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第66回カンヌ国際映画祭で「そして父になる」が審査員賞を受賞

第66回カンヌ国際映画祭で、日本から出品された映画「そして父になる」が審査員賞を獲得しました。
同賞を日本人が受賞するのは26年ぶりなのだとか↓

http://www.cinematoday.jp/page/N0053324
>  [シネマトゥデイ映画ニュース] 第66回カンヌ国際映画祭の授賞式が現地時間26日に行われ、福山雅治が主演した是枝裕和監督作『そして父になる』が審査員賞に輝いた。同賞を日本人が受賞するのは、1987年の三國連太郎監督『親鸞 白い道』以来26年ぶり。
>
>  授賞式の壇上に立った是枝監督は、「ここにまたくるチャンスを与えてくださった映画祭と審査員に感謝いたします」とコメント。「一足先に帰った福山さんはじめキャスト、ここに来られなかったスタッフの皆さんとこの賞を喜びたいと思います」と述べ、「今回の父と子の物語を作るきっかけとなった、僕を子どもとして生んでくれた父と母に、そして僕を父親にしてくれた妻と娘に感謝します。ありがとう」と締めくくると、大きな拍手に包まれた。
>
>  是枝監督は2001年に『DISTANCE/ディスタンス』が、同映画祭コンペティション部門に正式出品。2度目の出品となった2004年の『誰も知らない』では、柳楽優弥に史上最年少の男優賞獲得をもたらした。2009年には『空気人形』が、ある視点部門で上映。今回は9年ぶりのコンペ部門参加で、またも快挙を成し遂げた。
>
>  また最高賞のパルムドールは、フランス映画の『ブルー・イズ・ザ・ウォームスト・カラー(英題) / Blue is the Warmest Colour』が獲得。またオフィス北野製作の日中合作映画『ア・タッチ・オブ・シン(英題) / A TOUCH OF SIN』は脚本賞に輝き、脚本を兼任したジャ・ジャンクー監督が受賞した。
『そして父になる』と同じくコンペ部門に出品されていた三池崇史監督作『藁の楯 わらのたて』、短編コンペティション部門に出品されていた佐々木想監督作『隕石とインポテンツ』は惜しくも受賞を逃した。
>
>  本作は、ドラマ「ゴーイング マイ ホーム」や映画『奇跡』などを手掛けた是枝裕和監督の最新作。6歳になる息子が、出生時に取り違えられた他人の子だったと知った主人公の葛藤(かっとう)を描き、福山雅治が初の父親役を務めた。(編集部・森田真帆 / 入倉功一)
>
> 第66回カンヌ国際映画祭の受賞結果は以下の通り。
>
> 【パルムドール(最高賞)】
> 『ブルー・イズ・ザ・ウォームスト・カラー(原題) / Blue is the Warmest Colour』(フランス)アブデラティフ・ケシシュ監督
>
> 【グランプリ】
> 『インサイド・ルウェイン・デイヴィス(原題) / Inside Llewyn Davis』(アメリカ)ジョエル・コーエン監督・イーサン・コーエン監督
>
> 【監督賞】
> 『エリ(原題) / Heli』(メキシコ)アマト・エスカランテ監督
>
> 【男優賞】
> 『ネブラスカ(原題) / Nebraska』(アメリカ)ブルース・ダーン
>
> 【女優賞】
> 『ザ・パスト(英題) / The Past』(フランス)ベレニス・ベジョ
>
> 【脚本賞】
> 『ア・タッチ・オブ・シン(英題) / A TOUCH OF SIN』(中国、日本)ジャ・ジャンクー
>
> 【審査員賞】
> 『そして父になる』(日本)是枝裕和監督
>
> 【カメラドール(新人監督賞)】
> 監督週間
> 『イロイロ(原題) / ILO ILO』(シンガポール)アンソニー・チェン監督
>
> 【短編コンペティション】
> 『セイフ(原題) / SAFE』(韓国)ムン・ビョンゴン監督


ただまあ、カンヌの賞というのは、個人的にパルム・ドールを筆頭にあまり信用が置けたものではないのですけどね。
カンヌの最高賞たるパルム・ドールの受賞作品の中には、あの悪名高い超駄作「ツリー・オブ・ライフ」があります。
豪華な出演俳優と演技と演出を全て台無しにする支離滅裂な内容と作品構成の一体どこに賞に値する要素があったのか、と一体何度考えたか分かりません。
意味不明な前衛芸術として以外は全く評価のしようがないこの駄作は、映画の前宣伝でやたらと「パルム・ドール受賞作品」という謳い文句が披露されまくっていたこともあり、作品のみならずパルム・ドールという賞そのものに対する評価をも失墜させることになったわけですね。
パルム・ドールというのは映画の内容や面白さではなく、前衛芸術や支離滅裂ぶりを評価する賞なのか、と。
そのため個人的には、何かと芸術至上主義と揶揄しているアメリカのアカデミー賞よりもはるかに評価の低いシロモノだったりするんですよね、カンヌの賞というのは。
その点では、件の「そして父になる」が、パルム・ドールではなく審査員賞という「ほどほどの賞」に収まったのは、結果的には良いことだったと言えるかもしれません。
パルム・ドールなど受賞してしまったら、「どんな前衛芸術だよ」と却って評価を下げることにもなりかねなかったでしょうから。
一方で、映画「藁の楯/わらのたて」が賞を逃したというのは、カンヌ的にはある意味当然の流れであったかもしれません。
パルム・ドールを筆頭に前衛芸術をメインに評価するカンヌで、アクションもそれなりにあって意味も明瞭なあの作品は、あまり受け入れられるものではないでしょうから。
アカデミー賞もそうなのですが、この手の映画の賞の評価基準というのは、一般大衆のそれとは大きくかけ離れているのではないかと、つくづく思わずにいられないところですね。

映画「そして父になる」は、日本では2013年10月に公開予定なのだそうです。
私が観賞するか否かは、10月の映画公開状況次第といったところですね。

相変わらず現実離れした「自転車は車道を走れ!」キャンペーン

日本の警察というのは、相も変わらず現場の実情からかけ離れた「自転車は車道を走れ!」キャンペーンを展開し続けているようですね。
自転車絡みで最も多く発生し死亡率も高い事故は「対自動車」だと事実を無視してまで↓

http://megalodon.jp/2013-0526-2256-32/www3.nhk.or.jp/news/html/20130525/k10014839591000.html
> 自転車と歩行者の接触事故を減らすため、全国の警察は、自転車の通行が可能だった歩道のうち、350キロ余りの区間を原則、通行できなくする措置を取りました。一方で、自転車が車道を安全に走るための専用レーンの設置はなかなか進んでおらず、今後、対策を急ぐ方針です。
>
> 警察庁によりますと、
自転車が歩行者に接触する事故は去年、全国で2625件と、10年連続で2000件を超え、死亡事故も5件起きるなど深刻な状態が続いています。
> このため、警察庁は、自転車の通行が可能な歩道のうち、道幅が3メートル未満の狭い所は、子どもや高齢者などを除き、自転車での通行を徐々にできなくする方針をおととし決めました。
> これを受けて、全国の警察が「自転車通行可」の標識を取り外した歩道は、去年1年間で合わせて516か所、区間の距離は356キロに上ることが分かりました。
> 都道府県別では、千葉県が87キロと最も長く、次いで埼玉県が44キロ、岩手県が32キロなどとなっています。
> 一方、
警察は自転車が車道を安全に走るための専用レーンの設置も行っていますが、地元の合意などが必要で、昨年度、整備されたのは53か所にとどまっています。警察庁は、自転車が通行できる歩道を今後も減らすとともに、専用レーンの整備を急ぎ、歩行者と自転車双方の安全を確保したいとしています。

