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銀英伝2次創作「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察4

「亡命編」におけるヴァンフリート星域会戦自体は、転生者たるエーリッヒ・ヴァレンシュタインの原作知識に基づいた介入によって原作と異なり同盟側の勝利に帰するのですが、それに対するヴァレンシュタインのリアクションが、吉本新喜劇もビックリの真剣お笑いギャグそのもので、私がヴァレンシュタインを完全にネタキャラ扱いするようになったのも実はここからだったりするんですよね(苦笑)。
あまりにも桁外れな「狂人キチガイ」ぶりを発揮しすぎていて、正直、作者氏がヴァレンシュタインというキャラクターについて一体どのような役柄を託しているのかについても考えざるをえなかったところです。
もし一連の考察で私が述べている通りのイメージ(「狂人や精神異常者の魅力を描く」とか)をベースに作者氏がヴァレンシュタインを造形しているというのであれば、「亡命編」のみならず「エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝」という一連のシリーズは、二次創作どころか小説としての最高傑作としか評しようがないのですが、現実はどう考えても違うと思いますしねぇ(爆)。
それでは前回に引き続き、今回も「亡命編」におけるヴァンフリート星域会戦におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタインの思考と言動について追跡していきます。
なお、「亡命編」のストーリーおよび過去の考察については以下のリンク先を参照↓

亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
http://ncode.syosetu.com/n5722ba/
銀英伝2次創作「亡命編」におけるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン考察
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-570.html(その1)
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-571.html(その2)
https://www.tanautsu.net/blog/archives/weblog-entry-577.html(その3)

ヴァンフリート星域会戦を勝利に導くことができたヴァレンシュタインでしたが、彼には大きな不満がありました。
キルヒアイスは戦場で戦死したものの、彼が個人的に最大の目的としていたラインハルトの抹殺が達成できなかったのです。
正確に言うと、戦場においてラインハルトの死体が確認できなかった(キルヒアイスの死体はヴァレンシュタイン本人が確認した)ことと、当時のラインハルトの乗艦だったタンホイザーがヴァンフリート4=2から無事に脱出したことが確認されたため、そのように推測されたというわけなのですが。
この事態に発狂したヴァレンシュタインは、「偉大なる俺様の作戦案は神の采配のごとく完璧だった」というありえない前提の下、愚かしくも自分の作戦にケチをつけることになった「絶対神たる自分への反逆者」を糾弾することに全力を傾けることになります。
前回の考察でも述べたようなおよそ見当ハズレな推理からシトレとヤンに白羽の矢を叩きつけたヴァレンシュタインは、常識的に見て到底考えられないほどに愚劣な論理でもってヤンを上から目線で八つ当たり同然に罵り倒すこととなるわけですが……。

このヴァレンシュタインの考えは、今更言うまでもないでしょうが全く正当なものではありえません。
ヴァンフリート星域会戦における勝敗の帰趨が決した後、ヴァレンシュタインはこんなモノローグを心の中で語っています↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/16/
> どう考えてもおかしい。第五艦隊がヴァンフリート4=2に来るのが俺の予想より一時間遅かった。原作ではミュッケンベルガーがヴァンフリート4=2に向かうのが三時間遅かったとある。三時間有れば余裕を持って第五艦隊を待ち受けられたということだろう。
>
> 艦隊の布陣を整えるのに一時間かけたとする。だとすると同盟軍第五艦隊は帝国軍主力部隊が来る二時間前にはヴァンフリート4=2に来た事になる。だがこの世界では同盟軍が来たのは帝国軍主力部隊が来る一時間前だ。
>
> 二時間あればヴァンフリート4=2に停泊中のグリンメルスハウゼン艦隊を殲滅できた。行き場を失ったラインハルトも捕殺できたはずだ……。だが現実にはラインハルトは逃げている……。
>
> 俺の記憶違いなのか? それともこの世界では同盟軍第五艦隊が遅れる要因、或いは帝国軍が原作より早くやってくる何かが有ったのか……。
気になるのはヤンだ、俺が戦闘中に感じたヤンへの疑惑……。俺を殺すために敢えて艦隊の移動を遅らせた……。
>
> 否定したいと思う、ヤンがそんな事をするはずがない。
しかし俺の知る限り原作とこの世界の違いといえば第五艦隊のヤンの存在しかない……。奴を第五艦隊に配属させたのが失敗だったという事か……。

