょうか?
そのレベルで治安が悪化してでもいないと、特定組織や個人の武装化なんて、検閲の有無と関係なく法的に認められるものではありえないのですけどね。
図書隊も、図書館法などで合法とされるのではなく、全体主義に堕ちた国家と戦う非合法なレジスタンス組織として描かれていた方が、まだリアリティ的なものは出てきたのではないのかと。
映画の設定以外の面を見てみると、やはり今作では「SP」シリーズ以来となる岡田准一のアクションシーンが盛大に披露されていて充分な見応えがありますね。
彼が演じる堂上篤は、「SP」シリーズの井上薫が挫折な人生経験を経て規律至上主義になったような人物でしたし(苦笑)。
前回の主演作である映画「天地明察」では全くアクションがなかったですし、その点でも今作は満足な構成ではありました。
一方で、榮倉奈々扮する笠原郁は、軍隊的な雰囲気を持つ図書隊と盛大なミスマッチをやらかしているのではと思えるほどに軽いノリな調子が多々伺えます。
原作のキャラクター自体もそうなのでしょうが、軍人というよりは「世間知らずな女子高生」的な感じにしか見えなかったですね。
活躍度という点でも、終盤以外では味方の足を引っ張っているだけのようなイメージが強いですし。
女性から見れば感情移入しやすいキャラクターではあるのでしょうが、個人的には「主人公ではなく脇役だったら良かったのでは?」というのが感想ですね。
原作の「図書館戦争」は4巻まであるのだそうですが、実写映画の「図書館戦争」も4作までシリーズ化されるのでしょうかね?
岡田准一のアクションシーンが引き続き披露されるのであれば、是非ともそこまで作り込んで欲しいところではあるのですが。