コミック版「大奥」検証考察10 【現代的価値観に呪縛された吉宗の思考回路】
コミック版「大奥」検証考察もいよいよ10回目。
今回のテーマは【現代的価値観に呪縛された吉宗の思考回路】。
過去の「大奥」に関する記事はこちらとなります↓
前作映画「大奥」について
映画「大奥」感想&疑問
実写映画版とコミック版1巻の「大奥」比較検証&感想
原作版「大奥」の問題点
コミック版「大奥」検証考察1 【史実に反する「赤面疱瘡」の人口激減】
コミック版「大奥」検証考察2 【徳川分家の存在を黙殺する春日局の専横】
コミック版「大奥」検証考察3 【国内情報が流出する「鎖国」体制の大穴】
コミック版「大奥」検証考察4 【支離滅裂な慣習が満載の男性版「大奥」】
コミック版「大奥」検証考察5 【歴史考証すら蹂躙する一夫多妻制否定論】
コミック版「大奥」検証考察6 【「生類憐みの令」をも凌駕する綱吉の暴政】
コミック版「大奥」検証考察7 【不当に抑圧されている男性の社会的地位】
コミック版「大奥」検証考察8 【国家的な破滅をもたらす婚姻制度の崩壊】
コミック版「大奥」検証考察9 【大奥システム的にありえない江島生島事件】
テレビドラマ「大奥 ~誕生~ 有功・家光篇」
第1話感想
コミック版「大奥」1巻のラストで没日録を読みふけり始めてから、7巻になってようやく現実に戻ってきた徳川8代将軍吉宗。
1巻の初版発行が2005年10月4日で、7巻のそれが2011年7月5日ですから、連載時間的には実に6年近くもの歳月が流れていることになります。
これほどまでの長期間にわたって回想シーンが続いていた作品というのも、そうそうあるものではないでしょう(苦笑)。
しかし、史実でも「中興の祖」として評価され、「大奥」世界でも英明な将軍として扱われているはずの吉宗は、回想シーンが終わるや否や、早速電波なことを主張し始めます↓
「なるほど、赤面疱瘡という病の事さえ無ければ、女は子を産み育て、男が家のために働くのは合理的のようにも思える。だがしかし、血統で家を繋ぐという点から考えると、男系にはいささか無理があるように思われるのだが、いかがじゃ?」
「女系ならばその当主が生むのだから、その子は間違いなく当主の子だ。疑いようはない。しかし、当主が男だとしたらその男の妻なり側室なりの産んだ子が、その男の真の子であるとどうして断言できる? たとえ今の大奥のような場所に女達を囲ったところで、どこかに男の入る隙はできようぞ。常にその家の血統には疑念がつきまとう事になりはせぬか?」
「そう考えると、男が働くのはともかく、家の当主は女である方が道理が通っているように思われるぞ」(コミック版「大奥」7巻P167~P168)
吉宗って江戸時代中期を生きた人間であるはずなのに、これを読むとまるで現代人が憑依しているとしか思えないですね。
世界の王朝や伝統ある貴族階級などで何故男系が主流なのかというと、その最大の理由は「子孫が増やしやすいから」の一言に尽きます。
「大奥」世界がそうであるように、女性が家長という女系の場合、子孫を直接的に増やすことができるのは当主だけであり、かつ身体的・年齢的に子供を増やすにも大きな制約が存在します。
それに対し、男性が当主の男系であれば、女性を何人も囲うことで理論的には子供を無制限に作ることが可能です。
これは、「血統を維持し家を存続させる」という点で女系よりもはるかに有利となります。
もちろん、これは一夫多妻制や側室制度が認められているという前提あってこそのものではあるのですが。
キリスト教の影響で一夫一妻制が基本原則とし、庶子には基本的に王位継承権が認められなかったヨーロッパ諸国では、しばしば王朝断絶の危機に見舞われており、実際に断絶して余所の国の親戚筋が王位を継承したなどという事例も少なくありません。
そんな事態を避けたいからこそ、東洋やイスラム圏では一夫多妻制や側室制度が認められてきたという歴史的経緯もあったりするわけで、一夫多妻制や側室制度も「男女平等」などという現代的なイデオロギーだけで一方的に切り捨てて良いものなどではないのですけどね。
しかし、一夫多妻制や側室制度よりは「後継者作り」の観点から見て劣るにせよ、一夫一妻制であっても男系であれば、「再婚」という形で別の女性と結ばれることでまた新たに子作りを行うことも可能なのに対し、女系の場合はそれすらもできないのです。
「大奥」世界でも、徳川5代将軍綱吉が「月のもの」が来なくなったために、いくら男性と交わっても子作りが不可能になってしまったという問題が現出していたではありませんか。
しかも、女性は男性と比べてその手の「子作り」の条件がかなりシビアなのですし、ましてや「大奥」世界のごとく女性が男性に代わって外へ働きに出ているような社会システム下ではなおのこと、子作りはいよいよもって至難を極めると言わざるをえないでしょう。
こんな状態で、一体どうやって血統を保ち家を存続させることができるというのでしょうか?
