映画「のぼうの城」感想
映画「のぼうの城」観に行ってきました。
戦国時代末期、豊臣秀吉の配下だった石田光成率いる2万の軍勢に攻められながら、たった500の兵力、避難してきた民百姓を含めても3000に達しない数で、本城たる小田原城が落城するまで抗戦を続けた、後北条氏の実在の武将・成田長親および忍城の戦いを描いた時代劇&戦争映画です。
しかしこの映画、戦場で首がもげるシーンとか水死体とか、残虐描写がそれなりにある作品だというのに、R-15どころかPG-12指定にすらなっていないというのは何とも不思議な話ではあります。
相変わらず、この手の規制は一体何を基準にしているのかよく分からないですね。
今作は、作中冒頭および後半部分に水攻めのシーンがあることから、東日本大震災後に蔓延した「震災自粛」の悪影響をモロに被った挙句、2011年9月から2012年11月への公開延期を余儀なくされた経緯があります。
これは、同じく「震災自粛」で公開延期を余儀なくされた映画の中でもトップクラスに入る規模の延期期間となります。
何しろ、10秒あるかどうかの「宇宙人の飛翔体落下に伴い発生した津波に飲まれる描写」だけのために自粛させられた映画「世界侵略:ロサンゼルス決戦」や、水死絡みの描写が満載の映画「サンクタム」などは、「のぼうの城」が当初劇場公開を予定していた2011年9月に日本で公開されているのですから。
他の映画が普通に劇場公開されている2011年9月に、何故「のぼうの城」だけは公開が自主規制されなければいけなかったのか、つくづく理解に苦しむと言わざるをえないですね。
そもそも、あの当時蔓延していた「震災自粛」自体、その実態は「被災者に同情している俺カッコイイ」的な自己満足の類でなければ、単なる営業上の都合やクレーマー対策などから発生していたシロモノでしかなかったのですし。
あの「震災自粛」は、そんな目先かつ愚劣なシロモノと引き換えに、長期的には日本経済を滞らせ更なる不景気を招きよせたことで、却って被災地の経済的な復興をも阻む要素にまでなっていたのですけどね。
その意味では、今回「のぼうの城」が無事劇場公開にこぎつけられたことで、映画業界における「震災自粛」の被害がとりあえずは終息したことになるわけで、とりあえずはめでたい限りと言えるでしょう。
もっとも、「震災自粛」と同じく震災後に日本に蔓延した「脱原発」という名の「空気」は、未だ収束の気配すらもなく日本中で猛威を振るい続けている状態なのですし、震災の爪痕は未だに色濃く残っているのが現状ではあるのですが。
さて、曰くつきな公開延期を余儀なくされた今作で問題になった水攻めシーンの最初のものは、物語冒頭にいきなり登場します。
1582年(天正10年)に、当時の羽柴秀吉が中国地方の毛利氏を攻める際に行われた、備中高松城の戦いにおける水攻めがそれに当たります。
作中では、当時は羽柴秀吉の小姓だった石田三成と大谷吉継が、羽柴秀吉と共にこの水攻めの光景を目の当たりにしており、特に石田三成がこの光景に「天下人の戦だ」と感動する様が描かれています。
そしてもうひとつが、8年後の1590年(天正18年)に羽柴改め豊臣秀吉による小田原征伐が行われた際に、石田三成が周囲の反対を押し切って断行した忍城水攻めとなるわけです。
この忍城水攻めにおける描写はさらに、忍城が水攻めで被害を被るシーンと、石田三成が急造させた水攻めのための堤が決壊して石田三成側に水が襲い掛かるシーンという2種類の異なる水の脅威が描かれることになります。
その水攻めの描写は確かに迫力かつリアリティのあるものであり、その秀逸な出来故に却って「震災自粛」の巻き添えを食う羽目になったというのは皮肉もいいところですね。
実は「のぼうの城」にはさらに、人間が水攻めに巻き込まれるシーンなども多く盛り込まれていたらしいのですが、そちらはさすがにカットされてしまっているのか、その手の描写はほとんどありませんでした。
この辺についても、「震災自粛」などのために余計なことを、と思わずにはいられませんでしたが。
作中における忍城の戦いは、豊臣秀吉が配下の武将達に軽んじられている石田三成に箔をつけようと、当時後北条氏が領有していた関東地方に攻め入る小田原征伐を行う軍議の場で、石田三成に2万の兵を預け、進軍途上にある後北条氏の支城、館林城と忍城を陥落させるよう命じたことに端を発します。
ところが館林城は守兵2000、忍城に至ってはわずか1000と、どちらも兵力的には「勝って当然」と言わんばかりの弱小な関門でしかありません。
しかも、豊臣秀吉の小田原征伐に伴い、主である後北条氏からは各支城に対して「城主自ら兵を率い、小田原城の籠城戦に参加せよ」との通達が来ており、忍城は城主である成田氏長(なりたうじなが)自らが、城内半数の兵力500を率いて小田原城へ進発していました。
