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映画「大奥 ~永遠~ 右衛門佐・綱吉篇」感想

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映画「大奥 ~永遠~ 右衛門佐・綱吉篇」観に行ってきました。
白泉社が出版する隔月刊誌「メロディ」で連載されている、よしながふみ原作の同名少女マンガの実写化映画2作目で、徳川5代将軍綱吉の時代を舞台とした作品。
今回は1作目映画はむろんのこと、原作も全巻既読、さらにはTBS系列で放映されたテレビドラマ版をも全て網羅した上で臨むという、これ以上ないレベルの事前準備が整った上での観賞と相成りました。
正直、1作目映画を観賞するまでは、原作や原作者の存在すらも全く知らなかったくらいだったのですが、人生一体何がきっかけになるのか、分からないものですね(苦笑)。
なお、過去の「大奥」に関する記事はこちらとなります↓

1作目映画「大奥」について
映画「大奥」感想&疑問
実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想

原作版「大奥」の問題点
コミック版「大奥」検証考察1 【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】
コミック版「大奥」検証考察2 【徳川分家の存在を黙殺する春日局の専横】
コミック版「大奥」検証考察3 【国内情報が流出する「鎖国」体制の大穴】
コミック版「大奥」検証考察4 【支離滅裂な慣習が満載の男性版「大奥」】
コミック版「大奥」検証考察5 【歴史考証すら蹂躙する一夫多妻制否定論】
コミック版「大奥」検証考察6 【「生類憐みの令」をも凌駕する綱吉の暴政】
コミック版「大奥」検証考察7 【不当に抑圧されている男性の社会的地位】
コミック版「大奥」検証考察8 【国家的な破滅をもたらす婚姻制度の崩壊】
コミック版「大奥」検証考察9 【大奥システム的にありえない江島生島事件】
コミック版「大奥」検証考察10 【現代的価値観に呪縛された吉宗の思考回路】
コミック版「大奥」検証考察11 【排除の論理が蠢く職業的男性差別の非合理】

テレビドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」
第1話感想  第2話感想  第3話感想  第4話感想  第5話感想  第6話感想  第7話感想  第8話感想  第9話感想  最終話感想  全体的総括

映画2作目の物語は、京の都にある冷泉家の閨で、後に右衛門佐と名を改める継仁が、子作りを目的に性行為に勤しむ様子が描かれる、原作5巻P13~P14のシーンから始まります。
冷泉家の女性とまぐわっている最中、突然ネズミの鳴き声と足音がして抱きついてくる女性をなだめながら、継仁は「自分はネズミや」と自虐まじりに思いを致すのでした。
そこで舞台は変わり、今度は原作4巻P117に戻り、メガネをかけ直した御台所付御中臈・秋本が、御台所(正室)・信平に刻限を告げ、桂昌院と伝兵衛と共に徳川5代将軍綱吉の「総触れ」が行われる様が描写されます。
大奥ではロクな男が物色できないことに飽きでもしたのか、綱吉は牧野備前守成貞に入り浸るようになります。
この世界では当然のごとく女性である牧野備前守成貞の夫は、館林時代に綱吉の愛人だった阿久里がおり、彼女は成貞が事前に用意した夜の世話のための男達には全く目もくれることなく、阿久里に自分の世話をするよう命じるのでした。
阿久里との「夜の営み」の後、満足気に帰っていく綱吉を見送る牧野家では、結果的に夫を寝取られることになった成貞のすすり泣きが響き渡るのでした。
その後、綱吉は1ヶ月の間に5回というペースで牧野家に入り浸り阿久里と夜を共にすることに。
さらに綱吉は、阿久里の健康状態が思わしくなくなったことを察すると、今度はその息子の貞安にも手を付け、大奥に入れてしまいます。
結果、阿久里と貞安は病死、貞安の妻も夫が綱吉に寝取られたことがショックで自害することとなり、一家をボロボロにされた牧野備前守成貞は隠居を申し出る羽目になったのでした。
それは、綱吉の寵愛?を自分ひとりで独占しようとする柳沢吉保の策謀でもあったのですが。

そんな中、綱吉にすっかり見向きもされなくなってしまった上、35歳のお褥すべりが迫っている自身の今後の立場や権力が気になった御台所・信平は、京から自身の子飼いとなるであろう公家の男を呼び、綱吉との間に子供を生ませることで、自身の立場を強化することを思いつきます。
そして、信平が京から呼び寄せた男は、物語冒頭に登場し改名した継仁こと右衛門佐だったのです。
右衛門佐は、巧みな社交辞令と政治的センスを駆使し、瞬く間に綱吉に気に入られたばかりか、有功ことお万の方以来長年空席だった大奥総取締の座を手にすることに成功。
さらに右衛門佐は、綱吉のひとり娘である松姫の「お腹様」だった黒鍬者の伝兵衛を隔離し、短期間のうちに大奥内で絶大な権勢を誇るようになっていきます。
しかし、右衛門佐が有功と瓜ふたつな顔立ちをしているために初対面でまんまと出し抜かれた綱吉の父親である桂昌院は、当然のごとく右衛門佐の台頭が面白くありません。
2人は綱吉の世継問題を巡って対立し、事あるごとに衝突することとなるのですが……。

映画「大奥 ~永遠~ 右衛門佐・綱吉篇」は、一応はテレビドラマ版から続く続編という位置付けではあるのですが、ストーリー自体は桂昌院関係のエピソードを除きほとんど関連性がないため、作品単体でも観賞は充分に可能です。
過去作を見ないと話の繋がりが分からない唯一のエピソードは、桂昌院が隆光に「綱吉に世継ぎができない理由」を尋ねた際、「殺生をしたことがあるか」と問われてショックを受けるシーンくらいです。
その理由については、原作2巻またはテレビドラマ版「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」の第3話で披露されていますので、今作が「大奥」初観賞で意味が分からなかったという方は、そちらを確認することをオススメしておきます。

また、テレビドラマ版に引き続き主演を担っている堺雅人が演じていた右衛門佐は、しかし原作と比べてもかなり大人しく静かなイメージがどうにも拭えなかったですね。
一応設定では「切れ者」ということになっており、綱吉や桂昌院相手にも物怖じすることなく堂々と渡り合っていた様が描写されてはいたのですが、どことなく「覇気」という要素が足りないというか……。
性格的には優しく誰にでも慕われるが鬱屈を自分の中に溜め込む気質な有功に対し、右衛門佐はどちらかと言えば野心と計算に基づいて他人を動かしている的なイメージがあるのですが、映画版の右衛門佐は「他人を動かす」的な描写が不足している感が多々あります。
秋本を自分の腹心として見出した理由とか、御用商人達を手玉に取って大奥へ搬入する物品の仕入値を値切るシーンとかいった、政治謀略家としての右衛門佐の側面が思いっきり省略されてしまっていましたし。
右衛門佐の腹心たる秋本にしても、大奥の動向を監視する「密偵の総元締め」的な一面はまるで描かれることなく、ただ右衛門佐の傍仕え兼語り部として登場していただけでしかありませんでした。
その手の描写は、右衛門佐の政治的センスやその方面における辣腕ぶりを示すものでもあったのですから、右衛門佐の有能性を示すという観点から言えば省略してはいけなかったのではないかと思えてならないのですが。
全体的に旧社会党ないしは社民党的な腐臭が漂う愚劣な女尊男卑的な人間や主義主張が披露されまくっている「大奥」世界において、右衛門佐というキャラクターは結構好評価なものがあっただけに、彼の有能性を示すエピソードの省略は何とも惜しいものがありますねぇ(T_T)。

今作では右衛門佐絡みのエピソードに限らず、原作におけるエピソードや設定を少なからず端折っていたり「なかったこと」にしたりしています。
たとえば、原作5巻における元禄赤穂事件の勃発から武家の男子相続禁止令までの流れは完全になくなっていましたし、秋本が大奥に入った真の理由「妹の絹との近親相姦と『他の女との間に子供を作りたくなかった』から」という動機も、結局映画版では言及されずじまいでした。
映画版は上映時間124分という時間枠しかなかったのですし、その限られた時間の中で原作ストーリーの全てを描くのは至難の業だった、という事情は当然あったでしょう。
しかし、テレビドラマ版が原作ストーリーの大部分を余すところなく描写していたことを鑑みると、原作既読者としては「やはり原作エピソードの抜けが多い」と言わざるをえないところですね。
その割に、原作でも右衛門佐の野心的な構想と共に鳴り物入りで登場していたにもかかわらず、結局いつのまにかフェードアウトしていた大典侍と新典侍は、原作の描写そのままな立ち振る舞いに終始していたりしましたし。
原作エピソードの取捨選択がどうにも中途半端で、もう少し何とかならなかったのかとついつい考えてしまいましたね。
まあ、原作でも問題だらけなエピソードだった、元禄赤穂事件後の綱吉が発した「武家の男子相続禁止令」がなくなったことについては、結果的には「削って良かった」と言えるシロモノではあったのですけどね。
検証考察6でも述べていますが、アレがあったら「大奥」世界における綱吉の歴史的評価がさらに悪化したであろうことは間違いないわけですし(苦笑)。

映画「大奥 ~永遠~ 右衛門佐・綱吉篇」が描きたかったテーマを挙げるとすると、それは「毒親からの解放」ということになるのではないですかね?
何しろ、綱吉の父親である桂昌院は、かつてのライバルだったお夏の方憎しという個人的感情と自己都合を、無理矢理綱吉に押し付けていた側面が多々あったわけで。
それだけに、次代の将軍として、綱吉の姉で故人の徳川綱重の娘・綱豊を養子に迎えることを決定した際の綱吉の決断は相当なまでに重いものがあったでしょうね。
彼女にしてみれば、父親たる桂昌院を文字通り「捨てる」覚悟で事に臨まざるをえなかったわけですし。
ただ、そこまでできたのであれば、ことのついでに桂昌院を安心させる【だけ】のために定めた感すらあった「生類憐みの令」も一緒に廃止してしまえば良かったのに、とは考えずにはいられなかったところなのですが(^^;;)。
あの状況で、綱吉が「生類憐みの令」を廃止してはいけない理由なんてどこにもないわけですしね。
結局、「生類憐みの令」は次代将軍の家宣が廃止を宣言することになるわけですが。

ところで、この「大奥」シリーズは、徳川5代将軍綱吉の死後以降のストーリーについても、やはり映画化なりテレビドラマ化なりされるのでしょうかね?
すくなくとも、江島生島事件がメインとなるであろう徳川6~7代将軍の話は、普通に実写化されそうな感じではあるのですが。
これが実写化すれば、映画版1作目のストーリーにも繋がることになるわけですし、ここまで「大奥」を実写化するのであればやらない方が変だとは思うのですけどね。
まあ、この辺りは予算の都合とか人気の度合いにもよるのでしょうが。

しかしまあ今作は、いくら原作からしてそうだったとは言え、ストーリーが全体的に暗く、テレビドラマ版以上にあまり一般受けしそうな構成ではないですね。
テレビドラマ版も視聴率が芳しいものではなかったわけですし、今作が果たしてどれくらいの興行的な成功を収め得るのか、はなはだ心許ない限りではあります。

映画「エアポート2012」感想(DVD観賞)

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映画「エアポート2012」をレンタルDVDで観賞しました。
2012年にアメリカで製作された映画で、日本では劇場未公開の作品となります。
タイトルの末尾に「2012」とあるところを見ると、一応シリーズもの作品ではあるようなのですが、にもかかわらず劇場公開されない辺り、日本ではマイナーもいいところの映画であることが一目瞭然ですね(苦笑)。
ちなみに「エアポート」と銘打たれているタイトル名ではありますが、空港は何の関係もありません(爆)。

