映画「ゴーストライダー2」感想
映画「ゴーストライダー2」観に行ってきました。
マーベル・コミックの同名マンガを原作とする、ニコラス・ケイジ主演のホラー・アクション映画「ゴーストライダー」の続編作品となります。
ただ、続編とは言っても、前作を観賞せずとも楽しめるストーリー構成にはなっていたりします。
……あまり良くない意味において、ではあるのですが。
前作から8年後。
東ヨーロッパの断崖絶壁のような場所にある修道院に、バイクに乗ったひとりの男がやってきました。
モローと名乗るその黒人風の男は、その修道院が匿っているダニーという名の少年を、ただちに「聖域」と言われる場所へ移送するよう要求します。
その子は悪魔が狙っており、ここは今すぐにも悪魔の襲撃を受ける危険がある、と。
修道院側は圧倒的に有利な地の利と近代設備があるから大丈夫だろうと主張するのですが、その直後、修道院は本当に襲撃を受けてしまいます。
安全だったはずの修道院はあっさり壊滅してしまい、モローはダニーを死守すべく襲撃者と単独で一戦交える羽目に。
一方、襲撃者がターゲットしていたダニーは、母親のナディアと共に修道院を脱出。
襲撃者達はただちにダニーの追撃を開始しますが、その襲撃者をさらに追ってきたモローの必死の妨害により足止めをされてしまい、ダニーを逃がすこととなってしまうのでした。
その頃、前作から引き続き主人公のジョニー・グレイズは、アメリカから遠く離れ、東ヨーロッパの一角に身を潜めるような生活を送っていました。
そこへ、修道院で襲撃者達を妨害した際に断崖絶壁に落ちていったモローがやってきます。
警戒感を露わにするジョニーでしたが、モローはジョニーが「ゴーストライダー」であること、そして彼がゴーストライダーの暴走に悩まされていることを喝破した上で、ジョニーに対しダニーを守るように依頼を持ちかけるのでした。
そして、依頼が達成されれば、ジョニーにかけられた「ゴーストライダーの呪い」から解放してやる、とも。
一方、修道院から逃走していたダニーとナディアは、修道院を襲撃したのと同じキャリガン一派に見つかってしまい、今まさに囚われの身になろうとしていました。
そんな中、悩んだ末にジョニーはモローの依頼を受けることを決心し、ダニーを守るべくゴーストライダーに変身してダニーの元へと急行するのですが……。
映画「ゴーストライダー2」は当然のことながら前作「ゴーストライダー」の続編であるはずなのですが、前作とのストーリー的な整合性がなく、また設定も前作とは大きく異なっている部分が多々あります。
今作のために私は前作の「ゴーストライダー」も事前に観賞していたのですが、それと比較してみると「こんな設定あったっけ?」と首を傾げたくなるシーンがしばしば展開されていたりするんですよね。
序盤で早くも判明するその手の設定の齟齬の第一手は、前作でジョニー・グレイズがゴーストライダーの契約を悪魔メフィストと結んだ際の回想シーンです。
今作の回想シーンでは、悪魔メフィストとの契約の際、ジョニーが自分から契約書に血をバラまき、契約が成立した様が描かれています。
しかし前作におけるジョニーは、巻き物状になっていた契約書を広げる際、誤って自分の指を切って契約書に血をつけてしまったに過ぎないのです。
また、ジョニーが父親を助けたいがためにゴーストライダーの契約を交わしたのは前作と同じなのですが、作中では真の動機として「それは父親のためではなく、父親と一緒にいることを願った自分のためだった」と告白するシーンがあります。
しかし前作におけるジョニーは、元々父親とは仲が良くなかった上、病気のことを知る前には恋人と駆け落ちをする約束まで交わしており、父親の回復後には父親と決別する気満々だったのではないかというフシが多大なまでに伺えるのですが……。
回想シーンと前作における実際の契約の描写がまるで違っていて、「何故こんな変なことをやっているんだ?」と疑問に思わずにはいられませんでした。
その理由はどうやら、前作と今作で悪魔メフィストを演じている俳優さんが異なっていることにあるようなのですが。
前作で悪魔メフィストを演じたのはピーター・フォンダという俳優だったのですが、今作でその役を担っているのはキーラン・ハインズという全くの別人だったりします。
