映画「だれもがクジラを愛してる。」感想(DVD観賞)
映画「だれもがクジラを愛してる。」をレンタルDVDで観賞しました。
日本では2012年に劇場公開されたアメリカ映画で、トム・ローズの同名ノンフィクション小説を原作とする、1988年10月に実際に起こったアメリカ・アラスカ州のクジラ救出作戦を扱った作品です。
例によって熊本ではまるで公開されていなかった映画で、レンタルDVDでようやく観賞できるようになる始末でした(T_T)。
まあ今作では「あの」グリーンピースが善玉的な役柄で登場していますし、日本では受けが悪そうな作品ではあるのですけどね。
物語の舞台は1988年10月、アメリカの最北端に位置するアラスカ州の小都市バロー。
市外へと通じる陸路が存在しないこの街は、市内にある飛行場を発着する4機の飛行機によってかろうじて外界と繋がっている、まさに「陸の孤島」と呼ぶにふさわしい立地にありました。
今作の主人公にしてアラスカ州の州都アンカレッジにある地方テレビ局のリポーターであるアダム・カールソンは、この小都市バローで密着取材を行なっていました。
一通り取材を終え、近いうちにバローを発つことになっていたアダム・カールソンは、地元民から歓呼の声で祝福されます。
そんな中アダム・カールソンは、地元民でイヌピアック族の少年ネイサンに、かねてから約束していた従兄のスノーモービルの技の取材を行なって欲しいと懇願されます。
最初は忙しいことを理由に拒否していたアダム・カールソンでしたが、ネイサンの食いつきに根負けする形でしぶしぶ取材をすることになります。
やたらと興奮して大声で従兄に指示を出すネイサンに対し、どこか消極的な態度でテレビカメラを抱え撮影するアダム・カールソン。
しかしその最中、アダム・カールソンは一面銀景色の風景から、どこか波のような音がするのを感知するのでした。
同じ頃、アラスカ州の州都アンカレッジでは、アラスカ州の南にあるブリストル湾の石油採掘権の入札結果が発表されていました。
採掘権を獲得したのは、石油採掘会社のひとつであるアラスカ石油社長のJ・W・マグローで、彼は喜びと満足気な表情を露わにします。
ところが、それに冷や水を浴びせるがごとく、拡声器を持ったひとりの女性が、入札会場の責任者に対し、環境保護団体グリーンピースの入札額を公表するよう迫り始めます。
周囲が止めるのも聞かずに自己主張を繰り返しまくるこの女性レイチェル・クレイマーは、J・W・マグローの指示で入札会場からつまみ出されてしまうのでした。
さらに舞台は再びアダム・カールソンへ。
前述の奇妙な波のような音から、彼はネイサンとその従兄と共に、氷上に空いたひとつの穴を発見します。
その穴からは、3頭のコククジラが定期的に顔を出し、呼吸を繰り返していたのでした。
知らせを聞いて現場に駆け付けた、ネイサンの祖父でイヌピアック族の族長であるマリクともうひとりの男は、寒さで穴がふさがればクジラは呼吸ができなくなり命運は尽きると明言します。
しかし、これは良いスクープになると考えたアダム・カールソンは、アンカレッジのテレビ局にクジラの映像を送信。
上層部もその映像を気に入ったのか、アダム・カールソンの映像はニュースとして大々的に報じられることになったのでした。
これが、アメリカどころか当時のソ連をも巻き込む一大クジラ救出劇の始まりとなったのです。
映画「だれもがクジラを愛してる。」で個人的につい笑ってしまったのは、今作のヒロインであるレイチェル・クレイマーですね。
過激な環境保護(テロ)団体として世界にその名を轟かせているグリーンピースの一員にふさわしい【クレーマー】な言動の数々を、彼女は作中で何度も披露しています。
そして彼女は、他の登場人物達からも「クレーマー女史」「ミス・クレーマー」などと名指しで呼ばれているシーンがあったりするんですよね。
あれらのシーンを最初に見た時、アレは毒舌なマシンガントークを恐れられたことから名付けられた仇名か異名かとばかり思っていたので、本名だと知った時はさすがに驚愕せずにはいられませんでしたよ(笑)。