航空管制のミスが頻発したことから、アメリカでは人為的なミスを回避するための衛星ネットワークシステムが開発されていました。
その名はACATシステム。
軍用機で既に運用されているその衛星システムは、やがてスペースシャトルで2機目が打ち上げられ、民間機にも導入され、空の旅をこれまでよりもはるかに安全なものにするはずでした。
ところが、民間機での運用が開始されたその日のうちに、早くもACATはトラブルを引き起こしてしまいます。
宇宙空間で電気的なショート?を繰り返し、やがて衝撃波と共に衛星は破損。
破損によって発生した衛星の欠片が、次々と地球の引力に引き寄せられていきます。
それらの欠片群はアメリカ各地に落下、まずは地上での被害を拡大させていくのでした。

それより少し前、ACATが導入されたアメリカ東部クリーブランドの航空管制センターでは、かねてよりACATの導入に反対していたボブが、ACATと通信が取れなくなったことから懸念を抱き、中央の空域管理センターに対し、現在空を飛んでいる全ての航空機の着陸許可を求めていました。
しかし空域管理センターからは、「ただ今調査中、こちらで対処する」という官僚答弁的な返答をするのみで、ボブの意見を全く取り合おうとしません。
それどころか空域管制センターは、大統領一家を乗せた大統領専用機エアフォースワンを離陸させろとボブに命じてきたのでした。
当然ボブは「リスクが大きすぎる」と反対するのですが、その意見はまたも却下され、やむなくボブはエアフォースワンの着陸許可を出さざるをえなくなってしまいます。
デトロイトへと向かう予定のエアフォースワンの航路上には、同じくデトロイト行きの民間航空機アメリカーナブルー23便が飛行していました。
ボブはエアフォースワンとアメリカーナブルー23便と連絡を取ろうとするのですが、両者共に交信不能の状態。
事態の重大性を理解していたボブは、通常ならばまず考えられない非常手段を用いて両者との交信を試みようと画策を始めるのでした。
地上でそんな事態が発生しているとも知らず、つかの間の空の平和な旅を楽しむエアフォースワンとアメリカーナブルー23便の搭乗者達。
しかしそんな中、破損を続けつつもかろうじて稼働していたACATが、ついに破滅的な段階を迎えてしまい、システムが完全に狂ってしまうのでした。
狂ったACATは、エアフォースワンとアメリカーナブルー23便をコントロール不能にしてしまい、事態は悪化の一途を辿ることになります。
クリーブランド航空管制センターのボブ、エアフォースワンとアメリカーナブルー23便のパイロット達は、最悪の事態を回避すべく、それぞれの立場で動き回ることになるのですが……。

映画「エアポート2012」は、航空機で次から次に発生していく非常事態の数々と、それにパニックを引き起こしながらも対応していく人々の姿が描かれています。
パニックに襲われている当事者達は必死になって最悪の事態を回避しようとしているのですが、物語中盤は全く無為無力か、却って事態を悪化させているのが実情だったりします。
個人的に笑ってしまったのは、狂ったACATシステムによってエアフォースワンからミサイルを撃ち込まれたアメリカーナブルー23便の乗客達が、落雷の影響で機体に突っ込みながらも爆発しなかったミサイルを機外へ出すシーンですね。
機体から落下していった不発のミサイルが、地上のガソリンスタンドを直撃して爆発炎上した直後、ただただ目先の危機を回避した乗客達が安堵する姿が映し出される様は滑稽もいいところでした。
そりゃ彼らが立たされている状況的では、とにかく自分達が助かるためにもそうするしかなかったのでしょうが、地上では彼らの行為によって大変なことになってしまっているわけで(苦笑)。
また、飛行中の航空機に空中給油の要領で接続し大統領を救出する「サムフォックス作戦」の実行時には、大統領夫妻が揃いも揃って感情的かつヒステリックな対応に終始しているのはさすがにどうなのかと。
「サムフォックス作戦」は大統領を最優先で救出する作戦のはずなのに、それを自身の強権発動で強引に捻じ曲げ妻を先に機外へ出すよう指示する大統領とか、ただひたすら娘の安否ばかり心配して夫に食ってかかるファーストレディとか、自分達の立場や状況が本当に理解できているのかすら疑問視せざるをえない対応ばかりやらかす始末でしたし。
結果的にはその態度によって、元々失敗率が高かった「サムフォックス作戦」の失敗による犠牲を回避することができたとはいえ、それはあくまでも結果論でしかないわけで。
仮にも一国の、それも他国にまで多大なまでの影響力を及ぼす最高権力者として振る舞わなければならないアメリカの大統領一家がそれではちょっと……。
個人としては自己を犠牲にして他人を思いやる優れた人格と言えるのかもしれませんが、一国の最高権力者としては鼎の軽重を問われても文句は言えないでしょうに。
まあ、もしあの大統領が、実は「サムフォックス作戦」の成功率の低さを鑑みて、まずは自分の妻をある種の実験台として送り込んだ上でその成否を確かめるつもりだったというのであれば、その冷徹な判断ぶりは逆に賞賛に値するかもしれないのですが。
ただ、作中の描写を見る限りでは、件の大統領にそんな意図は全くなかったとしか言いようがなかったのですけどね。

ただこれ、全体的に見れば、航空機の中で生じた被害・犠牲者よりも、衛星破片の落下物によるそれの方が、数においても質においてもはるかに深刻な規模になっていると言わざるをえないでしょう。
アメリカーナブルー23便が地上の建造物等に与えた損害も、決して無視できるものではないのですし。
物理的なダメージだけでなく、ビルが立ち並ぶ街中を超低空飛行で飛んでいく様は、それを目撃したアメリカ国民の間で「911の再来」的な心理的恐怖まで与えていたのではないのかと(-_-;;)。
ラストはハッピーエンド的な結末で終わっていますが、事件後の後始末はさぞかし大変なものがあるでしょうねぇ、アレでは。
まずさし当たっては、欠陥だらけなACATシステムを導入した人間が責を問われ、場合によっては社会的に吊るし上げられることになるのでしょうけど。

航空機を扱ったパニック・ムービーや、緊迫感溢れるストーリー展開が観たいという方には、普通にオススメできる出来の作品ではあります。
ツッコミどころは色々とありそうなB級映画ではあるのですが(苦笑)。

テレビドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」 全体的総括

全10話構成で放映されたTBS系列の金曜ドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」。
全話が揃い、いよいよ新作映画版「大奥 ~永遠~ 右衛門佐・綱吉篇」の劇場観賞も控える今回は、第1話から最終話までの全体的な構成と感想をまとめてみたいと思います。
なお、過去の「大奥」に関する記事はこちらとなります↓

前作映画「大奥」について
映画「大奥」感想&疑問
実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想

原作版「大奥」の問題点
コミック版「大奥」検証考察1 【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】
コミック版「大奥」検証考察2 【徳川分家の存在を黙殺する春日局の専横】
コミック版「大奥」検証考察3 【国内情報が流出する「鎖国」体制の大穴】
コミック版「大奥」検証考察4 【支離滅裂な慣習が満載の男性版「大奥」】
コミック版「大奥」検証考察5 【歴史考証すら蹂躙する一夫多妻制否定論】
コミック版「大奥」検証考察6 【「生類憐みの令」をも凌駕する綱吉の暴政】
コミック版「大奥」検証考察7 【不当に抑圧されている男性の社会的地位】
コミック版「大奥」検証考察8 【国家的な破滅をもたらす婚姻制度の崩壊】
コミック版「大奥」検証考察9 【大奥システム的にありえない江島生島事件】
コミック版「大奥」検証考察10 【現代的価値観に呪縛された吉宗の思考回路】
コミック版「大奥」検証考察11 【排除の論理が蠢く職業的男性差別の非合理】

テレビドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」
第1話感想  第2話感想  第3話感想  第4話感想  第5話感想  第6話感想  第7話感想  第8話感想  第9話感想  最終話感想

まず、全体的な視聴率の傾向について見てみましょう。
テレビドラマ版「大奥」各話の視聴率は、それぞれ以下のようになっています↓

第1話 …… 11.6%
第2話 …… 10.6%
第3話 ……  7.9%
第4話 ……  7.6%
第5話 ……  8.9%
第6話 ……  9.0%
第7話 ……  7.1%
第8話 ……  7.0%
第9話 ……  7.0%
最終話 ……  8.3%
平均値 ……  8.6%

こうやって並べてみると、結局、初回放映分で記録した最高視聴率を、ついに超えることができなかったという感が多々ありますねぇ、テレビドラマ版「大奥」は。
他のテレビドラマと比較しても、この平均視聴率は下から数えた方が早い部類に入るのではないでしょうか?
視聴率が低い水準で推移した理由としては、やはり何と言っても「男女逆転・大奥」というキャッチフレーズが一般、特に男性受けしないことが一番響いているのではないかと。
ただでさえ男女共同参画とやらの弊害で、男女平等を通り越して「女尊男卑」の感すら漂わせている現代の風潮でこのキャッチフレーズは、表面的に見ただけでも男性側の反発を招くに充分なものがあるのですから。
実際には女性側にもそれなりの葛藤や苦しみがあるにしても、そんなものは忌避の感情を一時的にせよねじ伏せてある程度観賞しないと分からないわけですし、そこまでして「大奥」なる番組を観てみようと考える人は、こと男性の場合はかなりの少数派だったのではないでしょうかねぇ。
私のように、男女逆転なるものが実現している「大奥」世界の政治・社会システムに疑問を抱き、作品検証のためにコミック全巻購入した上、テレビドラマ版まで完全視聴するなんて「物好き」が、そうそう世の中に溢れているとも思えませんし(苦笑)。
その他の理由としては、全体的に「男女の性の問題」を扱っているために、家族一同、特に子供を交えての観賞というのがやりにくい構成だったことも災いしているかもしれません。
どう見ても、年端の行かない子供の教育的には確実に良くなさそうな内容ですしねぇ、アレは(-_-;;)。
番組内容が視聴者層をかなり限定的なものにしてしまったというのが、テレビドラマ版「大奥」が低視聴率に終始した最大の元凶と言えるのではないでしょうか。

原作との比較という観点から見ると、テレビドラマ版の原作に対する忠実度は相当なものがあると評することができますね。
特に前半は、コミック版と読み比べながら観賞しても全く同じ展開と台詞が続いていたりしましたし。
逆に後半ではオリジナル要素が激増の一途を辿っていましたが、こちらも「やっつけ仕事」的に大幅に省略されていた感のある原作ストーリーの穴を上手く補完する形で進行していました。
「原作レイプ」とは全く無縁の構成なので、原作ファン的には問題なく観賞できるテレビドラマだったと言えるでしょう。
ただ、これで原作を知らない全く新規の視聴者を獲得できるのかと問われれば、前述のキャッチフレーズの問題もあって難しいものがあるかもしれないのですが。
個人的に少々気になったのは、「赤面疱瘡」によって男性が激減し女性中心の社会になっていく過程の描写が、原作と比較して弱く説得力が少ないのではないかという点ですね。
原作では神原家がその手のエピソードを担っていたのですが、テレビドラマ版では神原家がいなくなってしまったため、「庶民の視点から見た社会的変遷」というものが軒並み削除されているのが痛いところで。
神原家は、話の本筋である「大奥」絡みのストーリーとはまるで絡んでこないエピソードばかりなので削除されたのでしょうが、一方で「赤面疱瘡」および男女人口比率の歪みを解説するためのツールとしては重要性の高いツールでもあったのですけどね。
まあこの辺りは、もっと単純に「予算の都合」という要素も働いていたのかもしれませんが。
神原家のエピソードを挿入するとなると、相当程度の配役を配置しなければなりませんし、農村風景なども詳細に描写しないといけなくなるわけで。
昨今のテレビ局が悪戯に製作費をケチっている懐事情はもはや周知の事実なのですし、今回のテレビドラマ版もその弊害を免れることはできなかったのではないかと。