前にも述べたことがありますが、自転車事故の件数も、それによる死亡者数も、実際のところは自動車事故共々むしろ逆に減少傾向にすらあります。
自動車事故件数の減少速度が、自転車事故のそれよりも速いがために、比率上では自転車事故が増えている「ように見える」という「数字のトリック」が発生しているだけでしかないのです。
他ならぬ警察自身が公開している資料を見ても、それは明らかなのですし↓

自転車関連事故の推移
http://www.npa.go.jp/koutsuu/kikaku/bicycle/pdf/2_shosai.pdf

対歩行者の自転車事故が「前年比で41件増えている」と言っても、それ以外の事故件数も死亡者数も右肩下がりで減っていることと比較してみれば、ほとんど誤差の範疇でしかないことが一目瞭然なのですけど。
この「数字のトリック」を錦の御旗のごとく振り回して自転車規制を推進する警察の方針は、何度考えても理解に苦しむものがあります。
しかも地方では、ただでさえ鉄道網やバス等の公共交通機関の整備が充分でなく、その分クルマの依存度が高く、また自動車道路が狭い一方で無駄に広い歩道が整備され、しかもそこではロクに歩いている人自体が少ないという道路事情もあったりするわけです。
地方ではむしろ、広い歩道を自転車に開放して有効活用すべきですらあるというのに、それを禁じてわざわざ自転車に車道を走らせることに、一体どんな意味が見出せるというのでしょうか?
却って事故と死亡者数が増大するだけでしかないのは、最初から誰の目にも明らかなのですが。
自転車が車道を走るようになれば、対歩行者相手の自転車事故を1件減らすことと引き換えに30件以上ものの対自動車事故が頻発するであろうことは、これまた以前の記事でも述べた通り、統計的にも表れている話でしかないのですし。
事故と罰則を増やすことで、警察関係の仕事と罰金等の収入、そして規制強化に伴う天下り先の確保を狙ったものとしか思えないのですけどね、警察が推進している自転車規制の熱の入れっぷりは。

自転車を「軽車両」とする現行の道交法自体が時代遅れな産物と化しているようにしか思えないのですが、「現実を法律に合わせる」かのごとき警察の対応には大いに疑問符をつけざるをえないところですね。

ちょっと旬を過ぎた田中芳樹関連ネタ2題

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既に旬が過ぎた感のある話ですが、アルスラーン戦記が講談社の別冊少年マガジン2013年8月号から、荒川弘執筆でマンガ連載されるみたいですね↓

http://megalodon.jp/2013-0526-2214-57/mantan-web.jp/2013/05/09/20130508dog00m200076000c.html
>  「銀河英雄伝説」などで知られる田中芳樹さんのファンタジー小説「アルスラーン戦記」が、「鋼の錬金術師」「銀の匙 Silver Spoon」の荒川弘さんによってマンガ化されることが9日、明らかになった。9日に発売された別冊少年マガジン(講談社)6月号で発表されたもので、7月9日発売の同誌8月号で連載がスタートする。荒川さんが講談社のマンガ誌で連載を持つのは初めて。
>
>  「アルスラーン戦記」は、架空の王国パルスを舞台に、王子のアルスラーンら英雄の戦いを描いたファンタジー小説。1980年代に出版されてヒットし、91年と92年に劇場版アニメが公開された。
>
>  同誌6月号には荒川さんが描いた主人公・アルスラーンのポスターが付いている。(毎日新聞デジタル)

アルスラーン戦記は、かつて存在していた角川系列の少女漫画雑誌「月刊ASUKAファンタジーDX」で、少女マンガ家の中村地里の手で連載されていたはずなのですが、何故また連載を決めたのですかねぇ。
二番煎じ以外の何物でもないですし、第一、本編のアルスラーン戦記自体が未だ13巻で止まったままだというのに。
角川から自分の系列会社に版権を移された講談社にしてみれば、ただでさえ出版不況で苦しんでいるところに田中芳樹お得意の遅筆で死蔵されているも同然の資源を、何とか活用したいという一心ではあったのかもしれませんが。
途中で人気不足により打ち切られるという結末に至るのでなければ、同じくマンガ連載されている薬師寺シリーズ同様に「連載中に原作に追いつく」ことが確実なのですが、その辺り、一体どうやって整合性をつけるつもりなのでしょうかねぇ。

ところで、その薬師寺シリーズもまた、原作9巻「魔境の女王陛下」のコミック版が刊行されたそうで↓

http://a-hiro.cocolog-nifty.com/diary/2013/05/post-28e6.html
>  田中さんの原作を、垣野内成美さんがコミック化して下さっている「薬師寺涼子の怪奇事件簿」シリーズ。
>  
田中さんの原作執筆のペースよりも、はるかに垣野内さんのコミック化のスピードが速かったため、しばしコミック版オリジナルのストーリーが続いておりましたが、久しぶりに田中さんの原作を題材にしたモノが単行本に。

こっちはこっちで、いいかげん垣野内成美に版権ごと薬師寺シリーズを引き渡せば良いのに、と何度考えたか分かりませんね(苦笑)。
ますます遅筆に磨きがかかっている昨今の田中芳樹の遅筆では、次の続巻がいつになるのかすらも全く見えてこないのですし、肝心の出来も全く期待できないときているのですから。
田中芳樹的には、ストレス発散の手段であろう薬師寺シリーズを手放すことはできないのでしょうし、第二次安倍内閣の発足で執筆意欲を掻き立てられてでもいるのかもしれませんが(爆)。

映画「探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点」感想

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映画「探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点」観に行ってきました。
作家・東直己の「ススキノ探偵シリーズ」を原作とする、北海道を舞台に繰り広げられるハードボイルド・ミステリーシリーズ第二弾。
今作は原作5巻の「探偵はひとりぼっち」がベースになっているのだとか。
前作「探偵はBARにいる」から引き続き出演しストーリーと関わってくる登場人物も少なからずいるので、今作を観賞する際には前作を事前に復習しておくことをオススメしておきます。
なお作中では、主人公が女性と延々とまぐわっているシーンが序盤に登場する等の描写があるため、前作同様に今作もPG-12指定されています。

前作に引き続き、作中で全く名前が公開されない「探偵」が主人公の今作の物語は、「探偵」の友人であるオカマのマサコちゃんが何者かに殺害されるところから始まります。
マサコちゃんはマジシャン?としてかなりの実力を持っており、その手の全国大会を扱ったテレビ番組で優勝してしまうほど。
しかし、その優勝から2日後、マサコちゃんは何者かに殺されて、ゴミ溜めの中に放置されているのが発見されたのでした。
当然のごとく、マサコちゃんの周囲は怒りに満ち溢れ、「探偵」もそれに同調するのですが、それから3ヶ月の歳月が経過しても、警察の捜査は一向に進展せず、容疑者の候補すら全く浮上してきません。
その3ヶ月の間、ただひたすら女遊びにシケこんでいたものの、最終的に女から捨てられてしまった「探偵」は、思い出したかのようにマサコちゃん殺人事件の捜査状況を把握して愕然とするのでした。
捜査が行き詰っているだけでなく、当初は犯人への復讐心で気炎を上げていた関係者達が、何故か奥歯に物が挟まったかのごとく曖昧に言葉を濁すありさま。
それもそのはずで、マサコちゃん殺人事件には、北海道でも大物とされる政治家の姿が見え隠れしていたのでした。
その政治家・橡脇孝一郎は、かつてマサコちゃんと同性愛的な関係にあることが、関係者の間では密かに知れ渡っていました。
現在は既に縁が切れているものの、マサコちゃんがテレビ出演したことで過去を蒸し返されることを恐れた橡脇孝一郎本人またはその関係者が、口封じを意図してマサコちゃんを殺害したのではないか?
そのような噂が関係者の間で広がったことから、周囲はマサコちゃん殺人事件について口を閉ざすようになってしまったのでした。
そんな周囲の様子に納得がいかない「探偵」は、独自に事件の捜査を進めていくことを決意するのですが、その時から彼には不審な人物達がまとわりつくようになります。
「マサコちゃんのファン」を名乗る謎の女性。
橡脇孝一郎絡みで、それぞれの思惑に基づいて蠢く3つの集団。
「探偵」は、これらの存在に対処しながら、事件の真相を解明していくことになるのですが……。