このヴァレンシュタインの「推理」には致命的な間違いがひとつあります。
それは「ミュッケンベルガーがヴァンフリート4=2に向かうのが三時間遅かった」という原作の作中事実が、「亡命編」でも無条件にそのまま適用されると考えていたことにあります。
実はヴァレンシュタインは、「ビュコックの第五艦隊にヤンを配属させた」ということ以外にもうひとつ、原作には全くなかったことをやっているんですよね。
それがこれ↓

http://ncode.syosetu.com/n5722ba/13/
> 戦闘が始まって既に十二時間が経ちました。基地からは同盟軍に対して悲鳴のような救援要請が出ています。“帝国軍が大規模陸上部隊をもって基地を攻撃中。被害甚大、至急救援を請う、急がれたし”
>
(中略)
>
> もう分かったと思います。あの救援要請は嘘です、被害甚大なのは帝国軍のほうです。救援を欲しがっているのも帝国軍でしょう。実際、この救援要請を出した通信オペレータは笑い過ぎて涙を流していました。今年最大の冗談だそうです。
実際今も一時間おきに救援要請を出しますがその度に司令室には笑い声が起きます。

作中では、4月3日の時点でヴァレンシュタインの決断により最初の救援要請通信が送られており(12話)、以後、4月7日に基地に攻め込んできた帝国軍が撤退して以降も通信が続けられていたであろうことから、総計すると最低でも総計30~40回、4月3日時点から「1時間おきに…」出していたと考えると実に100回以上もの救援要請通信が行われていたと考えられます。
では原作ではどのような形で救援要請を行っていたのかというと↓

銀英伝外伝3巻 P73下段
<「ヴァンフリート4=2の後方基地からの緊急通信です」
 それが最初であった。ヴァンフリート4=2の奇怪な状況が、味方である同盟軍のもとに、通信となってもたらされたのは。それまで、用心しつつ
幾度か発した通信波は、ヴァンフリート4の巨大なガス体やその影響によって、遮断されていたのである>

原作のビュコック艦隊が緊急通信を受け取ったのは4月5日ですので、これ以降も当然「味方が受信してくれることを期待した通信」は行われていたでしょうが、それでも「慎重に行わざるをえなかった」と記載されているわけですから、すくなくとも「亡命編」のそれよりは発信回数が少なかったであろうことは確実です。
しかも基地での戦闘中に至っては、記載がない上に同盟軍劣勢でゴタゴタしていたこともあり、そもそも救援要請通信がきちんと出されていたのか否かすらも不明というありさま。
どう贔屓目に見ても、「亡命編」におけるヴァンフリート4=2から発信されていた救援要請通信は、原作のそれよりも圧倒的に多いであろうことが推察されるわけです。
何しろヴァレンシュタインは、敵に通信が傍受される危険性などおかまいなしに、とにかくビュコック艦隊を当てにして通信を乱発させていたのですから。
では、そこまで通信回数が多いと一体どのような事態が起こりえるのか?
そこから想定される最悪の予測は、「ミュッケンベルガー艦隊がビュコック艦隊よりも先に救援要請通信を傍受してしまう」というものです。
そもそも原作のヴァンフリート星域会戦からして、通信波によって自軍の所在が帝国軍に知られるとマズイという理由から、連絡が慎重に行われていたという事情があるのに、その状況を無視してのこの通信の乱発は、それだけで原作の歴史を変えてしまうのに充分過ぎる要素です。
実際、同盟軍が発した救援要請通信は、ヴァンフリート4=2に駐屯しているグリンメルスハウゼン艦隊の司令部でもしっかり傍受されていましたし、彼らが無能で味方にそのことを知らせなかったにしても、何らかのまぐれ当たりでミュッケンベルガー艦隊がその通信を「原作よりも早く」【直接に】傍受してしまった可能性だってありえるのです。
そうなればミュッケンベルガーとしては当然のことながら「救援要請通信を受けた同盟軍はヴァンフリート4=2にやってくる」と察知できるでしょうし、そうなれば「救援にやってくるであろう同盟軍に先んじてヴァンフリート4=2に先着し、逐次投入でやってくる同盟軍を各個撃破しよう」という発想へと普通に行き着くはずです。
実際、原作でも第五艦隊の動きを察知したミュッケンベルガーは、まさにそういう決断を下していたわけなのですから↓

銀英伝外伝3巻 P86下段~P87上段
<一万隻をこす戦力が、外縁部から星系内部へ移動してきたのである。多少の時差はあっても、気づかれないはずがなかった。両軍ともに、敵の動向を探るための努力はしていたのである。ミュッケンベルガー元帥も、けっして無為無能な男ではなく、同盟軍の行動が、ヴァンフリート4=2宙域を目標としてのものであることを見ぬいた。
 帝国軍首脳部、ことにミュッケンベルガー元帥にしてみれば、あえて危険を犯して、グリンメルスハウゼン艦隊を救出するだけの価値など認めてはいない。だが、
叛乱軍こと同盟軍の動向が、かなりの確度で明白になった以上、それに対応せずにすむはずがなかったのである。
 ミュッケンベルガーは、ヴァンフリート4=2の宙域に、全軍の主力を集中移動するように命じた。この命令は、戦術上、ほぼ正しいものであったが、残念なことに、ややタイミングが遅かったであろう。
彼が三時間ほど早くこの命令を出していれば、まず同盟軍第五艦隊を正面から邀撃して壊滅させ、つぎつぎとやってくる同盟軍を各個撃破して、全面勝利を手に入れえたはずである。だが、そうはならず、帝国軍主力は、第五艦隊の動きに追随する形で、ヴァンフリート4=2宙域へと進撃していった。>