徳川4代将軍家綱のエピソードなどは軒並み削除されてしまったのですが、これって復活することはたぶんないのでしょうねぇ(T_T)。
原作からして1話分程度の内容しかなく、ドラマ化する際には相当な部分をオリジナルストーリーで補完しなければなりませんし、
6代将軍家宣および7代将軍家継の時代が舞台となる江島生島事件辺りのストーリーは、次作映画からの更なる続編として、次作映画の公開終了後に出てくる可能性もあるかもしれませんが。
徳川4代将軍家綱は、元々その治世や知名度からして、3代と5代に挟まれる形であまりパッとしないものがありますからねぇ(-_-;;)。
まあ次作映画がヒットした場合は「映画の前日譚」という形で新規にドラマ化される可能性もなくはないでしょうが、そこまで次作映画がヒットするのかと言われると正直微妙なところではないかと。

今回のテレビドラマ版で「基本は善良だがどことなく暗い世捨て人」的な役柄の有功役を担った堺雅人は、次作映画では全く正反対な野心家である右衛門佐(えもんのすけ)役を演じることとなります。
テレビドラマ版でそれなりに好演していた堺雅人が映画版ではどんな顔を見せてくれるのか、その部分が両作品を観賞する際の楽しみのひとつでもあるでしょうね。

Twitterにおける全ツイートダウンロード機能が実装を開始

Twitterでこれまで投稿されてきた全てのツイートをダウンロードできる機能が実装を開始したそうです。
現在は一部の英語版のみの公開ですが、数週間~数ヶ月をかけて他国語にも順次対応していくとのこと↓

http://jp.techcrunch.com/archives/20121219twitter-confirms-download-your-tweet-archive-rolloutscreen-shot-2012-12-19-at-16-10-45/
> 長らく待ち望まれていたユーザーが自分の全ツイートをダウンロードできる機能について、Twitterは公開を開始していることを確認した。このTwitterアーカイブはユーザーが2007年頃に朝食に何を食べたか報告したツイートから最新のものまで全投稿をダウンロードしてローカルで閲覧できる。月別、キーワード別の検索も可能だ。
>
> Twutterは公式ブログで機能の公開を次のように確認した。
>
> 今日、われわれはメンバーが加入した当初からの全ツイート(リツイートも含む)のアーカイブをダウンロードする機能を公開した。Twitterのアーカイブは月ごとの表示ができ、キーワード、ハッシュタグ、@ユーザー名のメンションで検索もできる。古いツイートについても最新のツイートと同様の操作が可能だ。
>
> ただし
Twitterはこの機能の公開が「ゆっくり行われている」ことを認めた。全世界のユーザーすべてに公開されるまでには数ヶ月かかる模様だ。Twitterでは「設定」にアーカイブのオプションが現れなくても焦らないようにと言っている。当面は言語を英語に設定しているユーザーのごく一部がこの機能の公開対象となるという。
>
> またTwitterのブログはアーカイブ・プロジェクトが始まったのは四半期ごとに開催されるHack Weeksの中でだったと述べている。
>
> 幸運な読者は「設定」ページの下部に「アーカイブを要求」というオプションが表示されているはず。“もし読者のアカウントにそれが表示されたらボタンをクリックしてみよう。Twitterによれば「アーカイブがダウンロードできるよう準備が整った段階で手順を説明したメールがユーザー送付される」ということだ。

Twitterの過去ツイート閲覧はその構造上面倒な手間がかかるために、自分以外のユーザーからはなかなか閲覧され難いという問題がありました。
この問題のために、Twitterにおけるツイートというのは「その場一瞬のための呟き」というイメージが定着もしたわけです。
しかし、この機能が実装されれば、有名人がこれまでに呟いたツイートの全内容を全て閲覧するということも可能となります。
Twitterの過去ログ保存ツールとしては、ブログ形式で既存のツイートを保存する「Twilog」などがありますが、これは自分が所有するアカウント分のツイートを保存・公開することしかできず、他のアカウントのツイートを閲覧するという用途で使うためにはそのアカウントが「Twilog」に事前登録されている必要があったりしました。
お試し版だと直近半月程度のツイートしか閲覧できなかったですし。
その点、このTwitter公式のダウンロード機能は、有名人の過去ツイート総閲覧などの用途以外にも色々な使い道がありそうで面白くなりそうです。
かく言う私も、「らいとすたっふ」社長氏の過去ツイートについては意外に追跡できていない部分も少なくなかったりしますからねぇ(^_^;;)。
「らいとすたっふ」ウォッチなどにも、大きな役割を果たしてくれることになりそうなのですが……。

日本版Twitterでの実装がいつになるのかは未定ですが、早いところ実装して欲しいものです。

古風な男女性別役割分担の概念に対する肯定意見の増大傾向

内閣府が2012年12月15日に発表した「男女共同参画社会に関する世論調査」で、「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきだ」と考える人が51.6%に達したとのことです。
特に20代については、男女共にその割合が増えているのだそうで↓

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20121215-OYT1T00677.htm
>  内閣府は15日、「男女共同参画社会に関する世論調査」結果を発表した。
>
>  
「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきだ」と考える人が、2009年の前回調査に比べ、10・3ポイント増の51・6%となった。世代別では、20歳代が19・3ポイントの増加で、伸び率が最も高かった。1992年の調査から一貫して賛成派が減り、反対派が増え続けていた傾向が、今回初めて反転した。
>
>  
20歳代を男女別で見ると、「妻は家庭を守るべきだ」と考える男性は55・7%(前回比21・4ポイント増)、女性は43・7%(同15・9ポイント増)に上った。宮田加久子明治学院大教授(社会心理学)は、「長引く就職難や景気低迷で、若者たちは先行きに強い不安を抱き、家庭をよりどころにしようとしているのでは。東日本大震災の後、家庭を大事にする意識が強まったことも要因として考えられる」と分析する。
>
> (2012年12月16日09時29分 読売新聞)

「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきだ」と考える人の割合が増えているという傾向は以前にも地方の調査等で発表されていましたが、内閣府の調査でそれが全国的なものでもあることが明示されたわけです。
これは、男女共同参画社会とやらが理想としている男女平等の概念が「幻想」「まやかし」に過ぎないと考える人がそれだけ増えた、という事実を証明するものではないですかね?
実際問題、昨今の不況下で男女共に働きに出たところで、それは「労働力の過剰供給」にしかならず、ひとり頭の給与水準を引き下げてますます自分達を追い詰める結果しか生んでいないのが実情なのですから。
結果、「共働きでないと家計が維持できない家庭」が激増するなどという本末転倒な事態すら発生してしまっているわけで。
男女共同参画社会の本質が「労働者を安く使い倒す企業権益の拡大」でしかない、という事実は、昨今の歪な男女平等思想の問題意識を高めるためにも、むしろ大いに拡散・周知されて然るべきものではないかと思うのですが。

また、昨今の20代と言えば、両親が共に働きに出ていて家庭にいないという状態が日常化していた子供が少なくない世代でもあるでしょう。
その経験から「ああいう寂しい思いを、自分の子供には味あわせたくない」と考える人間が増えるのは、むしろ必然と言えることなのではないかと。
親が育児をないがしろにして働きに出ることによる子供への悪影響というものは誰の目にも一目瞭然なものであるにもかかわらず、社会的にはどうにも軽く考えられすぎている感が否めないところなんですよね。
保育所の増設とか保育士の増員などといった「子育て支援策」と称する政策は、子供ではなく大人の都合を優先したものでしかなく、子供の視点的には「子供を厄介払いするシロモノ」でしかありえないのですし。
男女平等という概念は、本当の弱者である「子供」を基準に推進していくべきではないかと、私は以前から考えてならないのですけどね。

第46回衆院選における自民党の記念すべき勝利と今後の課題

2012年12月16日に行われた第46回衆議院議員総選挙は、民主党の記録的惨敗・自民党の圧倒的勝利という結果に終わりました。
選挙結果は以下の通り↓

http://www.j-cast.com/2012/12/17158399.html
>  2012年12月16日に投開票された衆院選の全議席が12月17日午前5時過ぎに確定した。自民が単独過半数(241議席)を大幅に上回る294議席を得て3年3か月ぶりの政権復帰を獲得した。
>
>  公明党は31議席を獲得。自民との連立で、参院で否決された法案を再可決できる3分の2(320議席)以上を確保した。自民党の安倍晋三総裁は週明けの特別国会で第96代首相に選出される見通しだ。
>
> 維新の会は54議席
>
>  
民主党は57議席と惨敗。野田佳彦首相(民主党代表)は辞意を表明した。日本維新の会は54議席で、第3党となった。日本未来の党は8議席で惨敗した。
>
>  新聞各紙の推計によると、
投票率は59%程度で前回09年よりも10ポイント程度下回った。
>
>  確定した各党の議席数は以下のとおり。
>
>  自民党294、民主党57、日本維新の会54、公明党31、みんなの党18、日本未来の党9、共産党8、社民党2、国民新党1、新党大地1、無所属5

民主党の大物議員も次々と落選するありさまで、野田佳彦こと野駄目カンタービレも民主党代表を辞任する意向を表明。
実に3年3ヶ月にも及ぶ民主党政権の長すぎる悪夢の日々がようやく終わりを迎えてくれます。
日本憲政史上最低最悪の政権による失政と悪政の日々でしたからねぇ、この3年3ヶ月は(-_-;;)。
口蹄疫で苦しめられた宮崎県や、震災の復興が今なお進まない東北地方などは特に身をもって思い知らされたのではないかと。
私の地元熊本でも、5つある選挙区のうち、自民党からの立候補者がいなかった熊本4区以外の全てで、自民党が小選挙区の議席を獲得しています。
熊本1区などは、長年当選を続けていた元民主党で現在は日本維新の会の松野頼久が敗退しましたし。
ダブスタ&ブーメランな「無能な働き者」的売国所業を繰り返すしか能のない民主党の害悪集団がやっと凋落・無力化してくれたのは、近年稀に見るレベルで実に喜ばしいニュースですね。
安倍総裁率いる自民党には、民主党が食い荒らしていった日本の再生を何が何でも成し遂げて欲しいものです。

しかし、まもなく発足する自民党政権の前途が、相当なまでに多難を極めることになるであろうことは想像に難くありません。
何しろ日本には、民主党のやることにはどんな最悪レベルな不祥事でも寛大な対応に終始するのに、自民党の行為にはカップラーメンの値段当てクイズレベルな些末事でさえもこの世の終わりであるかのごとく騒ぎ立てる大手マスコミが存在するのですから。
安倍氏が自民党の新総裁に選出された直後にも、大手マスコミの面々は、一食5000円以上のレストラン「アラスカ」のカレーを頬張りながら「(会場費用込みで)3500円のカツカレーを食べる安倍は庶民感覚が足りない!」などと罵り倒していたのです。
また、衆院選の勝敗が決した直後に「比例では57議席しか取っていないから民意を反映しているとは言い難い、自民は現実を直視しろ」などという、それこそ現実無視の妄論をテレビや新聞は主張しまくっていたりします。
安倍叩きが「社是」だと嘯く某アサヒる新聞なども存在するわけですし。
今後もマスコミは、安倍氏をはじめとする自民党政権に対し、どんな小さな瑕疵でも意図的に作り上げてネガティブキャンペーンを繰り広げていくものと考えられます。
マスコミが全く信用ならないのは、ここ数年の報道を振り返ってみても一目瞭然なのですから。
これからの自民党はマスコミとの戦いにもなるでしょうし、国民もマスコミのネガティブキャンペーンに騙されることなく、安倍総裁および自民党の政策の実像を正しく評価していく必要があるでしょう。
マスコミの報道を鵜呑みにする行為こそが、マスコミを利する結果を生み、ひいては日本の危機的状況をさらに悪化させることにもなりかねないのですから。

