映画「カウボーイ&エイリアン」感想
映画「カウボーイ&エイリアン」観に行ってきました。
1873年のアメリカ・アリゾナ州を舞台に繰り広げられる、カウボーイ・ならず者・インディアンの連合軍とエイリアン達との戦いを描いた、ダニエル・クレイグ&ハリソン・フォード主演の作品。
物語は、荒野のど真ん中でひとりの男が飛び起きるところから始まります。
男は記憶を失っており、右前腹には謎の傷、さらに左腕には何やら得体の知れない銀の腕輪が装着されており、男が何をやっても外すことができません。
そんな男の元へ、馬に乗った3人の男が近づいてきます。
アブソリューションの町に向かっているという3人の男達は、腕輪の男に対し非友好的な態度で接した上に銃を向けてきます。
しかし腕輪の男は彼らをあっさりと返り討ちにしてしまい、逆に彼らの身包みを剥いでカウボーイ的な身なりを整えた腕輪の男は、3人の男達が向かう予定だったアブソリューションの町へと向かうことになります。
町に入った腕輪の男は、町を牛耳っているカーネル・ウッドロー・ダラーバイドの息子であるパーシー・ダラーバイドと酒場のマスター・ドクとの諍いに巻き込まれます。
父親の権威を振り回して酒場の料金を踏み倒そうとした挙句、ドクへの見舞金と称して町の住民からカツアゲをしようとするパーシー。
この三下同然のカツアゲ行為は腕輪の男にも及ぶのですが、腕輪の男はパーシーに痛烈な一撃を与えてダウンさせます。
怒り狂ったパーシーは腕輪の男に銃を向け発砲するのですが、その際手元が狂ってしまい、銃弾は腕輪の男ではなく、たまたまその場に居合わせていた保安官補に命中。
保安官を撃ったという罪により、パーシーは保安官によってブタ箱に収監されてしまいます。
その後、腕輪の男は酒場に入り、ウィスキーを注文するのですが、そこに近づいてくる女がひとり。
エラと名乗った彼女は、腕輪の男が記憶喪失であることを最初から知っているかのような口ぶりを披露し、男について何か知っているかのような言動を披露します。
不審を抱いた腕輪の男ですが、そこへパーシーを収監した保安官達が酒場に入り、何やら物々しい雰囲気で腕輪の男に同行を求めてきます。
保安官によると、腕輪の男の正体は、駅馬車を襲撃して強盗・殺人等の容疑で指名手配されているジェイク・ロネガンという人物だとのこと。
捕まってたまるかとばかりに、腕輪の男改めジェイク・ロネガンは保安官達相手にまたもや大立ち回りを披露するのですが、エラに側頭部を強打され昏倒、めでたく彼もブタ箱に収監されてしまうのでした。
そしてその日の夜、別の町で裁判を受けるためなのか、鎖に繋がれた状態で馬車に乗せられたパーシーとジェイク。
そこへ、町の支配者であるカーネル・ウッドロー・ダラーバイドが、息子を取り戻さんと手下を率いて押しよせ、息子の返還を保安官に要求します。
両者まさに一触即発の雰囲気となったまさにその時、突如空から謎の飛行物体が現れ、町全体に無差別攻撃を開始してきたのです。
突然奇襲された上、空を自由に飛びまわる飛行物体に、町の人達は全く対抗する術がありません。
謎の飛行物体に次々と捕獲されていく町の人達。
そんな中、混乱のドサクサに紛れ馬車から脱出したジェイクは、自分に迫り来る飛行物体に対し、銀の腕輪が装着された左手を掲げます。
すると、その銀の腕輪から強力な光と衝撃波が発せられ、それに命中した飛行物体は無様に墜落してしまうのでした。
残った町の住民の目が飛行物体に集中する中、その近くの家屋で上がる悲鳴。
その家屋からは見たこともない足跡がどこかへ続いており、その先に謎の飛行物体の根拠地があるのではないかと推察されました。
自身も息子パーシーを謎の飛行物体に拉致されてしまったカーネル・ウッドロー・ダラーバイドは、囚われた人々を救うべく、自らを長とする調査隊を結成するのですが……。
映画「カウボーイ&エイリアン」に登場するエイリアン達は、他作品に登場するエイリアン達と比較するとかなり弱い印象が否めませんね。