映画「探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点」は、いかにも闇の組織が蠢いていると言わんばかりのストーリー構成に反して、その事件の真相はおよそ笑えるレベルで卑小なシロモノでしかなかったですね。
作中でアレだけドタバタ劇をやっていたのは一体何だったのか、とすら思えるほどに。
政治家およびその周囲の人間達の動向だの、主人公と周囲の人間の怒りだのは、結局殺人事件とは全く何の関係もなかったわけですし。
結果から見れば、終盤近くまで政治家が犯人であることを前提に各種の言動を繰り広げていた、主人公を含めた全ての登場人物達が、実に滑稽に見えてならなかったですね。
犯罪捜査は予断と偏見をベースに行ってはいけない、という基本中の基本な考え方を、今作はまざまざと見せつけてくれています。
とはいえ、物語的に見ると、アレだけ大騒動を繰り広げた挙句があの真相では、あまりにも竜頭蛇尾に過ぎて悪い意味で拍子抜けもいいところです。
先の展開がなかなか読めないながらも、結果から見れば最初から最後まで一本筋が通ってはいた前作の方が、ミステリー作品としては出来が良いのではないかと。
アクションシーンやカーチェイスなどは、確かに前作よりもスケールアップしていた感はありましたけど。

また、いくら自分の思想や政策と合致する政治家を守るためとはいえ、「自発的に」主人公達を暴力的に襲撃して平然としている集団も、なかなかにクるものがありましたね。
その目的が「脱原発推進」というのも笑えるところではあったのですが。
カネで雇われて手先になっていた、というのであればまだしも、彼らは自主的かつ無報酬で手先同然の行動に打って出ていたわけですからねぇ、彼らは。
巷の左翼&サヨク運動を皮肉る意図でもあったりしたのでしょうかね、アレは(苦笑)。
まあ実際には、彼らが自分達の正体や黒幕の存在を隠蔽したいがためにあえて虚言を弄していた、という可能性もなくはないのですが。
あの手の組織では、依頼主やスポンサーは最大の企業秘密のひとつでしょうし、傍から見てもウソっぱちな虚言であっても、それを守ろうとするのもこれまた当然の話ですし。
ただ、あそこまで状況証拠が歴然としている中で、そんなことをして意味があったのかは疑問もいいところなのですけど。

エピローグでは前作に引き続き、「探偵」の相棒である高田が所有するボロ車のビュートがド派手にエンストし、2人して立ち往生する様が描かれています。
前作でも「クルマ買い替えろ!」を激高していた「探偵」でしたが、何故高田はあのクルマを全く変えようとしないのでしょうか?
今時、アレより安くて燃費その他の面で性能の良いクルマなんて、中古車ショップにすらたくさんあるのではないのかと。
というか、むしろあのクルマを維持することの方が、メンテ費用その他で却って高くつくのではないかとすら思えてならないくらいですし(爆)。
ものぐさで怠け者気質な高田であれば、むしろメンテの手間がかからないクルマを選びそうなものなのですが、高田はあのクルマによほどの愛着でもあったりするのでしょうかね?

ミステリー物としてはイマイチな感がありますが、アクションとコメディを交えたハードボイルド物としてならば、それなりに見れるものはあるのではないでしょうか。

映画「L.A.ギャングストーリー」感想

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映画「L.A.ギャングストーリー」観に行ってきました。
かつて実在し、大都市を支配する大物ギャングとして悪名を轟かせたミッキー・コーエンと、ロス市警の警官達との壮絶な死闘を描いたクライム・アクション作品。
作中では暴力描写やセックスシーン等があるため、R-15指定されています。

物語の舞台は1949年のアメリカ・ロサンゼルス。
当時のロサンゼルスは、ニューヨーク生まれの元ボクサーで、現在は犯罪組織のボスとなっているミッキー・コーエンという男が裏で牛耳っていました。
彼は、ライバルのギャングを2台のクルマを使って引き裂き、死体をコヨーテに食わせるというほどの所業すら平然としてやってのけるほどの残忍な性格の持ち主。
また、彼の犯罪組織は警察の上層部や政治家達をも抱き込んでいるため、誰も手を出すことができずにいるのでした。
そんな中、ロス市警の巡査部長で今作の主人公でもあるジョン・オマラは、ある日、ミッキー・コーエンの部下がスカウトマン?を装って女性に声をかけ、ホテルに連れ込む光景を目撃します。
女性が連れ込まれた部屋では複数の男が待ち構えており、女性を集団レイプにかけるべく牙を研いでいたのでした。
そして女性がまさにベッドに投げ込まれて犯されようとするまさにその時、ジョン・オマラが部屋へ乱入し、男達を一方的に叩きのめします。
女性を助け出したジョン・オマラは、ボコボコにした男達を逮捕し署まで連行するのですが、直後に「令状なしの不当逮捕」という理由から、男達はあっさりと釈放されてしまうのでした。
しかし、相手がミッキー・コーエンの部下であることを承知の上で逮捕に踏み切ったジョン・オマラを、ロス市警本部長ビル・パーカーが目をつけます。
彼は、ミッキー・コーエンおよび彼の組織を壊滅に追いやるべく、ジョン・オマラをその責任者に抜擢し、人選や作戦の一切を任せるのでした。
突然思いもよらない任務を与えられたジョン・オマラは、現在妊娠中らしい愛妻のコニー・オマラに相談を持ちかけます。
彼女自身は夫が危険な任務に飛び込んでいくことに反対ではあったのですが、夫からの相談には積極的に応じ、ある意味夫以上に熱心に人選を考えていきます。
そして任務の遂行については、将来が約束されているが故にミッキー・コーエンの買収ターゲットにされているであろうエリート警官ではなく、出世が望めない「はぐれ者」を選出した方が良いとの助言を、コニー・オマラは夫に与えるのでした。
妻の助言に従ったジョン・オマラは、その流れに従い、数人の「はぐれ者」達に声をかけ、法律無視のギャング同然なチームを作り上げていくことになるのですが……。

映画「L.A.ギャングストーリー」は、現代では考えられないレベルでクルマの性能がチャチもいいところですね。
作中で繰り広げられていたカーチェイスは、現代もののそれと比べるとスピード感がイマイチ出ていませんでしたし、終盤ではエンジンスタートしたばかりのクルマに、主人公が歩いて追いつくなどという描写まであったりします。
1949年のアメリカが舞台の映画なのですから当然のことではあるでしょうが、当時のスタンダードなクルマの性能の実態というものがよく分かる描写ではありますね。
アレでも当時は「時代の最先端」をひた走っていたのではあるのかもしれませんが。
やたらと大がかりな割に感度&受信性が悪そうな盗聴器とか、全米ネットワークを構築するために大量の黒電話が用意されたりと、1949年らしさがあちこちに出ている映画です。
古き良きアメリカのノスタルジックな雰囲気を楽しみたい方は、これだけでもオススメの部類に入るのではないかと。