それから吉宗が危惧している「その男の真の子であるとどうして断言できる?」という問題については、「では何故大奥や後宮というものがこの世に存在しているのですか?」で話は終わりですね。
史実の大奥で男子禁制となっていたのは、以前にも述べたように、将軍以外の他の男性の精子が女性の卵子に入ってくる問題を事前に防止・抑止することを最大の目的としているわけです。
もちろん、「史実の」江島生島事件のごとく、不義密通が発生して大問題となる事例もありはするのですが、そういった問題の発生についても、大奥を管理することでゼロにはならずとも「限りなくゼロに近づける」ことは充分に可能です。
要は「リスク管理をきちんとすれば良い」という程度の話でしかないわけです。
そして、そのリスク管理と引き換えにすることで、男系は血統と家双方の存続を保証する後継者作りを、理論的には無制限に行うことが可能となるのです。
これが江戸時代当時の社会にとってどれほどまでの恩恵であるのかは、今更言うまでもありますまい。
そこまでの恩恵があるからこそ、リスク管理だってきちんと行われることになるわけで。
どうもこの辺りの吉宗の発言は、原発がもたらす利益と経済効果を無視して「とにかく原発は危ないから即時全廃すべきだ!」とがなり立てまくる脱原発な方々の思考発想にも通じるものがありますね(苦笑)。
危険があるのであればその危険を限りなくゼロに近づけられるリスク管理を行う、という程度の発想もないのでしょうかね、吉宗には。
それと、これは吉宗に限らず「大奥」世界全体に関わる話でもあるのですが、実は男系と女系の違いというのは、後継者確保の観点以上にもっと深刻な問題が存在します。
それは、「男系から女系に代わることは、血統の断絶・王朝の交代・家の乗っ取りを意味する」と見做されることです。
現実世界において実際に血統が男系から女系に代わった事例としては、18世紀に女帝マリア・テレジアが即位したオーストリア・ハプスブルク家が挙げられます。
マリア・テレジアの父親である神聖ローマ皇帝カール6世は、唯一誕生した男児が出生後1年で死去するなどして男子の後継者に恵まれず、長女のマリア・テレジアを後継者に据えざるをえなくなりました。
彼女はフランスのロレーヌ家、ドイツ名ではロートリンゲン家の当主だったフランツ・シュテファンと結婚し、1740年にハプスブルク家の領国と家督を継ぐこととなります。
彼女の即位はオーストリア継承戦争を誘発することになりましたが、最終的に彼女は対プロイセンを除き勝者となり、以後は彼女の夫や息子が神聖ローマ帝国およびオーストリア帝国の皇帝位を独占することになりました。
その結果、彼女はハプスブルク家最後の男系君主となり、以後のハプスブルク家はロートリンゲン家に取って代わられることになったのです。
家格的には当然のごとくハプスブルクの方が上なので「ハプスブルク=ロートリンゲン家」などと称してはいますが、男系血統の観点から見れば、これは本当のハプスブルク家などではなく、実はロートリンゲン家以外の何物でもないのです。
男系というのは「その家に属する父親」がいて初めて成立するものであり、それが女系に代わるというのは「家が乗っ取られる」ことを意味するのです。
「ハプスブルク=ロートリンゲン家」にしても、その実態は「ロートリンゲン家がハプスブルク家を自称しているだけ」でしかないのですから。
現代の日本でも、天皇家の皇位継承問題で女系を認めるか否かで大いに揉めている事例があるわけですが、これが揉める最大の理由もまた「女系を認めると天皇家が全く別の存在にすり替わってしまう」「日本の歴史上初の王朝交代に繋がってしまう」という懸念があるからです。