戦場とは不確定要素に満ちた「生き物」なのであり、それは原作知識のごとき「未来の預言書」的なものがあっても例外ではありません。
ましてや、その「未来の預言書」と少しでも違うことをやっている時点で、戦場に与える影響も原作からのズレも充分に多大かつ未確定なものへとなりえるではないですか。
救援通信要請を乱発しまくっている時点で、ヴァレンシュタインは「原作よりも早くミュッケンベルガーが動くかもしれない」という危険性に気づくべきだったのです。
もちろん、これはあくまで可能性の問題ですから、「亡命編」におけるミュッケンベルガーが、ヴァレンシュタインによって乱発されまくった救援要請通信を【幸運にも】全く傍受することなく、原作と寸分の狂いもなく動いていた可能性も決して考えられないことではないでしょう。
正直、いくら近いとは言え、グリンメルスハウゼン艦隊司令部や現地の地上軍がああも簡単に傍受できかつ内容も完全に把握できてしまうような通信を、ミュッケンベルガー艦隊が暗号解読も含めて全くキャッチできなかったとは非常に考えにくいのですが……。
ただいずれにしても、被害妄想に満ち満ちた愚劣な推論でもってヤンとシトレを罵倒しまくっていたヴァレンシュタインの立場的には、本来この可能性【も】一緒に、あるいはそれ以上に考慮しなければならなかったはずなのですがね。

そして、実はこちらがより致命的な問題なのですが、そもそもヤンがビュコック艦隊にいること自体がヴァレンシュタインの要求によるものである、という作中事実があります。
ヴァレンシュタインにしてみれば、ヤンとビュコックは原作でもお互い信頼が厚く頼りになる戦友的な間柄にあったので、ヤンにビュコックを補佐させておけば間違いは生じない、という考えだったのでしょう。
しかし、2人がそのような関係になったのは、銀英伝1巻の第7次イゼルローン要塞攻防戦でヤンがイゼルローン要塞を無血奪取して以降の話です。
それに先立つヴァンフリート星域会戦時点では、2人は未だ面識すらもなく、お互いの名声を聞き及んでいた程度の関係に過ぎませんでした。
当然、この時点では互いに相手の人格や性格すらも全く知らないわけですし、ビュコックにしてみればヤンは単なる新参の一作戦参謀でしかなく、ヤンから見たビュコックも「おっかない親父さん」程度の存在でしかなかったでしょう。
また、アスターテ会戦以前のヤンが「3回忠告を受け入れられなければ『給料分の仕事はしたさ』であっさり引き下がってしまう」ような人間だったことも、これまたヴァレンシュタインは原作知識から当然熟知していたはずです。
お互い初対面で相手のことも「過去の名声」以上のものは分からず、原作1巻以降のような確固たる信頼関係が構築されているわけでもない。
そんな状態で「ビュコックにヤンをつければ確実に上手く行く」などと考える方が変というものでしょうに。
間違った原作知識の使い方をしている自分自身のことを一切顧みず、ひたすら「自分を見捨てにかかった!」などという被害妄想をベースにヤンとシトレを罵り倒すヴァレンシュタインの滑稽な惨状が、私には何とも笑えるシロモノに見えて仕方がなかったのですけどね。

こんな被害妄想と視野狭窄と責任転嫁に彩られたバカげた「迷推理」を開陳しまくった、ヴァンフリート星域会戦におけるヴァレンシュタインの狂気に満ちたお笑いひとり漫才劇は、いよいよそのグランドフィナーレに向けて最大戦速で突撃を敢行することになります。
その全容については、「亡命編」におけるヴァンフリート星域会戦編最後の考察となる次回で明らかにしたいと思います。