ストーリー的には、特に物語後半の展開があまりにも無理筋&ご都合主義過ぎるような感はありましたね。
物語前半でミッキー・コーガンの犯罪組織相手に好き勝手な襲撃を繰り広げていたジョン・オマラの一派は、しかしやがて「現場でカネが全く奪われていない」などの要素から次第に敵側に正体を喝破されていきます。
そしてついに正体が露見してしまったジョン・オマラ一派は、ミッキー・コーガンの手の者から逆襲されることになるのですが、しかしこれがまた笑えるレベルで手ぬるい措置もいいところなんですよね。
ミッキー・コーエンの一派は、ジョン・オマラがリーダーとなっているチームの構成員達を殺害しようとするのですが、その大半が失敗した挙句に相手に反撃の糸口まで与えてしまったことはまあ良いとしましょう。
しかし、ジョン・オマラの自宅を自動小銃で襲撃した際、ただ外から銃をぶっ放しただけで、中にいる人間を殺すどころか、所在の確認すらも行わなかったのは一体何なのでしょうか?
わざわざジョン・オマラの自宅をピンポイントで襲撃するくらいなのですから、あの家にジョン・オマラの家族がいることくらいは既に調べもついていたでしょう。
ならば、自宅に押し入ってジョン・オマラ本人もしくはその家族を殺さないと、彼らは目的を達成したことには全くならないはずでしょうに、外から銃撃を浴びせるだけで何もせず去っていくだけって……。
この期に及んで警告的な意味合いで襲撃する意味なんてまるでないでしょうし、報復が目的であれば当然ターゲットの死を確認する必要もあるでしょうに。
あそこで奥さんがバスルームで出産しているだけ、という顛末は普通にありえないシロモノでしかなかったですね。
またミッキー・コーガンとの最終決戦の際、当初ミッキー・コーガンは何重もの警備に囲まれた難攻不落のホテルで「この守りを突破できるものなら突破してみろ」と言わんばかりの態度を披露しました。
ところが、よりによってジョン・オマラ一派がホテルのギャング達と派手な銃撃戦を繰り広げている最中に、彼は自分からホテルの1階まで下りてきて逃走を図ろうとするんですよね。
せっかくの地の利を生かした必勝の体制でホテルでの籠城戦を選んだ自分の判断を台無しにするこの行動は、当然のごとくミッキー・コーガンにとって大いなる生命取りとなってしまいました。
スケジュールが差し迫っていたという事情もあったにせよ、何故よりによってあのタイミングでバカ正直な行動を、とはつくづく思わずにいられなかったですね。
あと数時間、ホテルの上層階で籠城を続けていれば、あるいはジョン・オマラ一派の方こそがホテルのギャング達によって制圧されていたかもしれないのに。
ひょっとしてミッキー・コーガンには自滅願望でもあったのではないか、とすら思えてしまうほどに、アレは自殺行為もいいところだったのではないのかと。

1949年が舞台ながら、どことなくアメリカ西部劇の無法な雰囲気を醸し出している作品ではありますね。
作中の警官達は、法律そっちのけで「どっちがギャングなんだ?」と言わんばかりの破壊活動に精を出しまくっていましたし。
良くも悪くも、アメリカンスタンダードな要素が色濃く出ている映画ではないかと思います。

「ダイ・ハード」シリーズ6作目の製作が早くも発表

2013年2月に日本で公開された映画「ダイ・ハード/ラスト・デイ」の続編が早くも発表されました。
現時点における仮の題名は「ダイ・ハーデスト」。
初の海外となるロシアが舞台だった前作に続き次回も海外が舞台で、場所は何と日本の東京とのこと↓

http://www.cinematoday.jp/page/N0052624
> [シネマトゥデイ映画ニュース] ブルース・ウィリス主演の人気アクション映画『ダイ・ハード』シリーズ第6作の仮タイトルが『ダイ・ハーデスト(原題) / Die Hardest』に決定し、日本が舞台になることがわかった。脚本家のベン・トレビルクックが明かした。
>
>  今年2月に約5年半ぶりのシリーズ第5作『ダイ・ハード/ラスト・デイ』が公開されたばかりの同シリーズだが、TotalFilm.comによると、すでに次回作の製作がスタート。脚本家に抜てきされたベンは執筆に取り掛かっており、
次回作ではニューヨークからストーリーが始まり、その後、東京が主な舞台になることが決定しているという。
>
>  そのほかの詳細はまだ不明だが、ベンは「シリーズや常連のキャラクターにはとても忠実なものになる。それでいて、リアリティーあふれるストーリーにする予定だよ」と構想を語っている。
>
>  シリーズ第1作『ダイ・ハード』からアメリカを主な舞台にしていた同シリーズだが、最新作『ダイ・ハード/ラスト・デイ』ではロシア・モスクワが舞台になっており、着実にスケールアップを遂げていることがうかがえる。(編集部・福田麗)

映画の「ダイ・ハード/ラスト・デイ」が【日米共に】2013年2月14日だったことを考えると、今回の続編発表はあまりにも早いと言わざるをえないのではないかと。
せっかく日本では、「It's a good day to die(死ぬには良い日だ)」をもじった「A Good Day to Die Hard」の原題を「ラスト・デイ」という、あたかも最終作と言わんばかりの邦題に変更して公開していたというのに、完全に裏目に出てしまっていますね(T_T)。
かくいう私自身、シリーズ5作目という長さに加えてのこのタイトルだったので、映画観賞前は「これが最終作では?」と考えていたクチでしたし。
まあ実物を観賞したら、タイトル倒れな結末もいいところだったので、続編は充分に出せるなとすぐさま考え直したものだったのですが。
既に製作が始まっていることから考えるに、次回作たる「ダイ・ハーデスト」の公開は2014年中には実現できるかもしれないですね。

ただ、日本で一体どうやってシリーズお馴染みのあのド派手なアクションシーンを撮影するのか、その辺は少々心許ない限りではあるのですけど。
日本では、映画「藁の楯/わらのたて」などのごとく、国内での映画撮影に多大なまでの制約があるのが常なのですし。
東京の背景を全てCGで固めるなり、等身大のセットを組み立てるなりして、あくまでもアメリカメインでの撮影、ということになるのでしょうかね?