たとえば映画「世界侵略:ロサンゼルス決戦」に登場するエイリアンは、ちゃんと急所に当てないと重火器の集中砲火を浴びてもピンピンしていますし、映画「スカイライン-征服-」では自由に空を飛べる上に桁外れの生命力を持つエイリアンが登場します。
これに対し、今作に登場するエイリアン達は、身体的には人間より大きくかつ素早い&力もあるものの、19世紀レベルの片手拳銃や弓矢程度の武器で倒すことが可能だったりします。
物語後半では、10歳程度の少年が突き出したナイフで殺されてしまったエイリアンもいましたし。
エイリアン達が操縦しているらしい飛行物体については、さすがに主人公の銀の腕輪以外に対抗手段がないようなのですが、やはり全体的には「19世紀の人間社会」に対応する形でエイリアン達のレベルが下がっているとしか言いようがないですね。
まあそうしないと、作中のカウボーイやインディアン達がエイリアンに勝利どころかマトモに対抗すらできないのですから、作品構成的には当然の措置ではあるのですが。
他作品に登場するレベルのエイリアンが相手だったら、空を飛ぶ手段すらない19世紀レベルの人間社会では、既に戦う前から敗北しているようなものですからねぇ。
一方、主人公が持つ銀の腕輪の破壊力はとにかく凄まじく、またエイリアンのみならず対人間についても有効な武器として機能しています。
弾数制限がない上、人間もエイリアンも飛行物体もただの一撃でそれも百発百中で破壊できる上、特に人間相手の場合は「武器と判断されない」という強みもあります。
作中で主人公達がならず者達に包囲された際も、拳銃を押収し安心しきっていたならず者集団に対し多大な力を発揮していましたし。
ただ、そこまで強力な武器であれば当然エイリアン達も多用しているのではないかと考えていたのですが、物語終盤のエイリアンとの決戦でも、その手の武器をエイリアン達があまり使用していなかった印象がありますね。
確かに一部のエイリアン達は重火器を使っていましたが、カウボーイやインディアン達が戦いを挑んだエイリアン達の大半は素手で戦っていたりします。
エイリアン達が人間達を舐めきっていたことと、航空戦力に依存しきっていたのにそれを奇襲で封じられたこと、その手の武器が元々少数しかなかったらしいことがどうも原因ではあるようなのですが。
作中のエイリアン達はただ1隻の宇宙船しか持っていなかったようでしたし、エイリアン側も「国(に相当する勢力)を挙げて」というよりは「中小企業(に相当する組織)レベル」の集団だったのではないかと。
だからこそ、人間達にも反撃の余地があったのでしょう。
また、今作におけるエイリアン達が地球にやって来たのは「金(きん)」の獲得が目的だったのだとか。
彼らは金鉱脈を発見し採掘していたのみならず、何らかの貴金属を身につけている人間達からも金を収奪するために拉致していたようで。
記憶を失う前の主人公も、馬車を襲撃して金貨を手に入れたことが災いしてエイリアン達に拉致されていたという経歴が作中で披露されていますし、他にも拉致した人間から取り上げたらしい金属時計の類が、採掘されている金と一緒に多数転がっている描写があったりします。
この辺りは、「水の収奪」を目的としていた映画「世界侵略:ロサンゼルス決戦」登場のエイリアン達と傾向が似ていますね。
今年はエイリアン映画の当たり年ということもあり、私も複数のエイリアン映画を観に行っているのですけど、エイリアンにも色々な個性があるものなのですねぇ。
まあ当たり前ではあるのでしょうけど。
西部劇とエイリアン物が融合した作品ではありますが、どちらかと言えば西部劇的な要素や人間ドラマの方が出来は良いですね。
エイリアン系は、作品単独としてはともかく、やはり他の作品と比較すると地味かつ規模が小さな印象を受けますし。
西部劇系が好きな人には文句なくオススメ、といったところでしょうか。
yutake☆イヴ
こんにちは☆
自ブログへのご訪問&TBありがとうございました。
コメントらんなく、失礼しておりますが、よろしくお願いします。