映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」感想
映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」観に行ってきました。
イギリス初の女性首相であるマーガレット・サッチャーの豪腕政治と知られざる素顔にスポットを当てた、メリル・ストリープ主演の人間ドラマ作品。
2008年に長女のキャロル・サッチャーにより認知症を患っている事実が公表された、イギリス元首相マーガレット・サッチャー女史。
今作では、自身を認知症だと自覚できず、介護の目をくぐり抜けて買い物に出かけたり、今は亡き夫デニス・サッチャーの幻影と会話したりして、周囲からは「厄介な患者」として扱われている、メリル・ストリープ演じるマーガレット・サッチャーが過去を回想するというパターンでストーリーが進行していきます。
一番古い回想は、第二次世界大戦当時におけるドイツ軍の空襲に備えるべく、地下倉庫?に一家で隠れているシーン。
マーガレット・サッチャーの旧姓はロバーツといい、彼女の生家であるロバーツ家はイギリスのリンカンシャー州グランサムで食料雑貨店を営んでいる家でした。
そして、マーガレットの父親アルフレッド・ロバーツは市長を務めた経験もある地元の名士。
アルフレッド・ロバーツは、ドイツの空襲下においてさえ庶民のために店を開こうとするような人物であり、マーガレットは父親を尊敬していました。
さて、そんなマーガレット・ロバーツは1950年の25歳の時、保守党から下院議員選挙に立候補するのですが、あえなく落選。
選挙結果は初めての、それも女性としての立候補としてはかなりの票数を獲得していたようだったのですが、それでも選挙の敗北はマーガレット・ロバーツにとってショックだったらしく、彼女は悲嘆にくれてしまいます。
そこで彼女を励まし、ことのついでにプロポーズまでしたのは、実業家のデニス・サッチャー。
マーガレット・ロバーツは、デニス・サッチャーに対し「私は家で皿洗いをするだけの一生は送りたくない、家庭を顧みないこともあるかもしれないが、それでも良いのか?」と迫りますが、デニス・サッチャーは「そんな君も含めて好きなんだ」と返答。
かくして二人は翌年に結婚、ここに今の我々が知る「マーガレット・サッチャー」が誕生することになったのです。
その後、マーガレットとデニスの間にはマークとキャロルという2人の男女の双子が生まれ、砂浜?で一家総出で戯れている光景が映し出されます。
作中では、「家族としての幸せはこの頃が一番の絶頂期」的な描かれ方をしています。
しかし、1958年にマーガレット・サッチャーが下院議員に初当選を果たし、政界に進出するようになると、マーガレット・サッチャーは政治に没頭するように、次第に家族を顧みないようになってしまいます。
未だ年端も行かない2人の子供が母親に「行かないで」と懇願する様は、見ていて痛々しいものがありましたね。
一方政界におけるマーガレット・サッチャーは、女性であるが故に風当たりが強く、自分を認めさせるために悪戦苦闘を強いられる日々が続くことになります。
彼女は自身の主張である「自助努力・自己責任」のスローガンの下、労働運動に明け暮れる労働組合を無力化し、効率的な企業運営ができるようにしたいと考えていました。
そんなマーガレット・サッチャーに転機が訪れたのは1970年代のこと。
あまりにも不甲斐なく弱腰な保守党に憤慨した彼女は、党首選に立候補することを考えついたのです。
この時マーガレット・サッチャーが意図していたのは、自身が党首選に立候補することによって安穏としている保守党に揺さぶりをかけることで党全体の活性化を図る、というもので、党首選で自分が当選するとは全く考えていませんでした。
しかし、周囲の政治家達は様々な思惑から、マーガレット・サッチャーを党首選に当選させるべく画策します。
最初は党首選に出るだけのつもりだったマーガレット・サッチャーも、周囲に説得され、次第に党首選に勝利する意気込みを見せ始めます。
発声練習やルックスなどについて指導を受け、党首選に当選、そしてついに1979年に女性初のイギリス首相となるマーガレット・サッチャー。
しかし、マーガレット・サッチャーが進む先には、既得権益にしがみつくイギリス国民と、フォークランド諸島を奪取せんとするアルゼンチンが立ちはだかるのでした……。
映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」は、物語構成にかなり大きな問題があると言わざるをえないですね。
今作の物語構成は、認知症を患っている近年のマーガレット・サッチャーが過去を回想するというスタイルで描かれているのですが、回想主である近年のマーガレット・サッチャーにかなりの時間が割かれているのです。
既に死んでいるらしい夫のデニスが、マーガレットにのみ見える幻影として何度も登場し、彼女に何度も話しかけたり、マーガレットが幻影を振り払おうとしたりする描写がとにかく頻出します。