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コメント

questans

中々鋭いご意見、大変興味深く拝見させていただきました。
トコロで、管理人様は女子同人界における名前変換小説なるモノ(夢小説、ドリーム小説ともいう)をご存じでしょうか。
腐女子の中でも一歩間違えるとかなり痛い系の扱いをされかねない、二次創作特有のジャンルの一つなのですが、
有体に言うと、二次創作者または読者の代行者として作られたオリジナル主人公を原作に混入して、ご都合主義的に
活躍させる事で自身の願望を仮託して達成させる、疑似的に原作世界やその登場人物達との人間関係(主に恋愛)を
仮想体験し、妄想を満足させる事を目的とした一種のヴァーチャル・リアリティの作品群です。
似たようなモノは通常の二次創作の中にも儘見受けられるのですが、それらと明らかに一線を画しているのは、
その女性特有の世界観で、乙女チックな少女趣味、あるいは未分化・未成熟な中性嗜好、同性異性を問わない対象の
理想像化などに代表される、思春期の少女の様な行き過ぎた空想的傾向でしょうか。
これ等は一般的、男性的な世界観から成り立つ作品とは全く趣きを異にしているので、ある意味で腐女子の妄想の極み
と言っても過言ではなく、その為に一部の向きには嫌悪されています(良識ある社会人が、ゲームや漫画に夢中になり
過ぎている子供に対して危惧を覚え、作り物の世界で遊ぶのもいいけれど、少しは現実を見るように指摘したくなる
のに似た衝動を感じている様です)。
腐女子向けのテキスト版シュミレーション・ゲームとも取れる、これらの作品群の持つ特徴との類似性から、私は一連
の『銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)』シリーズを書いていらっしゃる azuraiiru 様
(以下、作者様と明記)は、実はこの手の腐女子なのではないかと疑っています。と言うより、ほぼ事実であろうと推測
していると言いますか…。
何故ならば、イイ男揃いの原作の中に入り込み、原作キャラに愛されチヤホヤされて、つまりは羨望され持て囃され
たい、というのがこの作品を執筆するに至った大きな動機の一つだろうと、作中から読み取れる節が多分に存在する
からです。そうです、正に名前変換小説の創作動機です。それに付け加えて男性にはあり得ない、女性ならではと
思われる視点と作風…。
ただ、そういった自身の願望を正直に作品にするには、発表の場が良くないと作者様も考えたのでしょう。
同好の士が集まる腐女子系のサイトやサーチならともかく、本家の「小説家になろう」という比較的真っ当な(?)名の
通った投稿サイトを前身とするにじファンは、ご存じの通り利用者の大半が男性です。女子の利用率は全体の3割を
下回るのではないでしょうか。
利用者の大半が男性諸君で占められており、当然サイトとしての傾向もそれに影響されるとなれば、腐女子特有の
逆ハーレム設定や、ヤオイ設定など扱った日には、軽蔑までは行かないにしても、ある意味に置いて閲覧者様に
ドン引きされるのは、まず間違いないと見ていいでしょう。
これは逆の立場で、男性のハーレム嗜好や理想の女子像に、女性陣が、夢見すぎ!妄想も大概にして!とドン引き
するのとイコールで考えてもらえば解り易いでしょう。
モチロン中には寛大な理解でもって、面白がられる方や応援される方もいらっしゃるかもしれません。
ですがそうした腐女子嗜好を積極的に(!)受け入れられる懐の広い殿方は、サイトの大半を占める男性利用者の内の
どの位でしょう?仮に、乙女の夢を願望に忠実に書いたとして、一部寛容な例外と同類の腐女子を除き、大半の閲覧者
様に「発表する場所間違ってんじゃねーの、帰れ、帰れ!」と総スカンを喰うであろうことは想像に難くありません。
よっぽど作品として秀逸ならば、正しく評価される事もあるかもしれませんが(実際に一部で盛り上がっているバリバリ
の腐女子作品もありますし)、通常は良くて総スルーと言ったところでしょうか。
この点、ご都合主義に反して作品全体にどことなく漂う卑屈な価値観や、主人公の斜に構えた性格設定を見ても、ある
部分に置いて作者様が自身や作品に自信を持てず、必要以上に閲覧者様の反応を恐れ、萎縮していた様に見えます。
また、上記した通り、おかしなことですが、目糞鼻クソを笑う、ドングリの背比べよろしく、腐女子同士ではジャンル
上の些細な違いを、殊更に揚げ連って相手を痛いモノ扱いし、自分達を良く見せようとするきらいが有ります。つまり、
自身はそこまで痛くは無い、腐っていない!と思いたいのか、これだから腐女子は…と第三者(特に一般人)に引かれる
ことを恐れるあまりか、同好の士どころか自分自身さえ偽り、擬態する傾向が大変に強いのです。
ですから自身の腐女子願望を満たしたいのと同じ位、否それ以上に強く一般社会に認められたいという強烈な自己顕示
欲を持つ作者様にしてみれば、自身の嗜好に理解のある腐女子だけが集まるような、他のサイトやサーチで作品を発表
するという選択肢は勿論、自身の嗜好を大っぴらに認める事も考えられなかったのでしょう。
である以上、当然の帰結かもしれませんが、にじファンで作品を発表してその閲覧者様の忌避を避けつつ大多数にウケ
を狙うならば、嫌でも主人公を男性にせざるをえなかったのでしょう。そして自身の投影像である女性を主人公として
チヤホヤされる展開が無理なら、いっそ腐女子憧れの王子様キャラ(自身含め、一部に高需要)を主人公にしてしまえ!
という目論見の元に作られたのが、エーリッヒ・ヴァレンシュタインという主人公ではなかったでしょうか。
美少女めいた中性的な容貌と病弱さ、有能さを兼ね備えた理想の王子様と設定しながら、同時に閲覧者様の反感を買わ
ない様に、如何に男性的な視点を持たせるかに作者様が腐心している様子が、作中からありありと読み取れます。
これは他の登場人物の視点や言動についても同様で、全体を通して男性らしい視点や価値観を強調しようとしている為
に、却ってその行為そのものが作中に微妙な違和感を生じさせる原因にもなっています。
この様な背景事情を踏まえた上で考えると、必然、浮かび上がってくる疑問が有ります。
原作の本家王子様(笑)ラインハルトのキャラクターとしての失墜からはじまる、一連の降板劇です。
両雄 一つ天を仰ぐに能わず、と言えばカッコイイですが実情は異なり、思った以上に周りの反響を買った事に気を良く