TOHOシネマズで高校生の映画料金が1000円に改定

TOHOシネマズ系列の全国59の劇場で、6月から高校生の映画料金を現行の1500円から1000円に変更することが決定しました↓

http://news.mynavi.jp/c_cobs/news/pia/2013/04/toho1000.html
> TOHOシネマズ株式会社が、6月から運営する全国59の劇場で高校生の映画鑑賞料金を現在の1,500円から1,000円に変更することを発表した。従来、高校生の鑑賞料金は大学生と同一の1,500円だが、価格料金を改定することで高校生の金銭的負担を軽減し、さらに映画館を経験したことのない高校生に対して、より鑑賞しやすい環境を提供する。若者層の映画ファンを応援し、将来の映画ファン育成に貢献することが狙い、とのこと。
>
> 料金改訂の発表にあわせ、明日
27日(土)からTOHOシネマズが生み出した人気キャラクター“紙兎ロペ”が登場するサービス案内動画が全国のTOHOシネマズで上映される。“紙兎ロペ”は、劇場での予告編の合間に登場する短編アニメーションをきっかけとして映画ファンの間で人気が広まり、2012年には長編映画化もされた“映画館が生んだ”人気キャラクター。映画館での映像としては、昨年の映画化以来久しぶりの登場となる。

高校生優待のサービスとしては、かつて「高校生3人で映画料金1000円」という高校生友情プライスというものがありました。
しかし、レディースデイやレイトショーと比較して条件が厳しかったためかサービス利用者があまりおらず、結果、全国的なものは廃止され、現在では一部の映画館のみで運用されるという経緯を辿っています。
何故わざわざ「3人」などという難易度の高い設定にしてしまったのか、何とも理解に苦しむサービスでした。
高校生だと「映画はデートスポットのひとつ」というイメージがあるのですから、夫婦50割引と同じく「2人で2000円」にしていた方が、利用もしやすく使い勝手も良かったのではないかと思えてならなかったところなのですが。
それだけに今回、高校生1人だけで映画料金1000円になるというサービスの開始は、使い勝手も良さそうですし利用者の増大も見込めるのではないかと。
映画の興行収益も、邦画を中心に右肩上がりなわけですし、需要もそれなりにあるはずなのですから。
あとは、大々的なCMによる周知の徹底ですかね、当面の課題としては。

TOHOシネマズの新しい試みは、他のサービスと同じように定着することになるのでしょうか?

映画「図書館戦争」感想&疑問

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映画「図書館戦争」観に行ってきました。
有川浩の同名小説を原作とする、岡田准一・榮倉奈々主演のSFアクション大作。
「図書館戦争」は、元々アニメ化された後に「図書館戦争 革命のつばさ」というタイトルで映画化もされていたのですが、そちらは全国わずか30スクリーンでの上映ということもあり、熊本では全く観賞することもできないまま終わってしまっていました(T_T)。
それだけに今回の実写映画版は、公開が決定したことを知ってすぐに観賞リストに追加したほど、期待の高い作品でもありました。
しかも今作では、「SP」シリーズで奇抜なアクションシーンを見せてくれた岡田准一が主演、という大きなプラス要素もあったわけですし。
個人的に、映画観賞前の期待度という点では、今年前半期に上映される映画の中では一番だったと思いますね、今作は。

物語の舞台は並行世界?の架空の日本。
この世界の日本では、1988年に当時の国会で「メディア良化法」が成立するまでは、現実世界と全く同じ歴史を歩んでいます。
「メディア良化法」とは、公序良俗を乱し人権を侵害するとされる表現を規制するために制定された法律で、その対象は新聞・週刊誌等の紙媒体マスメディアはもちろんのこと、個人の著書やWebサイトなども含まれています。
「メディア良化法」の施行に伴い、その法の執行を行う機関「メディア良化委員会」が設置され、「メディア良化法」の名の下で苛烈な言論弾圧が開始されることになりました。
翌1989年1月、この世界でも昭和天皇が崩御され、新たな元号が制定されました。
この世界の日本で新たに採用された元号は「平成」ではなく「正化」。
「正化」は実際に「平成」と並ぶ新元号の有力候補のひとつだったのだそうですが、これ以降、日本国内における言論弾圧はますます激しさを増していきます。
「メディア良化委員会」は、検閲に抵抗する者に対する武器の使用まで認められ、自衛隊と並ぶ国内最大の武装集団へと躍進していくのでした。
そんな中、図書館だけは唯一、メディア良化委員会からの言論弾圧から免れ、かろうじて表現の自由を守り抜いていました。
しかし正化11年(西暦で言えば1999年)、公共図書館のひとつである日野市立図書館が、メディア良化委員会に同調する武装化された政治結社集団に襲撃されるという「日野の悪夢」と呼ばれる事件が発生します。
この事件では貴重な図書が1冊を除き全て損壊した上に総計12名の死者を出し、しかも警察の対応が大幅に遅れたことから被害が拡大。
結果、図書館側は「警察は自分達を守ってはくれない」と、独自に武装化する道を歩み始めます。
さらに正化16年(2004年)には図書館法が改正され、図書館の武装化を規定した条文が追加されたことにより武装化が合法化され、図書館の私設軍隊と言える「図書隊」が設立されるに至ったのでした。
以来、「図書隊」と「メディア良化委員会」は何かにつけて対立を続け、市街戦すら演じるほどの犬猿な関係となっていくのでした。
そして正化31年(2019年)、物語の本編が開始されることになります。

この年、図書隊に笠原郁(かさはらいく)という女性が入隊してきました。
一応は今作の主人公である彼女は、高校時代に所持していた本をメディア良化委員会の検閲で没収されそうになった際、図書隊の隊員によって窮地を救われた過去があり、以来、名前どころか顔すらもマトモに見ていないその隊員に憧れ、また再会を期して図書隊へ入隊したのでした。
その笠原郁の最初の上官となったのは、コチコチの規律至上主義的な言動を繰り広げ、鬼教官として恐れられている堂上篤(どうじょうあつし)。
彼は笠原郁に対し、しばしば手を挙げたり怒鳴りつけたりするなどして厳しく指導したことから、笠原郁から反発と陰口を叩かれるようになってしまいます。
堂上篤が笠原郁に厳しく当たるのには、実は彼個人の全く私的な理由があったのですが。
やがて笠原郁は、元々の素質と堂上篤の厳しい指導の賜物なのか、図書隊初の図書特殊部隊(ライブラリータスクフォース)の隊員として配属されることになります。
そして彼女は、図書隊が置かれている現実の厳しさを目の当たりにすることとなるのですが……。

映画「図書館戦争」における図書隊やメディア良化委員会、および両陣営の戦いについては、正直いくつものツッコミどころがあると言わざるをえないですね。
それを一番痛感せずにいられなかったのは、植物人間状態の館長が死去したのに伴い閉鎖されることになった小田原の情報歴史図書館の資料を巡って発生した、図書隊とメディア良化委員会との戦いですね。
この戦いでは、図書館にバリケードを張り巡らせて籠城しつつ、ヘリ輸送による空輸で資料を運ぶ時間を稼ぐ図書隊と、それを攻撃するメディア良化委員会という図式で進行することになったのですが、その実態は、第一次世界大戦当時の塹壕戦レベルなシロモノでしかないんですよね。
両陣営共に自動小銃を装備し、互いに撃ち合いながらの戦いは一見派手ではあるのですが、自動小銃程度では図書隊が築いたバリケードを突破することも、盾を並べて進軍するメディア良化委員会の進軍を阻むことも難しく、戦いは長期戦(と言っても数時間程度ではあったでしょうけど)の様相を呈してきます。
しかし、もしどちらかの陣営がロケットランチャー等の重火器や戦車・航空機などを駆使した軍事作戦を展開していれば、あの戦いは数時間どころか数分程度であっさりとケリがついてしまったことでしょう。
どちらの陣営も、自動小銃が標準装備という、日本の警察など及びもつかないレベルの武装化を既に達成しているにもかかわらず、更なる重武装を志向しないのはあまりにも不自然です。
「法律で重武装が規制されていた」というのであれば、では何故自動小銃による武装は許したのか?という疑問が逆に生じてしまいます。
特に図書隊なんて、法的・治安維持の観点から見れば、地方政権による軍閥ないしは私設軍隊と見做されても何の違和感もないようなシロモノなのですし、日本国内における銃撃戦や市街戦が想定されるような法体系の成立自体、他国はいざ知らず、治安の良さが売りの日本では論外もいいところではありませんか。
特に図書館の武装化を認める法律の成立なんて、日本国内で内紛が発生するのが最初から誰の目にも明らかだったのではないのかと。
一方では「武器の所持を特定の組織・個人相手に認める」などという、日本の治安を揺るがしかねない大変革を行いながら、他方では中途半端に武器の種類を制限・選別する。
これって「メディア良化法」など比べ物にならないくらいの大失政なのではないかと思えてならないのですけどね。

