1月27日は国旗制定記念日
1月27日は国旗制定記念日。
1870年のこの日に通達された太政官布告第57号の「商船規則」によって、日の丸が日本国籍の船舶が自らの身元を証明するための「御國旗」として採用されました。
国旗国歌法が制定される100年以上も前から、日の丸は慣習的に日本の国旗であり続けたわけですね。
ちなみに、日本の国歌である「君が代」の記念日は8月12日です。
世界的に見ても、日の丸・君が代ほどに平和的な理念から成立し、またそれにもかかわらず「軍国主義的」「天皇崇拝」などといった誹謗中傷を浴びせられ続けている国旗国歌もないのではないでしょうか?
ついこの間も、「不起立界のジャンヌ・ダルク」などと称する不良教師のお笑い集団が、職務放棄を巡る裁判で全面敗訴に至ったニュースが流れていましたし。
日本に限らず、国旗国歌というものは、栄光に飾られた歴史も戦争や殺戮で血塗られた歴史も全てひっくるめた「国と国民がこれまで歩んできた軌跡」を背負うものでもあるわけなのですから、あの手の不良教師連中に代表される「日の丸・君が代」に反対する面々が掲げている主張の類は、日本の国旗国歌を否定しなければならない理由になんて本来なりえないはずなのですけどね。
他国を植民地化して現地住民を差別しまくってきた歴史を持つ欧米諸国や、自国民と他国民を合わせて数千万単位ものオーダーで虐殺を繰り返してきた共産主義国家などは、連中の主張に従えばまさに「血塗られた国旗国歌」を掲げていることになるわけですが、連中がそれらに反対した形跡なんて微塵もないのですし。
それどころか、こと共産主義国家に対しては「地上の楽園」云々に代表される礼賛すらやっていた輝かしい実績すらもあったりしますからねぇ(苦笑)。
「個人の自由」を掲げながら、何も知らない子供達を自分達の思想で洗脳し、国旗国歌法が成立する契機となった広島県立世羅高等学校の校長自殺事件に象徴されるがごとく、場合によっては人を死に追いやることも辞さないのが連中の本性なのです。
日本人民共和国でも成立した日には、新しく制定されるであろう国旗国歌、それもおそらくは桁外れに「血塗られた」内容になるであろうシロモノを、それこそ「右翼の軍国主義者」のごとく崇拝することを、自分のみならず他者にも問答無用で強制するようになるのではないですかねぇ、あの連中は。
国旗国歌に敬意を払うという行為は、世界標準で見ても何らおかしなことではないばかりか、むしろ世界共通で通用する礼儀作法とすら言えるものです。
日本以外の国の教育現場では、朝礼や集会など機会がある度に国旗を敬い国歌を斉唱するのは当たり前、教科書などにも国旗国歌を称揚する文言が普通に記載されていたりします。
そうやって自国の国旗・国歌に対する敬意を持てば、そこから「他国の国民もまた、自分達の国旗と国歌に対して敬意を払っているのだろう」と考えることもできるのですし、必然的に他国の国旗国歌に対しても敬意が払えるようになるのです。
そういうのって、戦争している国家間同士の関係においてすら、結構重要なことだったりするのですけどね。
逆に、日本のように自国の国旗国歌を敬わない教育をしていると、他国に対しても同じような態度に出てしまい、最悪、それが国際問題にまで発展してしまうことすらもあったりするわけで。
日教組をはじめとする教職員組合やそれを煽ってきた朝日を主犯とする左傾マスコミ、それに乗じた不良教師連中によってもたらされた、日の丸・君が代全否定の弊害は計り知れないものがあるでしょうね。
国旗が制定されたこの日を機会に、日本の象徴としての日の丸の意義について考えてみるのも悪くはないのではないでしょうか。