熊本の水害の歴史に想像力が働かない人
- 2010/06/26 00:00
- カテゴリー:その他色々, 九州・熊本ローカル事情
6月26日は白川大水害の日。
1953年のこの日、集中豪雨によって熊本市を流れる白川が氾濫。
全市の70%が浸水し、白川に架けられた橋梁が長六橋・大甲橋を除き全て流失するなど、壊滅的な損害と死者・行方不明者をもたらしました。
この水害は熊本では特に「6.26水害」とも呼ばれ、県史に残る大水害として記録されています。
この事例に限らず、実は熊本という土地は昔から白川や球磨川といった河川が引き起こす洪水の脅威に悩まされ続けてきた歴史があります。
昔の白川は、源流がある阿蘇山の火山灰を運んでくるため、下流域では火山灰の堆積により川底が低くなり、流路が大きく蛇行して洪水の大きな原因になっていました。
その白川を、大規模な治水事業によって直線化し、洪水の被害を激減させたのみならず、その流域を肥沃な穀倉地帯に変えていったのが、肥後熊本藩の初代藩主となった加藤清正。
白川のみならず、緑川・菊池川・球磨川などといった、洪水をもたらし続けてきた熊本の代表的な河川でも、加藤清正の治水事業は洪水対策と農地拡大の両面で熊本に大きな恩恵をもたらしました。
その功績から、昔も今も加藤清正は「清正公(せいしょこ)さん」の名で親しまれ、熊本城本丸に加藤清正を祀った神社も建立され、崇敬されています。
しかしまあ世の中は広いもので、その熊本の、しかも白川が直近に流れている地域で幼少期を過ごしながら、洪水の脅威が全く理解できないバカもいるものなんですよね。
こんな感じで↓
創竜伝10巻 P93下段~P94上段
<四人はB&Bを出て、おおざっぱにテムズ川の方角へと向かった。一軒の店にはいって買い物をし、街角の旧式な時計を見ると九時半である。
始はデジタル時計よりアナログ時計のほうが好きだ。デジタル時計は「五時五七分」というように単一の基準と表現を押しつけてくるが、アナログ時計だと「五時五七分」「六時三分前」「もうすぐ六時」という風にさまざまな見かたができる。ゆとりと多様性を感じさせてくれるからなのだが、「緻密さと正確さとを欠く時代遅れのもの」といわれれば、たしかにそれまでである。だが万人が秒以下の単位まで厳密な時間に追われる必要はないだろう、とも始は思うのだ。そして、アナログ時計の心地よさをロンドンの街に感じる。古いビルを建てなおすときに、内装や設備は最新式にしても外見は古いままに保つ。日本橋の真上に高速道路をかぶせて建設し、醜悪な市街づくりに狂奔してきた日本では、泡沫経済がはじけて消えた後に、コンクリートの原野だけが残った。あらゆる亡命者を受け容れ、王室に対しても言論の自由を認めた大英帝国の度量を学びとらないまま、虚妄の繁栄を終わろうとしている。かつて「日本だけが永遠に繁栄する」とか「株と土地は永遠に値が上がりつづける」とか主張していた経済評論家たちは、いまごろどうしているのだろうか。>
イギリス病のすすめ・文庫版 P213~P214
<――:
今の子供たち、森って言っても多分わからないでしょう。カブト虫も電池切れちゃう時代ですからね。(笑)
土屋:
周りに自然がないでしょ? まあぼくは海育ちだけど、川で育った人間にとって、川ってのは人が行って遊ぶとこだったはずなのに、今の日本の川ってのは全部コンクリートの護岸で固められてるのね。要するにあれは、川に人を近づけないことになってるんでしょ。そういうばかなことを、どうしてしてるのかなって。まあもうじき終わるけどね、全部固めちゃえば。日本中の川は全部コンクリートで固められて、溝に変わるわけだよね。(笑)もう、マンガとしか言いようがない。
田中:
いや、固めちゃったらこわしてもう一度最初からやり直す。それを永久にくりかえす。(笑)
土屋:
ほんと、曲がって流れてるものをまっすぐにしてみたりとか、山のてっぺんにまで砂防ダム造ってハゲ山にしてしまうとかね。
田中:
川に入ってみるとわかるんだけど、ロンドンでテムズ河下りをやるのと、東京で隅田川下りをやるのとでは、全然違う。隅田川下ったって、堤防しか見えないんだから。(笑)日本橋の上に高速道路渡したりして、池波正太郎さんなんかがもう、激怒してたけど、ああいうことをやるんだよね。日本のお役人ってのは。想像力といったけど、景色を見て、いいなあと思う気持ちってないのかな、どうにも不思議ですね。>
ちなみに熊本県天草市(旧本渡市)生まれの田中芳樹は、1歳の頃に熊本県熊本市の黒髪という地区に移住してそこで幼少期を過ごし、同地区にある黒髪小学校および桜山中学校を卒業した経歴を持っています。
そして、その周囲の地図は以下の通り↓
……ほとんど目と鼻の先に問題の白川が流れているのですが、よくもまあこんな常に洪水の脅威に晒され続けている白川直近の地域で幼少期を過ごしていながら、水害の危険性と治水の重要性についてそこまで無知でいられたものです(笑)。
田中芳樹が忌み嫌っている「コンクリートの護岸で固められ」た今の白川でさえ、大雨で増水した際には、全てを飲み込まんばかりの茶色い獰猛な濁流を見せつけ、洪水一歩手前の危険水位に達することも珍しくはないというのに。
日本のお役人を罵り倒している田中芳樹ご自慢の想像力とやらは、幼少期の頃に常に目の当たりにしていたであろう身近な白川の水害とその歴史については全く何も感知してなどいなかったのでしょうね(爆)。