また、メディア良化委員会については、警察や自衛隊でさえそうそう簡単に行使しえない先制攻撃の自由が事実上与えられているに等しい(検閲に逆らう相手には武器の使用が認められ、かつその判断はメディア良化委員会の裁量に委ねられる)のですから、その利点を最大限に有効活用するという観点から言ってもなおのこと、重武装を志向してはいけない理由が全くありません。
また、専守防衛思想を旨とする図書隊の基本スタンスから考えても、メディア良化委員会は重武装すべきなのです。
作中でも図書隊の面々が主張していることなのですが、専守防衛思想というのは「まず相手に撃たせてから反撃する」というのがベースの考え方です。
ならばメディア良化委員会としては、その思想を逆手に取り、最初の一撃で敵を壊滅状態に追い込めるだけの火力を充実させる必要性が確実にあるわけです。
極端なことを言えば、敵が死守する図書館に核ミサイルを撃ち込むような体制を構築しえれば、メディア良化委員会にとって図書隊など敵でも何でもなくなってしまうのです。
さすがに核ミサイルは不可能であるにしても、先制攻撃の一撃で圧倒的火力による超飽和同時多方面攻撃を仕掛け、敵に壊滅的打撃を与える程度のことくらい、考えない方がむしろ変というものでしょう。
何しろ、最初の一撃だけは相手からの妨害を全く考慮する必要がないのですから。
専守防衛などという軍事的にはマイナス以外の何物でもない弱みを自ら進んで抱え込むような図書隊に対し、何故メディア良化委員会が同水準の武装でもってバカ正直に付き合ってやらなければならないのでしょうか?

さらに奇怪なのは、図書隊がヘリを使った空輸で図書館の資料を運び出す際、メディア良化委員会側がヘリを撃ち落とそうとすらせず、ただ黙って飛び去っていくがままに放置していたことです。
ヘリについては、一部の兵士?達がヘリに向かって銃撃している描写が一応ありはしたものの、ヘリに対する具体的な行動と言えばそれくらいなものでしかありませんでした。
しかしこれにしても、自動小銃よりもさらに強い火力を持つ武器を用いてヘリを撃墜すれば、メディア良化委員会は簡単にその目的を達成することができたはずなのです。
元々メディア良化委員会が小田原の情報歴史図書館を襲撃したのは、そこに眠っている「自分達に都合の悪いことが書かれている資料」を我が物とすること、もしくはその資料を亡き物にしてしまうことが目的だったはずです。
ならば空輸を妨害するという行為は、その目的を達成する最も簡単かつ確実な方法となりえるわけで、ここでメディア良化委員会側がヘリ撃墜を志向してはいけない理由が全くありません。
ヘリが銃撃されていたシーンがあったことから考えても、「ヘリを攻撃・撃墜してはいけない」というルールがあったわけでもないようですし。
また、単なる軍事的な理由に限定しても、ヘリから地上へ向けて銃撃等の支援があるというだけでも、攻撃される側にとっては充分過ぎるほどの脅威となりえるのですし、自己防衛という観点から言ってさえも、ヘリ撃墜は大いに正当性を主張しえるでしょう。
というか、私は戦いの最中に呑気にやってきたヘリを見た瞬間に「ああ、このヘリは撃墜されるな」と考えたくらいだったのですが。
にもかかわらず、ヘリがあっさり資料が満載されたコンテナ?を機体に接続して空輸して去っていったのを見た時は目が点になりましたよ(苦笑)。
ヘリを1機撃墜しただけでも、目的達成に向けて大きく前進したはずのメディア良化委員会は、わざわざ小田原くんだりまで集団でやってきて一体何がしたかったというのでしょうか?
まさか、図書隊の面々と戦争ごっこや陣取りゲームがやりたかった、というわけではないでしょうに。

国家的権力による検閲制度とそれを遂行する機関の存在、というコンセプト自体は、現実世界でも表現規制問題があったりするのでそれなりの説得力や現実感もあるのですが、警察や自衛隊以外の特定組織が、よりによって法律のバックアップを受けて武装化されるというのはあまりにも非現実的過ぎますね。
今の日本で個人の銃の所持が合法化されたり、暴力団等の武器所持が合法化されたりするとなったら、それに無関心でいられる人間がどれだけ存在するというのでしょうか?
表現の自由の侵害はただちに国民生活には直結しない(もしくは「直結しないように見える」)かもしれませんが、治安と安全の問題はすぐさま国民生活に関わってくるのですから。
「図書館戦争」の世界における日本では、南アフリカのヨハネスブルグ並の最悪水準で治安が悪化しているか、映画「エイトレンジャー」のごとく警察が完全に無為無力化しているという設定でもあったりするのでしょうか?
そのレベルで治安が悪化してでもいないと、特定組織や個人の武装化なんて、検閲の有無と関係なく法的に認められるものではありえないのですけどね。
図書隊も、図書館法などで合法とされるのではなく、全体主義に堕ちた国家と戦う非合法なレジスタンス組織として描かれていた方が、まだリアリティ的なものは出てきたのではないのかと。

映画の設定以外の面を見てみると、やはり今作では「SP」シリーズ以来となる岡田准一のアクションシーンが盛大に披露されていて充分な見応えがありますね。
彼が演じる堂上篤は、「SP」シリーズの井上薫が挫折な人生経験を経て規律至上主義になったような人物でしたし(苦笑)。
前回の主演作である映画「天地明察」では全くアクションがなかったですし、その点でも今作は満足な構成ではありました。
一方で、榮倉奈々扮する笠原郁は、軍隊的な雰囲気を持つ図書隊と盛大なミスマッチをやらかしているのではと思えるほどに軽いノリな調子が多々伺えます。
原作のキャラクター自体もそうなのでしょうが、軍人というよりは「世間知らずな女子高生」的な感じにしか見えなかったですね。
活躍度という点でも、終盤以外では味方の足を引っ張っているだけのようなイメージが強いですし。
女性から見れば感情移入しやすいキャラクターではあるのでしょうが、個人的には「主人公ではなく脇役だったら良かったのでは?」というのが感想ですね。

原作の「図書館戦争」は4巻まであるのだそうですが、実写映画の「図書館戦争」も4作までシリーズ化されるのでしょうかね?
岡田准一のアクションシーンが引き続き披露されるのであれば、是非ともそこまで作り込んで欲しいところではあるのですが。

映画「ラストスタンド」感想

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映画「ラストスタンド」観に行ってきました。
元カリフォルニア州知事のシュワちゃんことアーノルド・シュワルツェネッガーが、久々に主演を演じるアクション作品です。
脇役としては、カリフォルニア州知事就任以降でも映画「エクスペンダブルズ2」などで出演歴があるシュワルツェネッガーですが、主演作は2003年公開映画「ターミネーター3」以来、実に10年ぶりとなります。
そんなわけで今作は、「アーノルド・シュワルツェネッガー完全復帰作品」としても喧伝されているわけですね。
なお、今作は作中で流血シーンや人が死ぬ描写があるためなのか、R-15指定されています。
……ただ、作中の殺人シーン程度の描写であれば、全年齢指定の「藁の楯/わらのたて」にも普通にあったはずなのですが……。

