田中芳樹の「作家としてのこだわり?」
http://twitter.com/adachi_hiro/status/31966522729562112
<昨日の田中芳樹&後藤啓介トークショー。最後の質疑応答で会場の方から「〆切って、なんのためにあるのですか?」という質問が。会場に居合わせた編集さんたちが、思わず互いに顔を見合わせていたのが面白かった。その後の食事会でも「あの質問は、私たちの仕事の根源を揺るがしましたね」と。>
http://twitter.com/adachi_hiro/status/31968521588047872
<「〆切がないと、どれくらい仕事が遅れているか判らないから」だそうです。RT @masa_tao: @adachi_hiro 私は〆切を設定する立場なので、その質問に対する回答が、とても非常に気になります…。>
「〆切」や「納期」というのは普通「その時までに仕事を終わらせなければならない」という意味で設定するものだと思うのですが(爆)。
週刊誌や月刊誌連載の作家を観察してみれば、毎日本来の意味での「〆切」に追われている光景を拝することができるのではないでしょうか(苦笑)。
ところが田中芳樹が主張する「〆切がないと、どれくらい仕事が遅れているか判らないから」というのは、「仕事が遅れる」こと自体がそもそも前提になっていますからねぇ(…)。
小説家としての仕事のあり方、および客である読者一般というものに対して、これほどまでに舐めくさった回答というのもないのではないかと。
それに、2006年に設定していた創竜伝14巻の執筆スケジュールに関しては「仕事が遅れている」どころか「仕事が途中で頓挫した」という形になってしまったわけなのですが、これについてはどう説明するつもりなのでしょうか?
この場合の「〆切」というのは、「仕事の放棄を確認するために」設定するものだったりするのでしょうか(爆)。
http://twitter.com/adachi_hiro/status/32223211793940480
<田中さん宛に代理店から講演会の依頼をするメールが入っていた。丁寧にお断りする。ほかの作家さんは知らないが、田中さんは作家なので、世の中に発信するならば著作を通じて発信する。それに、講演会をする時間があるなら原稿書いて欲しいわな。>
田中芳樹の対談本である「イギリス病のすすめ」のあとがきにも「講演はしない」という「小説家としてのこだわり」が披露されていますので、自らの信条に基づいて講演を断るのはまあよいとしましょう。
ただその割に、田中芳樹はトークショーについては結構自発的に参加したりしているんですよね。
ここ最近でも、銀英伝舞台版で行われたトークショーや、1月30日に行われたという後藤啓介とのトークショーなどに田中芳樹も参加していることが社長氏によって公表されていますし。
「作家の本業ではない」「(自分の意見を)世の中に発信する」という点では講演もトークショーも同じことですし、「トークショーをする時間があるなら原稿書いて欲しいわな」とも言えてしまうのではないかと思えてならないのですが(苦笑)。
田中芳樹的に、講演とトークショーはどう違うというのでしょうか?
それに、「田中さんは作家なので、世の中に発信するならば著作を通じて発信する」というやり方にも問題大アリです。
田中芳樹の場合、それは「評論本を独自に作って発表する」という手法ではなく「小説の中でキャラクターに発言させたり地の文に書き連ねたりする」という形で発露されることが多く、しかもそれは「小説部分のストーリーや設定、面白さ」といったものを大いに食い潰していたりするわけです。
そんな本末転倒なやり方をされるくらいならば、素直に講演でもしてもらった方が、小説にとっても作家業的にも読者的にもありがたい話なのですけどね。