ところで今回の選挙では、投票率が現行の選挙制度導入以降最低を記録したと騒がれています。
ちなみに前回の選挙では逆に最高記録を達成しているのだそうで。
しかし、その最高記録を達成した前回の選挙で出てきたのが「あの」民主党だったことを考えると、投票率と政治の質には実は何の相関関係もない、という厳然たる事実の存在がこれ以上ないくらいに極彩色に証明されていると言えるのではないでしょうか?
マスコミの言うがままに、あるいは「空気」に基づいて、人気投票のごとき感覚で投票が行われても、そんなものは「無能な働き者」ばりに無益どころか害悪にすらなりえます。
有権者のひとりとして投票を行う以上は、誰かに操られたり場の空気に流されたりすることなどあってはなりませんし、そうならないためには政治に関する知識や情報を取得する手間を払う労力と、確固たる政治的理念を自前で持つことが求められるのではないかと。
前回の衆院選では、マスコミや「空気」に基づいて多くの人達が選挙に関心を持ち投票を行った結果、「あの」民主党政権を誕生せしめるに至ったわけです。
それが国民にとってどれほどまでの害悪をもたらしたのかについては、もう今更繰り返し言及するまでもないでしょう。
そんなことをされるくらいならば、政治に関心のない人達は素直に投票権を放棄でもしてくれた方が、すくなくとも「無害」である分はるかにマシというものでしょう。
民主主義国家において有権者に求められるのは、「数」ではなく「質」であるべきです。
もちろん、「質」を如何にして獲得すべきなのかは難しい問題ではあるでしょうが、すくなくとも「投票率が高い」ということを無条件に礼賛する昨今の風潮は、いいかげん見直されるべき時期に来ているのではないかと。

あと、今回の総選挙において、我らが田中芳樹御大が一体どこの政党に投票したのか、是非とも知りたいところではありますね(苦笑)。
田中芳樹のこれまでの言説を見る限り、田中芳樹が自民党に対して常に批判的なのは周知の事実なのですから、自民党に投票することはまずありえません。
しかし、第三極として注目されている日本維新の会についても、その事実上の頭領たる橋下徹や、合流してきた石原慎太郎のいずれに対してもこれまた田中芳樹は批判的だったのですから、彼ら2人がある意味「野合」している日本維新の会に投票することもこれまた考えられないでしょう。
さらに、創竜伝5巻で悪役として登場させ揶揄していた小沢一郎がいる日本未来の党についても、田中芳樹が投票するとは考えにくい話です。
となると、残りは民主党くらいしかないわけなのですが、しかしいくら田中芳樹が薬師寺シリーズで批判対象として言及することを徹底して避けたほどに民主党に熱を挙げていたとしても、アレだけ桁外れな不祥事や失政の数々を見てきてなお民主党を支持したりするものなのか、という疑問がどうにも拭えないところなんですよね。
自身が共感しているであろう民主党の政策はともかく、党員の政治資質の低レベルぶりや政治運営の拙劣さを、田中芳樹ともあろう者がまさか知らないはずもないのですから。
アレほどまでに「政治に常に関心を持て!」と銀英伝や創竜伝その他様々な著書で繰り返し主著してきた田中芳樹御大が、まさか投票権を放棄したなんてことは間違ってもないでしょうし、どこに投票したのかは大いに興味をそそられるところではあるのですけどね。

まあ今回の衆院選で安倍氏が再び政権を担うようになったことで、今頃さぞかし薬師寺シリーズの執筆意欲を掻き立てられているであろうことは想像に難くないのですけどね(爆)。
もちろん、現在はタイタニア4巻を執筆中で、次はアルスラーン戦記14巻の執筆が控えている田中芳樹に、そんなことが許される道理も余裕もあるわけないのですが。

映画「妖怪人間ベム」感想

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映画「妖怪人間ベム」観に行ってきました。
1960年代に放映された同名テレビアニメを実写化し、2011年に日本テレビ系列で放映されたテレビドラマ番組終了後の後日談にあたる作品。
今作のストーリーは、テレビドラマ版と密接な関連性があり、テレビドラマ版を視聴していないと登場人物達の人間関係が分かりにくいところがありますので、今作を観賞する際には事前にテレビドラマ版を視聴することをオススメします。
かく言う私自身、テレビドラマ版はたまたま最終回だけ再放送で途切れ途切れながら観賞する機会があった以外は未視聴で、特に物語中盤に登場したベム・ベラ・ベロの知り合い的な登場人物達については「こいつら一体誰だよ?」と疑問に思わざるをえませんでしたし。

物語は、大金のバックを抱えながら多くの乗客が乗っているバスジャックした3人組の覆面男が、雷雨の中、バスの運転手に銃を突きつけ警察の検問を突破したところから始まります。
バスは検問が死守していた建設途上?の無人のトンネル内に突入するのですが、そこで突然、バスが停止し動けなくなってしまうという事態が発生します。
バスジャック犯がいきり立って周囲を怒鳴りつけつつ外の様子を確認しようとしますが、バスの外に出るや否や、彼らは何者かによって悲鳴と共に姿を消してしまいます。
3人のバスジャック犯達は次々と消されていき、乗客の子供をひとり人質として連れ去ろうとした最後のひとりも、悲鳴と銃声を残していなくなってしまうのでした。
バスジャック犯がいなくなり、子供の安否を確認しようと我先にバスから降りた乗客達は、最後のバスジャック犯が逃走した先で、ただひとり呆然と座っている子供を発見し胸をなでおろすのでした。
しかし、バスジャック犯に一体何が起こったのか?
自分達も安全であることを確認できた後で、当然のごとくその疑問に駆られた彼らは、ふとトンネルの出口方面に目を向けます。
ちょうどその時、稲光と共に浮かび上がる3体の異形の存在。
明らかに人間ではないその異形の存在にパニック状態となったバスの乗客達は、悲鳴を上げながら我先に反対側のトンネルの出口へと殺到していきます。
そして一方、3体の異形の存在もまた、驚異的な身体能力を駆使してその場を後にするのでした。

乗客達が目撃した3体の異形の正体。
それは、人間になることを目的とし、人間のために戦うことを自らに課している妖怪人間ベム・ベラ・ベロの3人でした。
彼らは、バスの乗客達に姿を見られてしまったことから、新たな場所へ「引っ越し」をする必要に迫られることになります。
船に密航?し、新たな場所へと移動することになる3人。
しかし、船で辿り着いた新たな場所では、MPL製薬という巨大企業の重役が何者かに襲撃・殺害されるという事件が頻発していました。
船から上陸早々、そのMPL製薬の重役がクレーンの真下で重傷を負っている事態になっていることをベムは突き止めます。
3人が重役の男を発見直後、クレーンのワイヤーが何者かによって切断され落下してくるのですが、間一髪で3人はクレーンを交わし、巨大な落下音を聞きつけた人間達に後の処理を任せその場を後にします。
またもや騒動に巻き込まれそうな気配が濃厚な中、3人はただひとり寂しそうに佇む少女の姿を発見することになるのですが……。

映画「妖怪人間ベム」のストーリーは、原作のテレビアニメ版で見られた「妖怪同士の戦い」などよりも人間ドラマ的な物語に重点が置かれており、醜い容姿をしているために人間社会に溶け込めないことや、不老不死であるが故の葛藤などがメインテーマとなってます。
敵方の妖怪も全く出てこないというわけではないようなのですが、それらの存在との戦いはあくまでも「メインテーマの添え物」的な扱いです。
巷に溢れる「妖怪もの」と言えば「妖怪VS妖怪」という図式がメインで繰り広げられる構図が常に存在するだけに、人間ドラマに重点を置いた妖怪ものというのはある意味新機軸ではあったでしょうね。
まあ、それでヒットしたのかどうかはまた別問題ですが。
また、テレビアニメ版の「妖怪人間ベム」と言えば、肝心のベムの露出が控えめで実質的な主人公がベロだったのに対し、テレビドラマ版&映画版のそれは名実ともにベムが主人公となっています。
タイトル名もさることながら、実写でベロが主役ということになると、ベロ役を担う子供にかかる負担が半端なものではなくなるという「大人の事情」も絡んだ上での変更なのでしょうね、これは。

ただ今作では、テレビドラマ版で終始悪役として君臨していたらしい「名前のない男」がいなくなってしまったこともあってか、これといった存在感を放つ「ラスボス」が不在だったことから、どことなく消化試合的な雰囲気がどうにも否めなかったですね。
強大な力を保有する主人公達に対し、物理的なものではなく社会的・政治的なテーマやアンチテーゼなどで対抗しえる「敵」の存在が不在なんですよね、今作は。
副作用のある薬を隠蔽するMPL製薬や、妖怪人間達に銃を向けてくる警察組織等を「悪の組織」的な存在にするとか、その手の「敵」を作る方法はいくらでもあったのではないかと思えてならないのですが。
映画ならではの演出としてラストに登場させたのであろう巨大植物妖怪?も、ただ「物理的に強い」というだけで、絶対的な悪でもなければ非道な敵というわけでもなかったですし。
作中における「絶対悪」を挙げるとすれば、MPL製薬の代表取締役?の加賀美正輝がそれではあるのでしょうが、しかし彼にしてもその主張に比してあまりにも物理的に弱すぎて、主人公の対抗軸になど到底なりえていません。
加賀美正輝は、彼なりに筋の通った「悪の信念」に基づいて悪行を為してはいたのでしょうが、物理的にほとんど無力な彼は、結局妖怪人間達にいいように振り回される人間のひとりでしかなかったのですから。
彼の信念そのものは決して悪いものではなかったのですが、如何せん「自分の手を汚す」ということにこだわり過ぎるあまり、汚れ役のプロやボディーガードをそれなりの数だけ雇うでもなく、単独で殺人その他の悪行を重ねていたのには笑うしかありませんでしたし。
一応は巨大企業の支配者でもあるのですし、その程度のカネくらい動かせる力は充分に備えているでしょうに(苦笑)。
加賀美正輝を悪役として登場させるのであれば、彼が自ら望んで巨大妖怪に変化して主人公と戦うとか、警察を裏から操って邪魔者を情け容赦なく殺すよう指示させるとかいった演出でもやってくれた方が、主人公の対立軸にもなって良かったのではないのかと。
エンターテイメント作品における「悪役の使い方」というものが、どうにもヘタクソに思えてなりませんでしたね、今作は。
いくら今作が人間ドラマ重視の作品だったにしても、もう少しやりようはあったのではないかと、つくづく思えてならなかったのですが。

あと、作中の演出で思わず内心笑ってしまったのは、いくらベム・ベラ・ベロの3体の妖怪人間が怖かったからとはいえ、その場の状況も考えることなく銃を乱射しまくる警官達の行為ですね。
作中の警官達は、明らかに警察上層部から発砲許可を取ることなく銃を乱射していましたし、そもそも妖怪人間達の後方には民間人たる子供がいたりしていたのですが。
特に、妖怪相手に撃ちまくった銃弾の流れ弾が後方の人間に当たろうものならば、後日警察がその横暴ぶりと責任を社会的に問われ、窮地に追いやられることになるのは確実なのですし。
映画「ロボット」におけるインド警察じゃあるまいし、コチコチの官僚機構たる日本の警察がそんなことをやって良いものなのかと(苦笑)。
あそこまで日本の警察がはっちゃけることが可能なのであれば、様々な作品で問題として取り上げられてきた「事なかれ主義な官僚機構の硬直性」などとは、永遠に無縁でいることができるはずなのですが。