世界最古の王朝としての天皇家の存続および「万世一系」の観点から見れば、これが日本古来の伝統と格式を揺るがすものであることは誰の目にも明らかです。
現代でさえ、男系女系にはかくのごとき問題が存在するのですから、ましてや現代よりもはるかに「家」の存続を大事にする江戸時代の人間が、女系問題の恐ろしさを認識していないはずがないでしょう。
男系の血統が女系を認めるということは、つまるところ「自分の家を他人に乗っ取られても良い」と認めてしまうことと同義なのですから。
これから考えると、男系から女系への転換という男女逆転な社会システムの変革を実行してのけた「大奥」世界というものが、いかに愚かしいシロモノであるのかも分かろうというものです。
何しろ、「大奥」世界の人々がが男系から女系へと変わっていった最大の理由が、よりにもよって「家の存続のため」だというのですから。
自家の存続のために、どこの馬の骨ともしれない人間に自家を乗っ取られることを容認するなんて、当時の江戸時代の社会的慣習から見てさえも自殺行為以外の何物でもないのですが。
特に徳川家が男系から女系になるというのは致命傷もいいところで、下手をすれば「徳川を僭称する○○を討伐する」的な大義名分による大規模戦争が頻発する危険性すら多大なまでに存在しえたのです。
実際、女版家光より後に即位した徳川家の将軍達は、その全てが「徳川を僭称する全く別の何か」でしかないわけですし。
まあ、そんな男系女系の本質的な相違と問題点を本当に理解している人間がもし「大奥」世界にひとりでもいたのであれば、たとえいくら「赤面疱瘡」が猛威を振るっていたからといって、女子に家を相続させるなどという行為を社会システムとして容認する愚行などやらかすはずもないのですけどね。
「あの」春日局からして、女系の危険性を理解していたとは到底考えられないのですし。
吉宗の何故か奇妙に現代的な価値観に基づく見当ハズレな主義主張は、以下のような発言にもよく表れています↓
「何という事だ。男子が少ないのがこの国だけの事で外国は男が女と同じ数いると申すのなら、とても鎖国を解く事などできぬわ! 武芸を習っておった時も、紀州時代に戯れに力士を相撲を取った時も思うたことだったが……」
「力士はわざと私に負けよったが、あの剛力……。力自慢の女二人がかりでも敵うものではない。もし今開国したら、我が国はいとも容易く外国に攻め入られ、外国の属国となってしまうに違いない。開国をし、広く外国と交易を…などと思っていた私の考えの甘かった事よ…!!」(コミック版「大奥」7巻P170~P171)
史実の江戸幕府は「鎖国」なんか一度も行ったことはない、というツッコミについては以前にも指摘済みなので二番煎じになるにしても、「鎖国を解いたら外国が攻めてくるから鎖国を解くことはできない」などと結論するとは驚きですね。
江戸幕府が他国と貿易をする際に、その窓口を長崎の出島に限定し、中国とオランダとのみの交易に専念することができた最大の理由は、17世紀前半当時の日本が世界有数の鉄砲保有国で当時のヨーロッパ諸国にも対抗しうるだけの軍事大国であったからです。
相手から交易を申し込まれてもこれを拒絶し、場合によっては力づくでも排除する姿勢を示すことが可能だったこと、これこそが「鎖国」こと海禁政策を江戸幕府が実現しえた真の原動力なのです。