した作者様が、自身の憧れの王子様像でもある主人公をラインハルトの下に甘んじさせ続ける事に耐えられなくなった
結果の交代劇だったとしたら…。
他の登場人物達は敵味方関わらず、軒並み主人公の異才や人柄に恐れ戦き、あるいは心酔し、あるいは敬意を表し…。
カタチはどうあれ、作者様の思惑通り主人公を持て囃していると言っていい展開です。
作者様の最初の願望通り主人公が女性であったなら、ラインハルトのパートナーとして対立する事なく、それどころか
結婚してハッピーエンド(原作キャラ達にさんざん持て囃された挙句の極め付け的玉の輿、正に逆ハーレム状態です)と
いう完璧なヒロインに相応しい結末もあったはずです。その場合でも最低限、原作ヒロインであるヒルダを引き吊り
下ろす事にはなりますが、まあラインハルト達をそうする場合に比べれば、遥かに穏当な方法だったでしょう。
ところがラインハルトにはパートナーとして、公式にも認められた公私に渡る無二の親友キルヒアイスが既に存在して
います。そして主人公を同性と設定してしまった以上、まさか同性愛をテーマにしている訳でも無い(前述の事情から
論外である)作品の中で、彼らの無二の親友はおろか恋愛対象にする訳にもいかず、作者様の愛するオリジナル主人公が
二人の特別な友誼に割って入る事は、流石に不自然極まりない(もしくは自然な設定を思いつけない)と思ったのでしょう。
ラインハルト達にとっての特別な相手には成り得ない、つまり彼等二人にだけは決して一番に持て囃される事は無い
主人公、という作者本来の腐女子願望に対する設定上の根本的な矛盾。そして能力設定の上でも、ラインハルトが上に
いる限り、絶対に一番にはなれないという、主人公の限界。つまりラインハルトは、作者様自身の投影像であり完璧な
王子様であるべき主人公にとって、二重の意味で潜在的な脅威足りえたのです。
ところがこれ等の問題を自身のアイデアや筆力によって解決する術を見出せなかった作者様は、主人公を一番にする為
の安易な展開によって、ラインハルト達を必要以上に卑劣で稚拙な敵対者、と設定せざるを得なくなったのでしょう。
そしてそれ故にこそ、物語の展開上の都合ではなく、勿論主人公にとっての必然でもなく、他ならぬ作者様ご自身の
嗜好上の都合によって、皆に愛され崇拝される筈の完璧な主人公の唯一の瑕疵であり、一番の障害であるラインハルト
達はどうしても物語から排除されなければ成らなかったのです。
作者様は尤もらしい理由を後付けで説明していますが、作中の描写を通して見るに、ラインハルト達の排除が構想段階
からの予定調和であったはずは決して無く、それを既定の事実だったとして強調しているその行為こそが、却って作者
様のその言い分が偽証である事の信憑性を高めていると思うのです。
自分の愛する主人公(自分自身の投影像)が一番じゃないなんて、皆に持て囃されないなんてあり得ない!
可愛さ余って憎さ百倍、主人公(私)を一番に見れないラインハルト達なんか必要ない、それどころか原作設定邪魔、
他の原作登場人物達が認めるのも、畏れるのも、皆が持て囃す完璧な理想の王子様は、私の作った主人公一人だけで
いいのよ!なーんて、腐女子ノ逝ッチャッタ雄叫ビが聞こえてきませんか…。
また、後に同盟編において登場させられたミハマ・サアヤというオリジナル・ヒロインこそが、この作者様の行き
過ぎた主人公偏愛(と見える自己愛)の事実を更に補強する論拠と言えます。
もはや原作の登場人物達による主人公賛美では事足りなくなった作者様が登場させた、究極のシンデレラ・ヒロイン。
帝国編での半オリジナル・ヒロイン、原作では名前だけの端役でしかなかったユスティーナなど、完全なオリジナル・
ヒロインであるサアヤと比べれば、主人公をより完璧に見せる為の添え物でしかありません。かくして主人公の公私に
渡るパートナーの席が完全な形で埋まり、原作の登場人物達では無しえなかった、より完璧な主人公像が完成すると
いう訳です(男性が一人前と認められるのは正規の結婚をしてから――してないですけど主人公のお供に引っ付いている
時点で、それに準じると考えていいかと――を地で行く感じ)。
その上、今度は帝国編では決して満たされることのなかった、腐女子としての願望を(逆ハーレム的な意味でも)
オリジナル・ヒロインを通して疑似体験できるというオマケつき。
何故ならヒロインと主人公は基本ワンセットなので、皆に持て囃される主人公の隣にいるヒロインは、その立場から
お零れに預かり、他の原作登場人物達と接点が多くなるという必定が生じるからです。
結果、原作の登場人物達に持て囃されたい、という本来の願望さえ飛び越して、憧れの王子様とシンデレラ・ヒロイン
の皆が羨むパーフェクト・カップル成立に熱意を注ぐとか…。
何という病みッぷりか、原作は何処へ行った…。自画自賛、ナルシズムここに極まれり…。
正にそういった評価を恐れて偽装工作に熱心だった筈の作者様は狙い通り、何の変哲もない良く出来た二次創作、と
勘違いした閲覧者様の反響の多さという、自分の文才に対する心強い根拠(?)を得て、自重を忘れ去っていると見え
ます(但しサアヤに対する閲覧者様の反応は賛否両論な為、なかなか思った様に彼女を扱えないでいるようですが)。
当初、原作の登場人物達にチヤホヤされたい、でも同時に閲覧者様に自分の文才を認めても欲しいという、夢見る乙女
の願望から始まった二次創作が、時間を経るにしたがって、自身の文才に対する自惚れから、遠慮や慎みが無くなり、
原作の主要人物に成り代わりたい、自分(主人公)ならそれができるという、原作に対する自己の優位性の誇示から来る
あから様な欲望にまで肥大化し、その事が結果として原作を踏み台にした、オリジナル主人公達の独壇場たる作品の
創出に、繋がったのではないかと考えられるのです。
以上の事から、この作品を腐女子が書く妄想と煩悩の限りを尽くした名前変換小説の変形版に過ぎない、と仮定する
ならば、この小説を原作にオマージュを捧げる真っ当な二次作品の一つとして数えることがそもそもの間違いであり、
その様な間違った認識に基づいて作品を評価する事が如何に滑稽極まりないか、というのは御理解いただけるかと
思います。それとも私のこの考えは、それこそ先走った穿ちで妄想でしょうか……そう考えると、半ば確信しつつも
今一つ自信がありません。以上、大変長くなりましたが、管理人様の客観的なご指摘をお待ちしております。