テレビドラマ版のファンであれば、今作を観賞する価値はあるでしょう。
ただ、テレビアニメ版のイメージでもって「派手な妖怪の戦い」を期待し今作を観賞しようとすると、大きく肩透かしを食らうことになるかもしれません。

映画「ホビット 思いがけない冒険(3D版)」感想

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映画「ホビット 思いがけない冒険」観に行ってきました。
映画「ロード・オブ・ザ・リング」3部作の時代から遡ること60年前を舞台とする、ピーター・ジャクソン監督製作によるファンタジー・アクション大作。
今作は3D版メインの上映であり、2D版はほとんど上映されていなかったため、やむなく3D版での観賞となりました(T_T)。
まあ3Dの出来自体はそれなりのものはあると言えるレベルではあったのですが、3Dのために無駄金を使いたくない私としてはあまり慰めにならないというか(-_-;;)。
現行の料金体系では、3D映画はただそれだけで高くなるという理不尽な問題が常に付きまとうことになるのですし、いい加減何らかの改善が必要なのではないかと思えてならないのですけどね。

今作は、映画「ロード・オブ・ザ・リング」の1作目が開始される直前の時間軸で、年老いたビルボ・バギンズが「ロード・オブ・ザ・リング」の主人公であるフロド・バギンズをあしらいつつ、過去を回想するという形で語られることになります。
今作の冒険が行われることになったそもそものきっかけは、中つ国の東に位置する「はなれ山(エレボール)」に存在し繁栄を極めていたドワーフの王国が、ある日突然ドラゴン・スマウグの襲撃に遭い壊滅的な被害を被り滅亡したことにありました。
生き残りのドワーフ一族は、スマウグの襲撃時にドワーフ王国の王子の立場にあったトーリン・オーケンシールドによってかろうじてまとめられ、その日暮らしの生計を立てつつ、「はなれ山」に居座るスマウグを討ち取り国を再興すべく準備を進めていたのでした。
トーリンの古くからの友人であった灰色の魔法使い・ガンダルフもまた、トーリンの旅に同行することになるのですが、その際ガンダルフは、ホビット庄に住むホビットのビルボ・バギンズを推挙し、トーリンと12名のドワーフ達と共に旅に同行させることを提言します。
当初は「招かれざる客」同然に強引に自分の家に押し入ってきた上、家に備蓄されていた食糧を食い漁ってしまったドワーフ達とガンダルフに対してまるで好意的でなく、旅の同行にも難色を示していたビルボ・バギンズ。
またドワーフ側も、ロクな体力も戦闘力もないホビットを自分達の仲間として迎えることに積極的ではなく、むしろ反対の声すら上がる始末。
当の本人も周囲もそろって懸念と反対の声を上げる中、ガンダルフただひとりがビルボ・バギンズの有用性を強引に主張するという構図になっていました。
翌日、目を覚ましたビルボ・バギンズは、アレだけどんちゃん騒ぎを繰り出しまくっていたドワーフ達とガンダルフが既に出払ってしまったことを知ります。
彼らが出払った後の家には、仲間になる際の契約書だけが残されていました。
その契約書を握りしめたビルボ・バギンズは、昨日までの消極的な態度はどこへやら、ドワーフ達の後を追い、彼らの旅の参加を表明するのでした。
かくして、ビルボ・バギンズの長い長い旅が始まることとなるのですが……。

映画「ホビット 思いがけない冒険」は、「ロード・オブ・ザ・リング」3部作の前日譚ということもあり、同シリーズでラスボスだったり死んでいったりした懐かしい顔ぶれが作中に登場しています。
「ロード・オブ・ザ・リング」2作目でラスボスとして振る舞っていたサルマンも、今作ではまだ悪に染まっていないものの頭が固く融通が利かない人物として登場していたりしますし、同じく2作目から登場し「愛しいしと」という口癖が有名なゴラムも登場しています。
ただ、個人的に一番驚きなのは、「ロード・オブ・ザ・リング」から60年前の世界が舞台のはずなのに、今作ではその「ロード・オブ・ザ・リング」の時よりもむしろ老け込んだ感すらあるガンダルフですね。
普通、時系列が過去となる前日譚を扱った話で同じ登場人物が出てくる場合、その登場人物は「未来」の作品よりも若々しい姿で登場するものではないのでしょうか?
現に作中のビルボ・バギンズは、冒頭で年を取っている容貌と60年前の若々しい姿の差が誰の目にも分かるように描写されていたのですし。
作中の描写を素直に信じると、ガンダルフは60年の歳月を経て逆に若返っていることになってしまうわけで、「一体どういう年の取り方をしているんだ?」とは疑問に思わずにはいられなかったですね(苦笑)。
今作や「ロード・オブ・ザ・リング」の設定によれば、ガンダルフは人間ではなく「イスカリ」と呼ばれる魔法使いとのことで、この世界における魔法使いというのは「職種」ではなく「種族」として位置づけられる特殊な存在のようです。
その寿命は人間よりもはるかに長く老化もゆっくり進行するもののようで、道理で60年もの歳月の差がある割には容姿がほとんど変化していなかったわけですね。
ただ、エルフみたいに桁外れな長命で死や老いとは無縁そうな種族であっても、「若返り」まではさすがに無理なわけですし、この辺りは作中時間ではなく「現実世界の時間の流れ」というものを感じずにはいられないですね。
何しろ、ガンダルフが映画で初登場した「ロード・オブ・ザ・リング」1作目の公開から、2012年の時点で既に10年以上もの歳月が経過してしまっているのですし、配役の人も一貫して同じ人が担っているのですから。
前日譚なのに、時系列的には後であるはずの作品よりも登場人物が年を取って見える、というのは現実の時間が流れている以上は避けられない問題なのでしょうが、作中におけるビルボ・バギンズの事例のごとき「配役の変更」とか「容貌のCG加工」で何とか凌ぐ方法はなかったのかなぁ、と。

映画「ホビット 思いがけない冒険」は、「ロード・オブ・ザ・リング」と同じく3部作構成の中の1作品であり、残り2作は2013年~2014年にかけて公開される予定となっています。
次回作の2作目は「ホビット スマウグの荒らし場」、完結となる3作目が「ホビット ゆきて帰りし物語」というタイトルに、それぞれなるのだそうで。
3部作の導入部となる今作では、ビルボ・バギンズが冒険に参加してから、様々な襲撃やアクシデントを経て、はるか遠方にボンヤリと見えている「はなれ山」を一望するまでのストーリーが描かれています。
本質的に戦いに向いておらず、中盤頃までは仲間の足を引っ張っていた感のあるビルボ・バギンズでしたが、終盤ではオークに追い詰められ首を刎ねられようとしていたトーリンの絶体絶命の危機を助けるという大金星を挙げ、トーリンをはじめとするドワーフ達にその実力を認められるようになります。
その点では、終始指輪の誘惑にしばしば魅了された挙句、最後には一時的にせよ誘惑に屈してしまった「ロード・オブ・ザ・リング」のフロド・バギンズよりもはるかに主人公らしいキャラクターではありますね(苦笑)。
「ロード・オブ・ザ・リング」では、フロド・バギンズよりもその従者だったサムの方が、人格面で言っても活躍度から見てもはるかに主人公の風格があったくらいでしたし(爆)。
「ロード・オブ・ザ・リング」と言えば、今作でビルボ・バギンズが拾うことになった指輪が、「ホビット」3部作の中でどのような役割を果たすことになるのかも要注目ですね。
あの指輪、「世界を支配する力がある」とか御大層なことを言われている割には、作中における実際の描写では「身体が透明になれる」程度くらいしか「持ち主の役に立つ能力」というものがなく、それ以外は敵の標的になるとか死霊に追われるとかいったマイナスの効用しかなく、「何故こんなシロモノに誰もが魅了されるのか?」とつくづく疑問に思えてならないところですし。
「ホビット」3部作で指輪の所持が問題化することはないと思われるのですが、指輪は果たしてどんな活躍をすることになるのやら。

「ロード・オブ・ザ・リング」のファンであれば充分に楽しめる映画ではあります。
ただ前日譚とは言え、「ロード・オブ・ザ・リング」の登場人物も少なからず登場していることなどを鑑みると、ある程度「ロード・オブ・ザ・リング」の予習をしてから今作に臨んだ方が「より」楽しめるかもしれませんね。

テレビドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」 最終話感想

全10話で構成されるTBS系列の金曜ドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」。
いよいよ最終回となる今回は、2012年12月14日放映分である第10話の感想となります。
前回第9話の視聴率は、最低記録を更新した前々回第8話と同じ7.0%。
結局、視聴率的には下から数えた方が早い低調な番組ということになりそうですね、今回のテレビドラマ版「大奥」は。
もっとも、一連の「大奥」シリーズは元来映画こそが本命なのでしょうから、「映画の番宣」としてはそれなりのものはあったかもしれないのですが。
なお、過去の「大奥」に関する記事はこちらとなります↓

前作映画「大奥」について
映画「大奥」感想&疑問
実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想

原作版「大奥」の問題点
コミック版「大奥」検証考察1 【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】
コミック版「大奥」検証考察2 【徳川分家の存在を黙殺する春日局の専横】
コミック版「大奥」検証考察3 【国内情報が流出する「鎖国」体制の大穴】
コミック版「大奥」検証考察4 【支離滅裂な慣習が満載の男性版「大奥」】
コミック版「大奥」検証考察5 【歴史考証すら蹂躙する一夫多妻制否定論】
コミック版「大奥」検証考察6 【「生類憐みの令」をも凌駕する綱吉の暴政】
コミック版「大奥」検証考察7 【不当に抑圧されている男性の社会的地位】
コミック版「大奥」検証考察8 【国家的な破滅をもたらす婚姻制度の崩壊】
コミック版「大奥」検証考察9 【大奥システム的にありえない江島生島事件】
コミック版「大奥」検証考察10 【現代的価値観に呪縛された吉宗の思考回路】
コミック版「大奥」検証考察11 【排除の論理が蠢く職業的男性差別の非合理】

テレビドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」
第1話感想  第2話感想  第3話感想  第4話感想  第5話感想  第6話感想  第7話感想  第8話感想  第9話感想

最終話は、原作4巻P34~P57までのエピソードで構成されています。
女版家光が死ぬまでのストーリーであり、また同時に次作映画「大奥 ~永遠~ 右衛門佐・綱吉篇」の布石ともなる話でもあります。
この区間は、テレビドラマ版には全く登場しない神原家のエピソードが少なからぬページが割かれているいるため、今話における原作ストーリーは実質ほとんど存在せず、当然のごとく今回もテレビドラマ版オリジナルエピソードが中心となっています。
今回のオリジナルエピソードは以下の通り↓

・女版家光の出産の朗報に接し、姫であることを最初は嘆くが、報告者の発言で考え直し喜ぶ玉栄。
・玉栄に出産祝いを述べつつも、どこか突き放したかのような態度を取る有功。
・徳子姫(後の徳川5代将軍綱吉)を相手に子煩悩ぶりを発揮し可愛がる玉栄。
・「有功との間に子供が生まれていたら……」という仮定の話をする女版家光。
・長女の千代姫(後の徳川4代将軍家綱)と次女長子姫(後の徳川綱重)が学問を学んでいるシーン。
・千代姫の教育を女版家光から依頼される有功。
・澤村伝右衛門と共に静かに酒を酌み交わすシーンで、「出家しろと言われたのに何故大奥に留まったのか?」と質問される稲葉正勝。
・徳子姫と戯れている最中に突如病に倒れる女版家光。
・女版家光の「わしは死ぬのか?」という問いに対し、自分の娘をダシにするお夏の方と玉栄、そしてただ小さく頷く有功。
・後継者問題について「長幼の序」を説く有功。
・大奥の男達を吉原に送り込んだ政策の結果を報告する有功。
・徳子姫が次代の将軍に選ばれなかったことを嘆き悲しみ、有功に八つ当たりする玉栄。
・女版家光への殉死後、息子の亡霊と会話を交わす稲葉正勝の亡霊。
・亡き稲葉正勝の手紙を稲葉家に届ける澤村伝右衛門。
・出家して桂昌院となった玉栄との別れの際、礼を述べる有功。
・自身の死に際、「共に死のう」という以前の約束を破棄して有功に千代姫の後見を依頼する女版家光。