さらに成田氏長は、後北条氏に従うように見せかけて裏では豊臣方に内通と恭順の意を示しており、忍城は本来戦わずして開城する手筈となっていました。
豊臣方から見れば、石田三成は「ただ進軍するだけで勝利が転がり込んでくる」状態でした。
しかし、忍城の無血開城は豊臣秀吉だけが知る秘密であり、石田三成の軍の中でそれを知るのは、豊臣秀吉本人から秘密を知らされた大谷吉継のみ。
この戦いはあくまでも石田三成に武勲を立てさせるためのものであり、「抗戦の意思を示している城を【石田三成の実力】で開城させた」という構図を形だけでも演出しなければならなかったからです。
最初から無血開城では「石田三成の武威で城を降伏させた」にも「八百長かつ出来レース的な戦い」にもならず、石田三成の功績にはならないのですから。
しかし、誰にとっても不幸だったのは、ここまでお膳立てをされた当の石田三成自身が、本格的な攻城戦を自ら積極的に望んでいたこと。
彼は、忍城の前の進軍経路にあった館林城が戦わずしてあっさり降伏してしまった(彼我の戦力差と自分達が置かれた絶望的な状況から考えればこれはこれで当然の選択なのですが)ことに不満を抱いており、また前述の備中高松城の戦いで見た水攻めを自分で演出したいという思惑もあり、忍城と交戦に持ち込むべく策を練ることになります。
それが結果的に、忍城の獅子奮迅な戦いぶりと石田三成の稚拙な軍事手腕を後世の歴史に伝え残すこととなったわけなのですから、何とも笑える話ではありますね。
石田三成が余計なことを画策しなければ、忍城の戦いも発生せずに無為無用な犠牲が発生することもなく、他ならぬ石田三成自身も武功を挙げることができたはずなのですから。
戦が全然分かっていないどころの話ではないのですが、「戦わずして勝つ」よりも誇りや矜持のために戦うことに価値を見出しているのが、作中で描かれている石田三成という男の性といったところなのでしょうか。
そして一方、豊臣側に内通の意を伝えた忍城側も、これまた形の上だけでも「戦いの意思はあったが、やむなく降伏した」という体裁を取り繕う必要がありました。
戦うことはないのだからと戦の準備もせずに構えていたら、現時点では未だ主格である後北条氏に内通を疑われ、場合によっては豊臣方に内通する前に後ろから攻め込まれてしまう危険性があります。
また、世間体や武士の矜持的な観点から言っても「最初から降伏を決めていた」という事実があからさまに示されるのでは悪評を被ること必至ですし、その後自分達が冷遇されたりすることにもなりかねません。
だからこそ、内通を決断した城主の成田氏長は危険を承知で小田原城へ向かったわけですし、忍城も形の上での籠城戦の準備を進めていたわけです。
成田氏長が小田原城へ発った後の忍城は、成田氏長の叔父である成田泰季(なりたやすすえ)が代理の城代となるのですが、彼は成田氏長の小田原城進発直前に病に倒れてしまい、自分の息子である成田長親(なりたながちか)を新たな城代に任じることになります。
しかし成田長親は、武芸はてんでダメで馬にすらも乗れず、常日頃から百姓達と交わり農作業を手伝おうとして却って足手纏いになることから、「でくのぼう」を略して「のぼう様」という仇名で呼ばれているような人物。
家臣達も「のぼう様」の奇行ぶりには手を焼いており、幼馴染である正木丹波守利英(まさきたんばのかみとしひで)などは、常に百姓の村へ出かけていく成田長親を探し出しては説教をする毎日を送っている始末。
ただ、性格が気さくで常に下の身分の者達と和やかに笑いながら接していることから、百姓達からは大いに慕われていました。
成田長親とその家臣達は、事前の決定通りに豊臣方へ降伏する方針だったのですが、石田三成が降伏勧告の軍使として派遣した長束正家は、人を舐めきった高圧的な態度で忍城側の人間と相対し、さらに「降伏後の財産の安堵」が全く保証されない内容の降伏条件を提示してしまいます。
これこそが、忍城との開戦を望む石田三成による策略だったわけです。
長束正家のその態度を見た成田長親は、降伏方針から一転、独断で城を挙げて戦うことを全く唐突に宣言し、周囲を驚かせることになります。
すぐさま正木丹波守利英をはじめとする家臣達が成田長親を諌めようとするのですが、そもそも家臣達自身も本当は武士の名誉のために戦いたくてならなかった面々ばかり。
家臣達は成田長親の主張を聞くにおよび、説得どころかむしろ逆に「やろうぜ!」「戦おう!}などと成田長親に同意していくばかり。
最後まで慎重論を唱えていた正木丹波守利英も、やはり心情は同じだったこともあって最終的には彼らに唱和することとなり、かくして忍城は全会一致で長束正家に改めて抗戦の意を伝えることになるのでした。
かくして、普通ならば決して戦うことはなかったはずの両者が、圧倒的な戦力差で忍城を舞台に合戦の火花を散らすこととなったのです。
