映画「世界にひとつのプレイブック」感想
映画「世界にひとつのプレイブック」観に行ってきました。
映画「ウィンターズ・ボーン」「ハンガー・ゲーム」で主演を担ったジェニファー・ローレンスが、第85回アカデミー賞その他で主演女優賞を獲得したことで話題となった、デヴィッド・O・ラッセル監督製作のコメディドラマ作品です。
映画のタイトルは邦題で、英語の原題は「SILVER LININGS PLAYBOOK」。
今作の日本公開は2013年2月22日だったのですが、熊本ではそれから1ヶ月以上も遅れた4月6日からの劇場公開となっており、しかもその週は時間が合わず観賞できなかったため、熊本の映画解禁日からさらに1週間遅れての観賞となりました。
……これでもまだ「公開されているだけマシ」と言えてしまうところが、熊本の映画事情の泣けるところではあるのですけどね(T_T)。
しかし今作は、セックス依存症とか浮気による精神障害とかいった「大人ならではの問題」を扱っている割には、直截的な描写がないこともあってか、R指定等が全くされていないですね。
どう見ても小中学生向けの映画でないことは確実なのですが(苦笑)。
物語は、今作の主人公パット・ソリータJrが、精神病院?に収監されて精神療法のリハビリを受けさせられている光景からスタートします。
この後のストーリーで解説されるのですが、彼は元学校の教師で、ある日いつもより早く家に帰ったところ、妻のニッキと同僚の歴史教師がシャワーセックスにシケこんでいる現場に直面してしまい、その場で浮気相手を半殺しにした結果、裁判所の命令で病院に収監された上に妻との150m以内の接近を禁止する措置命令を出される羽目となっていたのでした。
8ヶ月もの間病院での精神療養生活を続けていたパットは、母親ドロレスの手回しで、担当医が時期尚早と懸念を表明する中で退院の日を迎えます。
しかしパットは退院後、次から次に奇行に走りまくり、近所迷惑や警察沙汰レベルの問題を起こしまくることになります。
退院許可が下りていない患者仲間のダニーを連れ出してしまい、病院から戻すように指示される。
夜中まで本を読んでいたかと思えば、突然怒り出して本を家の外に窓を破って投げ捨て、さらに睡眠中の両親を叩き起こして本の内容に対する怒りをぶつけまくる。
当初は息子の退院に喜んでいた両親も、さすがに「これはマズイのでは?」「厄介な火種を抱え込んでしまったのでは?」という戸惑いを浮かべるようになってしまうのでした。
一方パットは、浮気されたにもかかわらず、妻のニッキとの仲を再構築しようと考え、そのことを周囲に漏らしたり、元勤務先だった学校に乗り込んで妻や浮気相手のことを尋ねて警察のお世話になったりしていました。
そんなある日、身体を鍛えるべく近所をランニングしていたところ、パットは親しい友人のロニーと偶然の再会を果たします。
ロニーは妻のヴェロニカの言もあってパットを夕食に招待します。
その夕食会では、ロニーの一家2人とパット以外に、ヴェロニカの妹ティファニーも呼ばれていました。
ティファニーは夫を早くに亡くした未亡人で、かつ夫の死後に勤務先の会社の社員全員(総勢11人、しかも女性も含む)とセックス行為に及んだことからクビにされてしまったという曰くつきの経歴を持つ女性だったりします。
この夕食会が初対面となるパットとティファニーは、奇妙な意気投合で新たな関係を構築していくことになるのですが……。
映画「世界にひとつのプレイブック」で男女の主演を担っているブラッドレイ・クーパーとジェニファー・ローレンスは、実年齢が何と16歳も離れています。
世間一般的に見ても、「似合いのカップル」として見られるような年齢差ではありえません。
この年齢差もあり、ジェニファー・ローレンスは当初ティファニー役の有力候補でも何でもなく、デヴィッド・O・ラッセル監督も全くの別人を配役する予定だったのだそうです。
ところが、形式的に開催されたオーディションでジェニファー・ローレンスの演技を見た監督は、「彼女は自然児で別格だ、圧倒された」と評価を一変させ、そのまま彼女をティファニー役に抜擢したとのこと。
そして、そのジェニファー・ローレンスがアカデミー賞等で主演女優賞を受賞することになったわけですから、監督の目は確かだったということになるのでしょうね。