原作ではほとんど「やっつけ仕事」だったかのごとく駆け足かつ省略し過ぎな女版家光の晩年でしたが、テレビドラマ版は相当程度のエピソードを追加していますね。
何しろ原作では、たったの1ページで女版家光は唐突に病死してしまっていましたし(苦笑)。
物語的な必然性がどうとかいう以前に、単なる史実との辻褄合わせのために死んだとしか思えない描写でしたからねぇ、原作における女版家光の死は。
その点テレビドラマ版は、女版家光が死に至るまでの過程をきちんと描いていて、原作の補完としてはそれなりのものがありはしますね。
女版家光死後の後継問題も「いつの間にか決まっていた」的な扱いでしたが、こちらでは有功の助言で女版家光が決断するという形で描かれていましたし。
ただ、結果として玉栄の意を踏みにじる形となった有功を、よくまあ玉栄は恨むことすらなく別れの挨拶ができたものだよなぁ、とは思わずにいられなかったですね。
玉栄は、アレだけ徳子姫を将軍にすることを熱望し、お夏の方への対抗意識に満ち満ちていたわけなのですから、その道を阻んだ有功に対して殺意すら抱いてもおかしくなかったのではないかと思えてならなかったのですが。
徳子姫が後に5代目の将軍になれる未来なんて、あの当時の玉栄に分かるはずもないのですし。
徳子姫の存在があってさえ、とことん有功を尊崇してやまないのですねぇ、玉栄は。

それと、前話で有功と女版家光の双方から「死ぬな」と言われていたにもかかわらず、稲葉正勝は結局原作同様に殉死してしまっていましたね。
稲葉家というオリジナルな存在も登場していたのですし、テレビドラマ版では実家に戻って余生を過ごすシナリオでもあるかと当初は予測したりもしていたのですが。
澤村伝右衛門と酒を酌み交わしたシーンでのやり取りが、そのまま稲葉正勝の死亡フラグとなっていました。
原作にもあった、殉死後の稲葉正勝に対する有功の発言「あなたも…上様に恋した男の一人だったのでしょうか…」は、テレビドラマ版では愛情ではなく忠誠心という形で発露されており、この落としどころは上手いものがあるのではないかと思いました。
原作では何を意図していたのかも不明な台詞でしたし。
原作補完という点から言えば、テレビドラマ版「大奥」はまずまずの出来であると言えるでしょう。

しかし、女版家光の死の間際における玉栄とお夏の方との張り合いぶりは、正直笑わずにいられないものがありましたね。
両者共、女版家光ではなく自身および娘の今後の権勢にばかり目が向いていることが誰の目にも分かる対応ぶりでしたし。
まあアレがあったからこそ、ただひとり淡々と女版家光のことを思いやる有功の言動が光もするわけですが。

今回でテレビドラマ版「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」は完結を迎え、次の舞台はいよいよ2012年12月22日公開映画「大奥 ~永遠~ 右衛門佐・綱吉篇」へと向かうことになります。
全体的に暗い話が続いていたテレビドラマ版とはまた違った面白さがあちらにはありそうではありますが、さて肝心の出来は一体どうなることやら。
当然私も、次作映画は観賞する予定です。

銀英伝2次創作「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察17

二次小説投稿サイト「にじファン」の閉鎖後、同主旨のサイト「暁」に移転した銀英伝二次小説「銀河英雄伝説~新たなる潮流」は、すっかり更新ペースが遅くなってしまいました。
更新自体も、以前は「本編」と「亡命編」の長編一本に絞っての頻繁な更新だったものが、「にじファン」閉鎖後は「異伝」や「美しい夢」など、長年放置されていたシリーズの執筆が多くなっています。
両シリーズの更新が遅々たるものになったのは、「本編」はもはや消化試合的な感が否めなくなっており、「亡命編」はストーリー自体があまりにもトンデモ&無理筋&主人公を勝たせ過ぎなために、それぞれ話の展開がやりづらくなったという事情が、少なからぬ影響を与えているのではないかと思われます。
しかし、「では今まで放置されていたシリーズがなぜ突然再開されたのか?」という疑問はどうにも拭えないところですね。
「本編」と「亡命編」以外のシリーズは途中放棄されていたも同然の惨状を呈していたのですから、そのまま継続して放置か、もしくは「本編」「亡命編」の完結で再開されるかのどちらかとばかり考えていましたし。
そもそも、あんな風に複数のシリーズの同時並行的な進行などやっていては、よほどの速筆でもない限り1シリーズ毎の更新速度が遅くなる上、田中芳樹のごとく収集がつかなくなった挙句の「燃え尽き症候群」にも陥りかねないのではないかと思えてならないのですけどね。
「本編」「亡命編」がなかなか先に進められないことに対する逃避行為、という要素もあるのかもしれませんが……。
作者氏の思惑はともかく、銀英伝の原作者たる田中芳樹の壮絶な遅筆&作品劣化ぶりに悩まされ続けてきた一読者的には、「1話完結等の短編ならまだしも、新しい長編シリーズを始めるのであれば、既存のシリーズを完結OR断筆宣言させてからにして欲しい」というのが正直なところです。
四方八方に色々なシリーズを立ち上げた挙句にことごとく放置してしまった田中芳樹の悪癖を、こんな形でなぞる必要はないでしょうにねぇ(T_T)。

というわけで、今回は久々にエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察を再開してみたいと思います。
以前に比べれば亀のごとく鈍重なペースながらも、ようやくある程度話数もたまってきたわけですし。
なお、「亡命編」のストーリーおよび過去の考察については以下のリンク先を参照↓

亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
http://www.akatsuki-novels.com/stories/index/novel_id~116
銀英伝2次創作「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察
その1  その2  その3  その4  その5  その6  その7  その8  その9  その10  その11  その12  その13  その14  その15  その16

さて今回はヴァレンシュタイン本人ではなく、その周辺および敵対陣営の人間による発言を追ってみたいと思います。
今回取り上げるそれらの発言には、明らかに作者氏がヴァレンシュタインの言動を擁護することを最優先目的に作り上げたとしか思えない内容が含まれており、しかもそのことによって作品の合理性までもが大きく損なわれてしまっています。
その最初のものは、73話でラインハルトと幕僚達がヴァレンシュタインの過去の動向について推察していた際に発生しています↓

http://www.akatsuki-novels.com/stories/view/1916/novel_id~116
> 「小官が思うに事態はもっと深刻かもしれません」
> 「?」
> 言葉通り、クレメンツは深刻な表情をしている。クレメンツは何に気付いた?ケスラーを見た、彼はクレメンツを見ている。
>
> 「第六次イゼルローン要塞攻略戦で反乱軍の総司令官、ロボス元帥を解任したのは参謀長のグリーンヒル大将と言われていますが、それを提案したのはヴァレンシュタインです」
> クレメンツの声が会議室に流れる。何かを確かめるような声だ、そして表情も厳しい。
>
> 「軍法会議ではロボス元帥は軍の勝利よりも己個人の野心を優先させようとした、従って解任は止むを得ないものと判断されました」
> 「それがどうかしたか」
> 俺の問いかけにクレメンツが俺を、ケスラーを交互に見た。
>
>
「ロボス元帥解任後、宇宙艦隊司令長官になったのはシトレ元帥……。これが最初から仕組まれたものだとしたら……」
>
「……仕組まれた……、どういう事だ、副参謀長……」
> ケスラーの声が震えている。クレメンツがまた俺を、そしてケスラーを見た。昏い眼だ、どこか怯えのような色が有る様に見えたのは気のせいだろうか。
>
> 「ロボス元帥が解任された遠因はヴァンフリート星域の会戦に有ると小官は考えています。あの戦いはヴァレンシュタインの作戦により反乱軍の勝利に終わりました。しかし、あの戦いでロボス元帥は決戦に間に合わず面目を潰した……」
>
> 「覚えている、ヴァンフリート4=2に来た反乱軍は第五艦隊、そして第十二艦隊の二個艦隊だった。総司令官であるロボス元帥はあそこには来なかった。何度も戦闘詳報を読んだから覚えている……」
>
> 味方を収容して逃げる俺には状況を確認する余裕などなかった。何が起きたのかを知るため何度も戦闘詳報を読んだ。読む度に体が震えた、負けるとはこういう事なのかと思った。苦い思い出だ。
>
>
面目を潰されたロボス元帥は第六次イゼルローン要塞攻略戦で焦りから不適切な命令を出し解任されました、解任の提案者はヴァレンシュタイン……」
> クレメンツの声が続く。ヴァンフリート星域会戦を勝利に導いたのはヴァレンシュタイン、そして第六次イゼルローン要塞攻略戦でロボス元帥の解任を提案したのもヴァレンシュタイン……。
>
>
「……ロボス元帥は嵌められたと卿は考えているのか?」
>
「そうとしか思えません」
> 俺の問いかけにクレメンツが頷いた。

ここで挙げられている仮説「ロボスが嵌められた」というのは、亡命編のストーリーを見れば過大評価の類に属するものでしかありません。
73話における会話シーンは、ヴァレンシュタインを過大評価して必要以上に恐れおののく元原作主人公率いる敵対陣営の構図という、典型的なメアリー・スー的描写を描くために準備されたものだったのでしょう。
しかし実際の真相を知ろうものならば、彼らは作者氏の意図に反して、「事実は小説よりも奇なり」「現実って一体何なのだろう?」と、その桁外れな非現実性にむしろさらに目を剥いて驚愕せざるをえなかったことでしょうね(苦笑)。
何しろ、ロボスとヴァレンシュタインとの間には、「他人を嵌める」だけのことが可能となるだけの人間関係など皆無なばかりか、むしろ「いつ殴り合いを演じてもおかしくないほどの敵対関係」にすらあったのですから。
そもそもヴァレンシュタインは、会戦当初は、ロボスに陸戦部隊を壊滅させた後、会戦終了後に「兵を無為に死なせた」という責任を問うことでロボスを処断する方法を画策していましたし、表面的な態度でさえも露骨なまでに敵意剥き出しな言動に終始してもいました。
第6次イゼルローン要塞攻防戦におけるヴァレンシュタインのロボスに対する態度に深慮遠謀とか一貫性とかいった高尚なシロモノなど一切なく、上官侮辱罪ものの罵倒を繰り出した後に誠実な提言を行なったりするという支離滅裂な言動を披露してすらいるわけでしょう
ロボスがヴァレンシュタインに嵌められるためには、ロボスとヴァレンシュタインとの間に一定の信頼関係が醸成されており、ヴァレンシュタインの言動をロボスがある程度受け入れる人間関係が存在することが前提条件とならざるをえないのですが、両者はそのような関係には全くなかったのです。
公衆の面前でロボスに対し面と向かって直截的に罵倒を並べ立てるなどという、上官侮辱罪を立派に構成する違反行為を堂々とやらかしてすらいるヴァレンシュタインがロボスを嵌めるなど、どうやっても不可能そのものでしょうね。
しかし、陰謀論の観点からヴァレンシュタインを検証するのであれば、むしろ「何故ヴァレンシュタインはロボスから全く処断されることがなかったのか?」という点から問題視すべきだったでしょう。
一連のヴァレンシュタインの言動は、ロボスの個人的感情はむろんのこと、政治的立場や軍司令官としての権限から見てさえも、処断される口実としては充分過ぎるものがあったのですから。
ロボス失脚後のヴァレンシュタイン自身、「軍のトップの意に従わないものはクビにすれば良い」と主張したり、各艦隊司令官達や部下から直接意見を述べることすら憚られるほど恐れられたりもしているのですから、軍のナンバー2の立場にあるロボスが、それも新参者のヴァレンシュタイン相手に断固たる処罰ができない理由など、宇宙の果てまで探してもあるはずがないでしょうに。
むしろ、理屈もへったくれもなく感情任せに処断してもおかしくないくらいなのですし。
第6次イゼルローン要塞攻防戦においては、総司令部内部で交わされた作戦内容の節々に至るまで帝国側に網羅されていることが明示されている(39話)のですから、ラインハルト一派もロボスに対するヴァレンシュタインの上官侮辱罪行為を当然熟知しているはずでしょうに、何故その驚愕の事実は完全無視を決め込んでメアリー・スーな推論を掲げたりするのでしょうかねぇ(-_-;;)。
「亡命編」だけでなく、「銀河英雄伝説~新たなる潮流」の各シリーズに登場するヴァレンシュタインを論じるに際しては、「アレだけ好き勝手なことをやりまくっていて何故罰せられないのか?」というテーマを避けて通ることはできないはずなのですが……。