グリーンピースの手先という事実もさることながら、彼女は名前からして「クレイマー」、さらには周囲の人間に戦闘的なマシンガントークで挑みかかるという、まさに文字通りの【クレーマー】な言動に終始しているわけです。
これほどまでに「名は体を表す」を地で行く人生を送っている人も非常に珍しいのではないでしょうか(苦笑)。
原作はノンフィクション小説とはいうものの、実在の人物の名前をそのままなぞっているのかまではさすがに分からないのですが、もしこれが実在の人物名そのままなのであれば、「世の中には無意識の皮肉という概念が確かに存在するのだなぁ」というのが私の感想ですね(爆)。
まあ「クレーム」や「クレーマー」というのは実は「日本に帰化した和製英語」とのことで、その定義が「=苦情・不平不満を並べ立てる」となっているのは日本国内のみのようなのですが(ちなみに本来の意味は「損害賠償請求」とのこと)、それを考慮してもこの名前は「意図せざる皮肉」に満ちたものになっていると言わざるをえないですね。
映画のタイトルだけを見ると「グリーンピース万歳!」な作品であるかのごとき印象を受けるのですが、中身を見た限りでは色々な人達の立場を比較的淡々と描写するよう努力している様は伺えますね。
一番強い印象を受けたのは、クジラを助けようとするどの人間および組織も、100%の善意に基づいて動いたのではなく、それぞれの利害と打算のソロバンを弾いていたことがきちんと描写されていたことです。
アラスカ石油は環境保護をアピールしてグリーンピースその他世間一般からの批判をかわすという意図から協力を申し出ていますし、当時のレーガン大統領のブレーン達も選挙対策と人気取りの観点から軍にクジラ救出を命令させたりしています。
そもそも、クジラの窮地を最初に報じたアダム・カールソンにしてからが、その根底にあった動機はテレビリポーターとしての立身出世だったりするのですし。
そして、俗世の欲を動機としてこれらの面々が動くからこそ、ひたすらクジラの生命を救うという目的のためにのみ動く(ように見える)グリーンピースおよび組織を代表する「クレーマー女史」の言動があまりにも異常かつ狂信的にも見えてしまうんですよね。
「ミス・クレーマー」の言動には、ある種の異端審問のごとき宗教的原理主義の片鱗すら感じさせるものがありましたし。
まあ、そのグリーンピースにしたところで、その実態は人気取りと寄付金が目当てで、今回の騒動でも大いに儲かっていることを作中でも指摘されていたりするので、その点では企業や大統領と同じ穴の貉でしかないのですが(爆)。
それに対する「ミス・クレーマー」の反論も、「自分達は儲かっているわけじゃないわ、環境保護を無視した現政権の政策と闘うための資金よ」などという鼻持ちならない厚顔無恥なシロモノでしかありませんでしたし。
後年、旧東ドイツのソ連将校から核弾頭を購入しようとしたり、原発を実力行使で一時占拠したりした実績を持つグリーンピースの所業の数々を見ると、「クレーマー女史」の宗教的な言動にも鼻白んでしまおうというものです。
「ミス・クレーマー」のクジラを想う感情が本物だったとしても、あまりにも独善的かつ厚かましすぎる彼女にはほとんど感情移入などできなかったですね。
そりゃアダム・カールソンだって過去に彼女と別れもしようというものです(苦笑)。
彼の未来にとっては、物語中盤でバローにやってきて意気投合した女性リポーターのジル・ジェラード辺りと素直に恋仲にでもなっていた方が、本人のためにも良かったのではないかと思えてならなかったのですが。
個人的な好みという事情はあるにせよ、アダム・カールソンも一体何をトチ狂って「クレーマー女史」を選んだのか、あまりにも理解に苦しむものがありましたね。
あの性格では自分や(子作りしたならば)子供が苦労させられることになるって、過去の経験からも既に分かりきっていたでしょうに。
アクションシーン等の派手な描写は皆無ながらも、人間ドラマを描いた作品としては意外な面白さがあり、オススメの一品と言えます。