ちなみに私は、物語とは如何なる形を取るのであれ(小説、漫画、ドラマ、映画、演劇、アニメ、ゲームetc)、本来の
役割から言っても当然、ご都合主義の集大成であってしかるべきであり、その不自然さを感じさせない自然な展開を作
れるか、閲覧者を物語世界の中に引き込めるかは製作者の力量次第、閲覧者の好み次第だと思っています。その為、私
本人の嗜好と言えば、基本、一次創作の純文学からライトノベルまで何でも御座れ、二次創作万歳、オリジナル主人公
どんと来い!な超雑食性物語乱読人間であり、文章が硬い事からこれまた良く勘違いされる事がある様なのですが、別
に件の作品や作者様を嫌っている訳でも何でもありません。強いて言えば作者様の二次創作に対する作法と、創作態度
の矛盾に疑問を感じている位でしょうか。なので、最後に誤解の無い様に、ここに明記して置きます。

  • 2012/04/06 16:18:00

冒険風ライダー(管理人)

>questansさん
はじめまして。

> 腐女子向けのテキスト版シュミレーション・ゲームとも取れる、これらの作品群の持つ特徴との類似性から、私は一連の『銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)』シリーズを書いていらっしゃる azuraiiru 様(以下、作者様と明記)は、実はこの手の腐女子なのではないかと疑っています。と言うより、ほぼ事実であろうと推測していると言いますか…。

腐女子系の二次創作って「同性愛物ばかりで溢れている」という個人的な偏見があることもあって、私はあまりその手の本は読まないんですよね。
私は男性ですので、正直生理的にも全く受け付けないものがありますし。
その上で私の意見を言わせて頂きますと、私が「エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝」を読んで作者氏に抱いた感想は「この人って、創竜伝や薬師寺シリーズをモチーフにあの主人公を創作したのではないか?」というものだったんですよね。
ヴァレンシュタインがしばしば開陳する「自分にふりかかる火の粉は払う」「やられた事は数倍にして返さないと気がすまない」というの思想信条は、創竜伝の竜堂兄弟が唱えていたシロモノと全く同じでしたし、一見派手な(そのくせ内容は支離滅裂な)言動で他者の目を気にせず好き勝手にふるまう様は、薬師寺シリーズの薬師寺涼子と酷似していましたから。
被害妄想狂ぶりなどは、むしろその両者をすら上回るものがありますし(爆)。
同じ田中作品でしたし、モデルにしていたとしても不思議ではないのですが、ただそれだと「ずいぶんと捻くれた元ネタだよなぁ」とは考えざるをえなかったところですね(^^;;)。
いっそ「危機的状況に陥ったら竜種の血が目覚めてドラゴンに変身する」「実は世界をも動かす大財閥の息子」といった類の設定でもあれば完璧だったのに、とも(苦笑)。
ただ竜堂兄弟や薬師寺涼子は「女性受け」するキャラクターではあるようなので(他ならぬ原作者の田中芳樹自身がそう明言していた)、たとえモデルではなかったとしても一定のシンパシイはあったのではないかとも考えました。
そこら辺に、ひょっとしたら女性としての感性的なものがあるのかもしれませんね。