また、ラインハルト一派の推論にはもうひとつ大きな問題があります。
それは、「不適切な命令だからと言って、新参者の大佐(当時)でしかなかったヴァレンシュタインが総司令官の解任を進言するような行為が果たして妥当と言えるのか?」という視点と疑問がないことです。
たとえ如何に不当なものであったとしても、軍において上官の命令が絶対であることは、古今東西、また帝国・同盟を問わず基本中の基本な鉄則です。
その例外兼緊急避難措置として下位の軍人による上官の排除を定めた自由惑星同盟軍規定第214条にしたところで、それが認められるのは「指揮官が精神的、肉体的な要因で指揮を執れない、或いは指揮を執るには不適格だと判断された場合(指揮官が指揮を執ることで味方に重大な損害を与えかねない場合)」という特殊な場合のみに過ぎないわけです。
考察11でも述べたことですが、「亡命編」におけるロボスの場合は214条で挙げられているケースのいずれにも該当することはなく、このようなことが認められようものならば、それが判例となって今後の軍の運用それ自体に重要な支障をきたすようなシロモノですらありえるでしょう。
法的な観点から見れば、ヴァレンシュタインの主張などは到底認められるものではなく、逆にヴァレンシュタインの方こそが「軍の秩序を悪戯に乱し軍規に違反した」として処罰を受けなければならないシロモノでしかないのです。
そして、身分制度があるが故に同盟以上に上意下達を絶対なものとしているであろう帝国の軍人であるラインハルト一派が、このヴァレンシュタインの行為の妥当性について何ら疑問を抱くことがないというのは実に不思議な話でしかありません。
さらに笑止なのは、メアリー・スー的な「原作主人公による二次創作主人公礼賛&恐怖から来る過大評価や陰謀論」を描く意図があったであろう作者氏の思惑に反して、実は彼らの主張こそが作中のストーリーにおいて最も正鵠を射た有力な説になってしまっていることです。
ラインハルト一派の面々は、38話における軍法会議に至るまでの顛末を以下のように推測しているのですが↓

http://www.akatsuki-novels.com/stories/view/1916/novel_id~116
> 「有り得ない、総司令官を嵌めるなど……」
> ケスラーが呻くような口調で呟いている。俺も同感だ、そんな事が有るとは思えない。
> 「卿の考えすぎではないか」
> しかしクレメンツはそうではないと言うように首を横に振った。
>
> 「彼一人でやったわけではないでしょう、ヴァンフリートにヴァレンシュタインを派遣したのはシトレ元帥です」
> 「つまり、シトレ元帥とヴァレンシュタインが手を組んでロボス元帥を陥れた……」
> 声が掠れた。そんな俺をクレメンツが見ている、そして頷いた。
>
> 「第五次イゼルローン要塞攻略戦、ヴァレンシュタインが亡命した戦いですが、この時の反乱軍の総司令官がシトレ元帥です。あの二人はそこで出会っているのですよ……」
> 顔が強張る、ケスラーも顔が強張っている。有り得ない、有り得ない事だ。しかし……その有り得ない事を行ってきたのがヴァレンシュタインではなかったか……。クレメンツの声が続いた。
>
> 「小官はこう考えています。ヴァレンシュタインは両親を殺害された後、士官学校に入校しました。理由は貴族達への復讐と帝国の改革のためだったと思います。そのためには力が必要だと思ったのでしょう」
> 「……」
>
> ごく自然に頷けた。俺も力が欲しかった。姉上を救い、皇帝になるために……。だから力を得るために軍に入った。俺もヴァレンシュタインも無力な存在だ、力を得ようと思えば考える事は同じだ。クレメンツの声が続く、ゆっくりと自分の考えを確かめながら話しているような口調だ。
>

(中略)
>
>
「シトレ元帥はそんなヴァレンシュタインの力を見抜いたのだと思います。そして積極的に彼を受け入れるべきだと考えた。しかしロボス元帥は違った。彼はシトレ元帥とは敵対していた。当然ヴァレンシュタインに対する扱いも違ったのでしょう」
>
> 「シトレ元帥はそんなロボス元帥に不満を持った、卿はそういうのだな」
> 俺の問いかけにクレメンツは無言で頷いた。確かに
シトレは不満に思っただろう。ヴァレンシュタインを用いれば帝国との戦いを有利に進められる、そう思ったはずだ。そしてヴァレンシュタインを活用できるのは自分だけだと思った……。
>
> 「シトレ元帥だけではないでしょう、ヴァレンシュタインも同様だったはずです。彼はカストロプ公によって全てを失った。それがリヒテンラーデ侯の、帝国の方針だと知っていた……」
> 「……」
>
> 「である以上、彼はカストロプ公が粛清されるまで自分が帝国に戻れる可能性は無いと思ったはずです。そして何よりもヴァレンシュタインのカストロプ公、リヒテンラーデ侯への恨みは強かったでしょう。彼に残されたのは帝国への報復しかなかった。そして彼が帝国に報復するには同盟の力を借りるしかない……」
>
> 「シトレ元帥とヴァレンシュタイン……、この二人が結びつくのは必然という事か」
> 「その通りです、ケスラー参謀長」
> クレメンツとケスラーが顔を見合わせて頷き合っている。二人とも顔色が良くない。

作者氏が意図しているであろう「過大評価な陰謀論」らしく、ところどころに事実の間違いが含有されている推論ではあるのですが、ことシトレに関してだけは事実関係的にも全面的に正しいことを述べていると評価しても良いのではないですかね?
でなければ、ヴァレンシュタインは「伝説の17話」や38話の軍法会議でとっくの昔に「亡命編」の世界から退場を余儀なくされていたでしょうし、他にも軍紀違反に問われる違法行為の数々がありながら、しかも亡命者の身で、あそこまで出世などできるはずもないのですから。
シトレの超がつくレベルの強力なバックアップがあり、ロボスに対しても「ヴァレンシュタインに何かしたら、ありとあらゆる手段を用いてお前を社会的に抹殺する」的な脅しないし圧力でもかけていたというのであれば、ロボスがヴァレンシュタインを処断できなかった理由もある程度は説明可能なのですし。
権力も出自も何もない同盟における亡命者としてのヴァレンシュタインが、あそこまで好き勝手やりまくりながら何の処罰も受けない理由が、皮肉にもシトレのバックアップ説でかなりの部分が説明できてしまうわけです。
とはいえこの説では、メアリー・スー的なヴァレンシュタインの「強さ」が実は門閥貴族もビックリな要素で構成されている、ということにもなりかねないのですけどね。
シトレが権力に物を言わせて押しまくっている豪奢な乳母車にふてぶてしく鎮座し、その威光を背景に好き勝手な言動を披露しまくり、しかもそれによって罪に問われることなく免罪されていることを自分の実力がもたらしたものであると勘違いしている。
そんな原作知識ともヴァレンシュタイン自身の才幹とも全く関係のない「虎の威を借るキツネ」的な構図の一体どこに、メアリー・スー的な最強主人公のチートぶりを楽しめる部分があるというのでしょうか?
自分の足で立って歩いている、とは到底言えたものではないでしょう、ヴァレンシュタインは。
ヴァレンシュタインがのし上がっていく過程のストーリーがトンデモ&無理筋だらけで、作中における肝心要な問題点をスルーしていったがために、本来根拠のない過大評価&陰謀論が却って説得力のある正論になってしまっている、という図式ですね(笑)。
それとも作品や作者氏的には、かくのごときヴァレンシュタインに纏わる醜悪な権力構図を露わにすることで、ヴァレンシュタインを卑小な人間として描く的な意図でもあったりしたのでしょうか?
作中のストーリーの流れを見る限り、とてもそのような「高尚な」意図があるようには思えないのですが……。

さて、ラインハルト一派によるヴァレンシュタイン論については、それでもまだ、彼らが同盟と敵対する側であり、かつヴァレンシュタインという人間そのものを間近で常に見ることがないが故の過大評価として見ることも不可能ではないかもしれません。
しかし、76話におけるヤンが「伝説の17話」をフレデリカに話しているシーンについては、そういう擁護論すら適用することができません。
相も変わらず、擦り切れたテープレコーダーのごとき十年一昔な破綻論理を繰り出すしかないときていますし↓

http://www.akatsuki-novels.com/stories/view/2687/novel_id~116
> 連絡艇の窓からハトホルが見える。第三艦隊旗艦ク・ホリンに比べるとアンテナが多い、通信機能を充実したようだ。ハトホルを見ているとヤン提督の呟きが聞こえた。
>
「ヴァンフリートの一時間か……」
>
> 驚いて提督に視線を向けると提督は私に気付いたのだろう、視線を避ける様に顔を背けた。“ヴァンフリートの一時間”、以前にも聞いた事が有る。あれは第七次イゼルローン要塞攻略戦でのことだった。あの時、ワイドボーン提督がヤン提督に言った言葉だった。“ヴァンフリートの一時間から目を逸らすつもりか?”……。一体どういう意味なのか、分かっているのはそれがヴァレンシュタイン提督に関係しているという事だけだ……。
>

(中略)
>
> 「私は当時第八艦隊司令部に居た。だがヴァレンシュタイン提督の要請で第五艦隊司令部に異動になった」
> 「第五艦隊?」
> ヤン提督が頷いた。提督の表情は暗い。
>
> 第五艦隊はヴァンフリート星域の会戦に参加している。ヤン提督はヴァレンシュタイン提督の要請で第五艦隊に異動になった……。つまりヤン提督の協力が必要だったという事だろう……。ヤン提督は憂欝そうな表情をしている。提督は協力できなかった、そういう事なのだろうか? しかし戦争は同盟の大勝利で終わっている。第五艦隊は決戦の場で活躍した殊勲艦隊のはずだ。ヴァンフリートの一時間、一体何を意味するのか……。
>