現に、日本と同じような海禁政策を行っていた清王朝などは、19世紀にイギリスをはじめとするヨーロッパ諸国の圧倒的な武力の前に敗れ、無理矢理開国を強いられていたりします。
自国の意思がどうであろうと、相手国が圧倒的な武力を背景に砲艦外交を展開したり、実際に戦争に訴えたりすれば、否応なく、それも圧倒的に自国に不利な条件下で開国を余儀なくされることになるのです。
ならば「鎖国」で「赤面疱瘡」や男女比率の情報を外に出さないようにすれば……というのも、これまた以前にも述べたようにあまりにも機密保持という概念を知らなさすぎです。
機密というものは「その存在と内容を知っている人間が3桁もいたら隠すこと自体が不可能に近くなる」というのが基本中の基本というべきあり方なのであって、「赤面疱瘡」のような誰もが知っている情報を隠蔽するなど、全知全能の神でもない限りは絵空事の類でしかないでしょう。
ヨーロッパ諸国とて、本気で日本に攻め込みたいと考えるのであれば、国内情報を把握するためのスパイや工作員をいくらでも派遣して情報収集に努めるでしょうし、たとえ限定的であっても交易や交流があれば、それを介して全く情報が漏れないなど到底ありえないことです。
「鎖国」の方針を堅持していさえすれば「鎖国」が無条件で実現しえる、などと考えていたりする辺り、吉宗の発言は「『平和』という言葉を念仏のように唱えてさえいれば無条件に平和が実現する」と考える現代の日本国憲法9条教徒を髣髴とさせるものがありますね。
まあ、「赤面疱瘡」下の日本があまりにも異常な状況に置かれていることを認識でき、「赤面疱瘡」の根絶や男子に対する武芸の奨励などに努めた辺りは、そういった認識すら抱くことができなかった凡百の女性達よりも「相対的に」評価できる面はあるのでしょうけど。
しかしこうして見ると、コミック版「大奥」というのも現代的男女平等やヒューマニズムな価値観から全く脱却できていないのだなぁ、とつくづく感じずにはいられないですね。
そりゃまあ、いくら時代が江戸時代で大奥を舞台にしているとは言っても、現実の商売相手はあくまでも現代人なのですから、ある程度妥協しなければならない要素は当然あるのでしょうが、物語の根幹をなす世界設定や社会システムが現代的男女平等やヒューマニズムな価値観の引き写しでしかなく、当時の価値観とは全く相容れないものになってしまっているというのは正直どうなのかと。
以前からしばしば述べていることですが、いっそ男女逆転の詳細な変遷など全く描くことなく、恋姫無双などのように「最初から男女逆転していることが理屈抜きで当たり前になっている世界なのです」と開き直ってファンタジーに徹していた方が、却って設定面での穴は無くなったのではないかと思えてならないのですけどね。
次回の考察では、男性差別社会と化した「大奥」世界の歪んだ社会文化について検証してみたいと思います。
デービット
「男系から女系に代わることは、血統の断絶・王朝の交代・家の乗っ取りを意味する」
冒険風ライダーさんの認識だとフランス王家は一度も王朝交代していないことになりますよね。
ブルボン朝などと言った呼び名は後世の人間が勝手にいってるだけなんでしょうか?
またオランダ王家であるオラニウ・ナッサウ家はウィレム二世の時に男系が途絶えており、以降、女系相続が続いていますが、
オラニウ・ナッサウ家も断絶したということなのでしょうか?
断絶したのならハプスブルク=ロートリンゲン家のように何故、家の名称が変わっていないのでしょうか?
後、江戸時代の例だと沖田総司の姉が沖田家の家督をついでいるのですが、これは何故なのでしょうか?