> 当然の帰結かもしれませんが、にじファンで作品を発表してその閲覧者様の忌避を避けつつ大多数にウケを狙うならば、嫌でも主人公を男性にせざるをえなかったのでしょう。そして自身の投影像である女性を主人公としてチヤホヤされる展開が無理なら、いっそ腐女子憧れの王子様キャラ(自身含め、一部に高需要)を主人公にしてしまえ!という目論見の元に作られたのが、エーリッヒ・ヴァレンシュタインという主人公ではなかったでしょうか。

作者氏がそこまでして「にじファン」にこだわらなければならない理由が不明ですが、主人公に何か変な願望でも込めているのではないかなぁ、とは私も感じずにはいられなかったですね。
わざとああいうキャラクターに仕立て上げることで「狂人や精神異常者の魅力を描く」などというテーマの下に作品を書いているのでもない限りは、アレが素で素晴らしい人物像だと考えていることになるわけですし。

> 物語の展開上の都合ではなく、勿論主人公にとっての必然でもなく、他ならぬ作者様ご自身の嗜好上の都合によって、皆に愛され崇拝される筈の完璧な主人公の唯一の瑕疵であり、一番の障害であるラインハルト達はどうしても物語から排除されなければ成らなかったのです。

ラインハルト&キルヒアイスとヴァレンシュタインが敵対するようになった経緯は、どう考えてもヴァレンシュタインの方に非がありますからねぇ(苦笑)。
自身の出生の秘密を最初から素直に話しておけば、たとえ利害関係的なものであっても提携は難しくなかったはずなのですし、ラインハルト&キルヒアイスのヴァレンシュタインに対する恐怖を和らげる効果も充分に期待できたのですから。
「亡命編」もそうですが、ヴァレンシュタインのあの転生に関する秘密主義は理解に苦しむものがありますね。
その秘密主義こそが、自分が置かれている立場や状況を悪化させている真の元凶だというのに。

> また、後に同盟編において登場させられたミハマ・サアヤというオリジナル・ヒロインこそが、この作者様の行き過ぎた主人公偏愛(と見える自己愛)の事実を更に補強する論拠と言えます。
> もはや原作の登場人物達による主人公賛美では事足りなくなった作者様が登場させた、究極のシンデレラ・ヒロイン。

作者氏のミハマ・サアヤに関する思い入れの深さはまさに「凄い」の一言に尽きますね。
アレだけあちらの感想欄で非難轟々な感想や理論的な批判があってもなお、アレだけ執拗に何度も登場させるのですから(苦笑)。
ひょっとするアレは、ああいう反応を期待して作者氏が仕込んだ「釣りネタ」「炎上マーケティング」なのではないかとすら最初は考えてしまったくらいで(爆)。
ただ私個人は、ミハマ・サアヤとエーリッヒ・ヴァレンシュタインは非常に「お似合い」なカップルであろうと考えていますよ。
もちろん、作者氏や感想欄の諸氏が考えているであろうこととは全く別の理由で、ですけど。

> 以上の事から、この作品を腐女子が書く妄想と煩悩の限りを尽くした名前変換小説の変形版に過ぎない、と仮定するならば、この小説を原作にオマージュを捧げる真っ当な二次作品の一つとして数えることがそもそもの間違いであり、その様な間違った認識に基づいて作品を評価する事が如何に滑稽極まりないか、というのは御理解いただけるかと思います。それとも私のこの考えは、それこそ先走った穿ちで妄想でしょうか……

作者氏がどのような意図で「エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝」を書いていたとしても、作者氏が「これは銀英伝の二次創作小説です」と謳っている限りは、あくまでもその通りの前提で検証や評価をするのが妥当だと思いますよ。
「これは銀英伝の二次創作小説です」というのは作者氏が自ら率先して提示しているものである以上、それを作者氏の方から否定することは、作品にとっても作者氏にとっても自殺行為以外の何物でもありません。
そういう前提を掲げて読者を惹きつける以上、その前提による評価を受けることは作品および作者氏の義務でもあるのですから。
「エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝」を「銀英伝の二次創作小説」として評価するのが滑稽だというのであれば、その滑稽さを招いているのは評価者ではなく作者氏に帰する問題です。
評価者はあくまでも「作者氏が提示した前提」に基づいて作品を評価しているだけなのですから。
それこそが、自ら提示した作品に対する「作者としての責任」というものなのではありませんか?