実際、作中における彼女の強気な言動は、他の登場人物と比較しても強烈な存在感が伝わってきていましたし、懸念材料たる16歳の年齢差も、まるで観客側に感じさせることがなかったですからねぇ。
作中の彼女の外見は、元?セックス依存症の女性という設定もあってか、どこか退廃的な雰囲気を纏っていて、それが一定の加齢効果をもたらしているようにも見えましたし。
彼女は「ハンガー・ゲーム」でも、今作と同様に男勝りかつ過激でキツめな性格の女性を演じていましたが、すくなくとも今のところはそういう役柄が合っている女優さんということになるのでしょうか。
作中の設定で個人的に疑問だったのは、本来ならば妻のニッキに浮気をされてしまった被害者であるはずのパットが、作中では逆に加害者兼精神異常者的な扱いを受けている点ですね。
確かに彼は、浮気相手を半殺しにするという傷害事件を起こしているわけですが、その原因となる浮気行為を最初にやらかしたのは妻の側なのですし、状況から考えれば情状酌量の余地は十二分にあると考えられるべき話でしょう。
それどころか、不貞行為をやらかしている妻と浮気相手は、パットに土下座した上で慰謝料や賠償金を支払わされても、決して不当ではないくらいなのです。
日本では妻の浮気が原因で夫婦が離婚する場合、財産分与・親権等のあらゆる面で夫側が圧倒的に有利になるのですし。
ところが作中では、妻ニッキの浮気行為についてはほとんど何も問題視されることがなく、逆に浮気相手に対するパットの暴力行為のみが、さも大問題であると言わんばかりに大々的にクローズアップされています。
ニッキがパットに賠償金を支払うどころか、逆に裁判所を動かして接近禁止令を出させるなどという所業まで平然と行われていましたし、また物語終盤でパットがニッキと対面した際も、ニッキは何ら後ろ暗い表情を浮かべることすらなく、正面から堂々とパットと渡り合った上に笑顔まで見せるほどの豪胆ぶりを披露していました。
こんなことが普通にありえるのでしょうか?
浮気相手に対するパットの暴力行為が警察沙汰となり彼が逮捕されたにしても、それと同等以上に妻の浮気問題はさらに問題視されないと変ですし、妻と浮気相手も相応の社会的制裁は下されて然るべきでしょう。
仮にニッキが自身の浮気問題を隠蔽して「夫が同僚の教師に暴力を振るっている」と警察に通報していたにしても、警察もバカではないのですから、現場の状況や事情聴取などで、嫌でも事件の背景を理解せざるをえないはずなのですが。
暴力沙汰を起こしたパットが教職をクビになっているのに、不貞行為をやらかした浮気相手が同じ学校で相変わらず教職を続けているというのも驚きでしたし、ニッキと浮気相手は、パットと比較しても何ら社会的制裁を受けているようには見えません。
パットの暴力行為は暴力事件として裁かれるべき事案であるにしても、だからと言ってそれは妻の不貞行為や責任問題を何ら免罪するものではありえないはずなのですが。
それともアメリカでは、妻の浮気行為は法的どころか倫理的に見てさえも何ら問題となる所業ではなく、不倫や乱交が公然と認められている社会だったりするのでしょうか?
しかし、かつてのティファニーのセックス依存症的乱交行為が会社をクビになるほどの扱いを受けたりしているところを見ても、すくなくとも「不貞行為は悪いことである」という社会的常識自体は一応持ち合わせているようではあるのですが……。
作中におけるパットの犯罪者的な扱いと、ニッキ&浮気相手が何ら社会的制裁を受けていない様子が、何とも不当極まりないシロモノに見えてしかたがなかったのですけどね、私は。
今作はコメディドラマという触れ込みではあるのですが、作中のストーリーを見る限りでは、これといったコメディ要素はあまり見出すことができないですね。
序盤で見られたパットの奇行ぶりも、「笑いのネタ」というより「精神異常者ならではの狂った言動」的なイメージが強いですし。
それよりも、精神的な外傷を被った男女が心身的に立ち直っていく過程を描いた恋愛物というのが、今作の正しい評価と言えるのではないかと。
その手のベタな恋愛物が好みという方にはオススメの映画であると言えるでしょうか。