物語はアメリカ・ネバダ州ラスベガスから15㎞離れたハイウェイで、スピード違反を検挙するために待機しているパトロールカーが映し出されるところから始まります。
平常業務の最中に夜食を食べていたそのパトロールカーの警官は、そのすぐ横をヘッドライトを消して猛スピードで疾走していく黒い車に全く気付きません。
スピード違反検挙用の速度計は正直に反応し違反速度を計測し、警官もさすがにそれには気付くものの、速度計に表示されているスピードは何と時速197マイル(317㎞)という、一般車では到底出すことのできないシロモノ。
そのため警官は、これはクルマではなく、無灯火の航空機か何かに違いないと、わざわざ近くの空港の管制塔に連絡をつけるという、後から見ればおよそ見当ハズレなことをやらかす始末なのでした。

その翌朝。
ラスベガスの南に位置し、隣国メキシコと国境を接するアリゾナ州の田舎町ソマートン・ジャンクションでは、町の人口の多くが地元ハイスクールのフットボールチームの応援へと向かい始めていました。
ソマートンの町長も例外ではなく、彼は片道5時間かかるフットボールの試合会場にクルマを出そうとしない町唯一の正保安官に不満を述べていました。
アーノルド・シュワルツェネッガー扮するその保安官レイ・オーウェンズは、「人口の多くが観戦でいなくなるこの町に残らなければならない」と町長の要求を一蹴。
そして、町長が消防車専用車線に赤いシボレーカマロZL1を違法駐車していることを見つけ、ただちに移動するよう通告するのでした。
フットボールの応援で頭がいっぱいの町長はそれに従わず、代わりに「火事が起こったら動かしておいてくれ」とレイ・オーウェンズにクルマのキーを預け、そのまま町を出て行ってしまいます。
フットボールの応援に向かう町長に「マヌケ」と小声で罵るレイ・オーウェンズは、その足で町のレストランへと向かいます。
するとそこでは、いつもと異なる2人の男が食事をしていたのでした。
2人に不審を抱いたレイ・オーウェンズは、男達にあれこれと話しかけ質問しまくり、結果、男達はレイ・オーウェンズを避けるように店を出て行ってしまいます。
男達が乗った大型トラックのナンバーを記録したレイ・オーウェンズは、その足で自分の部下である3人の副保安官のうち2人を捜しに向かうこととなるのですが……。

映画「ラストスタンド」は、「アーノルド・シュワルツェネッガー完全復帰作品」と銘打っているだけあって、完全にアーノルド・シュワルツェネッガーありきの作品となっていますね。
ストーリー内における美味しいところは全部ひとりで持っていっている感がありますし。
とはいえ、昔の作品と比較してみると、やはり動きにスピーディさがなくなっていて、「年を取ったなぁ」という感想が正直前面に出てきてしまいますね。
シュワちゃんは2013年4月現在で御年65歳とのことですし、それも当然のことではあるのでしょうけど。
当の本人も、劇中で「年かな」なんてのたまっている始末ですし、その辺はやはり自覚せざるをえないところでしょうね。
それでもまあ、往年の雄姿の再来とまではいかずとも、アクション俳優としてのアーノルド・シュワルツェネッガーはまだまだ健在で、銃撃戦や肉弾戦などを派手に演じてくれています。
惜しむらくは、物語の舞台がアメリカの片田舎で、チャチな武器を駆使しても倒せてしまう敵という、これまでの作品と比較しても相当なまでに世界観やスケールが小さいという点にあるでしょうか。
まあ、「完全復帰作品」というのであれば、このレベルがちょうど良かったのかもしれませんけど。

アーノルド・シュワルツェネッガー扮するレイ・オーウェンズの大活躍に対し、ただひたすら引き立て役に徹させられているFBIの無様ぶりは、別の意味で笑えるシロモノにしかなっていないですね。
周到な準備を整えていたとはいえ、3代目麻薬王カブリエル・コルテス奪還作戦の前に為す術もなく一方的にやられまくるFBIの面々。
道路を封鎖したり、ヘリで追跡したり、SWATを先回りさせたりと、FBIも決して無為に時を過ごしていたわけではないのですが、そのことごとくがあっさりと粉砕されてしまうありさま。
特に、圧倒的な武力で突破されてしまったバリケードはまだしも、カブリエル・コルテスのドライビングテクニックに翻弄されるだけで、ただの1発の銃弾を発射することすらなくクルマを横転させられ無力化されてしまったSWATの面々は、あまりにも情けなさ過ぎると言わざるをえません。
如何に移動中で、かつ後方から奇襲をかけたとはいえ、1台のクルマに2台のSWATのクルマが、それもドライビングテクニックだけで潰されるって、別の意味で奇想天外な展開としか言いようがなかったですね(苦笑)。
あの神がかりなドライビングテクニックを駆使すれば、物語終盤のカーチェイスでも、カブリエル・コルテスは案外すんなり生き残って国境を超えることもできたのではないのかと。
物語終盤におけるレイ・オーウェンズとのカーチェイスでは、カブリエル・コルテスはSWATを撃沈した時のような積極性がなく、妙に「逃げ」のスタンスに徹していた感がありましたが、クルマを使って相手を潰す戦法は取れなかったのでしょうかねぇ。

アーノルド・シュワルツェネッガーのファンな方々であれば、その雄姿を拝むという一点だけでも観賞の価値がある映画ではないでしょうか。

映画「藁の楯/わらのたて」感想

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映画「藁の楯/わらのたて」観に行ってきました。
木内一裕の同名小説を原作とする、大沢たかお・松嶋菜々子主演のサスペンス・アクション作品。
少女殺しの凶悪犯を、「DEATH NOTE」2部作および「カイジ」シリーズの藤原竜也が演じており、こちらの「人間のクズ」っぷりな迫真の演技にも要注目です。
今作は流血を伴う殺しのシーンが複数回登場しているのですが、しかしその割にはR-15どころかPG-12にすらも全く指定されていなかったりします。
同じような流血シーンがあるという理由でR-15指定された映画も、これまで観賞した過去作品には複数存在しているのですが……。
この手の規制というのは一体何のために存在するのかと、つくづく考えずにはいられない話ですね。

物語は、7歳の少女が用水路で無残な惨殺体となって捨てられているのが発見されるところから始まります。
殺された少女は、日本の政財界を牛耳る大物・蜷川隆興の孫娘。
殺害した容疑者として、かつて8年前に西野めぐみという少女を殺害した罪で逮捕・収監され、その後仮出所していた清丸国秀という男が浮上、全国に指名手配されることになります。

それから数ヶ月後。
一向に見つからない清丸国秀について、日本の新聞や週刊誌などの全面広告に、驚くべき記事が掲載されました。
それは、清丸国秀を殺害した者に、報酬として10億円を支払うというもの。
またWebサイト上にも、蜷川隆興本人が全く同じことを述べている動画を流しているサイトがアップされ、このことは瞬く間に日本全土に知れ渡ることになりました。
蜷川隆興は、カネと権力にモノを言わせ、本来ならば全く不可能であるはずの殺人教唆宣伝を行うことに成功したわけです。
これによって、それまで潜伏していた清丸国秀も、当然のごとく炙り出されることになりました。
それまで清丸国秀を匿っていた男が、10億円もの懸賞金欲しさに清丸国秀を裏切り、清丸国秀の殺害を図ったのです。
清丸国秀はかろうじて男を返り討ちにしたものの、身近な味方にすら裏切られるという状況に危機感を抱いた彼は、それまで潜伏していた福岡県の警察署へ出頭。
事態を重く見た警察は、清丸国秀を福岡から東京へ護送すべく、以下の5人を選出し清丸国秀の警護に当たらせることになります。