作品全体における比率で見ても、認知症絡みの描写が5割近くを占めていたのではないでしょうか。
「認知症患者の幻覚症状の実態について描く」というのがこの作品の本当のテーマだったのではないかとすら考えてしまったくらいに認知症絡みの描写が頻出するのが、個人的には正直ウザくて仕方がありませんでした。
あんなシロモノを描きたかったのであれば、マーガレット・サッチャーを主題にもって来るべき理由自体が全くないではありませんか。
「認知症患者の幻覚症状」なんて、そこら辺の一般人を題材にしてさえ問題なく表現することが可能なのですから。
また、回想されているシーンでは序盤のプロポーズと党首選前くらいしか大きな出番がないデニスが、認知症のマーガレット・サッチャーにアレだけ絡むというのもいささかバランスを欠いています。
マーガレットがデニスについて少なからず想う部分があったにせよ、作中の少ない描写だけでその部分を表現するのには、正直あまりにも弱いと言わざるをえないところです。
現役の政治家として活躍しつつ、家族を顧みないことに一個人として葛藤するマーガレット・サッチャーの偉人伝的なものが見られると期待していたからこそ、私は今作を観に行っていたのに、認知症絡みの描写があまりにも多すぎて正直肩透かしを食らわざるをえませんでした。
マーガレット・サッチャーの素顔や葛藤を描きたかったのであれば根本的に描き方が間違っていますし、認知症患者の幻覚症状の実態をテーマにしたかったのであればミスリードな宣伝もいいところです。
認知症のマーガレット・サッチャーは物語の最初と最後に登場させるだけにして、それで空いた時間分を現役時代のマーガレット・サッチャー、特にマーガレットとデニスのやり取りに割いていた方が、もっと面白い偉人伝的なものに出来たのではないかと思えてならないのですけどね。
一方で、政治の世界にのめりこんでいくあまり、家族を顧みなくなるようになり家族の面々から避難轟々なマーガレット・サッチャーのありようは、男女平等のスローガンとしてよく謳われる「家庭と仕事の両立」の難しさを的確に表現していますね。
政治家としてのマーガレット・サッチャーは、確かに類稀な政治手腕によって功罪いずれにせよ大きな業績を残すことに成功しているわけですが、それは一方で、家族、特に幼少期時代の自身の子供達を顧みることがなかったという副作用をも生み出していたわけで。
結婚前に「家庭を顧みない」的な宣言をされていた夫のデニスは、そんなマーガレットのことなど充分承知の上だったかもしれませんが、そんなことは子供達にとっては全く預かり知らないことなのであって、子供達は自分達のことを顧みない母親をさぞかし怨んでいたのではないかと思えてなりませんでしたね。
実際、党首選前に、娘のキャロルが自分のことを見ようともしない母親に激怒して部屋から出て行く描写が作中にもありましたし。
かの偉大なるマーガレット・サッチャーをもってしてさえも「家庭と仕事の両立」という命題は極めて達成困難なシロモノだったわけで、その現実を無視して「女性の社会進出」とやらを煽って「家庭と仕事の両立」を無責任に言い立てる男女平等イデオロギーには改めて疑問を感じずにはいられないところです。
マーガレット・サッチャーのような「家庭を顧みない女性」によって一番被害を被るのは、実は夫ではなく子供なのですし、特に思春期前の子供にとって「母親が自分のことを顧みない」という事実は、その後の人生をも左右するほどに大きな影響を及ぼすものとなるのですから。
現実はともかく、すくなくとも映画内におけるマーガレット・サッチャーは、政治家としては偉大な存在であっても、私人・家庭人としてはかなり問題のある人物である、と評さざるをえないのではないでしょうか。
マーガレット・サッチャーを演じたメリル・ストリープの演技は、第84回アカデミー賞で主演女優賞を獲得するだけのことはあり、確かに特筆すべきものがあります。
しかし今作を「マーガレット・サッチャーの偉人伝」として見ると、その出来については正直かなり疑問符をつけざるをえないところなんですよね。
よって、マーガレット・サッチャーのエピソードよりも、映画に出演している俳優さんを目当てに観賞する、というのが今作の正しい楽しみ方であるのかもしれません。
KLY
もちろん賞が全てではないですけれど、あれだけ素晴らしい演技をした主演女優がいて、オスカーまで獲得しているのに、作品はノミネートもされない。それどころか本家の英国アカデミー賞の作品賞にすらノミネートもされていないということは、作品そのものは多くの人が疑問を感じたのだという証左だと思います。
彼女の施策は今となっては疑問符がつく部分も確かにありますが、しかし英国史上に名を残す偉大な首相であったことは紛れもない事実だし、みなそんな“鉄の女”の彼女の人生を観たかったんですよね。
監督が描きたかったことと、観客の期待がこれほど見事に乖離した作品も珍しいかなと思いました(苦笑)