kaoru

questans 様 冒険風ライダー(管理人)様

初めまして。
お二人とも「エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝」シリーズの作者azuraiiru様のことを女性では?と疑っていらっしゃるようですが、azuraiiru様は女性ではないそうです。
亡命編の感想掲示板において、2012年1月19日に読者様からazuraiiru様へ「作者さんて女性ですか?」との質問がありましたが、それについての作者様の答えは「違いますよ。そんな風に見えますか?」でした。

  • 2012/04/18 14:20:00

冒険風ライダー(管理人)

>kaoruさん
はじめまして。
あの作者氏って男性だったのですね。
いや、「本編」の「アンネローゼがフリードリヒ四世を毒殺した」辺りの考察や、「亡命編」でミハマ・サアヤがヤオイネタを披露していた辺りなどは、発想がどことなく女性っぽいイメージだったので、漠然とながらも「作者氏って女性なのかな?」と考えてもいたのですが。

ただそれだと、エーリッヒ・ヴァレンシュタインという主人公は「作者自身の素直な投影」として形作られていったのですかねぇ。
個人的には「わざと醜悪な人物像をイメージし、釣り&炎上マーケティングの展開を意図して作られた」という可能性に張ってみたいところではあるのですけど(苦笑)。

kaoru

questans様

> トコロで、管理人様は女子同人界における名前変換小説なるモノ(夢小説、ドリーム小説ともいう)をご存じでしょうか。
腐女子の中でも一歩間違えるとかなり痛い系の扱いをされかねない、二次創作特有のジャンルの一つなのですが、

questans様は腐女子の意味を勘違いしておられませんか?
腐女子とは、男性同士の恋愛を扱った作品(小説や漫画など)を好む女性のことです。
名前変換小説(夢(ドリーム)小説)は、同性愛ではなく異性愛をメインに扱った作品が多いため、夢小説を好む女性(夢小説の作者様や読者様)は腐女子ではない場合が多いようです。
夢小説を好きな女性の事は夢見乙女またはドリーマーと言い、夢見乙女を略して夢女子とも言うそうです。
夢女子だが腐女子ではない人、腐女子だが夢女子ではない人、夢女子であり腐女子でもある人(夢小説も男性同性愛作品も両方好む女性)など、色々なタイプの方がいらっしゃるようです。
「女性のオタク=全員腐女子」ではありません。
女性のオタクであっても男性同性愛作品を好まない人は多数いらっしゃるようですし、そういう人達のことは腐女子とは言いません。
腐女子や夢女子が女性のオタクの中の一種であることは間違いないでしょうが。

夢小説にも色々な種類があり、一次創作(オリジナルストーリー)の夢小説、二次創作の夢小説、ナマモノ(三次元)の夢小説、半ナマの夢小説などがあるそうです。

「腐女子と夢女子を割り切り隊」という名前のサイトや、ウィキペディア(Wikipedia)の「ドリーム小説」について書かれたページなどに色々書かれています。

私は腐女子の意味は知っていましたが、夢女子という言葉が存在することと夢女子の意味についてはつい最近まで知りませんでしたので、この件について投稿するのが遅くなりました。
すみません。

  • 2012/06/23 00:25:00

kaoru

questans様

すみません。前回投稿した文章に一部間違いがありましたので訂正させて下さい。
(前回投稿した時に削除キーを指定していなかったため、前回分の文章を編集や削除することができません。そのためもう一度投稿します。)

夢女子の意味を勘違いしていました。
夢女子とは夢小説が好きな女性のことかと思っていましたが、「腐女子と夢女子を割り切り隊」のページや、ウィキペディアの「ドリーム小説」について書かれたページでは、
“「ドリーム小説は好きだが、やおいは嫌い」という女性の中の一部は夢見乙女またはドリーマーと自称することもある。”と書かれています。
(夢女子についての肝心な部分を見落としていました(^^;))
「夢女子=全員夢小説が好きで、男性同性愛作品(やおい)が嫌いな女性」なら、夢女子であり腐女子でもある人は存在しません。
夢小説は好きだがやおいは嫌いな女性、やおいは好きだが夢小説は嫌いな女性、夢小説もやおいも両方好きな女性は存在するようですが。

前回投稿した文章の内、
“夢小説を好きな女性の事は夢見乙女またはドリーマーと言い、夢見乙女を略して夢女子とも言うそうです。
夢女子だが腐女子ではない人、腐女子だが夢女子ではない人、夢女子であり腐女子でもある人(夢小説も男性同性愛作品も両方好む女性)など、色々なタイプの方がいらっしゃるようです。”
上記の部分を全部削除させて下さい。

  • 2012/06/23 03:44:00

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