映画「小川の辺(おがわのほとり)」感想
映画「小川の辺(おがわのほとり)」観に行ってきました。
藤沢周平原作の短編集「闇の穴」に収録されている短編小説を映画化した作品。
ストーリーは、架空の藩である海坂藩の藩士で戊井家の家長でもある主人公・戊井朔之助が、義弟である佐久間森衛を討てとの藩命を受けるところから始まります。
佐久間森衛は、2年前から凶作が続いていた海坂藩の農政について、改善案をまとめた意見書を藩の上層部に上申。
改善案自体は極めて理にかなったものだったのですが、自分の正しさを信じ周囲が見えなくなっていた佐久間森衛は、さらに殿様および重臣一同が集まった面前で現在の農政に対する批判を公然と展開。
これが、どう見ても名君には見えない殿様と、殿様の侍医に過ぎないのに政治にやたらと口出し、現在の農政を主導していた鹿沢堯伯の怒りを買ってしまい、謹慎処分が下されることになったわけです。
しかし、佐久間森衛の改善案に何か感じるものがあった重臣達は、佐久間森衛の改善案を元に独自に農政調査を行い別に改善案を提示。
さらに鹿沢堯伯を叩き出すよう殿様への説得工作も行い、結果めでたく鹿沢堯伯は上意により追放の沙汰が下されることになります。
しかし、当の佐久間森衛が殿様に対する批判を行ったことは事実であり、佐久間森衛および彼の親類にも更なる重い処罰が下されるであろうことは当然予想されました。
結果、佐久間森衛は主人公の妹で妻でもある田鶴を伴い脱藩。
海坂藩としては、殿様批判と脱藩の罪を犯した佐久間森衛を放置するわけにはいきません。
そのため藩による佐久間森衛討伐が行われることになったのですが、最初の討手の病気療養で藩へ帰還してしまいあえなく失敗。
また佐久間森衛は藩でも1、2を争うほどの剣術の達人でもあり、さらにその妻である田鶴もかなりの剣術使いと目されており、それに対抗できる人材が求められました。
そこで、やはり同じく剣術の達人であり、御前試合で佐久間森衛とやり合ったこともある戊井朔之助が、藩から佐久間森衛討伐の命を受けることになるわけです。
戊井朔之助にとって佐久間森衛は義弟であり親友でもある存在。
当然、戊井朔之助も最初は命令を受けかねる旨を、藩命を言い渡してきた海坂藩の家老・助川権之丞に伝えるのですが、助川権之丞は田鶴の存在を元に「そなたの戊井家にも類が及ぶかもしれない」と暗に仄めかし、命令の受諾を迫ります。
結局、戊井朔之助はお家の事情から、自身にとっても苛酷な命令を受諾せざるをえなかったのでした。
自宅に戻ってそのことを伝えられた戊井朔之助の両親と妻は当然いい顔をするわけもなく、特に母親である以瀬は半ば八つ当たり気味に戊井朔之助に突っかかってくるのですが、父親で剣の師でもある戌井忠左衛門は戊井朔之助の苦渋の決断に理解を示します。
その夜、「藩命だから佐久間森衛は討たねばならないが、せめて妹は助けたい」と思い悩む戊井朔之助の元に、兄弟のような間柄の幼馴染で戌井家に仕える奉公人でもある新蔵が、「自分も討伐の旅に同行させて欲しい」と嘆願にやってきます。
戊井朔之助はその嘆願を聞き入れ、かくして2人による佐久間森衛討伐の旅が始まることになります。
映画「小川の辺」では、日本の山岳や河川を描写するのがメインテーマなのではないかと考えてしまったくらいに、数多くの美しい自然風景が映し出されています。
作中に登場する「海坂藩」というのは架空の藩なのですが、元となっている藩は一応存在していて、現在の山形県鶴岡市と庄内地方を収めていた庄内藩がモデルみたいなんですよね。
そして、佐久間森衛がいると噂され、戊井朔之助と新蔵が向かったのは、現在の千葉県市川市の南部に位置するらしい行徳宿。
この間の旅程における山岳・田園・寺社、そして小川の風景が、主人公の回想と共に盛んに映し出されており、いわばロードムービー的な要素も多く含まれているわけです。
実際の撮影も山形県各地で行われたのだとか。
ストーリー後半で判明するのですが、佐久間森衛討伐への同行を自ら志願してきた新蔵は、佐久間森衛の妻となっている田鶴に恋心を抱いていました。
新蔵が同行を申し出てきたのも、田鶴の身を案じたのが一番の理由だったわけです。
それは田鶴の方も同じだったようで、昔の回想シーンで、佐久間森衛に嫁ぐ直前に田鶴が新蔵の下へやってきて、その心の内を告白する描写があります。
つまり田鶴にとって、現在の夫である佐久間森衛との婚姻は必ずしも自分から望んだものではなく、嫌々ながらも「お家のため」と受容したものであったわけです。
作中で主人公も含めた「海坂藩」の面々が軒並み「(佐久間森衛と対峙OR討ち取ったら)田鶴は必ず手向かってくるだろうな」などと言っていたので、てっきり相思相愛による婚姻だとばかり最初は考えていたのですが。
実際、物語終盤に佐久間森衛が討ち取られた際には、田鶴はしっかり実の兄に対し刃向かってきましたし。
元々は自分から望んだことではなく嫌々婚姻させられた夫のためにそこまで尽くすことができる女性というのも、現代ではあまり考えられない話でしょうね。
主人公の藩命にひたすら忠実な行動もさることながら、私はこちらについても「何とも難しい武士の生き様」というものを感じずにはいられませんでした。
ただ、戊井朔之助は藩命を忠実に守りぬいたわけですが、「海坂藩」的には戊井朔之助が命令に逆らうとは考えなかったのでしょうか?
戊井朔之助の旅には個人的動機から同行した新蔵以外、お目付け役的な同伴者は誰もいなかったんですよね。
となると戊井朔之助としては、命令が忠実に実行されるのかを常に監視する人間がいないことになるわけなのですから、いくらでも不正がやりたい放題なわけです。
終盤の描写を見る限り、藩命を遂行した証としては、別に佐久間森衛の首桶を持って帰ってこなければならなかったわけでもなく、佐久間森衛の髷を取ってくれば良かっただけのようでしたからね。
別に正面から命令に背く必要はなく、佐久間森衛の髷だけを切り取ってきて「佐久間森衛を討ち取った証」とすれば、誰も死なずに藩命を遵守したとすることだって不可能ではなかったのではないかと。
その上で佐久間森衛と田鶴には、行徳宿から出て顔も名も変えて新たに人生をやり直すよう告げれば良かったわけで。
まあそれをやってしまったら「武士の生き様」でも何でも無くなってしまいますし、そういう一種の「逃げ」をやらないところも「何とも難しい武士の生き様」というものだったのでしょうけどね。
ストーリー的にも演出面も、ハリウッド的な派手な要素は皆無といって良く、観客を限定しそうな万人受けしない作品ですね。
ふじき78
お目付けの話、『レッドオクトーバーを追え』で潜水艦に乗り込んでいる政治局員みたいで、ロシアだったらありそう。
まあでも、日本人は嘘を付く事を恥とするメンタリティを持ってるので、そういう話の持ってき方は厳しいでしょう。忠臣蔵みたいに公の為に自分を落とす嘘は付けても、今回は家庭の事情(私情)の為に、公(社会)を欺く嘘になるのですから。