映画「桜田門外ノ変」感想
映画「桜田門外ノ変」観に行ってきました。
江戸幕府の権威を失墜させ、幕末動乱の発端となった井伊直弼暗殺事件「桜田門外の変」を映画化した作品。
何故PG-12やR-15指定されなかったのか疑問に思ってしまったほど、作中は流血シーンが満載でしたね。
ストーリーは、襲撃を指揮したとされる水戸藩士・関鉄之介の視点で展開されており、桜田門外の襲撃から関鉄之介の斬首までが描かれています。
どちらかと言えば、「桜田門外の変」の襲撃者達のその後の逃走過程を描いた作品と言って良く、その発端となる桜田門外の襲撃は序盤で早くも発生します。
襲撃内容は史実通りで、季節外れの大雪となった当日、まず井伊直弼の大名行列の先頭に駕籠訴を持った刺客が刀を振るい、護衛の注意を前方に引き付けます。
前方に護衛が集中したタイミングで、井伊直弼の駕籠めがけて短銃が発射され、本隊への襲撃が行われることになります。
この際、何の偶然だったのか、発射された弾がたまたま井伊直弼の腰部から太腿にかけて直撃し、井伊直弼は動けなくなってしまいます。
護衛側は狼狽しながらも健闘し、特に二刀流の使い手であった河西忠左衛門が駕籠脇を守って襲撃者達を手こずらせます。
それでも奇襲によって機先を制した効果は大きく、襲撃者側はついに抵抗を排除、井伊直弼の駕籠に刀を突き立てます。
そして井伊直弼を引きずり出して首を取り、襲撃者達は勝鬨を上げることとなるわけです。
しかし、この映画の本当の物語は実はここから始まるのです。
襲撃者達の内、最初に井伊直弼の駕籠に切り込んだ稲田重蔵は河西忠左衛門に斬られて討死。
その他、井伊直弼の首を獲った有村次左衛門を含む半数ほどの襲撃者達が、護衛側の猛反撃で重傷を負い、自刃または捕縛の一途を辿ります。
残りは大坂方面へと逃走を続けていくのですが、その途中で「桜田門外の変」が行われるに至る(ペリー来航から安政の大獄辺りまでの)過程が描かれていくことになります。
この辺りは、昔の回想と現在進行形の逃走過程の区別がつけにくく、描写的に「これ昔と現在、一体どちらの話?」と少々分かりづらいところがありましたね。
何とか大坂まで逃げ延びた襲撃者達も、幕府からの追捕を受けて自刃したり、捕縛・獄死・処刑の一途を辿ったりしてどんどんその数を減らしていきます。
主人公である関鉄之介は、打開策を探るべく旧知である鳥取藩や薩摩藩を頼ろうとしますが、そこでも門前払い。
やむなく水戸藩に戻り、日本三大瀑のひとつ「袋田の滝」に入ってそこで匿われ、底で中央の政情を聞きながら逃亡の日々を過ごします。
しかし、やがてそこにも追捕の手が迫り、今度は越後へ逃走。
そこから蝦夷へ渡り、再起を図ろうとしたのですが、蝦夷行きの船を待っている間にとうとう捕縛されてしまい、文久2年5月11日(1862年6月8日)、斬首されることと相成るわけです。
全体的には、歴史的事実を忠実に再現したノンフィクション作品で、ハッピーエンドとは全く無縁の映画ですね。
襲撃者達の末路は全員「悲惨」の一言に尽きますし、また主人公である関鉄之介の妻子(内縁関係だったらしいですが)も、「桜田門外の変」後、追捕によって家を荒らされて捕縛されています。
さらに主人公と関係があった愛人?らしき女性に至っては、捕縛された挙句、拷問にかけられて死亡するにまで至っています。
犯罪者の逃亡生活の悲惨さを描く、というのがテーマの作品なのでしょうか、これって。
土門
井伊直弼に気を使い過ぎだなと思いました。
戦後、井伊は「開国の英雄」にまで祭り上げられる始末ですが、そういう戦後歴史観が、なかなか払拭されないのはこの映画に限ったことではないでしょう。この映画はその点がんばってはいますが。
反面、尊皇攘夷の志士達は戦後ずいぶんと虐げられてきましたから、この映画がそういうことをもう一度かんがえなおす機会になるかも知れません。
今の日本も、だいぶおかしくなっています。。