当然、その外見も姿形も全くの別物で、この2人が同一人物と断じるのはほぼ不可能なレベルなんですよね。
というか実際、前作と今作を立て続けに観賞した私自身、物語終盤までこの2人が同一人物とは全く考えておらず、終盤付近におけるジョニーとメフィストの会話でやっとその事実を把握したくらいでしたし。
前作と今作で同じ登場人物を出すのであれば、俳優もまた前作と同じ人にして欲しかったところだったのですけどね。
また、ジョニー・グレイズがゴーストライダーから解放されたがっているという作中の設定にも違和感があります。
そもそもジョニーは、前作のラストシーンで「契約は達成されたからお前の呪いを解いてやろう、君は自由だ」と申し出たメフィストに対し、「この呪いは俺が背負っていく、そしてこのゴーストライダーの力でお前を倒す」と啖呵を切って拒絶していたはずではありませんか。
このラストシーンから考えれば、今作でジョニーが「ゴーストライダーの力」を疎んじ、その呪いから解放されたいと願うこと自体がおかしな話であると言わざるをえないのです。
ジョニーの目的だった「ゴーストライダーの力を使ってのメフィストの打倒」は全く達成されていなかったのですし。
にもかかわらず、その目的も達成されないままに「ゴーストライダーの呪い」からの解放を切望し、それが達成されると喜びまくっていたジョニーの描写は、何とも支離滅裂なものがあるとしか評しようがありません。
メフィストを倒した後に「ゴーストライダーの呪い」からの解放を願う、というのであればまだ理解できなくもなかったのですが。
まあ最大限好意的に解釈すると、前作から8年もの歳月が経過したことで、ジョニーの精神も摩耗してしまっており、目的を見失い精神的な挫折状態にでもあったのかもしれないのですが、この期に及んでそんなことを考えるくらいならば、前作のラストでメフィストの申し出を素直に受けていれば良かったじゃないか、と当然のごとく私はツッコミを入れずにいられなかったですね。
さらに、ゴーストライダーの特性自体も大きな変更点が発生していたりします。
ゴーストライダー最大の武器である「贖罪の目(ペナンス・ステア)」の描写がなくなり、使用武器はほぼ「地獄の炎(ヘルファイア)」オンリーとなっています。
その代わり、巨大なクレーン車やトラックなどを炎で包み込んで敵を攻撃する描写が追加されてはいましたが。
そして何よりも大きな変化は、物語終盤でゴーストライダーが陽の光が出ている中でも堂々と活動できていたことにあります。
前作のゴーストライダーは、太陽の光に当たるとゴーストライダーの変身が解除されジョニー・グレイズに戻ってしまうという問題があり、彼の活動時間は夜がメインだったのですが、今作の終盤では太陽が出ている朝の時間帯に敵とカーチェイスを繰り広げていたりします。
一体いつの間に陽の光の弱点がなくなったんだ、と疑問に思わずにはいられなかったところですね。
こちらの場合は、一度「ゴーストライダーの呪い」から解放されたジョニーが再度ゴーストライダー化を望み、悪魔の力を覚醒させつつあったダニーによってそれが実現するという描写があったので、その際に陽の光の弱点も解消されていたのかもしれませんが。
この辺りも、作中では説明がまるでないので非常に困惑させられたものでした。
今作の映画製作者達は、今作を製作する際に映画版の前作の流れをきちんと踏まえていたのだろうか、という疑問符すらつけざるをえないですね。
確かに今作は、前作を観賞していなくても充分に楽しむことができる構成にはなっていると言えるでしょう。
何しろ、前作との繋がりや整合性がまるでないのですから、むしろ前作を観賞する方が混乱させられることにもなりかねないわけで(苦笑)。
作品単独としてはともかく、作品毎に相互の時系列や関連性のあるシリーズ物としては完全に失格な出来なのではないですかね、今作のシナリオ構成は。
暇でして
ゴーストライダー2は前作の続編ではなくリメイクのようなもの。
そもそも始めに契約している悪魔の名前が違うことから
全くの別物と考えていいのでは?
「ゴーストライダー2」は日本の映画宣伝会社が前作を詳しく調べず勝手に付けた名前であり正しくは「ゴーストライダー: 復讐の精霊」と・・・・・まぁ宣伝係がやらかしたということです。