映画「のぼうの城」では、戦国時代の合戦を描いていることもあり、水攻めのシーンもさることながら、その手の戦争描写や当時の情勢などもなかなかに上手く描写されていましすね。
正木丹波守利英を筆頭とする成田長親配下の武将達にもそれぞれ見せ場があり、水攻め前の攻城戦で彼らは獅子奮迅の活躍を演じることになります。
城攻めの際の兵の動きなども、当時の戦国時代の合戦事情をそのまま再現しているかのごとくでした。
石田軍の鉄砲歩兵が火縄銃を一発斉射した後、再度の弾込めに手間取っている間に正木丹波守利英率いる鉄砲騎兵の一斉掃射で大ダメージを被ってしまう光景とかは、まさにその典型でしたし。
また、忍城側の兵達の士気が総じて高いのに対して、石田軍の兵達はそもそも戦意自体があまりないような感が多々ありました。
まあ、元々「勝ち戦に便乗して戦っている」的な側面が大きい軍でしたし、何よりも総大将が石田三成ということであまり信用がない、という事情もあったのでしょうけど。
館林城が無血開城した前事情もあって、石田軍の兵達にとっては忍城の戦い発生自体が意外もいいところだったかもしれないのですし。
ただでさえ戦意が低いところに、攻め辛い上に多大な犠牲を強いられることが判明した城に自身の身を剣と槍と弓矢の危険に晒さなければならないとなれば、兵の士気がさらに低くなるのも当然と言えば当然といったところでしょうか。
水攻め失敗後、再度忍城を攻略せんと石田軍が攻め込んだ際などは、水攻めでぬかるんだ足場を土塁で固めながら少しずつ前進していくという慎重&鈍重ぶりを披露していましたが、これも実際にそうする必要があったこともさることながら「そうしなければ前線の兵達が納得しない」という事情が少なからず働いてもいたでしょう。
また芸のない正面攻撃をやって撃退されるのでは、兵達にとってもたまったものではないのですし、最悪、反乱や逃亡までもが発生しかねないのですから。
他にも、「水攻めをすると他の武将達が武勲を立てる機会がなくなるから反対する」という大谷吉継の発言なども結構新鮮なものがあったりしましたし、戦国時代を扱った戦争映画としてはまずまずの出来であると言えるでしょうか。
ただ個人的に少々残念なのは、史実では忍城の戦いで城の守りを支援し敵を多数討ち取る活躍をしたとされるはずの甲斐姫が、活躍どころか全くと言って良いほど戦場に登場してすらもいなかったことですね。
作中における甲斐姫は、男勝りかつ武芸達者的な評価と実力を持っているように描かれていたのですから、彼女も男の武将達と同じく戦場に出て、ハリウッド映画のアクション女優のごとき獅子奮迅の活躍を演じるのだろうとばかり考えていたのですが。
甲斐姫最大の見せ場と言えば、忍城水攻め後に成田長親が城外で田楽踊りを演じて銃撃された後、一命を取り留めて寝込んでいた成田長親の体を起こして羽交い絞めにし、慌てて止めようとした忍城の名だたる武将達を片っ端から投げ飛ばしていたシーンくらいです。
無抵抗の人間を羽交い絞めにしたり、本気が出せない武将達をいくら相手取っていたりしても、それでは彼女が本当の意味で武芸達者であることの証明などにはならないでしょうに。
そして一方で、名だたる武将達を一方的にあしらえるだけの実力の持ち主であることが作品的に明示されているのであれば、甲斐姫も戦場に出て一緒に活躍させていた方が、ストーリー的にも映画の演出的にもより映えるものになっていたのではないかと思えてならないのですけどね。
結局、作中における甲斐姫は、忍城の戦いでは「ただ戦争の決着を待っていただけ」の立場に終始していて、いてもいなくても大した違いはない程度の役柄でしかなかったのですし。
わざわざあんなポジションを用意するのであれば、甲斐姫にも是非戦場で活躍してもらいたかったところなのですが、それがなかったのは正直肩すかしもいいところでした。
今作の中で唯一「惜しい」と思われる部分ですね、これは。
戦国時代の合戦ものや時代劇・戦争映画などが好きという方にはイチオシの作品です。
葵猫
こんばんは。
甲斐姫にアクションの見せ場がなかったのは、女優さんのスキルの問題もあるかもしれませんね。
吹き替えなしで時代劇のアクションがこなせる、知名度のある女優さん、しかも若手となると難しいような気がします。
しかし榮倉奈々嬢、来年もアクションあり、しかも主演作品があるのですが、大丈夫でしょうか?
既にアニメ化され、劇場版も公開された「図書館戦争」です。
大ベストセラー小説が原作で、架空の近未来日本、メディア良化法なる表現の自由を規制する悪法から本を守る戦う図書館司書の話で女性ながら前線でたたかうヒロインやくです。
あ、相手役は管理人様ご贔屓の岡田准一さんです。
しかし、天地明察の安井算哲といい、武術がからっきし駄目な時代劇のヒーローが話題を集めるのは、なかなか面白いですよね。
どちらも若い作家に描かれてますし、時代もあるのかも。