続・「男女平等」の正しいあり方とは?
単身世帯を対象にした総務省の2009年の調査によると、30歳未満の女性の可処分所得(家計の手取り収入)が男性のそれを初めて上回ったとのことです。
つい先日、世界経済フォーラムの男女性別格差ランキングで134ヶ国中94位と発表された結果とあまりにも大きな隔たりがあります。
こと給与水準だけを見れば、男女格差など存在しないも同然どころか、むしろ男性側を優遇しなければならないレベルですらあるわけです。
何故このような矛盾した調査結果が出てくるのでしょうか?
世界経済フォーラムの男女格差調査は、「経済」「教育」「健康」「政治」の4つの分野について国毎にスコアをつけ、総合的な「男女格差指数」を出すという手法が取られています。
具体的な基準としては、
・ 女性の就業率など経済への参加度
・ 産休制度の充実や、専門職に占める女性の比率など雇用機会の均等性
・ 議会や政府など政治決定機関に女性が占める比率
・ 教育機会の均等性
・ 女性の健康への配慮
といったものが挙げられますが、要するに
「女性がいかに家庭の外に出て働いているか&政治参加しているか?」
「女性に男性と同等、もしくはそれ以上の権利ないし政治的保護が認められているか否か」
というテーマを元にした調査であるわけです。
しかし、「経済への参加度」だの「政治の場や職場における女性の比率」だのといった項目は、そもそも「全ての女性が家庭の外で働きに出たがっている」という前提がなければ、すくなくとも男女平等の指標として調査する意味が全くないシロモノです。
実のところ、日本における女性の大部分は、子育てや家庭の維持、そして何より「自身の身体的負担を軽くしたい」などといった動機から、専業主婦やパート、事務職系などの軽労働を志願する割合が高く、他ならぬ女性自身が男性並の重労働や時間外超過残業を望まない傾向にあります。
調査の前提が成立していない日本において、「経済への参加度」だの「政治の場や職場における女性の比率」だのといったものを算出することに、一体何の意味があるというのでしょうか?
そして一方、女性の労働環境については、日経新聞の記事でも明らかなように、男女間の賃金格差は30歳未満では男女逆転していますし、また企業の中には従業員の半分以上、下手すれば4分の3近くが女性で占められている、というところも決して珍しくありません。
就業における男女間の「機会の平等」はすでに達成されていると言って良く、その上で女性の社会進出や政治参加の比率が小さいというのは「男女差別」などではなく、あくまでも「女性自身の選択による結果」というものでしょう。
そこからさらに「結果の平等」を追求した挙句、北欧諸国で採用されているようなクォータ制やアハーマティブ・アクションを採用しても、却って余計な人件費と人材の浪費、さらには新たな男女差別が誕生するだけでしかないと思うのですけどね。
さらに言えば、冒頭で紹介した、女性の可処分所得が男性を上回ったというニュース自体、実は男女平等の観点から言ってさえも歓迎できないシロモノだったりします。
件のニュースをよく読んでみると、可処分所得は女性が2004年から11.4%増加しているのに対して、男性が0.7%の縮小となっています。
また、完全失業率についても女性が男性を下回っています。
つまり、就労待遇では女性が優遇されている一方、男性は給与が削られ、雇用自体も減少しているという事態に直面しているわけです。
男女平等の観点からすれば、かくのごとき「女尊男卑」な状態が歓迎できる話であるはずもないでしょう。
表層的な数値のみを帳尻合わせただけの「男女平等」にこだわっていると、こういう別観点から見た問題をも結果として見落としてしまうことにもなりかねないのです。
巷に溢れかえっている、
「女性が家庭の外に出て男性並に重労働するのが男女平等」
「男性の権利を抑圧し女性を優遇するのが男女平等」
などという誤った旧時代の固定観念をいいかげん打破すべき時期にそろそろ来ているのではないか、と私などは思えてならないのですけどね。