警視庁警備部警護課SPから、今作の主人公となる警部補の銘苅一基と巡査部長の白岩篤子。
警視庁捜査一課から、警部補の奥村武と巡査部長の神箸正貴。
そして、護送元である福岡県警から、巡査部長の関谷賢示。

しかし、彼らが任務に当たる前から、既に事態は大きく動き出していました。
福岡県警の留置所?で収監されていた清丸国秀が、地元の警察官によって殺害されかけるという事件が、任務開始前の時点で早くも発生していたのです。
また、負傷した清丸国秀の治療に当たっていた病院では、女性看護師が致死性の薬を注入して清丸国秀を殺害すべく図り、その場で清丸国秀と対面していた銘苅一基によって阻止される事件が発生。
その上、福岡空港から羽田空港まで飛行機を使って護送するという当初の方針は、福岡空港の整備士が飛行機を墜落させるべく画策していたことが露見して逮捕されるという事件の発生で、いともあっさり中止を余儀なくされることになってしまいます。
さらには、そうやって清丸国秀の殺人未遂を行い逮捕された人間に対しても、蜷川隆興側はWebサイト上で1億円の契約を行うと表明し、「殺害に失敗しても1億円!」と日本国民をさらに煽りたてる始末。
警察、そして5人の警護者達は、日本国民全てが敵、身内ですら全く信用できないという異常な状況の中、48時間以内に清丸国秀を東京へ護送すべく、四苦八苦・七転八倒の苦しい任務を続けていくこととなるのですが……。

映画「藁の楯/わらのたて」で大々的に行われている殺人教唆は、非常によく考えられたユニークな内容ですね。
この殺人教唆および10億円の懸賞金のかけ方なのですが、これがまた何とも微妙な条件なんですよね。
懸賞金が与えられる条件は以下の2通りなのですが↓

1.清丸国秀に対する殺人罪、もしくは傷害致死で有罪判決を受けた者(複数可)。
2.国家の許可をもって清丸国秀を殺害した者。

これは、一般の国民を清丸国秀殺害に走らせるには確かに充分過ぎるほどに魅力的な条件なのですが、同時に「その道のプロ」達を遠ざけてしまう内容にもなっているのです。
たとえば、テレビドラマ&映画の「SP」シリーズで猛威を振るっていたリバプール・クリーニングのような「自殺や事故死を装ってターゲットを殺害する暗殺者」のごときタイプや、ゴルゴ13のような「暗殺のプロ」などは、この条件では清丸国秀の殺害に全く動くことができません。
彼らは立場的に、暗殺者としての自分達の正体が露見するような事態は何が何でも避けなければならないため、警察に出頭し裁判を受けることが前提のこの条件では、如何に報酬が高くても全く割に合わないのです。
それどころか、清丸国秀殺害で逮捕されたことを発端として、様々な余罪が追及されるリスクも多々あり、またそうなれば当然死刑判決は免れ得ないでしょう。
いや死刑判決どころか、場合によっては自分達の秘密が露見されることを恐れる個人や組織によって雇われた同業の暗殺者達によって生命を狙われる、などという事態にすらも至りかねません。
また暗殺者に限らず、警察のガサ入れによって余罪が追及されると、場合によっては破滅の危機に直面しかねない立場の個人や組織、たとえば指定暴力団やアルカーイダ等のテロ団体の類も同様ですね。
この手の組織では、末端の構成員達が独自に動く、あるいは独自に動いているように見せかけるということはあっても、組織としての関与については、すくなくとも表面的には全面的に否定する方向へ走ることになるでしょうね。
作中でも、明らかにヤクザの構成員とおぼしき人間達が、新幹線内で5人の警護者達と派手な銃撃戦を展開していましたが、彼らが所属する大元の組織としては、自分達にまで捜査の手が及んでは当然困ったことになるわけですから「奴らは独自の判断で勝手に暴走しただけであり、自分達は全く何の指示も命令も与えておらず関係もない」と知らぬ存ぜぬな反応を繰り返すしかないわけです。
コストパフォーマンスの観点から言えば、プロの殺し屋を高額で雇って人知れず清丸国秀を探索・殺害させた方が、口止め料を含めてさえもはるかに安上がりであるはずなのですが、蜷川隆興の殺人教唆は、皮肉にも彼らを遠ざけてしまう結果をもたらしてしまっているのです。
あくまでも一般人を使って清丸国秀を殺害させることに、蜷川隆興自身がこだわってでもいたのかもしれませんが、「目的の達成」という観点から考えれば何とも非効率極まりないことをやっているよなぁ、と。

一方で、10億円の懸賞金に突き動かされ、次々と清丸国秀殺害に動く人間と、彼を死守する人間達の極限状態な心理と葛藤を、今作は非常に上手く表現していますね。
前述のように、蜷川隆興の殺人教唆は「プロの殺し屋や闇の世界の人間達」を最初から排除しているが故に、清丸国秀を殺害せんとする人達も、元々は善良な性格の人間だったケースが多かったりするんですよね。
彼らはあくまでも「金に困って&追い詰められて」犯行に走ったというエピソードが作中でも語られており、カネが人を狂わせるという実例をまざまざと見せつけてくれます。
5人の警護者達も「実は誰かが裏切っているのではないか?」と互いに疑心暗鬼の目を向ける始末ですし、実際、5人の中に裏切り者は立派に存在していたのでした。
「誰も信用などできない」ということの怖さを、これほどまでに前面に出している作品というのも、そうそうあるものではないですね。
そして、それでも清丸国秀を護送するという任務の意義を致命的なレベルで揺るがしてくれるのが、当の清丸国秀本人だったりするのが何とも言えないところです。
彼は、初犯?で殺害した西野めぐみの父親を嘲弄する発言をやらかした上、銘苅一基と白岩篤子がちょっと目を離した隙を突いて逃亡し、たまたま目撃した少女を相手にまたしても惨殺行為に及ぼうとしています。
挙句の果てには、白岩篤子の不意を突いて(二度も不意を突かれる白岩篤子も正直どうかとは思いましたが)後方から襲撃し、拳銃を奪って射殺までしてしまう始末。
その理由がまた振るっていて、何と「彼女がオバサン臭いから」などというしょうもないシロモノでしかないんですよね。
物語のラストで死刑判決を受けた際も、「どうせ死刑になるのならば、もっと殺しておけば良かった」などとほざく始末ですし、清丸国秀の「人間のクズ」っぷりはなかなかに堂に入ったものがありましたね。
確かに、作中のごとき死にもの狂いな警護をしてまで守る価値が清丸国秀にはあるのか、という問いには大きな重みがあります。
その問いに何の疑問も抱くことなく正面切って「YES」と答えられる人間は、相当に人間が出来ているのでなければ、よほどのバカか詐欺師の類くらいなものでしょうし。
しかし、国家的な公務に従事する人間は、それでも建前上は「YES」と答えなければならない。
そこが、今作が問う命題の重さと社会的矛盾でもあるのですが。

映画「藁の楯/わらのたて」はその構成上、先の展開もなかなか読めず、最初から最後まで緊迫した状況が続きます。
アクションシーンもあり人間ドラマもあり、万人にオススメできる作品です。

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