(中略)
>
> ヴァレンシュタイン提督は当時まだ少佐だったはずだ。しかも総司令部の参謀でもなかった……。
> 「可能だと思ったのだろうね。そして実際に会戦はヴァレンシュタイン提督のコントロール下に置かれた……。彼が私に望んだ事はロボス総司令官が軍を把握できなくなった場合、そして帝国軍がヴァンフリート4=2に襲来した場合、第五艦隊を速やかにヴァンフリート4=2へ導く事だった……」
>
> ヤン提督はそれきり黙り込んだ。憂鬱そうな横顔だ、視線は小さくなりつつあるハトホルに向けられている。
> 「……一時間と言うのは……」
> 私が問いかけるとヤン提督は微かに横顔に笑みを浮かべた。苦笑? 自嘲だろうか、そして口を開いた。
>
> 「そう、ヴァンフリート4=2への移動が一時間遅れた。第五艦隊が基地からの救援要請を受け取った時、私は基地の救援をビュコック提督に進言したんだが第五艦隊司令部の参謀達がそれに反対した……。最終的にはビュコック提督が基地の救援を命じたが一時間はロスしただろう」
>
> ヤン提督はまだ笑みを浮かべている。多分自嘲だろう、提督はヴァレンシュタイン提督の期待に応えられなかった……。ヤン提督が私を見た、そして直ぐに視線を逸らした。まるで逃げるかのように……。
>
> 「会戦後、ヴァレンシュタイン提督に自分の予測より一時間来援が遅いと指摘されたよ。そしてエル・ファシルで味方を見殺しにしたように自分達を見殺しにするつもりだったのかと非難された……」
>
> 「そんな! あれはリンチ少将が私達を見捨てたのです。提督は私達を救ってくれました。非難されるなど不当です! 何も知らないくせに!」
> 許せない! あの時の私達の不安、絶望を知らないくせに……。リンチ少将、あの恥知らずが逃げた時、ヤン提督が居なければ私達は皆帝国に連れ去られていた。それがどれほど怖かったか……。私の身体は小刻みに震えていた、怒り、恐怖、そしてヴァレンシュタイン提督への憎悪……。
>
>
「彼の言うとおりだ」
> 「提督!」
> 驚いて提督を見た。
ヤン提督は薄い笑みを浮かべている。
> 「提督……」
>
>
「彼の言うとおりなんだ。私はリンチ少将が私達を見捨てる事を知っていた。そしてそれを利用した。私のした事はリンチ少将のした事と何ら変わらない……。今、リンチ少将がここに居たら私は彼と目を合わせる事が出来ないだろう、やましさからね。……私は、……私は英雄なんかじゃない!」
> 「……」

ありとあらゆる意味で破綻だらけな「伝説の17話」こと「ヴァンフリートの一時間」を、この期に及んでもなお執拗に取り上げ続けるつもりなのですねぇ、「亡命編」は。
そりゃストーリー的にはこのエピソードが少なからず重要な位置を占めてはいるのでしょうが、普段は礼賛調な投稿が多くを占める感想欄でさえ非難轟々だった「伝説の17話」は、そこまでして軌道修正すらも拒否して絶対的に正当化しなければならないものなのでしょうか?
ヴァレンシュタインが言うところの「一時間遅れた」云々の発言は、その根拠が原作知識というヴァレンシュタインの脳内にしか存在せず、しかもそれをヤンに提示できていない時点で誇大妄想の域を出ることなんてないでしょう。
しかもその原作知識に基づく歴史の流れ自体、考察4でも述べていたようにヴァレンシュタイン自身の行動によって改変されていた可能性が少なくないわけですし。
リンチの件に至っては、「自分が同じ状況に置かれていたらどういう行動を取るのか?」という命題を故意に無視したダブスタ&ブーメラン発言でしかありえないでしょう。
リンチはヤンや民間人を、それも軍務を放棄してまで見捨てようとしていたのに、見捨てられた側のヤンや民間人がリンチを見殺しにしてはならない理由などどこにもありはしません。
自分が生き残るなどという自己一身の利己的な目的のために、歴史を改変し本来死ぬはずのない人間を戦場で殺してきたヴァレンシュタインごときが、上から目線で偉そうに他者に説教して良いものではないですね。
何度も同じことを言っていますが、全く同じことを自分がやるのはOKなのに、他人がすると途端にNGになるというヴァレンシュタインのダブスタ&ブーメランぶりにはつくづく呆れ果てるものがあります。
で、当事者ではない私でさえあまりの不当ぶりにウンザリせざるをえないヴァレンシュタインの暴走ぶりに対し、ヤンが何故ここまで全面屈服に近い態度を取らなければならないのか、原作におけるヤンの性格から考えてさえも理解に苦しむものがあります。
原作のヤンは、原作3巻の査問会や6巻の不当逮捕劇などを見ても、自分が不当に評価されたり冤罪を着せられたりすることを著しく嫌う性格であることが見て取れますし、その際には「そこで黙って従うのは奴隷であって市民ではない」として全身全霊を挙げて戦うことを全面的に肯定してすらいるくらいなのですが。
ヴァレンシュタインを礼賛したいがために、原作設定を改竄してまでヤンに不当な懺悔の発言をさせるというのは、原作ファンとして見ても気分が良いものとは到底言い難いですね。
さらにその上、原作設定云々以前にいっぱしの社会人ともあろう者が、以下のごときタワゴトな論理をネタではなく真顔で展開できるという事実には、ある意味驚きを隠せないのですが↓

http://www.akatsuki-novels.com/stories/view/2687/novel_id~116
> 吐き捨てるような口調だった。ヤン提督は苦しんでいる、でも私は何も言えなかった……。どれほど提督に非が無いと私が言っても提督は納得しないだろう。それでも無言で居る事は耐えられなかった。なんとか提督を救いたい、そんな気持ちで言葉を出した。
> 「ですが……、ヴァンフリート星域の会戦は同盟軍の勝利で終わりました。その一時間が問題になるとは思えないのですが……」
>
> ヤン提督が私を見て苦笑を漏らした。
> 「バグダッシュ准将が大尉と同じ事を言ったよ。戦争は勝った、何故その一時間に拘るのかと」
> 「……」
>
> 「第五艦隊はヴァンフリート4=2に停泊中のグリンメルスハウゼン艦隊を撃破した。一万二千隻程の敵艦隊の内、逃れる事が出来たのは五百隻程度だったはずだ。本来なら大勝利と言って良い、だがその五百隻の中にラインハルト・フォン・ミューゼルの艦隊が有ったんだ……」
> 「!」
>
> ラインハルト・フォン・ミューゼル、ヴァレンシュタイン中将が天才だと評し恐れている人物。その人物がヴァンフリート4=2に居た、そして逃げた……。彼は今帝国軍中将になり宇宙艦隊司令長官、オフレッサー元帥の信頼が厚いと聞く。驚愕する私の耳朶にヤン提督の自嘲交じりの声が聞こえる。
>
> 「ヴァレンシュタイン中将は私達にこう言った。彼を相手に中途半端な勝利など有り得ない、だが彼は未だ階級が低くその能力を十分に発揮できない。だから必ず勝てる、必ず彼を殺せるだけの手を打った。おそらく最初で最後のチャンスだったはずだと……。そしてこのチャンスを逃した以上、いずれ自分は彼に殺されるだろうと……」
> 「……」
>
> 必死に驚愕を押さえヤン提督を見た。提督は昏い眼をしている。
>
「第五艦隊の来援が一時間早ければグリンメルスハウゼン艦隊を殲滅し、逃げ場を失ったミューゼル中将を捕殺できたはずだった。だがそのチャンスを私が潰してしまった」
> 提督の声は苦みに満ちていた……。

それはヤンが反省すべきことではありません。
一番問題なのは、そういう重要な情報を事前に同盟軍、あるいはシトレとヤンにだけでも提示することなく、会戦終了後に自分の支離滅裂な主張が論破されそうだからと言って後付で出してきたヴァレンシュタイン自身なのですから。

社会人としての基本中の基本である「ほうれんそう(報告・連絡・相談)」の心得を、ヴァレンシュタインは前世でも今世でも全く学ぶことがなかったとでもいうのでしょうか?
「ほうれんそう」が全く為されていない事案について後付でクレームをつけたところで、普通であれば「じゃあ何故そのような情報を隠していたんだ?」と逆に糾弾されるのがオチですし、ましてやこれが軍であれば重罪に問われても文句は言えない行為ですらあるでしょうに。
というか「亡命編」の作中にさえ、事前に行う「ほうれんそう」の重要性を描写している箇所があったりするのですが↓

http://www.akatsuki-novels.com/stories/view/1876/novel_id~116
> オフレッサーが唸るような口調で話し始めた。呆れているのかもしれない。
> 「カストロプ公は大貴族だ、そして財務尚書でもある。
彼を排除するとなれば事前に根回しが要るだろうが
> 「……」
>
> 「
いざ潰すという時になってリッテンハイム侯が反対したらどうなる? その時点で贄の秘密を話すのか? 侯はへそを曲げるぞ、何故前もって教えなかったとな。それに後任の財務尚書の事もある。おそらくは既にリヒテンラーデ侯、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯の三者で話し合いがもたれたはずだ、その中で全ての秘密が共有され、そして後任の財務尚書も決まった……」

リッテンハイム侯には普通に通用する論理が、何故ヴァレンシュタインが発信者になると途端に適用されなくなってしまうのでしょうか?
ラインハルトの脅威を隠蔽されていたヤンやシトレだって、ヴァレンシュタインに対して「何故前もって教えなかった」と「へそを曲げる」権利くらいは当然のごとくあるはずなのですが(苦笑)。
前述のように、「ヴァンフリートの一時間」にしたところでヴァレンシュタインの電波な「迷推理」の可能性が濃厚な上に他者に根拠が明示されない以上、ヴァンフリート星域会戦におけるヤンは、その権限から考えても充分に最善を尽くしたと言えます。
それに満足できないのは、ヴァレンシュタインのごとき常軌を逸した被害妄想クレーマーだけです。
ヴァンフリート星域会戦でラインハルトを取り逃がした最大の元凶は、「ほうれんそう」を怠り脳内世界だけで戦争をコントロールしようとしたヴァレンシュタイン自身にこそあるのです。
その責任問題から目を背け、本来一番反省すべき人間が他者に責任を転嫁し、その不当な冤罪行為に一番怒るべき人間が委縮して懺悔をする。
釣りか炎上マーケティングでも意図していたのであれば間違いなく大成功だったと評価もできるのでしょうが、そうでなければこれほどまでに原作ファンを敵に回す描写もそうはないのではないかと。

76話におけるこれ以降の会話なんて、「俺が悪かった、ヴァレンシュタインは素晴らしい」と嘆きまくるヤンと、その場にいなかったにもかかわらず必要以上にヴァレンシュタインの心情を思いやるフレデリカという、実に気持ち悪いメアリー・スー描写のオンパレードですからねぇ(-_-;;)。
原作設定を尊重せず愚劣な理論でもって原作主人公を貶め、オリジナルな主人公を礼賛する行為というのは、メアリー・スーの中でも特に最悪の部類に入る所業なのではないかと、つくづく思えてならないですね。
物語の演出にしてもこれほどまでに自分の作品および原作を貶める愚かな描写というのはそうそうあるものではないですし、もし万が一にも作者氏自身がこんな言動を社会通念的に正しいものであると本気で考えているとしたら、その頭の中身と具合を疑わざるをえない惨状を呈しているとしか評しようがないのですが。
本当に読者に対してヴァレンシュタインを有能に見せたいのであれば、「神(作者)の奇跡」「神(作者)の祝福」などに依存することなく、もちろん朝日新聞の中国礼賛報道のごとき原作主人公達の盲目的なマンセー発言で文章を埋め尽くすでもない、本当の意味での才幹と「有能な敵キャラ」を見せつける必要があるのではないかと思うのですけどね。

次回の考察は、ヴァレンシュタインのフェザーン謀略戦?について述べてみたいと思います。

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2014/10/13 from ピロEK脱オタ宣言!…ただし長期計画

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