映画「オブリビオン」感想
映画「オブリビオン」観に行ってきました。
「ミッション:インポッシブル」シリーズや「アウトロー」のトム・クルーズが主演のSFアクション大作。
先月の2013年5月は何故か公開映画が異様に少なく、実に3週間ぶりに映画館にやってきたにもかかわらず、公開映画のラインナップが3週間前とあまり変わっていなかったことに少々愕然とせざるをえなかったですね(苦笑)。
TOHOシネマズが6月から高校生1000円サービスを始めたことと、何か関係でもあったりでもしたのでしょうかねぇ……。
映画「オブリビオン」の舞台は、2077年の地球。
この世界の地球は、60年前の2017年に「スカブ」という名のエイリアン達による侵略を受け、月を破壊された世界的規模の災害の発生と「スカブ」の攻撃によって荒廃してしまっています。
核攻撃まで交えて何とか「スカブ」との戦いに勝利した人類達の多くは、土星の衛星のひとつ「タイタン」に居住地を作り移住。
残りもまた、地球の衛星軌道上?に浮遊している「テット」と呼ばれる宇宙ステーションで地球を監視する任務に当たっており、地球は人類がほとんど住むことのない星と化していたのです。
ただ、そんな地球にもひとつの例外がありました。
それは、地上からはるか数千メートルに拠点を構え、海上に浮かぶ巨大な採水プラントを警備・監視する「ドローン」と呼ばれる無人偵察兼攻撃機を管理する2人組の存在でした。
オペレーターの女性ヴィクトリアと、今作の主人公で現場パトロール兼修理屋のジャック・ハーバー。
2人は地球での任務に従事するに際し、生き残りの「スカブ」達に囚われても情報を与えないようにするため、任務に従事する前までの記憶を完全に消去されています。
地球での任務終了を2週間後に控えた2人は、一方はその日を待ちわび、他方は地球を離れたくないと考えながら、2人以外は誰もいない世界での任務をこなしていたのでした。
そんなある日、採水プラントを警護・巡回しているドローンのうち、2つほどが消息を絶つ事件が発生します。
テットからの報告とヴィクトリアのサポートに基づいてジャック・ハーバーが急行した最初の現場は、60年前にベースボールだかフットボールだかの試合が行われていたらしいスタジアム跡地。
そこに不時着していたドローンの動力部?を交換し、まずは1台目のドローンを再起動させることに成功するジャック・ハーバー。
そして、消息を絶ったもうひとつのドローンを探し求め、今度は地下深くに埋もれている図書館の跡地らしきところにジャック・ハーバーは潜り込みます。
しかし、そこで示されていたドローンの反応は、ドローンを修復する者を誘き出すための罠であり、まんまと引っかかったジャック・ハーバーは「スカブ」達の奇襲を受けることになってしまいます。
思わぬ事態に必死で応戦するジャック・ハーバーは、ドローンの突然の来援もあり、何とか危機を脱することに成功するのですが……。
映画「オブリビオン」では、物語の前半と後半で主人公が置かれる立場と環境が180度変化します。
実はドローンを管理しているジャック・ハーバーとヴィクトリアは、元々「スカブ」の地球侵攻があった2017年に、侵略者の母艦的存在だった「テット」の調査に赴いていたのです。
その際、彼らは「テット」でおそらくは囚われの身となってしまい、自身のクローンを大量に作られ、侵略の尖兵とされてしまっていたのでした。
当然、地球でドローンの管理に当たっているジャック・ハーバーおよびヴィクトリアもまた、そのクローンの一員だったというわけです。
そして一方、彼らが「スカブ」と呼んでいる存在こそ、「テット」の侵攻によって壊滅的な被害を被った人類の生き残りだったのです。
作中のドローンは、「スカブ」どころか地球に不時着してきた宇宙船に搭乗していた冷凍状態の人間にすら平気で攻撃を仕掛けていましたが、その不可解な謎もそれで説明できるわけですね。
また物語後半では、主人公とは全く別の区画で主人公と同じくドローンの管理を行っているもうひとりのジャック・ハーバーと、そのサポートに当たっているヴィクトリアが登場していたりします。
終盤近くではドローンとの熱いバトルも繰り広げられていますし、SF的なツールを総動員して展開されるストーリーはなかなか見応えがありますね。
主人公が自分の正体と立場に気づいた瞬間に、ああまで世界が変わってしまうという事実をあそこまで表現できるというのは、ある意味凄いことなのではないかと。
一方、今作のストーリーで違和感があったのは、オリジナルのジャック・ハーバーの妻だったジェリアが、クローンのジャック・ハーバー相手に何の疑問も抱くことなく接していることですね。
作中で再会したばかりの頃はクローンの話なんて知らなかったわけですから必然であったにしても、後の方では2人のジャック・ハーバーと格闘しているシーンを彼女は直接目撃しているわけですし、終盤では自分が頼りにしているジャック・ハーバーがオリジナルではなくクローン、つまり「自分が愛したジャック・ハーバー本人」ではなかったことを理解しえなかったはずがないのですが。
確かにオリジナルのクローンなのですから、記憶自体はオリジナルと全く同じものを持ち得て当然でしょうが、しかしそれでも厳密に言えばクローンはあくまでもクローンであり、オリジナル本人ではありえないわけで。
いくらオリジナルの容姿と記憶を持っていると言っても、ジェリアにとって、クローンのジャック・ハーバーはあくまでも「他人」でしかないはずなのですが、その辺りのことを作中のジェリアは全く自覚している様子がないんですよね。
それどころか、ラストではテットと共に自爆した主人公のジャック・ハーバーの忘れ形見である娘と生活していたジェリアが、物語中盤で主人公と格闘していたもうひとりのジャック・ハーバーと再会し、2人して笑顔で見つめ合うという描写があったりします。
彼って、60年後の世界でジェリアを助けた主人公こと「技師49」のジャック・ハーバーとさえも全く異なる別人でしかないはずですし、あの時点のジェリアがそれを知らないはずもないでしょうに、何故ああまでオリジナルのジャック・ハーバーと全く同じように接することができるのか、大いに疑問を覚えざるをえないところです。
ジェリアにとって、相手がジャック・ハーバーでさえあれば、それがクローンなのかオリジナルなのかは全く問題ではなかったりするのでしょうかねぇ(@_@)。
クローンをオリジナルと混合しても良いのか?とか、結構哲学的な命題も多分に含んでいそうなエピソードではありますね、ジェリアの対応は。
トム・クルーズのファンであれば、まずは押さえておいて損はない作品ではないかと。